2007年04月01日  4月3日〜5日、北海道(仕事です、修学旅行の下見)。 4月7,8日、三朝温泉(高校時代の恩師と旧友と)。たまっている原稿や、調べものは旅行中にやるつもりだが、うまくいくかな?  というわけで、しばらく日記はお休み。 昨年の5月22日付から始まった日記ももうすぐ一年。 そこまではほぼ毎日書くペースを維持するつもりだが、今回だけは特別休暇。 2007年04月06日  投稿句に「褻」という題を付けたこともあるほど、旅行中の作句は苦手だ。 今回の北海道も仕事中ということもあるがろくなものはない。 ここに供養しておく。 高速路その頭上いま鳥帰る 洗わるる浜の奥なり残る雪 地熱の間に走る草あり春の雪 戸の溝を針金に載せ春の雪 白黒の色褪せしたる写真ありすでに世になきアイヌ火祭り 2007年04月08日  旧友二人と恩師と私、四人の一泊の旅から帰ってきた。 高校を卒業してから毎年続けている旅行である。 私としては、北海道出張で抱えたストレスをいやす意味もあった。  四人とも歳なので、いい加減くたびれ最初から景気の良い話は全く出ないが、ぽつりぽつりと会話を続け、深更に及んだ。 一人が話し、誰かがそれを受け、別の一人がまた話を続けと、誰も人の話を邪魔することなく、行儀良く会話が続いて行く気持ちよさ。 最後は、「折々の歌」が終わったことを四人で惜しんで寝についた。  癌のことなども話題になり、いつまでこの至福の時が続くかも怪しくなってきた。 来年はどうなるか? 2007年04月09日  絵画教室は、原田の森美術館(旧兵庫県立近代美術館)で続くことになった。 教室の曜日に変更なし。 ひとまず、安心。  今日から、新しいクラスになる。 授業がなくて、担任だけを受け持つのは、はじめての経験。 さて、どうなるか?  ひとまずは一喝したり花は葉に 2007年04月10日  ものの状態を表すためには、数が使われるが、使われ方には何組かの実数で表すことが多く、組の数を次元という。 一組の実数なら、一次元、二組なら二次元、という風に。 表すものが、空間か時間かによって数の結びつき方は異なるが、次元は変わらない。  一方、ものの状態の表すのに、実数ではなく、複素数を使うこともよくある。 電気の交流や、量子力学における状態関数などがその例になる。  ふとした疑問なのだが、なぜものの状態を表すのに、実数の組があり複素数があるのか。 実数の組だけではなぜいけないのか。 逆に、ホーキングの宇宙論は複素数をもとに展開しようとしていたが、うまくいかなかったようだ。  また、時間の次元は一つだけで増やせないのも奇妙な気がする。  10次元や11次元などという言葉が頻繁に登場するようになっているが、なかなかすっきりとこちらの頭の中には入ってこない。 2007年04月11日  ソメイヨシノの葉っぱが目立つようになってきたが、まだ花は残っている。 今週末が最後の花見時だろうか。 今年はまだ京都に連れて行ってもらわないと、やや不満気味の人が家庭内に約一名。 土曜日に何とかそれを解消できるかな?  私は、ごろ寝していたいのですが。 2007年04月12日  今後の予定。 ○職場に絡んだ飲み会多数。多すぎて、義理ばかり感じる。 ○ゴールデンウィーク中に来客。薫製でも作り、もてなすか。 ○7〜8月頃、三田の画廊の企画にて、「野口毅展」の計画あり。 ○M木さんのかわりに、とある句会報の編集を受け持つ。 二月に一度の句会なので、いつごろ発行するか考慮中。 ○五月末にて、mixiの日記も一年となる。 そこまでは、ほぼ毎日書く予定だが、いささか疲れた。 もっと早めに切り上げるに良い口実はないものかと考慮中。 2007年04月13日  今夜の雨は、明朝上がるようだが、明日の夜も雨のようだ。 半開の桜葉濡らし夜の雨 2007年04月14日  京都まで行ったが、気の乗らないまま足を伸ばしているので、耳はラジオを聴いたまま京都を歩き回った。 たまたま、適当にチューニングしているとNHK第二放送にぶつかった。 漢詩講座で李白の話をしていた。  桃の花が出てきて、犬が吠えているからここは陶淵明を意識して書いているなどという解説を聞きながら、祇園や八坂神社を歩くのは奇妙な気分だ。  話がさてどうなるかと言うところで電池が切れた。 2007年04月15日  配愚う者がダウン。 早朝のジョギング中なので、心配したが、頭の方ではなく、風邪だった。 朝の炊事洗濯掃除を済ませて、歌会へ行った。 薄情なようだが、私が風邪の時も配愚う者は私と似たような行動をとるのでお互い様である。  しかし、夕刻配愚う者より電話。 夕飯頼むとのこと。どうも長引きそうな風邪だ。 急いで帰宅して夕飯を作る。 明日の朝も無理かもしれない。 とりあえず、ゴミ出しの準備はしたが、愚息の弁当づくりがやっかいだ。 2007年04月16日  読書会のレポーターを控え、句集に取り組んでいるが、いい加減飽きて、ル・グウィン「ゲド戦記T 影との戦い」を読む。 例によってブックオフ購入。 いくぶんマニュアルっぽい。 そのぶん、読みやすくはある。 昔読んだイタロ・カルヴィーノ「まっぶたつの子爵」を思い出す。 春昼のおにぎり海苔をふと思う 2007年04月17日  電話が苦手。 どうしてもやっておかねばならない電話があり、夕食前にかけたが、長引いた。 こちらがしゃべる間もなく、向こうが一方的に喋っていた。 伏し目がちの電話と思う忘れ霜 2007年04月18日  何日か前に送られてきた「豈」を読んでいると、小池正博の文章に私の名前が出てきてびっくりした。 ちょっと内輪誉め。小 池の論旨自体には異存はないが。 同人でもないのに、紙面に私の名前が出ること連続三回。 同人かと聞かれたこともあった。  同人にならない理由は単純で、大所帯にはなじめないだけです。 小さなところでこぢんまりとやりたい。 私の理想とする句会の人数も十人まで。 十五人を越えるともうしんどい。 もっとも、主宰然とした人がいると人数に関係なく駄目ですが。 2007年04月20日  息子の絵画教室が原田の森美術館に移り、新たな出発が始まった。 スペースが広くなった関係で百号に挑戦できるようになった。 絵の具代も馬鹿にならないようだが、まだ私の稼ぎで間に合う。 百号のキャンバスを二枚注文したとのこと。来週から挑戦が始まる。  「百号に行くのよ」とは、息子の弁。修学旅行の何かと勘違いしている。 花消えて百号の旅始まりぬ  二日連続の飲み会。帰りはうっかり寝過ごした。 「義経弁慶鵯越通過の地」という駅の名所案内を見ながら、逆方向の電車を待った。 逆方向の電車はがらがら。  電車に乗って、行きも帰りもがらがらの電車で通勤していた頃を思い出した。 九年間、そうした通勤状態が続いたが、五年たった頃に五七五を始めた。 句会に行くことは知らず、電車の中でひたすら五七五を練っていた頃が懐かしくなった。 鉄路へと降りるステップ春灯蛾 2007年04月21日  一日中身体がおかしかった。 風邪ではない。ひさしぶりに九時間寝たからだ。 身体がふわふわした感じで、何に対しても反応が一瞬遅れる。 こんな時、洗い物をしているとよく皿を割るが、今回は無事。  この睡眠時間が二、三日続くと、奇妙に頭の冴えた日がやってくるが、もう年齢的に無理だろう。 早朝に一端目覚めてしまうと、再び寝付くのが難しくなっているからだ。 雛罌粟の頭くんにゃり曲がりおり 2007年04月22日  小池正博と会って、次の「五七五定型」の企画を相談した。 締め切りだけは決めたが、句以外の散文頁についてはああでもないこうでもないと議論が続いている。 もう少し考えようかということで解散。  結局はっきり決まったのは、五年後のユニット解消時に大パーティーでも開こうかということだけ。 小池さんは、評論集を出すとかで忙しそうだった。 2007年04月23日  活字を読むのがちょっと嫌になるときがある。 そんな時に、漢方薬のように効くのが、子供の頃ダイジェストで読んだ本をあらためて読むことだ。 「宝島」や「ガリバー旅行記」、「ロビンソン・クルーソー」など。 あらすじを知っているだけで、かなり楽な読書となる。 もっとも、子供時代に読んだ本は限られているので、そんな本の候補は多くない。  最近発見したのが手塚治虫の古い作品。 現在、「0マン」を読んでいる。「少年サンデー」創刊時に連載されていたものだ。 当時、毎週読んでいたわけではないので、覚えているあらすじはとびとびだが、ヒョウタンツギや、団子鼻の自画像、コマ割りの枠を破るギャグなど、当時げらげら笑いながら読んでいたことを懐かしく思い出す。 「異化」という言葉を知る前から、最適のサンプルを知っていたのだなとあらためて思った。 2007年04月24日  本日が、百号二枚の描き始め。 三時間ほどで、下塗りは終わったとのこと。 出来上がると、公募展に出品するらしい。 出品した作品は、6月9日(土)〜 13日(水)に、兵庫県立 原田の森ギャラリーで展示される。 はたして、一か月で百号二枚が仕上がるだろうか? 春の夜の壁の絵の隅犬矢来 2007年04月25日  医者に行く。待ち時間60分。 短い方だろうが、寝てしまう。 錠剤や躑躅垣まだ整然と 2007年04月26日  今週末は、愚息を伴って三日連続の外出となりそうだ。  しかし、来週の予定はまだ立っていない。 家でごろ寝を決め込みたいが、元気盛りの愚息は許さないだろう。 ゴールデンウィークに、コンピュータプログラムを一つ仕上げるといった優雅な過ごし方をしたときもあったが、今は何となくあわただしい。 2007年04月27日  あまり行きたくもなかったが、職場の飲み会に出る。 やはり時間の無駄であった。 もっとも、人間以外の動物は食料を得るために時間の大半を使っているのだから、時間の無駄とは贅沢の極みだろう。 そう思っておけば腹も立たない。  昨日、詩誌「メランジュ」の会合に向けて詩稿を送る。 五七五、五七五七七、行分け詩の三本立てを一年以上続けている。 アマチュアだから何をやってもいいと決めてからのことだ。 時間の贅沢な使い方ではある。 2007年04月28日  姫路の太陽公園というところに行った。  姫路駅からのバスを降りると、田んぼの脇に案内柱があり、そこから歩いて十分ほどのところにある。  いきなり凱旋門が現れる。 兵馬俑もある。 モアイ像、アステカの石像、マチュピチュの空中庭園、ピラミッド…。 万里の長城の脇にため池があったりするのだから、訳の分からない笑いがこみ上げてくる。  このゴールデンウィーク、百号の絵にインスピレーションを与えるよう、色々なところへ連れて行く予定だが、この公園がはたして良かったかどうかは不明。 2007年04月29日  遅い起床後、コーヒー豆を挽く。 平日に豆を挽くことはない。 休日の朝だけの日課である。 隣の庭の八重桜が盛り。 蝶が来たり、ヒヨドリが来たりと結構賑やかでもある。 豆はたっぷりと挽いたつもりだったが、水が多かったのか、味は薄め。  皿洗い、掃除といつもの仕事を片づけ、ストーブ2台、ホットカーペット二枚を仕舞い、入れ替わりの扇風機2台出したところでダウン。 まだ残っているが、次の日以降の作業にする。 愚息は気が向くと掃除機をかけてくれるが、今朝は気が向かないようだ。 明日に期待しよう。  すでに昼近くなったところで、海遊館およびダリ展に向けて出発。 (電車内にて、記述。帰宅後、打鍵。) 2007年04月30日  中村真一郎「江戸漢詩」を読み終わる。 主に江戸後期の漢詩文が、同時代の俳諧・短歌・絵画と共通の意識をもって、近代の都市生活を活写していることを説く。  高校時代に漢文の先生が休んだことがあり、代打としてH先生が講義したことがあった。 その時に、示したのが「椀椀椀椀亦椀椀 亦亦椀椀又椀椀」で始まる漢詩。 どう読むのか生徒一同、首をひねったが、「わんわんわんわんまたわんわん またまたわんわんまたわんわん」と読み下して、犬の遠吠えを詠んだ江戸の漢詩だと教わった。 「江戸漢詩」を読み進めながらそんなことを思い出していた。  ホットカーペットを今日も片づけたが、片づける前に重量を量ってみた。 12kgだった。重たいはずだった。 今日も一気には片づけられず、一枚残した。 なかなか終わらない。