2006年12月01日  −−−蛙の足の筋肉をむき出しにして、そこに二種類の金属を触れさせると蛙の足が痙攣を起こす。この現象の発見者である、ガルバーニは蛙に電気が蓄えられていると考えて、この現象を説明しようとした。ボルタは二種類の金属の側に電圧が生じると考えて、ボルタ電池の発明に至った。  ボルタ電池の発明以降、生物の側に電気が蓄えられている、と考える考え方は退けられたが、ガルバーニは辛抱強く実験を続け、ついに蛙の足に蓄えられた電気を検証した。しかし、その実験報告は、ボルタの輝かしい成功に隠れてあまり顧みられなかった。  時代が下りデンキウナギなどの存在が明確になるにつれて、ガルバーニは生物電気の発見者として記憶されるようになった。  小学生の頃に読んだ科学史の読み物に書いてあった話だが、微弱な電流を測定する検流計のことをガルバーニの名をつけてガルバノメーターということからしても、実際にあった話なのだろう。この話、成功しなかったパラダイムの後日譚として、いつも考えさせられる。だめだと周りから烙印を押された考え方でも、本人が見込みがあると考える限り、その考え方を押し進めるべきなのだろう。 2006年12月02日  久しぶりに日経サイエンスを真面目に読む。光の三原色に頼らないカラー映像、超新星、エッシャー、地球温暖化による大量絶滅原因説(隕石による大量絶滅よりも頻度は多いらしい)など大漁だった。  ゴア元副大統領出演のドキュメンタリー映画「不都合な真実」の紹介記事に、映画評論家エバート(Roger Ebert)の名があり、なつかしかった。若い頃、9ヶ月ほどシカゴにいたことがある。その時によく聞いた名だ。たしか映画評論家として初めてピューリッツァー賞を受けたはずだ。そのころは、週末にどの映画を見るか彼の星を参考にしていた。言葉がよく分からないのに、字幕のない映画を見ていたものだ。もっとも、フランス語の映画で英語の字幕が出てくるのはもっと困ったが。  今やすっかり横文字は、見ざる・聞かざる・言わざるになった。翻訳家の皆さんには頑張ってもらいたい。 2006年12月04日 風邪のぶり返しで少々苦しい。昨日は日記の更新を休んだ。本日も、書くのはちょっとしんどい。たまたま、手元に未発表の文章がある。小池正博との二人誌『五七五定型』に載せようと書き始めた文章だが、寺田寅彦が言った「『歳時記』は日本人の感性のインデックスである」の限界を論じようと書き始めた割には、そこまでの道のりが遠いと、最後の結論に至るのを断念した文章でもある。昨日小池正博から受け取った『五七五定型』発行記念になるかもしれない。以下に、その文章を示す。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  寺田寅彦は高名な物理学者であり、一般読者向けのエッセイでも高名であるが、そのエッセイの中には今日の科学的な事実と異なる見解を披露しているものも少なくはない。はたして、彼の見解が妥当であるかどうかは彼のエッセイを検討すると同時に今日の科学的事実を詳細に点検せねばならない。やや時間のかかる作業であると同時に、最終的な判断を下すにも慎重な考慮が必要である。  寺田寅彦は、『トンビに油揚』なるエッセイの中で、飛翔中のトンビが地上の餌を見つけ出すのに用いているのは視力ではなく、嗅覚であろうという推論を立てている。  まず視力に頼るのではないと言うことを証明するために、トンビの餌となるべき地上のネズミなどの死骸がトンビの目の中の網膜上でどれほどの大きさになるかを推論している。この議論は、そのままレンズの公式の演習問題として通用するような鮮やかさを有している。そして、その大きさが光の波長よりも短く、原理的に網膜上でネズミほどの大きさのものは知覚し得ないと結論している。  次に、トンビが飛翔中の上昇気流の特性を論じ上昇気流が地上のネズミなどの死骸の腐臭を運び得ると推論している。この上昇気流の特性については、2002年5月に出版された集英社新書『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(松本哉)でも、東京タワー建設時にとび職が地上の家からのサンマの焼く臭いが作業中に臭ってきたとの体験があったと報告し、この件の傍証を得ている。  寺田寅彦はもちろんそのようなことがあるとは知らないのだが、上昇気流にそのような特性があることを見抜き、トンビの餌探しと結びつけたのである。  さて、最終的な問題はトンビがネズミの腐臭に反応するだけの嗅覚をもっているかである。ところが、鳥類の嗅覚を調べる動物実験の結果からは鳥類の嗅覚について否定的な結果しか得られていない。紙で覆っただけで腐肉に反応しないとの報告もある。  一般に鳥類は嗅覚だけでなく味覚も比較的鈍感なようである。唐辛子は辛いので味覚に敏感なほ乳類は食べるのを敬遠する。ところが味覚に鈍感な鳥類は辛さを感じないのでよく食べる。唐辛子の種はほ乳類の臼歯ですりつぶされやすいのだが、臼歯をもたない鳥に食べられれば、好都合で次の世代を拡張できる。  閑話休題、寺田寅彦は自説に固執し、動物学者にさらに詳細な実験を要求してエッセイを閉めるのだが、トンビを見てみると、どんな風の時にも飛んでいるように見える。果たしてそんなに都合の良い上昇気流がいつもあるのだろうか。  今日、トンビの視力・嗅覚についてどの程度のことがわかっているのだろうか。嗅覚についてはついにわからなかったが、視力についてはある程度の情報が得られた。それによると、トンビの視力は8.0程度になるらしい。人間の視力が1.0〜2.0であるから相当に目がよいことになる。  トンビの視力を8.0程度とすると、飛翔中のトンビはネズミの死骸の大きさを十分認識できることになる(計算結果省略)。しかし、トンビの網膜に映るネズミの死骸の大きさは、寺田寅彦の計算では原理的に知覚し得ない。その計算過程は、そのまま演習問題になるほど見事である。この矛盾はどこにあるのだろうか。  寺田寅彦は、網膜上のネズミの大きさは光の波長より小さいとした。そのとき、光の代表格として取り上げたのが黄色光である。確かに可視光の代表格として黄色光はよく取り上げられるが、それは人間の視覚を前提としての話であった。トンビの視力においては、紫外線の領域の光も感知するとの結果が最近得られている。紫外線領域の光の波長は黄色光の波長よりも短く、十分トンビの網膜上のネズミの大きさを知覚し得る。  以上のことから、寺田寅彦『トンビに油揚』における彼の推論は最終的には成り立たないとの結論が得られた。ただ、寺田寅彦は、煙草の煙がスーッと立ち上っていくような、ある種の上昇気流の特性に非常なる興味を持ち、その例を探していてトンビに登場してもらったと思われるところがある。彼の本当の興味は、トンビではなく、上昇気流の方にあったと考えるべきだろう。上昇気流の例としては、現在、地球科学においてホットスポットなる現象が知られている。現在、寺田寅彦が生きていれば、トンビではなくそちらを論じたであろう。早すぎた天才の悲劇というべきかもしれない。 2006年12月06日  風邪でメールチェックをサボった。そんな時ほど、必要なメールが来ていたりする。小池さんからメール。「五七五定型」の発送順調に進んでいるようだ。私もやらないといけないのだが、体がいうことをきかない。もう少し休ませてもらおう。  冬夕焼からどっとジャンクメール 2006年12月07日  ここ数日は九時間の睡眠。風邪の治り具合が遅い。体感では、あともう少し。冷蔵庫の缶ビールは減らないまま。今日も早く寝よう。寝床で本を読みすぎないようにしよう。  七日八日九日十日師走かな 2006年12月08日 早朝妄想  朝起きたときから、風邪は徐々に遠のいて行った。遠のいて行ったのだが、頭の中は熱にうなされるように普段は滅多に考えないことをいろいろと考えた。よくこれだけ、脈絡なく次から次へと出てくるなと考えながらあきれていた。思い出すまま、書いてみると、  「奥の細道」は、なんで散文詩と呼ばれないのだろう?  遊女の話のように、ノンフィクションの意識がないのは確かだ。  「野ざらし紀行」の捨て子の話も、作り物のようや。  あれは捨て子をにぎりめし一つで見捨てる話やったが、  藤原新也の「東京漂流」には、  インドで見かけた行き倒れを助けようとした話があったなあ。  行き倒れをインドの人は誰も助けようとしないので、  見かねた藤原新也が、行き倒れの口元へ  買い求めた牛乳をそそいでみたんやったなあ。  彼は奇跡を夢見たんやが、  衰弱した体には牛乳は返って合わず  死期を早めただけやった。  藤原新也は、死を知らない日本人と  自分を責めてたなあ。  そういえば、インドの紙芝居をやるHさんが  インドで見た火葬のこと話していたなあ。  薪の上にトタンを敷いて  その上で死体を焼くだけやと  写真を見せてくれたなあ。  焼き始めるとカサカサやった死体の  脂が表面に出てきて、てらてらと光り出すんだと  死んだおじいちゃんが  みんなに最後の挨拶をしているようやで、と  奇跡を見ているようやで、と  話してたなあ  ときには、死体がトタンからぴょこっと起きあがって  本当に挨拶しているように見えることもあると  そんなことも話していたなあ。  あ、もう職場に着いた。  この話はもう忘れよう。 ちょっと、行分けの詩っぽくなったが、できるだけ朝感じた気分を再現しようとしたらこうなっただけで他意はない。 2006年12月09日  「淑気」という季語は大嫌いだが、元日は無視できない。ということで、年賀状印刷をした。問題はそのあとの宛名書きの方。現在のところものすごい勢いで喪中葉書が舞い込んできている。これを外してから、宛名のラベル印刷にかかるので、出来上がりは遅くなるだろう。  ここ数年は二百枚を越える印刷枚数。ちょっと前まで、年賀状書きを元日にやっていたが、今それをやると間に合いそうもない。元日も一年の普通の日と変わらないと見なして、フル稼働すれば元日でも印刷は出来るだろうが、無理だろう。  雨の日の印刷の音賀状書き 2006年12月10日  今朝、金魚の水槽の水を替えた。水温が下がってきたので、ヒーターを入れた。水温の低いときは便秘がちだったのか、水温が上がるとやりやすいのか、さっき見ると大量の糞をしていた。またすぐに水を入れ替えないといけないようだ。  金魚すくいでもらってきたのが七年前。どこまで生きるだろうか。  水槽の水赤くなる十二月 2006年12月11日  矢作俊彦「ららら科學の子」を読んだ。文庫本なので、誰かの解説が最後にあるかと思ったが、なかった。解説がなくても、久しぶりに読んだ本物の本、という実感があるのだが、それでも無性に解説が読みたかった。  この本に書かれたことを、きちんと評価できる土壌は今の日本にはないだろう。だからこそ、誰かが書いていてほしかったのだが、無いものねだりだったか?  私自身は、藤原新也「東京漂流」を思い出した。 2006年12月12日  まだ風邪薬が手放せないが、日常生活に支障のない程度には回復してきた。帰り道、のんびりと周囲に目をやりながら山道を登る余裕があった。今夜は霧が深かった。  クリスマスイルミネーションにかける霧 2006年12月13日  そう言えば、しばらく五七五七七を作っていないことに気付いた。体調のよいときは、自然と五七五と五七五七七が振り分けられてゆくような感覚があるのだが、今はない。  最後の五七五七七が三週間前で、五七五七七不在の期間と風邪を引いている期間がほぼ重なる。偶然の一致かもしれないが、個人的には興味深い。なにせ、言葉が口を付いて出てくると言うのは、かなりの程度、無意識が支配している領域に属する。自分で自分の無意識など分かりようがないのは当たり前だから、自分自身を注意深く観察するに越したことはない。これも何かの参考にと記録しておこう。 2006年12月15日 一句記入  しどろもどろと黒い耳垢垂れている 2006年12月15日  治りかけの風邪も、忘年会でいたずらに時間を過ごし、こんな夜更けにこの日記を書いているようでは、よくならない道理だ。植木等を思い出す。  忘年会四方の話を聞きかじる 2006年12月16日 偶成  たこ焼きのかえすがえすもえにしかな 2006年12月16日 再度一句記入  綿虫や漁父の辞をまた思い出し 2006年12月17日  ひとみ元消化器なりし冬青空 攝津幸彦  ひとみ元消火器なりし冬青空 攝津幸彦  一句目は、「攝津幸彦選集」、「攝津幸彦全集」に記載されている形である。二句目は、私の確認した限りではどちらにも出ていない。特に、「攝津幸彦選集」では、巻末の初句索引に取り上げられていないので存在しないのはより確かである。  しかし、どちらの形も船団のホームページでは取り上げられ、鑑賞文が載っている。以前、ハルイチさんの日記にコメントしたものをあらためてコピーしておく。 http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub03_0102.html 2003年1月11日 ひとみ元消化器なりし冬青空  (季語/冬青空) 摂津幸彦  「ひとみ」がなまなましい句だ。消化器だったころ、ひとみはおそらく隠れていた。今、ひとみになって露出し、そして青空に向かってまぶしそうにしている。(以下略) http://sendan.kaisya.co.jp/ikkub03_1201.html 2003年12月3日 ひとみ元消火器なりし冬青空  (季語/冬の空) 摂津幸彦  消火器を感じさせる瞳って、どんな瞳だろう。知的で沈着、それでいてかすかに火の気配を感じさせるのだ。そのような瞳が冬の青空をバックにしているのが今日の句。(以下略)  今日、「俳句研究」の今月号を読んでいると、坪内稔典氏が10/15の日経新聞に書いた文を採録していた。そこでは二句目の形を取り上げ、「二十代半ばの幸彦の作だが、やはり二十代半ばだった私はこの句に出会ってびっくりした。」と書いている。  坪内氏の記憶違いでなければ、二句目の形も存在したのだろうか?「攝津幸彦選集」の紹介文としては、少々不適切な気もするが…。 2006年12月18日  宇多喜代子『ひとたばの手紙から』を読み終えた。正直な感想を常に書く人なので、読後感は悪くないが、とりとめない印象もある。  以下に記す個所が今回の新しい発見で、彼女の季語に対する態度の核にあたる部分だと思った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  農地改革、これは私にとっては戦後の幸甚であった。いままで他人まかせであった農作が自家の仕事となったのである。とにかく大人たちは大変だった。私は子供ながら天晴といえるほどに田の手伝いをしたし、その後の生活では体験できない類の多くのことを体験した。日本の平均的な農村風景の中にいたその頃の私の「世界」がそっくり残っているのが俳句の『歳時記』である。これを繰れば採用季語の一つ一つにたちまち昔日の私の姿が四季折々の格好で見えてくるという仕組みになっている。過ぎた半世紀の時間に思いを巡らせる郷愁の箱、ここにある「世界」は五十年前と何ひとつ変わっていない。 2006年12月19日  長引く風邪も、ようやくおさまってきた。この秋は、次から次と身体のあちこちが不調で、山歩きや映画など、予定していた外出もかなり控えた。おかげで、常に欲求不満だった。仕事も一段落したので、明日の午後は休みを取り映画を見る予定。  イングマール・ベルイマンの「魔笛」(1975)、モーツァルトのオペラを映画化したものだ。元はテレビ用映画だったとも聞く。さて、どんな映画だろうか?  明後日からはまた忙しくなる。貴重な暇つぶしだ。 2006年12月20日  「魔笛」、ネットであちこちの感想を覗いてみると、音が半音ずれていたとかテンポが正確でないとか、色々書いてあったが、見ている限りは気がつかなかった。画面の色はさすがにぼけていたが。  このオペラは、夜の女王とか、鳥刺パパゲーノなどの敵役や脇役の存在感でもっている劇なのだというのが発見だった。どうも、主人公やヒロインの存在感は薄い。  映画が終わって、劇場近くの図書館へ。年末年始用に何冊か借りる。読むとは限らないが、あると安心する。借りた本は、「芭蕉俳諧七部集評釈」(安東次男)、「連歌とは何か」(綿抜豊昭)、「荒魂」(石川淳)、「堅気の哲学」(福田定良)、「哲学者はアンドロイドの夢を見たか」(黒崎政男)、「基礎情報学」(西垣通)。他に本屋で、「動物化するポストモダン」(東浩紀)、「もうひとつの日本は可能だ」(内橋克人)を購入。  内橋克人は、二十年ほど前の日本が浮かれていた頃に出した「幻想の技術一流国ニッポン」を読んで以来、信用している作者だ。彼の言っていることは、美しい国を目指す風潮の中では蟷螂の斧なのだろうが。 2006年12月21日  愚息の絵画と版画、朝日新聞後援の「兵庫県小・中・高絵画コンクール」で「雪を眺めつつ」が入選、王子動物園の年賀状コンクール銀賞。落選するよりは、入選する方がよいのだが、もうちょっと上に行かないかなと、親の欲目。まあ、欲もほどほどが良いだろう。「雪を眺めつつ」は、12月中、神戸大丸で展示されているようだ。そのうち行かなければ。  最近、配愚う者が講演を頼まれたり、美術雑誌の掲載依頼(ただし、載せるのに金がかかる)が来たりと、いろいろな接触が多くなっている。今日はテレビ局の取材依頼が来たそうだ。次の個展が開かれるまでをじっくりと取材するらしい。  二年ごとに個展をやっているが、次の個展は来年の冬当たりにしようかと思っている。その次の夏まで待っていると、彼の卒業後になるからだ。卒業後にどんな進路が待っているかは皆目見当が付かない。その前にやっておいた方が、いいだろうという判断だ。彼を巡る時計の針もスピードアップしている。  冬の日の計画表の書いては消し 2006年12月22日  何となく冬休みに入ったが、実感がない。各種雑用があり、完全に休みにはいるのは、一週間後だろう。風邪がぶり返してきたようなのでおとなしくしておこう。  ああそうか暮れの天皇誕生日(旧作)  夕暮れを知らず冬至の夜に居る 2006年12月23日  「もうひとつの日本は可能だ」(内橋克人)で仕入れた知識だが、イスラム系の金融機関には無利子のところがあるらしい。働いて得た正当な報酬以外の利益を得てはならないという哲理から来るらしい。 この一事をもってしても、グローバリズムとは根の深いところで対立するようだ。  粕汁や金融工学地球村(旧作) 2006年12月24日  ブックオフで購入した、「くもはち」(大塚英志)を読み終わった。色んな仕事をこなす人だ。元、「漫画ブリッコ」の編集長。その時代は残念ながら知らない。小池正博が「五七五定型」に書いた評論では、彼の「キャラクター小説の作り方」が大きな役割を果たしている。注目すべき人物だが、全貌はよくわからない。 2006年12月25日  「哲学者はアンドロイドの夢を見たか」(黒崎政男)を読んでいると、面白い箇所にぶつかった。そのまま、写してみる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ・古寺に斧こだまする寒さかな  ・わが恋は空の果てなる白百合か  短歌や俳句とは自己表白の文学であり、その作品は作者の真情の吐露であるといった考えが一部にはあり、われわれも或る俳句を読めばその作者の心情をおもいやってしまう。この句の作者はどんな心情だろうか。この作者はわれわれに何を伝えようとしているのだろうか。しかしながら、この句の(通常の意味での)作者は存在しない。なぜなら、これはコンピュータの作った”俳句”だからだ。  この”作句”プログラムは「BASICで書いて二十行」ほどの簡単なもので、「見掛けは作句をしていても、実質的には何ら言語処理らしい事を行わず、題と種とを連ねて出力するだけ」なので、時には次のようなへまもする。  ・一ところ残る青空吹雪くなり  ここで「コンピュータは俳句を作れるか」という性急な問いを発する前に、まず「この俳句の作者は誰か」という問題を考えてみることにしよう。(中略)この問いに関しては、おそらく大きく分けて二つの意見が可能である。 (a)作品は読み手に読まれようと読まれまいとすでに成立しているのだから、作者はコンピュータ。そういって悪ければプログラマーだ。 (b)作品と言うものは、読まれることによって初めて成立する。作品とは、あたかも「実体」のように存在しているのではなく、認識する者との関係が不可欠である。読むという行為において、読み手はこれらの句の背後に(意識するしないにかかわらず)虚焦点(focus imaginarius)としての作者を想定しており、そこから読み取ってくるものは実は読み手自身の心情や思想にほかならないのだ。実作者の存在する俳句においても実は同じ事が起こっている。その意味で、作者は読み手なのだ。  さて、整理の意味で一応、前者の態度を作者の「実体論的把握」、後者を作者の「関係論的把握」と呼んでおくことにしよう。あらかじめお断りしておけば、筆者はこの態度のうち、どちらかが正しく、またどちらかが誤っていると主張するつもりはない。ただし、どちらか一方の観点を忘れてしまうとき、議論は混乱し泥沼にはまり込んでしまう、とそう主張したいのである。  この俳句の例が示しているのは、或る存在者はどうやって俳句を作ることが出来るのか、という問題ではなくて、ある文字列を読む「読み手」がそれを俳句として読んでしまう、という点にある。もちろん、その文字列がある程度俳句らしくなければならないが(=実体論的条件)、それに加えて、その文字列を俳句として読むという行為が介在しなければ(=関係論的条件)読者がその”作者”について云々するというような事態は成立し得ないのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  「月刊アスキー」というコンピュータ雑誌に連載されたときに、初めて黒崎政男の名を知った。「月刊アスキー」は、体裁を変えて、ビジネス雑誌になってしまった。だが、久しぶりに読んだ黒崎政男は相変わらず鋭い視点をもたらしてくれる。  途中、『これらの句の背後に…虚焦点…の作者』までが傍点を振られている。議論の鮮やかさと共に、「虚焦点としての作者」なる言葉が見事に決まっている。 2006年12月26日  「もうひとつの日本は可能だ」(内橋克人)を読んでいる最中だが、敵対的企業買収はU.S.Aの三十以上の州で、自州の地域企業を防衛するために州法により禁止されているとあった。  道州制を推進したいという、とある国のエライ人はそこまで考えてくれているのだろうか?  多国籍企業所有地笹子鳴く(旧作) 2006年12月27日  神戸大丸の「小中高絵画コンクール」展示会に行って来た。主に具象作品が入選していた。「雪を眺めつつ」だけが特異な印象だった風邪のぶり返しのところへ人混みに出たもので、ちょっと疲れた。  ウイルスの培養器として咽喉部千時間もつ優秀装置 2006年12月28日  外出中の車中で読もうと、「基礎情報学」(西垣通)を鞄に入れたが、バスの中で読むにはちょっとヘビーだった。電車と違い、バスはよく揺れるので、大きな活字のこなれやすい内容の本でないと無理だ。今日は体調がもう一つなのでなおさらだった。  二、三ページ読んだだけだが、情報ということが意識されるようになった端緒として二〇世紀初頭の量子力学の話と、それ以前にあった「マックスウェルの悪魔」のパラドックスが紹介されていた。パラドックス自体は知っていたが、パラドックスの解明した文献を端的に示しているところが目新しかった。色々と、ぐちゃぐちゃ文献を並べたものは読んだことがあるが、情報という観点からすっきりと引用されているものは初めてだ。  数え日や悪魔も棲みにくくなった 2006年12月28日  高校生の年末・年始と言えば、友達と遊び回って、家に居着かないのが常態だろう。我が家ではそうも行かず、今日も私と二人で外出。体調は昨日よりましだが、少々重い。外出は早めに切り上げよう。  煤逃げや地下街ほんの少し延び 2006年12月29日  忘年会を兼ねて、この歳で新婚の、同級生の遅い結婚祝い。彼と十以上年下の新婦、私ともう一人の友人、我々の共通の恩師の五人でやった。痴呆の両親を抱えているので、デイケアのきく時間帯に限っての酒宴である。  父親は昼夜逆転の酒浸り、母親の方は徘徊の癖があるとのこと。結婚後、五回ほど小火を起こされたとも新婦は語る。電子レンジでプラスチックを溶かされたり、氷の入った製氷器をオーブントースターに入れられてオーブントースターがショートしたりと、勝手に電気を使われると何が起こるか分からない。現在は、ブレーカーを二重にし、目に付く方のブレーカーは落としているそうだ。よく嫁ぐ気になったものだと、あらためて感心する。  話に引き込まれてつい昼間にも関わらず深酒したようだ。酔い覚めの頭痛はなはだしく今まで寝ていた。  年の瀬や新婦の語る父母の癖 2006年12月30日 年末閑話  腹を立てても仕方のないことに、無性に腹の立つことがある。  小学校の頃、沢山の数字が並ぶときには、三桁ごとにカンマ(,)を入れるやり方と、四桁ごとにカンマ(,)を入れるやり方があると習った。私が母語としている言葉では(まわりくどい言い方をしているが”国の名前+語”で言葉を表したくない気分のなせるわざである。)、数の数え方は四桁ごとに言い方が変わるので、四桁ごとにカンマを入れることにしていたが、いつのまにか(といっても何十年も前の話だが)通用しなくなっていた。  それ以来、できるだけカンマは入れないようにしているのだが、部屋の片づけをしているときに自分で三桁目にカンマを入れているメモを見つけて腹を立てている。どうしようもないことなのだが…。 2006年12月31日  今年読んだ本は、分冊も一冊と数えて、四七冊。例年と同じペース。その中から、ベスト五を選んでみると、   1.[モンテ・クリスト伯](アレクサンドル・デュマ)   2.[眼の誕生](アンドリュー・パーカー)   3.[フェルマーの最終定理](サイモン・シン)   4.[指輪物語](J・R・R・トールキン)   5.[オクシタニア](佐藤賢一)  惜しくも選外が、[ららら科學の子](矢作俊彦)となるだろうか。期待はずれが、[国銅](帚木蓬生)。句集・歌集等は記録をつけていないのでよくわからない。