周南いのちを考える会代表 前川 育さん
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「いのちの砂時計 愛媛の終末期医療」
「手厚いケア どこででも 声をあげる」愛媛新聞2006年10月13日

「処置室から『おかあさーん、おかあさーん』と助けを求める泣き声が聞こえます」「仕事を終えた看護師さんが『ターくん、ルービックキューブを完成させよう!』と病室に。大喜びでした」「もういやー、と叫んだ声が最後の言葉。よく、がんばったね…」二十五年前の一九八一年五月。喜多郡内子町出身の主婦前川育さん(五七)=山口県下松市在住=は長男の武文君を松山赤十字病院で亡くした。急性の骨髄性白血病。六歳だった。二〇〇五年十一月、武文君の思い出を冊子にまとめた。題は「もっといっしょに遊びたかった〜ホスピス・緩和ケア病棟設置を願って」(冊子の表紙は淡いブルー。「息子が病室でよく着ていたべストの色なんですよ」と前川育さん)前川さんは、どこでも誰でも手厚い緩和ケアを受けられる社会を目指して、〇一年六月、同県東部にホスピス設置を求める「周南いのちを考える会」を設立。講座やがん体験者の集いを開き、啓発に努めている。

がんで亡くなる人は、年間三十二万人。だが、日本ホスピス緩和ケア協会の届出受理施設は百六十二、三千八十五床(七月現在)にすぎない。地域の偏りも大きく、高知県は、人口もがん死者数も愛媛の六割弱なのに、ホスピスは五カ所。がん死者数あたりのベッド数の割合(〇三年)も、全国一多い。一方で、岩手にはまだ一つもない。広島県では、十五万人を超す市民の署名が、〇四年九月の県緩和ケア支援センター開所につながった。「自分のまちに、ホスピスを」と望む声は高まってきている。

前川さんを支えるのは二つの重い体験。一つは武文君のこと。当時はまだ緩和ケアも不十分で「苦しめたかなと思うとつらいですね」。ただ、小児科病棟の医師や看護師の温かさは、身にしみた。「まさにホスピスのような病棟で過ごせたことは、心の救いです」もう一つは、自分自身の闘病経験。十年前の九六年に胃がんが見つかり、三年後に再発。毎年検査していたのに見落とされ、「胃カメラはやめていいよ」と言われた矢先だった。「その先生の言うことを聞いてたら、死んでたでしょうね」。三度目は二〇〇〇年。のどにしこりを感じ受診したが、医師三人は「何ともない」。四人目でようやく、甲状腺がんと分かった。つらさを理解し、最善の治療をしてくれる医師を探して苦労を重ねた。

多くの仲間と支え合って来たが「みんな、死ぬまで遠慮して『いい患者』でいようとするの。それを何とかしたくて…。医師に気持ちをはっきり言える、悪い患者でいいのよ、と伝えたい」この十年の葛藤(かっとう)を経て、前川さんは「人間と死は、切り離せないと知りました。自分のときは、すっと受け入れられそう」と穏やかに語る。「今は、平凡な幸せをすごく感じながら'生きてます」

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