登山と生きがい療法
「ガン克服日米合同富士登山2000」に参加して
広島県保険医新聞(第293号)2000年10月10日
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米国乳ガン財団からの提案を受けて、横浜にある乳がん患者会「ソレイユ」と倉敷にある「生きがい療法実践会」を中心とした全国のガン闘病者の有志で実行委員会が結成され、日米で100名程度の人数での富士登山という計画への参加募集は1999年6月末で締め切られた。

私は締め切りの10日程前に岡山大学で行われた笑福亭小松師匠の講義を聴きに行ったとき、小松さんを招いた「生きがい療法」の伊丹仁朗先生から誘われて、医療スタッフとして参加することにした。小松さんは1996年に進行胃癌で胃全摘術を受け、絶望のふちから一念発起し四ケ月をかけて日本列島三千キロを歩いて縦断した。伊丹先生は小松さんの徒歩旅行を終始援助し、札幌のゴールで迎えた。小松さんはこの時のことを「日本列島徒歩縦断!がん克服落語会」という本に、旅行中によんだ俳句をまじえて日記風に書いている。岡大での出会いがきっかけとなって、昨年11月に福山で小松さんの講演会を開催することができたことを付け加えておく。

当院の職員も全員参加を希望し、日米の参加予定者は予想をはるかに越えて500名以上にのぼった。本番の富士登山に備えて各地で、毎月一回の訓練登山が一年間をかけて行われ、希望者には減圧トレーニングも行われた。訓練登山を通じて闘病者としての参加者も、ボランティアとしての参加者も登山の技術と知識を身に付け、生きがい療法を学ぶことにもなった。

中四国地区と関西地区が合同で7月に行った大山での最終訓練では、山頂で重篤な不整脈発作を起こした闘病者をヘリコプターで下ろすという今回のイベントで最大の危機という場面もあった。いよいよ8月21日に米国から約五十人、日本から約百二十人のがん患者に家族と医師、看護婦などを含むボランティアを加えて総勢約五百人の登山隊が御殿場の公園に集合して、雨中の入山式が盛大に行われた。来賓として激励の挨拶をした小松さんと再会の握手をかわすこともでき、バスで五合目まで移動すると雨はあがって富士山の頂上がきれいに見えていた。バスでくばられた昼食の弁当で腹ごしらえをしてから、伊丹先生、柴田先生、小松さんらに見送られて出発した。

登山隊は、米国、東北・北海道、関東、関西、中四国・九州の地区別に、訓練の時と同じ15人から20人の班で常に人数と健康状態をチェックしながら、長蛇の列となって一歩一歩ゆっくりとしたペースで前進した。次第に気圧が下がり空気が薄くなってくるものの、登山自体は訓練の時の方が厳しかった。初日は七合目と八合目の山小屋に分かれて宿泊した。私たちは八合目の小屋で早目の夕食(カレーライス)をすませて、二段になった棚のような寝床に隙間無く詰め込まれて、8時の消灯と共に寝た、といっても大部分の人はほとんど眠れなかった。息をするのも苦しいような汚いトイレと素晴らしい星空が忘れられない。

翌8月22日朝4時半にヘッドライトをつけ朝食用の日の丸弁当を持って山小屋を出発した。この日もまさに日本晴れで九合目あたりで迎えたご来光に励まされるように前進したが、さすがにペースは落ちて頻繁に休憩をとり、ボランティアが闘病者のリュックを持ったりしてやっとの思いで先発隊の祝福をうけながら頂上についたのは7時過ぎであった。全員が達成感と満足感に溢れる笑顔で頂上にたった。訓練登山の時にヘリコプターで下山した闘病者も見事に頂上に到達し、そのチャレンジ精神をたたえられると共に、これからも新たな挑戦を続けることを誓っていた。この時期に二日も続いての快晴は富士山には珍しいとのことで、ほとんど無風の頂上はセーターを着ていると汗ばむくらいであった。測候所まで行ったり、お鉢巡りをしたり、頂上からの風景を楽しんだり、日本一を満喫して、9時頃から下山を開始した。

五合目までの一気の下山は登りよりも足(特に膝)にこたえて、脱落寸前の闘病者も何人か出たが、結局最後まで自力で午後2時頃全員無事下山できたことは何よりの喜びだった。五合目からはバスで御殿場の達成交流会会場(サッカーの日本代表がいつも合宿するホテル)へ移動し、地ビールのジョッキで乾杯した。小松さんも笑顔でみんなを迎えてくれた。ところで日本列島徒歩縦断をしたこの男がなぜかタバコをやめない。中四国からの参加者は約80名であったが、その中でただ一人いた喫煙者が今回の登山を契機に禁煙した話しをして、「笑福亭小松師匠に禁煙をすすめる会」の結成を小松さんに宣言した。ついでに言えばマルセ太郎もがんセンターの医師が禁じなかったと言って喫煙を続けていたが、彼にも禁煙を強くすすめた。ヘビースモカーであったコロムビア・ライトさんはがんの手術のあときっぱりと禁煙している(かれの場合は喉頭全摘をしているので吸えない)。

一年をかけて無事に終了した登山を振り返って満足感に浸りながら、また新たな挑戦に燃える人たちで登山の会をつくることになった。目標に向かって一歩一歩前進を続ければ、必ず目標に到達できるという登山は、誰にでもできる生きがい療法の一つだと思う。登山療法とでも言うべきかも知れない。新たな会の最終目標はキリマンジャロである。

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