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書評 ハンガリー公使大久保利隆が見た三国同盟 高川 邦子 (著)芙蓉書房出版 


<序>

著者である高川さん(以降著者と表記)と「日瑞関係のページ」を管理する筆者は2008年9月より、研究を通じメールをやり取りしているい、わば同好の士である。そして今回の出版に際し、ドイツ語のお手伝いなどをした関係で、冒頭に筆者の名前も挙がっている。よって今回の書評であるが、「推薦の書」であることをお断りしておく。

著者は戦時中にハンガリー公使を務めた大久保利隆の孫である。その大久保利隆の祖父は明治維新の元勲大久保利光のいとこにあたるという。“利”の字を継ぐのが、一族の慣わしであったのであろう。

本書の特徴は、残された資料の少ない欧州における外交官の足取りを、入念に調査したという点である。
例えば大久保公使が1941年1月28日、ブダペスト東駅に到着した時の写真はハンガリー国立博物館で発見されたものだという。ここの資料が戦時下の邦人関係で紹介されるのは初めてではないか?そして同年4月ブダペストを訪問した大島大使の写真など、貴重な物ばかりである。



<帰朝>

また公使は1943年11月、貴重なソ連の通過ビザを得て、日本に帰国するのだが、その理由をちょうど1年前の1942年11月、ベルリンで行われた大公使会議にさかのぼっている。

各国に駐在する日本の大公使が集まる所で、そのリーダー格の大島浩駐独大使が
「大公使全員で、本国政府に日本軍によるソ連攻撃を具申しよう」という提案に対し、真っ先に反駁を行ったのが、大久保公使であった。結果この具申は本国に送られなかったが、大島は怒りが心頭に達していた。

その時、条約局時代の上司であった三谷隆信フランス大使が大島に
「では、私が引き受けましょう」と、パリ公使に異動させる提案をした。
当時はフランスの政府があるビッシーに日本の大使館があり、パリにはかつての大使館の建物の管理、及び在留邦人の世話のために、公使がいた。

これは大久保にとっては明らかな降格であった。悩んだ大久保は
「パリには行く。でも病気なので、その前にいったん帰朝させてほしい」と本省に願い出た。
これが経緯であるが、著者は日本に外交文書がない部分をアメリカ、及びイギリスの公文書館の日本外交の暗号解読文書から探し出し、解明した。

なお筆者はこの日本の暗号解読文書に関し、イギリスのものは、アメリカから提供されたものではないかと考えている。それをに訪問し、実際見てきた著者に尋ねたところ、解説を頂いた。詳しい所は省略するが、「米英で情報を共有し、イギリスの方がよく整理されている」ということであった。この英米の共有に関しては、筆者もさらに研究してみたいと考えている。



<御進講>

日本に戻った大久保は、親しい人間には「ドイツは持ってあと1年か、1年半」と語っていた。そして1944年2月29日、皇居に赴き天皇陛下に「ハンガリー国の近況について」の御進講を行う。本人の回想によれば
「40分位だったかと思う。松平恒雄宮内大臣へ報告したことを、今少し和らげて結局同じことをご進講した。その間、陛下は非常に熱心に聞いておられた。勿論充分御理解いただいたと思う。」と、当時日本ではなかなか口に出せなかったドイツに対する悲観的見通しを語ったという。

この回想録の言葉に対しても筆者は、慎重に対応している。そしてまず
「御進講したこと自体は、様々な記録に記されている。だがその中身については一般公開されている文献の中に、記述を見い出すことは出来なかった。」と語る。しかし生前、

「“自分は陛下にドイツは負けますとはっきり申し上げた”と周囲に語り、そのことを生涯誇りに思っていた事からも、言ったことは言ったのであろうと筆者(高川氏)は考えている」と控えめに結んでいるが、説得力がある。



<外務省軽井沢事務所長>

終戦が近くなると、スイスなどの中立国外交人は軽井沢に疎開した。こうした外交団との折衝のため、外務省の事務所が軽井沢に開設された。その所長に大久保が任命されたのは、フランス語で交渉が出来る事が第一の理由であった。スイス公使がフランス語圏の出身であったからだ。その“交渉”であるが、一部の外務種関係者の頭には「終戦」も視野にあったとの事である。

軽井沢のこの事務所について書かれた本を、筆者は寡聞にして他に知らない。そこから分かることはいくつかあるが、例えば外交官を父に持つ外国語の堪能な女性が数名、事務所では働いていた。後に国連高等弁務官を務める緒方貞子もその一人で、中村豊一元フィンランド公使の長女であった、という興味深い話もある。

(追加:2015年8月22日、軽井沢の旧スイス公使館深山荘の一般公開の様子はこちら。)



<終わりに>

最後にひとつ楽屋裏話を。この時のスイス公使はカミーユ ゴルジェであった。大久保所長とは当然何度も話し合いをした関係であった。そこで著者高川氏は近年、スイスでゴルジェ公使の親族とコンタクトを取れないか、いろいろ努力をされたことを筆者は知っている。本書を読む限り、残念ながらコンタクトは出来なかったようだ。

筆者の「日瑞関係のページ」に興味を持たれる方は、ぜひこの本を買ってお読みいただきたい。戦時下の欧州で活躍した邦人について、新たな感動を得ることは間違いありません。

(2015年7月15日 同書発売の日に)

 
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