検定課題
毎月本部から提出課題が出されています。
この課題の紹介と、管理人の日々の奮戦記を載せました。
臨書(真似て書く)が課題ですが、全くの真似ではなく、作品として強弱の変化、場合によっては字体にも変化を
与えて全体のバランス構成を考えて書くことが重要です。
しかし課題本から読み取れる作者の本意を汲みながら書かなければ「臨書」とは言えないでしょう。

ここが大変難しい所ですし、勉強のし甲斐のある所なんでしょう。


月度 課 題 出典 釈文 読み方 意味 備  考
平成二十九年九月度 書譜(孫過庭) 始卒也。且元常專工於隸書。
百英尤精於草體。彼之



シソツヤ。シャゲンジョウセンコウオレイショ。
ヒャクエイユウセイオソウタイ。ヒシ
始卒(しそつ)を<詳(つまび)らかにせざる>なり。
且(か)つ元常(げんじょう)は專(もっぱ)ら隷書(れいしょ)に
 工(たく)みにして、
百英(きくえい)は尤(もっと)も草体(そうたい)に精(せい)なり。
彼(か)の


細部の考察と説明が十分ではないと思う。
つまり、元常<鐘?のこと>は隷書<当時の隷書とは現在の楷書のこと>
 にだけ巧みであるし、
百英<=伯英。張芝のこと>は草書のみ巧みであった。
彼らは、 ●今月も孫過庭の「書譜」の第二紙から引用したもの。先月の続き。  
  今月の墨付けは、「始」「常」「隷」「英」「草」とする予定。
  「始卒」「且元」「於隷」「尤精於」などは連続して書きたい

●今月は「始」「卒」「也」「常」「専」「隷」「尤」「精」「草」「體」「彼」と
  難しそうな文字が多い。
  また「且」「工」も書きにくそう。
平成二十九年八月度  書譜(孫過庭) 猶逸少之不及鍾張。意者、以
為評得其綱紀。而未詳其



ユウイツショウシフキュウショウチョウ。イシャイ
イヒョウトクキコウキ。ジミショウキ
 猶(なお)、逸少(いっしょう)の鍾(しょう)・張(ちょう)に及ばす。
意者(おも)うに、以(もっ)て其(そ)の綱紀(こうき)を
 評(ひょう)し得たりと為(な)さんも、
而(しか)も其の<始卒(しそつ)を>詳(つまみ)らかにせざるなり  「<王献之が王羲之に及ばないのは、>王羲之が鐘?(しょうよう<楷書の名手>)
 ・張芝(ちょうし<草書の名手>)に及ばないようなものである。」と言っている。
その批評家の言葉は、大綱は掴んでいるが
 細部の考察と説明が十分ではないと思う。 ●今月も孫過庭の「書譜」の第二紙から引用したもの。  
  今月の墨付けは、「猶」「及」「者」「評」「未」とする予定。
  通常とは異なるが「猶逸少」「之不」「鍾張」「其綱」「紀而」「詳其」は
   連続して書きたい為。
  通常ならば「紀」のところを墨付けとしたいが、一行目の「及」と
  墨付け文字が並んでしまうので、これで進めてみる。

●今月の難しそうな文字は
  「鍾」「意」「為」「評」「得」「綱」「而」あたりか。
  「宮」「者」「及」なども侮れない。



 
平成二十九年七月度 書譜(孫過庭) 宮於穴處。反玉輅於椎輪者
乎。又云、子敬之不久逸少、



グウオケツショ。ハンギョクロオツイリンシャ
コ。ユウウン、シケイシフキュウイツショウ、
宮(きゅう)を穴處(けっしょ)に。
玉輅(ぎょくろ)を椎輪(ついりん)に反(かえ)す者ならんや。
又(また)云(い)う、
子敬(しけい)の逸少(いっしょう)に及ばざるは、  立派な宮殿を捨てて穴居生活をしたり、
玉を散りばめたきれいな車を粗末な白木の車に
 換える必要はないのである。
王献之が王羲之に及ばないのは、  ●今月から孫過庭の「書譜」の第二紙から引用したもの。  
  今月の墨付けは、「宮」「反」「椎」「又」「不」とする予定。
  
●孫過庭の草書は独特な筆の運びと美しさがある。
  書き方の難しそうな文字は
  「處」「輅」「椎」「輪」「敬」「逸」あたりだが、
  「宮」「者」「乎」「及」なども侮れない。



平成二十九年六月度 王羲之「蘭亭叙」 可楽也。夫人之相與俯仰一
世、或取諸懐抱、悟言一


カラクヤ。フジンシソウヨフギョウイツ
セイ、ワクシュショカイホウ、ゴゲンイツ
楽しむ可(か)き也(なり)。
夫(そ)れ、人之相与(ひとのそうよ)に
 一世(いっせい)に俯仰(ふぎょう)するや、
或いは諸を懐抱(かいほう)に取りて
 一[室之内]に悟言(ごげん)し、  楽しく愉快である。
およそ人と人が、一緒に過ごす時、
或る人々は[同じ部屋の中で]互いに向き合って、
自己の思いを述べ合い、 ●今月も王羲之の「蘭亭叙」からの引用   
  今月の墨付けは、「可」「人」「俯」「或」「抱」の4文字ごとする。
  
●今月の注目する文字は
  「楽」「與」「仰」「或」あたりだが、
  「也」「之」「世」「取」もしんどそう。
  「一」が2度現れるし、「俯」や「懐」は先月号にも有ったが、
 
   王羲之らしく字体を変えてあり、これまた要注意。
平成二十九年五月度 王羲之「蘭亭叙」 俯察品類之盛。所以遊目騁
懐。足以極視聴之娯。信


フサツヒンルイシセイ。ショイユウモクテイ
カイ。ソクイゴクシチョウシゴ。シン
俯(ふ)して品類(ひんるい)の盛(さか)んなるを察(さっ)するは、
目を遊ばしめ、懐(おもい)を騁(は)する所以(ゆえん)にして、
以(もっ)て視聴(しちょう)の娯(たの)しみを極(きわ)むるに足(た)れり。
信(まこと)に  下を眺めれば、生き物の盛んに活動している様子が目に入る。
これらの風景は、目を楽しませ、
 思いを果てしなく想像させてくれるものであり、
耳目の楽しみの極まるところである。
まことに ●今月も王羲之の「蘭亭叙」からの引用   
  今月の墨付けは、「俯」「類(または「之」)「遊」「足」「聽」とする。
  「類」にするか「之」にするかは書いてみて決める。もしくは「盛」もあり得る。

●今月は注目する文字は
  「類」「所」「遊」「騁」「娯」あたりだが、
  二つの「以」や「之」及び「足」なども書きにくそう。
平成二十九年四月度     王羲之「蘭亭叙」 暢叙幽情。是日也、天朗氣清、
恵風和暢。仰觀宇宙之大、



チョウジョユウジョウ。ゼジツヤ、テンロウキセイ、
ケイフウワチョウ。ギョウカンウチュウシダイ、
幽情(ゆうじょう)を暢叙(ちょうじょ)するに<足れり>。
是(こ)の日也(ひや)、天朗らかに気晴(きは)れ、
恵風(けいふう)和暢(わちょう)せり。
仰ぎて宇宙の大なるを観(み)、
  深い自然の静かな情感を述べるには十分である。
この日の空は、からりと晴れ渡り、大気が澄み切って、
晩春の風がそよそよと吹いている。
空を仰いでは、広々とした宇宙之大きさを感じ、 ●今月から王羲之の「蘭亭叙」に戻った。
  今月の墨付けは、「暢」「是」「朗」「風」「觀」とする。

●行書なので取り分け書きにくいという文字はないのだが、
  「幽」「是」「仰」「觀」などは注意が必要だし、「朗」「宇」も油断できない。

 平成二十九年三月度 草書千字文(木村卜堂) 高冠陪輦。驅轂振纓。世祿侈富。
車駕肥輕。策功茂實。



コウカンバイレン。クコクシンエイ。セイロクシフ。
シャガヒケイ。サクコウモジツ。
高冠(かんむり)を高くして輦(れん)に陪(ばい)し、
。轂(こく)を駆(か)り纓(えい)を振(ふる)う。
世祿(せろく)は侈富(しふ)にして、車駕(しゃか)は肥輕(ひけい)す。
功(こう)を策(た)つること茂実(もじつ)なれば  重臣の人々が冠をそびえさせて、天子の輦(こし)[天子の乗る手引き車]の
前後随従して車を駆れば、冠のひもがゆらゆらと振り動く。
代々、受け継いだ俸禄(ほうろく)[支給された報酬]は富み栄え、
肥えた馬や軽車に乗ることが出来る。
勲功をたて、その勲功が大きく盛んなれば、  ●今月も木村卜堂の草書千字文。
  今月の墨付けは、「高」「」「」「」「」とする。
   課題の最後が途切れているが、
   続きは「勒碑刻銘(クコクシンエイ)」となる。
   意味は「碑に勲功を刻み、銘に記して後世にたたえた」。

  
●今月はほとんどが難しそうな文字ばかりである。
  中でも
  「輦」、「驅」、「轂」、「纓」、「輕」などは特に難しそうだ。


●課題を見ると1行目が12文字、2行目が8文字である。
  これは今までとは異なっている。やはり1行目は11文字として進める。


 平成二十九年二月度 草書千字文(木村卜堂)   杜?鐘隸。漆書壁經。府羅將
相。路侠槐卿。戸封八縣。



トコウショウレイ。シッショヘキケイ。フラショウ
ソウ。ロキョウカイケイ。コフウハッケン。
杜?(とこう)、鐘隸(しょうれい)。
漆書(しっしょ)、壁經(へきけい)。
府(ふ)には將相(しょうそう)を羅(つら)ね。
路(みち)には槐卿(かいけい)を侠(はさ)めり。
戸(こ)には八県(はちけん)を封(ふう)ず。  杜度(とど)[後漢の人。杜操(とそう)とも]は草書を得意とし、
鐘?(しょうよう)[後漢から三国・魏の人]は隷書の名手であった。
漆で書いた書物、壁中から出た経書がある。
役所には将軍や宰相らが聚屯し、
道を隔てて公卿たちの邸宅が連なり建てられている。
諸侯は、封ぜられて八県の租税を収入と為し、 ●今月も木村卜堂の草書千字文。
  今月の墨付けは、「杜」「漆」「府」「路」「戸」とする。
   課題では2行目最初の「相」と「路」が繋がっているが、墨付けの関係で切り離す。

  
●書き方の難しそうなのは
  「槀」、「隸」、「漆」、「壁」、「經」、「羅」、「路」、「封」、「縣」と多いが、
  更には「將」、「相」、「侠」、「槐」、「戸」なども要注意だろう。
  「卿」はカタカナの「マ」にも見えて簡単そうだが、文字の大きさや筆の強弱などで 
  意外と苦心するかも。
 平成二十九年一月度 草書千字文(木村卜堂)   升階納陛。弁轉疑星。右通廣
内。左達承明。既集墳典。



ショウカイノウヘイ。ベンテンギセイ。ユウツウコウ
ダイ。サタツショウメイ。キシュウフンテン。
階(かい)に升(のぼ)り陛(へい)に納(い)る。
弁(べん)轉(てん)じて星(ほし)かと疑うたが)う。
右は広内(こうだい)に通(つう)じ、左は達承明(しょうめい)に達(たっ)す。
既(すで)に墳典(ふんてん)を集め、  天子が宮殿の会談を登っていくとき、冠の飾りがキラキラと輝き、
まるで星のようである。
宮殿に向かって右に行くと広内殿という名の図書室に通じ、
左に行くと承明殿に到達する。
墳典(三皇・五帝の事蹟を述べた書物、古典全般を指す)を集めたり、 ●今月から木村卜堂先生の千字文草書。
  「升」「弁」「右」「左」「既」の4文字文毎に墨付けとする。


●今月も注意すべき文字は多々ある、というよりほとんど全部。
  その中でも、「升」「階」「陛」「疑」「既」「集」などは苦労しそう。

●今月は「既集墳典」で終わっているが、この後は
  「亦聚羣英(エキシュウグンエイ)」と続く。
  意味は「承明殿には学識才能ある人々を集めた。」となる。
 平成二十八年十二月度  行書千字文(木村卜堂) 庶幾中庸。勞謙謹敕。聆音察
理。鑑貌辨色。貽厥嘉猷。



ショキチュウヨウ。ロウケンキンチョク。レイインサツ
リ。カンボウベンショク。イケツカユウ。
中庸(ちゅうよう)を庶幾(しょき)し、
 労謙(ろうけん)謹敕(きんちょく)にす。
聆音(おん)を聆(き)きて理(り)を察(さっ)し、
 貌(かたち)を鑑(み)て色(いろ)を弁(べん)ず。
厥(そ)の嘉猷(かゆう)を貽(のこ)し、 人として正しい道を志す者は
 中庸[かたよらず常に変わらないこと]の道を極めることを
願い、勤労しなければいけない。
また人に接する時は、へりくだり、つつしんで、
 常に正しい行いをするように心がけなければいけない。
人の言葉を聴いて、その道理を察し、
 また人の容貌を見てその喜怒をわきまえよ。 ●今月も木村卜堂先生の千字文行書。
  「庶」「勞」「聆」「鑑」「貽」の4文字文毎に墨付けとする。

●今月の注意すべき文字は
  「庸」「聆」「辨」「厥」「猷」あたりが難しそう。
  その他にも「幾」「勞」「敕」「察」「鑑」「貌」「嘉」なども注意が必要。

●尚、今月は「貽厥嘉猷」で終わっているが、
  本来は「勉其祗植(ベンキシショク)」と続き完結文となる。

 平成二十八年十一月度  行書千字文(木村卜堂) 俶載南畝。我藝黍稷。税熟貢
新。勸賞黜陟。孟軻敦素。 


シュクサイナンポ。ガゲイショショク。ゼイジュクコウ
シン。カンショウチュッチョク。モウカトンソ
俶載(こと)を南畝(なんほ)に俶(はじ)め、
我(われ)、黍稷(そしょく)を芸(う)う。
熟(じゅく)を税(ぜい)し新(しん)を貢(こう)し、
勸賞(かんしょう)して黜陟(ちゅつちょく)す。
孟軻(もうか)は素(そ)を敦(あつ)くし、  穀物を植える時は、暖かい南方の田畑から始め、
時期を誤ってはいけない。
新しい穀物を税として納め、人民に農業をすすめ、
つとめにはげまし、役にたたない者は退け、
功労あるものは、あげ用いる。
道を際メンとする者は、孟子のように人情深く、 ●今月も木村卜堂先生の千字文行書。
  「俶」「我」「税」「勸」「孟」の4文字毎に墨付けとする。
  
●今月の注意すべき文字は
  「俶」「藝」「黜」「軻」が目につくが、「黍」「畝」「勸」「陟」「敦」「素」あたりも侮れない。

●先月は「治本於農」で終わったのに、今月は、「俶載南畝」から始まった。
  千字文ではこの間の「務茲稼穡(むしかしょく)」が抜けている。
  先月号と続けると「治本於農。俶載南畝。」であり、その意味は
  『国を治める根本は農業である。種をまき収穫するまでこれに努めることだ。』
  となる。
  尚、今月の終わりは「孟軻敦素」となったが、
  この後に「史魚秉直(シギョハイチョク)」。が続いて完結文となる。

平成二十八年十月度  行書千字文(木村卜堂)  昆地碣石。鉅野洞庭。曠遠
緜?。巌岫杳冥。治本於農。



コンチケッセキ。キョヤドウテイ。コウエン
メンバク、ガンシュウヨウメイ。チホンオノウ
昆地(こんち)、碣石(けっせき)。鉅野(きょや)、洞庭(どうてい)。
曠遠(こうえん)緜?(めんぼく)として、
 巌岫(がんしゅう)杳冥(ようめい)たり。
治(ち)は農(のう)を本(もと)とす。  昆明池や碣石山があり、沼地や洞庭湖がある。
大地は広大で、遙か遠くに広がり、
 岩山の洞穴は深く薄暗い。
国を治めるには、農業を根本とする。  ●今月から木村卜堂先生の千字文行書に戻った。
  今月は2列共10文字である。
  「昆」「鉅」「曠」「巌」「治」と4文字毎に墨付けとする。
  
●今月の注意すべき文字は
  「碣」「鉅」「曠」「遠」「緜」「巌」「農」あたりか

  特に、2行目の「邈」や「巌」は文字が大きくなりやすい。
   今月は2行共10文字なので、2行目の終わりが少し短くなるように注意したい。
平成二十八年九月度  書譜(孫過庭) 貴能古不乖時。今不同幣・所謂
文質彬々。然後君子。何必 


キドウコフカイジ。コンフドウヘイ。ショイ
ブンシツヒンピン。ゼンゴクンシ。カヒツ
能(よ)く古(いにしえ)にして時(とき)に乖(そむ)かず、
今にして幣(へい)を同じうせざるを貴(たっと)ぶ。
所謂(いわゆる)文質(ぶんしつ)彬々(ひんぴん)として、
然(しか)る後(のち)に君子なり。
何(なん)ぞ必(かなら)ずしも  従って、よく古法を守って時代感覚を失わぬこと、
現代風であってもその悪い面には染まらぬようにする事が大切である。
これが論語のいわゆる「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)として然る後に君子なり」
 (外見と内面のバランスを良く保ってこそ人格者である)
 ということ。
何もむりに ●今月も孫過庭の「書譜」の続き。
  今月は2文字、1行目は12文字もあり文字の大きさにも注意が必要。
  「貴」「乖」「幣」「質」「君」を墨付けとするつもり。
  本来は「君子」をつなげたいが、文字の流れからして「後君」が繋がっているが、
  ここを断ち切り「君」を墨付けとしてみる。

●今月の注意すべき文字は
  「貴」「能」「乖」「幣」「所」「謂」「質」「然」「何」あたりか?
平成二十八年八月度 書譜(孫過庭)  適以記言。而淳?一遷。質文三
變。馳鶩沿革。物理常然。



テキイキゴン。ジジュンボクイツセン。シツモンサン
ヘン。チボクエンカク。ブツリジョウゼン。

適(もっぱ)ら以(もっ)て言(げん)を記(き)す。
而(しか)も淳?(じゅんり)一(ひと)たび遷(うつ)り、
質文(しつぶん)、三(み)たび変わる。
馳鶩沿革(ちぶえんかく)は物(もの)の理、
常(つね)に然(しか)るなり。  もっぱら言葉だけを表記したのだが、
時代が進むにつれ、淳厚なものから軽薄なものへ、
質朴なものから文飾あるものへと幾度も変わってきた。
このような目まぐるしい変遷は、当然の道理である。 ●今月も孫過庭の「書譜」の続き。
  今月は21文字。文章の区切れにこだわらず、文字の配列や
  書き方のつながりからして  「適」「淳」「質」「馳」「物」を墨付け
とする。

●今月は読み方も書き方も難しい文字が多い。
  「適」「言」「而」「淳」「鶩」「遷」「變」「馳」「鶩」「常」などは、難儀しそうだが、
  「文」「三」「沿」「革」「理」「然」なども見た目以上に書きにくい。

●今月の出題文を読むと、言葉だけでも時代の流れでどんどん変わっていくと
  嘆いているのは興味深い。
  近代や現代において、言葉の変遷が激しいと忠告する輩も少なくない。
  でも、この時代(7世紀)から、現代と同じようなことが言われていたとは
  驚きである。言葉の進化はずっと昔から続いていたのですね。
  これからも、時代と共にどんどん変化していくのでしょう。
  でも自分は、段々と時代に取り残されていくんでしょうね。
平成二十八年七月度 書譜(孫過庭) 今不逮古。古質而今妍。夫質以代
興。妍因俗易。雖書契之作。



コンフテイコ コシツジコンケン フシツイダイ
キョウ ケンインゾクエキ スイショケイシサク
今の古(いにしえ)に逮(およ)ばざるは、
古(いにしえ)は質(しつ)にして今は妍(けん)なればなり。
夫(そ)れ質(しつ)は代(よ)を以(もっ)て興(おこ)り、
妍(けん)は俗(ぞく)に因(よ)って易(かわ)る。
書契(しょけい)の作(おこ)るや (・・・) と雖(いえ)ども  ある批評家は「今は昔より劣っている。昔の書は質朴で、
今の書は妍美である」という。
しかし、質や妍といっても時代によって変わるものである。
太古に文字が発明され、言葉が書き記され、書が生まれた。 ●今月から孫過庭の「書譜」。久しぶりの草書となる。
  今月は23文字と多い。文章の区切れにこだわらず、文字の配列や
  書き方のつながりからして  「今」「質」「質」「妍」「雖」を墨付けとする。

●今月は「今」「古」「質」「妍」が2回現れている。
  「古」は連続しているので、一方を「ゝ」が使われており、
  実質3文字が2回現れている。

●「逮」「質」「而」「興」「易」「雖」「作」など書き方の難しそうなのも多い。

  「不」と「逮」、「古」と「ゝ」、「而」と「今」、「以」と「代」、「俗」と「易」は繋がった   書き方となる。
平成二十八年六月度 王羲之「蘭亭叙」  水列坐其次雖無絲竹管弦
之盛一觴一詠亦足以 


スイレツザキジスイムシチクカンゲン
シセイイツショウイツエイエキソクイ
水。其の次に列坐(れつざ)す。
絲竹(しちく)管弦(かんげん)の
 盛(せい)無しと雖(いえど)も、
一觴一詠(いっしょういちえい)、
亦(また)以(もっ)て足(た)る。 其の曲がりくねった小川の次(ふち)に並んで座った。
琴や琵琶、笛や笙、管・弦楽器等による
音楽の賑わいこそないが、
觴を含み詩を作るという趣は、 ●今月も王羲之の「蘭亭叙」。
  今月も単純に四文字毎の「水」「次」「竹」「盛」「詠」を墨付けとする。

●今月は難しい文字はないが、
  書き方では「雖」「無」「絲」「弦」「詠」「足」あたりが書きにくいと思われる。

●「觴」は先月にも出ているし、「之」も今まで何度も出てきた。
  しかし王羲之の特徴でもある「同じ文字でも同じ字体ではない」ことからも
  工夫が必要。「一」も2度現れるが同じことだろう。
平成二十八年五月度 王羲之「蘭亭叙」  茂林脩竹。又有清流激湍、暎
帶左右。引以爲流觴曲 

モリンシュウチク。ユウユウセイリュウゲキタン、エイ
タイサユウ。インイイリュウショウキョク
茂林脩竹(もりんしゅうちく)。
又(また)清流(せいりゅう)激湍(げきたん)有りて、
左右(さゆう)に暎帶(えいたい)す。
引(ひ)きて以(もっ)て流觴(りゅうしょう)の曲と為(な)し   生い茂った林や長く伸びた竹があり、
また清らかな水の流れや激しい瀬があって、
色や景色が左右に映り合っている。
この流れを引いてきて、觴(さかずき)を流す曲がりくねった
 [小川]をつくり、 ●今月も王羲之の「蘭亭叙」。
  今月は単純に「茂」「又」「激」「左」「為」を墨付けとしてみる。

●行書は筆運びをしっかりすることが大事。
  今月は 「激」「帯」「觴」「為」などがやっかいな文字と思われる。

●今月は「流」が2カ所、「さんずい」が5文字もあり、それぞれ少し書き方を
  工夫したい。。
平成二十八年四月度 王羲之「蘭亭叙」 亭。脩禊事也。群賢畢至。少長
咸集。此地有崇山峻領。



テイ。シュウケイジヤ。グンケンヒツシ。ショウチョウ
カンシュウ。シチユウスウザンシュンレイ。
 亭(てい)。脩禊(しゅうけい)の事也(ことなり)。
群賢(ぐんけん)畢(ことごと)く至(いた)り。
少長(しょうちょう)咸(みな)集まる。
此(こ)地、崇山(すうざん)・峻領(しゅんれい)有り。 [蘭]亭において。禊(みそ)ぎを行った。
多くの賢者が畢(ことごと)く至れり、年少の者も歳をとった者も
咸(みな)集まった。
此の地には、高い山や険しい嶺があり、  ●今月からは王羲之の「蘭亭叙」に戻った。
  文章からして、今月は「亭」「群」「少」「此」「崇」あたりを墨付けとしてみる。

●今月は行書だが、中でも
  「禊」「群」「畢」「崇」などがやっかいになるか?。

●釈文の「禊」は「しめすへん」だが、実筆では「のぎへん」となっている。
  また、「群」の実筆では「君」と「羊」が上下に書かれていることに注意要。
  「峻」も同様に「山」が左上に寄っている、でもこの書き方も悪くない。

平成二十八年三月度 千字文(木村卜堂) 鈞巧任釣。釋紛利俗。並皆佳
妙。毛施淑姿。工?研笑。 


キンコウジンチョウ。シャクフンリゾク。ヘイカイカ
ミョウ。モウシシュクシ。コウヒンケンショウ。
鈞(きん)の巧、任(にん)の釣(ひょう)。
紛(ふん)を釈(と)き、俗(ぞく)を利(り)するは、
並(ならび)に皆(みな)、佳妙(かみょう)なり。
毛施(もうし)は淑姿(しゃくし)あり、
工(たくみ)に?(ひそ)み、研(あで)やかに笑(わら)う。  馬鈞(ばきん)は指南車を作り、任公(にんこう)は釣りが上手であった。
乱れたことを元通りにし、世の人に便利なことを考え出すのは、
みな立派なことである。
毛施(もうしょう)や西施(せいし)という美人は、淑(しと)やかな姿をして
巧みに眉をしかめ、艶やかに笑う。 ●今月も木村卜堂の草書千字文。
  今月の墨付けは、「」「釋」「並」「毛」「」。
   この中で「俗」と「並」が繋がって書かれている様に見えるので、
  ここは成り行き次第となるだろう。「皆佳妙」と3文字が一区切りとなるかも。

●釈文の最後の文字「笑」は、原文では「咲」である。
  課題文では「咲」で書かれている。

●書き方の難しそうなのは
   「鈞」「釣」「釋」「紛」「俗」「並」「皆」「妙」「施」「淑」「嚬」「笑」等と多い。

●中に出てくる人物を調べてみた。
 ・「馬鈞」=三国時代の学者・発明家。足踏み式水車を発明した他、諸葛亮孔明  の作った連弩(れんど=連射または一度に多数本の矢が撃てる)や、
  発石車(=カタパルト)など改良したことでも有名。生没年は不明
 ・「任公」=? 釣り名人であった様だ。


 
平成二十八年二月度 千字文(木村卜堂) 誅斬賊盜。捕獲叛亡。布射遼
丸。?琴阮嘯。恬筆倫紙。



チュウザンゾクトウ。ホカクハンボウ。フシャリョウ
ガン。ケイキンゲンショウ。テンピツリンシ。
 賊盜(ぞくとう)を誅斬(ちゅうだん)し、叛亡(はんぼう)を捕獲(ほかく)す。
布(ふ)の射(しゃ)、遼(りょう)の丸(がん)。
?(がん)の琴(こと)。阮(げん)の嘯(しょう)。
恬(てん)の筆(ふで)、倫(りん)の紙(かみ)。  盗賊を誅とらえて処刑し、叛逆者をとらえることは
 国の治安を保つために大切なことである。
呂布(りょふ)は弓の名人、遼宜(りょうぎ)はお手玉の名人、
?康(けいこう)は琴の名手、阮籍(げんせき)は口笛の名人。
蒙恬(もうてん)が筆を、蔡倫(さいりん)が紙を発明した。 ●今月も木村卜堂の草書千字文。
  今月の墨付けは、「」「捕」「布」「嵇」「」。

●今月も難しい文字は多い
  特に「斬」「賊」「捕」「獲」「叛」「遼」「嘯」「筆」などは苦戦しそう


●この中に出てくる人物を調べてみた。
 ・「呂布(りょふ)=?~198」:三国志では豪傑の武将として有名。弓のみならず
   馬術にも率い出た才をもつと言われ「飛将」とも呼ばれた。
 ・「遼宜(りょうぎ)=宜遼(ぎりょう)?」:春秋時代の楚の武人で、玉を弄ぶ技の
   名人だった。(人を手玉に取る妙手という説もある)
 ・「嵇康(けいこう)=223頃~263頃」:三国時代の魏の文人で、竹林の七賢の
   一人でもある。告発された親友の弁をとったことで死罪となる。
 ・「阮籍(げんせき)=210~263」:嵇康と同じく竹林の七賢の一人。
   詩では「詠懐詩」82首が有名。偽善と詐術が横行する世間を嫌っていた。
 ・「蒙恬(もうてん)=?~BC210」:文官で訴訟。裁判に関わっていたが、家柄か    ら秦の将軍となり斉を滅ぼし匈奴を追い払う実績も持つ。
  蒙恬が獣の毛を集めて作ったものが筆の始まりと言われたが、この説は
  近年覆された。
 ・「蔡倫(さいりん)=50?~121?」:後漢代の宦官で、製紙法を改良し実用的な
  紙製造に大きく貢献した。
平成二十八年一月度 千字文(木村卜堂) 顧答審詳。骸垢想浴。執熱願
涼。驢騾犢特。駭躍超驤。



コトウシンショウ。ガイコウソウヨク。シュウネツガン
リョウ。ロラトクトク。ガイヤクチョウジョウ。
 顧答(ことう)は審詳(しんしょう)にせよ。
骸(がい)、垢(あか)つけば浴(よく)を想(おも)い、
熱(ねつ)を執(と)りては涼(りょう)を願(ねが)う。
驢騾(ろら)犢特(とくとく)は駭躍(がいやく)超驤(ちょうじょう)す。  (人に手紙を書く時は簡単明瞭に、)
 返事は詳しく書くようにせよ。
からだに垢がつけば湯浴みすることを思い、
非常に厚いときは涼しいことを願う。
ろば、らば、牝牛。ろば、らば、牛などが躍り上がり、
はね、かけまわる。 ●今月から木村卜堂の草書千字文。
  今月の墨付けは、「顧」「骸」「執」「驢」「駭」。

●今月はどの文字も複雑で難しい。
  特に「骸」「願」「躍」「超」などは苦戦しそう。

●馬へんが目立つ。
  「驢(ろ)」=ロバ[驢馬、馿馬]
  「騾(ら)」=ラバ[騾馬](雄馬と牝ロバの交配種)
  「駭(がい)」=おどろく「駭く、驚く、愕く」と同じ
  「驤(じょう)」=おどりあがるという意
           (馬が走るときに首がふりあがる)