【対談】日野原重明/絵門ゆう子「医者の責任、患者の心持ち」
波 2003年6月号より
絵門ゆう子『がんと一緒にゆっくりと_あらゆる療法をさまよって_』

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絵門ゆう子(えもん・ゆうこ)

元NHKアナウンサー・池田裕子。1957年生まれ。『NHKニュースワイド』などを担当後、1986年にフリー。
桐生ゆう子の名でキャスターや女優活動をしていたが、闘病を通しての再出発に際し新しいペンネームにした。

日野原重明(ひのはら・しげあき)

聖路加国際病院名誉院長、同理事長。1911年生まれ。「自分の健康を自分で守る」ことを数多くの講演や著作で唱えている。近著『生きかた上手』は大ベストセラー。2000年には75歳からの集い「新老人の会」を発足。

選択すべき療法とは

日野原 お元気ですね。どこが悪いのかという感じですね。

絵門 がんが全身、骨にまで転移した状態で聖路加国際病院に入院して、一年以上経ちました。抗がん剤の治療を始めてからも二ヶ月目に入りましたが、不思議なくらい元気です。髪の毛がなくなった以外の副作用はないし、食事もきちんと摂れるし、かえって太ったほどです。

日野原 私はよく書評を頼まれるので、毎日数冊は本が送られてくるんですよ。なので、速読、斜め読みがうまいのだけど、あなたが書いたのは、きちんと読みましたよ。これほどの手記を書かれるのには、相当エネルギーがいったのでしょ。

絵門 正直、本が書けるほどに元気になれるとは思っていませんでした。聖路加病院でここまで治していただいて、それを伝えたい、という気持ちが原動力になりました。本の冒頭に書きましたけど、病院に担ぎ込まれたときは本当につらくて、半分、「もう楽に死なせてください」という気持ちだったんです。

 私は入院するまで、がんと分かっていながらも、一年二ヶ月もの間、西洋医学を拒否し、自力で治そうとあらゆる民間療法を試していました。その結果死にそうになって担ぎ込まれたのです。そんな無茶をしたのは私だけかと思っていましたら、同じ病棟に、似たような経緯で入院した人が三人もいて、珍しくないことが分かりました。先生は民間療法や自然療法をどのようにご覧になっていますか。

日野原 「自然治癒」といって、身体の中の免疫力が何らかの理由で高まり、がんの細胞が衰え、例外的に治癒することはあります。非常に高齢なご婦人が、体力が衰えるとともに、乳がんも萎縮してしまった例もありました。遺伝子、環境、そして体内にできるホルモンや免疫体という、三つの組み合わせによって、そのようなことがたまに起こるんです。

 ただ、現在は明らかにがん細胞を挫くことができる療法ができましたからね。そのような、科学的な立証がある治療法だったら、いやな副作用がなければ受けるのが、一番素直な対応でしょう。

絵門 まずは病院に行くべきなのでしょうが、経験から言わせていただくと、西洋医学と同時に、東洋医学も治療に取り入れられればいいな、と思うのですが。

日野原 確かに東洋医学には、効果が実証されなくても何かいい、という面はありますね。副作用がないのなら一緒にやってもいい、と言う医師はいます。がんに直接の効果を及ぼすという実証はなくても、心のサポートになり、その結果、精神力、治癒力が増長するのでしょう。

絵門 先生のそういったお考えが、病院全体に行き渡っているので、入院中も何一つイヤな顔をされずに長年信頼している鍼灸の先生の治療を受けることができ、心も身体も支えられました。

難しいインフォームド・コンセント

日野原 患者にも個性があるし、主治医と噛み合わないこともあります。患者と、治療する医師やナースとの相性というのは、ものすごく大事なんですよ。

 本で「こんな最後のような状態になって駆け込む人っていないでしょう」とあなたが訊く場面がありましたね。それに対して主治医が「いやよくありますよ」と受けた。ああいう時に「珍しい人だ」なんて言われるより、「よくありますよ」と言われた方が、ホッとするでしょ。

絵門 そうなんです。そうした医師との対話に関して、この本では、インフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンについても、かなり私見を書いてしまったのですが、先生がどうお読みくださったか、すごく気になります。

日野原 病名を告知する際は、主治医はよく分かっていても、患者さんにとっては初めての経験になります。例えばそこで医師が、同じものを腫瘍と言うか、がんと言うか、腫れ物と言うかで、患者さんの受け方が全然違ってくるわけです。病状をよく知る人と全然知らない人とでは噛み合わない。その結果、医師は「あれだけ詳しく言ったのに」と思うんだけれども、患者さんは理解していない、そこで食い違いが生じるのです。

 それからインフォームド・コンセントのつもりで、「半年も無理ですよ」「なかなか治療法がないです」と、先の見通しを言う医師が時々いるの。そうはっきり言うのがインフォームド・コンセントだと思っている。でもそれは間違いです。

 先の見通しをたてることほど、難しいことはないんですよ。反応は人さまざま。だからベテランであればあるほど、悩むんです。それを経験がない医師は、教科書をみて、「_度だから三ヶ月だ」と割り切ってしまって、個別差があるということが分からずに患者に伝える。すると患者さんは、その日が近づくとクレイジーになってしまいます。

絵門 患者さんは、あといくらしかないと診断されると、その通りになりやすいと思うんです。

日野原 見通しをたてた医師は、自分が言った三週間が過ぎ、四週間五週間六週間、十週間になると「おかしいなあ」と、死を期待するようになるんです。逆にその通りになった場合は「診断があってた」という、変なサイクルになってしまう。

 僕は、たとえその患者さんが数週間しかもたないぞと思っても、もっと長生きして欲しいという望みをこめて考えます。先のことは、神様しか分からないの。医師はただただ現実を見ながら、上手に操っていくだけなんです。

絵門 私は、基本的にがんは本人告知されるべきだけれども、先の見通し=余命については、絶対言って欲しくないという考えです。それは私自身が、余命を言われないことで、希望を与えてもらえた、と思っているからです。

日野原 医師が診断をし、治療をするとき、患者から希望をとるのは暴力です。たとえ死んでいく患者でも、彼から希望をとるのは暴力だと、私は思っています。ところが、はっきり言うことがカッコのいい、知的な医者だ、というふうなサイエンスが、のさばっている。そのような教育は、どうしても間違っています。

絵門 ドラマにはそんな医師ばかり出てくるから、そう思ってしまうのでしょうか。幸い私は、そうでない先生方のおかげで、あれだけ究極の状態から、こんなに前向きな気持ちになれました。本当に感謝しています。

日野原 いまのあなたは、許されて、生まれ変わった、というような心境でしょう。苦しいときは、水におぼれて浮き上がろうとしても、上から押さえられているような、どうしようもない感じだった。それがフッと支えてもらってね、空気が自然に入ってきて、あーっ救われたと思った。その、あーっという感覚が、ずっと続いているような感じじゃないかな。

 苦しかったひと月、三ヶ月はね、人生のなかで長さにすれば、大したことはないかもしれない。でも重さにおいては、何十年分か分からない。それだけ、その後の生き方が充実しているからね。

絵門 はい。こうなってからは、一日一日が、本当に宝物なんです。

日野原 朝目が覚めると「また今日が与えられた」と思うでしょう。一日を一生のような気持ちで受け入れるようになる。

 私たちは複雑な遺伝子を与えられて生まれてきたことを、感謝しなくてはいけません。朝起きたとき、一日を与えられたことに感謝すると、ものすごく深い人生になります。病気は、確かに苦しいけれども、人生の美しさが分かるようになる。感性が高くなるんでしょうね。

がんとの共生

絵門 全身にがんが転移したわけですから、死ぬときのことも考えました。でも今はずいぶん、がんとの付き合い方、を考えるようになりました。以前は「がん」と言うと、みんなくらーい顔になっていましたけど、いまは共存している方のほうが多いですよね。私自身、がんと一口に言っても様々な表情があり、付き合い方も人それぞれだ、と分かってから、より共存するという意識が強くなったように思います。

日野原 例えばアメリカでは、「これが君のがんだ。これを殺すのだから、辛くても治療しよう」と白血病の子供に病的白血球をはっきり見せる小児科の医師もいます。こうして子供を刺激して成功している例も多いんです。もうすぐ治るよ、とごまかすのではなく、闘いを見せる。大人の場合は、かえって怖がる人も多いから、普遍的にはできません。いろんな種類のがんがあるし、体もみんな違うのだから、あなたはこうすべきだ、と断定は出来ません。しかし「私のやった例では成功した例が多いからあなたもやってみないか」と説明し、戦う姿勢を示すことはできます。がんと一緒に生き、共生する。その上で、がんと一緒に闘うという考え方が定着していくのでは、と思っています。

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