恋に落ちたシェイクスピア

恋に落ちたシェイクスピア




歴史とは、民族や国家のアイデンティティを保証するために 記述された物語・・・。この虚構?を成立させるために都合の悪い 事実は闇に葬られてきた。その量はきっと膨大だったことでしょうね。 ときどき、小説家や脚本家によって、ありうるべきもう一つの 裏の歴史にスポットが当てられることがある。この「恋に落ちた シェイクスピア」も、 脚本家の想像力によって、ありうるべきシェイクスピアの人生の隠された 闇の部分にスポットを当てた見事な作品でした。歴史に裏表があるように 人生にも裏表があるのです(^-^;。

そういえば、シェイクスピアは喜劇ばかり書いていたのに、突然、悲劇ばかり 書くようになるんですよね。脚本家はその理由を「恋に落ちた」に求めた んでしょうね。シェイクスピアの 人生に何か劇的な変化がないと、喜劇が突然悲劇になることはありませんものね。 でも、「恋に落ちた」というのは、とても自然でいて、しかも ちょっぴりミステリアスであるかもしれませんね(^-^;。

シェイクスピアの恋の相手の女性がこう言います「人生には詩がなくては いけない、それに冒険も。そして何よりも愛がなくては・・・。 それなのに、私の周り(上流階級)の人達には詩がない!」と・・・
運命は、身分の違いもあって、二人を結びつけることはなかったけれども、 二人の恋は、色褪せることなく永遠に二人の心の中に封印されることになるのです。 シェイクスピアは、真実も、喜びも、美も、恋も、愛すらも、この世で完璧さを 保てるのは、瞬間的にすぎないという認識があったと思います。それは彼の ソネットを読むと分かります。で、二人は、この 深い恋を永遠のものにするために、つまり、瞬間を永遠にするために、 二つの方法を選択をしました。

一つは「ロミオとジュリエット」という作品を後世に残すこと。 もう一つは永遠の愛を信じて、運命に逆らわず 「さよなら」をすること。でも、シェイクスピアは絶望のあまり、 彼女にこう言います「もう、作品を書くことはできない」と。でも彼女は 「私が何よりも悲しいことは、あなたが筆を折ることだ」といいます。 その言葉によって、彼は彼女と別れた後「十二夜」を完成させるのです。 (もっとも、映画の中でのお話ですが(^-^;・・・そして「ロミオとジュリエット」 は、恋に落ちたシェイクスピアの実体験から書かれたという設定になっています。)

シェイクスピアはソネットの中で、人間の生命の儚さ故に人を 愛することの大切さを歌っています。人間たかだか生まれて死ぬまで100年足らず、 不死に憧れないといえば嘘になる。でも不死であることができたとして、 果たして人間は、表面と同じく内面的にも不滅性を持ち続けることができるで しょうか。恐らくできないでしょう。生命の誕生や破滅や、恋人達の出会い、 友との別れ、他愛ないおしゃべり、星の輝き、木々のざわめき、花ひらくさま。 およそ生きているかぎり、あらゆることに心を揺さぶられ、感動する心を 失わずにいることこそ、何よりも大切なこと!。短い人生をせいいっぱい 愛して、生きて、笑って、老いていける人は幸せな人。あなたも そう思うでしょ?(^-^cv。

恋愛の本当の悲劇は、もしかすると、愛し合う二人の永遠の別れではなくて、 むしろ、あんなにも愛し合った二人の両方か、どちらか一方が無関心に なってしまうことかも・・・。




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