イギリスの教育T




イギリスの教育は、日本と違ってちょっとばかり複雑です。イギリスという社会は、人権的には 平等でも、実は厳然たる階級社会なのです。上流階級の人たちは、社会に対して富を還元したり、 社会のお役に立てることが名誉なことでもあるんですね。そういう将来のイギリスを背負って たつエリートの玉子たちは、6年間の初等教育後は、主に長い歴史と伝統を誇るパブリックスクール で学びます。そして、そこは全寮制で、上下関係は厳しくきちんとしていて、生徒会長は、問題を 起こした生徒に対して、罰を与える権限すらもっているところもあります。そして、彼らはやがて 卒業すると、オックスフォードやケンブリッジといった名門大学へと進級していきます。パブリック スクールへ入れるのは、お金もかかるということで、上流階級の裕福なご子息・ご令嬢たちです けれど、その中での寮生活は質実剛健そのものです。イギリス では、日本のように大学がいっぱい乱立するといったことはありません。日本では4年生の大学だけ でも、500は軽く超えていますものね。ですが、私の記憶では、100もなかったように思うの ですが・・・。イギリスでは、本当に勉強をしたい人、あるいはしなくちゃという思いのある人だけ が主に大学へいきますから、たくさんの大学を必要とはしないんですね。 しかも、イギリスの大学は一応全寮制ということになっていて、学生は 必ずどこかのカレッジに属します。オックスフォードやケンブリッジでも、35以上のカレッジが あって、それが集まって一つの大学を形成しています。学生達はそれぞれのカレッジの寮に属し、 生活はそこでします。

日本では、義務教育といえば、6・3の9年間ですが、イギリスでは、6・5の11年間です。 6年間の初等教育が終わると、その上は、日本で言うところの中高一貫教育の5年間ということに なります。ところがもう一つ違いがあって、日本の義務教育は6歳から始まりますが、イギリスは 5歳からです。したがって、日本でいうところの高校を卒業するのは、2年早い16歳ということ になります。この短い青春時代での2年間の違いはとても意味があると思われます。ただし、先ほど もでましたパブリックスクールのほうはまたちょっと違うんですね。イギリスの教育システムは 日本のような一本線でなくて複線式で、確かに大学の数は少ないですけれど、それと横並びに 職業学校や専門学校が数多く存在しております。一般の子供達がいく公立学校は、先ほどいいました ように16歳で中・高等学校を卒業してそれぞれの道に進みます。就職するもの、職業学校や 専門学校に進むもの、そして、大学進学を希望するものなど様々です。ただし、大学へ進むものは 2年間ほど予備校のようなところで勉強して、国が行うテストに合格し、それから大学へと進みます。 ただし、一般の公立学校では、大学進学者希望者はクラスに一人か二人といったところでしょうか。 中高等学校は16歳で卒業でも、大学は日本やアメリカと同じく一般的に18歳ということに なっております。したがって、パブリックスクールの方はと申しますと、一般的に大学進学までの 18歳まで、在籍ということになります。

さて、パブリックスクールのほうはちょっと置いといて、ここでは、一般の公立学校での教育内容を みていきましょう。イギリスの小学校はオープンスクール形式になっていて、一クラスの人数は 約27名程です。日本では、クラスは同学年だけで編成されていますが、イギリスでは、一二年生、 三四年生、五六年生の混合クラスで編成されていました。ただし、算数とか国語の時間は、一年生は一年生、 二年生は二年生と、学年で区切って、別々に授業をおこなうみたいです。ですが、それ以外は、一年先輩だったり、 一年後輩だったりして、いっしょに学習していました。イギリスの小学校はまるで日本の幼稚園みたいな感じで 本当に楽しそうでした。お絵かきに工作、博物館めぐりに、ミュージカルや人形劇など ボランティアがあちこちの小学校を回っていてそれの鑑賞。。。などなど本当に楽しいところです。 しかも教科書もテストもないのです。そればかりか、クラスに 担任の先生が一人というのではなくて、もう一人副担任がいて、より効果的な教育になる ようにサポートしていました。つまり日本のように先生が 教科書を棒読みするような、それを生徒がじっと黙ってきくような授業形態ではないということです。 イギリスではあくまでも体験学習を基本とした、対話形式の授業内容になっているのです。 そして例えば、ハロウィーンのポスターを一人一人描いてみると いう授業があるとします。先生が一人一人を見回って、すごく上手に描いている子がいるとしますと、 先生は、その子に耳打ちします「今すぐ、これを持って校長先生にみせてきてごらん」と、授業中に もかかわらず、その子は校長室にいって、校長先生に見せに行きます。当然、先生はその子が上手だから 行かせたわけですから、もうもう校長先生から、いっぱい誉めて貰って、教室に帰ってきます。 イギリスの校長先生は、日本の校長先生みたいに、校長室にこもって生徒との接点といえば、始業式 とか、入学式とかいったような行事のときだけ。しかも、台の上から見下ろして、格式ばった決まり文句を 述べるだけ・・・というのではなくて、まるで、小間使いのおじさんみたいに、その辺をうろうろしていて 生徒と同じ目線で、積極的に生徒とコミュニケイトしてきます。他にもこんな体験をしました。 そのクラスにはまだ日本からやって来て間もない9歳の男の子がいました。みんなとは 仲良く楽しそうに遊んだりするのですが、恥かしがりやで言葉でコミュニケイトしようとはしないんですね。 で、ある工作の時間、子供達はいわれた課題をせっせせっせと作っていたのですが、先生はなにやら 全く関係のない糸電話を作っていました。何でかなと思っていたら、先生は出来上がるや否や、その無口な 日本人の男の子のところへ行って、彼とだけその糸電話で遊び始めたんですね。先生は糸電話で 「何歳ですか?」「好きな食べ物はな〜に?」「日本へはいつ帰るの?。それまでにいっぱい友達 作ろうね」とか問いかけたんです。するとその男の子は初めて英語でしゃべり始めたんです。 それを見たクラス中の子供達は、拍手喝采大喜びでした。

さて、イギリスの小学校には先ほども言いました様に、教科書もテストもありません。5歳から11歳のまだ 発達途上の子供達に、優越感を与えてどうする?、劣等感を持たせてどうする?・・・という感じ なんでしょうね。この年頃は、みんなで楽しく過ごした時間、みんなで何か一つのことを成し遂げた ことが、積み重ねが、子供達の自信に繋がっていく。だから、日本のようにテストをして 点数をつけるということではなく、算数では、確かにプリントのようなものをしたりしますけど、 点数はつけないで、正解の場所にチェックが入って返されるだけなのです。後は間違った所は、友達や 先生にきくなりして、理解できたら、それで、正解!ということになります。ですから、イギリス の初等教育において、誰がお勉強ができるかなんて、まったく見えてくる状況にはありません。 ただし、何度もいいますが、イギリスのパブリックスクールコースへの道はぜんぜん違います。 初等教育からエリート育成の目的で教育がくまれていますから。。。

このように、イギリスの初等教育は、日本の幼稚園をちょっとお兄さん・お姉さんにしたような 感じですけれど、これが、中高等学校に上がると、突然アカデミックな雰囲気になります。 日本でいう小学6年生で、中学生なるわけですけれど、新一学期の半ばで、すでに、外国語と 数学は、4段階の能力別学習になります。確か、私の記憶では、数学は、一番下のクラスで、 日本の小学校程度の内容でしたけれど、一番上のクラスでは、微分積分とかも少しかじって いましたから、11歳で、日本の高校の内容にまで踏み込んでいたことになります。しかも、2ヶ月に 一回くらいの割合で、能力別クラスは入れ替えがありました。

それでは、どんな授業内容かを、11歳の中高等学校の一年生の学年でみていくことにしましょう。 、もちろんここでも教科書は なくて、授業を進めるうえで一人一人に資料とかテキストのようなものが必要な場合は、必要な 期間だけ先生が一人一人に貸し与えます。そして、終われば先生はそれらを回収して、また 来年使います。しかも貸し出された本やテキストには後ろに使った人の名前を書き記していきます。 ですから、自分が勉強に使っている本とかテキストは先輩から受け継いだものであり、また後輩が 使っていくものでもありますから、そこになんとなく連帯感みたいなものも生まれてくるみたいです。 日本のような教科書の使い捨てみたいなことはイギリスではありません。イギリスの国民性として、 物を捨てるというのはあまり好まないみたいです。それだけでなく、イギリス人は小さい頃から 読書好きです。ですから図書館はあちこちに充実しています。いわば、読書はイギリスの一つの 文化でもあるといってもいいのではないでしょうか。

では、中学一年(11歳)の歴史の授業をみていきましょう。日本のように、人類の誕生から現在に いたるまでの出来事を細かく暗記していくといった内容ではなくて、始めに先生主体で古代エジプト 史の概要をざっと勉強します。そしてその後、それぞれのグループに分かれて、何を研究していくか を各グループで決めて、生徒主体の授業が始まります。先生はサポート役です。女の子のグループ ですと、古代エジプトのそれぞれの階級の衣装を調べて、色紙やダンボール・余った布などを貰って 来て当時の衣装を再現していきます。そして発表会の時は、全員が自分達で作った古代エジプトの衣装を 身にまとって、研究成果を述べます。さらに、もう一つの女の子のグループでは、古代エジプト人が どんなものを食べていたかを調べ、調理室を借りて古代エジプト人の食べ物を作って、発表会には みんなに試食してもらったりして、それぞれが意見交換します。そして、男の子のグループです と、古代エジプトの00王朝が滅亡した理由はなんだったのかを、人間ドラマも取り入れて発表 していました。実は先生は、この授業は一学期の半ばで終えるつもりでした。しかし、生徒達が あまりにも熱心だったので、結局一学期まるまるを古代エジプトに使うことにしたんですね。

またこんな授業もありました。たぶん国語だったと思うのですが、先生が生徒一人一人に同じ 小説本を配り、じっくりと深く探求しながら授業で読んでいきます。そして途中で全部回収して それからのストーリー展開を各自が小説家になったつもりで創作してもらいます。生徒達は 何週かにわたって各自のストーリーを作って行きます。出来上がりはちゃんと冊子というか ちょっとした本に製本して、授業でそれぞれがどんなストーリーになったかを発表します。 他人のストーリー展開を聞くことによって、こんなストーリー展開もあったのかと驚きと感嘆で 生徒たちはいろんなことを学ぶのでしょうね。そして、最後は原文ではどのような結末になった かを先生が発表します。生徒達は途中で取り上げられたわけですから、原文の続きはしりません ものね。で、詳しく全部読みたい人は学校の図書室で借りて読んだりしますし、クラスメートの 創作したストーリーを読みたい人は、クラス文庫になって置いてあるので、自由に読むことが できます。先ほどの古代エジプトの授業でもそうでしたが、こちらの授業でも発表をしたら、その後は 必ず質疑応答があって、活発に意見交換をします。11歳とは思えないくらいにとても大人びて見えました。 これもきっと、受験に縛られることのない教育環境にいるからできることなんでしょうね。

他にも具体的に授業内容を紹介したいのですが、長くなってしまうのでこの辺で止めておきます。 イギリスの教育は、エリート養成はパブリックスクール(日本でいうならば、灘・開成・麻布などの 有名私立中高等学校がそれっぽいかもしれませんね)にまかせて、普通の公立学校の教育では、 人間を育てたいという気持ちが強いようです。そして、教科書もないテストもないといった、 こうしたのんびりした教育の中からもエリートは育ちます。クラスに一人か二人くらいの 割合でしょうか。そしてその子供達は先生や親とも相談して、もっと上にいって勉強がしたいと いう意志のもとで大学へ進学します。経済的な面では国が補償してくれますから、安心して 勉強ができます。こうして、例えばオックスブリッジでは、パブリックスクール出身が半分、 普通の公立学校から半分と理想的にミックスされたエリート達がイギリスを背負って立つことに なります。日本の教育は一本線で成り立っていますが、イギリスの教育はそうではありません。 ここでは、普通の公立とパブリックスクールとおおざっぱに二つにわけましたけど、実際は もっと細かくて複雑で、ぱっとみただけでは日本の教育どっぷりのものには混乱していしまう ほどです。それだけイギリスの教育には多様性があるのでしょうね。正直言って、パブリック スクールの方の授業内容はしりませんけれど、学校が自宅にとても近いこともあって、寮に入る ことを一年だけ免除された生徒さんがいたんですね。その子のお部屋を見せてもらったとき、 ノートが机に置いてあったので内容をチラッとみせてもらったんですが、なんと11歳で微分積分、三角関数を 勉強しているではありませんか。しかもラテン語も習っているようでした。

皆さんはご存知でしょうか?。"noblesse oblige" という言葉を。先ほども言いましたけど、 欧米諸国では厳然たる階級社会なのですが、上流階級の人たちの間ではこの"noblesse oblige"という 考え方が脈々と受け継がれています。高い身分に伴う道義上の義務といったところでしょうか。つまり、 自分が裕福で恵まれた環境に生まれたのなら、それはたまたまの出来事であって、人より恵まれたぶん、 社会のためになるようなことをする義務があるという考えた方です。したがって 英米の階級社会において、上流階級が中流階級の人たちを見下すことはありませんし、そんなことを したら、人間性を疑われるくらいの規律があります。 逆に中流階級のひとは、上流階級の人たちへ嫉妬することはありませんし、そういった嫉妬 はむしろ、中流階級の人からも軽蔑されます。嫉妬するくらいなら 一生懸命がんばって、社会のためにしなさ〜い!ということなんでしょうね。

私の体験では、勉強なんてできなくてもへっちゃらさという子供達もいっぱいいたような気がします。 これだけは誰にも負けないぞというものを持っている子供達はとても自信に満ちていて堂々として いました。トムソーヤのトムみたいな子や、タイタニックのジャックのような子もいたような気がします。 ある意味でエリートは大変かもしれません。自分らしく自由に生きるというのもかっこいいこと なのでしょうね。能力というのは、人間以外の動物ならば種に与えられているわけですけれども、 人間の場合は個人に与えられている。絵の上手な人、音楽の才能がある人、運動能力が優れている人、 発明にたけている人、社交的な人・・・など個人に与えられています。イギリスの教育ではなるべく そのことを知って豊かな人生を送って欲しいという願いが込められているような気がしました。

イギリスの教育は一日にしてできたのではなく、長い歴史と伝統の中で形作られてきたものです。 それだからこそ重みがあるのではないでしょうか。もちろん、イギリスの教育に問題がぜんぜん ないというわけではありませんが、 もし、少しでも日本以外の国の教育に触れることが できたなら、それはそれで素敵なことではないかと思います。

最後にもう一つだけ、日本とは違っていて驚いたことを書き記します。日本の中学校では 親と先生との個人面接がありますけど、それって担任の先生とだけですよね。ところが イギリスでは個人面接の日は、全ての教科の先生全員が体育館に、机一つと椅子二つを もってきて、ずらっと並ぶんです。で、父兄はスケジュール表にしたがって順次子供の 教わっている教科の先生全員と個人面談します。0〜15分までは体育、15〜30分までは 理科という具合にです。ですからよりきめ細かに自分の子供のことが分かるようになっています。 ほんとうにこれには驚きました。もちろん担任とも面接があります。






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