9/30  ヒルベルトの死後、ゲーデルの仕事が行われていたと思っていたが、生前の話であった。それどころか、ヒルベルトが数学の無矛盾性を確立させようとしたプロジェクトの最高潮の時に、ゲーデルの仕事が現れたようだ。劇的な幕切れではある。  解説を読む限り、ゲーデルの仕事のポイントは、自己言及の危険性にあるようだ。現在、どんなジャンルの言説においても、ジャンルそれ自身を語ることは避けられない。ゲーデルの仕事が、取りざたされる理由ではあるだろう。  私は、自閉症を自己言及性が発達していない病気ではないかと考えたことがある。今は、自己言及性の未発達は結果であり、原因ではないだろうと思っているが、自己言及性の議論が出てくると、懐かしい感じがする。  十七音で規定できない季語がある 9/29  岩波文庫から「不完全性定理」が出た。多分歯が立たないだろうと、思いながら読み始めたら、案の定歯が立たない。ただ、長い解説が付いているので、そこだけでもと読んでいる。今のところ解説にはゲーデルは出てこず、カントール・ラッセル・ヒルベルトなどの名が出てくるところを読んでいる。  浪人時代に、「百人の数学者」という、いまならムックとでも呼ぶべき体裁の本を読んだことがある。たしか、数学セミナーの別冊だった。森毅の名を知ったのもこの本からと思う。上述の数学者の業績が、数学者ごとに見開き2頁で語られており、読みやすく、並行して読んでいた史記列伝中の人物と、ときおり比較したりもした。  ゲーデルはその本の後ろの方に出ていた。「そして最後には何にもなくなりました」という童話のエンディングを味わったような気分がしたものだった。後年読んだ「百年の孤独」のエンディングにも似ているか。  今度の読書でそのような気分がどう変わるか、そんな点を楽しみとして読み進めよう。 9/28  参列者多し。ほとんど、××高校の卒業生。転勤してからの二年では、新しい学校になじむのは難しかったろう。夫婦同然の人もいたようだが、結婚は出来なかったようだ。  竜胆や若き喪服の列続き  ウェディングドレスの遺影葡萄の夜  喪主とならざる男ありけり秋の星 9/27  今朝になって、昨日が誕生日であることに気付いた。ちょっとした朗報もあり、仕事で帰りも遅かったが気分はよかった。  しかし、帰宅後の夜にちょっとした異変を知らされた。以下のようなメールを、元生徒に打つことになった。 □□ 様 お久しぶりです。 明日、○○先生のお通夜、明後日葬儀とのことです。 ××高校の時から、遅かれ早かれこの日が来るだろうとは思っていました。 ○○先生は、この日が来ることが分かっていただけに、生徒の指導に懸命でした。 ○○先生に文句を言っている生徒がいると、本当のことが言えたらなあと思っていました。 でも、このことは口に出しては言えませんでした。 ××高校で○○先生は楽しかったと思います。 廃校がなければ、最後まで××高校の○○先生でいたかったと思います。 残念です。 9/26  昨夜はやはり眠れなかった。ま、教職を長く続けていると色々とある。物理だけを教えていればOKといかないのが、つらいところ。  今日は体育祭であった。一日中、戸外にいるだけでも疲れる。  北はるか倒産ビルに秋の雲  鳶の羽根すぼまり秋の風曲がる  今は眠い。おやすみなさい。 9/25  十一時半帰宅。体育祭のため、五時起床予定。なかなかハードなスケジュールである。おやすみなさい。 9/24  五年前は何をしていたか?もう年齢から五を引いて、その時の歳を出しても何も分からない。古い句帳を出して、その時の句を見てからでないと、何をしていたときか思い出せなくなっている。どうやら、行き始めた句会が仕事や廃校問題などで欠席しがちになった時期のようだ。えらく必死に作っているなと、見返した。考えすぎて、作り損なっている句もある。記憶が遠のくスピードを感じた。  五年後はどうなっているか?年齢から五を足した程度の予想しかできない。定年間際だけが確かだろう。五年前は公私ともに多忙といえた。五年後も公は多忙だろうが、私はのんびりとしたものであってほしい。  さて、これから五年限定の小池正博との二人誌「五七五定型」がスタートする。今日は手始めに、彼との対談をこれから行う。同じ五七五の川柳と俳句。彼は川柳を選び、誰も手を着けていない川柳の戦後史を手がかりに新しい川柳を模索している。私は俳句を選び、なるべく人目に付かないよう、現代への異議提出を考えている。異なる立場の二人が作るとどんなことになるか?とりあえず、出発。 9/23 嗚呼七十年  著作権保護法論議実紫 9/22  寺田寅彦「鐘に釁る」(かねにちぬる−−>鐘に血塗る)を論じるつもりだった。鋳造したての鐘に牛羊の鮮血を塗るという、古代の呪術に関するものだ。血を塗ると鐘が丈夫になるという議論だと記憶していたのだが、あらためて読むと、音響がよくなるという議論だとわかった。  あわてて、金属の音響に関する文献をざっと読んでみた。確かに血を塗って音がよくなる可能性はある。しかし、本当にそうなるかどうかまでの確証は得られそうもない。論としては中途半端に終わりそうだ。しばらく、この件は棚上げ。 9/21 偶成  さわやかに黒い噂の絶えぬ人 体育大会予行  さやけしや牛蒡と抜かれ終走者  天に雲地に猫じゃらしハウリング 9/20  タイミングの悪いときは、何もかもが重なってくる。  受け持ち生徒の保護者との話が長引いた。帰宅がえらく遅くなった。家に帰っての夕食を諦めて、外食に。うどん。映画の出来はどうなのだろうか?  帰ってから、とある句会の締め切り日だったことに気付く。あわててFAXを送る。  明日は三十分は早く出勤しないと行けない。寺田寅彦の「鐘に血塗る」を論じるどころではなくなった。また、明日。  「小沢昭一的こころ」みたいなことになってしまった。 9/19  どの本だったか忘れたが、桑原武夫が朝永振一郎を回顧した文章を読んだことがある。共にドイツ留学した頃、非常に寒い朝には水道から出る水が洗面器に当たる音がいつもと違うと、桑原武夫が朝永振一郎に話した。朝永振一郎は、自分もそれに気付いているとしたうえで(これと似た話は寺田寅彦もエッセイに書いている)、今新しい物理学の領域を開いているハイゼンベルクのような人はそのような事実に気付かないだろう。気付くような細かな感性は、新しい物理学を切り開くような仕事には、向いていないだろう、とした。  朝永振一郎は、当時の寺田寅彦の物理学をそのような言で評したと考えられる。こうした言に、端を発したわけでもないだろうが、寺田寅彦の物理学は、しばしば四畳半物理と呼ばれた。粋(エレガント)ではあるが、狭い領域でしか通用しない物理学と考えられたからだろう。  しかしその後、コンピュータの発達に伴って発見された、「カオス」と呼ばれる現象に対して寺田寅彦の目は注がれていたと見ることが出来るようになり、寺田寅彦を早すぎた才人とする向きも出てきた。  コーヒーの渦を見つめる寅彦忌 有馬朗人 などは、そうした見方を前提にしないと成り立たない句だろう。事実、有馬朗人はこの句を発表する以前に、寺田寅彦の復権を意味する文章を書いている。  では、朝永振一郎に代表されるような寺田寅彦に対する見方は、無効になったのだろうか。この点は慎重に考えねばならない。幸田露伴のように、彼は色々なことを調べたが、ついに一つもものにならなかった、とする評も存在する。  彼の調べたことが、今日の目から見てどれほどの有効性があったかは、それほど調べられているわけではない。現段階では、有効なものもあった、という段階でしかない。まず、丹念に読み返し、寺田寅彦の当時と比較して、今日ではどこまでわかってるいるのかを検証すること。要求されていることは、はっきりしている。  さて、以降の検証作業をこのmixiに展開するか、これから小池正博と出そうとしている二人誌に出すかは、悩ましいところ。とりあえず、mixiに展開するのは枝葉の部分にしておこう。 9/18  我が家の前の家が、8月頃から音信不通だ。郵便受けには一杯の郵便物がたまっている。配偶者の話では、おそらくサラ金の取り立てらしい人に話を聞かれたとのこと。なんとか穏便に解決してほしいが、どうなるやら。  中学時代に、一番仲の良い友人が一家の夜逃げで突然にいなくなった。二人で当時の懐メロを歌いながら帰るのを常としていたが、夜逃げが近づいた頃、友人は「会うは別れの始めなり」を唄って、ため息ばかりついていた。勘の良い人間なら気付いていたと思うが、私は鈍感であった。なんで、こんな歌ばかり歌うのだろうと思っていた。  運の悪いことに、私の母が勤めていた会社と、友人のお父さんとが商売上の取引があった。ばれてはいけないからと、親から固く口止めされていたのだろう。  彼が、その後どんな人生を歩んでいるのか、まったく知らない。かつて彼の名前で、検索をかけたことがあったが出るはずもなかった。 9/17  散髪などというものは、半年に一回くらいでよいと考えているのだが、愚息を散髪に連れて行けとうるさい人がいるので、行って来た。途中で愚息のCDウォークマンが壊れたので、新しいものを急遽買うなど結構手間がかかり、一日がつぶれた。帰ってきて、夕食焼きそば。製作時間三十分。最近はこれが一番手っ取り早い。  ブックオフで、全七冊七三五円だった、デュマ「モンテ・クリスト伯」読了。短詩型を読むのを怠けていたが、そろそろ読もうか。 9/16  久しぶりに、司会をしない句会に出席。気楽だ。少々寝不足で、頭の回転は悪かったが。  十句出して、無点句が四句。無点句を記録しておく。  雲の斑に魂消ゆる貌百日紅  太棹の幻聴消えて青葡萄  豊年と伝えるラジオ夜勤明け  水飴に狼煙のような濁りあり 9/15  偏光の説明に、よく反射光を使う。屋根瓦などに反射した光は、偏光しやすい。偏光板をまわすと、屋根が明るく見えたり暗く見えたりする。  そうしたことを言いながら授業を進めているとき、偏光板で南の空にあった薄雲をみると、雲も明るく見えたり暗く見えたりした。太陽と雲の位置がちょうど偏光しやすいところにあったようだ。  秋つばめ真昼の偏光おびただし 9/14  類句類想は、声が大きいか、顔が大きいかのどちらかで騒ぎが大きくなるようで、あまり注目されない場合もあるようだ。  前々から気になっている句が二つ。  東山回して鉾を回しけり 後藤比奈夫  長刀鉾天を回して回しけり 長谷川櫂  長谷川櫂の句は、記憶で書いているので表記が違っているかもしれない。どちらの句についても、物理学者マッハの名を思い起こさせるところがある。物理学科出身の後藤比奈夫ははっきり意識しているだろう。 9/13  土砂降りの雨で、ようやく夏が終わったという印象を得た。今年の夏、最も記憶に残った一句。  ノコギリを鳴らす芸あり雲の峰 筒井祥文 9/12  山本義隆「磁力と重力の発見」は、古代から不思議な現象と見られていた磁石とのアナロジーを手がかりとして、ニュートンの重力理論がうち立てられてゆくまでを追いかけた、記念碑的な労作である。科学史の論として、日本が世界に問える唯一のものだろう。で、今日は山本義隆の話ではなく、未来の科学史家も磁石のアナロジーを元に新しい重力理論をうち立てるまでを書くようになるかもしれないと言う話。  磁石には、引力と斥力(反発力)とが存在するが、ニュートンの重力理論には引力しか存在しない。観測の結果を見ると、引力しか見つからないのだから、斥力を入れようがないのだが、ニュートンはこれに悩んでいた。引力しかないとすると、長い年月の間には、天体同士は引きつけ合って、ついには一つになってしまう。神が創造した宇宙が壊れてしまうのである。神がそんなことをするはずがない。これがニュートンの悩んだ点である。  ニュートンは結局、無限の宇宙に無限の天体があると考えてその矛盾を解消しようとした。どの天体を考えても、その天体の両側に無限の天体があり、両側の天体から受ける引力は等しくなる。従って天体は動かず、宇宙は不動が保たれる、と言うシナリオである。  この論は、色々と不都合があるのだが、省略して、話を急ごう。ニュートン以後に新しい重力理論をうち立てたのは、アインシュタインだが、彼のうち立てた理論も最初は引力だけだった。その理論でも、ニュートンの望んだ不動の宇宙は成り立たなかった。そこでアインシュタインは不動の宇宙が成り立つように、斥力となるようなものを彼の理論の中に取り入れた。宇宙項と呼ばれている。  その後、ビッグ・バンが発見され、不動の宇宙は成り立たなくなり、アインシュタインが生涯の不覚と言ったように、宇宙項は不要となったように見えた。ところが最近、宇宙の膨張の様子を詳細に調べてみると、ビッグ・バン時の膨張の勢いだけでは説明がつかなくなってきた。どうも、宇宙の膨張が加速しているらしいのだ。  これは明らかに、膨張を加速するような斥力が存在するということになる。そのようなものを、ダークエネルギーと呼ぶようだ。アインシュタインが考えた宇宙項のようなものなのか、別のものなのかは今後を待たなければならない。  重力を、磁石の引力に似たようなものとして、最初の重力の理論はうち立てられた。磁石の斥力はまったく考慮されなかった。今後、磁石の斥力に似たものも考慮に入れつつ重力の理論の新しい模索は始まるのだろう。  話を短く短くと心がけているが、最近どうも長い話が多い。ちょっと、書きくたびれている。明日から短くしよう。 9/11  近藤康二との縁で知った、とある画家がいる。中島勉という。今回の「野口毅個展」の作品展示も彼の指導を頼んだ。  以前、彼が音頭をとって作ったグループがあった。名は「梵土(BOND)」といった。東野健一さんもそのグループにいた。本来なら、絵など描けない私の出る幕ではなかったのだが、どんな絵を見ても一通りの感想を述べてしまうところが見込まれたらしい。とにかく来いと言われて、別に疑問にも思わず月に一回の集まりには出ていた。野口毅が誕生する前後の話だ。  そのグループでどんなことをやったのか?絵描きが多かったのは確かだが、絵の話ばかりをしていたわけではない。色んな話をした。仕事の話、旅の話、その当時話題になったこと、その中で、次はこんなことをしてみようかという話が出てくる。そこから次のような、「中島勉展」(1991.4)が出てきた。以下は私が当時書いた宣伝文。  「ボールが地球(地面)にぶつかって、ボールがポーンとはねあがる」と「地球(地面)がボールにぶつかって、地球はポーンとはじけとぶ」とは同じことを言っています。  地球にくっついて観察すると前者。ボールにくっついて観察すると後者になります。  普通、地球にくっつかざるを得ない私達には、後者の事実は見えません。まして、地球から見たりボールから見たりと視点を自由に変えることなど到底できません。  「こんなものを作って下さい」と言うプロデューサーと、  「こんな風に作ってみました」と言うクリエイターとの間にも、地球とボールのような圧倒的な非対称が見られます。プロデューサーが強い場合は、「大阪城を作ったのは豊臣秀吉」となりますし、クリエイターが強い場合は通常の芸術作品のほとんどが、そうなります。  BONDと中島勉は一つの実験を試みました。プロデューサー・クリエイター間の強い引っ張りあいを通して、一つの作品を両者の側から眺められるようにしてみることです。  個々の作品によりBONDと中島勉の役割も入れ換わっています。BONDがプロデューサー、中島勉がクリエイターの場合もあれば、その逆の場合もあります。視点の自由な変換が何を発見するか?……  とにかく展示の前に足を運んでみて下さい。  と、ここまでのところで展示に足を運んで(目を向けて)ほしいあなたへのメッセージは終わりました。  しかし、どうしても伝えておきたいことがもう一つあります。聞いて下さい。  それはBONDと言う集まりの性格です。BONDにはプロデューサーともクリエイターとも無関係のメンバーが存在します。もし、BONDが何かの芸術又は運動集団なら、彼らは無駄なメンバーです。しかしBONDの第一の目的は寄り合いなのです。月一回の寄り合いの中でよもやま話をすることが、一番大切なことなのです。メンバー全員が自由に発言する権利を持ち、自由な発言を通して互いの思想を作りだして行く。そのためにも異なる仕事を持ち、異なる環境に生活する多様なメンバーを含むことが必要なのです。  また、こうしたBONDの性格は、今回のようにBONDから作品が生み出される時に大きな特徴を付け加えます。BONDから生み出された作品は、寄り合いで遠慮のない批判にさらされ、作り手と受け手の相互作用を通過しています。通常の作り手の力のみが作用して送り出される作品との違いは明らかです。今回は、プロデューサー・クリエイター・受け手の三体相互作用を通過した作品群になります。  プロデュースに伴う、企画の実行と言う面では、プロデュース、クリエイションと直接かかわりのないメンバーが、その責を荷うことはあります。しかしそれは2次的な問題です。  BONDにとって作品を生み出すことは、よもやま話の発火装置なのです。  展示に目を向けたあなたが、作品を通してよもやま話に参加することを期待します。                    −−−−−野口 裕  書き写しながら、ふっと句会とは何かを考えていた。 9/10  珍しく外出する用事がなく、久しぶりに日曜料理人になった。一番手っ取り早い料理は、お好み焼きだが、少し時間があるのでカレーにした。野菜が豊富にあるのでほとんど野菜カレー。  野菜は、二個所からの貰い物。茄子は隣の家から。お隣は、大企業の首切り役が嫌になって、定年前に辞めて農作業に専念している。ジャガイモ、トウモロコシは北海道の知り合いから。バブルの頃にうまく切り抜けて貯めた貯蓄で、北海道に土地を買った。鹿の食欲がものすごく、収穫は悪かったそうだ。  茄子は、水に晒してアク抜き、油で炒める。ジャガイモも水に晒して、塩ゆで。トウモロコシはレンジしてから、実をこそげ落とす。野菜を下ごしらえながら、それぞれの人の生き方を考える。肉、タマネギと炒めてから、材料をすべてぶちこみ、カレールーを入れ煮込む。ちょっと変わったカレールーを入れたせいか、えらく辛い。好評とはいかなかった。  かくして原稿書きは、はかばかしく進まない。  昨夜、CAP HOUSEでやっている「イカタコキスキスタイカイ」に行って来た。  この一文で、CAP HOUSEて何?、「イカタコキスキスタイカイ」て何?という疑問に対しての説明が必要になるだろうが、この手の説明はすべて、リンクに任せることが出来るからネットは便利だ。 http://www.cap-kobe.com/house/index.htm  絵画、塑像などのほかにいろいろなパフォーマンス(この外来語の書換は難しい)を、やっていた。お目当ては、東野健一さんの紙芝居。インド・ベンガル地方の紙芝居を元にしたもので、ポトゥアと呼ばれている。平面の紙でなく、巻紙を下から上にたぐり上げながら話を進めていく。  私とのつきあいは、東野健一さんがまだとある企業に勤めていた頃で、辞めて絵描きのはずだったが、ついでに始めた紙芝居がすっかり板に付いた。桂米朝と同じ舞台に立ったほどで、たぶんいまや画業は副業だろう。毎年二三回見ているから、あらかたの紙芝居のあらすじは知っているが、今回やった三本の紙芝居の内、一本は始めて聞いたネタだった。あとで、聞いてみると見たことがあると配偶者は言っているから、つきあいの一番古い私が一番見ていないことになる。まあ、生まれてからずっと見ている愚息にかなわないのは知っていたが。  その他のパフォーマンスでは、大きな風船の中にすっぽり人体を入れてしまう芸が圧巻だった。 清水芸人という人だが、綱渡りなどもやり、世界各地を放浪しているそうだ。  販売品も蛸や烏賊のバッジなどがあったが、蛸や烏賊を図案化した篆刻に味があった。一本買おうかと思ったが値が張るので、篆刻を一冊にまとめた本の方を買った。コーヒーを飲み、たこ焼きを食いなどしているうちに大分に時間がたった。もう一本パフォーマンスがあったが、遅くなりそうなので帰宅した。 9/9  「ああどうもこたへられねへ。江戸前の魔羅は千両だのふ」  米村圭伍「風流冷飯伝」で、飯盛女おふくが夜這いをかけたときの一節だが、仮名遣いのことを考えるたびにこの一節が頭の中を駆け回る。  仮名遣いはいかにあるべきか。こたへられねへ。 9/8  大局的な議論をする気になれない。といって、ごく身近なことを取り上げるには頭が働かない。今は、そんな状況だ。状況というよりも体調なのかもしれない。  崖ありて遠き轟音ちちろ鳴く 9/7  本歌取り、引用、類句とかまびすしいようなので、まさに剽窃という一句・一首を書いておく。  死ぬ死ぬと生きて居るなり生身魂  天皇家に差し出した良質の生殖器が苦しんでいるそうな 9/6  同窓会の通知が来た。卒業した高校は今年末から改築に入るそうだ。改築の間校舎が使えないので、廃校となった学校の校舎を使用する。  その廃校となった学校が、一昨年まで私の勤めていた学校だ。いよいよ廃校となる最後の年の三月が、授業もなく、入試もなく、ひたすら不要となった書類の廃棄に追われたのを思い出す。  廃校や三月にして古暦 9/5  つい最近、五十過ぎて初婚となった私の同級生の話。  彼の両親は、ここ十年ほどあるいはそれ以上の年月、いわゆる呆け老人で、二人とも日常生活がままならない。結婚までは、彼を含めて親子三人の暮らしだった。彼も仕事があるので、ヘルパーを頼むにしろ相当厳しい生活だったと思う。そんなところに嫁ぐ人もいるのだから世界は広い。ちなみに、彼女の年齢はまだ三十代。  清掃車が去ったあとの、ゴミ捨て場の清掃当番というのはたいていのところであると思う。彼は昼間いないので、家族三人の時は、その当番をどうしていたのか?と、彼は聞かれた。彼は知らないと答えた。そこで奥さんとなる人は、これは近所の人がいつも肩代わりしてくれていたのだと気づき、彼を誘って、二人で今までの非礼を詫びる近所まわりをした。  近所のどの人も、そんなことはいいんですよ、お宅が大変なのは分かっていましたから、と言ってくれたという。彼は、俺一人だったら多分ずっと気づかなかっただろう、やっぱり男はあかんな、と笑った。(十代の頃の彼の好きだった作家の小説中に、「生活?そんなものは、召使いに任せておけ。」とあったような気がするが。)  とりあえず、「ちょっといい話」ではあるのだが、男と女を入れ替えるとどうだろうとか、果たしてどこの地域でも成り立つだろうかとか、いろいろと考えてしまう話でもある。  いまのところ、一日おきに夫婦喧嘩をしているそうだ。喧嘩の原因が夫婦以外のことも多いだろう。仲良くやっていくことを祈る。 9/4  子供の頃、散髪屋でよく待たされた。待っている間に置いてある漫画を読むのだが、第一巻がなくて、第二巻だけとか一、二とそろっているが、題三巻以降がないとか、待ち時間には読み切れそうもない巻数があったりとかで、中途半端に読んだものがけっこうある。初期の手塚治虫などは大半がそうである。そうしたものほど、記憶に残っている。  散髪屋以外では、友達に借りて読んだ本などもそれに当たる。学習雑誌についていた付録の読み物などは、読んでしまうと邪魔になるだけだったのだろう、気軽に貸してくれた。大人になってからも気にかかるほど、強烈な印象となっているものもある。文庫本になったときにあらためて読んだが、マーク・トウェイン「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー 」はやはり傑作だった。  大人になってから、そうした中途半端なしかし印象に残る読書はなかなか出来ない。例外は、司馬遼太郎「坂の上の雲」。とある日、電車の網棚を見上げると文庫本「坂の上の雲 2」が置いてある。誰かの忘れものか、放置したものか。拾って読み始めると、散髪屋の待ち時間にやる読書の雰囲気を感じてしまった。それをきっかけに二,三,四と読み進み、第一巻に戻り、あらためて第五巻を読む頃に急に意欲をなくした。たしか、最後まで読んでいないはずだ。丸谷才一が、司馬遼太郎の小説は結末のつけかたがまずい、とかつて言った。私の読書体験でも、その意見は首肯できる。散髪屋での読書のように、最初も最後も知らずに途中の部分をゆったりと読んでいるのが一番良いのかもしれない。  司馬遼太郎と逆のケースが、池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」。最後の一頁を残すまでになり、和歌山線の鈍行の網棚に忘れてしまった。これは、立ち読みで済ませた。 9/3  自宅近辺では、クマゼミは姿を消し、アブラゼミの最盛期となってきたようだ。鳴き声に耳鳴りを引き起こすようなところがある。聞き入っていると、白昼夢に入りそうだ。  右翼のテロ始まりみんみんみん 9/2  「くりこみ」を調べていると、なかなか素敵なもの言いにぶつかった。 静かな池のほとりに立って,池の真ん中あたりに小石を一つ投げ入れてみよう.ぼちゃんという音とともに水面が乱れ,輪の形をした波が平らだった水面を外に向かって広がっていく.波の輪が大きくなり,やがて我々の立っている岸辺に近づく頃,輪はどのような形をしているだろうか?力学で学んだ方法論に従うとすると,小石が水面に落ちたときに作り出す乱れ(初期条件)を求め,そこから水面波の方程式に基づいて時間発展を計算し大きな波の輪の形を求めることになるだろう. しかし,経験でも知っているように,大きく成長した波の輪はほぼ完璧な円形をしている.この形は投げ入れた小石の形状,大きさ,あるいは水に落ちたときの小石の運動の状態には左右されない.大きさ 2 cm の丸い小石を投げ入れたときも,大きさ 10 cm の角張った石を投げ入れたときも,ほぼ同じ時間の後にほぼ同じ円形の波の輪を見ることができる.ここには,「大きく成長した波の輪の形は,初期の水面の乱れの詳細には依存しない」というユニバーサリティ(universality,普遍性)がある. このような事情を考えれば,初期の乱れを特定してから時間発展を求めるという方法はあまり賢明とはいえない.最終的な答えが初期条件には(ほとんど)依存しないのに,わざわざ初期条件を特定するのは,ある意味で徒労である.実際問題としても,小石がどのように水面に落下したかを精度よく知るのは極めて困難だ.それよりも,どんな小石をどんな風に投げ入れたかを特定せずに、池の端近くまでやってきた波の輪の形がどうあるべきかが議論できないだろうか?少し一般化した言い方をすれば,ミクロなスケールでの系の詳細(小石と,それが作り出す初期の乱れ)にとらわれずに,マクロなスケールでの現象(大きく成長した波の輪の形)のユニバーサリティを直接に理解することはできないだろうか? 単純化していうと,「くりこみ」とは,そのような理解を可能にするためのものの見方のことだ [注:波の輪の形の普遍性は素朴な次元解析と水面の一様等方性だけで理解できるので,あえて「くりこみ」を持ち出す必要はない.「くりこみ」の威力を示すためではなく,「くりこみ」の考え方をはっきりさせるための例と思っていただきたい.] .そして,「くりこみ」というものの見方は,我々の科学の根本的なあり方,さらには我々が世界を認識する方法にさえ深く関わっているのである.(「くりこみ理論の地平」 数理科学1997.4 http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/r.htm)  補足すると、ミクロのスケールにこだわって計算を進めて行くと計算途中に発散(無限大)が生じるような場合に、生じた発散が何に由来するかをマクロのスケールから見極めて、観測値に置き換えるような作業を「くりこみ」と呼ぶ。この手法を編み出した朝永振一郎による命名である。編み出した本人には、単なる便法といったニュアンスの発言が残っているが、謙遜かもしれない。素粒子物理にとどまらず他の分野の物理、カオス・フラクタルとの関連、あるいは経済学への適用など、その後の応用の広さを考えると、何か無限に関する本質的なものを含んでいるようだ。  しかし、四角い石を放り込もうが、尖った石を放り込もうが、確かに波紋は丸い。しごく当たり前のことを言いながら、なにかはっとする場合と、それがどうしたと思う場合がある。はっとする場合というのは、無限=永遠に触れている場合に限られるのではと思っている。 9/1  眠い目をこすりつつ書いた本日の日記がなくなった。操作ミスだろう。今から寝る。  威銃あわてずさわがずあくびかな