韓非子・有反の理論でペルー人質事件の謎に迫る

 今回は、「韓非子」を取り上げる。中国の戦国時代の末期の官費の著書が「韓非子」である。韓の国の公子であった韓非は、強烈な思想家であった。ここでは、特に「有反」の理論について考える。

人間欲望の原理「韓非子」
 本書はこれまでに、仁、義、あるいは道徳に害ありとして、敬遠されてきた。しかし、これを読んでみると、人間が見えてくる。
 韓非は法によって天下を治める法治主義に立つ。彼は李欺と共に、これを荀子に学んだ。当時、韓の国は国勢が衰え、周囲から侵略され領土を削り取られていた。国家滅亡も、沿うとおり話ではなく、時間の問題であった。ここに韓非は韓王に意見を具申した。しかし、王はこれをうけいれなかった。そこで、彼がその意見を一書にまとめたのが「韓非子」である。彼は、人間を次のように観る。
 人間の性質は打算以外の何ものでもない。人間相互間に愛情があるように見えても、それも打算の上に成り立っている。
 車作りの職人は、皆が金持ちになるのを願っている。これは、この職人が人情家だからではない。そうなると多くの人が車を持とうとし、自分が儲かるに過ぎない。
 棺箱作りの職人は、皆が若死にすることを望んでいる。これは、この職人が冷酷な男だからではない。死ねば、それだけ棺箱が売れる。自分が儲かるからに過ぎない。
 こうした人間観に立つ彼の基本戦略は、前述の法治主義である。その要点は法術である。<法>は、王の命令で公文書化されたものである。<術>は、王が胸の中に秘して部下を統制する原理である。換言すれば、組織によって天下を支配していくための原理である。現代組織論的にいえば、前者は、公式組織による支配であり、後者は非公式組織による支配である。韓非の人間観では、前述のように、人間は利を求め、害を避ける。したがって、信賞必罰が不可欠となる。王は常に主体性を確保していかなければならない。そうしないと王位を乗っ取られてしまうからである。今日でも同様のことがいえる。
 つまり、彼は法治主義によって専制君主制の確立を求めたのである。
 秦の始皇帝は「韓非子」を読み、韓非に会って交際できたら死んでも思い残すことはないというほど感動した。同門の李欺の紹介で韓非は始皇帝に会う。しかし、結局は始皇帝によって獄死させられることになる。
 日本経済新聞社(1997年6月22日)は、秦の始皇帝陵についての新発見を伝えている。「中国を初めて統一した始皇帝の陵墓は、やはりあらゆる面で「破格」だった。五百という膨大な数の陪炭坑は・・。今回明らかになった約四百頭の生き馬を埋めた墓は長さ二百メートルもあり・・・」。
 中国をChinaというその語源は秦である。戦前、日本でも中国を「シナ」と読んでいた。これも秦を由来とする。この大帝国を気づいた秦の組織原理は「韓非子」にあったことは記憶しておいてよい。

「有反」の理論
 「韓非子」巻10に「有反」の節がある。それは次のようにいっている。「事起こり手利する所あれば、その利を受ける者がこれを主どる。害する所あれば、必ず反対の側に立つ者を察する」。ここからが明主の論、即ち、事を主どる者を明らかにする理論が得られる。国害が生じたら、その害から利益を受ける彼の家臣を調べればよいのである。
 ある事件が起こる。その仕掛人はだれか。その事件でもっとも利益を受けたものである。これが「有反」の理論である。筆者は「韓非子」のなかでもっとも有力な理論と思っている。日常において何か事件が起きた時、その首謀者を思い描く。この時「有反」の理論を使うのである。
 会社や学会などでは日常的に主導権争い、あるいはそれを巡る人事上のトラブルなどがおこる。このような時、仕掛人をすばやく発見することが必要になるが、「有反」の理論によると、もっとも面倒を見てきた二番手が、トップの弱点を熟知していることを利用し、仕掛人となっていると推測できる。
 合法的に多数派工作が成功していれば、恐れることはない。そして主導権が確保されたら、韓非の言うように信賞必罰を厳格にすることが必要になる。思わぬ禍根を残すことになるからである。故田中角栄元首相の派閥から経世会が誕生したあの政治事件のシナリオは、まさに「韓非子」から読み取れるものであった。

日本大使公邸人質事件
 1996年12月17日(現地時間)、ペルーの首都リマの日本大使公邸で天皇誕生日の祝賀パーティーを開催中、MRTA武装グループが乱入し公邸を占拠、青木盛久大使を含む、600人以上を人質に取った。そのリーダーは、ネストル・セルパであり、MRTAの最高幹部や彼の妻ら服役囚の釈放をペルー政府に要求した。
 4ヶ月以上経過した1997年4月22日午後3時23分、ペルー軍特殊部隊が公邸に突入、人質71人を救出(ペルー人人質1人と兵士2人が死亡)した。MRTAメンバーは14名全員が射殺された。この事件の主役は、政府側のフジモリ・ペルー大統領とMRTAのセルパである。
 フジモリ大統領はペルーと日本はもとより、世界的にも高く評価された。この事件の仕掛人は誰であろうか。「有反」の理論によるとフジモリ大統領ということになる。その可能性について愚考してみる。
 ペルー事件後、多くの月刊誌が特集を組み、種々の人が発言していた。その中で、注目すべき論文は内海孚氏の「フジモリ大統領の日本国民へのメッセージ」(「新潮45」六月号)である。内海氏は現在慶応義塾大学教授で、元大蔵省財務官である。フジモリ大統領を財政的に援助する立場にあった。彼はこの論文の中で次のように述べている。
「中南米のテロリストたちで自分の命を惜しまずにテロ行為をするものはまずいない」
 公邸に乱入したMRTAのメンバーの中には、2週間のアルバイトとして参加していた少女たちもいた。また、MRTAのリーダーのセルパは楽観的であった。これらのことは何を意味するのか。
 我々が知りえない謀略劇の中で、セルパを楽観的にさせる擬似餌が撒かれてあったからだとは考えられないだろうか。
 交渉学研究に「交渉者ジレンマ・ゲーム」というものがある。交渉者同士が協力的なら、両者ともに利得は大きくなる。一方が協力的であるのに、他方が裏切り行為をすると、前者の損害は最大になり、校舎の利得は最大になる。両者が裏切り行為をすると、両者ともにどうとの損害を受け、その和は最大となる。その時、読者は協力と裏切りのどちらをお選びになるだろうか。
 セルパは協力を選ぶ。人質を解放する。フジモリ大統領の母親をもか違法する。一方、フジモリ大統領はキューバのカストロ首相に会う。カストロ首相はMRTA受け入れを表明する。しかし、裏で、フジモリ大統領はトンネルを掘りつづけていく。時はよし。特殊部隊が公邸に武力突入。安心してサッカーに興じていたセルパたちは、全員射殺された。そして大統領は国内の指示と名声という最大の利得を獲得する。
 筆者は、韓非の「有反」の理論によって以上のようなシナリオを描いてみた。いかがであろうか。
 約2300年前の中国の古典「韓非子」は、今なお生き続けているといえよう。

(東京国際大学教授 藤田 忠)

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