第1章 企業の戦略、個人の武器としての「決断」

(1)アウトプット思考
(2)情報力と設計力
(3)利益表で考える
(4)”決断の樹(ディシジョン・トリー)”と予見力
(5)危険回避の方法


(1)アウトプット思考

*松下幸之助氏は、パターン認識のよってすばやい判断ができる*

 ある日、松下電器産業の本社ビルの一室で、オペレーションズ・リサーチの権威である茅野健(かやのけん)氏のもとに、経営状況を検討するためのグループが結成された。このグループは、一ヶ月を費やして、在庫が数パーセント過剰になっていることを発見した。
 ところが、ちょうどそのころ、会長の松下幸之助氏が彼らの部屋に入って来て、「みなさん、いかがですか。」と言いながら、財務諸表などを見ていた。そして、在庫が数パーセント過大になっているなと指摘したという。十人以上の人間がかなりの日数を投じ、コンピュータを駆使して発見したことを松下さんは瞬時にわかったという。
 この話は、松下氏の名経営者ぶりをいかんなく物語っていて、たいへん興味深い。松下電器では、もちろんこの年の在庫を適正なものにするために、生産管理、販売促進などが行われてのは言うまでもない。
 松下電器は、家電業界のトップ企業である。その躍進の原動力は、松下氏をはじめとする経営陣のみごとな手腕によるところが大きいと言われている。つまり、経営に関してつねに正しい決断が行われている会社といえる。そしてすぐれた経営者の決断の裏には、的確な問題の把握がなされているものだ。
 右の話の場合、松下氏には、長年の経験によって在庫問題に関する典型的なパターン認識があり、そこからの類推によって、コンピュータにもまさる判断ができたのであろう。
 昔、質屋の小僧に入ったら、はじめほんものを徹底的に見せ、覚えさせるという。ほんものがわかれば、そうでないものはにせものとなる。目が肥えたことになる。眼識力である。
 現代でも画商などはこのようにして、訓練されている。直観力である。直観力は天与のものではない。努力の蓄積の賜物なのである。目的に向かっての努力がこの直観力を鋭いものにしてくれる。
 このような直観力を持つにこしたことはないが、もっと一般的な方法によって、右の松下氏のような判断力を養うことはできないだろうか。松下氏のように経験が豊富であれば、知らず知らずのうちに、仕事上の問題にもパターンがあることを知り、それを応用することによって解決することができる。
 しかし、そういう離れ技ができるのはごく一部の人だけである。正しい決断をしようにも、あれこれ迷い、ついにはチャンスをのがしてしまうことが多いものだ。そこで、私の専門分野からの問題解決の方法をこの節でいくつか紹介してみたいと思う。

*「パレートの法則」を知っていれば、顧客対策をまちがえない*

 どのような複雑な現象でも、それを起こしている主要な原因の数は少ない。したがって、少ない変数で、その現象を説明することをすすめたい。あまりことこまかに説明しようとしても問題の本質をとらえられない。この原理を指摘したペンシルバニア大学のR・エイコフ教授は、次のようなことを言っている。
 ある店舗の売上高の予測を依頼された学者が、連立方程式による計量経済学モデルを使って計算したところ、さっぱり当らなかった。そこで、次に依頼されたエイコフ教授は、その店舗の前を通る交通量だけを利用して、売上高の正確な予測をしたという。
 現象を的確にとらえていないものは、なんでもかんでも多くの情報を集めたがるというのである。どのような現象、あるいは問題でも決め手になる物の数は少ない。科学は、この原理の上に立っている。つぎの例にもそのことが言える。
 Tさんの割り当てられているテリトリーの企業が二十社ある。これからも売上げ利益を維持、増大させなければならないという。
 二十社からほとんど同額の売上げ利益が得られているということはまずない。Tさんのあげる売上げ利益総額の七五パーセントくらいはトップ五社からのものである。さらに上位十社からの売上げ利益は全体の九〇パーセントはおさえている。残りの十社から水揚げする売上げ利益はわずか一〇パーセント程度である。これを「パレートの法則」という。
 したがって、Tさんとしては、最大の売上げ利益をくれるAクラスの企業と、最低の利益しか提供しないCクラス、および中間のBクラスの企業、それぞれに対する対応の仕方を変える必要がある。
 Aクラスでの売上げ利益の一パーセントの増大とCクラスにおける一パーセントの増大とは、その利益の絶対額において、大きな違いがある。したがって、Aクラスに重点的に多くの時間をさき、売上げ利益の増大に努めるべきである。

*企業者精神に満ちた経営者は、低成長期にも強い*

 自分の置かれている状況を正しくつかむための武器として、成長分析の方法がある。
 企業成長や製品の売上げの伸び率、あるいはサラリーマンの社内における評判の移り変わりなど、あらゆる事物の”成長”には、ある一定のカーブを描く成長曲線が考えられる。
 まず成長の初期では、ゆるやかなカーブで上昇するが、まもなく成長期の急激な上向きのカーブになる。つづいて飽和点に達してカーブのいちばん高いところがしばらく横向きになる。これが成熟期である。あとは下降のカーブであり、衰退期に入る。『平家物語』でいう「盛者必衰の理(ことわり)」である。
 日本の戦後の経済成長もこの曲線通り動いてきたように思える。さしずめ現在の日本経済は三番目の成熟期に入っていると見なされないだろうか。
 成長曲線の各期の期間の長短は、対象によって異なる。企業に例を取ってみると、各地のボウリング場や、外食産業の代表とも見なされた牛丼のように飽和点に達したかと思う間もなく、急速な衰退を迎えたものもある。ビールのように過去二千年の飲料水にもかかわらず、いっこうにその人気の衰退の気配の見えないものもある。
 この成長を示す曲線を成長曲線とも、ライフ・サイクルともいう。あらゆるものは変化し、成長曲線をえがく。もちろん、この成長曲線にうまく乗り切らないものもある。成長期をむかえるまえに倒産する企業もあれば、成長期から成熟期にはいる飽和点で倒産する企業もある。企業の目標は永続企業である。衰退は回避されなければならない。ここに経営の能力が発揮される。
 これまでのアメリカ経営の鉄則は「利益は成長期にある」との認識である。したがって、新製品の研究、開発にきわめて積極的であった。
 アメリカの過去百年の経済成長率は四〜五パーセントであった。現在の日本もほぼこれくらいである。これより、成長率の基本は四〜五パーセントであると考えられるが、企業成長の盛んなときに年率五〇パーセントを示す企業もよくある。京都セラミック、積水ハウス、日本警備保障、サンリオ、小僧寿しなどがそうである。
 しかし、成長の法則に従えば、同じ状態が、このまま続くことはない。四〜五パーセントになるように引き下げる力が働き、早晩、成長率は鈍化する。鈍化するとき、経営の危機に直面することがあることに注意したい。吉野屋がよい例である。
 活発に成長を続けている企業の経営者はしばしば創業者でもある。企業者精神が旺盛であるからだ。しかし、成長が鈍化し、成熟期に入ったときの経営者は、管理者的経営者に代がわりしていることが多い。日本の経営史を見ても、また、最近の有力企業のなかでも、本田技研工業、ソニー、松下電器などのように、この交代劇を実証することができる。
 決断に満ちた創業者であり、なお軌道にのってからも経営者であり続ける経営者像を企業者的経営者という。
 低成長経済において、強く求められる経営者像であり、また、発展途上国でも強く求められている経営者像である。私が、数年前にフィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学の日本研究所長として赴任していたときも、当地の有力企業のオーナーには、このような企業者的経営者と呼ぶべき人が多かったことを記憶している。また、当地の経営教育の目標も、企業者的経営者の養成にあった。

*「東芝は、ノーベル賞なんかほしくない。」*

 システムという考えかたがある。システムはインプット(入力)、プロセス(工程)、アウトプット(出力)からなっている。これがシステムのもっとも基本的な”システム”である。システムの枠組みの中に入れて考えるか、入れないかの境界をシステム境界という。
 この問題をたとえば、販売課内の問題として検討するということであれば、システム境界は販売課単位となる。
 システムのなかで、どの部分を重視するかによって、インプット思考とアウトプット思考の二つにわけることができる。
 インプット思考というのは作り出すべき結果をあらかじめ想定することなく、インプットをいろいろつぎこむ態度をいう。学者のやりそうなことである。あの文献も読んだ、この文献も読んだ。そして、自分の論文を書く。人がそれを読もうが読むまいが、「我関せず。」である。ある研究によると、日本の大学の紀要などに載せた論文は、自分以外にわずか平均一・五人、すなわち二人は読まないという。これなどは典型的なインプット思考といえよう。
 これに対し、アウトプット思考はどのような結果を出すかを設定し、それからインプットのほうを問題にする。東京芝浦電気の飛躍の原動力となった現会長の岩田弐夫(かずお)氏の東芝精神革命は、インプット思考からアウトプット思考への転換を意図したものである。
 東芝の新社長に就任した岩田氏が会社の研究所に初めて行った。そこに、
「ノーベル賞を狙え! 研究所長」
 という誇らしげな標語を見た。彼はこれに激怒した。
「こんなバカげた標語があるか。東芝は株式会社であって、財団法人の研究施設じゃない。東芝の研究所はノーベル賞など絶対に狙うべきではない。会社というものは、マーケットにマッチした製品の研究をやるべきなんだ。その研究の成果がノーベル賞をもらえるなら、こんなうれしいことはないが、最初からノーベル賞を狙うという態度は、どういうことなんだ。」
 これが岩田氏の社長就任の第一声だったと、経営評論家の梶原一明氏は報告している。

*トヨタ自工の”カンバン方式”は、アウトプット思考の代表*

 岩田社長の考え方がアウトプット思考である。システム分析の立場はアウトプット思考を重視し、つぎのように問題を分析する。
 あるニーズ(必要、需要)を満たすためのアウトプット(商品)を出す。ところが、大衆のニーズにじゅうぶん答えていないとする。この場合ニーズとアウトプットにへだたりがあることが確認される。
 となると、そのへだたりをなくするためには、インプットを調整すべきかあるいはプロセスを調節すべきかということになる。このように、ニーズとアウトプットのズレの問題を解決する仕方をシステム分析という。システム分析の中心は、もちろんアウトプット思考である。
 トヨタ自工の有名な”カンバン方式”もこのアウトプット思考にかなっている。自動車の組み立てに必要な部品は、そのつど、いるだけ工場に取りに行け、というのがカンバン方式である。これだと、必要でない部品は積まれたままであり、部品の過剰ストックがひと目でわかるその結果、在庫、運送、製品管理などすべての面にムダが省略されるという。
 部品を作り出す機会をやみくもに稼働させるとたちまち部品の山ができあがる。インプット思考の悪い面がもろに出てしまう。必要に応じて作るというアウトプット思考の有利さがここでも立証される。トヨタのこの方式を誰が考えだしたのか知らないが、合理的な工場経営として注目を浴びたのも当然である。
 管理者の最重要な仕事は問題の発見である。コロンブスの卵のたとえのように、言われてしまえば、「なんだ、あんなことなら、私は以前から気がついていた。」では困るのである。先に述べたパレートの法則も、成長分析もその根底にある考え方はアウトプット思考である。これが問題の発見と解決の鍵なのである。

*特許を無償公開することによって、市場を大きくひろげたフィリップス社*

 アメリカのRCAと並び世界的家電メーカーとしてオランダに本社を置くフィリップス社は、その技術力もさることながら、戦略上のキレのよさでも抜群の力を発揮する企業として知られている。フィリップス社は、”夢の商品”として期待されている、絵のでるレコード、ビデオ・ディスクの開発に先鞭をつけた企業でもあった。
 フィリップス社の戦略が、世界の家電業界から注目を浴びたのは、カセット・レコーダーの販売に力を入れはじめたときであった。現在では、テープ・レコーダーといえば「カセット」が主流となっているが、これを開発したのもほかでもないフィリップス社であった。
 それまで、テープレコーダーといえばオープンリール型が、主流であったが、「コンパクト・カセット」の登場で一変した。しかし、オープンリールからカセットへの流れを急速に変えてしまったきっかけは、フィリップス社が特許の無償公開を世界に宣言したことによる。便利で手軽なカセットテープが世界中を文字通り席巻した。世界中のメーカーが、フィリップス方式を導入して、リールからカセットへ切り換えた。
 フィリップス社の首脳陣は、自社の特許を無償で公開するとの決断を下した背景を、
「特許を公開することは、市場を大きく成長させる。大きな市場の中で小さな占有率を持ったほうが、小さな市場で特許をタテに独占するよりずっと有利である。」
 と語っている。フィリップス社は、現在、アメリカをのぞけば世界第五位の企業として君臨している。その秘密は、需要をつくりだすことからはじめたアウトプット思考を駆使したすぐれた経営判断にある。
 コンピュータ業界の王座を占めるIBMにも、フィリップス社と通じるアウトプット思考が見られる。IBMは、情報処理技術者を積極的に養成することで知られている。ところが、有能な人材に育てたところで、他社に引き抜かれていくという。技術者養成に多額の投資をしたのに、すべてむだになるはずだが、IBMでは引き抜きに対抗する手段をぜんぜん取らないで、それでもどんどん技術者養成に力を入れているという。
 IBMがこんなに寛大なのは、流出した技術者が、その会社でIBMのコンピュータを使ってくれるからである。すぐれたセールスマン以上の働きを彼らはしている。人材に投資した金は、IBMに大きな売上げ利益となって返ってくるのだ。
 日本では、退職者は、ほどんど会社に怨念を抱いているものである。しかし、IBMの場合は、おおいに異なっている。退職者同士の横の連絡もうまくいっていて、情報もすばやく入手できるという話を、アメリカ帰りの技術者からうかがったことがある。このようなアウトプット思考ができるシステムを形成しているIBMはさすがである。

 

(2)情報力と設計力

*決断には、情報、設計、選択、反省の四つの過程がある*

 一九七八年のノーベル経済学賞は、H.A.サイモン教授に与えられた。サイモン教授は非常に多くの業績をあげたが、その一つに、「経営は決断である。」との認識から、経営現象をとらえなおしたことがあげられる。サイモン教授は、決断の過程を1情報、2設計、3選択、4反省の四つの活動からなるとみる。
 1は問題は何かを探す活動である。問題とは、目標に向かっていくときの障害物のことである。したがって障害物は何であるかを知ることが情報活動なのである。意味もなく、情報を集めることはなんの役にも立たない。目的にあった情報を集め、整理することである。
 会社でいえば調査部の活動はこれにはいるだろう。もちろん、調査部内で決断をせまられるときは1から4の活動がとられる。会社全体として、扱っている商品あるいは新製品についての市場の情報収集は、調査部の中心的な仕事である。この仕事はサイモンに従えば情報活動ということである。先見性が必要な活動である。
 2の設計活動は、問題の解決案をいろいろ出してみる活動である。たとえば、東京から福岡に行くときに、飛行機で行くか、電車で行くか、あるいは車あるいは船というように、いろんな方法を考え出すことを設計活動という。会社でいうと企画部の主要な仕事はこれである。
 3の選択活動は、2で案出した解決策のなかから、もっとも好ましい案を採択することである。
 会社でいうとトップの経営者の仕事はほとんどこの選択活動と言ってもよい。もちろん部課長が行う選択も日常の仕事のなかで多いことは言うまでもない。
 4の反省活動は以上の1から3の活動を振りかえってみて、どうであったかを反省する活動である。ある将棋の名人が言った。
「相手と指し終わってから、それを振りかえり、はじめから各局面を思い出しながら反省する。その反省が終わって初めて一局が終わったというのである。」と。

*大統領選挙の戦略を、二十八歳の青年にゆだねたカーターの英断*

 現代は、情報の時代である。情報がいかに重要か多言を要しない。決断にも情報の有無が大きく左右する。大統領候補として、中央政界とはなんの関係もなく、まったく知名度のなかったジミー・カーターの決断を考えてみよう。
 選挙に立つことを、無名のカーターが決断することは、大きな賭けだったにちがいない。
 だが、この決断を、カーターは単なる無謀な賭けには終わらせなかった。一見、勝算のないように思われた決断の裏には、じつに綿密なデータが備わっていたのである。
 そのデータを収集したのは、カーターの腹心であるハミルトン・ジョーダンである。当時、まだ二十八歳という若さ。ジョーダンがまとめた報告書は分厚いもので、アメリカ国民がいま望んでいるのはカーターのような誠実な人物であることを指摘、カーターが出馬すればブームを起こせると予言していた。
 当時のアメリカ国民の多数は、ベトナム戦争に続くウォーターゲート事件といういまわしい出来事に反発していた。この時期に「私は一地方の政治家にすぎない。」ことを売り物にし、誠実な印象を植えつけていった。
 これはたんに偶然にうまくいったのではない。カーターの決断の裏には、このようなデータが存在した。そのデータ収集を弱冠二十八歳の若者にまかせたことも、一つの大きな決断だったと言えるだろう。決断をするためには情報が必要、そして、その情報を集めるためには、すばらしい人材が必要なのである。決断は、あなた一人でできるものではない。信頼しうる部下を育てておくことこそ、正しくすばやい決断をするための近道と言えるだろう。
 また、決断したあとの行動も、その決断を成功させるかどうかの鍵である。カーターは、大統領選出馬を決めたあとの四年間、大統領についてあらゆる角度から勉強したと言われる。ハワード・ノートンとボブ・スロッサーの共著による『ジミー・カーターの奇蹟』によれば、ロザリン夫人はつぎのように語っている。
「夫はあらゆることを勉強しました。大統領のことを書いた本を読み漁り、大統領選挙に出て落選した人たちの話を書いた本まで読みました。政府のことも勉強しました。思いあたる問題すべてについて情報をかき集めました。各州の位置を記憶するために、米国の地図をこしらえて、はめ絵パズルまで買ったんです。」

*「決断のアウトプットを改善せよ。」と助言してくれたライシャワー教授*

 一九七四年の春、私は、ハーバード大学に学び、帰国を間近にひかえていた。同じ研究所に韓国からB教授が来ていた。親交があったので、彼は韓国への帰途、東京の拙宅にも寄りたいという。ぜひそうしろということになっていた。
 ところが雲行きがおかしくなってきた。私の勤務する大学の同僚が学術交流で韓国へ行ったところ、スパイ容疑で逮捕されたと新聞は伝えていた。ほとんど同じころ、同じ大学の卒業生がやはり同じような政治犯容疑で逮捕されたとも新聞は伝えている。どうなっているのか。朴政権は、私の大学を毛嫌いしているのではないかとの妄想までわいて来た。
 当時、韓国では、日本はスパイ天国であると見なされていた。したがって、もし韓国人が日本に立ち寄ったときは、微に入り細にわたり、日本滞在中の行動が調べられるという。B教授が拙宅に立ち寄れば、あらぬ嫌疑がかけられないとも限らない。といって、彼にこんな話をしたものかどうか迷ってしまった。彼の拙宅訪問を私が好まないと誤解されるかもしれなかった。
 ちょうどそのころ、われわれと同じプログラムでハーバード燕京(えんちん)研究所にきたことのある京城大学の法学部教授が、研究室の窓から投身自殺した。朴政権に追いつめられたからと聞いている。私は迷った後で、いろいろ親しくしてもらっていたライシャワー教授にB教授の訪問を断るべきかどうかと相談した。ライシャワー教授は、
「B教授に客観的な情報を提供したらよい。訪問するかどうかの決断は、彼にまかせたらよいだろう。」
 と助言してくれた。そこで、B教授に日本の新聞を示しながら、前述の情報を提供した。ただちに、彼はハーバードに来ている韓国の新聞でそれを確認した。彼は拙宅によるのを取り止めてしまった。
 私は、ライシャワー教授の助言が的確だったといまでも思っている。決断のアウトプットを改善するためのよりよい情報の提供が、ライシャワー教授の助言の意味であったといえる。
 高山文敏(ふみとし)氏は三井鉱山のエンジニアであり、社内の問題解決の指導に当たって約二十年になるという。最近、『現場を動かす六十の知恵』を出版した。高山氏はみずからの経験から私に直接つぎのことを教示してくださった。
「問題にぶつかり、解決ができないという場合は、既存の情報だけで解決しようとしていることが多い。さらに関連情報を収集すれば打開の道は拓かれるものである。」と。
 的確な決断に情報活動がいかに重要かを教えている。
「こまった。こまった。」と言っているだけでは難局打開にはならないのである。情報はコストをかけ、集めなければならない。金をかけるのをケチっていてはろくな情報は集まらないと覚悟しなければならない。しかも、占いなどに頼るのではない。人間の努力による情報収集でなければならない。問題が何かがはっきりしてくると打開の道は開けてくる。

*時間の配分をうまくすれば、勉強の効果はグンと上がる*

 決断というのは、語感的に不確実なあるいは暗中模索のなかで、ある断を下す意味合いが感じられる。反対に確実性下の決断は、行動と結果の対応関係がはっきりわかっている状況での決断であり、簡単にできるように思える。
 その理由は、情報活動がきちっとしているからである。しかし、この場合、一般に設計活動が複雑になることがある。ということは、とりうる行動が非常に多くなり、簡単にどれがよいか見分けができない場合が多い。
 この事情を受験勉強に際しての各科目への時間配分問題として考えてみよう。受験科目は英語、社会と国語の三科目とする。科目の数は多くても考えかたは同じである。試験で満点をとることは至難のわざである。ありったけの時間を一科目に投入しても満点をとることは不可能である。
 同じ時間の勉強でも、はじめのうちは学力の伸びも大きいが、だんだんその伸びも鈍化してくるのが一般的傾向である。受験は一定の持ち時間をいかに有効に各科目に配分して、総合点数を多くするかにかかっている。どんな勉強の仕方をすれば、うまくいくだろうか。
 これには、経済学でたいへん有名な法則がある。それは「限界生産力均等の法則」である。各科目で、点数の増加がひとしくなるように時間を配分せよというのである。
 英語、国語、社会の各科目とも、一時間勉強すれば、点数が、ひとしく十点ずつ上がるというものではない。得手不得手があるうえ、科目の性質上、一朝一夕で実力がアップしないものもある。しかし、各科目の点数増加分がひとしくなるように時間を配分すれば、総合得点がいちばん大きくなることがわかっている。
 各科目とも十点ずつあげるために、たとえば、英語に一時間、国語に二時間、社会に三十分というように時間を割り当てるとよい。
 ビジネスでも、利用できる資金額に限りがあるので、どのように配分すれば、もっとも効率的かという問題が起きる。たとえば、商品の店頭販売のためにアルバイトを雇い、また新聞にチラシ広告も入れたいとする。この場合も、売上高の増加分が等しくなるように、この資金を配分すれば売上高が最大になる。
 決断に当っては、この法則をおおいに利用することである。

*問題が行き詰まって、決断できないときには、別の角度から見る*

 長崎県土木部用地第一課の土地収容担当官である上原忠男氏から、次のような話をうかがって、私は、正しい戦略を見いだすことがいかにむずかしいかを痛感したものであった。
 ある道路を通さなければならない。それがどうしても無縁墓地を通る。しかし、墓地の世話をしている近くの老婆は、
「古くからの言い伝えで、これを動かすと、かならず罰があたる。」
 と言って、無縁墓地移動に絶対反対であった。経済的補償で妥協を求めても、もちろん貸す耳を持っていない。
 お婆さん説得の方途がまったく見いだせずほとほと困り果てていた。そのとき、ちょっとある思いつきが頭をよぎった。易者に相談してみることであった。そこで易者に、この問題でうかがいをたててみた。
 易者はつぎのように言った。
「これは寝る日に移すのは絶対によくない。しかし、起きる日に動かすなら、少しも問題はなく、さらにじゅうぶん供養して行うならば、非常によい。」と。
 なお、「寝る日」というのは、指を折って数えるときに、指を閉じる、つまり一日から五日、十一日から十五日などが「寝る日」になり、指を開いて数えていく、六日から十日、十六日から二十日などが「起きる日」になるという。
 そこで、上原氏はこのお婆さんのところに行って、先の易者の話をした。そして、ぜひこの易者のところに行くことをすすめた。間もなく、お婆さんは無縁墓地移動を快諾したという。もちろん「起きる日」のいずれかに移動するという条件付きで。
 このような解決案を着想するには、創造性が要求される。その創造性も仕事熱心からくる。担当官の”窮余の一策”が見事に功を奏したといえよう。言いかえれば、設計活動に工夫がなされたのだ。

*転職の危機を、上司の相談することによって解決したH君*

 その人の一生を左右するような重大な決断のときか、何回となくある。たとえば、進学、結婚、就職といろいろ思い悩む瞬間がある。なかでもサラリーマンにとっては、現在勤めている会社を辞めるべきかどうかの決意がつかないときには、本人も家族も心痛のあまりノイローゼにもなりかねない。転職で運をつかむ人もあれば、脱サラをしてみても、みごと失敗というケースもあるからだ。
 都内の工業高校を卒業後、石川島播磨重工業に勤務するH君が、この退職の危機をどういうふうに乗り越えたか、みてみよう。
 当初、溶接工として入社したH君は、過労がたたって、約三週間の入院を余儀なくされた。退院後も、体が思うように動かず、前途に暗い予感さえ抱く毎日を送るようになってしまったという。会社を辞めさせられたらどうしよう、つぎの就職も自信がない。せっかく一流会社に採用されたのに、と不安がつのるばかりだった。
 そのとき、H君の高校時代からの夢は、船舶の設計の仕事につくことだったのを思い出し、思い切って上司に配置転換の願いをすべく相談に行くことにした。しかし、客観的に見て、設計部門にたずさわっている人は少なく、たいていの人は、専門課程をへてきたエリートばかりであり、そう簡単に希望が通るわけがないようにも思えた。
 二ヶ月後、H君は、”鬼の労務”と社員からおそれられている労務課長から呼び出しを受けた。おそるおそるH君が出向いてみると、労務課長は、
「現場からいきなり配置転換というぐあいにはいかないが、社内には意欲的な人たちを集めた専門の教育制度がある。もちろん、試験がある。でも、それにパスして二年の学習期間を終了すればある程度希望に添った仕事につけることになっている。試験は毎年三月にあるので、それまでいまの現場でがんばってみては……。」
 とアドバイスをしてくれたという。
 H君は、とにかく課長のアドバイスに従おうと決心し、翌年の三月に社内試験を受け、みごとパスすることができたという。
 それから二年間の学習期間ののち、クレーン部門の設計にたずさわることができるようになり、はりきって毎日の仕事に精を出しているという。大会社というのは、組織が大きいだけに融通のきかないところがある。しかし、あのとき、勇気を出して、やりたい仕事を上司に相談しなかったなら、今も現在の会社にいるということはありえなかったでしょう、とH君は述懐していた。
「意志あるところに道あり。」という。聖書にも「求めよ、さらば与えられん。」ということばがある。目的に向かう意志が実現できないところに問題が生じる。ここに決断が必要になる。
 H君が道を求めたところに、労務課長から解決案を求める設計活動への協力が得られた。心あたたまる協力であった。社内のこのあたたかさが日本の生産性につながっていると思う

 

(3)利益表で考える

*企業戦略とは、体質を強化する行動のことである*

 企業戦略とは何か。戦略とは、体質を強化する一連の行動のことである。したがって、企業の戦略は、その企業体質の弱点を是正し、強化するための一連の経営活動をいう。個人的レベルにおいても、あなたの戦略とは、あなたの弱点を強化する行動のことである。
 このような戦略についての考えは、著者個人だけのものではない。ハーバード・ビジネス・スクールの経営情報システム・コースの担当であるJ.M.マケネー教授と話し合っているときに生まれたものである。以来、私はこの戦略概念を使って、経営学を考えてきた。
 ともあれ、企業の戦略の大きな要件は、意思決定にある。つまり決断こそが、戦略を成功させるうえでの大きな力となる。決断は、どこから生まれ、どう実行すればよいのか。決断が遅れるのはなぜか。これを考えてみよう。
 決断とは、目的実現のために、ある行動を選択することである。しかし、その行動は、いつもいろいろな制約を受けている。
 たとえば、どうしても投資しなければならないとする。ところがとうぜん資金の制約がある。利用できる資金よりも多い投資案は、現実の決断としては意味をなさない。部長よりは課長と下位にさがるほど制約条件がきつくなり、動きが取れない。すなわち、選択の余地がせばまる。
 制約条件の中で、取りうる行動として何があるか。これが前述の設計活動である。従来の経済学では、ここでとりうる行動は、すべて完全に列挙できると仮定している。取りうる行動、解決案を求めるにもコストのかかることであり、また生身(なまみ)の人間はそう全知全能でない。これを有限合理性という言葉で、サイモンは明確にしてきた。人間の合理性といっても有限であるというのである。さらに、選ばれた行動の生み出す結果も完全に予測できない面があるたとえば一億円の広告投資効果はどれほどかということになると不確実な面が出てくる。
 現代は「不確実性の時代」だと言われている。この不確実性というのはガルブレイスの『不確実性の時代』がベストセラーになって以来、日常よく使用されるようになったが、もともと特定の意味を持っている。これは解決案と結果、あるいは行動とその結果の結びつきを指すことばでもある。
 行動と結果の関係は、通常1確実性、2リスク、3不確実性の三つになる。
 1は行動と結果がピチッと決まっている状況をいう。一台一〇万円とする。一〇台売る(行動)と売上げ(結果)は一〇〇万円となり、二〇台売ると二〇〇万円になるというようにである。
 2はある行動の結果は確率的にしか予測できない状況である。
 最近テレビの天気予報も確率的になった。明日の天気は確率〇・七で晴れ、〇・三で雨というようになった。確率というとむずかしそうだが、われわれも日ごろよく使うようになっているある商品が売れるかどうか四分六分だと、これは売れる確率が〇・四で、売れない確率が〇・六という意味である。売れるかどうか何とも言えないというのは、売れる確率〇・五であり、売れない確率〇・五を意味する。このような状況をリスクの状況という。
 3の不確実性は、ある行動をとれば、生じる可能性のある結果はいくつか予想されるが、そのどれが生じるかは確率的にも言えない状況を言う。いちばん情報不足の状況である。つぎに不確実性の状況下での決断を検討してみよう。

*ビッグ・スリーに追いつめられたアメリカン・モーターズの戦略*

 第二時大戦後、アメリカでは、それまで抑えられていた乗用車需要が爆発した。それに応じて独立の自動車メーカーが雨後の竹の子のように登場した。しかし、これも朝鮮動乱が落着するころまでにはどんどん倒産して、吸収・合併されていた。
 残るのはビッグ・スリーのGM、フォード、クライスラーとAMC(アメリカン・モーターズ)のみとなった。話しは、このAMCについてである。AMCもビッグ・スリーに圧倒され、市場占有率はどんどん低下し、一パーセントを切るところまで落ち込んでいった。
 このとき、AMCのトップ・マネジメントは苦慮の結果、一つの行動案を思いついた。それはコンパクト・カーを市場に出すことであった。当時、アメリカ自動車業界では、車はデラックスでなければならないというのが常識であった。AMCはこの常識に挑戦しようというのである。
 彼らの取りうる行動としては、このまま座視して死を待つか、あるいはコンパクト・カーを市場に出す化である。その結果はどうなるか彼らは自信がなかった。倒産するかもしれないし、あるいは鉱脈を当て、息をふきかえすかもしれないというのである。この状況は五三ページの利益表1としてまとめられる。利益表とは、状況に応じて取りうる行動がもたらす利益の一覧表のことである。
 市場の状況のいかんにかかわらず、座視していたのでは倒産に追い込まれる。もし、コンパクト・カーを市場に出し,市場の状況がAMCに有利であるならば、AMCは息をつくといえる。たとえ、そのようにしても市場の状況がAMCに不利ならば、倒産に追い込まれるだろうと利益表は読む。行動の側には決断、あるいは戦略が列挙される。状況の側は決断する人間のコントロールできない状況が列挙される。たとえば、景気で言えば、好況、並み、不況のようにである。
 ところで、利益表を作る二つの基本ルールがある。
 第1のルール=選択対象になる行動は全部利益表に表示すること。したがって、この表の行動のどれかが選択されることになる。いろいろ検討した結果、表外の行動が選択されるのでは意味がない。
 第2のルール=発生の可能性のある状況は全部、表に示されなければならない。現実には予想もしない状態が起こったのでは、困るのである。
 問題は、この利益表を使って、どのように行動を選択するかである。

*GM、フォード、クライスラーは、小型車の開発をむざむざ見送った*

 選択活動は、決断の中核の活動である。決断は選択であると考える人もいる。先のAMCの利益表で選択を考えよう。不確実性下においては、どんな結果が出るか予想はつかないが、それでも決断の仕方にはいくつかの基準がある。それはたいへん有名であるが、最大最大基準と最大最小基準と呼ばれる対応の仕方である。
 状況の変化によって、同じ行動でも、得る利益は違ってくる。たとえば、景気不景気の差によって、同じやり方をしていても売り上げにとうぜん差がでてくる。最大最大基準は、最大の利益をもたらす状況、この場合では好景気を前提にして、各行動のもたらす利益の大きさに着目する。そしてそれらのなかでも、一番利益をもたらしそうな行動を選択していく。強気の前提と強気の選択を行うのである。簡単に言えば損してもともと、儲ければしめたものという状況での決断である。AMCはコンパクト・カーを市場に出す行動にでた。座視して倒産を待つよりは、うまく行くと息をつけるかも知れないチャンスに賭けた。これは決定基準から言うと、最大最大基準に立った行動であった。
 一九五八年、アメリカは景気後退に入った。GMなどの最大手でも販売台数が激減した。それにもかかわらず、AMCのコンパクト・カーは強く、販売代数を伸ばしていった。鉱脈を掘りあてたと言えるだろう。
 現在、日米間に自動車摩擦問題がある。ビッグ・スリーの小型車への出遅れがその主要原因の一つである。ビッグ・スリーは、一九五〇年代のこの時点で小型車の強さを認識すべきだったと思う。大型車の収益率に目を奪われ、消費者の動向を見抜けなかったのだ。
 日本の小型車に手痛い打撃を受けたビッグ・スリーは、遅ればせながら、GMがXカー、Jカーの開発、フォードがトヨタとの合弁会社による小型車の売り出し、クライスラーも三菱自動車の小型車の販売に力を入れるなど、失地回復に躍起になっている。
 AMCの盛り返しの時点で小型車の開発を決断しておれば、ビッグ・スリーは、現在のような日本車の輸入規制や、合弁・提携によって危機を乗り越えるという屈辱は味あわなかったはずである。
 日本の自動車産業の繁栄をもたらした高度成長時代においては、企業決断の基準は、つねに強気の最大最大基準であったと言える。しかし、先に述べた成長曲線の躍進期から成熟期に向かう日本経済の低成長時代には、企業決断は、この最大最大基準に立ったままでは危険である。


利益表による企業戦略の選択(本書53ページ挿入表)

1. アメリカンモーター社の小型車開発

行動 \状況

有利

不利

座視する

倒産
倒産

小型車を出す

息をつく
倒産

2. 日魯漁業の企業買収

行動 \状況

最悪

最良

買収する

-850万ドル
+650万ドル

買収しない

ゼロ
ゼロ

3. トリオの新商品開発

トリオ \ライバル

真空管方式

トランジスタ方式

真空管方式

従来通り
打撃を受ける

トランジスタ方式

イメージアップ
従来なみ


*社運をかけてリコーと心中するつもりだったウシオ電機*

 ウシオ電機会長の牛尾治朗(うしおじろう)氏は、弱冠三十四歳で社運をかけた決断をしている。ウシオ工業の電機事業部が独立してウシオ電機になった一年目に、昭和四十年の大不況期に遭遇した。当時、ウシオ電機の取引先で、いちばん大きかったのが、現在複写機の大手リコーだった。しかし「リコー危うし。」の噂が乱れ飛び、銀行からも注意を促される始末であった。
 ウシオ電機では、このとき経営上の重要な岐路に立つことになった。つまり、リコーへの納入を続行するか、撤退するかの決断を迫られたのである。続行して、リコーが倒産するようであれば、ウシオ電機も倒産せざるを得ない。逆に撤退すれば、今まで得ていた利益を失い赤字に落ち込むおそれはあるが、ほそぼそと生きながらえることはできるかもしれない。
 当時、青年社長であった牛尾氏は、このときの心境をこう述懐している。
「だめになったらなったで、しかたがない。はじめて商売をつけてくれたリコー社長の市村清さんと心中するつもりでやろうと決断した。そこで、ぼくは市村さんのところへ行って、『最後まで、リコーに納入します。』といったわけです。そうしたら、市村さんが泣いて、『牛尾くんありがとう。』と言ってくれたのをいまだに覚えています。」
 牛尾氏は、この決定を下すのに2週間かかったという。そして倒産したときには、ボウリング場などの不動産売却で借金を払い、自分はアパート暮らしでもしてしのぐつもりだったと言っている。人間は、最後に来るとじつに浪花節的になるなあ、と自分でも思ったという。しかし、このときの経験が牛尾氏を経営者として大きく育てることになった。その後、リコーは奇跡的な立ち直りをみせ、それにつれ、ウシオ電機の社業も飛躍的に成長していった。
 彼の決断は、危険愛好型であったが、最悪の事態を想定し、それに耐えられることを確認したうえで下したものである。このような決断は、楽観主義と言われるものに属するが、裸一貫を覚悟しての決断には、したたかさが感じられる。これが最大最大基準である。
 最大最大基準と対照的なのが、最大最小基準である。これは、利益最小という意味で最悪事態を考慮して、その最悪の中では損害のもっとも少ない行動を選択せよとの決断の基準である。ウシオ電機の場合、投機的な性格はあったが、リコーとの取引面を中止すればジリ貧になるのは目に見えていた。選択は間違っていなかったと言える。

*50億円でアメリカ企業を買収した日魯漁業の積極策*

利益表1の結果は、「倒産」とか「息をつく」という表現なので、数値を使った複雑な例によって、決定基準を説明しよう。
 昭和54年秋、日魯漁業は米国の水産加工会社として2、3位を競う大手ピーターパン・シーフーズ社を買収するという一大決断をした。この決断を先の決定基準を利用しながら、日魯漁業の心根を検討してみよう。
 この買収額は、2,350万ドル(1ドル220円換算で51億7,000万円)だったという。日魯漁業側は「この買収費は安かった。」と主張している。果たしてそうだったろうか。
 会社売買の最終的な値段は、売り手側と買い手側の交渉力に左右される。「脅し」も入ってくる。といっても、そこには基本になる会社の値段が計算される。いくつかの計算方法はあるが、単純だが、対局を見あやまらない計算法を利用してみよう。
 それはつぎの式である。

会社の値段=経常利益/資本コスト

 ピーターパン社のここ数年の経常利益は、年間150万〜300万ドルを計上しているという。資本コストは、理論的に議論すると迷路に落ち込んでしまう。通常10%を使用する。簡単化のため最悪状況150万ドルと最良状況300万ドルの2つの状況だけで考える。
 最悪状況が続くときのピーターパン社の値段を計算すると1,500万ドル、最良状況が続くときの値段は、3,000万ドルになる。
 買収するか、しないかの利益表は、53ページの表2となる(前掲表)。買収しないときはその結果はゼロとする。買収額は2,350万ドルである。したがって、最悪状況および最良状況での企業買収の損得は、つぎのようになる。
 △最悪状況の時→1,500万ドル - 2,350万ドル = マイナス850万ドル
 △最良状況の時→3,000万ドル - 2,350万ドル = プラス650万ドル
 最大最大基準のとき、買収するときの最大の利得は650万ドル、買収しないときの最大の利得はゼロである。この650万ドルとゼロを比較し、大きいほうの650万ドルを与える行動、すなわち、この企業を買収せよ、これが最大最大基準に立った決断である。
 最大最小基準のとき、企業買収したときのもっとも不利な場合、850万ドルの損失になる(=最小の利得)。買収しないときのもっとも不利な場合は、利益がゼロである。850万ドルの損失と損失なしのゼロでは、ゼロのほうがよい(=最大の利得)。つまり買収しない行動選択をする基準が、最大最小基準となる。慎重な行動選択である。
 日魯漁業は、ピーターパン社を買収した。すなわち、最大最大基準に立った戦略を打ち出したのである。危険を覚悟で、かなり強気の手をうったことになる。企業戦略とは自社の弱点を強化する一連の行動を言うと先に書いた。
 日魯の加藤琢治社長は、この買収戦略について、記者会見で、
「万一北洋がなくなっても、サケの日魯という看板をはずすことはできないとの観点から・・・。」
 と述べている。過去の看板に執着しすぎるのではないかと気にかかるところだ。しかし"サイは投げられた"のだ。
 日魯漁業は、ピーターパン社から年間235万ドルを上回る経常利益をあげるように努力していかなければ、買収した意味はないと言えるだろう。

*ソニーに先を越されたくないから、トランジスタ・ステレオを出した*

 不確実性下の決断の基準は、上述の二つだけではない。しかし、この二つが両極端の決断であり、その他はこれら両者の中間にある決断と言ってよい。したがって、ここでは典型的な上述の基準を取り上げるだけにしておく。
 どの決断がよく、他は悪いとは一概に言えない。決断の性格は分析できても、科学的にどの決断がいちばんよいというようなことは言えない。決断の選択はその人自身の人生観、世界観あるいは企業観などとの関係において、選択されるのであって、科学がこうしなさいと言えるものではない。
 したがって、科学は決断者の侍女であっても、決断者が科学の侍女とはなりえない。科学はただ、決定基準の性格を論じることができるだけであり、どちらが価値があるとは言えないのだ。
 これまでは決断者がコントロールできない「状況」の出方がどうなるかが不明であった。この「状況」が将棋や碁の相手ならばどうなるか。相手の出方によって複雑な対応の仕方が考えられる。
 不確実性の決断のなかには、「状況」を意思のある人間とし、これとの対立・葛藤下における決断も入っている。この種の不確実性をゲームの状況と呼んでおく。
 低成長経済ではどうしても一定の数のお客の奪いあい競争になってしまう。新聞の購読者の獲得競争も熾烈をきわめている。いっぽうのふえた分だけ、他方がその分だけ減少するから、戦いは食うか食われるかになってくる。このような状況の戦略研究にゲームの理論がある。これをステレオ・メーカー・トリオの例で考えてみよう。
 トリオ会長の中野英男氏は、
「私の今日までの経営上の大きな決断といえば、オーディオを真空管からトランジスタ方式に変えたときだったでしょうね。」
 と述懐している。四十一年当時は、経済成長時代で技術革新の激しい時代だった。まだオーディオは新しい分野の商品で、作りさえすれば売れたという時代だった。だから品物がなくて、よく苦情がきたという。ただステレオというのは、ぜんぶ真空管方式でトランジスタ方式というのはなかった。
 いっぽうトランジスタラジオが出回り、トランジスタ時代の到来を告げていた。トリオのような専門メーカーが大企業に対抗していくには、やはり技術力が、企業の生命線となる。
 トリオでもトランジスタをいち早く取り入れて開発を進めていた。四十年の暮れには、トランジスタのステレオがほぼ完成していた。
 ちょうどそのころ、ある評論家がソニーでもトランジスタを使ったアンプを開発しているという噂をトリオに伝えた。トリオの中野社長はそれを聞いて、おおいに焦ったという。他のステレオメーカーなら、そう気にもとめなかったが、なにせ天下のソニーである。
 トランジスタの技術の進んだソニーが、トランジスタ・ステレオを出すということになれば、勝負は目に見えている。そこでトリオでは、ソニーより早くトランジスタステレオを発表することに決断した。
 つぎの時代のステレオはトランジスタだと見通しをつけて、すべての製品を真空管方式からトランジスタ方式に切り換えた。他のライバル・メーカーの「やられた。」「トリオに先を越された。」という声が、トリオ本社に伝わってきたという。