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死者からの手紙
ПИСЬМА МЕРТВОГО ЧЕЛОВЕКА
(PISMA MERTVOGO CHELOVEKA)
DEAD MAN'S LETTERS

[かいせつ]
1986年マンハイム国際映画祭第1賞、国際批評家連盟賞

 この映画は折しも、国連の国際平和年という1986年に製作され、同年のマンハイム国際映画祭第一賞他を受賞した。コンピューターのエラーと、それにつづく、わずか7秒間の人為的ミスで起きた核爆発後の地球の姿を描いて、"芸術的にも、技術的にも、同様のテーマで描かれた「ザ・デイ・アフター」を越えた"(英"ザ・オブザーバー″誌)作品として、米・英・仏などヨーロッパ各国で上映され、大きな反響があった作品である。
 監督のコンスタンチン・ロプシャンスキーは1947年生まれ。この映画が長編第一作だがカザン音楽院、レニングラード音学院大学院出身で、音楽評論でも優れた功績を挙げている異色の監督である。レニングラードのマールイ・オペラ・ドラマ劇場で働きながら、29歳で2年制の高等監督コースを終了。卒業制作は短篇「ソロ」。その後、タルコフスキー監督の「ストーカー」(79)で実習を受けている。
 長篇第一作となる「死者からの手紙」は、1986年マンハイム国際映画祭グランプリ、FIPRESSI賞をはじめ、14もの国際映画賞を受賞した。この映画のフィナーレを音楽の学徒でもある監督はオリヴィエ・メシアンとガブリエル・フォーレの音楽からの抜粋で結んでいる。
 「ストーカー」の共同脚本家として知られている有名なSF作家ボリス・ストルガツキーらが、シナリオに着手したのは1983年。しかし、そのペシミステイックな内容が当局の不評を買つて、審査に手間どり、当時の映画人同盟のセルゲイ・ゲラーシモフ監督らの支援もあつて一年以上かかって映画化にこぎつけた。しかも、この映画が完成して一ヶ月後、ソビエトでチェルノブイリ事故が起きた事実はこの映画の奇しき運命を思わせる。
 撮影はオールロケ、レニングラード効外のクロンシュタット堡塁にまだ残る、戦後の廃墟で行われた。しかも冬、人工の煙にむせ返りながら、防毒マスクをつけて演技が続けられた。出演者の殆どは、主役の老科学者役のロラン・プイコフをのぞき映画初出演。監督としても著名なロラン・ブイコフのこれは代表作となると目される名演技、"核の冬"後の闇の世界を運想させる、モノトーンを基調にした茶褐色の画面、この人類減亡の危機の描写に黙示録的世界を暗示させるような音楽構成(アレクサンドル・ジュルビンのテーマ・ミュージックにガプリエル・フォーレとジュリオ・カッチーニの作品が挿入されている)はこの映画の成功に大きな役割をはたしている。
 映画はまた、事件の舞台を特定せず、この惨事がどこでも起こりうる、従ってつまり、自らの内に起こるものとして描いているが、これも、同種の映画では初めての事と云われる。ロプシャンスキーは映画ではベルイマン、ブレッソンを好み、文学ではブラッドベリー、 ドストエフスキーに影響を受けたと言う。ドストエフスキーこそはグローバルに物事を考え、世界の運命に心を痛めていたと語る。そしてロプシャンスキーは自らの作品で、むしろヨーロッパ映画にも見られる伝統、人生の哲学的な認識を志向したいと語る。これには、師アンドレイ・タルコフスキー監督の深い影響を見逃せない。

[あらすじ]
 この物語には場所の設定は特になく、また登場人物も特定の国の人々ではない。ある日誤つて核兵器発射命令が出たが、コントロール・センターの技師がたまたまコーヒーにむせたため、中止のボタンを押すのが7秒間遅れた。核兵器は発射されてしまい、世界中が大惨事にまきこまれた。もはやこの地球には太陽の光が届かなくなり、昼と夜の境すらわからず、外界は防毒マスクをつけなければ歩くことも出来ない死の大地と化していた。
 博物館の地下室には、ノーベル賞受賞の学者ラルセンとその妻アンナ、イタリア人の一家、博物館員ヒュメーリの父と子、この破局を記録しようとタイプを打ちつづけるテシェール夫妻らが難を逃れていたが、彼らも放射能におかされていた。
 ラルセンは行方不明になっている14歳の息子エリックを懸命に探していた。しかし、もはや墓場となった地上ではその手がかりさえもつかめない。
 彼はいま、自分の眼で目撃した惨事の状況と自分の思いを息子宛の手紙にしたためている。
 彼が息子を探しもとめてたどりついたかつての孤児院では、孤児たちが安全な核シェルターに移るため、健康診断を受けていた。だが、核シェルターに入ることのできるのは健康な人のみ、子供ならば両親が健在な者にかぎられた。結局、保母のテレーザだけがシェルターに移ることを許可される。ラルセンはその様な非人道的な選別に深い憤りを覚えた。
 ラルセンは、重傷の妻のために麻酔薬を入手しようと、外出禁止時間に病院に知人の医師を訪ねるが、その医師にもシェルターヘの移動命令が出ていた。医師の計らいでやっとヤミ屋と麻酔薬を交換したラルセン。しかし、彼が博物館に着いた時には、すでに妻は息絶えていた。やがて、人類の歴史はすでに終わったと信ずるヒュメーリも、息子との合意のもとに自殺を遂げる。そして、廃墟と化した博物館の図書室では男が黙示録に予言された時が来たと叫ぴつづける……。
 やがて、テレーザが行き場を失つた孤児たちを連れてラルセンを訪ねて来る。
 一方この日、人々はシェルターヘと移って行った。博物館に子供たちと残ったラルセンは、翌日が降誕祭であることに気づいて、枯枝を集めてクリスマスツリーをつくる。そして間もなく、孤児たちの見守る中、「地球は決して滅亡したのではない。行け、力のある内に歩いて行きなさい。人は歩いている限り希望があるのだから」と言い残して息を引きとる。

[スタジオ/製作年] レンフィルム・1986年製作

[スタッフ]
脚本:コンスタンチン・ロプシャンスキー
   ヴャチェスラフ・ルイバコフ
   ボリス・ストルガツキー
監督:コンスタンチン・ロプシャンスキー
撮影:ニコライ・ポコプツェフ
音楽:アレクサンドル・ジュルビン
美術:エレーナ・アムシンスカヤ
   ヴィクトル・イワノフ
顧問:A・グロムイコ(ソ連邦科学アカデミー特派員)
PRODUCTION : "LENFILM"STUDIO
SCREENPLAY BY : KONSTANTIN LOPUSHANSKY
VYACHESLAY RYBAKOY
BORIS STRUGATSKY
DIREOTED BY : KONSTANTIN LOPUSHANSKY
DIRECTOR OF PHOTOGRAPHY : NIKOLAI POKOPTSEY
ART DIRECTOR : ELENA AMSHINSKAYA
VIKTOR IVANOY
MUSIC BY : ALEKSANDR ZHURBIN
ADVISER : A GROMYKO

[キャスト]
ラルセン:ロラン・プイコフ
ヒュメーリ:イオシフ・ルィクリン
ヒュメーリの息子:ヴィクトル・ミハイロフ
テシェール:アレクサンドル・サビーニン
テシェール夫人:ノーラ・グリャカロワ
LARSEN : ROLAN BYKOY
KHYUMMEL : lOSHIF RYKLIN
KHYUMMEk'S SON : VIKTOR MIKHAILOV
TESHER : ALEKSANDR SABININ
TESHER'S WIFE : NORA GRYAKALOVA

[ジャンル] 長編劇映画
[サイズ] 35mm / スタンダード / カラー
[上映時間] 1時間28分
[日本公開年・配給] 1988/11/5 ・日本海

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