平成13年2月1日 福祉やまぞえ 第62号

「ロボット」 bU1

 いよいよ21世紀の幕が開けました。昨年は「I T革命」とゆう言葉が流行語となるほど、科学技術の進歩が話題となり、これからの時代は、新しい技術でいろんな事ができるように成るのかと予感させてくれました。

 テレビでは、いろいろなロボットが紹介されていました。二足歩行ができるロボットやペット型ロボットのソニーのアイボなどは,今ではたいへん人気があります。その中に介護するロボットも紹介されていました。人間もいずれ機械に介護される時代がくるのかと思うとあまりいい気はしません。まだまだロボットは人間にはかなわないと思います。人間は多くのことを体験し,それを学び,それを活用して,今度は体験したことがない状況にも対応できるようになります。そしてなによりも,介護には「繊細さ」が必要になるということです。体の不自由なお年寄りや障害者に実際接して,いろいろな場面で身体に触れることも考えられ,不用意な動作,大ざっぱな動作をするものでは,とても任せられるものではありません。現在のロボットでは,生卵を扱えるほどの能力を持っていたとしても,その動作を実際の介護の場で,状況に応じて使いこなすことができるとは思えません。

 現実の問題としては介護を助けてくれるロボットがあればいいなと思います。たとえば両腕に装着することで,重い物が軽くなる装置があれば,女の人などが一人で介護しなければいけない場合など,使い方はいろいろと考えられます。寝たっきりのお年寄りや,身体の自由のきかない障害者を移動させなければいけない場合,かなりの力を必要とします。介護リフトなどもありますが,ひとつの決まった状況には対応できても,それ以外で利用するには,面倒だったりします。介護者が自分の腕で行なえることは,とても楽なことで,どんな状況でも自分の腕なら応用できるし、介護される方も安心です。それから、たとえば電動車椅子や電動ベッドにコンピューターを付けて自動的に障害物をよけて進んだり、決められた体位に寝返りをさせてくれたりしたら便利です。こんな事も21世紀中にはできるようになるかもしれません。介護機器としてのロボットも、科学技術の進歩とともに、私たちの生活を豊かに楽しくしてくれると思います。

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平成13年4月25日 福祉やまぞえ 第63号

「自助具」 bU2

 私は日常生活の中で体の不自由なところをカバーするため、食事用のスプーンホルダーなど、いくつかの自助具を使っています。

 自助具とは、体の不自由な人が日常生活の中で、できないことや人に頼んでしまうことを、できるだけ自分でできるように工夫した道具のことをいいます。例えば、「箸が自由に使えない」、「手が不自由でボタンが押せない」、「片手が不自由で調理がたいへん困る」など、どうしてもできない動作を補うように工夫された道具、すべてが自助具といえます。自助具を使うと、人に頼んだりあきらめていたことを、自分でできるようになります。それによって、からだの不自由な人の生活の幅が広がり、生活が積極的なものとなり、自分に合った適切な自助具を使うことは、自立を高めるための手段のひとつです。

 現在ではいろんなタイプの自助具が市販され、多くの障害者や高齢者が自助具を使用しています。私の自助具も病院の作業療法でリハビリの先生と相談して作った物を、何度か作り替えて20年以上使用しています。

 自助具はいいことだらけのように思えます。しかし、使い方を誤ると障害をさらに重くしたり、からだの機能を低下させることもあります。筋力増強や関節を動かす訓練といった機能回復訓練は日数も手間もかかり、なおかつ、失われた機能が回復するとは限りません。自助具を使えば、できない動作や行為が、短時間で可能になります。そのため自助具に頼ってしまい、機能訓練がおろそかになってしまうこともあります。

 自助具は、自分で工夫して作った物でも、どこかで探して買ってきた物でも、使っているうちにやがて体の一部となってきます。これからも長く大切にしていきたいと思います。

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平成13年7月25日 福祉やまぞえ 第64号

「ホームページ」 bU3

 6月14日、小泉内閣メールマガジンが、創刊されました。既に、読者登録していた私にも創刊号が届きました。メールマガジンとは、電子メールで送られてくる新聞や雑誌の様な読み物です。一国の総理大臣から直接メールが送られてくることなど、以前では考えられないことですが、これもインターネットが普及したおかげでしょうか、すごく政治が身近になった気がします。(7月1日現在)3号まで発行されたメールマガジンを読んでみると、[らいおんはーと]と題された小泉総理のメッセージや[大臣のほんねとーく]など、各大臣の個性がでていて面白い内容になっていました。

 小泉内閣は発足以来、世論調査で支持率が高く今までの内閣では最高の人気があります。テレビの国会中継が高視聴率を記録したり、小泉総理が写った自民党のポスターが飛ぶように売れたりする異常なほどの人気は、国民の「期待感」を含んでいます。そのためか、このメールマガジンも発行部数が200万部を越えました。

 私は以前からいくつかのメールマガジンを取っていました。メールマガジンの利点といえば、簡単に多数の読者に送れて,即時性に優れているなどの特徴をもっています。定期的に来るメールマガジンから得る情報も多く、よく利用しています。これらの特徴も、小泉人気へとつながったのではないかと思います。小泉内閣になってから、今まで政治に無関心だった人々の関心を高め、政治が分かりやすく面白い物だと、多くの国民が感じるようになりました。小泉首相には、よりよい日本にするための改革をお願いします。

 私はこの7月で受傷後まる25年になります。当時、情報を得るには新聞かテレビしかありませんでした。現在ではパソコンがその役目をしてくれます。自分から情報を発信することもできます。私もI T (情報技術)革命の恩恵を受けている一人です。

 首相官邸のホームページのアドレス
 http://www.kantei.go.jp/

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平成13年11月1日 福祉やまぞえ 第65号

「食欲の秋」 bU4

 9月は天気の良い日が続きました。夏の猛暑も去って、日一日と過ごしやすくなって来ました。今年の夏は暑かったせいか、二度も風邪をひいてしまいました。熱も少し出てデイサービスも休みました。やはり、風邪は予防が大切だと思います。

 予防の基本は、バランスのよい食事と十分な休養で体調を整えること、また、外出後の手洗いとうがいを習慣化し、加湿器などを使って室内の乾燥を防ぐことも重要です。市販のうがい薬以外に、緑茶でうがいするのも有効的で、緑茶に含まれるカテキンという成分はウイルスの増殖や感染を予防する働きがあって、さらにビタミンCも豊富に含まれ予防だけでなく、ひき初めの人にも効果があるそうです。

 バランスのよい食事をとることいえば、食欲の秋、異常なほどの暑さだった今年の夏も終わり,やっとのことで秋らしい涼しさを感ずるようになってきました。たしかに高温多湿な日本の夏は食欲が減退しますが,秋が深まると気温だけではなく,湿度が一挙に下がるために気持ちがよく,体の調子もよくなるせいで食欲が増すのでしょう。

 秋の味覚といえば、松茸、サンマ、栗、…などいろいろありますが、特にサンマは私の大好物です。旬のサンマは脂がのっていて、大変美味しいです。栄養的にもすぐれているサンマのタンパク質はアミノ酸価が多く含まれ、大変良質です。また、ビタミンも豊富に含まれ、貧血や眼精疲労を防いでくれたりします。その他の成分としては、DHAとEPAなどの不飽和脂肪酸も多く、動脈硬化・心筋梗塞・高血圧などの病気に対しても予防効果があるそうです。

 サンマの塩焼きに大根おろしを添えれば、栄養学的にも、美味しさの面でも優れたごちそうとなります。体力回復のためにも、今年の秋は多くの秋の味覚を楽しみたいですね。

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平成14年1月31日 福祉やまぞえ 第66号

「絵馬」 bU5

 新しい年、2002年は日韓共催のサッカーのワールドカップや冬季オリンピックが行われます。日本代表選手の活躍に期待したいと思います。昨年は、国内外で暗いニュースが多くてあまり良い年ではありませんでした。私にとっても、入院などあってトラブル続きの一年でした。

 私の部屋には、昨年暮れにデイサービスで作った、午年の絵馬が掛けてあります。絵馬とは、いろいろな祈願をする時や、祈願成就のお礼として奉納する額の一種のこと。これに馬の絵が多く描かれていたことから「絵馬」と呼ばれるようになったそうです。

 ではなぜ「馬」の絵なのでしょうか? 調べてみると、日本では古くから馬は神様の乗り物で、神様に供物を運ぶのも馬と考えられて神聖視されていました。神様の降臨を求めて、祈願や祭りの時には生きた馬が奉納されたのです。それが簡略化されて土馬、木馬、紙馬になり、さらに板に描いた馬、すなわち絵馬が現われたのです。このように絵馬は時代とともに変化し、今でもさまざまな祈願、特に受験合格祈願の絵馬奉納などはさかんに行われています。

 デイサービスでは、毎年年末になると翌年の干支にちなんで、干支の飾り物を作っています。今年はまさに午年、昨年の暮れには、馬の絵に願いを託して絵馬を作りました。少し手伝ってもらいましたが、なかなかのできあがりになりました。がんばって作った絵馬で願いがかない、今年こそは、明るいニュースの多い、いい年になるといいですね。

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平成14年4月25日 福祉やまぞえ 第67号

「桜の季節」 bU6

 今年は例年になく暖かい3月でした。桜もいつになく早く咲きました。日本人は桜が大好きです。多くの人々が桜の木の下でお花見を楽しみます。日本人が桜の花にもつイメージは、華やかでぱっと散るというものだと思います。その咲き方のいさぎよ潔さが、日本的な精神を表すものとして好まれます。そして、その豪華な花の美しさが好まれるため、食器や着物の柄などのデザインに多く用いられています。

 「花より団子」といわれるように、日本人の花見好きの理由は、花の観賞そのものより、もっぱら花の下に寄り集ってご馳走を食べ、酒を飲むということにあるようです。花見とは、仕事を忘れ、思いきり騒ぎ楽しめるストレス発散の場となっています。こう考えると、花見とは日本人になくてはならない行事であり、その目的が桜を見ることでなくなっているのも、仕方のないことのように思われます。昔から、八百万の神という日本人の自然崇拝の考え方が、桜に対しても、それらを人々が身近に感じていたために、花見は神事などの行事や春先の人々の楽しみとして行われていたのでしょう。

 そんな早咲きの桜の季節に、私の母校、東豊小学校も最後の桜となりました。去る3月20日に東豊小学校の閉校式が挙行され、百余年の長い歴史に終止符を打ちました。私が卒業したのは30年以上も前ですが、当時は木造の校舎で、生徒の数も現在ほど少なくはなく、四季折々、自然がいっぱいの小学校でした。春には、きれいに桜が咲いていたのを思い出します。いろいろ楽しい思い出のある小学校です、やはり無くなるのは寂しいものです。閉校になっても、桜の季節になると東豊小学校の事を思い出すでしょう。

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平成14年7月25日 福祉やまぞえ 第68号

「2002ワールドカップ」 bU7

 第17回ワールドカップが5月31日、韓国のソウルワールドカップ競技場で開会式を行い、開幕しました。ワールドカップは、サッカーの世界選手権です。4年に一度、オリンピックの中間年に開催国を変えて行われています。今回の2002年大会には、198の国(あるいは地域)がエントリーし、世界中で予選が開催されました。そして予選を勝ち抜いた32の代表チームが、日本と韓国で行われる大会に出場しました。

 ワールドカップは、今まで一つの国ですべての試合が行われていましたが、今回の大会はアジアで最初の開催で、史上初の日本・韓国の共同開催でした。全64試合を、32試合ずつ、日本と韓国で行い、1ヶ月にわたりサッカー世界一の座を争いました。今大会には、新しい日韓関係を築くきっかけになると期待が寄せられていました。

 世界の多くの地域で、ナンバーワンスポーツの地位を占めているのがサッカーです。その世界一を決定するワールドカップには、たとえ自分の国が出場していなくても、高い関心が集まります。前回大会のテレビ総視聴者数は370億人、そして決勝戦を見た人は15億人もいます。世界中で、人類の4人にひとりが、同じ瞬間に同じプレーを見て、同じように歓声を上げる、そのような世界一のイベントがワールドカップです。

 日本は、前回フランスで開催された第16回大会に初出場を果たしました。しかし、予選リーグで3戦全敗し、得点も1点しか取れませんでした。今大会、日本は予選リーグ、対ベルギー戦を2対2で引き分け、対ロシア戦1対0でワールドカップ初勝利しました。3戦めのチュニジア戦を2対0で勝利して、予選リーグ2勝1分の勝ち点「7」で予選リ−グH組1位となって、決勝トーナメント、ベスト16に進出しました。決勝トーナメント1回戦ではトルコと対戦し、日本は惜しくも1対0で敗れ、準々決勝進出を逃しました。2度目のワールドカップ出場で、目標だった決勝トーナメント進出を果たした日本は、予想以上の健闘でした。1試合ごとに歴史を刻んだ日本チームの戦いぶりに、日本中がサポーターとなって、熱い声援を送りました。

 一方の共催国、韓国はベスト4まで進みました。これまでのアジア最高成績を残す大健闘でした。大会は、優勝候補の強豪国が、予選リーグで敗れたりする波乱もありましたが、結局、ブラジルが優勝して、5回目の最多優勝を記録しました。今回の大会で、ワールドカップはサッカーファンだけでなく、日本人に、多くの名場面と感動を残してくれたことと思います。


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平成14年11月25日 福祉やまぞえ 第69号

「復活」 bU8

 何かと暗いニュースの多かった九月でしたが、明るいニュースと言えば、多摩川に迷い込んだアゴヒゲアザラシのタマちゃんの話題と、横綱貴乃花の八場所ぶりの復活劇でした。

 大相撲秋場所の千秋楽は9月22日、満員御礼の両国国技館で行われ、8場所ぶりに復帰した横綱貴乃花と、横綱武蔵丸が12勝2敗の同じ勝ち星で、優勝を賭けて対戦しました。貴乃花は惜しくも敗れ、"奇跡"は起きませんでした。しかし、右ひざ半月板の損傷から一年四カ月ぶりに復帰した場所で、優勝にあと一歩のところまで迫った横綱の姿は、見る者の心を感動させました。

 横綱審議委員会の「出場勧告」を受けて出場した秋場所、5日目までに平幕に2敗し、一時は引退の危機かと思われましたが、6日目から14日目まで9連勝し2敗で武蔵丸に並び、千秋楽の決戦に持ち込みました。2けた勝利どころか、勝ち越すことすら危ぶむ声を見事に打ち消し、復活を十分に印象づけました。取り組み後、貴の花は「正直、優勝争いは考えていなかった。15日間きちんと相撲を取れればと思っていた」と、苦しかった胸の内を初めて明かしました。不本意な成績しか残せない場合、引退も考えていたと話しました。

 一方、優勝した武蔵丸は「今までの優勝で一番うれしかった」と答え、そこには昨年夏場所、優勝決定戦で、手負いの貴乃花に横転させられて、まわりの人に弱いといわれた悔しさがにじみ出ていました。貴乃花も「自分の力不足」と武蔵丸の執念に圧倒されたことを認めました。

 若くして、横綱になり「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花が、土俵人生最大の試練を乗り越えた、その不屈の精神力の強さには感心しました。今後、もっと優勝を重ね、少し人気が落ち気味の、大相撲を盛り上げていってもらいたいと、相撲ファンの一人として思います。


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平成15年1月25日 福祉やまぞえ 第70号

「脊髄損傷」 bU9

 私は、19才で脊髄損傷では重度の頸髄損傷になりました。今年で丸26年が過ぎようとしています。受傷以来、傷ついた首の脊髄から下にある神経が麻痺し、体が動かなくなり、皮膚の感覚もなくなってしまいました。運動機能や知覚機能だけでなく、汗が出ないため体温調節が難しく、暑さや寒さにも非常に弱くなりました。排泄機能も麻痺したため、腎臓・膀胱結石もできやすく、定期的に泌尿器科に通院しています。そんな重い障害が残ったにもかかわらず、今まで、脊髄損傷に対する治療は何もしていません。それは、根本的な治療法が無いからです。

 脊髄損傷者は、日本で約10万人、毎年、約5000人が脊髄に損傷を負っているそうです。これまで有効な治療法がなかったため、脊髄を損傷した患者は、体に残った障害と一生つきあわなければならず、大半の患者は車椅子の生活をしなくてはいけませんでした。自分の体に残った障害は、一生背負わなければならず、人並みの希望を持つこともできませんでした。

 しかし、現在、医学の進歩のおかげで、その状況は変りつつあります。数年前、ネズミを使った実験で脊髄を再生させることにいくつかの研究室が成功し、その後も、より人間に近い動物での実験が行われています。そして、最近ではすでに臨床試験を実施しはじめる研究室も現れているそうです。今まで、治療法が発見される事は夢物語のように考えられていましたが、それが近い将来、実現すると予想する研究者が増えているそうです。

 これからは、患者も脊髄損傷にかかわる病院関係者も、近い将来には治療が可能になることを前提に、脊髄損傷に対処して行く必要があると思います。今まで、あまり関心の集まらなかった脊髄損傷の治療法の研究には、これからはもっと関心が集まって、より大きな資金や人材が、投入されなければならないと願っています。

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