【けねェ】

 ちょうど1年前のことである。
 ジャーナリストたちの新年会があって私も招かれた。席はくじ引きだったので最初は定められた席に座ったがやがて乱れ、同じ職場だったり普段親しくしているもの同士の塊ができ始めた。私は、30年位前、この仕事に飛び込んだとき、テレビのコメンテーターとして地元民放のワイド番組で仕事をしたが、そのときのキャスターで、以来懇意にしているアナウンサーと雑談していた。彼が席を立つと、その後に中年入り口の女性のフリーカメラマンが座った。10数年前、地元の情報誌で3年ほど、地域の魅力を探るという、記事を私が書き、彼女がそれに写真をつけるという仕事で、方々を歩いた。その間、何度も泊りがけのことがあったが、私はすでに初老のショボクレ親父、彼女は新婚か婚約者がいるような雰囲気で、何事もなかった。
 ただ1度、昨年夏、その仕事を与えてくれた当時の編集長が亡くなった葬儀の夜、彼女は帰り道の小公園で、私の胸にむしゃぶりついて嗚咽し続けた。私は途方にくれながらたっぷりとふくよかな乳房が、彼女が体を揺するたびに私の胸を押さえつけるのを感じていた。もちろん、その後の物語はなく、以後の付き合いが深くも浅くもならず、彼女が声をかけてきたり私が推薦したりして断続的に単発の仕事をしている。
 私は胡麻焼酎のロックを飲み、彼女は少し濁ったピンクの飲み物を飲んでいた。特に込み入った話もなく、雑談を続け、時々、通りすがりに声をかけてくる同業者と会話した。
 彼女が、
「例によって焼酎? 芋? 麦?」
 というので、
「最近は胡麻」
 と答えると、
「美味しい?」
 と問う。
「香ばしい」
 と私が答える。
「一口、飲ませて」
「いいよ」
 彼女は、クイッと飲んだ。
「だろ」
「分からない」
 そして、
「私のの飲んでみて」
 と言うので一口啜る。
「甘いな」
 こんなことは10年以上の付き合いで初めてのことだった。
 私はドギマギした。
 私はお開き前に帰ることにした。間もなく傘寿。いつまでもグダグダと飲んでいても仕方がない。タクシーを頼むと彼女が聞いた。
「二次会に行かないの? 」
「行かない。老人は帰る」
 私が席を立つと、彼女も後に続いた。
 コートを着せてくれて彼女も白いダウンのコートを身に着けた。理由は分からなかった。
メインロードから少し奥まったところにある会場から私は少し急ぎ足で歩いた。彼女は私を支えるように左腕を抱えた。昨年夏の夜、私の腕の中で震えるように泣いたとき、ふくよかな乳房に戸惑ったが、いま、左側の横腹に同じ振るえを覚えた。
 私は、メインロードに出ると、彼女に、
「ありがとう」
 と言ってタクシーに乗った。彼女はぼんやりと私を見ていたようだ。
 タクシーの中で振り返ると、彼女はまだ佇んでいる。私は改めて手を振ってから何かをし忘れたのかもしれないと思った。
 スナックに誘って、それからホテルとか、ホテルに直行とか。それが先ほどまでの二人の関係で、男が決断しておくべきで、彼女はもう気持ちは出来上がっていたのではないか。
 赤信号でもう一度振り返ると、彼女は、白いダウンコートの右肩を落とすようにして小路に戻って行った。

 老人の儚いイリュージョンだったろう。
けねェ」には、虚弱 や たやすい のほか、儚い は入らないのかしら。

「儚い」は、『あわけねェ』だなァ。


【けはぐこぐ】

 おべんちゃらを言う 追従する お世辞を言う
 胡麻をする もかな。

【こっちゃ】

 新宿ゴールデン街に「小茶」という飲み屋があった。
 畏友のシンガーソングライター友川カズキに案内されて劇団椿組の親分の外波山文明の店「クラクラ」で飲み、三人で「まえだ」という野坂昭如、佐木隆三、田中小実昌、長部日出雄、安部牧郎などの売れっ子作家が屯することで知られる飲み屋に移動した。そこで、
「近くの小茶で中上健次がが飲んでいる」と聞いたトバさん(外波山サンのニックネーム)が血相を変えて飛び出していった。芝居を書いてもらう約束をズルズルとのばしていると言う。
 友川と私が少し遅れて行ってみると、相撲取りのような大男が俯いており、今にも拳を振り上げるか組み付いていきそうなトバさんが鬼の形相で口角泡を飛ばして食って掛かっている。私は一応一番の年長者だし、こういうところでの修羅場は他人の迷惑になると思い、取敢えず仲に入り収めた。
 三人で「まえだ」に戻ると、カアサンが、
「あゆかわさん紳士だねえ」
 と笑った。この笑いは「嗤い」であり「嘲笑」であることを後に友川から聞いた。
 ゴールデン街では小説家やミュージシャンや役者、映画監督などの激論や諍いは日常茶飯事で、血だらけの取っ組み合いは当たり前。やがて握手し飲みなおす。それが次の作品活動のエネルギーになっているのだという。私はそれに水をさしたということだった。
 相撲取りのような大男が中上健次だった。
 残念ながらその後中上健次と会うことはなかったが、小説を貪り読み、ほとんどの作品が財産として手元にある。
「まえだ」のカアサンにもその後、上京するたびに行くと一流の(?)作家並みにカワイガラレタ。今は亡くなり閉店。「小茶」もない。
 30年も昔の話だなあ。

 アア、横路に逸れた。「こちゃ」じゃない。「こっちゃ」で、『こちらへ』。

【こべはえ】

 敏捷だ 気が利いて素早い
 語源は「勾配」らしい。急勾配の坂は下りるにもものを転がしても早いからかしら。ただこの言葉、必ずしも「よいこと」を言うとはかぎらない。何か悪さをしてその場からサッといなくなるずる賢い子に対しても「こべはえ子」というように使う。

【こみっと】

 しんみりと しみじみと感じる様子。
 こんみり こみこみ とも言う。
ひやしぶりね こみっとやるべ
 と言われれば、「ちょっと一杯」を誘われたこと。

【ごろっとする】

 いい気になる。その気になる 
「自惚れる」「煽てにのる」もらしい。

【こんたに】

 こんなに
こんたにえっぺ(たくさん)貰ってもええのげ(いいんですか)」

【こんけ】

 これだけ
こんけあればまねあう
(これだけあれば、充分間に合う)
2019/3/12
続く

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あゆかわのぼる の 秋田弁豊穣記