人生を洞察する名著「孫子」に学ぶ

『孫子』- 現在より二千年以上遡る、春秋時代の名将「孫武」によって書き著わされた、中国最古の兵法書である。だが、戦略・戦術を通して示されるその深遠な洞察は、単なる戦争技術の書に留まらない、人生の諸問題に通用する普遍性を持っている。今回は、その中に散在する、様々な交渉理論について触れてみたい。

君命に受けざる所あり
孫武はある時、呉王闔廬に招聘されて、その練兵を見せることとなった。後宮の美女たちを兵士と見立て2隊に分け、王の寵姫2人をそれぞれの隊長とし、簡単な命令を下した。しかし、女たちは命令を無視し、ただ笑うだけであった。最初は、命令がよく伝わらなかったのだろう、と大目に見た孫武であった。
 だが何度命令しても、無視しつづけたので、ついに隊長の責任を問い、二人を処刑しようとした。呉王は、寵姫が斬られては堪らないので、すかさず止めにはいった。だが孫武は、「命を受け将となっている以上、軍中にある時は、君命であろうともお受けできない」と容赦なく斬り捨てた。
 そして、呉王がその次に寵愛している二姫を隊長とし、再び号令をかけた。隊長が斬られるのを、目の当りにしたせいか、全員が命令通りに動き、笑うどころか声をだす者さえもいなかった。呉王は、怪訝そうではあったが、その才を非常に高く評価し、孫武を将軍に取り立てた。
呉は後に、諸侯に覇を唱えるまでの大国となったが、ひとえに孫武の活躍によるところであった。
交渉には、対内交渉と対外交渉がある。例えるなら、対外交渉とは社外との交渉であり、対内交渉とは、対外交渉の準備をするための社内交渉である。交渉主体(会社側)と交渉代理人(交渉担当社員)は、社内交渉において、対外交渉の方針を決定する。
 この方針は、交渉の核となるものであり、主体は対外交渉が始まった後に、軽々しく変えることはできない。方針が、簡単に変えられては、代理人が交渉において、その役割を十分に果たす事が出来なくなるからである。
交渉主体と交渉代理人に一体感がなければ、よい交渉結果は期待できない。また、代理人がよく働くためには、主体が代理人を強く信頼し、支持する必要がある。これが「君命に受けざる所あり」の示唆するところである。

戦わずして勝つ
『孫子』では、「戦わずして勝つ」ことが第一義とされている。敵国を傷つけず降伏させるのが、最上であり、敵味方ともに無駄に血を流さず国力を浪費しないことが、その後の国家繁栄のための最善の手段であると、孫武は見抜いていたのである。
 さらに『孫子』には、実際に「戦わずして勝つ」ための訓として、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という名言がある。可能な限り敵方の情報を集め、さらに自分の力を冷静に見極わめなければならないということである。
これは交渉においても、同様である。交渉相手は、確たる目的に基づいて膨大な資料・情報を分析し、的確な戦略を策定している。その相手に対して、準備もなしに交渉に入り、思いつきやその場しのぎの受け答えをしていたのでは、勝てるはずがない。「戦わずして勝つ」ためには、準備段階において、敵に勝るということが必要なのである。

風林火山
戦国時代、日本においても多くの武将達が『孫子』を活用していた。中でも武田信玄は有名である。彼は『孫子』から、風林火山の四文字を抜き出して、旗印としていた。その戦い方は、『孫子』に極めて忠実であったといわれる。
 「その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」
 風のように迅速に行動するかと思えば、林のように静まりかえる。烈火の勢いで侵奪するかと思えば、山のように微動だもしない。
 孫武が、この「風林火山」のくだりで、言わんとしているのは「動と静」を使い分けることの重要性である。守りについたら、決して動かず守り抜く「静」。一度、攻めに転じたら、勇猛果敢に突き進む「動」。
 そして更に重要なことが、「動と静」は常に背中合わせであり、水に決まった形がないように、軍にも決まった勢いなどはない、ということである。ゆえに、いついかなる状況においても「動と静」を基本に兵を整え、敵に対峙していかなければならない。
太平洋戦争中、旧日本軍は破竹の勢いで進撃していった。まさに「疾きこと風の如く」「侵掠すること火の如し」であったに違いない。しかし、「静」の部分に関しては、全く考えていなかったのである。簡単に打ち崩せるはずのない敵に対して、勢いだけで勝てると信じきっていた。だから、一度歯車が狂っただけで、後はとどまることなく崩れる一方だったのである。
 バブル経済のシステムも、「動」そのものであり、投資一辺倒であった。冷静に考え、「静」に関しても公算におけば、莫大な損失を生み出すまでには至らなかったであろう。『孫子』の主眼の一つに、「勝算なきは戦わず」がある。どの時代においても、名将と呼ばれてきた先人たちは、戦いにおいて滅多に敗北することがなかった。それは、十分な勝算が出来るまで耐え続け、決して兵を動かさなかったからである。そして、相手に隙を見つけるやいなや、猛然とそれを突き、見事に勝利を収めてきた。動くべき時と、動かざるべき時とをわきまえ、軽挙な行動を控えるということを、学んでいたのである。
「風林火山」における「動と静」の使い分けは、交渉においても経営においても非常に重要である。組織のリーダーたるものは、常に心にとめておかなければならない。

兵法書を越えた名著
我われ日本人は、元来、直線的な生き方を得意としてきた。勢いにのって責め立てているときはよいが、守りにまわると途端に弱くなる。また、集団行動に関しては、無類の強さ誇る反面、個人になると、意外なほどの脆さを露呈する。
 さらに我われには、駆け引きすることを好まず、すぐに本音をさらけ出すという癖がある。しかし、そのままでいては、恰好の餌食となるだけである。少なくとも、組織を預かるようなリーダは、相手に本心を見透かされないような、駆け引きを身につけることが必要である。
 『孫子』は兵法書であるから、戦い方の原理・原則を解き明かしたものであることは言うまでもない。しかし、その解き方は政治優位の思想に立ち、戦争とはあくまで最終手段である、という極めて柔軟な考え方に貫かれている。そこに、『孫子』の最大の特徴があるといえるだろう。
だが、数多く存在する兵法書の中で、なぜ『孫子』だけが、兵法のバイブルとして崇められてきたのか。それは『孫子』という書物が戦争を論じながら、結局は人生全般に通じる「普遍的な知恵」を語っているからである。
孫武は軍事専門家だったが、それを見事に磨き、最高度の知識に満ちた『孫子』を書き上げた。そこには、経営戦略の書としても、また広く人間社会を生きる指針としても役立つような、新鮮な思想があふれている。

(早稲田交渉学会会員・松本宏昭)

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