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少し後、再び玄関のドアが開く音がし、はるかが戻ってきたことを知らせた。
しかし今度はその足どりはひどくゆっくりとしており、まるで足音を忍ばせようとでもしているかのようだ。
そしてそれが居間のドアの前で止まると、再び家中に静寂が戻ってきた。
ドアの向こうに、はるかのいる気配がする。
じっと息を潜めている当人は、おそらく気づかれていないつもりなのだろうが…。
なんで入ってこないんだろう?
ドアを開けて声を掛けようとしたのだが、動いちゃだめだよとはるかが言ったのを思い出し、仕方なしにそのままで待つことにした。
…我ながら、傍から見たら少々間の抜けた有様なのだろうなぁと思いつつ。
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「せーつな、もういいよ」
ようやくはるかが声を出し、ガチャリと扉が開いた。
一体何なのよ、と振り向きざまに開きかけたせつなの口は、しかし開いたそのままふさがらなくなってしまった。
目に飛び込んできた、一面の赤。
トス、と無造作に渡されたそれは、反射的に受け取ると意外なほどにずっしりと重かった。
それは艶やかな深紅の花弁をした、見事な薔薇の花束だった。
しかも両腕に抱えても溢れんばかりに巨きな、いったい何十本あるのかわからない程にほんとうに巨きな花束。
あっけに取られるせつなに、はるかはにこにこ笑ったまま、無言でせつなの後方を指さした。
肩越しに振り返って指し示す方向を見ると、壁に掛けてある時計がちょうど、零時を少し回ったところだった。
十月二十九日の、午前零時。
「誕生日おめでとう、せつな」
その言葉で、ようやくせつなは合点がいった。
日付が二十九日になるのを、はるかは扉の外で待っていたのだ。
「ほんとうは明日の朝渡そうと思ってたんだけどさ。
でもちょうどもうすぐ十二時になるところだったし、それならプレゼント一番乗りもいいかなと思って」
確かに零時ちょうどに渡せば、その日の一番最初だろうけれど。
はるからしいというか、なんと言うか・・・。
そのちょっと照れたような、けれども得意げな顔が何とも可笑しく、そして可愛らしく。
せつなは花束を抱えたまま、思わずくっくっと笑い出してしまった。
「なんだよう」
ちょっとふくれたようなその口調に何とか笑いの発作を収め、せつなははるかに向き直った。
「どうもありがとう、はるか。嬉しいわ」
はるかの瞳が、喜びと誇りに輝いた。
「・・・さすがに、ちょっと驚いたけど」
せつなが付け加えると、
「やっぱり渡すの朝にしようか、悩んだんだけどね。せつなの起き抜けを狙うのも、きっと面白かったろうし」
ベッドからまだ起きやらぬうちに巨大な花束を渡されて目を白黒させている自分を想像してしまい、せつなは思わず天井を仰いだ。
「ね、せつなは明日遅くていいんだったよね?ちょっと飲もうよ」
「あら、はるかは明日みちるを送っていくんじゃなかったの?」
「平気だよ、一杯や二杯」
どうせだから乾杯も一番乗りしてやるんだ、とはるかは笑う。
そうしてせつなの返事も聞かずに、さっさとワインとグラスを取りに走っていった。
そんなはるかを苦笑して見やり、さてこんなに大きな花束を活けられるだけの花器がうちにあっただろうかと頭をめぐらせながら、せつなも居間へ入っていった。
雨に濡れた薔薇は、あたたかな家の灯りの中で一層美しく、あでやかに咲き初めていた。