2007年1月01日  遅い起床。朝食を取りながら年賀状点検。攝津がらみの懸賞論文を書いたせいか、思わぬ人から年賀状が来る。年末にあらかた出したつもりだったが、あらためて書く枚数は多かった。書いているうちに年賀状用の句を修正していた。  丸虫も渡来のいのち初日かな      ↓  丸虫の渡来のいのち初日中  年末に思いつけば良かったが、まあこんなもんだろう。どんぴしゃりのタイミングをこころがければ、人は自然と追い込まれてしまう。世の中そんなに都合良く行くはずがないとのんきに構えよう。  午後から夜にかけて漫然とテレビ。サッカー、美空ひばり、ウィーンフィル。あっという間に時が過ぎる。  短針の回転速度冬木立 2007年1月02日  何をしなくてもよい一日なのだから、有意義に使えば良さそうなものだが、こういう日に限って何もできない。体内時計の進み具合が子供の頃と違って、異常に速く感じるのがちょっと淋しい。  家を一歩も出ない日が三日ほど続いたので、退屈している人がいる。明日はどこかに外出せねばならないか?  雑煮椀地球の裏も祝祭か 2007年1月03日  退屈しのぎに神社に行く。屋台のたこ焼きを楽しみにしている人を連れて。明日は出勤。 2007年1月04日  職場に出かける。少し仕事をする。疲労はほとんどないが、帰りの電車は寝てばかりいた。電車の中で読む予定だった本には手をつけなかった。  風邪の治り具合が微妙だ。自覚症状はほとんどなし。だが、一日に一回、大きな咳が出る。声もまだおかしいと言われた。喉が商売道具だけにもう少し自重しよう。とは言っても、家で退屈しきっている人がいるしなあ。もう一回ぐらい、映画(アニメ)にでも行かないと。  工場街四日の宮は幟ばかり 2007年1月05日  古い読書記録を眺めていると、面白い文章を拾っていた。かねて、内橋克人を信用している、と書いているが、その傍証になるやも知れない。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  日本のリッチマンとみられる人物を一人ずつ俎上に乗せ、金の「儲け方」ではなく、金の「費い方(つかいかた)」の方を中心に、生から死まで描いてみる、というのが、そもそも本書を書きはじめた動機であった。そういう角度から多数の日本人を掘り下げていけば、明治・大正・昭和に生きた「日本人の原型」が浮かび上がるのではあるまいか、それを期待する気持ちも、もちろんあった。  ところが、その企ては、たちまち困難にブチ当たってしまったのだ。財産の築き方、一攫千金の果たし方は各人それぞれに違っているが、築いた財をどう費うか、ということになると、日本人はすぐさま個性を失ってしまうからである。成金、百万長者、相場師、実業家・・・・・だれも似たり寄ったりで、取材と資料収集をすすめる途中、「ああ、この男も○○のパターンだな」といったぐあいに、はやくもわれてしまう。  巨財をつかむと、まずやってみたいのが女と酒。芸者総揚のドンチャン騒ぎである。それにも飽きると、次は空間の買い占めに乗り出し、なになに御殿と言う名の別荘を築いて、かき集めた書画骨董の類いを仕舞い込む。やや、個性的なところで、自分の葬式に全財産を蕩尽した男、あるいは晩年、慈善事業に、もてる財産のすべてを寄付してしまい、近親者に地団駄ふませた男といったところであった。  むろん、はじめからボール・ゲティやロスチャイルド家、ロックフェラー家といった世界の大富豪にくらべ、日本の富豪たちのスケールが小さいことは、覚悟の上である。  しかしそれでも、財を築くまでの個性的生き方にくらべ、いったん費い役に回ると、なんと日本のリッチマンは没個性的で、生彩を欠くことか、私は少々ゆううつになった。(まえがきより)  「日本資本主義の群像」(内橋克人) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ’94.7.30の読書記録より 2007年1月06日  風邪は完治。咳も出なくなった。退屈している人を連れだして、映画に。「シャーロットの贈り物」というのを見た。映画のあと、なんとはなしに神戸港の海岸沿いを繁華街まで歩いた。  歩き出してから、震災の跡を後世に残す目的で意図的に残している地域が海岸沿いだったことを思い出した。モニュメントとして残されている壊れた護岸や、ねじ切れた高速道路の橋桁などを見ることになった。  意識してはいなかったが、この時期に、となるとやはり思い出す。私のところは、水や電気の復旧も早く、被害はそれほどでもなかったが、震災後に住居のなくなった家族を夏まで預かったりといろいろとあった。  なぜか新年の安売りで10kgの業務用のレトルトカレーを買っていた。買ったときには、色々と文句を言う人も居たのだが、我が家を中継地点としてさまざまの人が出入りするうち、いつのまにかなくなっていた。衝動買いもたまには役に立つことがある。  ねじ切れた橋桁 波濤に冬芽に 2007年1月07日 一応、こんなのがあるので書いておく。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− NPO法人 『発達障害を考える会 TRYアングル』2周年記念講演会 「子どもと楽しく生きる」 来年度より始まる特別支援教育。 賛成・反対・期待・不安と色々有るけれど、子どもひとりひとり見つめて育てることは大切なこと。 今回の講演会は海外で活躍している 新進気鋭画家 野口毅氏のお母様に母親としてだけでなく、NHK療育キャンプに30年かかわってこられた一人の女性として、その生き方、考え方を語っていただきたいと思います。 日時:平成19年1月14日(日)    午後1時30分〜4時(開場:午後1時) 場所:尼崎市立小田公民館 1Fホール  尼崎市潮江1丁目11−1−101(ラ・ヴェール尼崎1・2階) アクセス:JR神戸線「尼崎」駅から徒歩2分 定員:100名 費用:500円(資料代) 内容:対談「子どもと楽しく生きる」    野口 宗代子氏   (アトリエSOYOKO主宰・NHK厚生文化事業団講師)    聞き手:宇和川 美保   (NPO法人『発達障害を考える会TRYアングル』理事長)  野口毅氏(17歳)作品展 −自閉症を乗り越え、日本の新進気鋭作家として クロアチア、オーストラリア等の海外でも高い評価を得ている高校生画家・野口毅氏の作品展示− 問い合わせ:NPO法人 発達障害を考える会 TRYアングル 講演会係 HP:http://www.try-angle.org −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  なお、当日は私と毅は留守番、あるいは王子動物園の年賀状コンクール表彰式(今年は銀賞でした、したがってその他大勢ですが。当日、無料で動物園には入れるのが特典です。)に出席の予定です。 2007年1月08日  『基礎情報学』(西垣通)を、のらりくらりと読んで、まだ半分。サイバネティクスやシャノンの情報理論、はたまた記号論、ついにはオートポイエーシスなどさまざまのことどもを読みながら、唯物論は遠くなったなあと、あらぬことを口走っていた。  実はこの場合、唯物論という言葉で、唯物弁証法よりもデモクリトスやドルトンの原子論を想定している。林達夫だったと思うが、何かの本で唯物論の根底には原子論があると言っていた。私自身にこれを主張するほどの確たる根拠はないのだが、おそらく正しいだろうと直感している。それをどこかで読んで以来、唯物論と言えば原子論というのが、私のイメージなのだ。  唯物論=原子論が、どこから崩れ始めたか。崩れたことがはっきりしたのは、陽子や中性子を構成する基本粒子クォークが決して見つからないとわかり始めた時だろうが、崩れ始めたのはその時ではないだろう。長岡半太郎やラザフォードの原子模型の時か?あるいは、湯川秀樹の中間子理論か?ひょっとすると、パウリのニュートリノの予言か?などと、色々考えているうちに、ひょいと高校時代の生物のM先生のことを思いだした。  M先生の生物の授業で何を勉強したかは、おぼろげながらしか覚えていない。「しんどいですなあ」が口癖で、学識深い人だというのは直ぐに分かったが、内に虚無を抱えているらしく、まだ十六の人間にはそのことの方がはっきりわかり、しんどい授業の印象しかない。  思い出したのは、授業のことではなく、教育実習で久しぶりに母校に戻ったときのことだ。M先生は久しぶりに化学を教えることになったらしく、私達教育実習生に質問してきた。君達は、アボガドロの分子論が分かるのか、分かるのなら教えてほしいと。口振りから、簡単に説明できるようなレベルの質問でないことは直ぐに分かった。案の定、M先生はアボガドロの分子論が論理的に不徹底であることをるる説明しだした。彼は、近代的原子論の創始者であるドルトンが分子説に批判的であったことまで紹介し始める。どうも、原文を読み込んでいる雰囲気なのだ。とてもじゃないが、手に負えるような相手ではない。  その場は、M先生のお説を拝聴するだけとなった。と言っても、アボガドロの分子説のどこが論理的に不徹底なのかが、こちらにはわからない。話はいつしか別の話題になり、M先生が退散してから、M先生の疑問を肯定するように、分子説は生徒が化学でつまづくところになりやすい、と言う人もいたので、その場の話はひどく印象に残った。  今、思い返してみるとM先生は、分子論によって原子論が崩れているのではないか、と言いたかったのではないか。原子論は、全ての物質が目に見えない小さな粒子で出来ていると仮定する。図式化すると、  原子→物質 となる。ところが分子説は、原子が何個か集まって分子を作り、その分子が物質を作る。図式化すると、  原子→分子→物質 となる。このとき、最初の矢印の段階では、原子が集まっても物質を作らず分子を作る。二番目の矢印の段階で初めて物質が作られる。したがって、図式は正確には、  原子→分子⇒物質 となり、→と⇒とでは、働くメカニズムは異なることになる。原子論は一元論であるから、異なるステージで異なるメカニズムが存在することは想定していなかっただろう。アボガドロの分子説が長らく放置されていたのは、こんなところにも遠因があるかもしれない。  現在、物質が究極的にどんなものからつくられているか、おそらく紐みたいなものではないか、といわれているが、それが本当だとしても、図式は  ひも→(…)→(…)→ …… →原子→分子→物質 となる。もちろん、各ステージの→で働くメカニズムは異なるが、いちいち→を書き換えられないので同じものを使用した。  ここでは、究極の粒子の姿はもちろん大切だが、各ステージのメカニズム(→)を探ることもそれに劣らず大切になってくる。  そこで、図式をさらに延長すると、  物質→生命→人間→コミュニケーション→社会 となり、各ステージで働くメカニズム(→)をまとめて考察しようとしても不思議ではない。  『基礎情報学』は、物質から社会に至るすべてのステージを、情報をキーワードに探ろうとしたものだ、といえるだろう(まだ、半分しか読んでいないのに大胆!)。そこには、唯物論=原子論にあった、基本の構成要素が分かればほぼ全てが分かるという楽観主義はない。そこで、私があらぬ事を口走ったわけだ。  M先生が、これをみたら何と言うだろう。「しんどいですなあ」で終わりだったかもしれない。しかし、M先生からの返答は聞きようもない。遅すぎた回答であった。 2007年1月09日  日経サイエンス1月号に、「温暖化が招いた大絶滅」という記事が出ている。最近、一番面白いと思った記事だ。以下その記事にしたがって書いてみる。  白亜紀の恐竜絶滅の原因が、地球へ小惑星が激突したことによるものだという見方が有力になってから、あらゆる時代における生物の大量絶滅の原因も小惑星の激突によるものだという印象が一般に流布しているかもしれない。  だが生物の大量絶滅の原因は一様ではなく、古生代ペルム紀の大量絶滅は大陸移動による超大陸の出現がその原因とされてきた(このことは、該当記事にはあまりはっきり書かれていない)。超大陸の出現により、海岸線が後退しその影響で、生物が死滅したというのである。だが、海岸線が後退して陸上の生物までがなぜ死滅するのかはよく分からない。  この記事によると最近の研究では、生物死滅に至るまでのメカニズムについてよりつっこんだ議論がなされ始めた。その立役者は、温室効果である。超大陸出現などの時期は造山活動が活発になりやすく、火山から大量の温室効果ガスが大気に吐き出される。その結果、海水温が上昇し、海水中の酸素濃度は低下する。酸素濃度が低くなれば、当然海水中の生物は棲みにくくなる。そこへ追い打ちをかけるのが、海底火山からの硫化水素などの噴出である。現在でも、火山の付近には酸素呼吸をしない生物の存在が確認されている。酸素濃度が低下し、硫化水素などの濃度が高くなれば、そうした生物の活躍する領域が広がる。海水中の酸素呼吸をする植物プランクトンはそうした状況に追いやられ、活躍の場所が狭くなったと考えられる。植物プランクトンが少なくなれば、大気中の酸素濃度にも影響を投げかけ、大気の酸素濃度も徐々に低下する。と同時に海底火山からの硫化水素の湧出は大気にまでおよび、温室効果を加速し、上空ではオゾン層を破壊する。地上の生物は有害な紫外線に晒され死滅に向かう。  このようなメカニズムにより、生物の大量死が起こったと考える説が現在浮上してきている。この説によると、小惑星の衝突を原因と考えることの出来ない大量絶滅のいくつかが温室効果によるものとなる。現在起こりつつある地球温暖化がこのような絶滅を引き起こすかどうかが気になるが、このような絶滅が起こるための二酸化炭素濃度は、1000ppmほどで、現在の385ppmからは大分離れている。しかし、年に2〜3ppmの割合で上昇しているので、このまま行くと来世紀末には、この濃度に達するかもしれないとのことだ。  なぜそう考えることが出来るのか?を省いて書いてあるので、説得力はないかもしれないが、メカニズムとしては理解できると思う。海水の酸素濃度の低下は予想できるが、海底火山からの硫化水素の湧出は、調べてみないと分からないことだったろう。現状の地球環境問題への警告、という面を差し引いても、興味深い事実を発掘したと思う。 2007年1月10日  徘徊少女さんが、神戸ビエンナーレについて書いている。昨年の秋のうちにこの企画を知り、我が家で参加するならどうなるかを、検討したことがある。ちょっとむずかしいなあ、が結論。  次の個展の時期も、来年の1月を考えていたが難しいようだ。やはり、2年おきとなる来年の8月頃になりそうだ。この辺のスケジュールの立て方はいろいろと難しい要素がある。  笑い死にの鬼累々と計画を立ててはつぶしつぶしては立て 2007年1月11日  NHKのとあるアナウンサーの話を聞いたことがある。「姫路」は標準語のアクセントでは、「め」で上がり「じ」で下がるそうだ。ところが「姫路」の地の発音では上がり下がりのない平板なアクセントになる。NHKでは、土地の発音を尊重して平板なアクセントにするのだが、標準語のアクセントでは平板なアクセントの場合でも語尾が若干下がるらしい。その土地出身のアナウンサーほど、間違えやすいそうだ。この話も実演されて耳で聞けば分かるが、字面ではよく分からない。  ときおり、牧村史陽編「大阪ことば事典」をぱらぱらと眺める。よく分からずに困るのはアクセント記号。標準語のアクセント事典も開いたことはある。記号の読みは何となく分かるのだが、しかとは分からない。標準語アクセント事典のCD盤もあるようだが、大阪ことば事典のCD盤はないか?ひょっとするとネットにあるかな? 2007年1月12日 テラシ【照らし】(名)花街用語。松島遊郭・新町吉原や、新町塀の側・難波新地・堺栄橋あたりの店はみな往来に面して太い格子があり、娼妓たちはその格子の中で正面を向いて並んでいた。遊客は、格子のそとからのぞき込んでその品定めをしたもの、テラシとは、遊女が衆客の前に顔を照らす意であろう。普通「居稼」の字を用いた。東京で張り見世と称したのがこれにあたる。明治二十四、五年頃、このテラシが風俗上おもしろくないとあって、法によって禁止され、それからは道路上から見えない店の中へ娼妓を置きかえることになったが、大正五年十月三十一日限りそれも禁令となり、以後はこれにかわって娼妓の写真が飾られるようになり、終戦後の遊郭禁止にまでおよんだ。(牧村史陽編「大阪ことば事典」より) これと比較しながら次の句を読むと、また格別の味わいがある。 死螢に照らしをかける螢かな 永田耕衣(「悪靈」) 2007年1月13日 昼寝ばかりしている。長谷川櫂の「俳句的生活」を寝ころんで読もうとしたのが失敗だったようだ。  流れ行く車のはやさ日足伸ぶ 2007年1月14日  動物園の「賀状版画コンクール」の表彰式に参加。もちろん私の版画ではない。愚息の版画である。毎年参加しているが、今年は銀賞。金賞の年もあった。選外の年もある。  身障者割引のきく、市バスを乗り継いでのんびり会場へ。「基礎情報学」を読了する。この本については、また取りあげることもあるだろう。  本も読んでしまい、動物園に着くまでのバスの中で、その地名から「梁塵秘抄」の今様を思い出した。桂米朝が、まだテレビのワイドショーの司会をしていた頃に、これを紹介していた。  わが子は二十(はたち)になりぬらん  博打(ばくち)してこそ歩(あり)くなれ  国々の博党(ばくたう)に  さすがに子なれば憎かなし  負(ま)かいたまふな  王子の住吉(すみよし) 西宮(にしのみや)        『新潮日本古典集成「梁塵秘抄」』  近くに王子神社もあったが、帰ってから調べてみると、この今様の王子は神に対する尊称のようなもので、神社名とは関係ないようだ。時間があると、妙なことを思い出す。  表彰式は、銀賞の百名も一人一人壇上で表彰を受け、たっぷり時間がかかった。近くに出来た神戸文学館と原田の森ギャラリー(県立美術館分館)をちょっと覗いてから、帰路へ。バスに乗っている時間だけで往復五時間もかかり、家に着くともう夕食を準備する時間だった。 2007年1月15日  坂内正『鴎外最大の悲劇』(新潮社)を、ふと思い出した。日清・日露戦争では戦死者よりも脚気の病死者の方が多かったといわれる。その原因は陸軍の米食偏重にあったとされるが、軍医森林太郎はそれを推し進めた張本人だった。彼の後半生の評伝文学には、そのことが影を落としている。ざっと、そういう内容の本だが、それを読むと、『澁江抽齋』や山崎正和の『闘う家長』を読んだときの感動が甦るから不思議だ。  大逆事件で彼の果たした役割を、高校の授業でかなり詳しく聞いたことがある。その授業をしたH先生は、『鴎外最大の悲劇』を読んでいただろうか?それを聞く前に亡くなったのは惜しいことだった。 2007年1月16日  「俳句研究」2月号を読んだ。仁平勝が「床屋談義お断り」という文章を書いていた。鳴戸奈菜の  顔のない戦争またも初日の出 を批判して、「顔のない戦争」を新聞・テレビで使い古された言葉だとしている。  句の良否・論の是非はここでは問わない。仁平の論は、欧米のパーティーで、政治を話題にするのはタブーとなっていることに相通じるものがあるだろう。彼は、俳句はサロンの文学だとも言っている。だが、パーティーとサロンは似ているようで違うようにも思える。そこのところの異同が私にはよく分からない。  仁平の「俳句の射程」の書評も載っている。こちらは、高山れおなが書いている。「仁平の俳句本質論は何かが決定的に駄目なのである。」と書いてある文章が目に飛び込んでくる。「仁平のそれ(俳句本質論)は対象物がスタティックな平衡状態に置かれ、とうにわかりきったものとして矮小化されている印象が強すぎる。」とも書かれている。仁平の最近書いたものは確かにそうした面があると思う。邑書林の「セレクション俳人 仁平勝集」におさめられている文章はさすがだが。  いずれにしろ、今月号は仁平勝が目立った。 2007年1月17日  風呂に毎日入るようになったのは、高校か大学の頃だったろうか。それまでは、銭湯だった。この時期の銭湯通いは億劫になったものだ。  かえりみると、冬の銭湯は独特の皮膚感覚を呼び起こす。到着までの身を切られるような寒さ。脱衣するときの、皮膚に張り付く冷え。戸を開けてから浴室に飛び込むまでの時間の長さ。浴室に入り急激に身体から逃げて行く寒さ。最後に皮膚に噛みつく湯の熱さ。  実家に帰ったとき、たまに銭湯に行くが、もうそうした皮膚感覚は甦らない。  寒の夜の銭湯を知るタオルなし 2007年1月18日  『基礎情報学』(西垣通)から −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  基礎情報学では、ヒトに限らずあらゆる生命体による情報の意味解釈に注目するが、その出発点となるのは、ホフマイヤーの生命記号論と同じく、パースの記号論である。(なお、基礎情報学は記号學/記号論に多くを負っているが、生命体や機械の情報処理からヒトの情報処理の基層を検討することを目的としており、この点が言語からのアプローチを主軸とする記号學/記号論との大きな相違である。)  まず、パースの記号(過程)について簡単に説明しよう。これは、「第一項=記号表現、第二項=対象、第三項=解釈項」の三項関係としてあらわされる。「記号表現(sign/representamen)」とは、記号の物理的な乗り物(媒体上の表現)である。「解釈項(interpretant)」とは、解釈者の内部に形成される、「対象(object/referent)」の模像である。たとえば、「火事だ」という叫び(記号表現)によって、それを聞いた解釈者の心のなかに、めらめら燃える家のイメージという「解釈項」が生成されるわけだ。いまの場合、「対象」とは、火事で燃えている具体的な家そのものである。 (略)  大切なことは、パースの記号論においては、単にある記号が何か別のものを指し示すという静的な関係ではなく、より動的な関係が重んじられるという点なのだ。すなわち、解釈者の心の中で推量がおこなわれ、記号が次々に別のものを指し示していくという過程が繰り返されることが本質的なのである。「火事だ」という叫びを聞いた人物の心のなかでは、炎や煙、逃げまどう人々など、さまざまなイメージが去来し、それが次々に新たな「記号表現」と化して新たな「解釈項」を生みだしていく。「火事だ」という記号表現から、現実の火事現場の様子(対象)にいたる推量の過程が存在するわけだ。 (略)  一般にパース記号論において、解釈項がさらに新たな記号表現となって新たな解釈項を生み出し、次々に三項関係を形成していく過程は「仮説推量(abduction)」と呼ばれる。これは、演繹(deduction)や帰納(induction)と対立する論理的な概念である。(中略)仮説推量は演繹とは異なり、誤謬の可能性を持つ点が重要である。もしかしたら、家Aでは庭で落ち葉を燃やしているだけかもしれない。にもかかわらず、「煙」という「記号表現」が「家Aの火事」という「対象」をあらわしているのではないかと、解釈者は推量するわけである。  このように、パース記号論の意味解釈においては、誤りが生じる余地があり、記号表現と記号内容の関係は常に精確で固定したものではない。だが、この誤りは、逆に言えば「解釈の自由度」でもある。ホフマイヤーの生命記号論では、この解釈の自由度こそ多様な生物を生みだした創造性の源泉と見なすのだが、この立場は基礎情報学においても通底している。大切な点は、言語のような神経情報のみならず、体内分泌ホルモンのような代謝情報や、DNA遺伝情報についても、この解釈の自由度が認められるということなのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  パースの記号論の「仮説推量(abduction)」は、ずっと以前にちらっと聞いたとき以来注目している。湯川秀樹だったと思うが、新しい理論をうち立てるときに、すべてに事実に目を配って理論を立てるのではない、現在の理論体系からはみ出したたった一つの事実に注目して新しい理論を生みだすのだと、言っている。この言い方に私は非常に感銘を受けており、これを論理立てているのが「仮説推量(abduction)」ではないかと考えている。  西垣通の論は、「仮説推量(abduction)」を簡潔明瞭に説明し、それがヒトの思考だけでなく、広く生命活動の創造性をも支えているとするホフマイヤーの生命記号論を紹介して貴重である。もっとも、「基礎情報学」ではパースの記号論は入り口に過ぎない。ここからさらに進展して行く。 2007年1月19日  「基礎情報学」の続きを書こうと思ったが、眠気が襲ってきた。お休みなさい。  歯の中の年輪数え冬籠 2007年1月20日  時事詠、時事吟についての議論が持ち上がりつつあるようだが、どうせ即効性のないジャンルなのだから、一拍や二拍遅れてから反応してもよいのではなかろうか。一昔前に有名になった、奈良の布団叩きおばさんは本当に悪かったのか、を議論する掲示板を見ているうちにそんなことを思った。リンクを貼るべきだが、過日ネットサーフィンしているうちにぶつかり、記録を取っていない。あしからず。  朝のテレビに、ゴア元副大統領が地球温暖化を警告する映画の紹介場面に出ていた。なつかしい。  もしもとは禁句ゴア氏の花衣(旧作)  すでにブッシュが再選を目指すか、果たしたという頃、句会に出した。選をした人は「マグマ大使」のゴアと思ったようだ。それも、ありか?ちなみに手塚治虫は、子供の頃の近所のお寺にいたこわいお坊さんの名(其阿と書いて、よくある名らしい)から取ったとか。真偽のほどは不明。 2007年1月21日  書く意欲が湧かない。ごく普通の日記を書いてみよう。 朝食  トースト、ヨーグルト、珈琲二杯。 昼食  出前一丁。 おやつ ポップコーン。 夕食  ご飯、餃子、サラダ。  おやつが余計だな。  春隣知らず知らずの間食に 2007年1月22日  『基礎情報学』(西垣通)から −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  たとえば、医者が患者を診察しているとしよう。このとき、患者の顔色、体温、発疹の有無などの兆候パターンが「情報」であり、その受信者(観察者)は医者である。それらの兆候パターンは医者に「刺激」として作用し、医者の体内特に脳細胞に原−情報が生成されるであろう。医者の心は、この結果「麻疹」という診断を下し、これをカルテに記載することになる。この記述は、限りない数の麻疹以外の病名(候補選択肢)の棄却であり、情報の意味解釈作用なのである。  注目すべきことは、受信者という生命単位体の内部で生成された「原−情報」が、以上のような過程を経て外部的かつ社会的な「情報」という存在に転化することである。受信者がおこなった意味解釈は、本来は生命的であり個人的なものなのだが、それが心的システムによる観察/記述という操作を経て社会的な存在となっていく。それは受信者のみならず、送信者、さらには第三者にも共有される社会的な「情報の意味解釈」と化していくのである。いわゆる「情報伝達」がこうして出現することになる。  とはいえ、ここで根本的な問題が生じている。端的には、「送信者側の情報」と「受信者側の情報」とのあいだに直接的な関係は存在しない、ということである。生命単位体である受信者は単にパターン(情報)という刺激を受けて構造変化をおこなったにすぎず、その選択結果は、送信者の送ったパターン(情報)と厳密な因果関係をもってはいない。したがって、オートポイエーシス理論からすれば当然のことではあるが、この情報モデルでは「意味内容」の伝達は保証されないのである。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  このあと、コミュニケーションによる相互作用による合意領域の形成、コミュニケーションを構成素とするオートポイエティック・システムの形成、階層性を導入しての「擬制」のメカニズムの考察が続く。写すだけでも、さすがに疲れた。  これも将来何かの役には立つだろうと、写してはいるが、パースのアブダクションをノートに写したのは30年近く前だった。そして、30年ぶりに先日の議論につながる。西垣通の議論が、私の中で日の目を見るのが30年後だとすると、私は80を越えている!無駄なことをやっとるなあ…。 2007年1月23日 一句記入  ゆるやかにゆがんでしまう寒の餅 2007年1月24日  通勤の道筋に、不二家のショップがある。不思議なことに売る物がないのに店を開けている。あの騒動があってから二三日は、残務整理かと思ったがいまだに開けている。ある人が、営業をしていると本店から賠償金が出るのではないかといった。そうなのかもしれない。営業閉鎖で、シャッターが降りているのを見慣れた目には、奇妙に映る。煌々と明かりを灯し、ショーケースには布を掛けて、その上からお詫びの書状を貼り付けてある。瞥見したとき、その日付にぎくりとした。  ペコちゃんの詫び状一月十七日 2007年1月25日  詩誌「メランジュ」の読書会に向けて、詩稿を送るようになってから一年が経過した。我ながら、よく続くなと思うが、書くのを中断していた二十年はなんだったんだろうとも思ってしまう。  今日は行きの電車の中で、吊革にぶら下がりながら一編できてしまった。スケートの滑り始めのような感覚だ。転ばずに滑り始めることができたら、なんとか最後まで行ってしまう。まあ、できたものの良否は別問題ではあるが。  今から、「メランジュ」へ送る。 2007年1月26日  週末を迎え、ほっとしている。  日記では風邪だ、腫れ物だといつも体の不調を訴えているような気がする。天空からの目と、身体からの足取りがないと、実際のものは見えてこないと常日頃思いこんでいる副作用だろうか。  また弱音を書き込むのも気が引けるが、今度は足の裏が痛い。今年に入ってからひどくなった。痛風かとも思ったが、症状は違うようだ。どうも土踏まずあたりの筋が伸びたようだ。足をひねるような姿勢になると痛い。行き帰りの通勤電車でしばしばそんな姿勢になる。週末はそんな苦行から開放されるのでありがたい。  吊革をぷるんぷるんと振る掌には腕から下に胴と下肢ある 2007年1月27日  外出しないと、足の調子は良い。  一日中、コンピューターをつけっぱなしにしておいた。インターネットも繋いだまま。地球に辛い仕打ちであった。反省。必要ないときは消しておこう。  日足伸ぶコンピューターの擦過音  俳句を作り始めた頃、「春隣」という季語が嫌いだった。今、拒否反応は薄らいでいるが、句の中に「春隣」と置くと一抹の抵抗感がある。そんなことを思い出し、旧作を改作してみた。  広場から気泡縦横春近し 他、一句  壁紙に時知らせたる冬日かな 2007年1月28日  松岡正剛のところで、バタイユを調べていると、文の最後に、『ニーチェやバタイユの「力」がいささか強すぎるのではないかという、ちょっとした疑問があるからだ。』と書かれてあった。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0145.html この文で、昔読んだバシュラールの文章(「否定の哲学」)を思い出した。現物が見あたらないので記憶で書くが、「力」のような昔からある物理概念には、古代から連綿と伝わっているイメージがあり(アリストテレスに代表されるか)、そこに近代的なイメージ(同じくニュートン)が加わり、さらに現代的なイメージ(アインシュタイン)というふうに、一つの言葉に重層的なイメージの重なりがある。ある論者が「力」という言葉を使ったとき、その人がどのイメージにどの重点を置いているかによって、ある意味の精神分析ができる。この観点から見ると、ニーチェの「力」の概念は圧倒的に古代のイメージに依拠している。と、いうようなことが書かれていた。  松岡正剛の疑問もその辺に関してのことだと思うが、「力」に関しての古代的なイメージには、誰が考えても抜き去りがたいものがあるだろう。「パラダイム」という語の創始者として有名なクーンは「コペルニクス革命」で、『アリストテレスは宇宙についての数多くの自然発生的な認識を、抽象的で矛盾のない方法で表現するという能力を持っていた。(中略)今日では教育を受けた大人の自然観には、アリストテレスのそれとの重要な対応関係はほとんどみられない。しかし子供や、未開人や、知恵遅れの人の意見には彼の意見との対応が驚くほどしばしば見出される。』と書いているが、「今日の教育を受けた大人」にも実はこっそりと古代の宇宙観は残っていそうだ。そうした基層に触れるものがあれば、たちまち共鳴し始まるのは大いにあり得るだろう。  「力」の古代的なイメージには、「絶対」的なものが貼り付いている。揺るぎない存在が、他者へ大いなる影響を及ぼすイメージ。それに対し、近代的な「力」のイメージは、作用・反作用の法則で代表されるように思う。他者に「力」を及ぼせば、相手もこちらに「力」を及ぼしてくる。「力」は二者間の相対的な関係を表すものになり、絶対的なものではなくなる。(現代的「力」のイメージは略)  「力」に限らず、「絶対」的なものに依拠しようとする精神傾向は至るところに見受けられる。たとえば、「進化」に関する誤解をとくために書かれたウィキペディアの小見出し、 進化に目的はない 人間は進化の頂点にいるのではない 進化は進歩ではない をそのまま裏返すと、「絶対」的なものに依拠しようとする精神傾向を表してしまう。ダーウィンの自然選択説を、これまたウィキペディアの要約を借りると、 1. 生物の個体には、同じ種に属していても、さまざまな変異が見られる。(変異) 2. 変異の中には、自身の生存確率や次世代に残せる子の数に差を与えるものがある。(選択) 3. そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝) と、ごく簡単にまとめられるが、これを「絶対」的なものに依拠しようとする精神傾向がはたらくと、「適者生存」が「強者生存」にすり替わり、「弱肉強食」のイメージになりかわる。近年、やっと「弱肉強食」から「食物連鎖」へとイメージが切り替わったように見える。  まだ高校生の頃、地球上の酸素は光合成生物が生みだしたものだとする説を紹介しつつ、M先生は、ではヒトという生物は地球に影響を及ぼすだろうかと問いかけた。30年以上前には、この問いは途方もないものに思えた。地球の方がヒトよりも問題にならないくらい大きいやろうと。地球は非常に大きな物だという、「絶対」視するイメージが強烈にあったのだ。  何かを「絶対」とする思考法は、ヒトの基層にある分抜けきれないだろう。教育という分野では、その部分を無視した知識の授受は失敗する。しかし、そこに頼った思考法では「現代」は到底理解できない。  この話、書き出すとまだ延々と続きそうだ。くたびれた。続きは次回に、とはならない。気が向けばそのうちに。 2007年1月29日 片仮名出鱈目俳句 おしくらまんじゅうどこぞでガンマ線バーストだ ウエルダンメゾスコピック肉食獣 ナノチューブフェムトセコンドしじみ汁 電線のフェルミ流体笹子鳴く 餅焼くやナヴィエ・ストークス方程式 ポジトロンポジトロニウム冬昼月 新年会罰杯クォークスープなり  出鱈目を書けば気分転換になるかと、書き始めたがこれ以上やり続けるとだんだんまともになりそうだ。この辺でお開き。 2007年1月30日  えらく帰りが遅くなった。帰路、塚本青史「裂果」読み終える。彼の作品は色々と読んだが、処女作の「霍去病」を越える作品は今のところ見あたらない。全三巻の「光武帝」は、まだ読んでいないが。 2007年1月31日  帰り道、書店に寄ってみた。角川の俳句歳時記第四版が出ているようだ。第三版の作者索引を作成した人間にとっては気になる本だが、急いで買うのは思いとどまった。いずれ購入することになるだろうが、あわてる必要もないだろう。もうすぐ立春。  バックストロークの最新号を読んでいる。石田柊馬が際だっている。彼の文章は、いつも特定の読者を想定して書かれているが、その読者の顔を見誤ると、とたんに文意が不明になるところがある。それが難解との印象を植え付けるが、よく読めば次第にわかってくる。  今回も、文意の通り方はいつもの通りだが、内にこもった気迫がある。投句者の配置で冒険をし、これで川柳を変えるのだという賭けに出ている。その気負いが文にも現れているようだ。「選は創作なり」という虚子の言を久しぶりに思い出した。虚子が創作をすれば、その後にお金がついてきただろう。柊馬がどれだけ素晴らしい選をしてもお金はついてこない。それだけ純粋に打ち込んでいる。甲斐なき行為の美しさ。