beatles & a fair poet




記憶の片隅に、かすかに残っているビートルズのこと・・・。私が学生の頃、英文科の方で それほど親しくはなかったんですけれど、ビートルズが大好きだという知り合いがいて、 その方が確か、ビートルズの曲の中に、アメリカの女流詩人エミリィディキンソンの詩が いくつかあるといったんですね。でも、彼女の詩は、難解で、生前は全く認められることは なく、死後、文学史上に名を残すことになるわけで、ビートルズとの関連性が、今一つピン とこなくて、あれは、空耳だったのかな?と謎のまま・・・。そこで、洋楽ファンが多く集 う掲示板にいって、書き込みをしてきたんですね。すると、管理人さんをはじめ、反応して くださった方がいて、その謎にかなり迫ることができました。


「彼らはいろんなモノにインスパイアされ、作詞していますのでありえないことはないと思 えますが、多分確認することはできないと思います。作った本人達も忘れてますから(笑)。 インタビュー記事等でも「そうだったかもしれない」とよく適当に答えています。ウロ覚えで すが、オペラの歌詞から取ったり、子どもの頃読んだ小説から取ったり…そんな感じです。」 ・・・というふうにコメントくださったのは、なおさんという方で、ビートルズの歌詞はある 程度頭にあるということで、彼女の詩があるサイトが分かれば、調べることもできるという こと。でも、そんなサイト全然知らないなぁーと思っていましたら、Dinosaur Sr.さんという 方が、ちゃんと調べて書き込みをして下さっていました。(http://www.bartleby.com/113/ ) その上、彼は、さらに思い出して、「どこかで目にしたと思っていたのですが、Bob Dylan へ の影響は指摘されているようです(↓)。ということで、Dylan 経由で Beatlesというのは (特に John なのかな?)あり得る線なのかもしれませんねぇ。うーむ、どうなんでしょう。」 と、Emily Dickinson & Bob Dylan というテキストサイトのアドレスとともに、コメントを 付け加えて下さいました。


ジョンレノンは、幼い頃、両親の離婚に直面し、父親に引き取られます。ですから、母親への 憧れはとても強いものがあったようですね。光源氏が母の幻を求めてさすらうように、ジョンも また満たされない心でさすらっていたのでしょうね・・・ヨーコに会うまでは・・・。苦悩の海 の中をさすらうという点では、エミリィディキンソンとも共通するものがあるような気がします。 ここで、私のつたない訳をつけて、エミリィディキンソンの詩を二つばかり、紹介しましょう。


Not with a Club, the Heart is broken
Nor with a Stone-
A Whip so small you could not see it
I've known

To lash the Magic Creature
Till it fell,
Yet that Whip's Name
Too noble then to tell.

Magnanimous as Bird
By Boy descried-
Singing unto the Stone
Of which it died-...

「ハートは潰される。棍棒によってではなく、又、石によってでもない。私は知った。 目に見えぬほどの小さなムチが、魔法の生き物が倒れるまでぶつのを。しかも、ムチの名は 口にすることが出来ぬほど高尚であり、少年によって認められずに、石で殺されるとも知らず に、その石に向かって歌っている、その鳥のように気高い。」

ムチの名とは、いったい何でしょう?。その答えは愛です。


The joy that has no stem nor core,
Nor seed that we can sow,
Is edible to longing,
But ablative to show...

「喜びには茎もなく、芯もなく、播くことのできる種もない。憧れにとっては味わいのあるもの、 しかし、示すとなると、それは消えうせる」

人間であることは、この世界では、示すことのできない、つかむことのできない、天国の至福 にも似た一瞬の恍惚を渇望すること・・・。人間って、悲劇的に倒れ、崩壊する世界における しばしのエクスタシーを感じたいという欲求を、心のどこかでもっていません?。ジョンレノン の場合、オノヨーコと出会って、人間であるが故の苦しみを超えられたんじゃないかなぁーと 思うのです。そしてその先にあったもの、それが"imagine"。。。imagineからlove&peaceへ・・・


人は必ず死ぬという厳然たる現実の前に、苦悩は人間の本質としてつきものです。何も自分が 死ななくても、愛する人との永遠の別離があったりするわけで、多くの宗教は、現世の様々な苦しみは 、来世で報われると説きます。しかし、JohnもEmilyも、苦悩の人生は天国で報われる ための定めという、宗教的な考えの逆をいく、 むしろ、生こそ、非常に強力な神の祝福であり、私達はそれを償うために死ななければならない。 地上に、天国、つまり愛と平和を見出せないものは、天上でも見出せない・・・という考えでは なかったかと思います。


人生とは、一つの魅力ある冒険ではあるけれど、誕生という偶然事によって、魂が一人で受けねば ならない経験なのかもしれませんね。


最後に、もう一つだけ、彼女の詩を紹介しましょう♪


Title divine-is mine!
The Wife-without the Sign!
Acute Degree-conferred on me-
Empress of Calvary!
Royal-all but the Crown!
Betrothed-without the swoon
God sends us Women-
When you-hold-Garnet to Garnet-
Gold-to Gold-
Born-Bridalled-Shrouded-
In a Day-
Tri Victory
"My Husband" -woman say-
Stroking the Melody-
Is this-the way?


「聖なる位は、私のもの! 印をもたない、その妻! 私に授けられた、劇烈な地位。そは、 十字架の女帝! たとえ王冠はなくとも、王の后たること! 私は婚約した、喜びのあまりの 失神はなかったけれど。神が女に与えたのだ。ざくろ石にざくろ石、黄金に黄金を交わす時、 女は生まれ、嫁ぎ、死ぬ。一日の間に。そは、三つの勝利だ。「ねえ、あなた」と女は言う。 猫なで声のメロディーで。これが女の道なのか?」


(またまた、問題をだしちゃおうかしらん♪。「ザクロ石にザクロ石、黄金に黄金を交わす時」 って、何のことをいっているのでしょうか?)











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