月例課題バックナンバー

書道用品の東方交易

■課題内容(平成25年6月度より)

月度 課 題 出典 釈文 読み方 意味 備  考
平成二十七年十二月度 千字文(木村卜堂) 周發殷湯。坐朝問道。垂拱平
章。愛育黎首。臣伏戎羌 

シュウハツイントウ。ザチョウモンドウ。スイキョウベン
ショウ。アイイクレイシュ。シンプクジュウキョウ。
周(しゅう)の発(はつ)、殷(いん)の湯(とう)。
朝(ちょう)に坐(ざ)して道を問い、
垂拱(すいきょう)して平章(へいしょう)す。
黎首(れいしゅ)を愛育(あいいく)し、
戎羌(じゅうきょう)を臣伏(しんぷく)す。  (民を弔み、桀王(けつおう)と紂王(ちゅうおう)を伐ったのは)
周の発と殷の湯であった。
朝廷にいて政道を求め、自らは何もしないでいても
 国を公平に治めた。
民を愛しみ養い、未開の蛮族までも家臣のように服従させた。 ●今月も木村卜堂の行書千字文。
  今月の墨付けは、「周」「坐」「垂」「愛」「臣」。


●書き方の難しそうなのは
  「發」、「殷」、「垂」、「黎」あたりだが。
  「坐」、「拱」、「臣」、「伏」、「羌」なども要注意だろう。

平成二十七年十一月度 千字文(木村卜堂) 始制文字。乃服衣裳。推位讓
國。有虞陶唐。弔民伐罪。
  

シセイモンジ。ダイフクイショウ。スイイジョウ
コク。ユウグトウトウ。チョウミンバツザイ。
 始めて文字を制し、乃(すなわ)ち衣裳を服す。
位(くらい)を推(お)し、国を譲るは、
有虞(ゆうぐ)、陶唐(とうとう)。
民(たみ)を弔(あわれ)み罪を伐(う)ちしは 黄帝の時、初めて文字が作られ、
 そして初めて作られた衣裳を着るようになった。
天子の位、国を我子ではなく、
 すぐれた家臣に譲ることがおこなわれた。
位、国を譲ったのは、有虞(舜)や陶唐(尭)であった
民を弔み、桀王(けつおう)と紂王(ちゅうおう)を伐ったのは
  <・・・周の発と殷の湯> ●今月も木村卜堂の行書千字文。
  今月の墨付けは、「始」「乃」「推」「有」「弔」と分かりやすい。


●書き方の難しそうなのは
  「虞」「陶」「
弔」位と数は少なそうだが、果たして?
  行書文故、文字の配列や大きさ・バランス、強弱などが
  重要となりそう。
平成二十七年十月度 千字文(木村卜堂) 菜重芥薑 海鹹河淡 鱗潛羽
翔 龍師火帝 鳥官人皇


サイチヨウカイキョウ。カイカンカタン。リンセンウ
ショウ。リュウシカテイ。チヨウカンジンコウ。
菜(さい)は芥薑(かいきょう)を重んず。
海は鹹(しおから)く河(かわ)は淡(あわ)し。
鱗(りん)は潛(ひそ)み羽(う)は翔(かけ)る。
龍師(りゅうし)、火帝(かてい)、
鳥官(ちょうかん)、人皇(じんこう)。 野菜の中では、芥子菜(からしな)と
 薑(はじかみ=ショウガ)が珍重される。
海の水は塩からく、川の水は淡い。
鱗(うろこ)あるものは水中にひそみかくれ
 羽あるものは空を飛びかける。
太古には龍師(=伏義氏(ふくぎし)、火帝(=神農氏(しんのうし)
鳥官(=黄帝の子・金天氏)、人皇(三皇の一人)がいた。 ●今月から木村卜堂の行書千字文。
  今月の墨付けは、「安」「似」「天」「乎」「星」とする。


●書き方の難しそうなのは
  「芥」「薑」「
鹹」「潜」「翔」あたりか。
  行書だけに、その他の文字も手ごわそう。

平成二十七年九月度 書譜(孫過庭) 安。纖纖乎似初月之出天崖。
落落乎猶衆星之列河  安し。纖纖(せんせん)乎(こ)として初月(しょげつ)之(の)
天崖(てんがい)に似(に)、落落(らくらく)乎(こ)として
猶(な)お衆星(しゅうせい)之(の)河(か)[漢]に
列(れっ)するがごとし。  筆使いで精細なところは細かい月が
山の端にななったようなものがあり、
広々とした感じが天の川のきらめく星を
見るようなものもある。 ●今月も孫過庭の「書譜」、草書となる。
  今月の墨付けは、「安」「似」「天」「乎」「星」とする。


●書き方の難しそうな文字は、
  「安」「纖」「出」「崖」「猶」「衆」あたりだが、
  「月」「列」「河」なども書きにくそう。

●今月は「々」と「乎」と「之」が2回ずつ現れている。
  副詞となる「之」は毎月のように現れるが、書き方も様々。
  簡単な文字ではあるが、数多くの書き方が有って、
  レタリング同様、画としての文字の複雑さと面白さがある。
 
平成二十七年八月度   書譜(孫過庭) 形。或重若崩雲。或輕如蝉翼。
導之則泉注。頓之則山。  或(ある)いは重(おも)きこと崩雲(ほううん)の若(ごと)く、
或(ある)いは軽きこと蝉翼(せんよく)の如し。
之(これ)を導(みちび)けば則(すなわ)ち泉のごとく注ぎ、
之(これ)を頓(とど)むれば則(すなわ)ち山。 古今の名跡によって鑑賞してみるのに、
その重々しいものは崩れかかる雲のごとく、
軽いものは蝉の羽のごとく、
その動きの様は泉が湧き出るように生動し、
どっしり落ち着いた様は山のように重々しい。 ●今月も孫過庭の「書譜」、草書となる。
  今月の墨付けは、「形」「崩」「如」「之」「注」とする。


●書き方の難しそうな文字は、
  「或」「若」「崩」「翼」「導」「頓」あたりだが、
  「重」「輕」「蝉」なども要注意か。
  比較的単純ながら「如」や「則」も書きにくそう。

●今月は「之」「則」が2文字ずつ並ぶ。「或」も2回出ている。
  課題文字の様に最初は「之則」と続け、
  次は「頓之」と続けてみる。
 「或」も2回出ているが、それぞれ字体を変える。

  
平成二十七年七月度 書譜(孫過庭) 駭之資。鸞舞蛇驚之態。絶岸
頽峯之勢。臨危據槁之  [鴻飛(こうひ)・獣(じゅう)] 駭(がい)の資(し)。
鸞舞(らんぶ)・蛇驚(だきょう)の態(たい)。
絶岸(ぜつがん)・頽峯(たいほう)の勢(せい)。
臨危(りんき)・據槁(きょこう)の 点描法について、以下のような自然の姿態(すがた)や
 形勢(かたち)をもって比喩している。
鴻飛[飛び立つ大鳥]、獣駭[驚いて飛びのく獣]、
 鸞舞[舞い上がる霊鳥]、蛇驚[驚いて逃げる蛇]、
 絶岸[切り立つ崖]、頽峯[くずれる峰]、臨危[高所からの降下]、
 拠槁[枯れ木の中折れ]
●今月からは孫過庭の「書譜」、草書となる。
  今月の墨付けは、「駭」「舞」「態」「峯」「危」とする。


●読み方も書き方も難しい文字が連なっている。
  草書でもあり、文字全体のバランスが難しそう。
  特に「」「鸞」「驚」「頽」「據」「槁」などである。
  また、「蛇」「態」「絶」「臨」「危」なども容易に書ける文字
  ではなさそう。

●今月は「之」が4つもあるが、同じ文字とは思わずに、
  それぞれ異なった書き方を心がけたい
平成二十七年六月度 蘭亭序(王羲之) 永和九年歳在癸丑。暮春之
初。會于會稽山陰之蘭(亭)  永和九年、歳(さい)は癸丑(きちゅう)に在(あ)り。
暮春(ぼしゅん)の初め、
会稽山陰(かいけいさんいん)の蘭[亭に]会す。 永和九年[西暦三五三年]、癸丑(みずのとうし)の
歳の暮春[旧暦三月/新暦四月]の初め、
会稽山陰の蘭亭において、[禊(みそぎ)をおこなった。]
  ●今月も王羲之の蘭亭叙 行書。
  今月の墨付けは、「永」「歳」「暮」「會」「山」とする。


●課題書には、歪な文字(癸、會)が見受けられるが、修正して
  書く。文字列も多少の曲がりがあり、これも修正しないと
  ならないだろう。
  更に、全体的に文字が左に傾き加減になっているが、
  無理して真似ることはないだろう。

●今月は「丑」「陰」が特に難しそう。
  また、「之」と「會」が二文字ずつ有るのも珍しい。
  いずれも、同じ書体で書かない方がよさそう。

平成二十七年五月度 蘭亭序(王羲之) 事異。所以興懐。其致一也。後之
攬者。亦將有感於斯文。 事(こと)、異なりと<雖(いえど)も>
懐(おもい)を興(おこ)す所以(ゆえん)は、其の致一也(ちいつなり)。
後(のち)の攬(み)る者も、亦(また)将(まさ)に
斯(こ)の文に感ずる有らん。 時が移り変わっても、人の興感(きょうかん)する
心の源は一つなのだから。
後世の人々がいつか、この文を読めば
心に感じることが有るであろう。
●今月も王羲之の蘭亭叙 行書。
  今月の墨付けは、「事」「興」「也」「者」「感」としてみる。


●いつもは全部で20文字なのに、今月は21文字であるのも珍しい。
  「一」という簡単な文字が出てきたためだろう。

●今月は難しい読みの文字は「攬(らん)と「斯(し)」」くらいしかない。
  また、先月に続き「所」「其(き)」「之」「亦」という文字が4箇所も出てきたので
  比較的書きやすい。先月とは違った書き方を試みるのも面白い。
  また、書き方として難しそうなのは「異」「興」「攬」「將」「斯」あたりか。
  「事」や「致」なども意外と手こずるかも。

●「異」という字が不思議な書き方をしている。
  上の部分が「田」ではなく「甲」となっているし、書き順も奇妙だ。
平成二十七年四月度 蘭亭序(王羲之) 視今、亦由今之視昔。悲夫。故
列叙時人、録其所述。雖 <後の>今を視(み)るも、亦(ま)た由(な)お
今之昔(いまのむかし)を視(み)るがごとくならん。
悲しい夫(かな)。故に時人(じじん)を列叙(れつじょ)して、
其の述ぶる所を録(ろく)す。
<世殊(よごと)に事異なりと>雖(いえど)も <後世の人達が>今の私達を見るのは、
私達が丁度昔の人達を見るのと同じなのである。
今の人達がやがて全て昔の人になっしまうことは
実に悲しい。
だから今の世の人々の名を連ね、ここに記録しておこう。
●今月からは王羲之の蘭亭叙 行書。
  今月の墨付けは、「視」「今」「悲」「叙」「其」としてみる。


●今月は難しい読みの文字は「雖」くらいしかない。
  また、「視」と「今」が二回出てくるので、同じ書体とならない様にしたい。
  更に、今月の課題では誤字を塗りつぶした箇所がある。
  このため、一行目の文字の配列が課題通りとはならないので
  文字の大きさに注意が必要だろう。

  
 平成二十七年三月度  草書千字文(木村卜堂) 嫡後嗣續。祭祀蒸嘗。稽?再
拝。悚懼恐惶。牋牒簡要。 嫡後(てきご)は嗣続(しぞく)し、
 祭祀(さいし)蒸嘗(じょうしょう)す。
稽?(けいそう)再拝(さいはい)し、
 悚懼(しょうく)恐惶(きょうこう)す。
牋牒(せんちょう)簡要(かんよう)に、  あととりは両親の後を継ぎ、代を絶やすことなく、
四季折々の祭りを行う。
祭礼の時は、ひざまずいて二度ひれ伏し、
恐れつつしみ敬うものである。
人に手紙を書くときは、簡単明瞭に ●今月も木村卜堂の千字文草書。
  今月の墨付けは、「嫡」「祭」「稽」「悚」「牋」。

●全く読めない漢字が多い。
  「嘗(ショウ)」「?(ソウ)」「悚(ショウ)」「懼(ク)」「惶(コウ)」
  「牋(セン)」「牒(チョウ・ジョウ)」など

●書き方の特に難しそうなのは
  「嫡」「後」「嗣」「稽」「?」「拝」「恐」「牋」「牒」あたりか?

平成二十七年二月度 草書千字文(木村卜堂) 藍笋象床。絃歌酒讌。接杯擧
觴。矯手頓足。悦豫且康。 藍笋(らんじゅん)、象床(しょうしょう)あり。
絃歌(げんか)、酒讌(しゅえん)し、
杯(はい)を接(まじ)え、觴(しょう)を挙ぐ。
手を矯(あ)げ、足を頓(うご)かし、
悦予(えつよ)して且(か)つ康(やす)し。 藍色(あいいろ)の竹の細工と象牙で飾った寝台がある。
琴を弾き、歌をうたい、酒盛りをし、
杯をまじえ、觴(さかずき)を挙げる。
手をき矯(あ)げ、足を頓(ふみ)ならし、
喜び楽しみて、かつ、心安らかである。 ●今月も木村卜堂の千字文草書。
  今月の墨付けは、「藍」「絃」「接」「矯」「悦」。


●今月は書きにくい文字がたくさんある。
 
 「藍」「笋」「絃」「歌」「讌」「杯」「擧」「觴」「矯」「頓」など
  また、「足」の書き方が、「之」と非常に似通っているので違いを明確にさせたい。
  「手」の書き方も「年」に似ているので、注意したい。




平成二十七年一月度 草書千字文(木村卜堂) 妾御績紡。侍巾帷房。?扇圓
潔。銀燭?煌。晝眠夕寐。 妾(しょう)は績紡(せきぼう)を御(ぎょ)し、
?房(いぼう)に侍巾(じきん)す。
?扇(がんせん)は円にして潔(きよ)く、
銀燭(ぎんしょく)は?煌(いこう)たり。
昼は眠り、夕べには寐(い)ぬ。 女は機(はた)を織り、ねやの中で夫に仕える。
白絹の団扇(うちわ)は、丸く清潔であり、
しろがねの燭台は、照り輝く。
昼は眠り、夜は夜で寝る。 ●今月から木村卜堂の千字文草書。
  今月の墨付けは、「妾」侍」「?」「銀」「晝」。


●昨年3月度課題の続き、千字文の202句(805文字目)からの草書となる。
   意外に難しいのが「扇」、「羽」の部分の書き方でイメージががらりと変わってしまう。
   また「火(ひへん)」が3文字連続して現れたり、「糸(いとへん)」も3箇所出ている。
   同じ字体で書かない方が良さそう。

●ところで、1行目の最後「圓(えん)」であるが、課題見本では、どう見ても
   囗(くにがまえ)のない「員(いん)」としか読めない。
   「圓」は「円」の旧字であり、文字通り「丸い」という意味を持つ。
    (昔見た1円札には、確か「壱圓」と書いてあったと思う)
   しかし、「員」は「イン」、「エン」、「ウン」とも読めるが、意味は「人の数」である。
   従って、課題では間違えているのかとも思われたが、原文でも「員」となっているので
   中国では同意語であるのかも。
  
平成二十六年十二月度 行書千字文(木村卜堂) 金生麗水。玉出崑崗。劍號巨
闕。珠稱夜光。菓珍季?。 金(きん)は麗水(れいすい)に生(しょう)じ、
玉(ぎょく)は崑崗(こんこう)より出(い)ず。
剣(けん)は巨闕(きょけつ)と号(ごう)し、
珠(たま)は夜光(やこう)と称す。
菓(か)は李?(りたい)を珍(ちん)とし、 金は麗水ぬ[地名]に生じ、玉(ぎょく)は崑崗山[地名]から産出する。
剣は「巨闕」[剣の名]が最高といい、珠玉は「夜光」[珠の名]が最も好いという。
果物は、すもも(季)と、からなし(?)を貴び、 ●今月も木村卜堂の千字文行書。
  今月の墨付けは、「金」「玉」「劍」「珠」「菓」。


●先月の千字文の続き。
  内容は中国らしく自国の名産を紹介している。
  難しい文字は「麗」「劍」「號」「闕」だが、「珍」などは書きにくそう。
  一部の文字は草書的なものもある。
  原書は全体としてバランスの取れた美しい字体となっている。
 
平成二十六年十一月度 行書千字文(木村卜堂) 秋収冬藏。閏餘成歳。律呂調
陽。雲騰致雨。露結為霜。 秋収め冬蔵(かく)す。閏(じゅん)餘(よ)歳を成し、
律呂(りつりょ)陽(よう)を調(ととの)う。
雲騰(のぼ)って雨を致(いた)し、露結んで霜と為(な)る。 秋には作物を収穫し、冬にはそれを蔵に蓄える。
うるう月を配置し一年を正しく整え、六律(陽調)、六呂(陰調)を
配当し四季を正しくととのえた。
雨雲が天高くのぼって雨を降らし、夕べの露は凝結し、
朝には霜となる。 ●今月も木村卜堂の千字文行書。
  今月の墨付けは、「秋」「閏」「律」「雲」「露」。

●先月の「寒來暑往」より続いており、「秋」の様子から始まっている。
  課題の書き方を見るとピシッピシッと書かれていて、有る意味気持ちよさを感じます。
  行書の難しさは一字一字をしっかりと、力強く且つ滑らかに書くことかな?
  「収」や「冬」、「為」などは意外と書きにくそう。一寸したバランスや筆運びで、違った
  字体となりなねない。  
  
  尚、「六律六呂」については下記のサイトを参考にしてください。
     ※六律六呂と六調子     
     ※コトバンク「六律六呂」



平成二十六年十月度 行書千字文(木村卜堂) 天地玄黄。宇宙洪荒。日月盈
昃。辰宿列張。寒來暑往。 天地は玄黄(げんこう)なり。宇宙は洪荒(こうこう)なり。
日月(にちげつ)は盈昃(えいしょく)なり。
辰宿(しんしゅく)は列張(れっちょう)なり。
寒(かん)来たり暑(しょ)往(ゆ)き、 天は黒く、地の色は黄色であり、空間や時間は広大で果てしなく、
太陽と月は満ちたり欠けたり運行を繰り返し、
天には多くの星座が連なっている。
寒さがやってくると暑さは去り、 ●今月から木村卜堂の千字文。
  千字文の最初の出だしの20文字となる。
  今月の墨付けは、「天」「宇」「日」「辰」「寒」とする。丁度4文字ずつ読点で区切られている
  ので分かり易い。


●今月は特に迷う字体のものは見受けられないが、
  一部意味の分かりにくい言葉がある。
  調べてみると、
   「玄黄(げんこう)」の「玄」は真っ黒とか暗闇、「黄」はまばゆく明るい色の意味。
   「盈昃(えいしょく)」の「盈」は満ちること、「昃」は欠けるくことの意味。
   「辰宿(しんしゅく)」は北極星や星座の意味。
   「列張(れっちょう)」は連なって張り出すという意味。

  とあった。

平成二十六年九月度 孫過庭「書譜」 池之志。觀夫懸針垂露之異。
奔雷墜石之奇。鴻飛獣 池之志(ちのこころざし)。
夫(か)の懸針垂露(けんしんすいろ)之異(い)、
奔雷墜石(ほんらいついせき)之奇(き)、
鴻飛獣(こうひじゅう) <駭之資(がいのし)> 張芝(ちょうし)のように池の水を真っ黒にするくらいの熱心さは
持っているつもりである。
あの懸針・垂露(縦画の変化の形容)の違い、
奔雷・墜石(用筆の迅疾の形容)の面白さ、
鴻飛・獣駭(筆画の動感の形容)のすがた
●今月も孫過庭の「書譜」草書であり、前月の続きとなる。
  今月の墨付けは、「池」「觀」「垂」「雷または墜」「鴻」を墨付けとしてみる。
  ※文章の区切りからすると「墜」だが、作品のバランスを見て「雷」とするかも


●今月の特に難しい文字は「觀」「懸」「垂」「露」「奔」「駭」かな?
   「飛」「獣」も難儀しそう。
平成二十六年八月度 孫過庭「書譜」 之前規。極慮専精。時逾二紀。
有乖入木之術。無間臨 之前規(しぜんき)。慮(おもい)を極(きわ)め精(せい)を専(もっぱ)らにして、
時に二紀(にき)を逾(こ)ゆ。
入木之術(にゅうぼくのじゅつ)に乖(そむ)くこと有るも、
臨(池の志に) 間(へだ)たること無し。 王羲之や王献之の書法を学ぶことに専心努力してきた。
そしてもう二紀(二十四年)を超えた。
王羲之の入木の故事に見られるほどの筆力はないが、
張芝のように池の水を真っ黒にする位の熱心さは持っているつもりである。 ●今月も孫過庭の「書譜」草書であり、前月の続きとなる。
  今月の墨付けは、「之」「極」「時」「乖」「術」を墨付けとしてみる。
  
  ※個人的には墨付け文字は文章や文句の始まりが良い感じがしている。
    しかし、書の作品としては、句点読点は無関係に、文字の羅列と考えるべきなのか?
    迷うところである。
    そう言う意味では四言漢詩文などを題材とするのがはっきりしていて良いと思う。
  
●今月の特に難しい文字は「慮」「逾」「乖」「術」と思う。
平成二十六年七月度 孫過庭「書譜」 疑焉。余志學之年。留心翰墨。
味鍾張之餘烈。?羲獻 疑焉(うたがい)。余志學之年(よしがくのとし)。
心を翰墨(かんぼく)に留め、鍾張(しょうちょう)の余烈(よれつ)を
味わい、。羲獻(ぎけん)[之(の)前規(ぜんき)を]?(く)み 私は志学の年、すなわち十五歳から書の勉強を始めて、
鍾?(しょうよう)や張芝(ちょうし)の遺墨を味わい、
王羲之や王献之の書法を学ぶことに専心努力してきた。 ●今月は孫過庭の「書譜」草書である。
  今月は、「疑」「學」「留(または「翰」)」「鍾」「烈」を墨付けとしてみる。


●最初の「疑」の上部が欠けている。
  新書道辞典からすると、下記の字体が完成形のようだ。
         
  草書なので難解な文字は多いが、中でも「留」「翰」「鍾」「餘」「羲」「獻」辺りが書きにくそう。
  
●文章中に「鍾?(しょうよう)」、「張芝(ちょうし)」、「王羲之(おうぎし)」、「王献之(おうけんし)」
  という4名の偉大な書家の名前が出てくる。
 ・鍾?(151〜230)は、三国志時代の魏の武帝(曹操)に仕えて宰相となった人物。
   銘石書(碑銘に用いる公用書体)、
   章程書(秘書省で教えていた記録用の書体)、
   行狎書(書簡に用いる実用書体)、
  すなわち八分・隷書(楷書)・行書の三体をよくしたといわれる。
  書は「宣示表」「薦季直表」「力命表」などがあるが、多くは伝承作品だった。
 ・張芝(生没年不明)後漢末の書家。草書が有名で「草聖」とも謂われる。
  著名な作品は「芝白帖」「冠軍帖」「欲帰帖」など。
 ・王羲之と王献之の親子については説明割愛します。
平成二十六年六月度 王羲之「蘭亭叙」 喩之於懐。固知一死生爲虚
誕。齋彭殤爲妄作。後之 之(これ)を懐(こころ)に喩(さと)す(能わず)。
固(もと)より知る。死生を一(いつ)にするは虚誕(きょたん)たり、
彭殤(ほうしょう)を斉(ひと)しくするは妄作為(もうさくた)るを。
後之(のちの) 心に論し、抑えることはできない。
もとより、生と死は同じで、長命も短命も同じであるなどということは、
根拠のないことであり、でたらめであることを、私は知っている。
後世の(人達が、) ●今月も王羲之の「蘭亭叙」行書である。
  今月は、「喩」「固」「爲」「齋」「妄」を墨付けとしてみる。


●「虚」「誕」「齋」「彭」「殤」「後」辺りが書きにくそう。
  特に「虚」」の書き方は難解。
  「齋」は全体が大きくなり易くなるし、意識して小さく書くと全体が貧弱に見えるだろう。
  「懐」や「殤」も同様で、全体を考えた大きさを考えなくては。

●今月課題では「之」と「爲」が2つづつ現れているが、作者の意図を考えると
  今まで同様に字体を変えた方が良いだろう。

平成二十六年五月度 王羲之「蘭亭叙」 攬昔人興感之由。若合一契。
未甞不臨文嗟悼。不能 昔人(せきじん)の興感之由(きようかんのよし)を攬(み)るに、
一契(いっけい)を合(がっ)するが若(ごと)し。
未だ甞(かつ)て文(ぶん)に臨(のぞ)んで嗟悼(さとう)せずんばあらず。
能(あた)わず 昔の人は (いつも)何に感激していたか、その理由を聞いてみると、
いつでもみな符丁を合わせたように似ている。
だから、それらの文章に臨む時、深く嘆き悲しまざるを得ない。
それを(心に論し、)抑えることはできない。 ●今月も王羲之の「蘭亭叙」の行書である。
  今月は、「攬」「興」「若」「甞」「嗟」を墨付けとしてみる。

●今月は難しい文字は少ない。
  それでも「攬」「甞」「嗟」あたりは難儀しそう。
  また「興」「感」「悼」なども文字全体のバランスが難しい。
  「不」が2箇所に現れているが、王羲之の信念を尊重するなら、字体は明瞭に変えたい。

●作品としては、文字の大きさがアンバランスに思えるし、中心も真っ直ぐではない。
  この辺を整理して書く必要があろう。
平成二十六年四月度 王羲之「蘭亭叙」 短 随化 終期於盡 古人云 死
生亦大矣 豈不痛哉毎 短(たん)、化(か)に随(したが)い、
 終(つい)に尽(つ)くるに期(あ)うおや。
古人云う、死生、亦(また)大矣(だいなり)。
豈(あに)痛ましからず哉(や)。毎(つね)に
(まして、長命であるとか、)短命であるとかの差はあっても、
やがて死に到のである。
古人(孔子)もいうように、人の精利は、やがり重大事である。
このことは、まことに、心痛ましいことではないか。
(昔の人は、)いつも(何に感激していたか、) ●今月は王羲之の「蘭亭叙」に戻った。
  文章からして、今月は「短」「終」「古」「豈」「不」あたりを墨付けしてみる。


●課題の字体だが、何かしっくり来ない。
  「感覚的に美しい字」とは思えない。特に「痛」は典型的。
  あまり課題の字体にこだわらない方が良いと思われる。
  「短」「終」「亦」「豈」なども同様な面が感じられる。
  一方「哉」の字体は形良くて私の好きな書き方。

●「盡」の書き順がよく分からない。
  いくつか辞典を見ても、この文字が見当たらず。ちょっと困った。
  取りあえずは、それらしき書き順で進めてみよう。
平成二十六年三月度 草書千字文(木村卜堂) 適口充腸 飽飫烹宰 飢厭糟
糠 親戚故舊 老少異糧  口に適(かな)い、腸(ちょう)に充(み)つ。
飽きては烹宰(ほうさい)をも厭(いと)い、
 飢えては糟糠(そうこう)をも厭(た)れりとす。
親戚、故舊(こきゅう)、老少、糧(りょう)を異(こと)にす。
食事というのは、口に適(かな)って、腹を満たせばそれでよい。
満腹の時は、どんなに美味しい料理でも飽きてしまい、飢えた時には、
 酒糟(さけかす)や糠(ぬか)でも満足する。
親戚や昔なじみの知人、友人がおり、老人には滋養のある食事、
 若者は粗末な食事でもかまわない。 ●今月も木村卜堂先生の草書作品となる。
  今月の難しい文字は
  「適」、「腸」、「飫」、「烹」、「戚」、「舊」、「異」などだろう。
  中でも最初の「適」はアンバランスな書き方故、完成形の美の確保が難しそう。
  また、今月は「米へん」と「食へん」が3箇所ずつと現れているのが面白い。
  ただし「食へん」は2種類有るので、書き方も少し異なる。
    (「
」、「」と「」の違い)
  
●「作品」として見たとき、文字の連続性が途中で途切れる箇所も多い。
  4文字ずつ墨付けしたとして、「充」、「飫」、「烹」、「宰」、「老」などの途中文字が、
  次の文字に繋がりにくい。一工夫が必要か。


●「飫」の「しょくへん」の右側は「夭」だが、課題での書き方が明らかに違う。
  調べてみたが旧字でもなさそうだし・・・不明
平成二十六年二月度 草書千字文(木村卜堂) 耽讀翫市 寓目嚢箱 易?攸
畏 屬耳垣牆 具膳?飯 耽讀(たんどく)して市(いち)に翫(もてあそ)び、目を嚢箱(のうそう)に寓(ぐう)す。
易?(ゆう)は畏(おそ)るる攸(ところ)、耳を垣牆(えんしょう)に属(つ)く。
膳(ぜん)を具(そな)え飯を?(く)う。 読書にふけり、市で書物を読み学び、
 目はいつも書物をつつむ袋や箱に向けている。
安易な軽々しい行動はつつしんで、
 垣根や壁にも耳があると心得、気を配らなければならない。
食卓の準備をし、食事するが・・・、 ●今月も木村卜堂先生の草書作品となる。
  今月も難しい文字が並ぶ。
  「耽」、「翫」、「寓」、「?」、「畏」、「屬」、「牆」などは読みも書き方も難しい。
  
●同じ草書体でも孫過庭と比較すると書き方の柔らかさというか、滑らかさが異なる感じがする。
  自分としては孫過庭の方がこれらと合わせ、「文字の美しさ」という点で優っている気がする。
  木村先生の字体も、孫過庭に準じているようだが、独自の技法・描き方に相当の苦心された
  と思われる。これはこれでなかなか趣のある好感の持てる文字だ。
平成二十六年一月度 草書千字文(木村卜堂) 梧桐早彫 陳根委翳 落葉飄
? 遊?獨運 凌摩絳霄 梧桐(ごとう)は早く彫(しぼ)む。 
陳根(ちんこん)は委翳(いえい)し、落葉(らくよう)は飄?(ひょうよう)たり。
遊?(ゆうこん)は獨(ひと)り運(めぐ)り、絳霄(こうしょう)に凌摩(りょうま)す。
梧桐(あさぎり)は、秋になると早くから葉が落ちてしまう。
古い根はしぼみ枯れ、落ち葉は風に舞う。
?(鳳凰)が虹の大空を悠々と飛ぶように、
 隠者は世を退いて、自由な境地を楽しむ。
●今月から木村卜堂先生の草書作品となる。
  今月は難しい文字が多い。
  「翳」、「飄」、「?」、「獨」、「凌」、「絳」、「霄」などは読みも書き方も難しい。
  なかでも「翳」、「飄」、「獨」、「絳」、「霄」は特に文字のバランスが極めて難解。
   お手本からしてバランスの良い書き方とは決して思えなくもあり、苦労しそう。
  その他、「早」、「彫」、「委」、「落」、「獨」、「摩」なども書き方が一筋縄に行きそうもない。

平成二十五年十二月度 行書千字文(木村卜堂) 徘徊瞻眺 孤陋寡聞 愚蒙等
誚 謂語助者 焉哉乎也 徘徊(はいかい)瞻眺(せんちょう)す。
孤陋(ころう)にして寡聞(かぶん)なれば、愚蒙(ぐもう)と
誚(そし)りを等(ひと)しくす。 
語の助と謂(い)う者(は)、焉(えん)、哉(さい)、乎(こ)、也(や)なり おごそかに歩き、あたりを眺めるも恭謙荘重でなければならない。
孤独でかたくなな人や、見聞のせまい者は、愚か者同様に、
そしりを受ける。
文章は語助(助詞)というものがあるが、焉、哉、乎、也などの字が
それである。 ●今月も木村卜堂先生の行書作品となる。
 難しい文字は「瞻」「陋」「焉」。
 毛筆書きとして難しい文字は、この3文字に加え「徘」「蒙」「助」あたりか。
 4文字ずつに区切って墨付け文字は「徘」「孤」「愚」「謂」「焉」とする。


●課題の「寡」と言う文字が本来の書き方少し異なっている。
 中央は「百」ではなく「首」という文字の上の払いが無いし、下側も「力」ではなく「刀」が正しい漢字。
 今回は正しい方に準じて書くこととする。
 「哉」の右肩の点の位置も正しい文字通りとして書いていく。
平成二十五年十一月度 行書千字文(木村卜堂) 指薪脩? 永綏吉劭 矩歩引
領 俯仰廊廟 束帯矜荘 薪(たきぎ)を指して?(こ)を脩(おさ)むれば、
永綏(えいすい)吉劭(きっしょう)なり。
矩歩(くほ)引領(いんれい)して、廊廟(ろうびょう)に俯仰(ふぎょう)す。
束帯(そくたい)は矜荘(きょうそう)にして、 火が消えない様に薪(たきぎ)をくべると同様に、
絶え間なく善行を積めば、永く安らかで幸いが続く。
歩みは姿勢を正し頭を挙げ、朝廷では帯を締め、
礼装し威儀を正し、 ●今月も木村卜堂先生の行書作品となる。
  文字自体そのものの難しさはないが、読みの難しい字は続く。
  毛筆書きとして難しい文字は「劭」「帯」「矜」あたりか。
  4文字ずつに区切って墨付け文字は「指」「永」「矩」「俯」「束」とする。


  
平成二十五年十月度 行書千字文(木村卜堂) 工?研笑。年矢毎催。羲暉朗
曜。旋?懸斡。晦魄環照。 工?(こうひん)研笑(けんしょう)す。
年矢毎(,ねんしまい)に催(うなが)し、羲暉(ぎき)朗曜(ろうよう)す。
旋?(せんき)は懸斡(けんあつ)し、晦魄(かいはく)は環照(かんしょう)す。 (毛?(もうしょう)や西施(せいし)は、清く美しく)巧みに眉をひそめる様は、
なまめかしく、笑うとより一層美しかった。
歳月は矢のように早く、常にせきたて、太陽と月の光は下界を照らし輝き、
玉のような星が空にかかってゆき、つごもり(月隠り)の新月も
めぐってまた照らす。 ●今月からは木村卜堂先生の作品となる。
  ○「千文字文」とは南朝・梁(502~549)の武帝が、文官の周興嗣(470~521)に作らせた長文。
    文字は王羲之の文字を模写したといわれ、これを書道の手本にしたと伝えられる。
    「天地玄黄」から「焉哉乎也」まで、4字を1句とする250個の短文からなる。
    同じ文字は一つもない。
  ○木村卜堂(きむらぼくどう)1905~1975 は日本書作家協会を興した書家。
     

 ★毛?(もうしょう):春秋時代の越の人。
    越王の愛姫だとされて、美しく魅力的な女性だったようだ。
 ★西施(せいし):春秋時代末期に生まれ、
    王昭君・貂蝉・楊貴妃と合わせ中国四大美女と言われる。


●今月の課題文は「工?研笑」から始まっているが、その前は「毛施淑姿」がある。
  この「毛」が「毛?」を指し「施」は「西施」を指す。毛?と西施は淑姿(しゅくし=巧みなる姿形)である  という。
  旋?(せんき)とは天文測定器のこと


●今月は行書である
  課題は規則正しい枠の中に整然と書かれた形だが、作品として仕上げるには当然文字の
  強弱や筆の流れがある。
  墨付け文字は「工」「年」「」「旋」「晦」の4文字毎とするつもり。

 
平成二十五年九月度 書譜(孫過庭) 逸少之比鍾張。則専博、斯別。
子敬之不及逸少。無或 逸少(いっしょう)の鍾(しょう)・張(ちょう)に比べるときは、
則(すなわ)ち専博(せんぱく)、斯(ここ)に別あり。
子敬(しけい)の逸少に及ばざることは、(疑い)或ること無し。 逸少(王羲之)と鍾?(しょうよう)・張芝(ちょうし)の二人と比較する時は、
専修(鍾?は楷書に、張芝は草書に優れている)と
兼習(王羲之は各体に優れている)の相違があって その優劣を定めがたいが
子敬(王献之)が王羲之に及ばないのは事実だと思う。 ●書譜の一文で、先月号の続き文。
  王羲之の息子である王献之の書がまだまだ父には及ばないと評している。

 ★鍾?(しょうよう、151〜230年):鍾?体(隷書と楷書の中間のような書体)を用いた書家。
   代表作に「宣示表」がある。
   三国志で有名な曹操に仕え、曹操が魏王になると大理という重臣となる程の政治家
   であった。
 ★張芝(ちょうし、生年不明〜192年、後漢末):草書に長け「草聖」と称された。
   自分の家にある池に臨んで熱心に習字をしたため、池の水がいつも真っ黒だったという有名な
   話がある。 また、書道のことを「臨池(りんち)」と言うのはこの故事に由来する。
   代表作には「芝白帖」がある。


●今月も難しい字が多い。「逸」「鍾」「張」「則」「専」「博」「斯」「別」「無」「或」など。
  墨付けは「逸」「鍾」「博(又は斯)」「之」「少」あたりか。

●字体の書き方に不明瞭な文字がある。「鍾」がその文字。
  新書道辞典によると孫過庭が書いた「鍾」は
        が有った。
      この内の右端をお手本とする。

●原文に欠けがある。これも新書道辞典より
  ☆「斯」では   の3体が有ったが
     左端をお手本とした。

  ☆この辞典には孫過庭の書いた「別」は無かったが、
    ・王羲之の書いた   と
    ・智本が書いた   辺りが参考になる。

●今月は「逸」「少」「之」の3文字が2回現れているる
  同じ字体で書いては作品として見劣りするだろう。
平成二十五年八月度 書譜(孫過庭) 羲之還見。乃歎日、吾去時眞
大醉也。敬乃内慙。是知 羲之(ぎし)還(かえ)りて見。乃(すなわ)ち歎(なげ)きて曰(いわ)く、
吾(われ)去る時 真に大酔(たいすい)せしならんと。
敬(けい)、乃(すなわ)ち内に慙(は)ず。是(こ)れ知る 王羲之が帰ってきてこれを見、がっかりして「出発の時は
大変酔っていたのだなあ」と言った。
王献之(字:子敬)はそこで内心大いに慙(は)じたという。
このような例によって考えても:: ●先月号の続き文。
  王羲之が都から帰り、(羲之は献之が自分の文字を書き改めたとは知らず)
  献之の書いた文字を見て、(下手な字だったので)自分が大いに酔った時に
  書いたものと勘違いした。
  献之はこれを聞いて(自分の下手さに)恥じたというもの。
   なかなかユーモラスな話である。


●今月の難しそうな字は
  「羲」「還」「欺」「眞」「醉」「慙」「知」
  「乃」が二文字有るが同じ書き方にしない事が必要だろう。
  「也」もバランスの取れにくそうな字である。
平成二十五年七月度 書譜(孫過庭) 都。臨行題壁。子敬密拭除之。
輒書易其處。私爲不惡。 都に(往かんとし)行くに臨んで壁に題(だい)す。
子敬(しけい) 密かに之(これ)を拭除(しょくじょ)し、
輒(すなわ)ち書して其の処に易(か)え、
私(ひそか)に悪からずと為(な)す。 都への出発に際して壁に題書した。
献之はこっそりそれを拭い去り、勝手に書き改めて、
自分ではなかなか良くできたと思っていた。 ●最初は「都」から始まっているが、その前の文は「後羲之住都」である。
  「王羲之は都に住(い)かんとし・・・」となる。
  「子敬」とは王羲之の息子(七男)「献之」である。
  王献之もまた偉大な書家であった。(羲之は大王、献之は小王と呼ばれた)
  息子の悪戯が面白い。

●今月は草書。「都」「行」「敬」「密」「輒(チョウ/すなわ・ち)」「易」「爲」「不」が
  特に難しそう。「密」はどう書いて良いのかさえ理解しにくい。
  「行」や「易」は一寸した筆加減で字体が大部変化しそう。
平成二十五年六月度 蘭亭叙(王羲之) 所欣。俛仰之間。以爲陳迹。猶
不能不以之興懐。况脩。 欣(よろこ)ぶ所も、俛仰之間(ふぎょうのかん)に陳迹(ちんせき)と為る。
猶(すなわ)ち之(これ)を以(もっ)て懐(おもい)を興(おこ)さざる能(あた)わず。
况(いわん)や脩 (今まであれほど)喜んでいたことでも、あっという間に、色あせてしまう。
だからこそおもしろいと、思わないわけにはいかないのである。
まして、長命であるとか、(短命であるとかの差は) ●蘭亭叙(序)<らんていじょ>の一部分。
  原文の出だしは「向之」から課題文の「所欣」と続く。
  終わりも「况脩」に続いて「短随化」で一区切りとなる。
  読みは出だしが「向(さき)の欣(よろこぶ)所は・・・」となり、
  終わりは「况(いわん)や脩短(しゅうたん)化(か)に随(したが)う」となる。

●読みとして面白いのは「不能不以之興懐」という節。
  「FE能 DA@CB」の順で読む。
  即ち、「之ヲ以って 懐ヲ興さざる 能わず」となる。分かりにくい!

●難しい「所」「欣」「間」「為」「興」あたり。
  特に「所」はいくつかの書き方があるので、形良いものを採りたい。
  また、「之」「以」「不」がそれぞれ2文字あるが、同じ書き方では味気ない。
  それぞれ独自の工夫が必要。

●墨付け文字は「所」「間」「陳」「能」「興」となるだろう。
  墨付け数が多い気もするが、全体を見るとこんなものか。
  また「俛」「猶」「(左側の)以」「况」ではチョイ付けもあるだろう。

  一文字ずつ筆先を整えながらの書き方になりそう。

●最初は気付かなかったが「俛」の右側を「免(メン)」と思い込んでいた。
  「免」だと八画となるのでニンベンを加えると総画が十画とならなくてはならない。
  ところが「俛」は九画であり、ここで初めて右側が「免」ではなく
  「兎(うさぎ・ト)」の点がない文字と分かった。


■課題内容
(平成25年5月度まで)

課題(お手本) 本文と
訳(読み方)
注訳 意味 備 考
●平成二五年五月 趙氏連城壁 由來天下傳 送
君還舊府 明月滿前川





趙氏 連城の壁(へき) 由来 天下に伝わる
君が旧府に還るを送れば 明月に満つ 
○趙氏連城壁:戦国時代の趙の国には、壁(へき)と
  いう宝玉があり、秦王が十五の城と交換しようと
  申し入れたところから、連城の壁と名付けられた。
○由来:以前から
○旧府:趙縦の郷里を指す(趙縦とは人名)
○前川:前方にある川 趙国の秘蔵していた連城の壁は、昔から名を天下に
伝えられていたものだ。
そのように、趙氏の連城の壁ともいうべき君が郷里へ
帰るのを見送るいま、明月の光は、目の前の川面に
満ちあふれている。 1.墨付け文字は「趙」「由」「還」「明」か。
  特に「由」から「君」までの7文字は墨付けしないで書きたい。

2.
今月の難しい文字は
  「趙」「氏」「壁」「君」「舊」「前」
など。
  また「由來」「天下傳」「明月」「滿前川」は一気書きとなる。

 ○「趙」は大きさと全体的に四角いエリアに納める字体に注意。
 ○「氏」は簡単なようだが中心の確保と、点の書き方がポイントか。
 ○「連」は「しんにゅう」が全体のバランスを決める。
 ○「城」は行書だが筆を止めずに書く。
 ○「壁」は左上から右上に入る筆さばきがポイント。
 ○「由」は中心線と傾き、右肩の具合が形を決める。
 ○「來」は「由」とは逆の傾きとなり、「由來」で一つのバランスを保つ。
 ○「天」は最後の線が大事。曲げずに真っ直ぐ感覚で書く。
 ○「下」は「天」との位置関係が重要だろう。「不」の書き方に準ず。
 ○「傳」は「イ(にんべん)」の書き方と、最後の丸めがポイント。
 ○「送」は「連」同様に、「しんにゅう」で全体が決まる。
 ○「君」は全体の傾きと、最後の「口」に注意。
 ○「還」も「しんにゅう」が決め手。
 ○「舊(旧)」は字体特に誤字に注意。
 ○「府」は全体傾きに注意。
 ○「明」は以外と右側の「月」がポイントだろう。
 ○「月」は軽く、しかし筆を止めることなく流すト。
 ○「滿」は「さんずい」の書き方と、最後の筆の回し方が難しそう。

 ○「前」は筆使いに注意。最後の筆の流し方向が次の「川」を決める。
 ○「川」は力強く、最後の縦線は緩やかに流す。
●平成二五年四月 主人不相識 偶坐爲林泉 莫
謾愁沽酒 嚢中自有銭





主人 相識(あいし)らず 偶坐(ぐうざ)するは
林泉(りんせん)が為なり
謾(まん)に酒を沽(か)うを愁(うれ)うる莫(な)かれ
嚢中(のうちゅう) 自(おの)ずから銭有り
○主人:袁氏をさす
○偶坐:二人が向かい合って座ること
○林泉:庭園
○謾:しっかりとした理由もなしに
○沽:買うこと この別邸のご主人とはべつに知り合いの仲ではないのだが、
その人と二人、こうしてここに座っているのは、
林や泉も見事なこの庭園のためなのさ。
まあご主人、客をもてなすのに酒を買わずばなるまいなどと
心配しなさるな。財布の中をさがせば、
自然と銭も出て来ようというものさ。 1.墨付け文字は「主」「偶」「林」「愁」「嚢」か。
  場合によっては「偶」「林」での墨付けはしないで間の文字「坐」で
  済ませることも考えてみたい。

2.
今月も難しい文字が多い
  「相」「識」「坐」「為」「泉」「莫」「謾」「沽」「酒」「嚢」「有」「銭」
など。
  また「主人不相」「坐為」「林泉莫」「愁沽酒」「嚢中」「自有銭」
  は一気書きとなる。

 ○「主」は線の太さと傾き。
 ○「人」は右の線をほぼ水平ににして次の「不」につなげる。
 ○「不」は各線を真っ直ぐに力強く引く。
 ○「相」は縦線の傾きと、そこから右への線の傾きに注意。
 ○「識」は「言(ごんべん)」と右の軟らかな線の書き方がポイント。
 ○「偶」は最後の丸めをなめらかに。
 ○「坐」は上の波線の書き方と、筆の回し方がポイントだろう。
 ○「爲」は文字が大きくなりやすくなることに注意。
 ○「林」は傾き加減が重要。左の「木」の入りは強く。
 ○「泉」は筆の回転の運びがポイント。
 ○「莫」は中央の縦線に多少のアクセントをつける。
 ○「謾」は筆が二回連続して回されるので筆遣いに注意。
 ○「愁」も下の「心」の書き方が重要。
 ○「沽」は「さんずい」と「古」の最初の横線の位置が重要。
 ○「酒」は筆を止めず、力を抜いて走らせる。最後の点の位置にも注意。
 ○「嚢」は冠部分と、冠内側の三本線に気をつける。
 ○「中」は傾きと、縦線の締め方が文字の出来を決める。

 ○「自」は先細りの字体。
 ○「有」は4本の横線の傾きが上下二本で異なり、縦線の三本は各々異なる。
 ○「銭」は「金(かねへん)」の書き方が難しい。

●平成二五年三月 偶來松樹下 高枕石頭眠 山
中無暦日 寒盡不知年





偶(たま)たま松樹(しょうじゅ)の下(もと)に
来たり 枕を高こうして石頭に眠る
山中 暦日(れきじつ)無し 
寒(かん)尽(つ)くれども年を知らず
○偶來:偶然に来る。目的も用事もなく
      気の向くままに山中を歩いていること。
○高枕:心安らかに熟睡することをいう。
○石頭:俗語で、石のことをいう。
○暦日:こよみ



○寒尽:寒気が尽きる。冬が去る。
○不知年:今年が何年であるかを知らない。
ふと松の木のもとへ来かかったところで、
私はそこの石の上に、枕を高くして安眠する。
山中の生活には暦もないので、寒気が尽きて
(年が改まって)も、今年が何年だったか、
知りもしない。 1.墨付け文字は「偶」「石」「無」「寒」。特に最初の文字「偶」から「枕」
  までの7文字は途中墨付けせずに書き上げたい。
  「高」で墨付けすると、左側の「寒」と墨付け文字が並んでしまう。

2.今月の難しい漢字は「偶」「頭」「眠」「暦」「盡(尽)」「知」などであろう。
  「偶」と「尽」は書き方が難しく、よく調べないと誤字となりやすい。
  「きへん(木)」が1列目に3文字もあるが、各々筆運びを少し変えること。
  「偶來」「松樹下」「高枕」「石頭」「無暦日」「寒盡」「不知年」はそれぞれ
  一気書き。
  
 ○「偶」は書き方、書き順に注意。
 ○「來」は最初の筆の入り方で決まりそう。力を抜く。
 ○「松」は「木(きへん)」の位置が重要か。単純な分、大きめに書く。
 ○「樹」は「木(きへん)」の傾きと真ん中の筆遣いがポイント。
 ○「下」は点が意外と難しそう。
 ○「高」は最後の丸めをなめらかに。
 ○「枕」は右側の部分を筆を軽くして力強く書いた方が良さそう。
 ○「石」の左下への線の傾きに注意。
 ○「頭」は全体的に軽やかに翔る様に練習が必要。
 ○「眠」は筆先での一気書き。
 ○「山」は下側の線を一旦止める様にしている。意外と難しい。
 ○「中」は中央の縦線に多少のアクセントをつける。
 ○「無」は書き順に注意。。
 ○「暦」は筆先で筆の運びに注意する。大きめに書くか。
 ○「日」は最後の丸めを軽やかに。
 ○「寒」は「うかんむり」の傾きと、各々の横線の傾きに注意。
 ○「盡(尽)」は書き順と筆の入り方、筆の返し方がポイント。
 ○「不」は一気書き。

 ○「知」は「不」からのつながりを明確に。右の「口」の位置・形に注意
 ○「年」は縦線の終わりからの筆の返し方に注意。
●平成二五年二月 北斗七星高 哥舒夜帶刀 至
今窺牧馬 不敢過臨?





北斗 七星高く 哥舒(かじょ) 夜に刀を
帯ぶ 今に至るまで馬を牧せんと窺うもの
敢(あえ)て臨?(りんとう)を過(よぎ)らず
○牧馬:馬を放牧する。西方の異民族が
  中国内地に侵入することをいう。
  彼らは遊牧民族だから、侵入された
  土地はその放牧地になる
○臨?:今の甘粛省岷県
○過:立ち寄る。訪れる。 北斗の七つの星は、高く輝く。
その夜半を哥舒将軍は刀を帯びて、警備に
ついておられる。将軍のおかげで今日まで、
馬を放牧しようと侵入の機会を窺っている
えびすどもは、臨?に入って来るのを
はばかっているのだ。
1.墨付け文字は「北」「哥」「窺」「不」。

2.今月の難しい漢字は「北」「哥」「舒」「牧」「過」「臨」「?」などであろう。
  特に今月は右の行に「斗」「哥」「舒」「帶」といった縦線で終わる文字が4つも有る。
  しかも、各々が微妙に筆使いや太さが違っていることに留意しなくてはならない。
  
 ○「北」の最初の縦線の筆の入れ方と終わり方で形が決まる。右の点の書き方も注意。
 ○「斗」の縦線は反らして、最後は筆を軽く持ち上げるようにする。
 ○「七」は力を抜いて、特に最初の横線から左上に筆を返す時、角にならないこと。
 ○「星」は「日」を大きめに、筆の回転が3箇所有る。
 ○「高」は「児」の草書体。最後の右下への引き方とハネがポイント。
 ○「哥」は縦長目に角。最後のひねりの方向に注意。最後の縦線も筆を途中で止める。
 ○「舒」は筆の入り方と傾斜角度、続く左上の傾きに注意。
 ○「夜」は「イ」の入り方に注意。
 ○「帶」の最初の横線は長めに、続く縦の3線は同じではない。
 ○「刀」は全体の傾きと、右肩が尖らない様に。
 ○「至」は下の線とハネ、右の点の書き方に注意。
 ○「今」は最初と次の線の傾き加減。
 ○「窺」は「うかんむり」部分と「規」の部分の空き具合。
 ○「牧」は「うしへん」の縦線の反りを強く。
 ○「馬」は書き順に注意。
 ○「不」は毎月のように現れる時だが、今月は太く、しっかりと書く。
 ○「敢」は「不」からの流れの中で、字の左右の位置と大きさに注意。
 ○「過」は「しんにゅう」の出来具合で全体のバランスが決まる。
 ○「臨」は筆の入り方が微妙。字の右側の略字の形にも注意。

 ○「?」は「さんずい」の書き方と、右側「兆」の書き順と位置が上気味に注意。
●平成二五年一月 打起黄鶯兒 莫教枝上啼 啼
時驚妾夢 不得到遼西





黄鶯児(こうおうじ)を打起(だき)して 
枝上(しじょう)に啼かしむる莫(な)かれ
啼く時は妾(しょう)が夢を驚かし 
遼西(りょうせい)に到るを得ざらしめん
○打起:手で持ち上げること
○教:使役をあらわす言葉
○驚:目をさますこと
○妾:女性の一人称代名詞





○遼西:今の中国東北地方。
  女性の夫(または恋人)が この地方に
  出征していたのである。
 
鶯を追い払って、枝の上で啼かせないように
しておくれ。
あれが啼くと、私の夢は破られて (せめて
夢の中にでも)わが思う人のいる遼西まで
行くことが出来なくなってしまうから。 1.墨付け文字は「打」「莫」「驚」とし、状況により「夢」または「到」か。

2.今月の難しい漢字は「鶯」「教」「驚」「妾」「到」「遼」などである。
  お手本では文字の中心線が曲がっているが、無理して真似なくても良いだろう。
  特に最初の行の「兒莫」が右よりになっているが、もう少し左寄りに書いた方が無難かも。
  「打起黄鶯兒」や「莫教枝上」、「驚妾」、「夢不得」などでは筆を休めることなく、一気に書き上げたい。


 ○「打」は最初の文字なので筆の力の入れ方でバランスが決まりそう。
 ○「起」は右側の「已」の最初の位置と最後のハネ位置に注意。
 ○「黄」は最後の筆の返しが次の「鶯」につながる様にする。
 ○「鶯」のかんむり部は「ツ」ではないことに注意。「学」等と同じ字体としない。
 ○「兒」は「児」の草書体。最後の右下への引き方とハネがポイント。
 ○「莫」は全体的な傾き具合が大事で、傾くことで文字のバランスを欠いてはダメ。
 ○「教」は「こざとへん」が鍵。右側は流れるように。
 ○「枝」は右側の上の書き出し位置が難しそう。
 ○「上」の最後の下側の線は力を入れずに自然流で。
 ○「啼」の最後の縦線は筆に力を加えつつしっかり描く。
 ○「:」は上の点は下の点への繋がりがあり、下の点は押さえる様に筆を終わらせる。
 ○「時」は上広がりの扇形となる。
 ○「驚」は最後の丸め方向が真左からやや上気味としたい。
 ○「妾」は「立」の部分の傾きと、「女」の部分の傾きが異なる。「女」は「め」と書かないこと。
 ○「夢」は最後の「タ」の部分が意外と難しいか。
 ○「不」はおなじみの漢字で一筆書き。
 ○「得」の「寺」の部分は、前記の「時」と同じ。
 ○「到」の筆の入り方と、終わり方が難しい。
 ○「遼」は「しんにゅう」の出来具合で全体のバランスが決まる。
 ○「西」は力を入れずになめらかに書く。


3.今月の最も難しいのは何といっても書いている時間が少ないことだろう。
  年末には息子夫婦が孫を引き連れて、正月は息子と娘家族が総出で我が家に訪れる。
  しかも、娘の孫が6日まで我が家に泊まるという。(遊ぶ相手をしなければならない)
  結局、12月25日〜1月6日までは、殆ど筆を持つ時間がないことになる。
12月24日までに
  基本練習をして、1月10日まで基礎練習を終え、その後一気に本番となる。
  大部きつそうである。

●平成二四年十二月 聞道黄花戍 頻年不解兵 可
憐閨裏月 偏照漢家營





聞くならく 黄花(こうか)の戍(じゅ) 
頻年(ひんねん) 兵を解かずと 
憐れむべし
閨裏(けいり)の月 偏(ひとえ)に照らす
漢家(かんか)の営
○聞道:聞くところによれば
○黄花戍:伊州の北方、伊吾の辺りにあった
  要塞
○頻年:毎年
○可憐:深い感動を表す言葉





○閨:女性の私室
○偏:こちらの予期・希望に反したことを
   示す言葉
○漢家営:中国の軍隊の兵営
黄花のとりでの辺りは、来る年も来る年も
兵備を解いていないとか。
(思う人の帰る日は遠い)
ああ、私の部屋に差し込む月影よ、
お前だけが漢軍の兵営を照らして、私の
想いは通わすすべもないとは。 1.墨付け文字は「聞」「頻」「閨」とし、状況により「偏」もある。

2.今月の難しい漢字は「聞」「戍」「頻」「憐」「閨」「家」などである。
  全体的に難しいだけでなく、難解な書き方をする文字が目立つ。
  それだけに、文字自体のセンタリングだけでなく、各列のセンタリングも要注意となりそう。


 ○「聞」は「もんがまえ」の内側の「耳」が書きにくそう。
 ○「道」は「しんにゅう」の出来具合で左右される。
 ○「黄」は最初の横線が長い。
 ○「花」は南海ではないが、「黄」と一体で書く。
 ○「戍」は「戌(いぬ)」と似ているが違う。書き順が難しい。
 ○「頻」は意外と左の「歩」が難しそう。
 ○「年」は「こざとへん」が鍵。右側は流れるように。
 ○「不」は今まで何度も書いたので難しくは無いが中央には注意。
 ○「解」は「不」と一体で書く。左側の「角」の書き方に注意。
 ○「兵」は文字の傾斜と一番下の書き方が難しいか。
 ○「可」は筆の回し方と、最後の筆の流し方がポイント。一行目の最後なので余白にも注意。
 ○「憐」は最後の縦線の筆の流し方が難しそう。。
 ○「閨」は簡単そうだが、センタリングと筆の返し部に注意。。
 ○「裏」は「裡」という文字を使っている。筆の入る一に注意。
 ○「月」は縦長に、中の二本線の書き方に注意。
 ○「偏」は傾き方に注意。
 ○「照」も傾き方に注意。
 ○「漢」は前月号でも有ったので比較的易しいが、「さんずい」の傾きに注意。
 ○「家」は「うかんむり」の下、「豕」の書き方が難しい。バランスの取り方に注意。
 ○「營」は「営」の文字であるが、意外と「呂」の書き方は練習しないとセンタリングが困難か。
●平成二四年十一月 漢國山河在 秦陵草樹深 暮
雲千里色 無處不傷心





漢国 山河在り 秦陵(しんりょう) 草樹
(そうじゅ)深し 暮雲(ぼうん) 千里の
色 処として心傷ましめざるは無し
○漢国:漢の国土。漢は長安に都したから、
 その地方を指して漢国とよんだ。
○秦陵:秦の天子の陵墓。秦は長安の北西
 咸陽に都し始皇帝の墓は東方の
 驪山(りさん)にあった。





○千里色:千里四方にわたる、同一の色
その昔の漢の国土には、山河が変わらぬ
姿を残しているが、秦の皇帝の陵墓には、
草や木が深々と生い茂るばかりである。
日暮れの雲は千里の彼方までも、夕べ
の色をたたえ、どこを眺めてやっても、
心を傷ませぬところはない。 1.墨付け文字は「漢」「秦」「千」「無」とし、状況により「樹」もある。

2.今月の難しい漢字は「漢」「國」「河」「陵」「色」などである。
  
文字の大きさや間隔をうまくとらないと書ききれなくなる恐れ。
  特に「陵草」や「樹深暮」はそれぞれ一文字感覚で書き上げる必要有りそう。

 ○「漢」は右側の全体の反り具合がバランスをとる上で大事。
 ○「國」は「くにがまえ」の出来具合で左右される。
 ○「山」は傾斜具合が少し難しい。
 ○「河」は「さんずい」からの上横線と、最後の縦線がポイント
 ○「在」は筆の返しに注意。
 ○「秦」は全体の傾き加減で字体のバランスが決まりそう。
 ○「陵」は「こざとへん」が鍵。右側は流れるように。
 ○「草」は「くさかんむり」から「早」への入り方に注意。最後の縦線は真っ直ぐで良さそう。
 ○「樹」は最後の筆の返しから点の書き方が意外と難しそう。
 ○「深」は「さんずい」の書き方でほぼ決まりそう。
 ○「暮」は筆の返し方で決まる。
 ○「雲」は字体に注意。誤字にならないように。
 ○「千」は力を入れずに太さを出す
 ○「里」は筆の入り方と縦線の傾き。「千」と一体で書く。
 ○「色」は筆の入り方とバランスが難しそう。書き順も要注意。
 ○「無」は過去何度も書いた事が有り、全体の形と円滑性を向上させたい。
 ○「處」も過去何度も書いており、次の字への繋がりを考慮して一気に書く。
 ○「不」も慣れた文字だが、「處」とつなげて一気に書く。
 ○「傷」は「にんべん」で全体が決まりそう。
 ○「心」は筆の方向を変えて、「傷」と大きく離す様にして筆を入れ始める。
●平成二四年十月 落日五湖遊 煙波處處愁 浮
沈千古事 誰與問東流





 落日 五湖の遊 煙波(えんば) 処々に
愁えしむ 浮沈(ふちん) 千古(せんこ)
の事
誰ぞ与(とも)に東流(とうりゅう)に問わん
○煙波:霞や霧と波、または霧の降りている
  水面に立つ波
○処処:あちらでもこちらでも。
  至るところ。





○浮沈:成功と失敗、出世と没落など。
  それと、波間に浮き沈みする小舟とを
  かけたもの
夕方、洞庭湖に船遊びすれば、夕霧の降りた
波間は、至るところ私の心を憂愁にとざす。
この小舟にも似た人の世の浮き沈みは、
千年の昔から変わらぬことだ。
その変転をよそに東へと流れ去る水に、
浮き沈みのことわりをたずねたところで





何としようぞ。
1.墨付け文字は「落」「煙」「千」「誰」とし、状況により「愁」もある。

2.今月の難しい漢字は「落」「五」「煙」「事」「與」などである。
  特に「煙」は「烟」の字体になっているので注意。

  また、今月号は「さんずい」の漢字が6文字と多いが、それぞれ書き方を変える。

 ○「落」は最初の筆の入り方、右上から。
 ○「日」は右肩の曲がりの力を抜く。
 ○「五」は「王」と似ているが別字なので要注意。「日」と一体文字。
 ○「湖」は「さんずい」と中の「古」、右の「月」の傾きと上下関係
 ○「遊」は「しんにゅう」と、これに至る「子」の筆回し。
 ○「煙」は「烟」の字体で書く。「ひへん」の書き方に注意
 ○「波」は「さんずい」と、次の「處」へのつなぎ
 ○「處」は少し縦長に。
 ○「〃」はセンタリング
 ○「愁」は「秋」の部分の高さを控えめに、「心」の傾き加減
 ○「浮」は「さんずい」と右の「子」の形
 ○「沈」は「さんずい」と、最後のハネ
 ○「千」は力を入れずに太さを出す
 ○「古」は「千」同様、力を抜いて太めに
 ○「事」は「古」からの自然の流れと、最後の縦線は筆に力をいれて。
 ○「誰」は「ごんべん」と右側のバランス
 ○「與」は「与」の字体であり、最後の丸め方と次の「問」への流れ方
 ○「問」は「与」と一体文字
 ○「東」は力を入れずに
 ○「流」は軽いタッチで、文字通り流れる様に。
 


■私の書道日課
   ※毎月20日には新月号が届きます。翌20日までに本部に届けなければなりません。
     20日頃に新月号が届くので、その翌日から練習開始です。

 1.先ずは硬筆で字体の書き順や全体の形を確認します。草書等分からない文字は「新書道辞典*1)」で調べます。
   教本を読んで、本文の読み方や意味もおおよそ理解しておきますし、指示された注意点にも目を配ります。
   そしてお手本の文字の太さ・濃さから墨浸けをする文字を決めます。
 2.続いて、本文2列の中心線を鉛筆で引いておきます。
   そして上下方向の半分の位置にも鉛筆で線を引いておきます。
    ※縦方向の中心の位置を明確にすることで、文字間の間隔が適切かの判断にもなります。
 3.いよいよ、筆書きに入ります。先ずは1週間〜10日ほどは半紙だけで練習します。
   この間に、@基本的な筆の運び、A文字の形、B文字と文字のつなげ方 などを習得しておきます。
   そして、20文字全てがお手本を見なくても書ける様にしておきます。
   大体一日30〜50枚の半紙を使います。
 4.次の1週間ほどは、条幅紙を使います。
   ただし、条幅で書く前に、半紙で練習です。
   文字を一文字一文字、お手本と細部まで確認しながら書きます。
   条幅は練習用紙を使います。特に文字の配列や縦の文字並びが真っ直ぐになる様注意することを優先します。
   最初は2〜3枚、徐々に増やして5〜7枚を目標としています。(その日の気分で増減)
 5.最初から2週間ほど過ぎて自信がついて来たころ、正式の条幅紙を使います。
   もちろん、最初は半紙練習。次が練習用条幅紙、最後に正式条幅紙の順です。
   半紙練習は20文字を2〜5回繰り返し、この時自分の雅号の練習もします。
   練習用条幅紙は3〜5枚で徐々に減らしていきます。
   正式条幅紙は3〜5枚で徐々に増やしていきます。
   体力気力があれば、更に1〜3枚程度書き増しします。
   この中で、納得いくものがあれば 雅号を書いて提出作品候補として別保管します。
   20文字全部を満足して書けたことはありません。結局まあまあのところでの妥協ですね。
 6.大体毎月15日頃までに終わります。
   保管した納得作品を並べて、提出作品を選びます。
   最後に選んだ候補作品が提出されることはまずありません。
   意外と最初に選んだ候補作品が一番良かったりすることがあります。何を練習してきたのか?自分に呆れることもあります。
   提出作品に名前印や雅印を押して、所定のメモを記入後封筒に入れて20日以前に着く様に投函します。
   次号が届くまで、しばし書道の休息日となります。

 ☆練習は原則毎日午前中に1〜1.5時間ほど行っています。(気力が無い日は早めに終わります)
   それでも毎月のように3〜5日ほどは他の都合があって練習が出来ない日があります。
   書を書くときは心を落ち着かせないと納得できる字は書けません。
   「落ち着いて」、「自信を持って」と言い聞かせながら書いていますが、実はこれがなかなか出来なくて・・・ まだまだ未熟者です。
    とは言え、毎日練習していくと、一日一日の進歩していることが分かるし、お手本の解読に毎日が新たな発見がある。
   お手本を見直すと、細かな箇所で筆の運び方や力の入れ方、傾きや次の文字とのつながり具合等々が日に日に解読されてくる。
   こういう事を繰り返していくことが上達への道だと思っています。

 *1)新書道辞典:藤原鶴来(ふじわら かくらい)作、 発行元:(株)二玄社、 \3,800+税


■私の書道道具や用紙について
  ○墨は固形墨ではなく、液墨を使っています。
     本来は硯で墨を擦って心落ち着かせてから書を書くべきでしょうが、単に面倒だからの理由です。
     その代わり、筆を洗うのには時間をかけて綺麗にしています。
  ○筆は羊毛を使っています。奮発して7千円くらいのものを買いました。
     楷書や行書では、イタチや馬の毛などでも良かったのですが、柔らかい筆の方が草書向きと聞いて羊毛にしました。
     でも、使い方が下手なのか、羊毛でも比較的安価な筆だからか なかなか自由に筆が動いてくれません。
     特に、丸めたり、止めたりする時、毛がパサパサ状になってしまいます。もっと高価な筆にしないといけないのかも・・・
     もっと上手になったら、懐具合と相談するつもりです。
  ○用紙
     条幅紙は驚くほど高価です。そこでネットで出来るだけ安価なものを探して購入しています。
     また、練習用のは100枚2,000円以下と決めています。
     ただ、「にじみ具合」や「筆の滑り具合」からすると安過ぎ品は良くないことが分かりました。
     かといって、100枚で8千円も1万円もする様な高級紙はとても買えません。
     もっと上手になって、2〜3枚も書けば提出作品が出せる様な腕になったら検討したいと思います。
     現在の正式用は100枚で2,500円程度のものですが、それでも大事に使っています。厚さ・にじみ共普通のものです。
     当然ながら練習用半紙も安いものを探します。近くのホームセンターで100枚98円のものを買っています。

    それでも毎月最低500枚は使ってしまいます。
     只でさえ少ない小遣いが無くなってしまう・・・
  ○条幅を書く準備状況 

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■清風会に参加して
  ○通信教育なので、指導者と面と向かうことはありません。気楽な反面直接教えて欲しいと思うこともあります。
    特に、書き順や筆遣いの不明な文字があったり、文字のポイントとなる箇所の教示をして欲しいと思うときです。
    無料で添削依頼もできますが、添削作品を作るくらいなら提出作品にした方が合理的と考えていますので、依頼した事はありません。
    機会と気力があったら、本部や作品展会場におじゃましたいとは思っています。
  ○こういう会では競合相手がいると張り合いがあります。
    私の場合は、同じ年月に加入した人たちです。勿論、有ったこともないし、写真をみたことも有りません。
    その中で目を引いたのが「雅号:ペセン紫香」 と言う方です。所属は土国(トルコ)という事ですので海外からの参加者です。
    私はこの方を「ペセンちゃん」と呼んでいます。
    ペセンちゃんとは、偶然ながら入会月だけでなく、昇級・昇段も一緒ですので、余計親しみがあります。
    勝手な思いこみで、多分40歳代、勿論美人で知的で、お子さんも2〜3人いて、最近やっと子育てに一区切りがついて書道に参加された。
    そんな想像をしながら、良きライバルとして私の心の支えでもあります。(向こうは迷惑千万でしょうが・・・)
    私は年齢も年齢なので、これからの伸びしろは期待出来ませんが、ペセンちゃんには ずっと頑張って上級を目指して欲しいと思っています。

■清風会の昇級システム
  ○書道教室によって、昇級システムは全く違う様です。
    統一的な基準はほしい気もしますが、これは書道教室を越えた書道大会などで相互の力量が分かるんでしょうね。
  ○さて、清風会のシステム(一般)は
    ・始めは8級からスタート
    ・1級が合格すると「初段候補」となります。
      ここで、段位の登録料他を支払うと「雅号」が付き、「初段」となります。
    ・初段からは二段、三段と進み、四段が合格すると「準師範候補」となります。
      ここで、師範候補の認定料他を支払うと「準師範」となります。
    ・「準師範」は四段と五段の間の位置です。従って「準師範」が合格すると次は五段となります。
    ・五段、六段と進み十段を合格すると「師範候補」となります。
      ここで、師範の認定料他を支払うことで「師範十位」となります。
    ・「師範十位」からは「師範九位」「師範八位」と上昇し、「師範一位」を合格すると「準同人候補」です。
      多分ここでも準同人の認定料が必要だと思います。
    ・そして、「準同人」→「同人」→「宗師心得」と進み、最後の「宗師」がTopとなります。
    ・年二回、各級→「初段」、初段候補〜四段→「準師範」、準師範〜十段→「師範」への飛び級検定もあります。

  ※管理人は、「宗師」までは望みませんが、70才になるまでに「師範五位」あたりまでは行きたいと思っています。

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