平成15年4月25日 福祉やまぞえ 第71号

「支援費制度」 bV0

  私たち障害者が施設やホームヘルプなどの福祉サービスを利用する場合、これまでは、「措置制度」によって行政が障害者サービスを決定してきました。しかし、今年の4月からは、障害者本人が利用したいサービスを決め、みずからサービス事業者を選んで契約する「支援費制度」に変わります。簡単に言ってしまうと、障害者福祉における介護保険です。

 障害があっても、地域のなかで自分らしく暮らしていく社会をめざす「ノーマライゼーション」(障害者に,すべての人がもつ通常の生活を送る権利を可能な限り保障することを目標に社会福祉をすすめること)の理想を実現するために、「支援費制度」は誕生しました。これからは、障害者(利用者)は自分の意思で福祉サービスを選択できるようになります。サービスの購入者、消費者としての意識が高まり、利用者に選ばれることで、サービスを提供する事業者に競い合いが生まれ、サービスの質が向上されることが期待されます。

 大きな理想を掲げて誕生した「支援費制度」ですが、 現実には、いろいろな問題点があると思います。まず、選択できるサービスに限りがあり、サービスの需要に対して、供給している量がまるで追いついていません。まず、供給できるサービスの量を確保できるように整備することが最大の課題でしょう。また、障害者福祉に関しては、力を入れている自治体とそうでない自治体との間に大きな格差があり、その格差をなくすことも必要なことです。
 まだまだ課題が多くあり、見切り発車ともいえる「支援費制度」のスタートですが、これからは、この制度をいかに充実させていくか、そして、多くの人々にこの制度を理解して知ってもらうことも必要なことだと思います。

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平成15年7月25日 福祉やまぞえ 第72号

「亡父を思い」 bV1

 去る5月12日に父が亡くなりました。78才でした。父は若くから腎臓病を患い、長い間通院治療していました。3年ほど前からは、毎週2回透析をしなくてはいけないほど病状が悪化していましたが、それでも社協の皆さんにお世話になり、通院していました。最近は調子も良くて、まだまだ元気でいると思っていたのに突然のことで驚いています。

 私は、昭和52年、滋賀県で頸髄損傷を受傷しました。受傷直後、救急で入った病院では本格的な治療ができずに、大きな褥瘡(床ずれ)ができてしまいました。後遺症で四肢麻痺になってしまい、体の運動機能がほとんど奪われた状態で、転院するのもままならない私のために、専門の病院を探して、父が奔走してくれました。親戚の方のご協力もあり、おかげで、当時、関西で一番脊髄損傷の治療に力を入れていた、枚方市の星ヶ丘厚生年金病院に入院することができました。その病院は完全看護ではなかったため、何もできない私のために、母が病院で付き添ってくれました。2年2ヶ月の入院生活の間、父は母の居なくなった家を守るために、祖父母の世話をしながら、がんばってくれました。

 それだけではなく、当時の福祉制度や年金制度は、現在のような支援費制度もなく、あまり充実していませんでした。父は、そんなに多くの情報や制度が無いときに、退院後の家の改造、車いすなどの補装具の交付、ベッドやマットなど日常生活用具の給付の手続きなど、父が一人で行政(当時まだ社会福祉協議会はなく役場の厚生課)や、病院のケースワーカーを行き来して、いろんな問題を解決してくれました。おかげで大きかった褥瘡も治り、何とか車いすで生活できる状態まで快復でき、無事退院することができました。

 あの時の、父のがんばりがなかったら、私は今、存在してないと思います。父のがんばりに感謝し、冥福を祈ります。

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平成15年10月25日 福祉やまぞえ 第73号

「デイサービス・敬老会」 bV2

  9月15日は「敬老の日」、老人を敬愛し長寿を祝う国民の祝日です。山添村のデイサービスでも、16日から19日まで「敬老会」と称して、職員による演芸会が開かれました。練習時間もそんなに多く取れなかったかと思いますが、踊りに手品に二人羽織となかなかの芸達者ぶりでした。デイサービスに来られていた、お年寄りの皆さんも、大変喜ばれていました。職員の熱演もあって、楽しい会でした。

 「敬老の日」は、1966年に「国民の祝日法」が改正され、「建国記念の日」、「体育の日」と共に制定されました。9月15日が「敬老の日」なのは今年までで、来年からは9月の第3月曜日に変わります。そして9月15日は「老人の日」となり、15日から21日は「老人週間」となるそうです。

 この「敬老の日」の由来なのですが、どうも二つの説があるようです。一つは聖徳太子が設けた、貧しい人たち救うための施設「悲田院(ひでんいん)」を開いた日が9月15日であったため、この日が選ばれたというものです。もう一つは元正天皇が717年に年号を養老とし、高齢者に贈りものをしたとする、故事にちなんだとされる説です。どちらにせよ、全国的に、9月中旬頃に、地域のお年寄りを招待して敬老会を開くということが以前から行われていました。
 今年は、百歳になる高齢者が二万人を超えるということです。百歳を迎える人たちが生まれたころ、「人生50年」というのが、普通だったことを考えると驚きです。日本はこれから、世界一の高齢化社会を迎えます。ますます福祉制度や年金制度の充実が、必要となると思います。

「毛原の里」のホームページができました。関心のある人は見てください。アドレスは
http://www.ne.jp/asahi/yuhi/net/

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平成16年1月25日 福祉やまぞえ 第74号

「日本のお正月」 bV3

 今年は例年になく暖かいお正月でした。お正月は、日本人にとっては大切な行事のひとつです。多くの家庭では、年末から大掃除をして、しめ飾りや門松、鏡餅などを飾って、新年を迎えます。これらには、それぞれ意味があり、「門松」は神様が最初に降りてくる所とか、「しめ飾り」には、うらじろやゆずり葉、だいだいなど、長寿や家系繁栄などの意味をもつ縁起物が飾られます。その中には、日本の伝統と慣習が数多く残されています。また、多くの人が、故郷に帰り、家族と一緒に過ごします。元旦にはお節料理を食べたり、お屠蘇(とそ)を飲んだりします。お正月には着物を着る人も多く、正装して神社に初詣に出かけます。家の近くの小さな神社も、有名な大きな神社も人でいっぱいになります。年末に書いた年賀状が届くことや、子供たちはお年玉をもらうことも楽しみの一つになっています。

 日本人は「節目」を大切にする国民です。なぜだか、毎年、年末になると人々は慌ただしく、忙しくなり、それがニュースになったりします。自然に「節目」を感じているのかもしれません。お正月に食べる料理を「お節料理」というのも、お正月は日本人にとって大切な「節目」であるといえます。また、昔から、「一年の計は元旦にあり」と、お願い事や誓いを立てたりします。元旦には掃除をしない、お金を使わない、刃物を使わない、など、福を逃がさず、縁切りを嫌うというような習慣もあります。そんな、いろんな意味を持つ「日本のお正月」を大切にしていきたいものですね。

 残念ながら、我が家は、昨年父が亡くなり、喪中のため初詣や、祝い事をせず、少し寂しいお正月となりました。

「毛原の里」のホームページができました。関心のある人は見てください。アドレスは
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平成16年4月25日 福祉やまぞえ 第75号

「信楽焼の狸」 bV4

 自宅のベッドの横にはテレビが置いてあります。テレビの前には、小さい「信楽焼の狸」が飾ってあります。昨年の秋にデイサービスの遠足で「陶芸の森」へ行ったときに、信楽産業展示館で買いました。秋晴れのとても天気のいい日で、紅葉も美しく楽しい遠足でした。

 以前、リハビリのため、入院していた病院で知り合った、同じ障害持つ方が、信楽の人で「信楽焼の狸」には作り方に決まりがあり、徳利や傘にはそれぞれ意味があると教えてもらいました。それを思い出して調べてみました。

 江戸時代初期には一般庶民の口にも清酒が入るようになりました。その頃は徳利を持って酒屋で樽から注いでもらって帰ったそうです。その使い走りの姿を狸の置物にしたものが「信楽焼の狸」です。また、狸には八相縁喜というものがあり、八つの縁起があります。

笠:思いがけない災難から身を守る、通帳:世渡りには信用が第一、目:何事も前後左右に気を配り正しく見つめる、腹:常に沈着冷静にしかし、決断には大胆さが必要である、顔:常に愛想良く真を以て努める、金袋:金銭を自由自在に使える金運に恵まれるように、徳利:飲食には困らず、徳を持てるように努力せよ、尾:物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てることが幸福である、とそれぞれ意味があるそうです。

 信楽焼は、長い歴史と文化に支えられ、日本六古窯のひとつに数えられています。最近では、従来のスタイルの狸だけではなく、生活に合ったいろんな形状の「信楽焼の狸」が生産されているそうです。八つの縁起を担いで八つの狸を集められる人も多いそうです。八つとは言わず、一家に一つは置いておきたいものですね。私にも幸運が訪れますように。

アドレスが変わりました。新しいアドレスは

ホームページアドレス
http://www.saturn.dti.ne.jp/~na-hiro/index.html


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平成16年7月25日 福祉やまぞえ 第76号

「七夕」 bV5

 山添村のデイサービスでは七月が近づいてくると、「七夕飾り」の用意が始まります。みんなで、願い事を書いた短冊や、折り紙で作った飾りを、笹の葉に飾り付けます。私も、願い事を書いてつるしました。今年も綺麗に飾り付けができました。その、「七夕飾り」の前で記念写真を撮ります。この行事は、デイサービスが始まって以来、毎年恒例となっています。

 「七夕」は、広く知られた伝統行事で、7月7日に行なう星祭りです。「七夕」の日は、1年に1度だけ「織姫(織女)」と「彦星(牽牛)」が、天の川の上で会える日だといわれています。このお話は中国で生まれ、日本に語り伝えられた伝説です。天帝の娘である「織女」は、機(はた)を織るのが仕事でした。しかし仕事ばかりする「織女」を心配した天帝は、娘を天の川の向かい岸にいる「牽牛」と引き合わせました。すると二人は仲良くなり、仕事を全くしなくなってしまいました。それをみた天帝は怒り、二人を天の川の両岸に引き離してしまいました。「織女」は「牽牛」と離れて暮すのがとても辛く涙にくれるばかりでした。二人の様子を哀れに思った天帝は、1年に1度、7月7日の夜にだけ会うことを許しました。しかし、七月七日に雨が降ると、天の川が増水して渡ることができないので、カササギが二人の橋渡しをする、とゆうお話です。

 では、本当に、「織姫」と「彦星」は1年に1度デートができるのでしょうか?「織姫星」は、こと座のベガで、地球からの距離は25光年です。一方の「彦星」は、わし座のアルタイルで、地球からの距離は17光年です。この2つの星の間は約16光年もあり、光の速さで走っても16年もかかります。残念ながら、1年に1度のデートは無理ということになります。

 なぜ、「七夕」が7月7日なのか?いつから7月7日になったのか?という問題については、様々な説があるようですが、実はよくわかっていないそうです。
昔、「七夕」は旧暦の7月7日、秋の行事でした。そのため、空には綺麗に天の川が見えていたのですが、新暦でもその日付のため、梅雨中の行事で雨の日が多くなってしまって、星を見ることは難しくなりました。それでも、私達の願いが天に届き、叶うといいですね。

   

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平成16年10月25日 福祉やまぞえ 第77号

「アテネ・オリンピック」 bV6

 オリンピック発祥の地に戻った第28回夏季オリンピック・アテネ大会は8月29日、17日間に渡った祭典の幕を閉じました。

 今大会は史上最多の202カ国・地域から選手・役員ら約16000人が参加して、アスリートたちの限界への挑戦と、さまざまな感動のドラマが繰り広げられました。日本選手は競泳や体操・柔道などの伝統競技に加え、陸上や、新種目のレスリング女子などで優勝を重ねました。金メダルはこれまで最多だった東京オリンピックと並ぶ16個、メダル総数は史上最多の37個を獲得し、日本スポーツ史に残る躍進ぶりを世界に示しました。
 
 大会前から金メダルが期待されていた選手や、期待もされていなかった選手等、いろんな選手が金メダルを手にしましたが、一方で金メダルを期待されていたにもかかわらず、結果を出せない選手もいました。当然、勝負の世界ですから、絶対などは有り得ないのですが、期待が大きかっただけに批判も大きいと思います。しかし、選手自身はよくやったと思います。

 閉会式では、日本選手団、主将の柔道男子・井上康生や、旗手の浜口京子選手達が、互いに写真を撮り合ったり、小旗を振ったりして、大はしゃぎで、あちこちで笑顔がはじけていました。選手、スタッフ、観客の皆さん、お疲れ様でした。

 また、9月17日から28日までは、障害者スポーツの祭典である、アテネ・パラリンピックが、開かれました。史上最多の136カ国・地域から4000名の選手が参加しました。 選手の中で、今大会最多の八個のメダルを獲得した競泳女子の成田真由美選手などの活躍で、日本は、金メダル17個を含む総メダル数52個で、過去最高の成績を挙げました。

 最近の日本人選手は、よけいなプレッシャーにも動じず、のびのびとプレーしているように感じられました。アテネは日本との時差が6時間あり、そのため、生中継も夜から深夜にかけて多くなりました。私もやっと寝不足から解放されました。
 次のオリンピック夏季大会は四年後に北京で、冬季大会は2年後にトリノで開催されます。果たして、次回は我々にどんな感動を与えてくれるのでしょうか。
   

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平成17年1月25日 福祉やまぞえ 第78号

「災い転じて福となす」 bV7

 昨年は、災害の多い年でした。例年の倍以上、10個も上陸した台風は、各地に多大な豪雨被害をもたらしました。また、10月に起きた「新潟県中越地震」では震度7の揺れを記録、多数の家屋が倒壊して、多くの被災者が、仮設住宅での年越しを余儀なくされました。天災が続いたことを反映して、毎年、年末恒例の京都の清水寺で発表される、1年の世相を象徴する「今年の漢字」に「災」が選ばれました。

 昨年末には、インドネシア西部のスマトラ島沖でマグニチュード九(1900年以降4番目の強さ)という、史上最大規模の巨大地震が起きました。この地震により大規模な津波が発生し、インドネシアやスリランカ・インドなどインド洋沿岸諸国に未曾有の被害をもたらしました。犠牲者は日本人を含め15万人を超えて、大災害となりました。犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 "天災は忘れた頃にやってくる"とよく言われますが、まさにそのとおりです。日本は、世界でも有数の地震多発国です。奈良県にも大きな被害を及ぼすと予想される、東南海・南海地震は、今世紀前半にも発生する恐れがあります。"備えあれば憂いなし"と言われるように、私達は大地震のとき、慌てずに落ち着いて行動できるよう、日頃から準備しておく必要があります。

 昨年の漢字、「災」と聞くとあまり良いイメージが浮かんでこないのですが、"災い転じて福となす"ということわざがあるように、今年は酉年、「羽ばたいて福となす」年となって欲しいものだと思います。

   

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平成17年4月25日 福祉やまぞえ 第79号

「愛・地球博」 bV8

 大規模な国際博覧会としては今世紀初、国内開催では「大阪万博」以来、35年ぶりの本格的な万博となる2005年日本国際博覧会(愛称=愛・地球博、略称=愛知万博)は3月25日、日本を含め121カ国・4国際機関が参加して、愛知県の名古屋東部丘陵で幕を開けました。開会式には、天皇、皇后両陛下と皇太子さま、小泉首相ら約2400人が出席し、長久手会場のEXPOドームで盛大に行われました。天皇陛下は「人々が手を携えて地球の環境を良好に保つよう努力する契機となるならば誠に喜ばしいことであります」と挨拶されました。

 「愛・地球博」のメインテーマは「自然の叡智(えいち)」です。自然界の知恵を学ぶと同時に、自然を尊重し文明と共存することを提案しています。各パビリオンでは、人類共通の課題である「循環型社会」の実現のための展示やイベントが、9月25日までの185日間に渡り、繰り広げられます。

 35年前の、「大阪万博」は欧米以外で初めて開かれた万博でした。日本は高度経済成長の真っただ中で、公害が社会問題化した時期でもありました。そのメインテーマ、「人類の進歩と調和」は成長拡大路線からの軌道修正も意味していました。当時、私は中学一年生でした。学校の遠足で行った万博は、見る物すべてが珍しく、新鮮に映りました。「月の石」や「太陽の塔」が話題になり、各パビリオンには、長い行列ができていたのを覚えています。当時、夢の乗り物として展示されていたリニアモーターカーはすでに、実用化され「リニモ」として、万博会場までの交通手段となっています。

 「愛・地球博」の見どころは、高さ47mのタワー全体が大きな万華鏡になる名古屋市パビリオン「大地の塔」や、森林の中に再現したとなりのトトロの「サツキとメイの家」なども注目です。さらに、ロボットなどによるショーを見せるトヨタグループ館など、「グローバル・ハウス」ではシベリアの永久凍土から発掘された、約18000年前の「冷凍マンモス」の頭部等々、話題の多いパビリオンがたくさんあります。会場はバリアフリーにも配慮されているようなので、一度は行ってみたいですね。
   

平成17年7月25日 福祉やまぞえ 第80号

「障害者自立支援法案」 bV9

 平成15年4月からスタートした「支援費制度」により、障害者が福祉サービスを選べるようになりました。障害者の地域生活支援が前進しましたが、新たな利用者が急増して、サービス費用も増大しました。大きな地域格差や、障害種別ごとのサービス格差、制度的にも様々な不整合などや、働く意欲のある障害者が必ずしも働けていない事など、いろいろな問題が出てきました。今後も利用者の増加が見込まれる中、現状のままでは制度の維持が困難と、なっています。

 そのため、2月に「障害者自立支援法案」が、国会に提出されました。(現在、国会で審議中) この法案は、昨年12月に「グランドデザイン案」が出された当時から、いろいろな、問題が指摘されてきました。まず、「障害者自立支援法」では、原則一割の自己負担が導入される事になっています。いままでは「応能負担」といって、負担能力に応じて自己負担すればよい仕組でした。ところが、「障害者自立支援法」の考え方は、「応益負担」(所得に関係なく受けたサービスの分だけ一律負担)になります。減免制度は設けられるものの、負担能力の実態が考慮されたものではなくなるわけです。これが、「障害者自立支援法」における最も大きな問題点です。ほぼすべての障害者にとって著しい負担増をもたらす事になります。

 今まで障害者施策は、「支援費制度」も含めて税金が財源にされていました。現状の税収不足と、「介護保険制度」との統合が見送られた現状からは、「応益負担」の導入はやむを得ない選択だ、という見方があります。正直言って、先立つもの(お金)がなければ何も出来なくなりますから、そう言われてみればそうなのかもしれません。しかし、予算不足に陥る事は最初からわかっていたはずですから、政府・厚生労働省の見通しは著しく甘かったと言わざるを得ません。」

 この法案には、もう一つ大きな問題があります。それは、公費負担医療や、補装具給付制度、日常生活用具制度等、障害者の日常生活に欠かせない施策についても大きくメスが入れられるという事です。もちろん、自己負担額が増えます。また、給付制限等が強まります。要するに、障害者施策全体に対して「公費支出抑制=本人負担増」の方向に向かって行くわけです。「地域における障害者の自立生活を促進する」と言えば聞こえはいいのかもしれませんが、自立生活の促進どころか、自立生活の機会を奪い取ってしまうものになりかねないと考えています。

 まだまだ、時間はあります。2,3年で変わるような制度でなく、本当に障害者の自立に役に立つよう、長期的に考えて「障害者自立支援法案」の国会での十分な論議が必要だと思います。
   

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