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KISMET  


Veles

KISMET 西周成の映画、この言葉と共に映画は終わる。4つの才能あるチーム、Caprice、EXIAS-J、MoonFarAway、JackOrJiveについて語る映画が。だがこの作品は、単にドキュメンタリー映画であるだけでなく、ジャンルの枠を超えて、音楽それ自体の本質を研究する試みでもある。ユニークで興味深く、そして重要なことには、素晴らしい“実験材料”に基づいた試みなのだ。

映画はモスクワのアンサンブルCapriceに関する語りから始まる。人の多い東京を写したショットの数々が、このグループのあるコンサートの撮影に交替してゆく。日本の首都の忙しない生活が、アルバム"Elvenmusic"からの曲が演奏されているモスクワのクラブの快適な雰囲気と、明らかな対照をなしている。独唱歌手の素晴らしい声が、自動車の騒音や産業的な東京のコンクリート舗装路を打つ足音と、交替してゆく。おそらく、このパッセージによって監督は、2002年にモスクワに帰った際に彼を捕らえた感情を表現しようとしたのだろう。

(中略)

MoonFarAwayのコンサート。登場の撮影には、CountAshのインタヴューが伴っている。それは、前の音楽家達との会話と同じような調子で進む。芸術は常に宗教的なのだ。MoonFarAwayのリーダーによれば、人々はそのことをよく忘れている。芸術の使命は、神を称え、イデア界と物質界とをつなぐ中継環の役割を果たすことだ。(・・・・)このように、もしも映画の前半が、美学の範疇において創造のことを語っていたとすれば、後半では音楽に関する会話が明らかに宗教的・神秘的なニュアンスを帯びている。芸術は錬金術になってゆく。そこで天使達が創作者の手を導くような、聖なる儀式に。このようなアプローチは、次のグループ―日本人のJackOrJiveとの交流においても、続きが見られる。だが、そこではもう、冷ややかな東洋的観照のトーンに染まっている。

映画は快い感動を残し、明らかに鑑賞をお勧めできる。最初に述べたように、映画の目的は(少なくとも私はそう理解した)研究である。創造を、その最終的成果として見せようとしているのではない。それを、生きたプロセス、生の哲学として見せようとしているのだ。それは四つの互いに異なった視点から行われた。だが、最後のグループとのインタヴューは一種の総括であり、最後に置かれた太字の点として現われた。しかし、映画自体は単にドキュメンタリー映画であるだけでなく、芸術的価値をも有している。一連のヴィデオ映像はそれ自体が少なからぬ興味を引くものの、映画の直接的な内容から観客の注意をそらせたりはしない。