ビハーラ安芸主催 2005(平成17)年度 「いのちをみつめる連続研修会」
第10回 特別講義 2006年3月1日 於:本願寺広島別院
「死への準備教育」
ちょう外科医院院長 びんご・生と死を考える会会長 数野 博(かずの ひろし)
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(1) はじめに
びんご・生と死を考える会の活動
  がん患者と家族への援助 死別体験者への援助 ホスピス運動 死への準備教育
  医療福祉の相談「心あたたかな医療」 傾聴ボランティア(ホスピスボランティア)
  2005年度の年間テーマ「死への準備教育」
○すべての人に訪れる「死」。
 よき「死」と出会うためには、「よく生きる」とはどういうことなのかを考え、毎日のいのちの輝きを積み重ねていくことが必要です。そのためには、「死」について知り、考えるー死への準備教育が重要となります。
○デーケン先生の言葉
 教育という言葉は“教えはぐくむ"あるいは自分の持てる知識や技術を他者に伝えつつ、共に育ってゆくことではないでしょうか。死をみつめることは、そのまま自分にいただいた「いのち」を最後までどう大切に生きぬくか、自分の生き方を絶えず問い直し、行動していくことと考えます。
チャップリンの「ライムライト」:年老いた道化師カルベロが、自殺未遂の踊り子テリーへ「人生に必要なものは、勇気と想像力と、わずかばかりのお金」と言うセリフ。

(2) 「死」を通して学ぶ「いのち」
「いのちとは、使える時間があるということ」(日野原重明)
一人称の死、二人称の死、三人称の死
 死の捉え方については、作家:柳田邦男が「一人称の死・二人称の死・三人称の死」と三つに分類しています。これは、息子洋二郎が心の病に苦しみ自死を試み、脳死状熊になった後亡くなるまでを描いた《『犠牲(サクリファイス)』、への手紙》で述べているものです。これを学問に当てはめると「一人称の死(自己の死)」ば哲学、「二人称の死」は人と人との触れ合いを対象とする精神医学・心理学・看護学、「三人称の死」は客観的分析による法医学・生理学・大脳生理学・解剖学・衛生学などによって扱われると言われます。
肉体的な死(生物としての活動の停止)、心理的な死、社会的な死、文化的な死
 「よく生き よく笑い よき死と出会う」(アルフォンス・デーケン著、新潮社)
 「死」という言葉に対して、多くの人はまず、肉体的な死を考えますが、私は「死」を、四つの側面に区別しています。一番目は心理的な死、二番目は社会的な死、三番目は文化的な死、そして四番目が肉体的な死です。一番目の心理的な死というのは、例えば老人ホームなどで、生きる喜びを失つてしまった人は、肉体的には健康でも、心理的な面ではもう、死を迎えたような状態だということです。社会的な死というのは、社会との接点が失われて、外部とのコミュニケーションが途絶えてしまった状態です。仕事を持たず、老人ホームでも一人きり、子供も友だちも、誰も見舞いに来てくれないという状況に陥ったら、これは社会的な死と言えましょう。文化的な死とは、生活する環境に一切の文化的な潤いがなくなることです。現在の多くの病院や老人ホームの環境は、文化的な潤いがあるとは言い難いところが多いようです。患者の心に対する配慮が欠けた病院では、患者は肉体的な死を迎える以前に、文化的な死を体験させられることになります。

(3) 忘れてはいけない「いのち」
自死と「命の電話」「自死遺族ケア団体全国ネット」
○いのちの電話の目的
 いのちの電話は、孤独の中にあって、時には精神的危機に直面し、自殺をはじめ助けと励ましを求めている一人一人と、主に「電話」という手段で対話すること。そこではお互いの価値観を尊重しつつ精神的・情緒的に成長し、共に問題解決のために対話を深めていくことを目指す。この対話は、最初の電話による接触のみならず、本人が必要とする限り継続され、また本人ないしは家族など関係者の同意を得て、専門家ないしは専門的諸機関による相談・治療または保護を実施することもある。   このようにして援助を求めていた人が、その危機を克服し、その人自身の自由において、新たに生きる勇気を持つように至ることを目的とする。

○自殺者遺族のケア情報共有/全国ネットが発足 2005/11/19
 自殺者が7年続けて3万人を超える中、遺族らの心のケアなど支援に取り組む各地の団体が19日、都内で交流集会を開き、遺族にどう向き合うかなどのノウハウを蓄積したり交換するための「自死遺族ケア団体全国ネット」を発足させた。
 集会には、岩手、東京、千葉、埼玉、愛知、大阪、兵庫、愛媛、福岡、長崎の10都府県で遺族同士の「分かち合いの会」を開くなどしている21団体のメンバー約50人が参加。これまで、各地で個別に活動していた支援団体の初めての全国組織となった。集会では、代表となったNP「グリーフケア・サポートプラザ」(東京)の平山正実理事長が遺族ケアの課題について講演し、支援団体同士の連携や支援体制充実の必要性を訴えた。
「犠牲サクリファイス―わが息子・脳死の11日」父と子の魂の救済の物語。第43回 菊池寛賞受賞
 「脳が死んでも体で話しかけてくる」自ら命を絶った二十五歳の息子の脳死から腎提供に至る最後の十一日を克明に綴った感動の手記
 これは柳田邦男氏にとって特別な思いの込められた本です。二十五歳の次男が自殺を図り、脳死状態に。刻々と死に近づきながらも、まだ温かく呼吸し続ける息子を前に柳田氏は、悩み考えぬいた末、臓器提供を決意します。尊厳ある死とは何か、そして生の意味、親子の絆を問うた感動の手記。昨今の脳死をめぐる論議にも一石を投じるでしょう。
「『犠牲サクリファイス』への手紙」(柳田邦男)
 本を書いてたましいは胸の中にすっと入ってきましたが、同時にもっと俗っぽい意味でも洋二郎がまだ生きているんだなという、じわっと温かい気持がします。また、日本医科大学多摩永山病院の救命救急センターで洋二郎の担当をしてくださった冨岡譲二医師が、救命センターでも死の看取りは大切だと気づかれて、QOL(クオリティ・オプ・ライフ、生命・生活の質)に対してQOD(クオリティ・オブ・デス)という新しいキーワードで、死にゆく人の「死の質」、つまり「よりよい死」を確保することの重要性に気づいて学会で発表されました。そして、たとえば、救命がもはや無理とわかったら、ベッドサイドを家族に解放するとか、よりよい看取りの演出をするといった具体的な提言をしました。洋二郎がこの世に生きていたという証しをつかもうとする家族の努カは医師にも伝わり、よりよい医療につながっていくんですね。

 肉親、恋人など看取る側の「二人称の死」の視点の大切さに気づかされました。いままで私は生と死の問題を三人称の立場で書いていました。息子の死に直面して、人生を分かち合っていた者としては自分のなかの何かが死んでいくというものすごい喪失感がありました。人間のいのちには生物学的ないのちだけではなく、精神的ないのちがあり、精神的ないのちは二人称の立場の人が共有しているということがわかりました。とくに脳死について考えますと、二人称の立場に立って脳死の人の側にいると、体全体から死にゆく人の人格、人生、いのちを感じているのです。脳の機能停止イコール死とは情動レベルでは受け入れられない。死は点ではなくプロセスで、いわば脳死は死の始まりの段階。ですから、脳死状態になったからといって、一律に死と線引きしないで、精神的に受け入れられる人だけが生前の意思と確認できたときのみ死とすればいいと思うのです。二十一世紀を人問中心の時代にするには、このように多様な死生観を受け入れていくことが必要ではないかと思います。

人工妊娠中絶と「円ブリオ基金」
 「六千七百万人の喪失」生命を尊ぶ道徳心をこそ少子化対策の根本に据えて欲しい(NPO法人「円ブリオ基金センター」理事長 遠藤順子)
エンブリオとは母親の胎内に生命が宿ってから八週目までの胎児を指します。人間の生命のごく初期の段階に当たります。
 「お腹の中の赤ちゃんはこの世の中で一番の弱者、このいと小さき者の生命を守れなくて、世界の平和が守れる筈がない」というマザー・テレサの言葉は正に名言です。
七千万人はおびただしい数字ですが、これを戦後の五十九年で割れぼ一年約百十八万六千人。一都一道二府四十三県の日本で決して養えない人数ではありません。今もしこの胎児達の命が奪われることなく無事に誕生を迎え、成人していたら五十九歳を頭に、頼もしい青・壮年層が何百万人も存在していた筈です。

(4) さまざまな死
「避けられる死」と「避けられない死」
 「日本の人々へ 生と死、自らの価値観持て」アルフォンス・デーケン(上智大学教授/哲学)朝日新聞 2003年3月15日
 私は、人間の死を三つに区別して考えている。たとえばがんによる死は、日本人の3人に1人にとっては「避けられない死」である。しかし、自殺や交通事故による死は「避けられるかもしれない死」だろう。そして戦争による死は「避けられる死」である。私が来日した1959年当時、日本の医療現場では、死を語ることはタブーに近かった。末期がん患者への告知はあまりに少なく、死までの過ごし方は「病院での延命治療」にほぼ限られていた。
「避けられるかも知れない死」と「創られた死」
 「創られた死」と臓器移植
 1967.12.3 世界初の心臓移植、1968.8 和田移植(世界30例目の心臓移植)
 1997.10.16 「臓器移植に関する法律」施行
 「脳死」というのは実に抽象的であいまいな言葉です。その定義どおりに 「脳の全ての機能が失われて戻らない」という状態が人として生か死か、という空想上の議論はさておいて現実を見れば、これまで、「脳死」状態の女性が出産し、そのお子さんは元気に生まれ、育っているという報告が度々なされています。正式に「脳死」と判定された人でも、脈があり、血圧も変動し、触れれば温かく、汗や涙が出ます。
「安楽死」と「尊厳死」:すべての死は尊厳死であるべき
 尊厳死とリビングウイル(日本尊厳死協会)
 尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、人間らしい死をとげることです。
尊厳死と混同しがちですが、安楽死は第三者が苦痛を訴えている患者に同情して、その患者を「死なせる行為」です。それに対して尊厳死は不治かつ末期の患者本人の「死に方」のことで、「死なせる」こと(殺すこと)とは違います。
 リビングウイルとは:「living」とは、「生きている間に」を意味し、「will」とは遺言のことです。つまりリビングウイルとは「生きている間に、自分自身で書いておく遺言もどきの書面」のことです。ですからwillとは言っても、死後に役立つように書いておく遺言ではなく、「生きている間に有効となる遺言もどきの書面」なのです。なぜ「生きている間に有効となる」必要があるかといえば、生きている間に有効となって、担当医に自分の意思を伝えなければならないからです。
 living willという言葉が使われ始めたのは1970年代で、当時は「終末期に生命維持装置を付けられていた場合には、担当医に生命維持装置を外して自発呼吸ができるようにしてもらい、医療の介入なしに寿命がきたら自然に死を迎えたい」という患者の意思を書き残しておくための文書であり、死ぬ前に「リビングウイル」を担当医に渡したときに発効していなければ、意味がなかったのです。
自発的(本人の意思による)消極的(死ぬに任せる)安楽死=末期患者の尊厳死
 安楽死とは:苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないしその目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為。
安楽死の区分
 行為の様態に関する区分
  積極的安楽死 (active euthanasia) 〈死なせる(殺す)こと killing〉
  消極的安楽死 (passive euthanasia)〈死ぬに任せること allowing to die〉
 決定のプロセスに関する区分
  自発的安楽死 (voluntary euthanasia) : 患者本人の意思による場合
  非自発的安楽死 (non-voluntary euthanasia) : 患者本人に対応能力がない場合。
  反自発的安楽死 (involuntary euthanasia) : 患者本人に対応能力があるにもかかわらず、意思を問わずに、あるいは意思に反して決定される場合。
 自発的消極的安楽死がマスコミ等では、「尊厳死」 と言われていて、非(反)自発的積極的安楽死が 「慈悲殺」mercy killing に当たります。
「高瀬舟」(森鴎外)
 鴎外はこの小説で「安楽死は罪なのだろうか」と疑問を投げかけた。「従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせてその苦をすくってやるのがいいとする考え方がある」とだけ書いた。
「海を飛ぶ夢」(2004年 スペイン・フランス)
 海の事故で、首から下が不随となったラモン・サンペドロは、26年間をベッドの上で過ごし、その年、自ら命を絶つ決断をする。人権支援団体で働くジェネは、ラモンの死を合法にするため、弁護士のフリアの協力を仰ぐ。法廷へ出る準備を進め、ラモンの話を聞くうちに、フリアは強く彼に惹かれていった。ある日フリアは、ラモンの家で発作に倒れる。不治の病に冒されたフリアは、やがて自らも死を望み、ラモンの死を手伝う約束をする。
「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年 アメリカ)
 キャリアの晩期にある老トレーナーが、女性ボクサーとの絆を得て、人生の贖罪を遂げてゆく姿を描いたヒューマンドラマ。
 頚椎損傷で全身麻痺になった女性ボクサーが安楽死を望み自死を企てる場面での、老トレーナーのスクラップのセリフが象徴的です。「人生こんなはずではなかったと、悔いを残して死んで行く人が多いが、彼女はたとえ今日死んでも精一杯人生を生きたのだ」
 無意味な生を理由とする安楽死の是非:「精神的苦痛」、なかでも「意味のない生をこれ以上続けるのは私の尊厳を損なう」と患者が考える状況は、安楽死の条件として認められ得るか。
 欧米では一般に、極限状態における自分の死を求める権利・治療を拒否する権利・治療を選択する権利等が自己決定権のうちにあるものとして認められる傾向にある。自己決定を尊重する背景には、その当人の自己の状況認識をそれとして尊重する立場があるといえよう。
○「楢山節考」(今村昌平監督、1983年)
 70歳になった老人は、子に背負われて楢山に捨てられなければならない。そんな山奥の寒村の掟に従い、喜んで神に召されようとする信心深い母(坂本スミ子)と、哀しみとともに母を山へ連れていく息子(緒形拳)。2人の姿を通し、自然への畏怖や人間との共生、そして受け入れざるを得ない人間の業や運命といったものを、アクの強い演出で描ききった巨匠・今村昌平監督の名作。
中央公論新人賞に輝いた深沢七郎のデビュー小説、2度目の映画化だが、木下恵介監督による前作がオールセットの舞台劇のような様式美で描かれていたのと正反対に、こちらはあくまでも写実的だ。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、その世界観は海外でも驚異の眼で迎え入れられた。
○「生きたい」(新藤兼人監督、1999年)
 物語は父親が病院の待合室から失敬してきた「姥捨て」の昔話と現実の世界が対比されるように進んでいく。昔話では老いた母・吉田日出子が息子・塩野谷正幸に嫁・中里博美をもらい、満足して山に捨てられる。心配して戻ってきた息子を追い返して雪に埋もれる母。老人ホームを姥捨て山と同じだと考えていた安吉は自分から進んでホーム行きを決意する。そして一人残された徳子は…。
○蕨野行(恩地日出夫監督、2003年)
 原野に捨てられた老人たちはどのようにして生きていくのだろう。家に残った子たちはそれをどう受け止め、感じ、考えていくのだろう。 その生きざまを、そしてその死にざまを、この映画は、農村と山地の四季の移ろいのなかで描きだす。
 人はどこから来て、どこへ行くのだろう。 その答えは、命のあるうちは得られない。とするならば、より積極的に捉えてもよいのではないだろうか。死を思いわずらう人間にとって唯一幸いなのは、死が、恐怖であ ると同時に幻想であることだ。降り積もる雪のなかで命の炎の尽きたレンの魂はどこへ行こうとするのだろう。 そこは、天国とか地獄という茫然とした観念の世界ではなく、きっと彼女がもっとも行きたかったところに違いない。その答えが、この映画のラストシーンとなる。
 日本の老人ホームは姥捨て山か?:みなさんは姥捨て山と言うのを聞いたことがありますか?昔、まだまだ日本が貧しい頃に年老いた人間は働けないうえに食料も余裕がないので山に捨ててしまうという風習です。しかしその時代はもっとも日本が貧しい時代で年寄りは捨てられ子供は奉公(人身売買)が当たり前でした。すべての年寄りが理解したわけではないでしょうが村の風習などで決定されてるところもありましたし、喜んで捨てられた年寄りもいたそうです。
 そして今現在、老人も働ける人は何歳でも働いています。しかしながらこの悲しい風習”姥捨て山”はいまだ残っています、いやまた現れ始めました。俗に言う老人擁護施設、老人ホームやそういう関係の施設のことです。昔と違うのは昔はどうしても食料がないという理由でしたが今は違います。老人を介護するのが大変ってだけでその姥捨て山施設に捨てるわけです。姥捨て山と違って死ぬわけではありません、しかし姥捨て山と違いエゴだけで捨てられるわけです。年寄りからすればていよく捨てられたという気持ちを持ったまま生き長らえるわけです。老人施設にもそれなりに楽しみはありましょう、生きがいを見つけることもできましょう。しかし捨てられたという気持ちは消えないでしょう。
○私の場合
 寝たきりの父を8年間看ました。悩みながら、同じ時を刻み、同じ空気を吸っていることに生きている意味付けをしました。そして、びんご・生と死を考える会の10周年記念の柳田邦男さんの講演会が終わって2週間後に父は亡くなりました。父の葬儀に柳田邦男さんから自筆の弔電と詩がファックスで届きました。
 数野 博 先生 御尊父様のご逝去を悼み 謹んでお悔やみ申し上げます。
数野先生が多忙をいとわずに献身的に育ててこられた「びんご・生と死を考える会」の10周年記の会が盛会のうちに終了してから、御父上様が旅立たれたことには、深い意味があるように感じます。御父上様は、福山の地に、新しい死生観と新しい医療のあり方を普及させようとしておられる数野先生の生き方を、しっかり見つづけておられるのだと思います。
御父上様の御冥福を、はるか東京の地にてお祈り申し上げつつ、外国の一篇の詩をお届けしたく存じます。
2003年5月26日 作家、柳田 邦男
 「1000の風」 あとに残された人へ →「弔電・1000の風」

(5) 日本人と死
ひとの生き方を決めるもの=人生観、死生観、宗教観、家族観
日本人独特の宗教観と四季
 わたしたち日本人の8割は宗教を聞かれると無宗教と答えるそうだ。しかし、決してそうではなく、またそう答えてはいけない。宗教を持たない人は人間ではない、というのが国際的常識である。正月には初詣にお宮に行き、クリスマスを祝い、結婚式は神前で葬式は仏式、家には神棚と仏壇がある。本来われわれは多神教なのである。ルーツはアイヌ民族らしい。自然と共に生きた時代の人の宗教とも言える。八百万の神を祭り、苦しいときには神頼みをし、それでもだめなら神も仏もないとうそぶく。結局われわれは多神教でありながら人間しか信じない人間主義なのである。どんなことがあっても神を信じる神様主義の人達から見ればきわめて特異な存在なのである。
 春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雲さえて冷しかりけり
 形見とて何か残さん、春は花、山ほととぎす、秋はもみじ葉
 散るさくら、残るさくらも散るさくら
 うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ
 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ(西行)
 門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
無意識の死生観
 「かごめかごめ/籠のなかの鳥は/いついつ出やる/夜明けの晩に/鶴と亀がすべった/後ろの正面だあれ」
 籠のなかの鳥は、鬼で死者である。いついつ出やる、と生者と死者の交代をけしかける。夜明けの晩、鶴と亀がすべった、後ろの正面、それぞれが謎めいた反対語で意味がとりにくい。夜明けの晩とはどんな時間帯だろうか。陰と陽の対で考えると、この世の晩はあの世の夜明け、あの世でも夜明けから一日が始まる、鶴と亀はこの世の吉ですべったから凶、ところがあの世では逆だから吉になる。後ろの正面とは、この世では正面は前方だがあの世では後方になる。生者たちはしゃがんだ鬼に対し、そろそろ交代の時間だよ、と伝えているのである。

(6) いのちと医療
「往きの医療」と「還りの医療」
「ホスピスケア」と「緩和ケア」
「がんの痛みからの開放、WHO方式がん疼痛治療法」(1989年

(7) おわりに
「雨ニモマケズ」(宮沢 賢治)

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