11/30  ラジオのことを考えていると、中村雄二郎の「共通感覚論」を思い出した。ヨーロッパ中世は説教・教会音楽を核とする聴覚優先の文化であったが、グーテンベルクの印刷技術以降は視覚優先の文化になった、というような趣旨の一節があったと記憶する。  歴史は繰り返すのか、ラジオからテレビへの変遷も聴覚依存から視覚依存への切り替えと見ることが出来る。団塊の世代以降を、幼年時からテレビのあった世代ととらえることで、世代論を語ることも出来ようが、あまり興味は湧かない。  それよりも、携帯電話の使用方法が通話中心から、メール中心に変わったことも聴覚から視覚への変遷とみることができようから、聴覚から視覚へという流れには普遍的な法則があるのではないかと、考察をそちらへ向けた方が御利益がありそうだ。  最近読んだ、アンドリュー・パーカー「眼の誕生」も、生物の進化にとって眼の誕生がいかに大事件だったかを論じるものだった。パーカーは論じていないが、眼の誕生に先立って耳が誕生していたことは間違いがない。視覚よりも聴覚の方が古いはずだ。  視覚文化が花開く前に、短いあだ花のように聴覚文化があることは決して偶然ではないだろう。 11/29  週末の風邪で見逃した映画が二本。一つは昭和天皇を描いた「太陽」、もう一本は「チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター」。「踊るマハラジャ」のラジニカーントが主演した映画といえば、大体見当がつくだろう。  インドは、今すごい勢いで変わっているようだ。テレビの普及などで、大型娯楽映画もすぐに斜陽産業になるかもしれない。見るなら今のうちなのだが…。  三本立て映画館跡しぐれけり 11/28  屋根裏に扇風機をしまうときに、ジル・ドゥルーズ「スピノザ」を見つけた。十年以上前に買って読まずにおいた本だ。昨日から、ぼちぼちと読み出している。ユダヤ・カソリック・プロテスタントと全ての宗教組織から排斥され、無神論と罵られた彼の考えの根底にあったものは何か?著者の分析も鮮やかで、なかなか面白い。 11/27  風邪で頭が働かないまま、とんでもないことをやってしまった。動きの悪いPCを少しでも動くように、不要なソフトを削除しているうちにインターネットに接続できなくなった。回復には手間取りそうだ。メールは使えない。回復明けはジャンクメールに埋まっているだろう。しばらく日記の更新は遅くなる。  今のところ、風邪の方は出勤できる程度には回復している。このまま直ってほしい。 11/25  昨日までの反動で風邪が悪化した。朝から寝たり起きたりを繰り返している。今日一日で治ればよいが。  うどん熱し切れ切れに寝て咳もして 11/24  橋本治「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」を読了。福田定良と並び、参考文献なしの著作物をものに出来る希有の存在。東浩紀もいいが、こちらの方が趣味には合う。 11/24  BBQ大会の準備をしているうち、書く前に日付が変わってしまった。煮豚はラードを除くと目減りした。3.3kgか。おにぎり30個を握り、最後はゆで卵30個。煮豚の煮汁につけるとうまいそうだ。その他の、野菜・肉は、生徒等が手配しているはず。あとは雨だけ。  夜寒かなぐしゃぐしゃに剥く茹で卵 11/22  うっかり、受信メールの束を消してしまった。いったいどんなメールがあったのやら。ま、しょうがない。  原因は、3.5kgの煮豚を作りつつの、ながら操作。明後日のBBQ大会にそなえての調理だったが、一度に二つのことをやると、最近は失敗が多い。年齢を感じる。  豚煮ればメールが消える夜長かな 11/21  ちょっと読んでは休憩、また読み継ぐというパターンに陥りがちなのが橋本治。今日読んだところに、デパートはよそゆきを着て行くところだったと書いてあり、ああそうだった、と思い出した。  理由はないのだが、  ぬぎすててうちが一番よいといふ(岸本水府) は、デパート帰りだと勝手に思いこんでいた。思えば、  幾千代も散るは美し明日は三越(攝津幸彦) も、よそゆきを着て行くデパートが舞台だ。 次の句は、勝手にスーパーマーケットの句だと思っている。  ラップごしだから戦争はなめらか(倉本朝世) コンビニの句は思いつかない。 11/20  寒くなると、寝る前の儀式が増えてかなわない。風邪予防のうがい、ヒビ・アカギレ予防の手足のクリーム、髭剃り、歯磨き、夜遅く返ったときは、食器洗いと米研ぎとやたらとやることが多い。今日も帰りが遅くなったが、すでに米が研いであった。ラッキー!  念入りの就眠儀式夜寒かな 11/19 句会浄土  本日も句会。先週留守番続きだったお返しをしているようだ。健康のためには、少し山歩きを増やした方がよいのだが…。  タクシーの運ちゃんに聞く小夜時雨 11/18  仕事を離れ、句会モードの一日。森田智子代表「樫」の句会に出た。昨日の夜から兼題にかかり、十句を何とか仕上げたが、出来はもう一つ。結局、他人様の句を選する方に熱が入り、よく喋った。  実南天マークカードを埋めゆく  帰りの車中はほとんど寝ていた。なんとか乗り過ごさずに帰れた。 11/17  世の中から遠く離れているなと、思う瞬間がある。私の場合は、ワードの添付書類が送られてきたときだ。メールを受け取るコンピュータにはワードを入れていないのだ。来た添付書類を一端保存してから、他のコンピュータで見る。そのコンピュータにはプリンタが付いていないので、印刷するときは、さらにHTML形式などに落としてから元ののコンピュータで印刷する。  そんなことをせずとも、さっさとワードを入れれば良いではないかと思うかもしれないが、できるだけマイクロソフト文化とは距離を置いておきたい気分があるのだ。陶淵明の詩に、あなたも隠遁をやめて世に出たらどうだ、と誘われたときの状況をもとにしたものがあるが、ちょっと似ているかもしれない。  いずれにしろ、マイクロソフトは儲けすぎている。 11/16 寝床至近距離  帰宅十時半。いささか眠い。  星の冴え耳に棲む音押し寄せる 11/15  東浩紀「郵便的不安たち#」の一部に触発されて、「五七五定型」の散文を書ききったが、その後残りの部分をなかなか読み切れない。頭の良い人が書いた文章なので、わかりやすいのだが、読む方の気分が乗らない。なぜ気分が乗らないかは、だいたい分かっているから、刻苦勉励して読破しようという気にはならない。そこで、嵐山光三郎「古本買い十八番勝負」とか、野地秩嘉「エッシャーに魅せられた男たち」など漫然と読んでは、東浩紀に戻ることを繰り返している。  野地本の解説は、とある将棋の強い人が書いている。将棋が強くて、文章が素晴らしいとやりきれないところだが、幸いにも文章はもう一つだった。そういえば、同じく将棋の強い大山康晴も文章はもう一つだった。将棋の強い人の秘密を、その人自身が文章で解き明かすのは難しいようだ。大山の強さの秘密は河口俊彦七段の「大山康晴の晩節」に余すところなく書かれた。とある将棋が強い人の秘密は、将来誰がどのような形で書くことになるのか? 11/14 虹色円盤焼結作業  久しぶりに、CDを焼いた。劇に必要なナレーションを録音して、CDにしておく作業だ。前の学校では、しょっちゅうやっていたのだが、久しぶりにやると勝手が違い時間がやたらとかかった。おまけに焼いたCDの音が鳴らない。家に帰ってからかけてみると、鳴り出した。テスト用に使ったCDプレーヤーがおかしかったようだ。  使わないマニュアルが錆び付くというのは、ミーム論にはぴったりの論点ではある。 11/13  担任をしているときには避け得ない恒例行事が始まった。文化祭準備の居残りである。劇をやることになっているが、うまくいくのだろうか?今日は、生徒が十五人ほど居残った。これがあと10日ほど続く。私の出番もあって、コントをやれと言う。できるわけないやろう。  黙って聞けば無理難題や赤とんぼ 11/12  午後から、愚息と一緒に博物館に行く。「オルセー美術館展」は一杯の人。人の頭越しに見るだけで何が何やら分からない。常設の展示を中心に見る。考古学的出土品から異人館まで。南蛮美術コレクションは展示されていなかった。  江戸時代の展示に、鎖国時代の日本は四つの窓から外に対して開かれていた、と書かれている。オランダ・中国に対して、長崎出島。朝鮮に対して、対馬藩。アイヌに対して松前藩。琉球に対して、島津藩。四つを等値で並べるやり方が意表をつかれた。 11/11  配愚う者は一泊旅行。愚息は学校の催し物へ。私は午前、クラブの付き添い。午後、帰宅して、昼食。その後何もせず。  夕刻、愚息が帰還。適当に夕食を作る。  本当に何もしない一日だった。  一点差負け見届けて紅葉かな 11/10  「五七五定型」に長い文章を書いて以降、腑抜けになっているようだ。書いていても、頭が働かないまま書いている。しばらくはテンションの低いままとなる。以下の余白に一端書いた句も消した。  11/8  創立記念日で休校。出勤しても良いが、停電のため仕事にならず。休暇を取り、金もないので、久しぶりの山歩き。といっても、ほとんど平坦な道を歩くので、里歩きと言った方が実態に近い。終日快晴。  田は禾魯(ひつじ)の状態だった。この字、ユニコードにはあるが、JISコードの二文字で表しておく。肥料をやる時期らしく、けっこう匂う。途中、鳶が鴉に追われるのをじっと見た。鴉は追いかけるが、つついたりはしていないようだ。制空権があるらしく、追っ払うとそれ以上深追いはしなかった。えんえん七時間歩き続けた。足が痛い。 11/7 17:53 作業中断休憩中  まだ、仕事場にいる。明日、停電で仕事ができないのでどうしても今日中にやらねばならない。まだ、半分。ふー。 11/6  昨日の夕刻から、代休だった今日の日中一杯を使って小池正博との二人誌「五七五定型」の散文原稿を仕上げた。一〇頁の予定が九頁半になったが、私の書いた原稿の中では一番長い。  あれも書こう、これも書こうと思いながら、書いているうちに論理展開に振り落とされて、あれもこれも書けなくなる。しょうがないから別の話題を引っ張ってきて書き足し、なんとか帳尻を合わせた感じ。  予定していた寺田寅彦論は書かずじまい。もう少しこれは考えてみよう。 11/5  本日も普通の日記。  7時起床。愚息のマラソン大会の付き添いで、7時50分出発。8時45分着。9時開会式。9時半から愚息らはコースの下見。3kmを走る。10時過ぎ出発。12,3分で戻ってきた。去年より速くなっている。ようやるわ。  15時、家に戻る。以降、当方は原稿書き。18時夕食の準備。19時夕食。皿洗い。20時半。配愚う者戻ってくる。おかえりなさい。  前傾とうつむくの差異草の花 11/4 たまに日記らしい日記を書いてみよう。  午前7時半起床。朝食、豆を挽いてブルーマウンテンブレンド二杯、ヨーグルト、パン一個。朝食後、皿洗いと掃除。葉書一枚を書く。  午前11時、句会場へ向かう。明石へ行くという家族の車に同乗し、湊川神社まで送ってもらう。道が渋滞して、かえって時間がかかる。句会場着午後一時ちょうど。何とか間に合う。句会は言いたい放題のことをしゃべる。  句会後、句会場近くの喫茶店で珈琲。ここでも、言いたい放題。最後は頭の中が空っぽ。帰路の電車は眠る。もう着いたかと電車を降りれば、乗り換えるべき駅の手前。ちょっと寄り道と、ホームを出て本屋に寄る。収穫なし。小腹減り、うどん。午後九時帰宅。明石の土産の穴子飯がテーブルにあり。明朝食べることにする。 11/3  日中は出勤。夕刻から配愚う者が不在となるので、帰宅後に料理。適当にやるので同じものを作っても毎回味が違う。今日は、半額のステーキを買ってきて焼いた。うまかった。塩こしょうの加減がきまったようだ。  靴下のようなステーキ秋の暮 11/2  進行性筋ジストロフィーの生徒を教えていた頃にくらべると、今そうした病状の人の寿命は延びている。別に新しい治療法や特効薬が出来たわけではない。看護法が発達したのだ。  進行性筋ジストロフィーの症状は足の筋肉が衰えることから始まり、筋肉の衰えは徐々に身体を上昇、ついに呼吸するための筋肉が衰えて死に至る。かつては、風邪などを引いたときに、筋肉が衰えているため痰が吐き出せず呼吸困難で死ぬことが多かった。現在、気管を切開して痰を強制的に吐き出す装置をつけることで寿命がかなり延びた印象がある。たまに、かつての生徒の病室に出かけると彼の喉にそうした装置がつけられて、看護士さんが定期的にたまった痰を取りにくるのをよく見かける。  昨日書いた日記でそうしたことを思い出したのだが、もし正岡子規の時代にそうした看護法があれば、正岡子規の寿命はどこまで延びただろうかと、そんな想像をしてみた。彼の絶句からすると、痰を取り除くことが出来たならまだまだ生きていることが出来たのではないか、などと思いたくなるのだが。獺祭忌に思い出していれば良かったのだが、なかなかタイミング良くは書けないものである。