愛しい日
Masamune's Birthday

Novel by Miyuri Akihara






 ほろ酔い加減の心地よさに身を浸しながら、政宗は城内の廊下を歩いていた。
 夜半の外廊下は、常夜灯が頼りない灯りをともしている以外は、しんと静まり返っている。昼間であれば見渡すことのできる庭園も今は暗闇に閉ざされている。何も無い静謐な道のりを進んでいると、自然と意識は、先程まで身を置いていた明るく賑やかな空間へと向いてしまう。
「はっぴぃ、ばあすでいっス、筆頭!」
「筆頭、お誕生日おめでとうございます!」
 祝いの言葉と、酌み交わされる杯、楽しげな家臣達の笑顔に彩られた宴の余韻が、まだ鮮やかすぎるほど政宗の耳にも眼にも残っている。
 大広間では、主が中座した後も変わらずに喧噪が続いていることだろう。
 伊達軍の人間は血気盛んな荒くれ者ばかりで、揃いも揃って酒と宴会―――伊達軍では政宗に倣ってPartyと呼んでいる―――が大好きである。放っておけば朝まで飲んだくれているような奴らも多い。連中の面倒と後始末は、これも無類の酒宴好きである従兄弟の成実に任せてある。
 程なくして自室に辿り着くと、政宗は奥の間に続く襖を加減もせずに開け放つ。
 寝所には既に寝具が整えられていた。政宗はずかずかと布団の上に乗り上がると、半ば倒れ込むようにして寝転がった。
「政宗様……」
 それまでずっと後ろに付き従って来ていた小十郎から、行儀の悪さを咎める声が掛けられる。政宗には、振り返らなくても彼が今どんな顔をしているのか想像がついた。傅役時代そのままの生真面目な表情を、政宗は瞼の裏に思い描く。
 いつものように宴席でも政宗の傍らに控えていた小十郎は、政宗からも、他の家臣連中からも頻りに酒を勧められていたが、まったく酔った素振りはない。政宗が記憶している限り、これまで小十郎が酔いつぶれているところなど見たことがない。政宗が部屋に引き上げると告げたときも、当然のように小十郎も立ち上がり、護衛として政宗の後に付いてきた。
 小十郎は、だらしなく寝そべった政宗の姿に小さく溜め息を漏らしていたが、夜も更けた今となってはどのみち寝かせるしかないと判断したようだ。褥の傍らに用意された衣装箱から白い寝間着を取り出した。
「政宗様、お休みになる前にお召し替えを」
「いい、面倒くせえ」
「しかしそのままでは」
 小十郎は寝間着を手にして、政宗の側に膝を進めた。
 政宗が自ら進んで起きそうにもないことは小十郎にも解っているのだろう。
「失礼します」
 一礼すると、小十郎はうつ伏せていた政宗の身体を抱き起こした。
 簡単に持ち上げられた上半身がすっぽりと小十郎の腕に納まってしまう。いつもの政宗なら照れて暴れるところだが、今日はおとなしく小十郎にされるがままに任せていた。それどころか、背中越しに収まりの良い位置を探すと、小十郎の身に寄り掛かる。小十郎が政宗の着物に手をかけると、政宗は唇を緩めた。
「HA、珍しく積極的じゃねえか」
「なにを仰いますか」
 小十郎は袴の紐を解きかけた手を止めて眉を寄せた。そのようなつもりで触れたのではないと言わんばかりの声音だ。しかし政宗は上機嫌に微笑んでいる。
「政宗様、御酒の量はそれほど過ごされていらっしゃらないようでしたが」
「酔ってなんかねえよ」
 否定しながら、政宗は背後から自分を抱える小十郎の胸元に額を擦り寄せた。堂々と甘えるような仕草に、小十郎は面食らっているようだ。基本的に意地っ張りで天の邪鬼な性格の政宗が、素面で小十郎に擦り寄って来ることは滅多にない。
「では、随分と御機嫌でいらっしゃる」
「今日は俺の誕生日だろ」
「はい」
「めでてぇ日だ。喜んじゃ悪いか」
「悪いなどとは申してはおりませんが……政宗様がご自身のお生まれになった日というものにそれほど感慨深くていらっしゃるとは思いませんでした」
「なんだよ、Partyの口実が欲しかっただけじゃねえぞ」
「……おや、そうではなかったんですか?」
 小十郎の意外そうな返答は、他意があってのことではない。誕生日を祝う、という感覚に慣れていないせいだろう。
「異国の暦が我々のものとは違うことは存じておりましたが、年の取り方まで違うとは思いませんでした」
「ああ、俺たちは数え年だからな」
 毎年、新年を迎えるたびに誰もが一つずつ年を取ると考えるのが通例である。
 そのため、個々の生まれた日については特別な認識がなく、日付すら知らない、わからないという者も多い。現に、小十郎もその一人だったが、それは決して珍しいことではなかった。
 政宗の生年月日が明確なのは、やはり彼が名家の嫡男という出自のおかげだろう。政宗は生まれたその日から、いや、生まれる前から既に伊達家の跡継ぎとして注目を浴びる存在だったのだ。当然、出生の記録もきちんと残されている。
 その政宗でさえ、誕生日を祝うのは今日が初めてだった。
 宴に呼び集められた家臣たちも、最初はあまりピンときていないようだったが、祝い事なのだと政宗に教えられると、彼らは純粋に政宗の言葉を信じて歓迎した。もっとも、酒が飲めれば万事めでたいと思っているふしもあるが、政宗も彼らにそこまで理解を求めてはいない。初めて開催したバースデイ・パーティーなのだから、皆で楽しめればそれで良かった。
 しかし、小十郎にまで、政宗が異国の文化を真似してはしゃいでいるだけだと思われていたのだとしたら、少々心外だった。
 政宗は小さく唇を尖らせた。
「まあ、俺だって今まで誕生日なんざ気にしたことなんてなかったからな。とりたてて何か思い入れがあるわけじゃねえが」
 言いながら、政宗はふと、己の身体を抱き支えている小十郎の手を眼前に見つける。政宗は無造作に小十郎の手を取ると、手元に引き寄せた。
 小十郎の手は大きくて厚い。この手が戦場では太刀を振るい、畑では鍬を持って大地を耕すのだ。政宗は両手に抱えたその手を眺めながら、ざらついた掌を撫で、無骨な指を一本ずつ摘んでは折り曲げさせたり伸ばしたりさせた。短く切り揃えられた爪の表面にも触れてみる。小十郎の手の形を隅々まで確かめるように辿っていく。
 そうしてしばらく弄んだまま、再び口を開いた。
「生まれた日から年を数えるってのは悪くねえ」
「なぜです?」
 小十郎は取られた手を預けたまま、政宗に尋ねる。
「その計算方法でいけば、俺の誕生日からお前の誕生日が来るまでの間は、九つの差だ。一つ縮まるだろ」
「ああ……成程」
 小十郎は合点がいった表情を浮かべた。正月に等しく年を取る数え方では、政宗と小十郎の十年の年齢差は常に固定されているが、それぞれに年を重ねる日が違えば、年の差がずれる期間が発生する。
「ですが、逆の可能性というのもございませんか? 小十郎の誕生日が早ければ、毎年小十郎の方が先に年を取りますよ?」
「……っ、あくまで可能性の話だろ」
 政宗は瞬時にむっと顔を顰めた。見知らぬ異国の慣習であろうとも、理論にかけてはすぐさま機転が効く男の頭脳がうらめしい。
 実際のところ、この計算式の弱点はそこなのだ。もし小十郎の方が先に年を取るのなら、政宗は自分が誕生日を迎えるまで十一もの差に歯噛みしなければならない。もちろん理窟は解っているようだが、政宗は敢えて無視を決め込んでいるらしい。小十郎の誕生日が不詳であるのを良いことに、政宗はあくまでも自分の都合の良い説を押し通している。
 だって悔しいじゃないか、というのが政宗の言い分である。
「だいたいな、主君より早い誕生日を想定するってのはどういう了見だ」
「そう仰いましても、生まれる日にちを自分で決められるわけではないのですから……もっとも、小十郎の誕生日は解りませんから、政宗様のお好きなように解釈してくださって構いませんよ」
「お前にとっちゃ、十だろうが九つだろうが、たいして違わねぇのかもしれねえけどな」
 政宗はまだ頬を膨らませたまま、自嘲を混ぜた台詞を零した。
 小十郎と、ほんの一時でも年の差が縮まるのなら嬉しい。
 そんなことで喜ぶ自分に呆れてしまうが、しかしそれは本心だった。
「それほど気にしておいででしたか?」
「こればっかりは絶対に無くならねえと思ってたんだ。ちょっとでも埋まるんならLuckyだろ」
 まだあどけない子供だった政宗の許に傅役として小十郎が仕えるようになったとき、既に小十郎は背も高く体格も良く、大人入りの儀式である元服も済ませていた。
 突然眼の前に現われた年長の男に、幼い政宗はそれまで他人に対して頑なに閉ざしていた心を開くと同時に、負けず嫌いの闘争心をメラメラと燃やし始めたのだった。
 学問も武芸も、和歌や茶道に至るまで、政宗は小十郎の技量に追い付きたくて必死だった。十歳の年齢差があっては、はっきり言ってかなり無謀な挑戦である。もっとも、そのおかげで政宗は若くして文武両道を会得できたとも言える。
 とにかく負けん気の強かった幼い頃の思い出は、政宗にとって甘くほろ苦い。だが、今でもその精神はしっかりと息づいているのだから、三つ子(三つはとうに過ぎていたが)の魂というものは恐ろしい。
「どうせお前は追いかけられる立場だからな、余裕だろうがよ」
「そのようなことはありません」
「どうだか、だいたいそういう態度が余裕くせえ」
「本当ですよ」
 小十郎が、あいかわらず小十郎の手をぎゅっと握って離さない政宗の手の上に、空いていたもう片方の手を重ねた。
「……手遊びは程ほどになさいませ、政宗様」
 戯れを軽く諌めるような口ぶりとは裏腹に、小十郎の手は優しく政宗を包み込んだ。交互に重ね合わされている互いの両手を目の当たりにして、今さらながらに政宗は気恥ずかしさが襲ってきた。
 それと同時に、背中越しに抱き締められているこの状況にも胸の内側がざわめき始める。さっきまでは平気だったはずなのに、一度意識してしまうと、もう平静ではいられない。そもそも自分から抱き付いたのだったと思い出して、政宗は頬を赤くした。
「政宗様? どうなさいました?」
 急に押し黙った政宗を案じたのか、小十郎が背後から政宗を窺ってくる。抱き込まれた身体が更に深く密着した気がして、政宗は尚更に慌てた。この体勢はマズイ。小十郎の体温を背中から感じながら、政宗は動揺を懸命に抑えた。
「なんでもねえ。それより、お前、いつまでこうしてるんだ」
「は?」
「着替えて寝ろって言ってたんじゃなかったのかよ」
「……先程、そうさせてはくださらなかったでしょう」
 言いがかりとしか思えない政宗の言葉に小十郎は肩を竦めたが、では、と一声言い置いてから、重ねていた手を外した。政宗がしっかり握り込んでいた方の手も、さりげなく解いてしまう。
 両手の内側と外側から包まれていた小十郎の温もりが消えて、思わず政宗の胸にがっかりした気持ちがよぎり、政宗は内心でそそくさとそれを打ち消した。
 政宗の意識がそちらに飛んでいる間に、小十郎は次の行動に移っていた。
 微かな衣擦れの音がして袴が緩み、ようやく気付いた政宗がぎょっとして一眼を見開く。
「ちょっ、おま、何すんだ……っ」
「ですから、お召し替えを続けさせていただこうかと」
 平然とした小十郎の鮮やかな手つきと共に、みるみるうちに帯が解かれ小袖の合わせが開かれ始める。
 後ろから抱かれたまま衣服を剥がされていく心許ない感覚が、政宗を一気に焦らせた。
「い、いい、自分で脱げる」
 政宗は小十郎の手を振り払い、厚い胸板に体重を預けきっていた自らの身体を引き剥がした。なんとか小十郎の腕の中から這い出ることに成功すると、政宗はほっと息をつく。夜具の上に胡座をかいて座り直すと、改めて自ら着物を脱ごうとして、はっと気付いた。
 小十郎が、こちらを見ているのだ。
 政宗はカァッと頭から湯気が出そうなほどの羞恥心を感じた。
「お前、なんで見てるんだよっ」
「何故と仰いましても……」
 小十郎が困ったように首を傾げている。小十郎にしてみれば、政宗の着替えを毎日のように手伝っているのだから、今更のことなのだろう。政宗とて、小十郎の前で裸になることには慣れている。それこそ、幼い頃は風呂にまで入れて貰っていたのだから。
 意識しなければ、どうということはない。
 しかしそれは、あくまでも、意識しなければという前提の話である。
 政宗は、崩れた着物をかき合わせると、ぷいっと顔を背けた。
「もういい、着替えなんかしねえ」
 そう吐き捨てるなり、ゴロンと横になり、小十郎に背を向けて丸くなった。
「俺はもう寝る。お前もさがれ」
「政宗様……」
 明らかに小十郎の声音は呆れていた。







後半につづく



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