1999年 永遠の瞬間


 
Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!
For the Lord, god omnipotent reigneth
Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!...


フリデリック・ヘンデルの代表作のひとつであるオラトリオ『メサイア』。
その全曲版のLPがこの家にあったということを、せつなは年末恒例の大掃除で屋根裏部屋の片付けをするまで全く知らなかった。
引っ越しをしてきてから一度も開けられることなく忘れられかけていた段ボールの中に眠っていた、今となっては入手困難な
何枚ものレコードは、クラシック好きのせつなにとっては思わぬ宝だった。
恐らくは、今レコードを掛けている年代物のプレイヤー同様、みちるの持ち物だろう。
 

The kingdom of this world is become
The kingdom of our Lord, and of his Christ...


『メサイア』第2部の最後を飾る、有名な「ハレルヤ・コーラス」。
混声合唱の荘厳な響きは、聞く者に神聖な気持ちを呼び起こさせる。無論、かつて洗礼を受け、今でも時々教会に通う習慣を持つ
せつなにとってはなおさらであった。
増して、今夜はクリスマス・イブ。この曲を聴くのに、今日ほど相応しい日はないだろう。

And He shall reign forever and ever
King of kings, and Lord of lords,
Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!...


1000年代最後の年の暮れも近づいてきたこの夜、しかしせつなは一人きりで、いつもより余計広く思われる家の、
ツリーやリースでクリスマスの飾り付けのなされた居間でソファに身体を預けて『メサイア』を聴くとも無く聴いていた。
居間から続き部屋になっているダイニングの食卓には、まだ手の付けられていない、せつなお手製のクリスマスケーキが
ひっそりと置かれていた。
せつなが現在一つ屋根の下で共に暮らしているはるか、みちる、そしてほたるの3人は、出掛けたきりまだ帰って来てはいなかった。
みちるは明日開かれるクリスマスコンサート(これにはせつな達はもちろん、うさぎや美奈子達も招かれており、
コンサートの後には久しぶりにセーラー戦士の仲間全員が集まってのクリスマスパーティーが開かれることになっていた)の
リハーサルに行っており、はるかは車でみちるの迎えに行っていた。
「食事はいらないけど、なるべく早く帰ってくるよ」というはるかの言葉を、せつなは実の所あまり信じてはいなかった。
・・・まぁ彼らだって、たまには普通の『恋人同士の夜』を過ごしたいだろう・・・。
特にひがみの感情を覚えるまでもなく、せつなはそう思いなし、快く二人を送り出したのだ。
家族同然に暮らしているとはいえ、個々の意志は大切にする。それが、この一人として血のつながりの無い
外部戦士4人一家の不文律であった。

しかし、今日はほたるまでもが、学校の終業式が終わって帰ってくるなり「友達の家のクリスマスパーティーに行ってくる」と言って、
さっさと制服を着替えておめかしをして出掛けていってしまったのである。慌ててせつなが帰りは遅くなるのか問いただしても
「判らない」とそのまま出ていってしまった。
そして、さきほど夜の9時を回ったのだが、ほたるはまだ家に帰っては来ないのだった。
 

・・・ふと気がつくと、いつの間にか「ハレルヤ・コーラス」は終わっていて、『メサイア』は第3部に入っていた。
しかしせつなは何となくそれ以上聞く気をなくしてしまい、軽く溜息を吐いてソファーから立ち上がり、レコードを止めた。
人気の無さと静寂が、家中を包み込んだ。
今までクリスマスイブは毎年(はるか達は時々なんだかんだと理由を付けて出掛けてしまう事もあったが)ほたるは家で過ごしてきた。最近では
いつの間にか行かなくなってしまったが、ほたるがもっと小さかった時には、一緒に教会のクリスマス礼拝に行ったりもしたのだ。
だから、今年もそうだろうと、当たり前のようにせつなは思ってしまっていたのだった。
・・・良く考えてみれば、別段そんな話があったとしても不思議ではないのだ。ほたるももう高校2年生、年が明ければすぐに
17歳の誕生日を迎えるのだから、家族といるより友達といる時間の方が長くて当たり前なのだ。家族以外の者と
クリスマスを過ごしても、不思議でもなんでもないのだ。
ただ今日の事で、その当たり前の事に不意に気づかされたせつなの心は、正直落ち着かなかった。
分かっていたはずだ、そんな事は。それでもせつなには、傍らにほたるのいないこの聖夜が、たまらなく空しく寂しいものに思えて仕方なかった。
 

せつなとほたるとは、親子というには少々歳が近すぎている。かといって姉妹というのも違う。
はるかやみちるとも戦士として以上のつながりを感じ、まただからこそ4人この家で共に暮らしているのだが、ほたるという存在は
せつなにとって只の家族という言葉ではたとえようも無いほど大切なものであった。
せつなとほたる・・・セーラープルートとセーラーサターンは、かつて前世では月世界を護る者としての宿命によって、共に
他の戦士以上のひとかたならぬ過酷な運命をたどった。現世でもまた使命の名の下に巡り会いを果たし、共に戦い・・・
そして平和になった今、家族として居を共にするまでになった。ほたるはせつなを母として慕い、せつなもまたほたるを可愛がった。
喩え血はつながっていなくとも、二人の間には家族以上の強い絆がある。せつなはそう信じて疑った事はなかった。

しかし、その絆も不壊のものであるという事は、決してありえない。
いつまでも共にいられる訳ではないかもしれないのだ。
遅かれ早かれいつか、別の道を歩む時が来る――
別に今年のイブを一緒に過ごさなかったからといって、すぐにほたるがせつなの元を離れるという訳ではない。
それは無論せつなにもわかっている。
しかしいつかはそういう日が来るかもしれないのだという事が、せつなを愕然とさせてやまなかった。

この千年の間に、一体どれだけの家族が、恋人たちが、クリスマスイブを共に過ごせる幸せと喜びを分かち合い、
または別れ別れで過ごさざるを得ずに一人夜の寂しさに涙した事だろう。
その千年の繋がりの果てにせつなが、ほたるが、はるかやうさぎ達が、今この時代を生きる全ての人たちがいる。そしてこれからも、
その繋がりはせつな達の後に連なっていく。
せつなには戦士プルートとして、その繋がりをこれから始まる千年紀にも守ってゆき続ける使命がある。
しかし、その傍らに戦士サターンは、土萠ほたるはいつまで側にいてくれるのだろうか?

「――ただいまぁ」
不意にばたんと玄関のドアが開く音がし、パタパタと軽い足取りが廊下を走りぬけたかと思うと、居間のドアが開いて
ひょこりとおかっぱ頭が中を覗いた。
「・・・あれ、せつな一人だけなの?やっぱりあの二人出掛けちゃったんだ」
その無邪気な笑みには、どこかまだ微かに幼さが残っているように思える。
「おかえりなさい、ほたる。随分遅かったのね」
せつなはほたるが脱いだコートを受け取ってハンガーに掛けてやる。
「うん、何だかんだでつい長居しちゃって・・・ごめんね、せつなが一人だって分かっていたら、もう少し早く帰ってきたんだけど」
「いいのよ、そんな気遣わなくて。
・・・それより、外寒かったでしょ。紅茶でも淹れようか?」
「うん、おねがい。――あと、そのケーキもね」
「ケーキも・・・って、ご飯食べてきたんでしょう?」
「せつなのケーキは別!」
しょうがないわねぇ・・・と笑いながらせつなは台所に向かう。ティーポットに二人分の紅茶の葉を入れ、お湯を注ぐ。
紅茶が出るのを待つ間に包丁と取り皿とフォークを用意する。
手を洗ってうがいをしてきたほたるも台所に入ってくる。ポットやカップなどをお盆に乗せて居間に運ぶ。
それは、いかにもクリスマスの家族というにふさわしい風景だった。
 

――いつか本当に、独りでクリスマスを過ごす日が、独りの道を歩まなければならなくなる時が来るのかもしれない。
それでもきっと、私はこの子を愛し続けるだろう。
二人の出会いが単なる運命の悪戯だったとしても、そしてその運命の気まぐれが二人を引き離す事になろうとも、私はほたるを愛する事を選んだのだ。
その絆を、私はこれからも信じ続けていく。いつかそれが断たれる時が来ても、この想いは消えない。
新たな千年を目の前にして、この永遠の瞬間にせつなはひそかに、心の中で誓いを立てた。

 

Be yourself, no matter what they say
いつか離れ離れに なってしまう瞬間(とき)が来ても
Be yourself, no matter what they say
いつか あなたが違う人を愛す瞬間が来ても

 
 
 

(終)

'99.12.29 by かとりーぬ

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