8/31 『青春譜』中、p.132〜159「流氷篇」より。  愁いつつ宇宙をはこぶ蝸牛  巻貝の外側の闇と内側の海  黄昏の青い胚珠に月のまどろみ  月光の極まるところ海百合ひらく  逆光ゆく電車 琥珀になっている  群舞から逃走するのは胡蝶です  地球から消えゆく木の葉は木の言葉  鳥の巣を夢みる種子の睡り  惑星軌道上を漂う芥子粒  覚めるべきに覚めず祈るべきに祈らず  海をすくいあげる薔薇のはなびら  祈り……星ひとつぶのひかり  聖母マリアの涙が地球かもしれない 島一木句集『青春譜』は、これで終了。最後の「流氷篇」は現代仮名遣いである。薔薇、マリア、イエスの多用など、後の彼の人生の選択に関わるキーワードが散見されるが、句自身の持つ力を優先するとその頻度が薄められてしまった。 これ以後は句集を離れて、雑誌等に発表された句を拾ってみたい。 8/30 島一木句集抜粋四  『青春譜』中、p.92〜129「遠望篇」より。  薔薇の字を薔薇の生命は拒絶する  あなたの前で薔薇の句となってゐる  葡萄から流れあふれて海となる  寝室に兜虫ゐて父は留守  梟と浮浪者レントゲン室に  栓のない蛇口 波は波を生み  いううつなタヒチ女の鴉かな  風はしるポプラ並木を聞きたまへ  汝がねむりあはき梢に鳥はなく  鳥ねむり汝があをき唇そよぎをり  創世の三日目にして蟋蟀鳴く  蛇の尾をつかめばモーゼの杖なりき  梟啼く暁けの莟のほの光り  七宝の暁け空蠍は礼拝す  遙かなる波止場に乾ぶパンの皮  沖へと泳ぐ雄牛の角に花輪かな  泣き女なみだめぶきてあねもねに  太陽を孕みし葡萄の深き夜  新月の埠頭を発ちぬ(以下欠損)  この篇、連作をずたずたに選句を施しているので、作者の意図に反するかもしれない。私としては、あまりに宗教的意図の濃厚なものは取れなかった。 8/29 島一木句集抜粋三  前回の徘徊少女さんのコメントを読んでいるうちに、まだ物理の大学院生だった頃の会話を思い出した。 母 おまえのやっている物理というのは、なんか役に立つんかいな? 私 素粒子物理は直ぐには世の中の役にたたんわな。 母 どのくらいたったら役に立つん? 私 人類が宇宙旅行でもするようになったら役に立つかな。 母 おまえ、宇宙旅行がしたいんかい。 私 ☆×○△! 母 絶対、あかんで。  『青春譜』中、p.64〜89「逍遙篇」より。  陽炎や砂丘越えれば幼なき日々  コンピューターこの蜂すみれより来しか  薔薇崩る沖にはむかし奴隷船  ちるを待つ蕪村や牡丹なほ散らず  下闇のマリア灯籠かもしれず  薫風やマリオネットは椅子の上  芒野に穂のなき芒あふれしむ  藻がらみの鱗をこぼす良夜かな  無月なる風のかたちを考へよ  のたうてるホースを跨ぐ火事場かな  凍蝶の薄羽に月の射しゐるや  手毬唄続けと思ふ続くなり  踏絵とて紙一枚の聖母かな 8/28 島一木句集抜粋二  『青春譜』中、p.36〜61「惜春譜」より。 花重たさうに添木の牡丹かな 二上の山に日の没る牡丹かな 香煙を浴びて風鈴鳴りにけり 蜩や石の卓には石の椅子 走馬灯まはる速さのみな違ふ 夜警員虫鳴く方へ灯を向けぬ 栗鼠の頬ふくらませたる木の実かな 剣めく炎立ちけり牡丹榾 牡丹焚く紅葉焚く香と異なれり おでん屋に友とゐしことのみ覚ゆ 太き幹ねぢれて立てる椿かな 梅林を出てなほ梅の続くなり 三重の塔五重の塔春惜しむ 8/27  野暮用で明石まで行った。天文科学館に足を運んだが、眺望の良さにちょっとびっくりする。山腹に立っているので、建物の高さに海抜がプラスされて、より見晴らしが良くなっているのだ。明石大橋が海峡の景色にぴったりはまる。眼下のJR(いまだにこの言い方に慣れない。中曽根を恨む。)と山陽電車の行き交うのも面白い。もうすぐ肉親の傘寿の祝いで、ひさしぶりに関東に住む兄弟も揃うが、祝宴の次の日の予定にはちょうど良いかもしれない。  法師蝉一分半の双眼鏡 8/26 島一木句集抜粋一  断続的になるかもしれないが、島一木句集「青春譜」の見開き二頁から一句の抜粋を最後までやってみる。  今日は、p8〜p33の「青春譜」から   黒板にあたりもしたり雪つぶて   遠足の子ら同じ幹叩き過ぐ   舌を出すアインシュタイン忌の写真   部屋隅に黒き蜘蛛ゐる読書かな   虻もぐり陶酔しをる牡丹かな   遠くきく祭囃子のとぎれがち   蟷螂の首の長さはモジリアニ   ほととぎす仔牛の耳のよく動く   噴水の穂に雨粒のあたるなり   流れ星おほくは海の方へ落つ   ドビュッシー、ラヴェルと聴ける夜は長し   マヨネーズまみれのこれは貝割菜   綿虫に光の筋のあたりけり 8/25  このたび惑星から外れることになった、Pluto(プルート)を冥王星と命名したのは、野尻抱影。1930年の発見直後に提案し、京都天文台がすぐに採用、東京天文台が採用したのが1943年になるらしい。  これだけでも色々なことが見えてきそうだが、時期的にこのあたりが外国語で輸入された新しい概念を漢字で命名した最後になるのではないだろうか。総じて、漢字を使った命名力は現代では落ちている。  中江兆民は、東京外国語学校の校長だった時期がある。学生に漢文を課す方針をめぐって文部省と対立し、辞めたと加藤周一の「日本文学史序説」で紹介している。命名力衰退の起源となる象徴的な事件だろう。  とは言え、現代人が漢字で命名できないと言うことではない。たとえば、1952年に開発された物理学の実験道具であるBubble chamberは泡箱と呼ばれていた。現在、物理学上の究極の理論として注目されている理論は、超ひも(紐)理論と呼ばれている。  命名力の源泉は、普及力にあるのではないだろうか。冥王星という名の定着過程にもそれがあらわれている。いま仮に、imaginary numberに和名がなく、それを虚数と命名したのが現代の人だとすると、みんなが使用するだろうか?イマナンなどという言い方をするのではないだろうか?古くはエネルギーを勢力、近くはコンピュータを電子計算機と命名しながら結局消滅した例もあるから一概には言えないとしても、命名したあとの普及の過程に問題があるのが現代だろう。 8/24  角川書店「合本 俳句歳時記」のレビューを書いた。もうかなり昔にやった索引作りと関係しているので書いたのだが、索引作りは今の私には不可能に近い作業になっている。しかし、索引作りが無駄な作業だとは思っていない。  四方田犬彦がかつて韓国に長期滞在したおり、そこの住居管理人がかつて「ホトトギス」に投稿していて、虚子編の歳時記にも何句か採用されたそうだ。四方田氏は、帰国してからのお礼にその本を贈ったということだが、長い年月の間に作った句を忘れていたとすれば、彼は一頁一頁めくりながら自分の名を探すしか方法がなかっただろう。  今後歳時記を出版する側は、ネット上にそうしたデータを公開してほしいと思うのだが、無理な相談だろうか?いずれにしろ、こうした作業は個人で行うよりも集団で行った方がよいのは分かり切った話だ。虚子編の歳時記の索引作りをどこが行えばよいかはおのずと見えてくる。 8/23  渡辺隆夫の第四句集、『黄泉蛙』を読んだ。良かった。  第一句集の『宅配の馬』から題二句集『都鳥』、第三句集『亀れおん』と進むにつれて、作者は自身に課した縛りをきつくしていった。『亀れおん』などは、息苦しかった。その息苦しさが『黄泉蛙』にいたってほどけた。  はらわたのどのあたりからくそとよぶか『宅配の馬』  シャワー留めて肉片さがすこと一寸  『都鳥』  バタフライはらりと落ちてさぁ大変  『亀れおん』  介護犬の最期を看取るロボット犬   『黄泉蛙』  六十歳近くでの第一句集から、十年ほどで四冊の句集が出たことになる。まだ変貌しそうな予感がある。 8/22  アブラゼミの声を始めて聞いた。クマゼミとアブラゼミは競合するらしく、それまではクマゼミばかりでアブラゼミはまったく聞かなかった。  どこで読んだか忘れたが、蝉の幼虫は生まれてからずっと地中にいるわけではなく、生まれてからしばらくは樹木の表皮にとりつくらしい。その表皮にとりついている間に、寒さにやられると冬を越せない。クマゼミは元々南方系のセミなのだが、ここ数年の暖冬の影響でアブラセミの勢力に進出しているようだ。  今年の冬は久しぶりに寒かったので、昨年のクマゼミの幼虫はおそらく死滅しているだろう。何年か後には、アブラゼミの天下が戻ってくるはずだ。もっとも、この温暖化現象の中では一時的な揺り戻しになるだけだろうが。  盆過ぎの初油蝉もう死んだ 8/21  日記を都合で二日休んだが、いざ再開となると、何を書いて良いのか分からなくなっている。書かねばならないことは多いのだが、一日わずかの時間で書く量を大幅に超える課題ばかりだ。そうした話題を日記で繋ぎ繋ぎ書くことも当然考えているが、一気に書くよりも返って力を必要とする。  今日、そうした課題をもう一つ思いついてしまった。昨年、俳句を辞めてしまった島一木氏の論を書くことである。彼は私と同じ年の生まれで、若いときから俳句をやり、最近になって辞めた。私は年取ってからやり始め、若いときはやっていなかった。彼の主要な関心事は宗教にあり、私の主要な関心事は科学にある。ちょうど、ネガとポジのような関係にある。それだけに、何か気になる。辞めた理由は宗教活動に専念するためのようで、辞める直前の文章には、科学に対する疑念がよく表明されていた。  しかし、彼の俳句を見る限り、彼の宗教的な問題意識が現れた作品よりも青春の彷徨をテーマとした方が感銘が深かった。彼が俳句から手を切ったことは、青春の彷徨に見切りをつけ、宗教にその解決を見いだしたということではないかと考えている。その正否は問わないが、句の中に現れた青春の彷徨は愛惜するに足ると思う。表記はやや不正確だが、記憶する三句を以下に記す。  舌を出すアインシュタイン忌の写真  雪の日の画廊はついに見つからず  扇風機首を振るので捨てられず   島一木 8/18 略 8/17  摸倣子・摸伝子・意伝子。すべて、R.ドーキンスが「利己的な遺伝子」で提唱したミーム(meme)の訳語であるが、おそらくミームのまま定着するだろう。  じつのところ、ドーキンスのものは一冊も読んだことはないのだが(「ドーキンス VS グールド」は読んだ)、ミームというものを最近かなり注目している。ざっと考えただけで次のような事柄がミームから説明できるのではないだろうか。  (1)猿の芋洗いのような動物の文化と、     人間の文化を共通の基盤における。  (2)人間の文化の大部分を占める、性差による風俗差を、     鳥の形態進化と比較しつつ論じることが可能になる。  (3)花と昆虫に見られる共進化と同様に、     異なるミーム間の進化を論じることが出来る。  (4)遺伝子の伝搬速度に基づく進化のスピードと、     情報の伝搬速度に基づくミームの進化のスピードを     比較検討できる。  私がミームに注目したのは(4)の特徴からだ。遺伝子による進化と比較してミームの伝搬スピードは速い。従って、ミームの進化も速くなる。ここまでは容易に想像できる。  私にとってここからが重要なのだが、遺伝子による進化に退化という現象があるように、ミームの進化にも退化という現象がついて回るのではないか。それも遺伝子の進化と比べて桁違いに速く。ストラディバリウスのような現代に再現できない技術は、ミームの退化によって説明できるのではないか。  江戸時代の日本にあった多くのものがミームの退化の好例になるような気がしている。三十三間堂の遠し矢、矢数俳諧、浮世絵、詰将棋、等々。  レヴィ=ストロースの「悲しき南回帰線」に現れるインディオが南米の文明華やかなりし頃はどのようなものであったのか、といちいち思い出されて、結局本を投げ出したことが若い頃にあった。ミームの退化を念頭に置いて読めば、今は投げ出さずにすむかもしれない。もっとも、読むべき本が山積みされている現状では遅すぎる思いつきであった。 8/16 3月の「セレクション柳人」発刊記念大会での没句を、なぜか今頃になって思い出した。記憶にとどめておくのも良いかな、と思えるのでここに記録しておく。  あー沖縄の野口さん聞こえますか 8/15  なぜか、スーパーで買ったと思われる酸漿が台所にある。搬出のどさくさに誰かが我が家に置いていった物のようだ。売り物だっただけに、よその家の庭に咲いている物に比べると大きくて立派だ。  しかし、我が家では誰も興味が湧かないようで、いまだに透明の袋に入ったまま。そのうち、配偶者のフラワーデザインの材料になるのだろうが、伝統的な意味をはがれたまま朽ちていくのは小気味良い。  大きくて立派な酸漿ガスのそば 8/14  激しく動いたあとの何とも言えない気分。このまま、何もせずに何日も過ごせそうな気分。経験的にはこういうとき、何もせずにいるとあぶない。本当に何もせずに何日もたってしまう。軽く動いた方がよい。  ということで、これから外出。愚息とポケモンの映画、足りなくなった色鉛筆の買い足し、個展を訪問してくれた画家の個展訪問、など。  法師蝉色鉛筆の山と谷 8/13 個展終了  家に帰ってきた。画廊での撤収も気を使うが、帰宅後も大量の作品を雑然と置くわけに行かず、ある程度整頓しながら片づけていった。一つ一つの作品を見ながら、夏祭りのあとのような虚脱感が覚えた。  個展へ来てくれた一人一人にお礼を言いたい。誰にとっても、高校二年生の夏は人生の山だろう。個展を通して、彼は良い山を征服できたと思う。谷へ向かうときに、このことが生きてきてほしい。 8/12 画廊来客種々相 というタイトルで、いろんな話が書けるほどさまざまの人に出会っているが、今はちょっと疲れている。最後の一日の最後に、搬出という肉体労働も待っている。今は疲れているので、これにて失礼。 8/11 日盛りの中岡毅雄二度来る 夕蝉や花森こまの影見えず 8/10  毎日コンスタントに書くのは、なかなか辛い。  個展二日目の8月9日は、一日目にも増して色々な人が来てくれた。「樫」の森田智子さん、風さん、スペイン料理店「カルメン」の大橋さん、嵯峨美術短大の松本さんと普段の日なら、一人出会っただけで本日のビッグイベントになる人が次から次に現れる感があり、壮観だった。  個展終了後、高校時代の友人二人と恩師と私の四人で飲みに出かけた。残りの三人をやきもきさせていた件の友人から先月に入籍を済ませたと報告を受けた。同居し始めて5日になると言うことだそうだ。彼の両親ともに介護の必要な状態になっているだけに、同居後が大変だと思う。9月に親戚だけで内祝いをするらしい。我々もなにかお祝いを考えないといけないと、話し合った。いい酒だった。  最近、行分けの詩を書くようになった。なぜか?と、自分に問い直してみると、愚息の個展の案内文を書いたことがきっかけになっているような気がする。長くなるが、1回目の個展から3回目の個展での画集の序詩までを並べてみる。 1回目の個展 色と遊ぶ――自閉症の少年が発見した世界  あたりは一面真っ白の世界。何ひとつなく、どこまでも果てしなく白い世界。そこをわたしが歩いている。そしてわたしのまわりにだけは、明るいパステルカラーの丸がそこら中にいくつも浮かんで、色とりどりにきらめいている。そのきらめきの中を通ってゆく。うれしくて、声を上げて笑いたくなるような夢だった。――ドナ・ウィリアムズ「自閉症だったわたしへ」(河野万里子訳)より  自閉症。英語圏ではIとYOUの区別のつかない症例として有名だと言う。自他の区別のない世界とは超越者のいる世界ではなかろうか。あなたのすることも私のすることも同じ。私がしなければならないことも、あなたがしなければならないこともすべて同じ。野口毅君はよく私に向かって、「お父さん、日曜日にお父さんと毅君は映画に行きます。」と呼びかける。決して、「映画に連れていって下さい。」とは言わない。超越者のいる世界からの声はなんと力強いことだろう。ついふらふらと約束をしてしまうのだ。「はい、お父さんと毅君は映画に行きます。」と。  遠近法とは無縁の野口毅君の絵には豊かな色が満ちあふれている。ひとつひとつの色が野口毅君であり、絵を見ている私たちなのだ。その絵を見ていると私たちもひとつひとつの色それ自身になってゆく。そこに嘆きはない。朗らかな笑いが取り囲んで、私たちを元気づける。野口毅君が自他のない世界から発見したものだ。  打算のない世界。嘘のつかない世界から来た色とりどりの夢。それは私の世界であり、あなたの世界なのだ。「あなたと私は色と遊びます。」 2回目の個展 忘れもの 言葉が邪魔になるときはないだろうか? いつもは大切な言葉 呼びかけたり 答えたり 知らんぷりしたり 計量カップのように気持ちの水かさを知らせてくれる言葉 だけど あまりにもさわやかに風が吹いて日が落ちる頃や 緑の樹々がなにもかも光にしてくれるお昼時や ざあざあとたっぷりの水が落ちてくる夜明けなどに ふっと言葉を置き忘れていて 何かを思っているのだが 言葉にすると何かが違ってきてしまう そんなことはないだろうか? 人は多くの言葉を知ってしまっていて 夕日の赤と黒のダンスや 緑の葉っぱのくすくす声や 白い光を練り込んだ雨の朝の前に つい何かしゃべり始めてしまう 言葉を忘れたまま何か考え続けても 何も出てこないと決めてしまって 野口毅君は言葉が少々不自由です いつも言葉を脇に置いて 色と遊びながら ものを考えています 彼の絵の 水や夕日や樹々の鳥たち 土や人の顔 すべて色となり 遊び友達を求めて 光となって画面の外へ飛び出して行きます そんな光を思う存分浴びてしまったら 忘れていたものを思い出せそうな気がしてきます 野口毅君とともに 色と遊びながら 忘れものを取りに行きましょう 画集の序詩(3回目の個展) 野口毅画集に寄せて 誰の心の中にも いくすじかの時間が流れている 明日は早起きしなければ行けないとか 嫌な人と会わねばならないとか そろそろ冷蔵庫を整理せねばなど 未来に関すること 雨が降っているから傘を持っていこうとか 中庭の雑草にも花が咲いたとか 腹が減ってきたなとか 今日に関すること あいつとはしばらく会ってないなあとか 亡くなった父がよくやっていた仕草とか こどもの頃の遊びとか 過去に関すること 時間の本流は言葉と結びついて 計画され 行動され 記憶されている だが 心の奥底でどうしても言葉とむすびつかず かすかに残されている伏流がある たとえば 棲んだことのない洞窟に感じる親近感 たとえば 天にひろがる星屑と自分しかいないように感じてしまう夜 不思議とそれらは 生前の世界にも 死後の世界のようにも思え 遠い昔と遥かな未来は一気につながってしまう 自分のいる今の両側が一足飛びにやって来るのだ いつもはそんなことに気付かない いつも気付くと本流の時間が停滞してしまう だが たまに気付けば本流もよどまない だから たまには伏流に遊ぼう 仕事はもともと遊びなのかもしれないが あんまりたくさんの人が仕事をしているので 仕事は仕事にしかならなかった ところで 野口毅の仕事は 仕事をはみ出た仕事として 絵を描くこと ここに彼の画集が完成した たまたま彼は言葉が不自由なせいか 時間の本流が伏流と直結し 彼のかたわらに太古があり 未来がある 絵の中に 時間の本流の表現たる遠近法は遠ざかり 伏流から湧き出た色だけが遊んでいる 画集を開くと 湧き出た色は光となってあたりを満たし そこここに いつもとは違う時間が流れ始めるだろう さあ、遊ぼう! 8/8  愚息の個展は、障害児教育関係者、配偶者のPTA会長時代の知り合い、同じく配偶者のお花のレッスンの関係者、当方の仕事関係、および当方の俳句の仲間と多様な人間の集まる場となる。  今回の個展は、今朝新聞の地方欄で取り上げられたせいか、初日から入場者が多い。11時開場から引きも切らぬ状態だったが、やはり空白の時間帯が出来る。一人も入場者のいない状態が30分ほど続いただろうか。すかざす、午睡を決め込んだ。3回目ともなるとかなり慣れてきた。この調子で、日曜日まで走りたい。  いらっしゃいませと聞こえる昼寝かな 8/7  愚息の個展は明日からだが、今日は搬入という仕事がある。弟夫婦もすでに来神している。いよいよ始動だ。(AM8:06記)  午前中に、画廊に運ぶ絵をまとめる。48点あった。これだけで相当グロッキー。画廊13時着。知り合いの絵描きさんの指導のもと、展示して行くが、脚立を上ったり下りたり、48点あるとかなりしんどい。17時終了。その後、弟夫婦と食事。ビールが効く。帰りの電車は熟睡。いずれにしろこれで準備OK。今日は早めに寝よう。(PM8:45記) 8/6  愚息の執拗な要請に負けて、花火見物に出かけた。案の定、帰りは苦労した。何句かできたので、書き留めておく。  南風や古き硝子のコーラ瓶  枝の下開きそめたり遠花火  葉群透け光りていたる花火かな  幹越しに半円となる花火かな 8/5  内井惣七「空間の謎・時間の謎」を読む。経歴を見ると、京大工学部を卒業後、京大文学部哲学科卒業となっている。科学哲学の専門家。  相対性理論以降は、現代物理学の説明であり、新味はない。ブライアン・グリーン「エレガントな宇宙」とは比較できない。前半のニュートンとライプニッツの論争(正確には、ニュートンの弁護人であるクラークとライプニッツの往復書簡による論争)を扱う部分が面白かった。ニュートン力学の成立史を書かれたものを読むと、ガリレイ・ケプラーが定番であり、詳しいものでもデカルトの渦動論に触れるのが関の山で、ライプニッツが何を論じたかを書いてあるものは珍しい。  この本を読むと、ライプニッツの論じようとしたことが非常に現代的な意義を持っていることが分かる。特にニュートン流の「絶対空間・絶対時間」に対する反論は、マッハ・アインシュタインの源流ともなっている。ただし、ライプニッツの当初の意図したところから見ると、マッハ・アインシュタインも「絶対空間・絶対時間」的なものを残しているようだ。そこで、真にライプニッツ的な観点から力学を再構築しようとする模索が現代でも行われている。この点の紹介が、本書の核となる部分である。 8/4  午後から休みだった。個展前にしておけということで、愚息を理髪店に連れて行く。もう八十を超えたおじいさんが一人でやっている店だが、愚息とそのおじいさんの相性がいいのだ。  散髪が終わると、すぐに同僚のやっている個展に赴く。旧作だということだが、真っ赤なハルキゲニアに出会う。ハルキゲニアについては以下のWEBを参考にして下さい。 http://www.gnhm.gr.jp/archives/inpaku/cambrian/haluki/chapter01.html  この生物は、当初尖っている方が下だと考えられていたが、その後上下が入れ替わった。同僚の作は、尖っている方が下になっていた。ちょっと懐かしい気がした。  夕刻、愚息所望の「ゲド戦記」を見る。作りはしっかりしていた。登場人物のキャラクターが宮崎駿作品の借り物である点はそれほど気にならなかった。私の気づいた難点は、人間が高所にいるときの不安定感が出ていないとか、竜や鳥などの飛翔するもののスピード感がいまひとつなど、細部に関わる。これをどう見るかは人次第だろう。  もし、宮崎駿が監督していたらどうなるか?、というのは押さえきれない想像としてある。おそらく、上述の難点は消えているだろうが、ストーリーは分かりにくくなっているだろう。さらに確実なことは、この時期には完成していないことだろう。 8/3  「林田紀音夫全句集」(福田基.編 富士見書房)              H.18.8.1 発行  どえらい本が出たものだ。それまで二つの句集にまとめられた句数が六百ほどだったものが、約一万句を収録している。二冊の句集以後をこれで跡付けることが可能になった。  俳句を始めて、四,五年ほどは新聞雑誌などの投稿でぼちぼちやっていたが、句会などに出入りするきっかけとなったのが前の職場のF.I氏だった。そのF.I氏の敬愛してやまない俳人が林田紀音夫である。彼は林田紀音夫の反時代を貫く姿勢に惚れたと、つねづね言っていたが、「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ」以後の長い年月を具体的に思い浮かべにくいのも事実だった。  大きな本屋でも、せいぜい一冊あれば良い方だろうと考えていたが、神戸市内の一番大きな本屋には三冊置いてあった。残りの二冊は誰が買うのだろうか?五千五百円(税別)と少々値は張るが、編集の苦労を考えると売れてほしいと思わずにはいられない。 8/2  ブックオフは難儀なところ。指輪物語九巻(第十巻追補編があるらしい)を見つけたのが、一月前。延々と昨日までかかって読み終えた。その間他の読書は中断。ようやく別の本が読める状態になってきた。  思えば、指輪物語なる本を見かけたのが、神戸三宮と元町間の国鉄(JRとは言わなかった)高架下にあった「イカロス書房」だった。予備校から大学までの時代、金がなかったので買わずに、店が狭いので立ち読みもままならず、さりとて並べられている本の魅力に逆らえず、背文字ばかり見入っていた。指輪物語は入口近くの棚に置かれてあったと記憶しているが、確かめようのないどうでもよい記憶ではある。  万巻の書のはためくや南風