平成10年 8月20日 福祉やまぞえ 第50号

「保健福祉センター」 bS9

 4月24日に山添村「ふるさとセンター」がいよいよオープンしました。5月に見学することができました。場所は大西の山添インターの近く、広大な敷地に世代間交流ホールや保健福祉センターなどいろいろな施設が点在しています。全施設見ることはできませんでしたが、保健福祉センターはこれからもお世話になる施設なので、ヘルパーさんに案内されて時間をかけて見学することができました。

 保健福祉センターの中は明るくてスペースも大きくとってあってゆったりとして、車椅子の私にとっても移動しやすく設計されていました。食堂には、真新しい椅子や机が並んでいて、リハビリトレーニング室は広くて、いくつか用具が備え付けてありました。リフト付きのお風呂や身障者用のトイレも見せていただきました。

 6月からは、ここでデイサービス(日帰り介護)が始まっています。デイサービスとは、在宅で介護されているお年寄りや身体の不自由な方を専用のリフトバスなどで送迎し、各種サービスを利用していただき、その間、介護者(家族)の方には自分の時間を持っていただくというのが「ねらい」だそうです。入浴や昼食のほか健康チェックや日常動作訓練、レクリエーションなども行われるそうです。

 今後は私も、このサービスを受けてこのセンターに来る機会も多くなりました。それで家族の負担が少しでも軽減することができればと願っています。保健福祉センターには、役場から保健福祉課と社会福祉協議会が移転してきて福祉の相談などが便利になりました。これからも村の福祉の拠点として大いに利用されることを期待します。

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平成10年10月20日 福祉やまぞえ 第51号

「ホームページ」 bT0

 パソコンを使い始めて3年が立ちました。その間には入院していてブランクもありましたが、毎日少しずつ操作を覚え、不自由な私の手でも操作しやすいように工夫して勉強を続けてきました。最初の頃はワープロやインターネットを利用したり、ゲームをしたりして楽しんでいましたが、パソコンの操作にも慣れてきたので、そろそろ自分のホームページを作ろうと思い立ちました。

 インターネット上では企業や公的機関だけでなく、個人を含め、いろんなホームページが公開されていて、そこからパソコンを通じて、多くの情報を手軽に得ることができます。私もパソコン操作でわからなかった所は、ほとんどインターネットで調べて解決してきました。でも、いざ自分でホームページを作ろうとすると次から次と問題点が出てきてしまい思う様にはいきませんでした。

 ホームページは[HTML]という言語を用いて書かれています。一見するとまるで外国語の様で難しいものでした。これを全部理解するのは無理なので、簡単にホームページをつくれるソフトを使い、とりあえず、私が福祉やまぞえに投稿した11年間の文章49編を載せて公開しました。

 まだまだ改良の余地がありますが、インターネットを通じて多くの人に見てもらえるために、これからも徐々に充実したホームページにしていきたいと思います。

ホームページアドレス  http://member.nifty.ne.jp/h-nakamori/index.html
メールアドレス      hiroki.nakamori@nifty.ne.jp

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平成10年12月15日 福祉やまぞえ 第52号

「1998年」 bT1

 いよいよ1998年もあとわずかになりました。いろんな事があった今年、最大のニュースといえば結局、「不況」の二文字になるでしょう。テレビや新聞では、大きな会社や銀行が倒産したり、有名な会社のリストラがあったり、失業率も増え大学を出ても就職難と言うニュースをよく目にします。政府もここ数年、何度か緊急経済対策を取りましたが、景気は一向に回復せずほとんど効果はありませんでした。

 その対策の一つとして、平成10年分所得税等の特別減税が追加実施され、私も支給対象者となり支給申請書を提出しました。以前にも特別減税があり、今回で3度目の支給です。不況対策との名目であったとしても、現金をいただけるのはありがたいのですが、これがほんとうに不況対策になるのでしょうか、少し疑問を感じながらも大切に使わせて頂きました。

 さらに、一人2万円分の商品券を65歳以上の老齢福祉年金受給者と15歳以下の子供を対象に支給されることがどうやら決まりそうです。最初は奇策としか思えなかった政策が、政党の思惑でいよいよ実施される見通しです。不況を乗り切るにはみんながお金を使って、景気が好くならなくてはいけないとした政府の考えから、特別減税も商品券の支給も行われますが、これが不況の根本的な解決になるとは思えません。このままでは、将来の日本人の負担が増えるだけのような気がします。

 この不況が長引いてくれば、私達の日常生活にも何らかの影響が出てくると思います。多くの国民の不安を解消する為に、政治家の皆さんには一刻も早い根本的な解決をお願いします。

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平成11年1月20日 福祉やまぞえ 第53号

「新春」 bT2

 新しい年の始まりです。20世紀もあと二年を切って、いよいよ世紀末です。ノストラダムスの大予言によると、1999年は不吉な事が起こる年とされていますが、そんなことは無いでしょう。今年は、明るいニュースの多い、いい年にしたいものです。

 昨年、6月からは、山添村保健福祉センターにデイサービスに行かせてもらうようになりました。早いもので、もう半年が過ぎました。寮母さんに手伝って頂いて、入浴や昼食はもちろんのこと、村内のおじいちゃんや、おばあちゃんと一緒にゲームをしたり、いろんな作業をしたりと、楽しく過ごしています。今まで自宅で受けていた訪問リハビリも、月一度このセンターに先生が来られて、皆さんと一緒に受けられるようになりました。今年も一年、元気に参加したいと思っています。

 私の今年の目標としては、新たに自分でできる事を一つでも多くすることです。受傷後20年以上も過ぎると状態も安定して自分でできる事、できない事が決まってしまって、新たにトライする気力も薄れがちです。今年は新しい事に挑戦したいと思っています。

 また、昨年作った自分のホームページの内容を充実させて、もっと多くの人に見てもらえるようにしたいです。村内の情報や福祉の情報、身体障害者の方々の為になる情報も多く載せていきたいです。そんな事を目標に頑張っていきたいと思っている平成十一年の新春です。

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平成11年3月20日 福祉やまぞえ 第54号

「インフルエンザ」 bT3

 今年も昨年の冬と同じように日本各地でインフルエンザが猛威を振るい、抵抗力の弱い子供やお年寄りの方が多く亡くなられたとゆうニュースを耳にしました。

 インターネットで調べると、普通のかぜが喉の痛みで始まることが多いのに対して、インフルエンザは寒気や倦怠感、あるいは全身の痛み(頭痛も含む)で始まります。かぜに比べて熱も高く、しかもそれが継続します。インフルエンザは何種類かあるインフルエンザウイルスによって引き起こされます。このインフルエンザウイルスは咳やくしゃみなどの飛沫にによって散布され、それを吸入することによって伝染します。しかもかなり強い伝染力をもっているので、学校などでは学級閉鎖などの措置をとって流行をくい止めようとします。また流行する時期も大体決まっていて、1月から3月が多く、夏に流行することもあります。症状としては寒気、倦怠感、頭痛、全身の筋肉、関節痛で始まります。熱は39度から40度になることもあります。全身症状は普通感冒に比べ重く、食欲減退、吐き気、下痢などがでてくることもあります。と書いてありました。

 インフルエンザの予防については、十分な栄養と休養をとる、人混みを避けるようにする、室内の乾燥に気をつける、マスクの着用、手洗いとうがいの励行、また、罹患したと思われる場合には、安静にし高齢者等は長引くと肺炎の合併症を併発する恐れがあるので早めに診療を受けることをお勧めしております。とありたいへん参考になりました。

 私は普段から、うがいなどをして気をつけていましたが、ちょっとした油断でかぜをひてしまいました。胸の筋力の弱い私は、咳が出てたんなどが絡み始まると、大変苦しい思いをします。幸い、熱も出ずに数日で治りましたが、私にとっては、ただのかぜでも安心できません。部屋に加湿器を置いて湿度を調整したり、なんといっても毎日の予防が大切な事だとだと思います。

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平成11年5月20日 福祉やまぞえ 第55号

「新人」 bT4

 今年も、キャンプからいろいろと話題の多かったプロ野球がいよいよ開幕しました。昨年の高校野球で大活躍、甲子園で春夏連続優勝し、プロ野球パ・リーグの西武にドラフト一位で入団した松阪大輔投手の初登板は衝撃的なものでした。4月7日対日本ハム戦でデビューした超大物ルーキーの、一回二死から片岡を空振り三振に仕留めた速球は、球場内のスピードガンで155キロと表示され、野球ファンを驚かせました。その後もその速球と、鋭い変化球を巧みに交え8回を2点に抑えて、鮮やかに初勝利を飾りました。甲子園からプロの世界へ、その怪物ぶりは変わらずで、高校卒業後一年目の初登板でいきなり初勝利を挙げた彼の、18歳とは思えない落ち着き払った投球に、思わず感心してしまいました。私の18歳当時を考えてみてもてみてもその度胸、集中力はまったく比べ物にならないものだと思います。他の球団にも有望な新人が入団して、今年のプロ野球も新人選手の活躍で、面白いペナントレースになると思います。

 おりしも世間は、新入学生、新入社員の季節、夢と希望に胸膨らませ、新しい人生をスタートさせた新人達の今後の活躍に期待します。

 山添村の社会福祉協議会事務局長に新しく岡田氏が着任されました。局長には、12年前、厚生課福祉係の時、福祉だよりに投稿しないかと勧められ、私が日頃、思っている事や、感じている事を書き始めました。それ以来現在まで続き、投稿はすでに50編以上になりました。来年度からは介護保険制度もスタートし、社協の役割もますます大きくなります、これからも大変ですが、新局長には頑張って頂きたいと思います。

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平成11年8月20日 福祉やまぞえ 第56号

「電動車いす」 bT5

 現在、私の生活の中で、重要な役割をしている物に電動車いすがあります。このおかげで、私は自分の意志で行きたい所に移動することができます。20年前に枚方の病院でリハビリをしていた頃は、腕の筋肉を鍛える意味もあって、手動の車いすを使っていましたが、退院して自宅で生活してみると、私の腕力では、屋外で手動の車いすを使う事ができず、実用的ではないと感じました。

 それで、電動車いすを利用し始めて、すでに10数年が過ぎました。私の電動車いすは、背もたれを電動リクライニングできます。このおかげで体を横にする事ができて、褥瘡(床ずれ)の予防にもなり、長時間外出できるようになりました。操作は左手で行います。最高速度は時速4.5キロで、5センチぐらいの段差なら上る事ができます。

 福祉用具としての電動車いすは、高齢者、障害者等の身体の不自由な人が利用するだけに、その安全性、利便性、快適性等が特に要求される製品といえます。とりわけこれらの人々にとって電動車いすは、身体の一部として安全に使用できることが重要なことです。しかし、最近、電動車いすを使用中、急に走行停止をしたり、走行速度が上昇したなどの誤動作を生じたり、背もたれが外れるなどして怪我をしたという事故発生の情報が少なくないと聞きました。

 日頃、電動車いすを利用する者として、安全に使用するには、本人の運転技術だけでなく、周囲の環境が大切なことです。最近は設備の整った施設が多くなりましたが、それでも10センチ以上の段差や、急角度のスロープ、幅の狭い歩道等は通れません。充電やタイヤの空気圧のチェックなど、日頃の整備も大切です。また、電動車いすの軽量化や小型化、バッテリー性能や安全性能の向上なども必要な事だと思います。もっと簡単に、安全に外に出られる電動車いすの登場を待ち望んでいます。

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平成11年11月25日 福祉やまぞえ 第57号

「秋の遠足」 bT6

 10月12日にデイサービスの「秋の遠足」に参加しました。 朝、山添村保健福祉センターに集合して、体温、血圧測定など健康チェックを受けてから、職員の方やボランティアの方と一緒に、センターを出発しました。名張市内を通り、青蓮寺ダム湖畔を過ぎ、香落渓(こおちだに)から、国立曽爾少年自然の家に向かいました。名張川の支流、青蓮寺川一帯の香落渓は、まるで斧で断ち割ったかのような柱状節理の岩肌が続いています。紅葉にはまだ少し早いようでしたが、車からの眺めは素晴らしく、小学生の頃来た、遠足の記憶をたどりながら、その雄大な光景は自然の造形美を楽しませてくれました。お昼までには、国立曽爾少年自然の家に到着しました。

 国立曽爾少年自然の家は、{昭和55年に国立で五番目の少年自然の家として室生赤目青山国定公園の雄大で美しい曽爾高原に設置されました。健全な少年の育成を図ることを目的に小・中学校をはじめ社会教育団体やグループ・ファミリーの利用者を受け入れるとともに独自に企画した主催事業を実施しています。眼前に広がる曽爾三山と雲海の大パノラマそして詩情豊かなススキの草原で子供たちの歓声がこだまする曽爾高原は、あなたの自然教室です。(ホームページ参照)}と、ゆうことで昼食は大勢の小学生の団体と一緒でした。

 食事を済ませ、お昼からは、周辺の散歩を楽しみました。車椅子なので、それほど遠くまでいけませんでしたが、前方に広がる国見山など1000メートルクラスの山々の壮大な風景と、後方の一面に生い茂るススキの草原の美しさに、感動してしまいました。お天気も良く10月にしては暑いぐらいの陽射しに、少し疲れましたが、日頃、遠くに行く機会の少ない私にとっては、大変、貴重な一日となりました。また、お世話になったボランティアの方や、この遠足を計画、準備された職員の方には、心より感謝致します。

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平成12年1月20日 福祉やまぞえ 第58号

「西暦二千年」 bT7

 あれほど大騒ぎしていた、コンピューター2000年問題は大きな影響もなく、無事新年を迎えることができました。西暦2000年は、20世紀の最後の年というよりも、2000年代始まりの年という新鮮な感じがします。ちまたではミレニアム記念と称して、いろいろな商品や記念グッズが販売されたり、イベントが催されたりして景気回復に一役買っています。(ミレニアムは英語で millennium と綴り、語源はラテン語で「千」を意味するmilleと「年」を意味するannusから来ていて、千年紀と訳されている。)日本人には、あまり関係無い事のようですが、それで景気が良くなるのもいいと思います。

 そんな新しい年をお祝いする雰囲気の今年、4月からいよいよ介護保険制度が始まります。介護が新しい考え方として登場したのは古いことでは無いそうです。古い辞典には「介護」という語句は載っていません。「介護」という言葉が公的に登場したきっかけは、1963年(昭和38年)に制定された老人福祉法と関係が有るそうです。まだ歴史が浅い「介護」、記念の今年は大きな転換期になると思われます。私も日頃、多くの方から介護を受ける立場の者として、新しい制度にはとても関心があります。

 今年も、私の生活に直接影響するような、いろいろ新しいことも出てきそうですが、私自身は焦らずマイペースでやっていきたいと、思います。
 新しい年「西暦2000年」は社会・福祉にとって、明るい年になることを望みます。

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平成12年4月25日 福祉やまぞえ 第59号

「引退」 bT8

 大相撲春場所5日目、横綱若乃花は、明大中野高の後輩関脇栃東に押し出しで敗れ、3敗目を喫しました。この取り組みが、彼の現役最後となりました。引退発表の記者会見で「体力を補う気力が限界に達しました」と語った若乃花は、「お兄ちゃん」の愛称でファンに愛された、人気力士でした。弟の貴乃花と一緒に「若・貴ブーム」を巻き起こし、大相撲人気を支えてきた功労者が、丸12年の土俵生活に別れを告げました。まだ29歳になったばかり、早すぎるんじゃないかと、大相撲ファンにとっては少し寂しく、惜しい思いがします。

 力士が大型化する中、体重130キロ前後と関取としては体格に恵まれない若乃花は、抜群の相撲センスで頂点を極めましたが、故障が絶えず、横綱としては在位も11場所と短く、優勝もできませんでした。それでも、私たちに多くの名勝負と感動を与えてくれました。

 若乃花は小さい頃から、大関貴ノ花の息子としてマスコミに取り上げられていました。昭和63年に弟の貴乃花と一緒に角界入りし、父は師匠で、母はおかみさん、そして弟はライバルとゆう特殊な環境の中で、普通なら支えてくれる家族が、ときにプレッシャーとなってどうしようもなくなったこともあったと思います。若乃花関、お疲れ様でした。そして夢を与えてくれてありがとうございました。

 今後、若乃花は二子山部屋付きの藤島親方として後進の指導に当たるそうです。これからも、ファンを感動させる強い力士を育てて下さい。新しい人生で、また私たちの心を和ませ、楽しませて下さい。

メールアドレス・ホームページアドレスが変わりました。
メール  n-hiro@m5.people.or.jp
ホームページ http://www.people.or.jp/~n-hiro/index.html

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平成12年8月25日 福祉やまぞえ 第60号

「総選挙」 bT9

 6月25日は衆議院選挙の投票日でした。21世紀はじめの日本の政治を占う今回の選挙は、「小選挙区比例代表並立制」となって2回目でした。私もさっそく、いつものように郵便投票することにしました。その結果、自民・公明・保守の与党3党は、そろって大幅に議席を減らしたものの、かろうじて安定多数を獲得して、政権は交代されませんでした。

 それにしても、この選挙制度は大変わかりにくい部分が多くあります。「小選挙区比例代表並立制」は、小選挙区制と比例代表制が組み合わされた選挙制度です。今回の選挙から衆議院の定数が20議席減らされて、総定数480議席に、そのうち小選挙区の定数が300議席、比例代表の定数が180議席となりました。定数が減ったことはよいとして、よくわからないのは同じ候補者が小選挙区と比例代表両方に立候補できること、小選挙区で落選しても、比例代表で当選する道があることです。奈良2区でも中村氏が、小選挙区で落選しながら近畿ブロックの比例代表で当選しました。

 その比例代表の当選の方法がドント式で決まるのは参議院と同じですが、比例名簿順位が惜敗率(小選挙区で重複候補者が獲得した票を、同じ選挙区の当選者の得票数で割った割合)で決まるとゆうややこしいものです。
 今回の選挙は、投票率も62パーセント台と低く、国民の関心を高めるためにも、選挙制度を、もっと分かりやすくしてほしいものだと思います。

 当選された代議士の方々には、多くの人々の意見が政治に反映されて、私たちの生活が少しでも良くなっていくような政策をお願いします。

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平成12年11月1日 福祉やまぞえ 第61号

「突然の故障」 bU0

 ある日、突然にパソコンのマウスが故障してしまいました。パソコンはキーボードとマウスで操作するものですが、これは大変な事になったと、困ってしまいました。私にとってパソコンは大切なパートナーです。インターネットをしたり、原稿を書いたり、友人と情報交換をしたりと既に、生活の一部となっています。おりしもシドニーオリンピック真っ最中、日本選手団の活躍を調べたいのに、これではパソコンが使えません。

 現在、使っているマウスはトラックボールと呼ばれる物で、指の動かない私にとっては、とても使いやすい物でした。ただあまり一般的でないので、すぐに同じ品物は手に入りません。そこで、パソコンを利用している同じ障害を持つ仲間にメールを出して、いろいろ情報を集め、インターネットで新しいマウスを探そうと考えました。

 ウィンドウズには、障害者の為の補助機能が付いてます。これを利用して、とりあえず、キーボードでマウスの操作ができるように設定して、パソコンをどうにか使えるようにしました。インターネット上にはいろんな商品が販売されています。その中から、なれないパソコン操作で、少し時間がかかりましたが、何とか使えそうなマウスを探し出し、購入することができました。

 今までパソコンなどが手に入っても、私の手では、そのままでは使えないことが多く、体の不自由な所をカバーできるよう、自分なりにいろいろ工夫してきました。障害者専用の福祉機器の中には、いろいろ工夫されたいい物もありますが、それらは高価で手が届きません。一般に市販されている品物を工夫して、使う方が、けっこう安上がりで便利だったりします。想像と工夫が私の生活を楽しく、豊かにしてくれます。これからも、パソコンとの付き合いは続きます。

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