平成7年 秋季号 ふくしやまぞえ 第38号

「しゅらまつり」 bR8

 今年は山添村と藤井寺市の友好交流提携が結ばれて10年を迎えます。これを記念して山添村の方が大勢「市民まつり」に出席され、その送迎バスについてリフトバスも出発しました。天気予報では「くもり一時雨」でしたが、当日は雨も降りそうになく良いお天気で会場は少し蒸し暑いくらいでした。

 朝早く家を出た為、血圧の低い私にとっては少し調子が出ませんでしたが、会場の藤井寺市スポーツセンターには一時間足らずで着きその頃には体調も良くなりました。

 市民まつりは「しゅらまつり」と名づけられ、修羅(古代に大きな石などを運搬するのに使われた木製のそりのような物)をテーマにパレードや催し物などが行われていました。となりの図書館では修羅展として、出土した修羅や土器などが展示してあり見学することができました。

 会場ではバザーや屋台などいろんな店が出ていて、大勢の人で混雑していました。人込みの中を車椅子で見て回るのも一苦労で、暑さのせいもあり少し疲れてしまいました。中には山添村の産物を販売しているコーナーもありました。

 お昼からは新しくできた藤井寺市生涯学習センターのアイセルシュラホールを見学しました。このホールは古代の船の形にした建物で、中には整った設備のいろんなコーナーがあり、障害者にもやさしい設計がされていました。

 ホームヘルパーさんやいろんな人達に大変お世話になって楽しい一日を過ごすことができました。

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平成8年 新春号 ふくしやまぞえ 第39号

「なんとええ湯やな号」 bR9

 山添村の社会福祉協議会でもいよいよ訪問入浴サービスが始まりました。私もさっそくお願いすることにしました。今までは天理市のやすらぎ園から毎月1回入浴カーが自宅に来て頂いて入浴していましたが、社協の訪問入浴サービスでは、月に二回入浴カー「なんとええ湯やな号」に来て頂けるようになりました。

 台所のテーブルや椅子を片付けてシートを敷き、運び込まれた浴槽にお湯を入れ、ヘルパーさん二人と看護婦さん一人が組みになって入浴を手伝って下さいます。私の大きな体を洗うのも大変だと思いますが、日ごろお世話になっているヘルパーさんなので気心も知れているので安心です。

 夏の暑かった時には、自由に入浴できない私にとって月二回の訪問入浴サービスは大変助かりました。入浴することで、血行が良くなり、食欲が出て便通が良くなたっり、床ずれの予防になったり、いろいろたくさん効果がありますが、何より気分がすっきり、それが一番です。

 年とともに福祉サービスも徐々に良くなっていきます。十数年前、自宅のお風呂で入浴していた頃は、十分に改造していない事もあって介護する者も入浴する者も大変な重労働でした。当時のことを思うと、現在多くの福祉サービスを受けられることを感謝しています。

 これからも村内の一人で入浴できない多くの方々が利用されると良いと思います。

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平成8年4月10日 ふくしやまぞえ 第40号

「ワイドショー」 bS0

 今年の冬は寒く感じました。昨年の冬は病院のベッドの上で過ごしたので寒さ知らずでしたが、そのせいか今年の寒さは身にこたえます。それでも今年はできるだけ外へ散歩に出かけるようにしています。ぶ厚いダウン入りのジャケットと毛糸の帽子、膝掛けなどを身に付け、防寒を完璧にして出かけますが、一時間も外に出ていると寒くなって、体温が下がらないうちに帰ってきます。

 雪の降る日はさすがに車椅子では出られません。そんな日は、家に居るとついついテレビを見てしまいます。特にお昼は他に番組が無いせいもあってワイドショーを見ることが多くなります。

 昨年、テレビでは阪神・淡路大震災から始まりオウム真理教事件と次々と大きなニュースが報道されました。多くの特別番組が定時の番組を変更して放送され人々の関心も高く、またワイドショーでは、毎日のように多くの情報が流されました。

 天災と人災とでは違いますが時として、全く予想もしないことが起こります。2月にも北海道のトンネル崩落事故のニュースを連日放送していました。この事故では20人もの人命が失われ大事故となりました。ワイドショーでは悲しみにくれる被害者の家族の映像を映していました。救助する方々も大変ご苦労だったと思われますが、もっと早く救助できなかったものかなあとも感じました。今年はどうか楽しく明るいニュースが多いと良いですね。

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平成8年6月15日 ふくしやまぞえ 第41号

「パソコン」 bS1

 以前から欲しかったパソコンが手に入ってから数カ月、数々の失敗と試行錯誤を繰り返しながら少しずつパソコンの操作ができるようになりました。最初に困ったのはパソコンを置く場所、一体型の小型のタイプといっても重さは20kg以上あり、ベッドの上で使うわけにはいかず、結局専用の台が必要となりました。

 次に困ったのはマウスの使い方です。ワープロはいつも使っているのでキーボードに対する抵抗感はないのですが、パソコンの操作の多くはマウスで行います。標準のマウスは私の不自由な手ではクリック(マウスのボタンを一回押す)、ダブルクリック(マウスのボタンを2回連続して押す)、ドラッグ(マウスのボタンを押しながら移動する)などの操作は難しくて、とても使えそうもないために新たにトラックボールタイプのマウスを購入しました。

 パソコンの説明書には多くの専門用語と英語が出てきます。難しくてかなかなか頭に入りません、もっと学生時代に勉強しておけばよかったと後悔したり、年のせいだとあきらめたりします。

 それ以外にもフロッピーやCDの入れ換えは手伝ってもらわないとできませんし、プリンターのセットも大変です。一人でできない事も多いのですが、パソコンは重度身障者にとっても多くの可能性を与えてくれます。パソコン通信やインターネット…と夢は広がるばかりです。

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平成8年9月19日 ふくしやまぞえ 第42号

病気の為お休み

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平成8年11月15日 ふくしやまぞえ 第43号

「森林科学館」 bS2

 10月17日、久しぶりに「リハビリ教室」の通知をいただき、参加しました。今回は一度行ってみたいと思っていた神野さんにある森林科学館が会場でした。

 森林科学館は平成3年5月16日、上田知事さん(当時)を迎えて開催された「奈良県植樹祭」とともにオープンした木造の建物で周辺には当時、記念植樹された苗木が5年たち、立派に成長していました。入場無料で森林に関するいろんな展示があり、「森林浴コーナー」「クイズコーナー」など楽しく見学することができました。

 また、隣には今年9月12日にオープンした「茶の里・映山紅」があり、合わせて見学しました。村職員の方の説明によりますと、「映山紅」とはツツジの別名だそうです。

 館内には損の特産物である緑茶をテーマにお茶に関するパネルやミニチュア製茶機等が展示され、2室ある茶室の東側の窓からは上野市や京都南部の山々が一望に見渡せてその眺めは最高でした。

 両施設ともに車椅子用トイレがあり、スロープも完備され移動がスムーズにできました。映山紅」の軽食・喫茶コーナーでは、グリーンティーをおいしくいただきました。

 秋晴れの雲一つない暖かい日で、楽しい見学の時間はあっという間に過ぎていきました。機会があればもう一度きてみたいと思える施設でした。

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平成9年1月15日 ふくしやまぞえ 第44号

「頚損20年目を迎えて」 bS3

 私が頚髄を損傷して障害者となってから早いもので,今年で20年目になります。お正月も20回目を迎え又、私が車椅子の生活となってからの年月は,もうすぐ受傷前の期間より長くなろうとしています。

 その間にはいろんな事があり、多くの人に出会いました。六人家族だった我が家も祖父、祖母が亡くなり、兄が結婚して別居し、三人になりました。両親も共に年金を受給される年になりました。

 私の生活もこの20年の間に変わりました。最初の頃は母一人の介護でしたが、数年前から週二回ヘルパーさんに来て頂くようになり、身の回りの世話や、社協のリフトバスに乗せて頂いて買い物など外出する機会も多くなりました。ベッドや車椅子も手動から電動に変わり家族の介護の負担も減りました。訪問入浴サービスも月2回受けられるようになりました。これらの福祉サービスも年々良くなりありがたいと思っています。

 この間には何度か再入院(腎結石の為)も有りました。20年の間には医療技術も大幅に進歩しましたが、それでも脊髄損傷の治療法はまだ見つかりません。

 この福祉だよりに投稿を初めてからも満10年が過ぎました。掲載して頂いた原稿も、6号から43号までの間に40編を超えました。下手な文章ですが、これからもできる限り続けていきたいと思います。

 今までお世話になった多くの人に心から感謝している20年目の春です

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平成9年4月15日 ふくしやまぞえ 第45号

「消費税5パーセント」 bS4

 4月から消費税率が現行の3パーセントから2パーセント引き上げられて5パーセントになるそうです。以前から決まっていたこととはいえ国会でも大きな反対もなく予算案も通りました。5パーセントといえば1万円の買い物をして500円の税金を払うことになります。消費税はほとんどの商品やサービスにかかる為、私達の生活には負担が大きくなり困ります。

 初めて消費税が導入された当時は、計算が面倒だとか小銭が多く必要になるとか言われましたが、数年たった今では皆が何の混乱もなく買物をしています。当時の日本中盛り上がった反対運動も今回は無く、ほとんどの人が仕方が無いとあきらめています。それに加えて特別減税が打ち切られ、新たに地方消費税が導入されるそうです。益々税負担は増えます。

 現在、日本の財政は数百兆円もの借金が有り、平均すると大人から子供まで合わせて一人400万円以上になるそうです。額が大きすぎて、今回の税率引き上げぐらいですべての借金を返せる訳も無く、多額の借金が我々の世代から次世代の日本人の負担となるでしょう。その為に、これからも税金や公共料金が上がるのも仕方が無いことだと思います。

 大切なのは税金の使われ方です、道路や橋や行政サービスだけでなく、私達が豊かに安心して生活できるよう、できるだけ税金は公平に有効に無駄無く使われて欲しいものだと思います。政治家の皆さんには将来の日本人の為にも頑張っていただきたいと思います。

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平成9年7月7日 ふくしやまぞえ 第46号

「リハビリ訪問」 bS5

 私は受傷後20年間、ほとんど毎日行っている事があります。 それは、朝起きてすぐに足を動かす運動をします。動かすと言っても私の足は自分の意思ではまったく動かないので、母に動かしてもらっています。

 その目的は車椅子に乗るのに足が十分に曲がる必要があるからです。長い間寝たきりの状態になると、筋肉は萎縮して関節は硬くなります。その為に股関節や、膝、足首の関節を屈伸させ運動させて関節が硬くなるのを防ぐのです。それに足をできるだけ良い状態にしておけば、何時か医学が進歩して新しい技術が発明され、又歩けるようになるのを心のどこかで少し期待しているのかも知れません。

 今まで、腎臓結石の治療は何回も受けましたが、最近の医療技術は随分進歩したものだと感じました。しかし脊髄損傷の治療方法はほとんど進んでおらず、現在でも、基本的にリハビリに頼るしか方法がありません。リハビリも受傷後の一時期だけでなく一生続けて行かなければなりません。

 5月に、リハビリ訪問があり、奈良東病院の明道先生が来られました。ベッド上でリハビリを受けましたが、右手首の関節と左足首の関節が少し硬い他は、ほとんどの関節や筋肉は大丈夫とのことでした。これも母やヘルパーさんに、運動の助けをして頂いているおかげだと感謝しています。

 日ごろのリハビリや移動の方法について相談しましたが、専門の先生に診ていただく機会はあまりないので、大変参考になりました。これからも休まずリハビリを続けていきたいと思います。

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平成9年9月20日 ふくしやまぞえ 第47号

「インターネット」 bS6

 最近、新聞、雑誌やテレビではインターネットのホームページのアドレスや、電子メールのアドレスをよく見かけるようになりました。それだけ数多くのパソコンが、家庭に普及しているんだなと思います。パソコンを使えばベッドの上に居ても、インターネットや、パソコン通信を通じて世界中の情報が瞬時に手に入ります。電子メールを使えば世界中どこへでも簡単に手紙を出すことができます。誰でもホームページから自分の情報を、自由に世界中に発信することもできます。

 私もパソコンを初めて一年以上立ちました。マウスやキーボードの使い方から初めて、ようやくパソコン通信、インターネットと、できるようになりました。まだまだ解からない事も多く、自分の必要な情報を探そうとすると、なかなか上手く行かなくて、電話代だけが多くなってしまうこともあります。

 テレビや雑誌、新聞からは事件や事故のニュースだけでなくいろんな情報が流されます。又、インターネットを使って流される情報も増え、それが時として社会問題につながったりします。良い事ばかりでなくコンピューターウイルスや、パスワードの盗難といった問題もあり、多少心配な面もあります。

 それでも大変便利です。情報を得るだけでなく、買い物をしたり、自分の意見を発言したり、仲間を探したりもできます。パソコンの性能もどんどん良くなっています。新しいソフトが開発され、もっと操作が簡単になり、手の不自由な私でも手軽に使いこなせるようになると思います。これからもパソコンを有効的に利用する為にも、もっと勉強しなければいけないと思っています。

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平成9年12月15日 ふくしやまぞえ 第48号

「ワールドカップへ」 bS7

 サッカーのワールドカップフランス大会アジア第三代表決定戦、日本対イランは11月16日マレーシアで行われ、日本が3対2とイランを下し、初のワールドカップ本大会出場を決めました。

 この試合、中山のゴールで先制した日本ですが、後半に逆転を許し、窮地に立ちました。しかし、城のヘディングシュートで同点に追いつき、延長戦に入って交代出場した岡野が終了間際、Vゴールを決めました。 Vゴールの瞬間、スタジアムで応援していた多くのサポーターから大歓声が沸き起こり、グランドでは選手たちが抱き合い、飛び上がって喜びを表していました。勝敗が決まったのは真夜中の12時半過ぎ、夜遅くまで応援していた私も、日本選手の最後まで諦めない頑張りに大変感動しました。

 日本代表は、カザフスタン戦に5対1の大差で圧勝し、B組2位を確定しました。そこまでの道程は予想以上に厳しく、二次予選で韓国戦に負けた後、続く試合もなかなか勝てず、一時はB組3位となり、ワールドカップ初出場の夢は絶たれたように思われました。しかし、途中監督が交代して岡田監督となってから日本は3勝2分けと、本来の実力が戻って来ました。

 日本サッカー界が、1954年第5回スイス大会アジア予選に参加して以来44年目の悲願達成でした。4年前のアメリカ大会アジア予選で、日本はもう一歩というところでワールドカップ出場を逃してしまいました。その時の悔しさを選手もサポーターも忘れてはいなかった様です。来年のフランス本大会での日本代表の活躍が今から楽しみです。

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平成10年3月20日 ふくしやまぞえ 第49号

「長野オリンピック」 bS8

 今世紀最後のオリンピックとなった第18回冬季五輪長野大会は2月22日夜、閉会式が行われ、16日間にわたった“冬のスポーツの祭典”に幕を閉じました。 72カ国・地域から約2300人の選手が参加した史上最大規模の大会は、数々の記録と感動を残し、日本選手は金5、銀1、銅4の計10個のメダルを獲得、予想を越える大活躍でした。

 特にスキージャンプやスピードスケートでの日本選手の活躍には目を見張るものがありました。冬のオリンピックは自然との戦いでもあります。とりわけスキーのジャンプ競技では風の強さや方向で飛距離が変わってしまいます。激しく降る雪にも影響され、勝敗は運にも大きく左右されます。

 個人選に続いて行われた団体戦はそんな厳しい自然条件の中で行われ、日本は1回目、原田の失速ジャンプなどあり、4位と出遅れました。ところが2回目、トップの岡部がそんな暗いムードを破る137メートルの大ジャンプを見せると、続く斎藤はK点を超える124メートル、原田も1回目の不振をばん回する137メートルを成功させ、最後はエース船木が125メートルにまとめ、日本は劇的な逆転で初優勝、土壇場で金メダルを逃したリレハンメル大会の無念を晴らしました。この金メダルは日本ジャンプ陣が長年待ち望んでいた悲願でした。

 札幌オリンピック以来26年ぶりに日本で開催された今回の長野大会は、数多くの感動と興奮を私達に与えてくれました。世界のトップ選手たちの技術とスピードを目の当たりにして、ハラハラドキドキの連続で過ぎた16日間でした。

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