
おくさまは18歳
ー 永遠のヒロイン・岡崎友紀 −
このころ、初めて心を奪われた女性芸能人は『いしだあゆみ』だった。昭和44年にリリースされた『ブルーライトヨコハマ』をうたった歌手である。密かに彼女が登場するドラマなどを見ていると、もう一人、すごく気になるおねえさんが出演していた。そのおねえさんこそ『岡崎友紀』だった。しかし、当時は名前も知らないし、やはり『いしだあゆみ』が好きだった・・・。
翌年9月、「おくさまは18歳」がリリースされた。このとき、私が密かに気になっていたおねえさんが『岡崎友紀』であることが判明したのである。
昭和28年7月31日生まれのしし座。血液型はAB型、身長158センチ?体重?キロ。スリーサイズや靴のサイズは知らないが、白目と黒目のコントラストがはっきりした目がくるくるとよく動く、歯のきれいな(アイドルは普通、歯がきれいですよね)おねえさんでした。
当時私は中学2年生。そろそろ本格的に色気づく年頃である。もちろん、それまでに百石さんや小中さん、坂本さんに石田さんといったクラスメイトに恋したことはあったけれど、その恋心の程度は後述のとおりペンギン級であった。
千里の万博が終わった直後に始まったこのドラマは、私にとって衝撃のドラマだった。まだまだクラスメイトの女子は恋愛対象と言えるようなものではなく、好きな女子に対して意地悪するとか、スカートをめくるとかボインタッチ(今や死語か?)するくらいのものだったが、岡崎友紀の出現は強烈だった。
しかし・・・あくまでテレビの中の人。憧れの対象でしかない・・・。そこで、密かに芸能界デビューを考えたものでした。芸能界に入りさえすれば、職場結婚の可能性もあるかも・・・。
冗談ですよ! 当時の中学生がそこまで考える訳ありません。
後年、岡崎友紀の愛用のジーンズが”Half”と聞けばそのジーンズ(生地がバリケートでケツやヒザがすぐに薄くなった)すぐにを買ったし、シャンプーはウエラを使っていると聞けば当時1本1200円もするシャンプーとリンス(リンスは1800円だったか?)を買ったものだった。コーヒーをブラックで飲むようになったのも岡崎友紀の影響だった。
また、愛読書が星新一の”ショーショート”であるということを知るやいなや、数10冊の文庫本を全て買ったものである。この”ショートショート”は私の人格形成に大なる影響を与えた文献だった。この作品に出会えたのは岡崎友紀のおかげである。感謝。
♪ 青空が笑ってる ララララ ララララ
赤い屋根も笑ってる ラララ ラララララ
お日様もバルコニーも笑っている
ルルル メルヘン ルルル メルヘン
いたずらなエンジェルが うたっている
だけど秘密秘密 誰にも内緒
奥様は 奥様は 18歳・・・・奥様は奥様は 18歳・・・・ ♪
さて、”おくさまは18歳”という物語は北辰学園の教師と生徒が夫婦で、当然みんなには内緒という設定である。学園内でこの事実を知っているのはちょび髭の学園長だけである。
「いいですか?いいですね?このことは絶対に内緒ですよ!」というのが学園長のお決まりのセリフだった。
何はともあれ、教師と生徒が夫婦であることは絶対に秘密だった。高木飛鳥(演:岡崎友紀) 北辰学園現役の高校生。男子生徒に人気者。
高木哲也(演:石立鉄男) 北辰学園現役の教師。女子生徒にモテモテ。このほか、隣人の花咲夢子(うつみみどり)や教師の渋沢先生(富士真奈美)や海沼先生(なんと!寺尾聡)が脇を固めた。また、松坂慶子が途中からレギュラー出演していたのも驚きである。
渋沢先生と保健室の”みやこ”さん(?)は哲也に恋しているし、海沼先生は飛鳥に恋してる。なんとも複雑な交友関係ではある。
最終回は、学園長とみやこさん、海沼先生と渋沢先生が結ばれる(かなり強引だった)こととなり、飛鳥にも子宝が・・・・と、思いきや、哲也のポケットから500円札(!玉ではない、札・岩倉具視である)が出てきたのを”いい話”として結んでいる。
実際、この夫婦の夜の生活”まぐわい”など想像できない展開だった。それらしき展開のときは”キス人形”がキスをする程度の表現でしかなかった。番組後半には実際のキスシーンもあったようであるが・・・。当時中学生の私にとってはそれでよかったんです。岡崎友紀はセックスもしないし、おならもしない人なのだ。今思えば”偶像崇拝”に近い思いがあったと思う。
実際、女優や歌手に対する思いは偶像崇拝でしかない。成就しない恋・・・ああ、何と不幸な私!全編、大騒動のドタバタ学園ラブコメディーで秘密がばれそうになる危機に遭遇しては、なんとなく(強引に?)乗り切ってしまうと言うストーリーだった。翌年、「なんたって18歳」がリリースされた。KM観光に勤める最低最悪のバスガイド、青山はるかの物語。実はKM観光の社長令嬢青木まどかが青山はるかになりすまし、大騒動を展開するといった設定だった。
そういった内容はともかく、当時私は岡崎友紀という人に『恋心』を抱いてしまった。いや、正確には高木飛鳥という偶像に恋してしまった訳なのだが・・・・。
ここらへんについては、後日改めて語らせていただきます。いや、語らせていただく予定です。・・・・・そう、予定です・・・。
さて、岡崎友紀に恋焦がれていたその時。たぶん高校生のときだったと思うが、近所の文房具屋さんの前を通りかかったとき、なんと!岡崎友紀の下敷きが陳列されているではないか!
当時、繊細でナイーヴでバリケートな私はアイドルのキャラクターものなど買い求める度胸は当然持ち合わせているはずもない・・・。しかし、どうしても手に入れたかったので、覚悟を決めて店に入って行ったものだった。
『ごめんください・・・』
「・・・いらっしゃいませ。何か、お求めですか・・・?」
『あっ・・・と、ま、万年筆が欲しいんですが・・・』
「万年筆ねえ・・・どうでしょう、こちらパイロット、セーラー、シェーファー、モンブラン・・・とまあ数多くございますが、どれをお使いになられても同じようなもんですが・・・」
『あ、じゃあ、これください・・・』
「これですね、はいっ、わかりました」
『・・・これ、何ですか?』
「それ、岡崎友紀の下敷きですね。お使いになりますか?」
『えっ?! ああ、い、いや、まさか。はははは』
「じゃあ、これでよろしいんですね?」
『ああ、はい・・・あっ!え、え〜っと・・・あの・・・・えっ、絵の具が・・・』
「絵の具ねえ、絵の具といいますと、12色、24色、36色、あるいは72色と数多くございますが、どれをお使いになられても同じようなもんですが・・・」
『じゃ、これください・・・。』
「これですね、じゃあ、これと、これ・・・」
『・・・これ、何ですか?』
「岡崎友紀の下敷きですね。お使いになりますか?」
『い、いえいえ、とんでもない!』
「では、これと、これ・・・でよろしいんですね?」
『ああっ!!い、いえ、あの・・・じ、辞書なんかを・・・』
「辞書ですかぁ?辞書といいますと、国語辞典、英和辞典、平凡社の世界大百科辞典全26巻とまあ、数多くございますが、どれをねえ、お使いになられても同じようなもんですが・・・」
『あ、じゃあこれください・・・。』
「これですね?・・・まあ、ずいぶんと勉強家でいらっしゃる。ふふっ、受験ですかぁ?」
『あ、あははは。まあ、そんなところなんですが・・・ペ、ペンだこが痛くて痛くて・・・・』
「まあ、そんなに・・・・・頑張って・・・フッ・・・。えっと・・・じゃあ、これと、これ・・・と、これ、でいいんですね?」
『ついでにこれもください・・・・』
「・・・と、岡崎友紀の下敷きですね?わかりました。」
<スネークマンショー・急いで口で吸え ”これ、何ですか”よりパクリました>
かくして私は岡崎友紀の下敷きを2枚(2種類)ゲットすることができた。ちなみに、万年筆はパイロット・エリートSという商品を購入した。大橋巨泉のCM『みじかびの、きゃぷりきとればすぎちょびれ、すぎかきすらのはっぱふみふみ。わかるねえ!!』で有名な万年筆である。このCMには別バージョンがある。『すぎしびの・・・・はっぱのりのり』というものだが、まんなかのところが思い出せない。ご存知のかたは教えてください。富士カラー撮影会 ー 浜寺会場 ー
平凡社の世界大百科事典は今でも弟の家に保管してある。索引巻と世界地図巻付である。
いやはや、1枚20円の下敷きを買うのに数万円払ってしまうとは・・・。
最近、たまにテレビ出演している岡崎友紀を見ることがありますが、いい感じで年をとられたと思います。
やっぱり、ええ女や!と思ってしまいます。初恋の女(ひと)が芸能人である私は、ある意味しあわせなのかも知れません。今でも色褪せず活躍しておられる姿を拝見すると、元気が出てくるような気がします。
岡崎友紀さん、一度私と結婚してみませんか?命の保証はありませんが・・・?何のこっちゃ!
冗談はさておき、昔も今も私にとってはヒロインであることに変わりはありません。これからも岡崎友紀を応援して行きたいと思います。
居酒屋で一杯飲んだり、麻雀なんか一緒に打てたら最高なんですが・・・。そんな、夢のような話は実現するはずないですよねえ・・・・。
それでは、今後のご活躍をお祈り申し上げます。
残念ながら日付は忘れてしまったが、昭和50年ごろだったと思う。ー 正確な日付をご存知の方はご連絡ください −
大蛇市の近くに浜寺公園というところがあって、そこで富士カラーの撮影会が開催された。
たぶん、このときが実際の岡崎友紀を見た最初のときだったと思う。
ポケットカメラを手に、朝早く起きて浜寺まで駆けつけたものだった・・・。出不精の私が、である。
私が会場に着いたときは、すでに人山の黒だかり・・・。とても写真なんか撮れる状態ではなかった。
しかも、最前列には三脚にセットした、まるで大砲のような望遠レンズを装着した『重機』をこれ見よがしに所有する”おっさん”たちが陣取っていたのである。
私のように、しょぼいポケットカメラしかもっていない者を最前列に配置してくれてもいいのに・・・と、主催者を恨んだものだったが、この重装備の連中は、『撮影会のプロ』と言われていた連中で、私のような者をターゲットにして『生写真』を売りつける人たちだった。
また、注意深く見ていると、プロのおっさんとは別に『重装備の青年たち』がいた。一眼レフに望遠レンズの機材を自在に使いこなし、シャッターを切り続けている・・・・。恐るべし、アマチュア・カメラマンである。その迫力、情熱はプロのおっさん達を圧倒的に駆逐する勢いだった。
撮影会も終わり、プロのおっさん達が私のような素人相手に商談を持ちかける・・・・。”一枚100円でお譲りしまっせ!”という訳である。
そのとき颯爽と登場した人たち、そう、あの数人のアマチュアカメラマンたちであった!
”そんな高い写真買わんでも、僕らの撮った写真でよかったら一枚10円(これが原価)でええで。プロのおっさんの写真はピンも甘いし、表情なんかも考えてへんねん。ただアップで撮ってるだけの写真やで。やめといたほうがええで!”
なんと、かっこええ話ではおまへんか!!
あとでわかったことだが、この青年アマチュアカメラマン達は『岡崎友紀Leoクラブ』に所属する人たちだった。
それにしても、岡崎友紀はかわいらしかった・・・・。小さかった。そう、小柄で小さかった。何かしゃべったときは、まるで鈴が鳴っているような感じだった。ううっ!う、美しいっ!!
しかも、撮影者一人ひとりに対して目線を提供する心配りがある反面、ふとどきな輩に対しては徹底的に冷たく無視するといった、気高くも美しい、そして激しさを内に秘めた神秘的な雰囲気があった・・・・。
ああ、直接お話する機会さえあれば、彼女は私に夢中になるのに・・・・などと、夢のようなことを本気で思っていた頃だった。世の中の女は、私が本気で口説けば皆落ちると思っていたのだが・・・。懐かしい青春の思い出のひとコマ・・・・である。現実はへたな鉄砲も数打ちゃ当たると、当たるを幸い片っ端から口説いても誰も相手にしてくれへん・・・。これが厳しい現実、ではある。
それはともかく、当日、デビュー間もない石川さゆりもゲストで来ていたが、例のプロのおっさん達が
”はよ行ってんか!あんたはもうええから。友紀ちゃ〜ん、はよこっち来てぇな!!!”
と、大声でわめいていた。
なんぼなんでも石川さゆりに失礼でんがな!私はものすごく不愉快な思いがした。そんな後にLeoクラブ所属の人たちが登場し、プロのおっさん達をヘコましてくれたので、気分爽快。
私が直後に、一眼レフの購入を決意したことは言うまでもない。写真を趣味にするきっかけとなった事件であった。
いつかは、あの人たちのようにカッコええ人になるんや!と思ったものだが、実際、自分で現像してプリントできるようになったとき、撮影会などで撮った写真を原価でお譲りするのはごっつしんどいことであることを痛感した。よっぽど情熱がなかったら出来ることではありまへん・・・・。
フィルム現像から焼付け・乾燥まで大変な労力を要する。『お座敷暗室』なので、夜しかできない。徹夜の作業となるのだった・・・。
正義感がその困難を駆逐するのだろうか?譲って欲しいと言われれば、当然、原価でお譲りしたものでした。