「カーペディエム」―マルセ太郎が残してくれたもの―
広島県保険医新聞コラム「路面電車」 2003年10月10日(第330号)

この言葉を初めて知ったのは、2000年10月に両国のシアターχ(カイ)でマルセ太郎作(演出・出演)の舞台劇「枯れない人々」を見たときです。家庭裁判所を舞台に、男と女が愛憎に悩む滑稽さを描いたこの作品は、マルセ作品の中で最も喜劇性が高いと評価されています。その劇の中でこのカーペディエムというセリフが使われていました。舞台がはねて近くの焼肉店で食事をしながら「マルセさんはどこでこの言葉を知ったのですか?」と質問したら、「ああ、以前見た映画に出てきた言葉でね」と、そんなことも知らんの?という感じの答えでした。あとで調べてみると、カーペディエムはロビン・ウィリアムス主演の1989年のアメリカ映画「今を生きる」(原題=Death Poets Society)という映画の中で使われたセリフで、三省堂の最新コンサイス英和辞典によるとcarpe diem(L.):現在を楽しめ(=Enjoy the present)となっています。

その頃、マルセさんはC型肝炎からの肝臓癌に対して、国立がんセンター東病院で最初の手術を受けてから7年目を迎えようとしていました。その一年前に国立がんセンターに見放されてからは、私が主治医として免疫療法を中心とした治療をしながら、定期的に岡山の病院で肝動脈塞栓術を受けていました。ご本人もモグラ叩きと言っていましたが、マルセさんの肝臓には叩いても叩いても癌がでてきました。舞台のマルセさんは見るたびに痩せて小さくなってきていましたが、演技と鋭い眼差しは変わりませんでした。翌11月には岡山市の西大寺でマルセ芸の真髄であるスクリーンのない映画館・黒澤明監督の「生きる」を演じましたが、セリフを忘れたりして不調のようでした。その翌日は広島で山田洋次監督の「息子」を演じました。マルセさんの公演には必ず来られる広島在住の高津高校時代の恩師と開演前に楽屋で話をして、三ヶ月に一回の免疫療法の注射をしてから舞台に立ちました。前日の西大寺での調子は悪かったのですが、その日の「息子」は今まで見た中で一番のできでした。広島は「マルセ中毒の会」という熱烈なファンクラブ発祥の地なので、マルセさんも特別の思い入れがあったのだと思います。

年が明けて岡山での4回目の肝動脈塞栓術が成功し、退院予定日の三日前という2001年1月22日(月曜日)の午前9時半ごろ主治医から急変の知らせが入り、私はすぐに新幹線で岡山の病院にかけつけました。しかしマルセさんの意識は一度ももどらないまま、肝臓の表面の癌からの出血(病理解剖で確認)のために急逝してしまいました。最後に頂いた色紙には「死をも含めて人生」という、マルセさんの7年に及ぶ癌との共生から出した結論ともいうべき言葉を書いてくれました。ほかにも「記憶は弱者にあり」などたくさんのマルセ語録を残し、癌とともに生きた市井の哲学芸人・マルセ太郎は今も私達に語りかけます。「カーペディエム、今を生きろ!」

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