ネゴシエーターの資質と条件

 17世紀フランスの著名な外交官、フランソワ・ド・カリエールの著書『外交談判法』(岩波文庫)は、国際交渉の理論と実際に関する作品である。カリエールは、外交官を志すもの、大使として活躍しているもの、そして大使を任命する君主に対して、交渉者に必要な資質や交渉の方法を『外交談判法』に著した。本書は18世紀の外交官たちによって教科書とされ、また幕末から明治にかけて日本に駐在し日英親善に大きな貢献をした英国の外交官、アーネスト・サトー(1843〜1929)からも「政治的叡智の宝庫」と絶賛されている。
 本書における交渉とは、国家間における交渉をさしているが、その本質は現代社会で広く行われている一般的な交渉においても十分通用するものである。

8つの素質
 企業のトップとして活躍されている方々は、自らが交渉の場に臨むということもあろうが、自分の部下に他企業との、あるいは顧客との交渉を担当させる場合が多いであろう。
 そうした場合に、トップとしてはどのような人材を交渉の場に送り込めば、交渉をうまく進めることができるのであろうか。どのような資質を備えた人物であることが望ましいのか。また、交渉者はどのような人物になることを目指せばよいのか。
 カリエールは、いくつもの資質を挙げているが、中でも交渉者にとってもっとも重要であり、また基本となる要素は、以下の8点であるという。
 1.注意深く勤勉な精神 -浮薄な快楽や慰みごとにおぼれるようなことがあってはならない。
 2.正しい判断力 -物事をあるがままにずばりと把握し、目標に対しては、もっとも近道で、無理のない方法でアプローチできなければならない。
 3.洞察力 -人の心を読み取り、相手の表情のちょっとした変化をも利用できなければならない。
 4.機略縦横の才 -交渉を続ける過程における利害の調整にあたってのさまざまな障害を、たやすく取り除いてしまうことができなければならない。
 5.沈着さ -思いがけない出来事にみまわれてもうまく受け答えができ、危機に陥っても分別ある解答でその場を切り抜けられる、沈着冷静さを身につけていなければならない。
 6.忍耐強さ -相手の言うことに、いつでもじっくりと耳を傾けていられなければならない。
 7.自制心 -何を言うべきかをよく検討しないうちにしゃべりだしてしまったり、相手の提案に関してよく考えもせずに返答しようとするなど、見栄を張ってはならない。
 8.度胸 -思いがけないことが起こったときに、動揺して表情が変わったり、話し方が乱れて秘密を知られてしまうなど、恐怖により自分の任務に有害な影響を及ぼしてしまうことは許されない。
 一見これらの資質は、至極当然のものであるようにも思えるが、すべての資質を総合的に身につけることは、簡単なことではない。
 交渉を進めていくうちに、最初に決定した行動指針が状況の変化により、もはや最大のメリットをもたらさないことが明らかとなっていても、それに執着して失敗してしまう人がいる。また、相手側の視点に立てば理解できることを考慮せずに、交渉を失敗させてしまう人がいる。こういう人は、交渉家に必要な資質が欠けているがためにミスを犯してしまうのではないだろうか。

嘘をつくことのリスク
 以上の事柄にくわえてカリエールは、交渉において嘘をつかないことの重要性を指摘している。奇しくも2月号の本欄で取り上げた、日本の渡辺崋山も同様のことを述べている。これは特筆すべきことであろう。
 「ぺてんは卑しむべきこと」と、カリエールは言う。交渉者は、一生の間に何度も交渉をすることになるだろう。したがって、「嘘をつかない人だという定評ができること」こそ交渉者にとっての利益であり、財産なのである。
 これは17世紀ヨーロッパの緊迫した情勢にあって、勢力均衡の状態を維持するためには、各国がお互いに常に交渉を続ける必要があったということと深く関連している。
 現代においても、企業と顧客の間、競争関係にある企業と企業、また労使間の交渉などは、持続的である。もし交渉担当者がそのような場面で、目先の利益のためにたとえ1回でも相手を欺くことがあれば、持続的関係は完全に崩壊してしまいかねないのである。
 一度限りの交渉相手でもない限り、偽ることのリスクはあまりにも大きいと言わざるを得ない。

ネゴシエーターの養成
 こうしてみると、交渉者の人選というのは非常に難しい仕事である。必要な資質をすべて身につけている人物というのはなかなかいるものではない。したがって人選する側は、部下の能力を慎重に見極め、その人に見合った任務を課すべきである。
 しかし、交渉力を身につけた交渉者を養成することは可能である。周知の通り、アメリカではすでに多くのビジネスマンたちが、ビジネススクールで交渉術トレーニングに参加し、専門的技術の習得に励んでいる。我が国でも、そのような機関、あるいは教育制度の整備が待たれるところである。

交渉成功の秘訣
 資質の次には、「交渉の方法」について考えてみたい。
 交渉を成功させるためにはどうすればよいのか。カリエールは、相手に取り入ることの重要性を指摘する。そのためには、誉めそやしたり、贈り物をしたり、勝負ごとをするなどして相手を良い気分にさせることが必要である。これは、すでに本欄で繰り返し述べてきた「バランス理論」で説明することができる。
 誉めるときは、相手の家、車や宝石など、その人と直接関係ないことを誉めるのではなく、その人の人間性自体に美点を見出し、称賛すべきである。贈り物をするときは、相手が気持ち良く、安心して受け取れるようにしなければならない。勝負事をするときは、わざと相手に負けてやるという心遣いも必要である。
 読者の方々も、さまざまな商談やプロジェクトを成立させるために、交渉相手をゴルフ、麻雀、宴会などに接待されることがあるであろう。その際には、こうした態度で臨んでいただきたい。特に、相手に気に入られたいと思うならば、出費を惜しんではならないだろう。
 交渉を始めるにあたっては、相手の言い分、表情の動き、話し方や声の調子などを十分に観察し、その人の性格や利害関係を把握する。そしてそれに基づいて、こちらの話すことや振る舞い方を調節する。
 決して相手をやり込めようなどと思ってはならず、こちらの言い分を相手にじっくりと理解させなければならない。
 その過程でもっとも重要なことは、交渉相手自身が、こちらの提案を自分にとって有利だと思うように仕向けることである。理屈のみによって納得させるのではなく、相手にうまく合わせながらこちらの目標に誘導していくことが、交渉を成功させる秘訣なのだ。
 交渉においては、交渉者の人選及び養成、そしてアプローチがともに重要であるということがおわかりいただけたであろう。

(早稲田交渉学会会員・岩田 章)

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