10/31  重なるときには一気にいろいろなことが重なるもので、根を詰めて一日以上かかかりそうな文章をどこでやろうかと思っているうちに、根を詰めて半日かかりそうな仕事が二種類、毎日少しずつやって一月かかりそうな仕事が二種類と立て続けにやってきた。仕事は家に持ち込まないようにしているが、ときどき入り込む。今回、できるだけ持ち込まずすむようにしよう。  日暮冬めきキーボード叩く 10/30 一句記入 背高麒麟草の咲きそろった景色もめっきり減りました。  野っ原は黄に染まりきりハローウイン 10/29  「眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く」(アンドリュー・パーカー)を読んだ。原始三葉虫に眼が誕生してから、カンブリア紀に進化の大爆発が起こったことをわかりやすく論じていた。  眼を持った生物が誕生することで、眼を持たない生物の形態までもが進化せざるを得ないことになったらしい。現在の眼を持たない生物の形態(クラゲが透明である理由はそこにある)や、カンブリア紀に先行するエディアカラ化石群の検討から、そうしたことも導けるようだ。まさに全ての生物にとって大事件だった。  作者がしばしば、眼は生物にとって高くつく装置であると強調しているのも印象に残った。眼球と網膜というハードウエアだけでなく、網膜に映った映像を解釈する脳内でのソフトウエアにも多大の費用がかかるとのこと。光には色はなく、光を刺激として受け取った脳がそれを色だと解釈して始めて色と認知できる。という本書での議論は面白い。洞窟など光のない場所で生物の目が退化してしまうのも、眼のない方がエネルギー消費が少なくて済むからのようだ。  また、体表面の色素は化石として残らないので、過去の生物がどんな色をしていたのかを調べるのは難しいとは知っていたが、化石生物でもはっきりと体表面に色を持っていたと分かる場合があるということはこの本で始めて知った。コンパクトディスクのように、ものの表面に規則正しく細かな溝が刻まれている場合、そのものは虹色に輝く。化石生物の体表面を電子顕微鏡などで調べると、そうした規則正しい溝が発見できることがある。なんと、カンブリア紀の生物ウィアクシアでそうした溝が発見された。虹色の体表面は、眼を持つ他の生物に対しての威嚇効果を発揮できただろうとのことらしい。そこまでわかるのか、と読みながらうなってしまった。 10/27  今、仕事が終わったところ。アテロームが一段落し、さぼっていた糖尿の定期的通院にこれから行く。多少遅くなっても開いている町医者は便利であるが、そんなところはこれから希少になるだろう。私よりも若い医者なので、医院がなくなる心配もない。これもサバイバル・オブ・ザ・ラッキストのうちに入るだろうか。 10/26  今西錦司、69400。木村資生、16700。Googleで検索したところの件数である。棲み分け理論よりも、分子進化中立説の方が生産的で、より重要だと思うのだが、人気は今西錦司にあるようだ。今西錦司には、猿の研究の人気票も入るとは思うが。  進化の研究でノーベル賞は貰えないようだが、分子進化中立説はもらってもおかしくない業績だろう。しかし、検索件数の差は愕然とする。 10/25  ようやく包帯が取れ、二十日ぶりに湯船に入った。まだ、傷跡をごしごし擦るわけにはいかず、若干不満は残るが、湯船にはいることで気分も落ち着いたような気がする。日中は仕事だったが、良い代休日になった。  宵闇や傷跡の垢湯に沈め 10/24  明日は代休だが、出勤せざるを得ない状況になった。よくあることだが、少し残念。何もなければ、ひさしぶりに山歩きの予定だった。紅葉には早いかもしれない。来月になれば、休みも取れるだろう。  紅葉山海の離陸機また見るか 10/23  「眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く」(アンドリュー・パーカー)。  タイトルを見れば、この本の大体の内容がわかる。「ワンダフル・ライフ」(S.J.グールド)で細かく描写されたカンブリア紀の進化の大実験、その原因を眼の誕生に求めようとするのだろう。実はまだ読んでいない。これから読むところだ。  なぜ、この本が気になるかと言えば、カンブリア紀の進化の大実験から、食物連鎖、食う食われるの関係、誤解を招く言い方で言えば弱肉強食が始まったのではないかと勝手に推測しているから。  こういう本は、アイデアが優れているかどうかではなく、それが実際に証明されているかどうかが問題になる。だから、アイデアだけでは、判断できない。ま、じっくりと読んでみましょう。もっとも、門外漢にはわかりにくいことも多いのですが。 10/22 飯島晴子一句評    寒晴やあはれ舞妓の背の高き               『寒晴』(平成二年刊…1990)  今日における「あはれ」とは?「南浦和のダリアを仮のあはれとす」(攝津幸彦『鳥子』1976)と、セットにして考慮してみれば、物がその本然のままにあるのではなく、ねじ曲げられ、無理矢理そこにあるように強いられるのを、徹底して見つめることで、ようやく「あはれ」は浸み出してくるもののようだ。なにか風景の中にしっくりとおさまらない舞妓。風景も「寒」と「晴」という二つのカテゴリーが同居したままだ。「季」という概念から離れつつある現実風景。 10/21  午前中医者。午後の半日、自分の時間となるかと考えていたが、予定変更で東野健一さんの個展を北野坂まで見に行く。ギャラリーの企画で、たった一作の個展。ただし東野健一さんの場合、行くと紙芝居も見ることになるので結構遅くなった。これから、夕食作り、金魚の水替え。いささか眠い。さて、明日の準備は出来るかな? 10/20  ふくらはぎにアテローム(粉瘤)ができ、切開してからほぼ三週間。切開あとはまだ開いたまま。風呂にはいるのも面倒で、ほぼ毎日体を拭くだけですましている。湯船に浸かったのは二三回だけ。もうそろそろ、ふさがってほしいものだ。  霧を飼う傷口サランラップ巻く 10/19  山崎正和「社交する人間 ホモ・ソシアビリス」、やっと読み終えた。最後の解説に三浦雅士が、「『社交する人間』は名著である。」と書いているが、異論はない。「山崎正和の主著と見なす」とも書いているが、私の読んだ二三冊で即断すれば、これも間違いないだろう。議論は多岐にわたるが、文化と文明の違いを身体論から説き起こすところだけでも、鮮やかだ。  個人的には、不登校になった生徒をあてはめて読んでしまって、途中で読めなくなったことや、その生徒が最近ついにやめてしまったことを思い返しつつの読書となった最終章など、感慨深いものがあった。静かな思索などは幻想であり、結局走りながら考えざるを得ないのだと、思い決めている人間にとってふさわしい読書だったかもしれない。 10/18  若い頃は競馬をやっていた。そのときの「競馬ニホン週報」の切り抜きが手元にある。切り抜いてあるのは、虫明亜呂無の連載「ときには馬から離れますが」だ。屋根裏から引っぱり出して読んでみた。古びた文章もあるが、古びずに今も色あせずに魅力を発揮している文章が多い。一部書き写してみる。  僕は連盟を出るところで、高島七段に、どうです一杯やってゆこうではないですか、と、誘われた。僕はまたしても、まずいな、と、思った。勝負に敗れた棋士と酒をのむのは、どう考えても辛かった。が、高島七段の顔をみていると、ここで断るのは、かえって失礼になると覚悟をきめた。僕らは棋士の人たちがよくゆくという連盟の近くの寿司屋に入った。夕暮れであった。  高島七段は、「これで、四月から八連敗です」と云った。僕は七段の最近の棋譜をいくつか思いだした。七段は攻めぬいているのだが、惜敗をくりかえしていた。「引っ越しとか、子供の進学のことがありましてね」と、七段は盃をほした。「スランプとはちがうのですな。スランプなら手の打ちようがある。が、そうでないだけにね…」と七段は云ったが、僕は七段の顔を見られなかった。目の前のすし屋の壁にかかげられた、とろろ山かけとか、つくりなどと書かれた短冊の文字を意味もなく、くりかえして口の中で読んでいた。「九州の奥を旅行してみたいです。二日か三日、じっとしていればよい。今日のような将棋が指せるようになったのは、目の前に光がさしてきた証拠です」七段は初対面の僕に、幾年もの知己にむかって語るように、七段の故郷の長崎の風俗や、食事や、女性のことなどを語った。語ることによって、七段の胸裡には、七段の心情を憩わす、何かが甦ってくるらしかった。僕は昔、通過したことのある諫早から大村湾の風景の印象を語った。「あそこは今、トンネルができてしまいましてね。時間が早くなったかわりに、海の風景はもう見られなくなりましたばってん」七段の言葉には、故郷の方言がまじりはじめていた。七段は雲仙旅行のたのしかった思い出を語りだした。僕は心中に熱いものがひろがりはじめた。「勝負師は辛いな」と、僕は思った。勝負の世界に生きる男の孤独とやりきれなさが僕を包んだ。僕は七段の語りがとだえたあいまを盗んで、肩で呼吸をして、沈みがちな気持ちを整えるのに意を配った。が、七段の一語一語は鋭い痛みをともなって、僕の体内に突き刺さっていた。「勝っても、負けても、人をうーんとうならせる将棋の指せるのは、一生の間でもせいぜい五年ではないですか?」と、七段は云った。そうかもしれない、と、僕はうなずいた。将棋が人間のイメージによってなりたつ世界のものだけに、人間のイメージ力には当然、限界が生じてしかるべきはずだった。その五年が、人間の一生のうち、はたして何歳の時に訪れてくるのか、と、僕は思った。─池水は濁りに濁り藤波の影もうつらず雨降りしきる─という短歌が思いだされた。「桜桃」の作者が自殺するときに書きのこしていった伊藤左千夫の作品である。人生のすべてに絶望していった最後に、藤の花が梅雨期の薄暗い鉛色の雨にうたれている光景だけが目の前に浮かんでくる。その花影さえも池の水には映っていないのである。僕は高島七段に別れを告げて、よろめくように寿司屋を出た。七段はもう少し飲むと云った。七段を一人にしておくのが礼儀だろう、と、僕は思った。勝負に生きる男が、対局に敗れたあと、ひとりで夕暮れの酒を飲んでいる。大阪暮色という雰囲気だった。  途中の段落はまったくない。このあと、映画の話になるが、略。「競馬ニホン週報」昭和五三年六月二四・二五号である。  実は、今日の私は会議で少し演説してきた後で、興奮気味だった。興奮を冷ますには格好の文章だった。 10/17 丸谷才一・山崎正和の対談集「半日の客 一夜の友」を読み終える。昨日の話に関連ある部分を写しておく。 山崎 (略)つかず離れずの人間関係が、やっと日本でも成立し始めたということでしょう。それはもちろん兼好にはあったし、江戸時代にもあったと思うんですね。狂歌の世界は、まさにつかず離れずだったと思う。  しかし明治以後の日本は、一方で工業化を進めたけれども、人間関係においては江戸時代以上に田舎者になってしまった。喧嘩をするか、べたべたにくっつくか、どっちかになった。若き小林秀雄の文学仲間がそうだったようですね。酔っていちゃつくか、兄貴分が弟分を苛める。(略)だから小林秀雄の友達っていうのは河上徹太郎を除いて、みんな縮み上がっている(笑)。 丸谷 唯一、縮み上がりながらも何とか自分の仕事をしたのが、大岡昇平でしょう。 山崎 彼らの世界では、きちんとした人間関係があったらだめなんですよ。壺でも小説でも何でもいいけれど、何かを見て、本物か偽物か言ってみろという世界でしょう。言えないとぼろくそに言われる、つまり骨董屋の親父さんと小僧さんの関係だ。彼らの登場で江戸時代にあったサロンというものが完全に潰されるんですね。 丸谷 野蛮な態度が尊敬すべきものだということになってしまった。僕は明治四十年以降の日本文学の指導的批評家は、正岡子規だというのが持論なんですが、正岡子規の『歌よみにに与ふる書』なんて、ほんとに野蛮なもんです。 山崎 それはすごい!(笑)  たぶん、急速な都市化、産業化を進める過程で余裕がなくなったんでしょう。明治時代に最後の抵抗として、サロンのようなものをつくろうとしてできたのがパンの会です。(略)これが解散したあと、日本に残ったのは二つの人間関係だけだと私は思う。  一つは組織。企業組織や政党があり、もう一つはさっきの若集宿風の党派。小林秀雄、青山二郎がやる旧制高校的雰囲気ですが、劇団や同人誌もそうだった。旧制高校にはリベラリズムがあるけれどこっちにはないからもっとひどいことになった。どちたにせよ、そういう二つの集団が戦後まで及んだと私は思っているわけです。  ところがこれはいかんと思った男がもう一人いた。文藝春秋にゴマをすれば(笑)、それが菊池寛だったわけです。 丸谷 確かにそうです。 山崎 菊池寛という人は、座談会という形式を日本に初めてつくったと言われていますが、同時に、文藝春秋社の中にサロンをつくろうとして失敗した。(略) 丸谷 それは、当時の文壇および文藝春秋一派というものの柄の悪さも影響しているんだなあ(笑)。菊池寛を現実面から見ると、いろいろな問題もある人ですが、理念を取り出して洗い清めてやると、彼はずいぶん近代的な人なんですね。 山崎 やはり、西欧的なサロン、江戸的なサロンが崩壊してどうしようもなくなったときに、それを補う形として座談会、対談を発明した、ということは大変なことだと思いますよ。  たまたま、ブックオフで買った二冊の本「貞操問答」と、「半日の客 一夜の友」がゆるやかな連関をなすことになってしまった。 10/16  丸谷才一と山崎正和の対談集、「半日の客 一夜の友」に次のようなくだりがある。 丸谷 『真珠夫人』の冒頭で、男女が小説論をやるでしょう。あんなことを男と女が議論するなんて現実が、あのころの日本にあったはずはない。でも、菊池寛は書いた。それからずっとあと、『武蔵野夫人』の中に姦通論がある。おそらく、大岡(昇平)さんがあの小説を書いた時点でもまだ、そういう現実は、なかったと思いますね。 山崎 なかったでしょうね。 丸谷 でも、今だったら男と女があの程度の議論をする市民生活はあるんじゃないかしら。ずいぶん事情は違ってきたんですよ。(略)  森鴎外だったと思うが、漱石の小説について、男女があんな会話をするだろうか、と疑問を呈しているが、現実には存在しないけれども、存在しなければならない場景、存在してほしい場景、として描写を進めて行くということはあり得るし、断固としてやらねばならないようだ。菊池寛はそうしたことをやってのけた作家といえる。  最近、「貞操問答」を読み終えた。ここでも菊池寛は、末娘の美和子に現実にはあり得なかっただろう議論をさせて、姉の新子の不倫を正当化し、姉に対しても、不倫相手に対してもその恋の後押しをしている。私は、似たような性格設定の「細雪」の末娘のたどる物寂しい結末、と比較して賛嘆せずにいられなかった。すくなくとも、女性に対する健全な見方という点では、菊池寛は谷崎に優ると思った。  今、健全という言葉を使ったが、丸谷・山崎の議論によると、菊池寛は日本の中に常識あるサロンを形成せしめようとした人、となる。このばあい、常識という言葉は、日本的に知的範囲の制限された用語ではなく、哲学も、趣味・道楽も、イデオロギーさえ含んだ開けた知的展望を与えるものとなる。  ふと、このような常識がもし今の日本に存在するなら、川柳という文芸は大変恩恵をこうむるのではないかと、思ったことだった。そうすると、番傘のとある作家の作った、  御遺族と言われ遺族かと思う と、小池正博の句  割礼は済んだ 羽毛を着せてやる と、樋口由紀子の句  肉体は片づけられた紅葉狩り と、筒井祥文の句  弁当を砂漠へ取りに行ったまま 等々が一同に会する地点があることになるからだ。 10/15  立花隆がインタビューの秘訣を語ったことがある。それによると、インタビューする人物の年表を作り、その年表をじっと見つめる。そのうちに、彼の経歴の空白部分が浮かび上がってくる。インタビューするときに、空白部分を重点的に訊ねるようにするとうまくいくそうだ。  これを、現在のいろいろな人物にあてはめてみる。中日の落合は大学野球をやめて、プロボウラーを目指した頃であろうし、日本ハムの新庄は、タイガースの頃に自分は野球にむいていないと退団騒動を起こした頃になるだろう。  桃井かおりは、かつて夏目雅子と一人の男を巡って恋の駆け引きをやった頃のことを、和田勉のインタビューでしみじみと語ったことがある。私はたまたま週刊誌上で読み、非常に感慨深かったことをおぼえている。芸能の分野では、ごくまれにそうしたインタビューが行われているようだが、スポーツの分野ではあまりそうしたインタビュー記事は見たことがない。  スポーツの分野で、立花隆のインタビュー理論に近いことをやった人物として思い起こすのは、虫明亜呂無である。ただし、彼の場合、空白部分は相手ではなく、自分自身の経歴の中にある。彼の文章は華麗かつパセティックなものではあるが、核のところに戦前の職業野球のわびしい観客席にいた体験が横たわっている。モハメッド・アリと猪木の試合の翌日のスポーツ新聞で、丸一日をかけて行われるローマの決闘場での戦いにたとえて、その意味を正確に読みとれたのもそうした体験のたまものであっただろう。  話はころころ変わる。この虫明亜呂無と文章の味わいが近いものとして、色川武大の寄席芸人にまつわるエッセイがあげられる。彼の文章も今は亡き寄席芸人のあれこれを、戦前・戦争中のわびしい観客席を体験した者として、めんめんと綴っていることに特徴がある。坂口安吾のエッセイとあわせてみると、非常に面白い。  さて、こうした彼のエッセイを文庫本で呼んで、文庫の解説に至ったときに井上ひさしの文章にぶつかった。井上ひさしはストリップ小屋の座付き作者として、寄席芸人を裏から見た体験を持ち、色川武大の文章に感ずる違和感を正直に述べている。観客と裏方の違いだろう。  話は元に戻る。どんな分野でも良い。観客と裏方を併せ持つインタビューアーが、当事者の空白部分を聞き出すインタビューをしてくれないか。たまにそんな記事を、週刊誌などで読みたい。思わぬ時間、思わぬ場所で。そんな願いを持ちつつ、街中でコーヒーを飲むことも楽しいが、その願いは滅多に叶わない。 10/14  昨日飲み過ぎのせいか、早々と寝て早々と起きてしまった。夜明けまで時間がありそうなので、気になっていたことを書くことにする。  『一言絶句』(永六輔.選)、光文社から1997年に発行された。マガジンハウスの雑誌「鳩よ!」に連載されたものらしい。自由律よりも自由、とうたっているだけに57調・75調に縛られないさまざまの短詩が並べられ、読むたびにうなってしまうものがあちこちにある。  この本が出てから後、光文社の雑誌「宝石」に連載されたものを目にしたことがあるが、並べられている短詩に力がなくなった気配があった。場としての雑誌の力の違い、選者の変更などがその理由として考えられる。いずれにしろ、この本の力の源は選者永六輔にあるだろう。  以下、適当に拾い出してみると、 自分を覗く 宇宙を覗く 宇宙を覗く 自分を覗く        (田平敏夫) 日替わりランチを頼まぬ自己主張    (長谷川誠二) 無名の私が世界にものを言ふ      (沢江京治) 大きなクズ入れがあったので入ってみた (向井悟) 無駄な抵抗はやめない         (木村きょう子) 「完全」には「不完全」が欠けている  (堤由子) バカもやすみやすみYeah!     (井村浩司) 心が無政府状態の政治家        (相沢茂樹) 論より証拠隠滅            (榊田暁子) 「一人」と「独り」は似ているようで赤の他人 (葛和ひでこ) 殿下の放蕩              (井口裕之) 第一章(本文では、一幕)だけで、結構な量になった。とりあえずここまで。一幕の扉に書かれている文がまた泣かせる。 兄ちゃん気取ってても しようがないよ 気取ってるうちに 人生終わっちゃうよ          (新宿のポン引き) 10/13  息子の学校の美術の先生が、家に来ている。昨年も参加したコンクールに出す、作品をどれにするかの相談だ。昨年、たまたま入賞したので入選作の展示会場に足を運んだが、息子以外の作品は具象性に富んだ作品ばかりだった。一作だけ傾向が違うので、面食らった思い出がある。  入賞作品と傾向が違うのが分かりつつ出品するだけに、どれがよいのか、選定作業にも熱が入るようだ。今、階下でしきりに相談している声がPC入力中のここまで聞こえる。  十ほどの絵を並べたり秋灯下 10/12  詰将棋の最長手順の記録がどうなっているのかを調べてみると、依然として、1986年の「ミクロコスモス」(橋本孝治.作)が最長だった。1525手詰である。1755年に611手詰が発表され、1955年に875手詰と、200年間、記録が更新されなかったのに、1980年代にブレークスルーがやってきた。しかし、その後20年に記録更新はなかった模様。  連続的に手数が伸びて行くわけではなく、ある時期に飛躍的に手数が伸びて、また停滞期がやってくる。  時間の流れは均一で、変化は連続的に起こると無意識に思ってしまうが、そうではない事例も多い。古生物学では、時間の不連続を「断続平衡進化説」と呼び慣わす。種の進化は、連続的に起こるのではなく、ある時期に突然爆発的に起こるという説だ。十分留意すべき説だろう。 10/11  垂人五号には、吉澤久良の「樋口由紀子論」がある。セレクション柳人「樋口由紀子句集」をもとに、今の川柳が<思い>を書く句からいかに脱却し、どこを目指そうとしているかを論じた力作である。  私自身は、樋口由紀子の句にどこかしら違和感があり、吉澤久良のいうことは分かるのだが、なんとなく遠くで鳴る半鐘のような気分が抜けきれない。例句として上げられている、 哲学は桃の缶詰開けるとき わたくしの生まれたときのホッチキス 最後には農夫の使うもの使う などに、どうしてもぬぐいきれない気持ち悪さがある。  翻って、どこが気持ち悪いかを考えると、どうも句の中に置かれている事物が必然性を伴っていないことにあるようだ。桃の缶詰、ホッチキス、農夫の使うもの。これらはなぜ、鯖缶、ドライバー、漁師の使うもの、ではないのか、という必然性はどうもないようなのだ。語句は必然性よりも、偶然性にゆだねられている。語句は偶然性を伴うことにより、軽快な速度を持つのだろうが、その代償も大きい。  吉澤論では、樋口由紀子の現在は、「見えないもの」を見ようとする句に代表されるのだが、例句の となりでは叔母が光っている真昼 訃の届く場所まで縁台を出す 実在の紙芝居屋は飴を売る では、一句目、三句目では「光っている」と「実在の」が説明におわり、二句目では「場所」が決まらない。  おそらく、旧来の川柳の文体を採用すれば、これらは解決してしまうだろうが、吉澤論では触れられていない、川柳の文体の更新を同時並行して行なうための試行により、句意がうまく定まらないのだろうと推測している。  いずれにしろ、一読に値する論である。 10/10 一気呵成作成五首 こちらが変わったから相手が変わったという認識はないのだろう多分 EイコールMC二乗夜長には亡き父育てた半島思う 黒い噂封じるごとくあれあれよ瞬く間にも事態は変わる 南米の大統領は勇敢に北米の人をこきおろしたり もしもとは禁句ゴア氏の花衣 我が旧作をしばし反芻 10/9  母の傘寿の祝いは、須磨一泊、次の日は淡路にわたることになった。夢舞台というところに行った。  そこのホテルは、あるサッカー選手が泊まったことで有名になったらしい。ホテルに続く、メインの建造物はコンクリートの打ちっ放し。  兵庫県の公共の建造物は、あちこちにコンクリートの打ちっ放しが目に付くようになった。設計のねらいそのものはよいとしても、ちょっと多すぎる印象がある。一つ一つのプロジェクトが最善だとしても、他への目配りがきいていないようだ。  場所は、関西国際空港の埋め立てに使った土砂採石の跡地。植林後十年で、なんとか緑の景観を取り戻しつつある。建物の最上階から、神戸、阪神の本州側が一望でき、船が点在するのどかな見晴らしを堪能できる。対岸からバスなら、一人五百円で来ることができるが、マイカーとなると、橋をわたる値段がはねあがる。三連休の真ん中にしては、観光客は少ない。  鳶すでに八回り過ぎぬ秋の潮 10/7 野暮用 これより外出。帰りは明日の予定。  西または北のコスモスへと行くか 10/6  中西ひろ美さんから、「垂人5」が届いた。目に付いた作品をひろい出しておく。 メンタムで治るさまるで原野だもの(広瀬ちえみ) 荒地野菊を最後に産みしものとせり(中西ひろ美) 昭和から未来までおそらく秋刀魚(大沢然) 炎暑一木に名を負わせる金属光(牧冬流) 麦秋におぼれて杭となりにけり(安達みなみ) 水中花身を細くして沈みゆく(かも) セザンヌにならい秋刀魚を裏返す(矢本大雪) 10/5  国体の関係で夏休みを早く切り上げて、この期間を秋休みとしていたが、それも今日で終わり。始まる前は、勇んで年休を取り、どの方面へ旅行しようかと考えていたが、蓋を開けてみると病院通いで終わってしまった。たまっている原稿を早く済ませればよいのだが、足が痛いと座るのが難しく、なかなかはかどらない。  休みで家にいる日は、掃除と料理が習慣になっているので、連日夕食は何にしようかと考え込んでいるような時間を過ごした。返って読書時間は減るようだ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「不完全性定理」のところで、もうひとつポイントを書き落としていた。数学で前提から証明にたどりつくまでの論理の連鎖を、一つの数字で表せるという方法論はゲーデルから始まるようだ。その後チューリングマシン、フォン・ノイマンのコンピュータ理論と受け継がれて、現在のコンピュータ社会に至る。  別の本で読んだことだが、ゲーデルの不完全性定理をコンピュータを使って表すと以下のようになる。  とある数学上の命題は、コンピュータのプログラムとしてコンピュータに計算させることが出来る。その命題が正しければ、コンピュータは有限時間内に計算を終えて、答を出す。逆に、命題が間違っていれば、計算は有限時間内に終わらず、無限に続く。  「不完全性定理」の主張するところは、有限で終わるのか、無限に続くのかが分からない命題が必ずあるということのようだ。プログラムを実行させてみると、コンピュータが延々と計算を続けるが、その計算がある時突然終わって答が出るのか、無限に計算が続くのか、まったくわからない、というのだ。もし、そう言う状況で待っている人を想像すると、心細いだろうと思う。  また、コンピューターのプログラムは一つの数としてあらわせ、数全体は一本の直線で表せるので、数直線をたどっていけばすべてのコンピュータプログラムをたどっていくことになる。調べてみると、数直線のいたるところに、真偽のはっきりしない、有限で終わるのか無限に続くのかがはっきりしないコンピュータプログラムがあるとのこと。  「不完全性定理」というと、何か深遠な印象を持つが、それを体現する命題自体はどこにでも転がっているらしい。 10/4  病院の帰り道も三日目となり、真っ直ぐ帰るのもあほらしくなった。ブックオフに寄り、読むかどうか分からない本を大量購入。菊池寛など、「真珠夫人」だけで十分なのに「貞操問答」など読む時間があるのだろうか?  ひょっとしてあればと思ったが、経済物理学の入門書はなし。普通の古本屋のように、おやこんなところにこんな本が、という楽しみはない。ひたすら、安ければ買うという方針で買い込んだところ、傷持つ足に負担がかかるほどの重量になっていた。どのみち、タクシーで帰ることになるからいいんだが。 10/3  省線、国鉄、JRと名前は変わっていったが、「マンボウ」という言い方は変わらなかったようだ。魚とは関係がない。線路の土手の下にくりぬかれた小さなトンネルのことだ。語源はオランダ語の「マンプウ」が訛った、と聞いていたが、オランダ語にそんな言葉はない、とも聞いて訳が分からなくなっている。  「細雪」に登場したことで、この名で定着している。足の調子がよくなるにつれ、こんなどうでもいいことを思い出した。 10/2  アテローム(粉瘤)というものができたようだ。今回で何回目だろうか。化膿すると、医者に行くわけだが、歩行に支障をきたしたのは初めてだ。切開して膿を出し、なんとか痛みは治まった。昨日の夜、寝ている最中にも痛みがあり、患部を床につけられない。寝返りも打てず、寝にくかった。足があんまり痛むので、妙なことが気にかかった。  「細雪」で脱疽になって死ぬ男が出てくる。板倉という名だったようだ。三女の妙子と恋仲になる割には、登場してから死ぬまでがあっという間という印象がある。作者は、何であんなに唐突に死なせたのだろうか?足がじんじん痛むたびに、そんなことが繰り返し思い出された。  タイムトンネル写真屋のモダニズム 10/1  ふくら脛に腫れ。また、できもののようだ。歩くのも困難。明日は医者に行こう。  秋雨や静座というはむずかしき