韻文と散文


 今二つの文を並べてみる。
(1)「俳句は散文ではない」
(2)「俳句は韻文ではない」

 第二芸術論がその是非について多くの議論を起こしたとき、否とする立場の人が拠り所としたのが(1)の文と言ってよいだろう。
 確かに、俳句は散文ではない。俳句を散文と同じ次元で読みとれば大したことは言っていない。その内容は取るに足りない。しかし、散文と異なるものとしてそれを読みとるときに大きな真実が現れる。読み手がその真実にとらえられるとそこから逃れるすべはない。行住坐臥、常にその真実が読み手の前に現れる。くり返し現れる真実は、読み手にとって掛け替えのないものになる。ついには、その人のバックボーンと化すかもしれない。そうした力を持つものを第二芸術とは言えない。論理を展開すれば、このようになるであろう。

 文は散文と韻文に大別される。韻は詩文中に一定間隔を置いて現れる同じ音をさす言葉として使われてきた。俳句は韻を持つ場合もあるが、多くの俳句に韻は存在しない。したがって、(2)も正しいことになる。

 (1)と(2)を考慮すると、俳句の立場を簡単にまとめることは難しい。この結果、「俳句は俳句である」としか言えないことになってしまう。事実、こうした立論も現れた。読み手が俳句から大きな真実を受け取る体験をしているとき、「俳句は俳句である」ことは掛け替えのない意味を持っているだろう。

 しかし、自明のことと受け取られるこの立論は第二芸術論を切り崩す力とはなり得ないことも首肯できる。一般に「AはAである」と言う立論は、Aを大切だと思う人にとっては大きな力を発揮する。Aを無意味あるいは有害と思う人にとっては、何の力ともなり得ない。

 (1)と(2)の矛盾を解消するためには本来、「散文とは何か?」、「韻文とは何か?」を改めて考える必要がある。両者とも大きな難問であり、本論の手に負えるものではない。しかし、(1)を拠り所として第二芸術論に反論した人の立場を補強することは、韻文の存在理由を考慮すればできるだろう。ボルヘスによって書かれた短編小説集「伝奇集」中の「内緒の奇跡」と題された小説に、それが示されている。

 その小説で、主人公は銃殺されようとしている。主人公には銃殺される前に完成させておきたい(「韻文形式の」)文章があったが、時間が足りなかった。だが、処刑直前に奇跡が起きた。「物理的な世界が静止した。」のだ。処刑場の銃殺隊も、銃殺の命令を下す上官も、自分自身の身体も動かない。彼の意識だけが動いている。「射撃の命令とその実行のあいだに」彼の意識では「一年が経過する」奇跡が起きたのだ。彼は、「自分の記憶以外に、なんら記録ももち合わせなかった。」状態から「一行一行を」推敲していった。作者ボルヘスは、「韻文形式」について「曖昧で消えやすい章句をすぐ忘れてしまう素人には想像もつかない一種の幸運な訓練を彼に課していたのだった。」とも書いている。文章が完成した直後、時間は元に戻り、主人公は銃殺されて小説は終わる。この小説で韻文は、自分自身の意識以外に参照すべき他の媒体のない状況での唯一の手段として絶対的な意味を帯びている。(「」内、篠田一士訳)

 ここから、韻文・散文の分類から離れて、文を次のような(A)・(B)に分類してみる。
(A)「自身以外の他の媒体を参照しない」文
(B)「自身以外の他の媒体を参照する」文

 もちろん、通常の韻文・散文と(A)・(B)の分類は異なるし、(A)・(B)の区分には個人差が生じる。稗田阿礼にとっての古事記、琵琶法師にとっての「平家物語」、大日本帝国陸軍・海軍構成員にとっての「軍人勅諭」、聖職者にとっての「教典」はすべて(A)となるように。ただ、こうした分類を新たに設けることで韻文がなぜ存在するのかという事情がわかりやすくなるように思える。韻文は(A)となりやすいよう形式を練り上げてある。物理的に長文の場合、(A)として存在するために繰り返しの明示は必要条件となる。これが韻を生む。短文では(A)を達成するための韻は存在しなくともよい。短いことで、(A)は達成できる。「俳句の韻文精神」と言った場合、韻がないのになぜ韻文なのかと言う疑問には、韻文精神とは(A)をさしているのだと言えばよい。

 (A)と(B)について、いろいろな考察を重ねることで、文を取り巻く多様な意味が見えてくると思う。韻文形式の変遷、韻文形式の宗教性・政治性、参照媒体(主に聴覚・視覚)と(A)・(B)の関連などなど。そうした議論をしたい誘惑にも駆られる。しかしここでは、(B)のみで済ませることはできないのか、なぜ(A)が必要となるのか、が私にとって次の最重要課題であるとのみ言って次の機会を待ちたい。

 戻る