皮肉ですけれど、永遠の愛、変わらぬ愛というのは、ロボットだからこそもてる徳なのかもしれませんね。
そして、それらは、決して人間の側にはないような気がします。もし人間にできるとしたら、瞬間を永遠に
変えることくらいでしょうか。もちろん、それとて、誰にでも出来るというわけではありませんけれどね。
ある意味で、ロボット少年デビットにインプットされたものは愛のみだったからこそ、2000年の時を
超えても変わらぬ愛をママモニカに持ち続けることができたのかもしれません。
ところが、人間の愛は憎しみとセットで存在しています。そして、その二つの関係は、私達が
考えるより遥かに複雑です。それらは連結し、逆転し、複合している。この特別な新奇さを与えるところ
のものは何か?。それは、人間の心の中で起こる二重意識のパラドックスかと思います。
だから、人間には、愛の微笑があり、裏切りの微笑みがある。片方で愛の世界を作り、片方でそれを無にする
ようなことをする・・・それが人間。
たぶん、モニカがデビットを捨てたことを批判する人は多いでしょう。ですが、あなたも、彼女
のような立場に置かれたら、同じ行動に出てもおかしくない可能性をもっている存在であることを
映画は暗に示しています。なぜなら、あなたも人間なのですから・・・。映画では、少年達がプールサイドで
、デイビットに「君はメカ。僕達はオーガニック。」と何回も繰り返していっているシーンがあります。果たして
そのように分けてもいいのでしょうか?。区別が差別を呼び、そして悲劇をもたらすこのとになりはしないか。
プールでの一連の出来事は、そう問いかけているのではないでしょうか。
映画では、2000年の眠りからデビットが目覚めた時、人類はとっくに滅びていました。 ですが、どうして滅びてしまったのかという説明は一切ありません。なぜなら、答えはすでに 映画の中にあるからです。人間の心の闇に潜む欲望、 消費と破壊のエネルギーこそ、人類滅亡の原動力になっていったみたいですね。 そして、好むと好まざるに関わらず、これらも人間存在の本質の一つなのだと・・・。 人はいつかは死ぬ運命であるのと同じく、人類もいつかは滅びるでしょう。でも、その担う運命が 栄光に輝こうとも、また惨めであろうとも、ともに巨大なドラマとして終わるのだと、この映画は そういっているような気がします。
デビットにとったら、人間になることは目的ではなく、手段にすぎません。彼の目的は、ただ一つ。 それは、モニカに愛されたいということなのですから、最後にはそれが叶えられたわけですから、彼の 使命は全うされたことになります。愛とは、愛することだけとか、愛されることだけでは、完結しません。 愛とは、愛し愛されることが愛であり、そして、愛し愛されることが人生なのです。だからこそ、愛を インプットされた彼は、最後までモニカの愛を求め続けなければならない宿命を負っていたのです。 そして、ある意味で人生することも・・・。それだからこそ、ロボットの破壊ショーで、今、まさに 破壊されようとしているときに、大声で命乞いをしたのだと思います。他のロボットはなすがままなのに。 彼は他のロボットとは違う特別なロボット・・・そう、愛をインプットされたロボットなのです。