1987年1月20日福祉だより第6号 

「車イス」 bP

 車イスの生活になってからもう10年目になります。それでも未だに不便を感じることがあります。車イスには広いスペースが必要です。入院中はそれほど気になりませんでしたが、自宅の小さな部屋では、すぐに壁やベッドに当たって動けなくなります。そうなると、体重と合わせて100kgを超える電動車イスは一人ではどうにもなりません。

 それでも家の中は平らになるように改造してあるので、わりに自由に移動できます。しかし外に出ると困るのが階段や大きな段差あるところです。それにジャリ道など舗装してない道路では思うように進めないこともあります。いろいろと車イスの生活には不便なことも多いのですが、それでも車イスが足の代わりになってくれるおかげで大変助かることが多いのです。

これからも、車イスとの付き合いは続きます。それだけに車イスを大切にして、より便利に生活できるようにしていきたいと思います。

「病院行き」 No.2

 毎月1回は必ず病院へ行きます。兄の自動車に乗せてもらって、いつものコースを1時間かけて行きます。これだけは7年間変わらずに続けています。病院では先生の診察を受けて薬をもらって帰るだけですが、少しは安心します。明日から急に体が動き出すこともないのに気分的なものだと思います。それにしても病院は大変時間がかかります。もう少し待ち時間が短くなればなぁと思います。

 たまに自動車に乗って外に出かけるのも気分のいいもので、体が自由に動かないことなどを少しは忘れられる時間です。病院は楽しいところではありませんが、これからも病院行きは続きます。

     

「今、感謝すること」 bR

 私は10年前19才の時、頚髄を損傷し「重度身体障害者」となりました。それ以来入院、転院、退院を繰り返し、合わせて5つの病院で3年以上入院したことになります。これだけ聞けばすごくつらくて苦しい10年に聞こえますが、本人にとってはそれほどつらく感じられませんでした。それは多分回りの人たちのおかげだと思います。

 確かに今は、一日のほとんどをベッドの上で過ごし、移動するのは車イスを使い、何をするにも人の手を借りなければなりません。そんな毎日の生活を支えてくれたのは家族です。それに多くの友人や病院の先生や看護婦さんたちに励まされてきました。

 もうひとつ大事なことは社会から福祉という形で経済的、物質的に援助してもらえたおかげで大変助けられました。 私はこれらの多くの人々に大変感謝しています。おかげで今は何もできない私でも何とか生活していけます。ありがとうございます。

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1987年5月5日福祉だより第7号

「新しい車イス」 bS

 今年は暖冬だという。それでも冬はあまり好きではない季節です。障害のため体温をうまくコントロールすることができず、長時間屋外に出ることはないし雪でも積もれば自動車で外出するのも大変です。室内は温風ヒーターでいつも暖かくしてあるので快適にすごせますが、それでも早く春がくれば…と思います。

 そんないやな季節ですが、今年の冬は一つだけ待っていた物がありました。三ヶ月前に注文した新しい車イスがやっとでき上がってきました。この車イスは外出用に使うため、体の大きさに合わせて軽量コンパクトに作ってもらいました。それにしても最初に作ったのに比べると、ずいぶん技術も進歩したものだと思います。材質もステンレスからアルミになり、背もたれやステップはワンタッチの折りたたみ式になり便利になりました。

 寒い冬ももうすぐ終わります。暖かい日には新しい車イスで体力をつけたいと思います。

「作業療法」 bT

 でき上がったばかりの「福祉だより」を役場の人が持って来られました。 自分の書いた文章をあらためて読むのも少し恥ずかしい気がします。しかし受傷した直後には、もうペンも持てないと思っていたことを考えると、リハビリのおかげだと感謝しています。

 リハビリテーションにもいろいろな種類がありますが、字を書く訓練を受けるのは、作業療法というものです。作業療法では主に日常生活に必要な動作を訓練します。朝の洗面や食事など障害の程度に応じて少しでも人の手を借りずに生活できるように工夫しながら訓練します。

最初のころは車イスに座っていることだけがつらくて、貧血をおこしたことも何度かありました。それから右利きを左利きに変えて、食事をするのも字を書くのも左手でできるように練習しました。おかげでタイプライターも使えるようになり、今では少し文章も作れるようになりました。 まだ、文章を作るのは大変時間がかかりますが、もっといい文章が書けるように努力していきたいと思います。

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1987年7月20日福祉だより第8号

「再入院」 bU

 連日の熱が下がらずついに5月初めに緊急入院してしまいました。以前から入院の予定をしていたのですが、いざ入院となると体力も落ちいてるせいか大変不安に感じていました。それでも熱が下がり食欲も出て来て体調が戻ると、思うことはいつ退院できるかということばかりですが、今度の入院も長くなりそうです。

 入院生活は自宅に居る時にに比べると忙しく一日が過ぎていきます。そんな生活の中には新しい人との出会いがあったり、懐かしい人と話しができたりします。

 そんな入院生活も二ヵ月が立ちました。現在は病院のベッドの上にいます。最初の手術も無事終わり、病状も安定して元気になってきました。まだまだ検査も治療も続きますが、早く家へ帰れる日が来るのを心待ちにしています。

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1987年10月23日 福祉だより 第9号

「腎結石破砕術」 bV

 9月の末に主治医の退院許可が出て、やっと退院することができました。暑かった夏も過ぎて、自宅に帰るともう秋風が吹いていました。長い入院生活で辛い事や苦しい事も何度かありましたが、自宅に着くとそれも忘れてしまいました。
 今回の入院では、長い間発熱や、むかつきの原因だった両方の腎臓にできていた結石を取る手術をしてもらいました。一時期、今の状態では結石を取るのは難しいのではないかとあきらめかけていましたが、新しく奈良県立医科大学附属病院に導入された治療法のおかげで、結石もきれいになくなり、腎臓に入っていた管もとれました。

 その治療法とはSonolith 2000を用いた体外衝撃法による腎結石破砕術というもので、高電圧スパーク放電により発生した衝撃波を体内の結石に集中させることにより破石する治療法です。1980年に西ドイツで実用化されて,日本でも1984年より臨床応用が実施され、すでに数千人が腎尿管結石破砕術を受けているそうです。この治療法のおかげで従来のような開腹手術をせずにすみました。また、手術後の副作用もあまりなく、順調に回復することができました。

 今は、以前より体調も良くなり、お世話になった先生や看護婦さん方に感謝しています。これからは結石が再発しないよう充分気をつけたいと思います。

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1988年1月16日福祉だより第10号

「友」 bW

 12月の初めに珍しく雪が降りました。急に寒くなり一日中温風ヒーターが入りぱなしです。こんな日はあまり外に出ることもなく部屋で本などを読んで過ごすことが多いです。

 久しぶりに友人に電話をしました。彼とは枚方の病院に入院していたころ同じ病室でいっしょにリハビリを受けていました。もう何年も会っていませんが、電話するといつも最近の体調や生活のことなど、いろんな事を話すため長電話になってしまいます。年齢も近く、障害の程度も似ているので話しが合います。私は最近入院しましたが、彼は体調も良く元気にしているようです。 彼といつもなつかしく自然に話せるのは苦しいリハビリや治療を受けていた頃いっしょに生活したせいだと思います。

 その頃いっしょにリハビリを受けていた友人の中には学校に復学した人や、新しい仕事についた人など、身体的に重い障害がありながらがんばっている人もいます。 彼らの話しを聞くたびに私ももっとがんばらなくてはいけないなと思います。

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1988年6月20日福祉だより第11号

「保健婦さん」 bX

 日頃、山添村の保健婦さんには大変お世話になっています。自宅療養をしていると何かとアドバイスを受けることも多く大変助かっています。

 57年より吉住さんにお世話になっていましたが、昨年12月より桐山さんにお世話になっています。二人とも気軽に相談できていろいろと教わりました。これからもよろしくお願いします。

「ワープロの給与を受けて」 bP0

 私は日常生活する上でいろんな電気製品により体の不自由さをカバーしています。おかげで随分助かっています。中でも、電動和文タイプライターは字をうまく書けない私にとって文章を書いたりするのに大変役に立っています。それでも活字が足りなかったり文字の大きさを変えられなかったり、重くて手軽に移動できなかったりして少し不便を感じていました。そんな時に東和福祉事務所や役場の方々の全面的なご協力によって、ワープロの給与を受けることができました。

 ワープロと言っても色々な機種があるため最初は機種を決めるのが大変でしたが、色々考えて小型で私の手でも十分操作できる機種を選びました。小型と言っても豊富な機能が有り分厚い説明書がついていました。初めてキーボードを操作した時にはなかなかうまくいきませんでしたが、これから毎日少しずつ練習して少しでも早く使いこなせるようになりたいと思っています。

 早速この文章もワープロを使って作りました。ワープロの給与を受けるのに当たっては多くの方々にお世話になりありがとうごさいました。大切に使っていきたいと思います。

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1988年9月24日福祉だより第12号

「福祉への願い」 bP1

 現在の福祉制度は、10年前に比較して随分と良くなって来ていると思います。新しく色々な制度が作られて、私もその制度の恩恵を受けている一人です。それでもまだ少し問題があると感じています。

 まず色々な制度があるのにかかわらず、ふだんそれを知る機会が少ないことです。そのため本当に困っている人に利用されない事があるのではないでしょうか。それぞれの市町村では広報などを通じて情報は伝えられて来ていますが、一般の生活ではほとんど必要ありません。

 しかし、いざというときに自分に必要な情報を知り、それを利用するのに少し時間がかかるんではないでしょうか。私の場合は最初に入院した病院は小さくて、家からも遠かったためそういう情報を得る方法も余り知らずに大変困りました。

 その後リハビリのため入院した病院で医療相談室があるのを知りそこで多くの情報を得る事ができました。最初のころは書類を揃えたり手続きの方法がややこしくて、両親も看病しながらのことで大変困ったようです。どういう制度が自分に適応されるのかもわからないため何もかも最初から調べなくてはいけなかったようです。自宅の改造や、自宅での生活の仕方は先生や同じ障害をもつ先輩に教わりましたが、障害手帳の交付のことなど役場の厚生課の方々にもお世話になりました。

 事故や病気などで不幸にして障害を受けた場合それぞれの障害は個々に違っています。多くの場合看病などで、余裕などなく大変だと思います。そのとき必要な公的救済が早く受けられることはその後の生活のためにも大事なことだと思います。

 今後ますます福祉制度の充実が図られ、複雑になり多様化して行くと思いますが、本当に必要な人に早く有効的に利用できるように[福祉の手引き]のようなものがあればいいなと思います。

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1988年12月15日福祉だより第13号

「なら・シルクロード博」 bP2

 10月の中旬母と兄の車に乗せてもらって「なら・シルクロード博」に行きました。朝から小雨が降っていましたが、奈良へ着く頃は良い天気になっていました。

 春日大社バスターミナルの重度障害者用駐車場で車を降りて春日野会場メインゲートより入場しました。会場内は平日の為か思っていたより入場者は少ない様でしたが、所々急なスロープがあつたり学生の団体で混雑していて、兄が車椅子を押してくれるのも大変な様でした。

 最初に海のシルクロード館に入りました。ここでは古代シリアの文物が展示されてあり年代の古い順に見学する事ができました。次にシルク博最大のパビリオンであるロードサツトオアシス館に行きました。この建物はエアドームで中にはシルクロード沿道の町並みや商店が再現され各国の物産が販売されていました。私達も買い物をしてから他のパビリオンも入りました。どこも車椅子入場者の為のスロープや専用道路が用意されてあり見学しやすく、コンパニオンの方々に大変親切にして頂きました。

 午後、飛火野会場へ向かいました。ここでは急なスロープや混雑のため思うように見学できませんでしたが、タクラマ館の砂漠の体験コーナーでは砂の熱さで車椅子のタイヤがパンクするのではないかと思う程驚きました。会場を出て少し奈良公園を散歩してみました。奈良公園へは10数年ぶりに来ました。鹿に餌をやったり記念写真を撮ったりして楽しく過ごしました。

 シルクロード博では会場と会場の間が離れていて車椅子で全部見て回る事ができず残念でしたが、それぞれのパビリオンでは映像等を使ってわかりやすく展示してあり楽しく見学できました。

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1989年2月10日福祉だより第14号

「新しい年を迎えて」 bP3

 今年のお正月は例年になく暖かく過ごせました。私の場合は別に何をするでもなくいましたが、昭和から平成に変わったせいでしょうか、なんとなく慌ただしく過ぎていきました。

 そんな時、知人からリハビリの為入院していた頃同室だった友人が亡くなったという知らせを受けました。彼とは障害の程度も似ていた為一年間ほどいっしょにリハビリをしていました。退院後、彼は学校に復学して元気でがんばっていたようだったのに、突然のことで大変驚きました。

 リハビリをしていた頃の友人たちはみんな重い障害と戦いながら頑張っていました。最近はほとんど会えませんが、みんなそれぞれの生活の中で自分の目的に向かって努力していますいます。それでも目的半ばにして亡くなったことは本当に残念です。

 新しい年を迎えて私も、もっと頑張らなくてはいけないと思います。毎日の生活は単純なことの繰り返しでほとんど変化がないように見えても、それを積み重ねていくことが大切だと思います。

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1989年6月1日福祉だより第15号

「入浴サービス」 bP4

 私の知覚神経は肩から下が麻痺しているためか感覚のある頭などは敏感になっているようです。 自宅の洗面所は改造して車椅子に乗ったまま洗髪できるようにしてありますが、寒い日は洗髪するのも一苦労です。そんな時は、社会福祉協議会からお借りした洗髪器が役に立ちます。

 これを使えばベッドの上で寝た状態のままで洗えるので、風邪や寒さの心配もしないで安心して洗髪することができます。介護する母にも簡単に取り扱いできるので大変便利です。

 また、月に一度「やすらぎ園」の方に来て頂いて入浴サービスを受けています。以前は自宅のお風呂を改造して入浴していましたが、家族の負担が大きくなったため、村より援助をして頂いてこのサービスを受けています。

 「やすらぎ園」からは3人の方が組み立て式の浴槽などを車に乗せて来られます。それに保健婦さんに血圧、脈拍、体温などを計ってもらうので安心して入浴できます。体を清潔にすることは床ずれの防止にもなるし、気分もすっきりします。おかげで体の調子も良くなってきたようです。

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1989年9月5日福祉だより第16号

「選挙」 bP5

 今年の夏は昨年のような冷夏ではなく、毎日蒸し暑い日が続きますがテレビでは、毎日のように政治のニュースがトップで流されています。

 7月23日は参議院通常選挙でした。私は郵便投票証明書を交付して頂いてあるので、役場へ父に郵便投票の手続きをしに行ってもらいました。数日後に山添村選挙管理委員会から投票用紙が送られて来ました。車椅子で投票所に行かなければならない私にとっては、この制度のおかげで天気に左右されずに投票できます。そのため棄権することもなくて大変助かります。

 今回の選挙は消費税や政治改革などいろんな問題で関心が高く注目されていました。大切な一票を投じる有権者としては良い政治が行われることを期待して慎重に考えて郵便投票しました。

 投票日の夜から翌日にかけてテレビでは開票速報の特別番組をずっと流していました。政治にも新しい時代が到来しているように思われました。

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1989年11月20日福祉だより第17号

「リハビリテーションセンター」 bP6

 昨年6月第11号の福祉だよりに田原本町に新しく心身障害者リハビリテーションセンターがオープンしたことが紹介されていました。

 私は月に一度奈良医大へ通院していましたが、その病院の泌尿器科で以前お世話になった良く知っている先生が週に一度来られている事を知り、診察を受けています。

 私のような脊髄損傷者にとっては泌尿器科の受診は一生続けて行かなくてはいけません。ここでは専門の勉強された先生に安心して診察していただけます。それに、まだ外来患者も少ない様で診察や薬の待ち時間も余りかかりません。

 今まで奈良県にはリハビリ専門の大きい病院がなく、リハビリの為県外に行くこともありましたが、このリハビリセンターは障害者福祉施策の充実を図るために建設され、更生相談所など障害者のため各種の設備も利用できます。これからは相談に来られる患者さんやその家族の方も多くなると思います。

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1990年2月1日福祉だより第18号

「友と会って」 bP7

 昨年の暮れから何人かの頚髄損傷の知り合いが自宅を訪れてくれました。みんな入院中の時知り合った人達ばかりですが、私より少し状態が良く運転できるので自動車で来られます。久しぶりに会う友もいて話に花が咲き、毎日の生活の事や、他の友達の話も聞くことができました。みんな障害と戦いながら頑張っている様でした。各地に頚髄損傷のなど重い障害の人達でも楽しめるようにルールを改良したバスケットボール(ツィンバスケットボール)のチームができていて定期的に練習しているそうです。

 入院中は多くの障害者の方と交流がありました。その関係で退院してから何度かいろんな集まりやオリエンテーションに誘われましたが、車の都合がつかなかったり、再入院していたりして参加できませんでした。

 昨年一年は体調も良く入院するようなことも無く過ごせました。今年も元気で、少しでもそれらの活動に参加する事ができれば良いなと思いました。

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1990年3月31日福祉だより第19号

「けんか」 bP8

 寒い時は外に出ることも少なく、他人に会うこともあまりないし、何もしないで一日過ごすことも多くなります。一日中動かずにいるためか、時々無性に腹が立つことがあります。別にたいした理由などは無いのですが、そのために母とつまらないことでけんかになってしまいます。

 けんかといっても大声で怒鳴ることしかできない訳で、結局世話をしてもらわなくては生きて行けないし、すぐ謝る事もできないまま時間が過ぎてしまいます。でもしばらくすると母は何事も無かったように世話をいつもの様にしてくれます、有り難いと感謝するし、悪かったと反省します。しかし言葉に出せなくて仲直りもせずに一日が終わってしまいます。そんなことが繰り返しの毎日のような気がします。

 こんなときにはストレス解消するのが一番だと思いますが、私の両手の指はジャンケンのグーの様に曲がった状態のままです。右手の指は数年前まで伸びていたのですが今は曲がってしまいました。指は全く動かないので握力はありません。そのため私のストレス解消といえば、テレビを見ることやファミコンをすることぐらいです。

 そんな手でも髭剃りやペンをはさんで器用に使え、慣れればそれがあたりまえのようになってきました。最初のころは思うように動かない手にいらいらすることもありましたが、今はそれも無くなりました。 これらも先は長いので自分の障害や、母と仲良くけんかせずに付き合っていきたいと思います。

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1990年6月30日福祉だより第20号

「夏に備えて」 bP9

 ある日の夕方、急におなかのけいれんが来ました。そして吐き気と悪寒、発熱、またまた入院してしまいました。 幸いに病状は軽く熱はすぐ下がり短期間で帰宅することができましたが、入院生活は何度してもなんとなく落ち着かなくて嫌なものです。

 久し振りに入院すると最初に入院した頃のことを思い出します。同じ病棟にはリハビリを頑張っている方が大勢おられました。その人達を見ているともっと自分も頑張らなくてはいけないと思いました。

 退院して家に帰る頃は大嫌いな蒸し暑い時期になっていました。病院では一日中エアコンのきいた部屋で快適でしたが、自宅の部屋はクーラーを入れるほど暑いことはないので、湿気が高くなりすっきりしない日が続きます。本を読むのもワープロをするのも根気が無くなり長続きしません。こんなときはしっかり食事と睡眠を取らないと、つい油断して風邪をひいたりします。今年の夏は体調に十分気をつけてトラブルなく過ごしたいと思います。

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1990年10月15日福祉だより第21号

「停電」 bQ0

 八月の暑い日に停電のお知らせが届きました。電気工事の為午前11時から午後1時までのたった2時間の停電ですが、自分で身動きがとれない私にとっては猛暑の中エアコンが止まるのは困りました。それに電動ベッドも動きません、大好きな高校野球も少しの間見られません。心配していると、幸いに工事会社の方から発電機を借りることができてその日は何事も無く終わりました。

 毎日の生活の中では色々な電気製品を使っています。おかげでハンディをカバーして快適に生活することができます。その電気が来なくなるなんて普段あまり考えていませんでした。しかし、いざそうなると現在の生活を維持する事はできません。私達は随分電気の恩恵を受けているのだと思います。今のような電気製品のなかった昔の人は大変だったろうに、その苦労を思うと今は幸せだと感謝しています。

 今年の夏は特に電気のありがたさをしみじみ感じた夏でもありました。

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1990年12月20日福祉だより第22号

「即位の礼」 bQ1

 11月12日は「即位の礼」が行われました。その日は朝からベッドの上で一日中テレビを見ていました。 天皇の即位儀式は昭和3年以来62年ぶりで、私達が目にするのはもちろん初めてのことです。いったいどのような儀式が行われるのか興味深々で見ていました。

 「即位礼正殿の儀」は思ったより短い時間で終わりましたが、たいへんおごそかで華麗な儀式でした。そこだけ時がゆっくり流れていて別世界の様で、さながら平安絵巻を見ているような感じがしました。 陛下にはこれからもわが国の象徴として、日本や世界の平和と福祉のためご活躍頂きたいと心から願います。

 午後からのパレードでは大勢の人々が沿道で陛下の即位を祝って日の丸の小旗を振っていました。両陛下も右に左に忙しく手を振っておられ、たいへん親しみを覚える場面でもありました。秋も深まり天気の良い日だったのがより以上にパレードに花を添えている様でした。

 現在の私達はテレビを使って遠くで行われていることでも同時に見られます。また世界中の事件や事故の情報を自宅で居ながらにして得ることができます。おかげで歴史的な場面を目にすることができるようになりました。便利な時代に生まれて幸せだと思います。正確な情報を得られることは私達が平和に生きるために重要なことだと思います。

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