【さえばん】
まな板。語源は「菜板」。
子供のころ、「ミンジャ (流し台。語源は「水屋」だろう。) に大きくて厚い板があってそれがまな板。包丁をも野菜をはやす (切る) のと魚や肉をはやす「なまくさ包丁」があって使い分けていた。「まな板」といえばおふくろの背中。ミンジャで朝餉夕餉の支度を少し猫背になってしている様子だ。夫を病で、長男を戦争で失って、三人の男の子を育てるおふくろは、いつも貧しく、しかしたくましかった。
【さがと さげよっと】
父は大工だったそうだが、酒はあまり飲まなかったらしい。長兄は満鉄に勤めて、そこから南方の島に送られて、戦死したから、飲む人だったかどうかおふくろから聞いたことがなかった。次兄は飲兵衛、三兄はほとんど駄目。私は、物心ついたころから母の兄で山師、その妻が魚屋の本家に入りびたり。伯父が山から帰ってきてひと風呂浴びて横座に座り、刺身焼き魚煮魚で飲み始めると私は、伯父の胡坐の中に抱かれて一杯やっていたという。たたき上げの飲兵衛。今は、トリスと紅乙女、それにガッコがあれば文句は言わないまま傘寿。ちなみに、伯父夫婦には子供がいなかった。
「さがと」は「酔っ払い」「飲んだくれ」。主に県南で使うらしいが由利も河辺もその中に入るという。由利生まれで河辺に暮らしているが、知らなかったなあ。まッいいか。飲めさえすれば。アバッ、酒持ってコイッ! 語源は『酒人』『酒酔人』らしい。
【さがぺら】
坂 傾斜 勾配。
「さがぺら」といえば馬橇。家の近くに長い坂の道があり、そこが子供たちのそり遊びの場所。滑りきった先に「横川」という、村を東から西へ日本海に流れる「鮎川」に注ぐ浅い川があり、ブレーキをしくじるとその川に滑り落ちた。しかし誰も風邪を引いたりおぼれたり流されたりしなかった。逞しかったんだなあ。
【ざぐ】
悪者。
県内あっちこち歩き、人々と語り、酒を酌み交わしていると、思いがけない土地の言葉に出くわす。すっかり酔っ払っているときに出くわすと、メモする字も酔っ払っていて酔いがさめて判読に難儀する。この言葉もそうだ。だから「ざぐ」が正しいかどうか、自信がないが、まあいッか。でも、語源も分からない。参ったなあ。
【さげのよ】
鮭
曲者は「よ」だけど、これ、「魚 (うお)」だね。鮭のことを「よー」というところもあるらしい。「うお」というところもあるらしい。それで通るんだからまさに川魚の王様だね。
【ざっぱ】
材木の使えるところをとった木片。
あるいは、魚のアラ。これの鍋が「ザッパ汁」。鮭でもいいし、鱈でもいい。これで一杯。天国、天国!
【さらぐ】
やめる。見合わせる。
今ではあまり聞くことがなくなったけど、子供のころ、大人たちの激しい言葉のやり取りの中で「やめさらげッ」というのが入っていたなあ。「止めろッ」だった。
激しい罵声だった。
【さらう】
走る。
【じぎ】
人糞肥料。
と言っても若い人には、何のことか分かるかしら。ワカンネェだろうな。
人間の糞や尿などは、昔、最重要な肥料だった。トイレは汲み取り式で、それを「ダラ桶」別の名を「ダラタゴ」という桶に汲み取り、畑に天秤棒でかついで運び、野菜つくりの肥やしにした。
「ダラ」は主に人糞の方を言う。「タゴ」は『桶』。ティシュぺーパーは新聞紙や雑誌が主流だったから、スイカやナスなどにそれらの切れ端がくっついていて生々しかった。
ついでに書いておくと、主に農村では家の裏 (かなりの場合堂々と表に)「コヂゲ (語源はたぶん肥塚) があって、そこに馬屋 (大きな農家には、農耕用の馬や牛がいて彼らの住まいが家に入ったすぐのところにあってそれを「まや」と言った。曲がり屋で知られる) から出した踏み藁を積み上げ、生活ゴミなどもそこに捨ててさらに腐らせて、それが所謂堆肥。当時、プラゴミやレジ袋などはなかった。これを田んぼや畑の肥やしにした。化学肥料や農薬などはほとんど使わない「自然農法」だった。
「時期」「時季」もそういう。
「じんぎ」と言えば、『遠慮』。いまは『辞儀』が語源といっているが、もともとは『時宜』で、時候の挨拶が始まりらしい。
【したて】
でも それでも
【したども】
そうだけれども
【したば】
そうしたら
【したら】
そうしたら それなら
【しっぽろりん】
落ちぶれた姿。
知らなかったなあ。どこで拾ってきた言葉だろう。語源ももちろん分からない。
【してけァしもの】
ろくでなし。
「したれけァし」とも言う。これなら語源が想像つく。きっと「廃れ」だね。
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あゆかわのぼる の 秋田弁豊穣記