1991年2月25日福祉だより第23号

「春を待つ」 bQ2

 今年は暖冬だと言われています、それでもさすがに真冬の外出は厳しいものがあります。自動車に乗って移動している間は暖かくて良いのですが、降車して一歩外に出ると冷たい空気が全身を覆い、いくら着込んでいても寒さが足元からしみ込んできて、感覚の無い足からせっかくの体温がどんどん逃げて行きます。そのために体温が下がり寒気がして辛くなります。暖房のきいた所に入っても一度下がった体温はなかなか元に戻ってくれず、少しの間は何もする気が起こりません。

 用意周到にたくさん着込んだ上着は、ただでさえ動きの良くない腕の自由を奪います。そのため車椅子上での動きを悪くしてバランスを取りにくくします。それに寒さのため筋肉が萎縮して肩がこったような感じになって、車椅子に乗っているだけで疲れてしまいます。 最初は、気持ち良く外出するのですが、そんなことを繰り返すたび目的地に着く前に、暖かい部屋に戻りたくなってしまいます。

 いろいろ苦労しても、たまに外に出て新しい刺激を受けることは気分転換になって良いものです。それでも早く暖かくなってこんな苦労をしなくても、自由に外出できるようにならいかと待ちどおしい立春の朝のひとときです。 

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1991年3月31日福祉だより第24号

「私のリハビリ」 bQ3

 私の右腕は左に比べて動きが良くありません。そのため訓練をして利き腕を右から左に変えました。 最近、右の手首の曲がり方が悪くなってきました。以前はもっと関節が柔らかかったのに少し硬くなってきたようです。それに左手の指の曲がり方もきつくなって、思うように伸びなくなってしまいました。そのため爪を切ってもらうのも一苦労で、切りそこなって血が出ることも時々あります。

 どうしても動きの良い左手に頼ってしまうせいなのか、それとも左手のリハビリを怠ったせいなのかわかりません。たぶん両方が原因だろうと思います。 受傷してから何年もたってくるとゆっくりとした変化に気が付かない事も多く、油断していると以前簡単にできたことができなくなってしまいます。

 私の障害は進行するものではありませんが、不自由な手足の状態はいつまでも一定ではなく、なにもしないで置くとすぐに筋力が落ちたり関節が硬くなってどんどん動きが悪くなってきます。それを防ぐためには毎日少しずつでもリハビリを続けなくてはいけません、リハビリといっても特別な訓練をするのではなく、日ごろの生活の中で自分にできることを続けのが大切だと思います。

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1991年5月31日福祉だより 第25号

「テレビ観戦」 bQ4

 今年もいよいよプロ野球ペナントレースが開幕しました。 昨年のペナントレースは巨人・西武の独走であっけなく優勝が決まってつまらない一年でしたが、今年のセ・リーグではいきなり巨人の連敗で始まり阪神を除いて毎日順位が入れ代わる混戦模様です。

 野球は筋書きの無いドラマだとよく言われますが今年はその言葉どおりに逆転あり、延長戦あり最後まで目が離せない試合が多くあります。残念ながらテレビ観戦では時間ぎれで最後まで見られない試合もあって結果を知るのは夜のニュースまで待たなくてはいけません。

 野球の面白さはチーム戦でありながら個人対個人の対決を楽しめるところにあります。それにホームランがどんどん出る乱打戦や一点を争う投手戦など、どちらも楽しいものです。

 学生時代はあまりプロ野球など見ませんでしたが、最近はナイター中継を楽しみに見ています。そのため自然にテレビ中継が多い巨人のファンになってしまいました。いくら巨人のファンといっても昨年のように優勝が早く決まってしまうのは困ります。日本シリーズまではらはらどきどきの面白い試合がつづくこと期待します。

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1991年7月31日 福祉だより 第26号

「平成三年夏」 bQ5

 暑さのせいなのか、ちょつとした油断から体調を崩して点滴を受けるはめになってしまいました。幸いたいしたことも無くすぐに元気になりましたが、気をつけなければなりません。

 最近、介護をしてくれる母の体力が落ちてきたせいなのか、暑さで集中力が落ちたのか、移動のさいなどににちょつとした油断から小さなけがをすることが多くなりました。もう少しというところで力が抜けて腰を打ったり足を引っ掛けたりします。

 ベッドから車いすに移動する時はベッドの上に組まれたフレームに掛けたロープに腕を引っ掛けて上半身を支えながら、下半身を母に引っ張ってもらいます。この時もタイミングがずれると車いすから落ちてしまう危険性があります。体のどこかをぶつけても感覚がないためその時に気がつかず、後からあざになっていたり血が出ていたりして気づくこともあります。

 7月13日で受傷後まる14年目が過ぎましたが、大きな事故もなく親子で良く頑張ってきたなあと思います。 これからも介護をする者にも、介護される者にとっても体力の衰えが原因によるトラブルは大きな問題になります。ただでさえ体力が落ちる夏ですトラブルのないように頑張りたいものです。

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1991年10月5日 福祉だより 第27号

「東山診療所」 bQ6

 私の、毎日の生活の中で大切な問題の一つに移動手段をどうするかということがあります。ベッド上での数センチの移動から始まり、ベッドから車いすへ、車いすから乗用車への移動の様に必ず人の手を借りなくてはいけない場合もあります。そのために外出する時は外出先に駐車場や車椅子用のトイレが有るのか、スロープやエレベータなどの設備が整っているかが気になります。

 私は月一度通院していますが、その際もそれらのことが問題になります。最近は今まで通院していた田原本リハビリセンターの先生に紹介状を書いていただいて、東山診療所に通院しています。東山診療所は茶色の瓦屋根の建物で所内は十分なスペースが取ってあり車いすでも利用しやすくなっています。先生始め看護婦さんや事務員さん方に大変親切にしていただいています。

 自宅からも近いので体力的にも疲れず助かります。今まで田原本リハビリセンターへ通院していた頃は往復で2時間もかかった為大変でした。今では運転してくれる兄も付き添いの母も通院時間が短縮されて少し体が楽になった様です。自由な時間が増えた分、買い物や散髪なども余裕をもってできるようになりました。

 どこへ行っても段差が無く車椅子で自由に動ける建物や場所が増えたことは、私達車椅子を利用するものにとっては嬉しいことです。

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1991年12月20日 福祉だより 第28号

「年の瀬」 bQ7

 今年も残りわずかとなり、そろそろ年賀状を書く季節がやって来ました。一年が過ぎるのはあっとゆう間で早いものです。 今年は入院することもなく平穏無事に過ごせましたが、ほとんど何もしなかったように思えます。世の中はどんどん変化しているのに自分だけはどこも変わらなかった気がします。

 今年いただいた年賀状を整理していると、中には何年も年賀状を交換するだけの友人もいますが、そんな友人でも年賀状が来るたび元気に頑張っていることがわかり勇気づけられます。

 数年前にワープロが使えるようになってからは、年賀状はワープロを使って書いています。字を書くのが不自由な私にとっては、たいへん便利で時間がかからず助かります。一度ソフトを作れば何枚も同じ物ができるので家族の分も作ります。おかげで喜ばれています。毎年、今年こそ頑張って良い物を作ろうと意気込みますが、結局同じ様な年賀状になってしまいます。

 今年も多くの方々にお世話になり、その方々にせめて年賀状でお礼を申し上げたいと思っている年の瀬です。

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1992年4月20日 福祉だより 第29号

「大相撲」 bQ8

 大相撲の初場所は貴花田が14勝1敗の好成績で初優勝して終わりました。毎日、手に汗握る熱戦ばかりでテレビの前に釘付けになりました。

 貴花田の19歳5カ月の幕内優勝は、大鵬の記録を一年上回る史上最年少の快挙で、その上殊勲、敢闘、技能の三賞も併せて受賞しました。父で師匠の藤島親方(元貴ノ花)も優勝していて、史上初の親子優勝でもあります。

 いくら才能や環境に恵まれていたとはいえ、入幕4年で優勝するのはたいしたものだと思います。その19歳とは思えないほど落ち着き払った仕切り、そして冷静な相撲には感心してしまいました。 また表彰式で叔父の二子山理事長から貴花田へ優勝賜杯が手渡されるシーンは、感動的でもありました。

 大相撲では昨年から千代の富士初め横綱が相次いで引退した為、毎場所優勝力士が変わるという混戦模様になりました。若手の躍進で世代交代も一層進んだ様です。

 若貴人気も手伝って今や相撲ブーム、テレビのワイドショー番組では連日大相撲の話題が取り上げられています。それに若貴だけではなく、曙や舞の海などの人気力士の取り組みも大変面白く楽しみです。 今年は大相撲から目が離せそうもありません。

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1992年9月1日 福祉だより 第30号

「ホームヘルパーさん」 bQ9

 平成3年7月の「広報やまぞえ」に「ご存知ですかこんな制度」として老衰・心身の障害及び傷病などの理由で、日常生活に支障がある65歳以上の方、又は、私のような重度身体障害者が居る家庭に「ホームヘルパー」(奉仕員)の介護サービスを受けることができると掲載されていました。

 近ごろ、母も高齢になり毎日私の世話をするのも体力的にきつくなってきました。家の中を改造して段差を無くして車椅子で動き回りやすくしたり、ベッドから車椅子への乗り移りを工夫したり、できるだけ介護者の力がかからないようにしていました。それでも、以前には簡単にできていたことが最近では時間がかかるようになってきました。

 そんなこともあって保険福祉課にお願いしてホームヘルパーさんにきていただいて、入浴サービスの時や洗髪の時にシーツ交換や着替えなど手伝っていただいています。 ホームヘルパーさんに手伝っていただけるおかげで、母の負担も軽くなり時間的にも余裕ができて大変助かります。それにベッドの上で自由に動けない私にとっては、暑い季節に度々洗髪できるのは気分もすっきりします。そしてホームヘルパーさんが一生懸命に看護の方法を覚えようと努力して下さるのには大変感謝しています。

 この制度が広がり、もっと多くの人が利用できるようになれば良いと思います。

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1992年11月10日 福祉だより 第31号

「ワープロ」 bR0

 突然、愛用のワープロが動かなくなりました。どうやら充電池が切れてしまったようです。さっそく修理に出してもらいました。一週間程たって戻って来た時はすっかり整備されてきれいになっていました。このワープロを愛用し初めてもう5年になりますが、ようやく操作にも慣れて年賀状や手紙を書くのに利用しています。早いものです。

 福祉だよりに投稿を初めてからも6年目になります。最初のころはタイプライターで書いていてたいへんだったのが、ワープロを使い初めて随分はかどったのを覚えています。

 それにしても、よく続いたものだと思います。学生時代からたいして作文は得意でなかったし、文を書いた経験も少なかった為、ずっと続けられるのかどうかが心配でした。途中何度か入院もしましたが、代筆をしてもらって投稿することができました。少し苦労もありましたが、第6号への最初の投稿から数えてこの原稿が26回目になりました。これからも無理せずマイペースで続けて行きたいと思います。

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1993年2月22日 福祉だより 第32号

「クランベリージーュス」 bR1

 昨年は10月から二ケ月ほど入院してしまいました。自覚症状はなかったのですが、定期的に行っているレントゲン検査の結果腎臓の結石が大きくなっているということなので、奈良医大で体外衝撃波による結石破砕術を受けました。以前にも受けたことのある手術だったので何の不安も無かったのですが、その後少し熱が続いた為に入院が長くなってしまいました。二度の結石破砕術の結果どうにか結石も無くなって年末には無事退院することができました。

 今まで腎臓結石では何度も再入院しています。その上発熱やむかつきの原因になったりしてつらい思いもしました。それで再発を防ぐ為に、主治医の勧めでクランベリージーュスを飲むことになりました。

 クランベリーはアメリカ北部に自生するツルコケモモの一種で、サクランボ粒ほどの真紅の果実をつけます。この50%果汁のジュースを毎日一本飲みますが、甘みを押さえてあるためとてもすっぱく飲むのに少し苦労します。 私の尿はアルカリ性の為このジュースを飲むことによって尿を酸性化させ尿路結石や尿路感染の予防に効果があるということです。

 このジュースは薬では無いので副作用の心配も無く、安心して飲食をつづけられます。最近では尿の汚れも少なくなり、これで再発を防ぐことができれば長年の悩みから解放されると期待しています。

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1993年6月1日 福祉だより 第33号

「リフトバス」 bR2

 福祉だよりの第32号に、「昨年12月、24時間テレビチャリティー委員会より、山添村社会福祉協議会にと、リフト付きトヨタハイエース一台の寄贈を受けました。車椅子二台と、介護者、操作運転者等、乗車できる小型リフトバスです。」という記事が載っていました。

 私も母と一緒に、何度か乗せて頂く機会が有りました。車椅子の場合、リフトバスへの乗り降りは後部からリフトで行います。車内は十分スペースがあって電動車椅子でも楽に乗り降りできる様になっていました。

 今まで自動車に乗る時は、車椅子から自動車のシートへと抱えてもらっていた為、介護する者にとっては大変な労力が必要でした。その点リフトバスは、車椅子に乗ったまま乗り降りできるので、介護者にとっても楽になります。

 運転はホームヘルパーさんにして頂きましたが、安全運転で安心して乗車できました。 私は座位バランスが悪いので、車椅子のまま自動車に乗るのは少し不安でしたが、車椅子をしっかり固定しているので大丈夫でした。 これからも、村内の多くの人達に利用されて、もっと外出する機会が増えれば良いと思います。

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1993年10月10日 福祉だより 第34号

「新政権に期待する」 bR3

 今年の夏は例年になく雨が多く、各地から豪雨による水害のニュースがテレビから流れてきます。そんな異常気象の今年8月6日、細川新首相が誕生しました。

 7月の総選挙の前には自民党が分裂して新党が誕生するなど政界が大きく動き、結局自民党は過半数割れのため、38年ぶりに自民党政権から非自民勢力による連立政権に交代しました。

 選挙の焦点は、政治改革や景気対策などが中心の問題になりましたが、私の関心のある福祉や年金問題はあまり焦点になりませんでした。投票率は低かったものの何かと話題の多い選挙でした。 奈良全県区からも無所属の女性候補がトップ当選したり、新党が多数の議席を得たりして確実に、新しい時代の流れが始まっている感じがしました。

 テレビでは毎日の様に政治のニュースが流れています。細川新政権の支持率も八十パーセント前後と戦後最高で、期待の大きさがうかがえます。

 これから私達の生活が具体的にどのように変わって行くのかはまだよく伝わってきませんが、新政権には私達国民の生活が安定し、お年寄りや障害者など弱い立場の人達にも安心して生活ができる社会となるような政治を期待します。

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1993年12月10日 福祉だより 第35号

「リハビリ教室」 bR4

 山添村保健福祉課で今年から始められたリハビリ教室に、私も何度か参加させていただきました。 リハビリ教室は月に一度東山保健管理センターで村内のリハビリが必要な方を対象に行われています。

 参加者は毎回10名前後ですが、保健婦さんやヘルパーさん達といっしょに簡単なリハビリ体操やゲームをなどして体を動かします。リハビリといっても専門的なものではなく、一人でもできる簡単な運動でが、日頃の運動不足解消には役立ちます。

 また天候の良い日には外に出て近所を散歩したり、買い物をしたりしました。その他には、手先を使うようにと紙粘土を使って花瓶を作ったりもしました。 適度な運動は精神的なリフレッシュにもなり楽しい時間を過ごすことができました。

 私の場合車椅子で外出する時は行き先にスロープや冷暖房設備があるのか、行き帰りの交通手段をどうするか気になります。その点、東山健康管理センターは設備が整っているし、役場の方にリフトバスや自動車で送迎していただけるので安心して参加できました。これからもっと多くの方が参加され楽しいリハビリ教室になればと思います。

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1994年3月30日 福祉だより 第36号

「肩の痺れ」 bR5

 今年は久し振りの大雪で寒い日が続きます。 寒い朝は肩が痺れます。特に右肩は麻痺している部分と麻痺していない部分との境目が痛いほど痺れます。毎年、冬にはそうなるので少しは馴れてはきましたが、それでも肩の筋肉が縮んで腕が肩に食い込む様な感じがして辛い時もあります。そんな時は腕を引っ張ってもらったり、回してもらったりして運動させてもらうと少し楽になります。

 2月12日からは、ノルウェーのリレハンメルで冬季オリンピックが開催されました。 テレビの放送は夜遅くなるため、見られない競技はビデオに録画して見たりしました。日本選手の活躍で、ついつい長時間テレビを見てしまって少し寝不足気味でした。

 私の部屋には、ベッドの右側に14インチのテレビが置いてありますが、テレビを長時間見ているとずっと横になった状態で右側を見ていることになり、そのせいで右肩の痺れが強くなるのかもしれません。

 昨年から、ホームヘルパーさんに入浴サービスや洗髪以外にリハビリも手伝っていただいています。天気の良い日は、車椅子で外を散歩するのに付き合ってもらっています。おかげで体調も良く体力もついてきました。それでも、寒くなると肩の痺れが出てきます。

 冬の間は外の散歩もあまりできません、暖かくなって遠くまで散歩に行けるのを楽しみにしています。そして、早く肩の痺れが感じなくなる季節が来ればと思っています。

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1994年8月25日 福祉だより 第37号

「ショッピング」 bR6

 社会協議会のリフトバスに乗せてもらって床屋に行きました。その帰りに名張のジャスコに寄って買い物をすることにしました。名張のジャスコに来るのも十数年ぶりでした。店内はだいぶ変わっていましたが、この店は2階に上がるのにエスカレーターしか無く、車椅子の私には利用できません、それで店員さんにお願いして荷物運搬用のエレベーターに乗せてもらって2階に上がることにしました。

 今まで買い物に出る場合は自動車の都合で手押しの車椅子を使うことが多く、誰かに押してもらわなくては思いどおりに移動できませんでした。今回は電動車椅子で来られたので店内を自由に動き回る事ができました。

 ヘルパーさんといっしょに店内をぐるぐる回りながら夏用のシャツなどいろいろ買って帰りました。久し振りの買い物でしたが、ヘルパーさんにすっかりお世話になって楽しい時間を過ごすことができて感謝しています。

「陶芸作り」 bR7

 7月のリハビリ教室は陶芸作りをしました。毎月いろんな企画で楽しく参加させていただいていますが、今回は暑いさなか行われ参加者も少し少なくなりました。会場をいつもの東山健康管理センターから公民館に移して行われました。ここはクーラーが良く効いていたので長時間の手先の作業も楽しくできました。

 粘土を触るのは学生時代以来の事でしたが、井岡秀二先生に指導していただき作り方を教わりました。 私はお茶碗を作ることにしました。私の手は両方とも感覚が無く指も動きません、土の冷たい感じもその柔らかさもわかりません、そんな手でも指先に神経を集中して慎重に教わったとうりやっていると、何とかお茶碗らしい形になってきました。難しい所はヘルパーさんに手伝っていただきながら完成させました。

 私のお茶碗は少しいびつな形になりましたが、他の参加者の作品はなかなかの力作ぞろいでした。 まだ上薬を塗ったり焼いたりする作業が残っていますが、先生が窯で焼いて仕上げをして下さるとのことです。不自由な手で作ったため少し変な形になてしまったお茶碗ですが、できあがったのを見るのが楽しみです。

 これからもリハビリ教室でいろんな事に挑戦してみたいと思っています。

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