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[胃癌手術後、小腸に残った転移に再手術をすべきか?]
[バリウム検査で幽門狭窄(胃癌)を来たしていたが手術が遅れた]

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[胃癌手術後、小腸に残った転移に再手術をすべきか?]

(相談)1999.1.23
はじめまして。私の父(55歳)のことで、いろいろ悩んでいて、このホームページにたどりつきました。素人には判断が難しく、よきアドバイスをお願いします。父は10年前、早期の胃癌で胃を2/3切除しました。その後、1年半後に胆石の手術。2年前、腸閉塞をおこして手術。このときは、胃カメラを飲んだ後、具合が悪くなったので、ここ2年間は、胃カメラを飲んでいませんでした。そして、今回、胃に癌がみつかり、1/6に胃と脾臓の摘出手術をしました。その時、主治医の話では、「見える範囲では、転移はみつからなかった」という説明だったので、家族一同、安心していました。ところが、大学病院に検査を出していたそうですがその結果、6日の手術で4センチぐらい小腸を切ったその先に、癌が2、3個みつかったので再手術をします、と説明がありました。転移がない、と安心していた矢先の話で、気が動転しています。なぜ、6日の手術の時に、そこまで切ってくれなかったのでしょうか。今度、手術をすると、もう5回目です。しかも、前立腺癌のマーカー値も、ここしばらく黒でも白でもない灰色ゾーンにあり、もしかして転移しているのでは、と不安があります。それでも、やっぱり再手術をするべきでしょうか。父の気持ちを考えると、胸が痛みます。本人は、病院を変えたい、と言ってますが、どうしたらよいのでしょうか。どうかよろしくお願いします。

(答え)1999.1.24
お答えします。まず、癌も自分で作る病気だと言われています。いわゆる生活習慣病の一つと考えてもよいでしょう。父上は自分で病気にならないように、自分で治そうと、そして手術で悪いところが取れればそれで良かったではなくて、また同じ病気にならないように、前向きに努力していらっしゃるでしょうか。たとえば、タバコをやめるとか。

「人間は病気で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのだ」という言葉があります。色々と大変な経過だったとは思いますが、その時その時の治療は、病状に応じて必要な治療を受けておられますので、しかたがなかったと思います。もっと多くの手術を受けても元気で生活している人もいます。

さて、今回の病気と手術のことですが、まず病名は残胃癌で、小腸の癌が胃癌からの転移だとするとかなりの進行癌ということになります。現在の医学では、確実に癌を治す方法はありません。できるだけ早い時期に見つけて、手術をして取り除くということで、治る可能性が高くなるということは確かですが、最終的に治るのは自分の治癒力で治しているのです。ですからいくら早く見つけても、いくら手術で取れたといっても100%治るわけではありません。逆に、手遅れでも治る人はいます。癌とはそうような病気で、まだまだ人間の力では思うように治せない病気です。

癌の手術は「目に見える範囲の癌を取り除く」ということで、もし「目に見える範囲の癌を取り除く」ことができて、「目に見える範囲で転移がみつからなかった」場合には、根治手術といって治る可能性のある手術ができたということになります。

もし問題にするとすれば、今回の手術の時、小腸を切ったその先に「目で見て異常があったかどうか」ということです。もしその時異常に気がついていれば、「目に見える範囲の癌を取り除く」手術をしていたと思います。ということは、単に気がつかなかったのか、目に見えない癌だったか、ということになります。たしかに再手術ということになると、身体への負担も大きく、精神的にも大きな負担となりますが、治る可能性を追及するために必要な手術(癌が残っている)であれば、とりあえず手術を受けなければいけませんが、いずれにしても、かなりの進行癌ということになりますので、治る可能性は少ないと思います。

前立腺癌のマーカー値が、灰色ゾーンということですが、これは転移ではありません。前立腺肥大症ですので、癌でなければ心配ありません。

病院をかえるかどうかということは、今の医師を信頼できるかどうかということで判断すべきだと思います。なぜ再手術ということになったのか、担当医に良く聴いてみてください。もし納得できなければ、病院をかえるということも考えられますが、つぎの医師が信頼できる医師かどうかは分かりません。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1999.1.24
お返事ありがとうございます。予想はついてましたが、厳しい状況だということがよく分かりました。父も母も食事に気をつけ、体によいといわれるものはいろいろためしてきたのに、今度の結果でとても残念でたまりません。今回、最初に胃癌だと診断をうけたのは、今の病院ではありません。父と母は仕事の関係で、遠くに住んでおり、そこで「かなり進んでいるガンの可能性があるので、即手術した方がよい、また先のことを考えて病院を選んで下さい」という診断をうけました。そして、いろいろ考えた結果、家の近くの今の病院にしたのです。ところが、今の病院での診断は、そんなに進んでいないようだ、という診断でした。実際、手術前の説明では、レントゲン、CTでの転移はみられなかったので、お腹を開けた段階で、リンパ節をどこまでとるか決めます、という話でした。そして、手術後の説明では、脾臓に転移しかかってたが胃の癌は1センチぐらいで、2層までの(専門用語が分かりませんが)早期の癌で、たぶん再発というより、消化液が逆流することによってできた異次性のものでは、という説明でした。

家族としては、良い方の結果を信じたいものです。ですから、手術後、とても喜んだのです。ところが、今度の再手術の話です。父も母も抗ガン剤は覚悟していたので、その話だと思っていたら、なんと再手術。気が動転して、くわしい話が聞けなかったようです。数野先生のメールをみて、もう一度、主治医の先生に、くわしく話を聞かなければ、と思っています。それで、質問があります。今回、最初の病院では、進行癌だろう、という診断だったのに、今の病院では、転移はしていない、という診断。なぜこんなに違うのでしょうか。今の病院で、前の病院での診断の結果は話しました。6日の手術の時に、小腸の癌までとっていれば今回の再手術はなかったと思うのです。これが、今の病院に不信感をもってしまう原因です。本人は、病院を変わりたいと言っているので、その意志を尊重して、病院を変わろうと思います。数野先生のアドバイスは、これから先のことを考えるうえでとても参考になりました。ありがとうございます。また、いろいろ質問するかと思いますが、よろしくお願いします。

(答え)1999.1.24
お答えします。「最初の病院では、進行癌だろう、という診断だったのに、今の病院では、転移はしていない、という診断。なぜこんなに違うのでしょうか。」

それぞれの病院が言っていることに誤りはないと思います。「最初の病院で進行癌だろうという診断だった」のが、今の病院では早期の癌だった(smだった)ということで、時間的に考えても最初の癌の再発ではなく異時性の全く別の癌ということになります。「今の病院では転移はしていないという診断」という意味は、「リンパ節に転移していない」と言う意味ではなくて、違う臓器(肝臓や肺など)への遠隔転移はないということだと思います。手術の前にリンパ節への転移の有無までは分からないことが多いと思います。しかし、もし今回の胃癌が早期癌だとすると、小腸の癌はまた別の癌ということになるのでしょうか?つぎつぎに癌ができるようですので、今後のことも含めて担当医に良く聴いてみてください。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1999.1.24
先生もお忙しいと思いますが、いつでもメールくださいのお言葉に甘えて、また質問があります。昨日、私なりにいろいろ考えて、主治医の先生に質問したいことを紙に書き、母に聞いてきてもらいました。その結果、このようなことが分かりました。

早期の癌という診断だったが、進行癌ということになるだろう。小腸の癌は胃からの転移だろう。珍しい癌で表面ではなく奥の方(2層目)を通っているのではないか。(よく分からなかったらしい)今度の手術は、膵臓も切るかもしれないが、開けてみないと分からない。他にも質問をしたのですが、はっきりとした答えをえられなかった所もあります。なぜ、前の手術の時に分からなかったのか?と質問したら「まさか、あるとは思わなかった」という答えでした。これは、やはり診断ミスでは? と疑いたくなります。それから、病理の先生をおかずに手術しているようですが目だけの判断で外科の手術はするのですか?ここが一番納得いきません。今度の手術では、病理の先生をおきながらします。という話ですが、それならなぜ前の時においてくれなかったのでしょうか?それから、大学病院に出した検査の意味がよく分かりません。リンパ節への転移にしても、やはり手術になるのでしょうか。それとも必ず癌があるというのが検査で分かるのでしょうか。すいません。質問だらけで。父は今、風邪をひいていて、すぐに手術できない状態です。この間に、いろいろ考えてみたいと思っています。まだ、あきらめたくありません。できる限りのことをしたいと思っています。

それから、やはり大学病院に移ろうと思っています。再手術にしても、今度はとても大変になりそうなので付き添いのことなども、考えました。私以外にも、たくさんメールがきているのではないかと思いますが、分かりやすいアドバイスをすぐに下さりとても感謝しています。これからも、よろしくお願いします。

(答え)1999.1.26
お答えします。一般的に、早期癌の場合には転移の可能性が少ないので、担当医は転移を予想できず、手術中にも詳しい検索をしなかったのではないかと思います。良い手術をするためには、良い医師と良い設備とよいスタッフが必要です。良い医師とは、知識と経験が豊富で、技術が優れていて、患者さんに対する情熱と思いやりのある人間性に富んだ医師だと思います。残念ながら日本では、一般の人の立場では、どの病院、どの医師が良いのかということは、ほとんど分からないようになっています。本来、手術、とくに悪性の病気の手術は、医師と設備とスタッフの整った病院でするべきですが、日本ではどこでもできて医師の自由です。ただ、多くの場合は、幸いどこでしてもあまり差がないということも事実です。つまり、癌という病気は人間が治せる病気でないとと言うことを医師は知っているのです。近藤誠さんも本に書いているように、見つかった時点で治るか、治らないかということは、ほとんど決まっているように思われます。しかし、父上の場合には、違う病院で手術をしておれば、違う結果になったかも知れません。皆さんは、日本は先進国で経済大国だと錯覚しているかも知れませんが、日本の医療・福祉のレベルは、富士山でいえばやっと五合目くらいのところです。アジアの中ではちょっと進んだ国くらいに考えたほうが良いでしょう。もう一つの問題は、では大学病院が良いのかということです。本来、大学病院は教育と研究のための施設ですので、今回の横浜市立大学の手術患者取り違え事件のようなことが起きる可能性は充分あったのです。患者さんを治そうという情熱より、研究のためにという考えが強く、昔から言われるように「患者さんはモルモット」なのです。そのことだけは心にとめておいてください。

もちろん、すべての医師にあてはまるわけではありませんが、日本の医師の中には、医師になる動機や資質、能力に疑問がある人が多く、本来、人間性に富んだ、人のために役に立つための職業ですが、金儲けのためという心無い人が多いのも事実です。もっともっと皆さんが情報を得て、色々考えて、医師を監視して、良い医師を育てるようにしなければいけません。政治家についても同じことが言えます。そのような活動が全国的にも起きつつあります。

いろいろな場合がありますが、やはり良い医師(能力の高い医師)は良い病院にいます。医師の就職もある程度その医師の能力によって決まります。日本でのランク付けは、やはりまず大学病院、国立病院、公立病院となり、そこに就職できなかった医師が個人病院の勤務医や開業医になる場合が多いと思います。

今、治療を受けている病院は、病理の先生がいないようです。そのために、大学病院に検査を出したのだと思います。それから普通、リンパ節への転移のために、再手術をすることはないと思いますが、早期癌と考えて、手術の時にリンパ節を取っていなかったのであれば、こんどの手術でリンパ節も含めて大きく取ることになると思います。少しでも治る可能性を追及しようと思えば、そのような手術になると思います。たいへん難しい判断を迫られていると思いますので、まず本人の医師を尊重して、良く相談して決めてあげてください。こうしなければいけないとか、こうすれば大丈夫とかいうことが言えないのが進行癌です。納得できることがあれば、それを信じて徹底的に闘うから、闘わない方法まで色々な方法があります。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1999.1.26
昨日、病理の結果について、納得いかなかったのでもう1回聞きました。その結果、思ってもいないショックな結果でした。早期の癌にみえた胃の癌は5層までいっていて飛び出ていたそうです。切った胃の断面かなにかを調べたみたいです。それでその先に2・3個癌があるだろう、という結論のようです。なぜそれが分からなかったか、ということは、普通癌の部分が堅くなっているそうですが、やわらかかったそうなので、2層までの早期癌にみえたそうです。こういうことってあるのでしょうか。それから、今度の手術は、胆汁がでる管の手前までギリギリの3センチを切るそうです。でも、これを切っても転移している可能性は80パーセントあり、今、家族一同悩んでます。その3センチのために、また手術の苦しい思いをするべきなのか、それとも抗ガン剤だけにするべきなのか。とても難しいです。主治医の先生は切ることをすすめています。でも・・・・
このホームページにこられるかたは、皆さん悩んでおられると思いますが、本当に難しいです。それから、癌というものは手術の刺激で広がるものだ、という話を聞きましたが、本当でしょうか。数野先生の冷静なアドバイスをお待ちしています。よろしくお願いします。

(答え)1999.1.27
お答えします。医師の判断が甘かったと思います。手術の前の判断と手術中の判断に問題があったようです。「早期の癌にみえた胃の癌は5層までいっていて飛び出ていた」ということが、なぜその時に分からなかったのでしょうか?「その先に2・3個癌がある」というのは、切った小腸のさきということでしょうか?切り口(断端)に癌が残っているのでしょうか?いずれにしても危険をおかして再手術をしても、転移している可能性は、やはり高いと思います。主治医の先生が手術をすすめる理由を良く聴いてみて、納得ができれば本人を説得しなけれいけないと思います。

「癌というものは手術の刺激で広がるものだ」という話は、ある程度本当だと思います。その原因としては、手術によって体力や免疫力が低下することが考えられます。手術で取りきれない転移がある癌を治すことは不可能に近いと思います。奇跡を祈るのみだと思います。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.1.28
お忙しいところに、毎日のようにメールを送り、申し訳ありません。この一週間は、本当にいろいろ考えたり、悩んだり迷ったりした一週間でした。数野先生のホームページも全て目を通して、癌に対する知識が増えたように思います。ありがとうございます。ところで、父のことですが、今の病院で再手術することに決めました。大学病院はいくら急いでも入院するのに2週間はかかるそうで、一番はやく手術ができるのが今の病院だからです。主治医から知らされたその日、父は「死刑宣告だね」と言い、母は泣くばかりでどうしたらよいのか、私自身もとほうにくれました。でも、次の日病院に母が行った時、父が「少しでも可能性があるなら、自分のためにも家族のためにもがんばりたい」と言ったそうです。私達家族は、父のその思いに賭けてみることにしました。手術の話は、主治医の先生から本人が納得いくまで説明をきいたそうです。この手術が吉とでるか凶とでるか分かりませんが、良い方の結果を信じて、抗ガン剤でも民間療法でも何でもためしてみたいと思います。

それから、一つ質問があります。病理の先生というのはどこの病院にでもいらっしゃるものではないのでしょうか。今回、一番悔やまれるのは、この点です。執刀医は、大学病院からうつってきた胃の手術をたくさんされてきた医師でしたので、経験はたくさんされているようでした。ただ、父の癌が珍しいもので(私はスキルス癌ではないかと思っています)見た目では、色も変わっていなかったし堅くもなっていなかったので分からなかった、という話なので病理の先生がいれば、再手術ということにはならなかったと思います。私が住んでいる所は、長崎県で、今かかっている病院は健康保険諫早総合病院というところです。この地域では、わりと大きめの病院なので、そんなことは思ってもいませんでした。今から後悔してもしょうがありませんが、次の人のためにも教えて下さい。

今回思ったことは、今の日本では、良い医者・病院をさがすのは本当に難しいということです。また、私達のような素人には、医師というのは遠い存在でなかなか信頼する、というのは難しいです。そんなとき、数野先生のホームページにたどり着き、会ったこともない私のために、真剣に相談にのってくださいました。本当にありがとうございます。

これからは、主治医の先生にいやがられても、分かるまで何度も聞きながら、父の治療を続けようと思います。また、何か迷いが出たときには、数野先生にメールを送っていいですか?その時には、よろしくお願いします。それでは、お体に気をつけて。これからも、私達の力になってください。ありがとうございました。

(返事)1999.1.28
お答えします。病理の先生は、どこの病院にでもいるものではありません。健康保険諫早総合病院は300床以上の中規模の病院のようですが、麻酔科の医師も病理の医師もいないようです。本来、このような病院で手術をしてはいけないと思いますが、日本の医療のレベルはこの程度です。もっともっと小さい病院でも、平気で手術をしています。そのようなことについての規則も規制もありません。野放しです。「今の日本では、良い医者・病院をさがすのは本当に難しいということです」。その通りです。とにかく、こちらは命懸けですので、主治医の先生にいやがられても、分かるまで何度も聞きながら、治療を続けてください。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1999.2.8
1月の中旬に父の再手術のことでメールを出した○○です。突然のメールにもかかわらず、返事をすぐにいただきありがとうございました。ところで、今日、父の再手術が終わりました。本当は、先週の水曜日の予定だったのですが、抗ガン剤の影響で白血球数が減っていて、延期になっていました。あれから何度も主治医の先生と話した結果、なぜ再手術することになったのか、よく分かりました。前回の手術の時、胃と脾臓と小腸を4センチぐらい切っているのですが、それを検査に出した結果、その小腸の4センチの所にガンが2・3個みつかり、その先の小腸も切るように、との指示がきたそうです。(大学病院から?)それで、今回、その先を膵臓からの消化液がでる管のぎりぎりまで切ったそうですが、その部分にはガンはみつからなかった。それから、お腹の中にガン細胞があるか調べたが、これもなかったということでした。ただし、胃のガンは胃壁をつきだしていたので、ガン細胞がちらばっている可能性があるので、抗ガン剤を術後1週間内に播種する、という説明でした。とりあえず私達家族は、目に見えるガンがなかったので安心しました。これからが勝負だとは思いますが、精一杯がんばろうと思ってます。

ところで、これは手術前に母と話したのですが、1年後か5年後かもしかしてもっと先かもしれないが、もしものことを考えて、末期癌になった場合、とても痛むという話なので、それだけは避けたいし、静かな環境で過ごさせたい。できれば、ホスピスに入れたい。今回のようにぎりぎりになってからはあわてるので、元気なうちにさがしておこう、ということになり、私がインターネットで検索してみました。長崎には、2つあるようなのですが、よいホスピスの条件とは何ですか?ホスピスという名前は聞いていても、こういうことを調べるのは初めてで、どのように探せばいいのか分かりません。ホスピスは数野先生の専門のようですので、勝手なお願いとは思いますが、よろしくお願いします。

P.S「医者が末期がん患者になってわかったこと」という本を読みました。お医者さんは、やっぱり患者側の気持ちというものを、私達が思っている以上に分かっていないのですね。患者側がかしこくならなければ、と思いました。数野先生のような、患者の気持ちが分かってもらえるお医者さんが増えることを祈ってます。

(答え)1999.2.10
メイルありがとうございました。父上の再手術が無事にすまれたようですね。「とりあえず私達家族は、目に見えるガンがなかったので安心しました。これからが勝負だとは思いますが、精一杯がんばろうと思ってます。」その通りです。

私たちは、皆いつか必ず死という試練を経験します。父上のことだけでなく、自分のこととして準備をしておくことは大切なことだと思います。残された時間をどのように過ごし、最期をどこで迎えるかというについては、その時の状況にもよりますが、やはりご本人の意志を尊重してあげて、皆さんでよく話し合って決めてください。末期癌の痛みは、モルヒネなどを上手に使えばあまり心配はありません。自宅で最期を迎えたいという人が多いと思いますので、できれば家族で支えてあげて、そのような方法も考えてみてください。ホスピスが必ずしも良いとはいえません。ホスピスの主な役目は二つです。最期まで痛みや色々な苦痛をできるだけ取ってくれるということと、最期まで寄り添い支えてくれて決して一人にしないということです。つまり、良いホスピスの条件とは、ホスピスの役目を充分果たしてくれるスタッフと良いボランティアが沢山いるところということになります。ホスピスで働く人に求められる資質とは、誠実で、感性が豊かで、忍耐強く、謙虚で、そして何よりも 人に対する愛があることです。愛がなければ、いくら他の資質が豊かでも良いホスピスケアはできません。

朝永病院は3年の実績があるようですし、聖フランシスコ病院は宗教的なサポートも受けられる所かと思いますが、詳しいことは分かりません。ではまたいつでもメイルをください。

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[バリウム検査で幽門狭窄(胃癌)を来たしていたが手術が遅れた]

(相談)1998.12.4
はじめまして。私の父は69歳で胃癌とわかり、ホームページを検索したところ先生のホームページにたどりつきました。すこし、先生にご相談したいことがありまして、メールさせていただきます。ご多忙のところ恐縮ですが、返事をいただけると幸いです。以下は父の入院から退院までの経緯です。
8/15頃から食欲なくなる。
9/7近所の内科へ行くが、バリューム検査は1日2人しか行わないため2日後に検査するということで自宅で待機。
9/9バリューム検査を行う。胃が詰まっているとのことで、市民病院に連絡してもらう。
9/10市民病院に入院。点滴をはじめる。内科の主治医は本人に胃潰瘍と説明。
9/11主治医に家族が呼ばれ、「まだいろいろと検査をしてみないとはっきりとしたことは言えないが、今までの経験上、恐らく胃幽門部腫瘍で既に末期癌だろう。」との説明を受ける。すぐに手術と思ったが、「バリュームが胃に残っているため、それがぬけるまでは手術できない」とのこと。「胃が詰まっているのなら、口から抜くのですか?」の質問に、「完全に詰まっているわけではないので、自然にぬけるのを待つ」とのこと。また、外科の空き室がないので、それまで内科で治療することになった。
9/15排便あり。黒くてふわふわとしたもので、なかなかトイレで流せなかったという。このふわふわとしたものは恐らくバリュームで、黒いのは胃のなかで出血したものが胃液と化学反応とおもわれるが、排便があったことで、完全には胃は詰まってないなと私は思った。ただ、入院後、自分で売店に行き、新聞や雑誌を買ってすぐに読み切っていたのが、9/14に買った雑誌がまだ読み終わっていないと言う。新聞もぺらぺらめくるだけでやめてしまう。わたしは父がちょっと疲れているのかなぐらいに感じた。この時点では、まだ家族との会話は正常に成り立っていた。この日私は転勤先の関西へ戻った。
9/16胃カメラで検査したが、バリュームが抜けきっておらず、鼻からチューブを入れて抜きはじめた。
9/17祖母の薬をもらいに初診の内科へ行き、父の様子を聞かれたので、「自然にバリュームが抜けるのを待ってたのですが、抜けないので鼻からチューブを入れています。」といったら、「あの状態では、鼻からじゃないと抜けないよ。」とおっしゃられた。市民病院から「父がおかしなことを言っているので、家族に付き添っていてほしい」と電話がはいる。私の母が病院にいくと、やはりおかしなことを言っていた。昨年、父はボケ症状が出たことがあり、その原因は頭を強くうったことによる硬膜下血腫で、手術をうけ、その日から正常に戻っていた。その後、検査を受けなかったので、また硬膜下血腫になってしまったのだろうか?と思った。あるいは、「環境がかわるとボケがでることがある」とよく聞いていたので、それではないかとも思った。
9/18内科の主治医から「ボケの症状がでている」と言われる。次の日から内科の主治医は夏休みにはいる。
9/19ボケはひどくなる一方で、ひとりでは起き上がることもできず、簡易トイレにすわってもささえていないと後ろに倒れてしまう。回診の医者に「ひどくなる一方なんですけど」といっても何も処置はとってもらえなかった。
9/21外科病棟に移る。私の姉が外科の主治医にボケ症状について今までの経緯を説明したところ、先生は「この症状はボケとは違う」とおっしゃられ、すぐに血液検査を行い、点滴をとりかえた。血液検査の結果、「父の血液のバランスはバラバラで、血液中のクロールの値が極端に低く、そのために意識障害がおきてるとおもわれる」とおっしゃられた。
9/23父は無意識のうちに鼻のチューブを抜いてしまうため、家族が24時間付き添って看ていたが、家族にも疲れがたまってきたため私も関西から戻って家族と交代することにした。
9/24午前中に病院へいって父のすがたをみて、9/15に会ったときに比べて、かなり痩せ、私のこともわからない状況に愕然とした。すぐに外科の主治医を呼び、なぜ入院したときより病状がわるくなっているのか説明を求めた。先生の話では「長い間、胃液が胃にたまっていて、それを抜くと血液のバランスが崩れることがある。血液のバランスを元に戻さないと手術はできない」とのこと(あとで主治医に聞いた話では急性腎不全も起こしていて、危ないときが2回あったらしい)。
9/27尿管が入っているにもかかわらず、トイレにいくと言ってきかず、いままでは説得したり、「トイレはさっきいったばかりだよ」といって納得させてきたが、今朝はもうその手では通じず、怒り始めるようになり、私を蹴飛ばそうとした。「怒る」という感情がでてきたことで、父の意識障害は戻りつつあるのかもしれないと私は思った。午後、私は関西に戻った。
9/29相変わらず、鼻のチューブを抜いたり、トイレに行こうとするため、個室に移り、ベッドに手を縛った。
10/1鼻のチューブを抜いたり、怒るということもなくなってきた。まだ、ボケは戻らない。
10/4だいぶ意識は正常に戻ってきたが、まだ時々混線していた。
10/9意識が正常に戻ったため、外科の主治医から本人に癌であることを告知した。ただ、熱があり、抗生物質を投与したため、肝臓のGOT,GPTの値が良くなく、それが解消するまで手術はできないとのこと。
10/21入院して42日目でやっと手術。5時間40分かかった。手術後、主治医より「胃の3分の2を切除し、癌が胃壁を突き破っていたので腹水を病理検査したが、癌細胞は発見されなかった。リンパ節もかなり腫れていたので2群までは郭清した。3群は腫れてなかったので郭清しなかった。また、病理検査の結果、今後の治療方法を決める。」と説明があった。
11/7食事も普通のご飯がだされるが、あまり食欲はないようだ。ただ、果物は良く食べる。病理検査の結果が出て、「郭清したリンパ節はすべて癌細胞が見つかり、ステージ分類は3Bであること」を主治医から説明された。また、5-FU, DCCPの抗がん剤を5日間4クール行うことになった。
11/9抗がん剤投与開始。
11/19下痢の症状が出始める。1時間半から2時間に一回の割合でトイレに行くようになる。
11/23下痢が治まらないので午前中で抗がん剤の投与を中止。(延べ11日間の抗がん剤投与)
11/30退院(入院日数81日)

少し長くなりましたが、以上が今日までの記録です。私がご相談したいのは、手術前の内科の診断と対応についてです。「鼻からチューブをいれ胃液を抜くと血液のバランスが崩れて、意識障害をおこすことがあることは、内科の医師として予見することは難しいことなのか?誤診ではないか?」ということです。後日私が書店で立ち読みした本にも「血液のバランスが崩れる場合がある」とちゃんと載っていました。素人が読む本でさえそのことが記載されているということは、人にもよるのでしょうが、そんなにめずらしいことではないと思うのですが、どうなのでしょうか?また、外科の主治医もボケではないとすぐ診断されたわけですから。もし、内科でちゃんとした診断と対応をとってくれていたら(だんだん容体が悪くなっているといっているにもかかわらず何もしてくれなかったこと)、父が死線をさまようことはなく、もっと早く手術ができたのではないか。また、手術が遅くなったことは癌がそれだけ進行してしまったのではないか。そう思われて残念でなりません。父が死線をさまよっているとき、意識障害を起こして家族のことがわからなくなったとき、怒り始めてベッドに縛り付けられたりした姿は、私たち家族にとってとても悲しく、情けないものでした。やっと意識が正常に戻ったときは、私たち家族は癌のことなどすっかり忘れてしまい、もう退院できるのではないかと錯覚したくらいです。

私はこの件について内科の主治医を追求しませんでした。それは、市民病院の外科と内科の関係についてよくわからないもので、私が追求することによって、外科の主治医に迷惑がかかってしまっては申し訳ないからです。また、訴訟を起こすつもりもありません。ただ、今後、私の父とおなじように胃幽門部癌になってしまわれ、私と同じように先生のホームページを見られる方に、こういう症例があったということを知っていただきたいのです。おそらく、先生はこのメールを読まれただけでは誤診とは判断されないでしょう。それは当然のことと思いますが、なにかしら返事をいただけると幸いです。長々とメールを書いて申し訳ありませんでした。

追伸:外科の主治医の先生にはほんとによくしていただきました。一日に何回も父の様子を見に来てくれたり、私が先生に説明を求めてもわざわざ病室まできてくださり、質問には丁寧に説明していただけました。「この先生、いったいいつ休んでいるんだろう?」と思うぐらい病院でお見掛けしました。また、父の手術3日後、初めてガスが出たことを先生に言ったとき、「よかった、よかった」といって自分のことのように喜んでくださった笑顔が忘れられません。こんなすばらしい先生に診て頂けて、ほんとうに感謝しています。また、看護婦のみなさんにもほんとうによくして頂き感謝しています。

(答え)1998.12.5
お答えします。父上(69歳で胃癌)の経過を少し整理してみます。

8/15頃から食欲なくなる。(嘔吐はありませんでしたか?)
9/9バリューム検査を行う。胃が詰まっているとのことで、市民病院に連絡してもらう。(この時点でなぜバリウムを抜かなかったのでしょうか?)(なぜ外科に紹介されなかったのでしょうか?早期の手術が必要なことは明白です)
9/10市民病院に入院。点滴をはじめる。(この時点でバリウムの残存を確認して、必要な処置をすべきでした)本人に胃潰瘍と説明。(この時点である程度の告知すべきでした)
9/11家族には「胃幽門部腫瘍で既に末期癌」との説明。「バリュームが胃に残っているため、それがぬけるまでは手術できない」「自然にぬけるのを待つ」とのこと。(すぐに抜くべきでした)
9/16胃カメラ、鼻からチューブを入れて胃液を抜きはじめた。(これまでに嘔吐はなかったでしょうか?食事はできていたのでしょうか?)
9/18内科の主治医から「ボケの症状がでている」と言われる。
9/21外科病棟に移る。血液検査で「血液中のクロールの値が低いための意識障害」と判明。(内科では血液検査をしなかったのでしょうか?)
9/23家族が24時間付き添う。
9/29個室に移り、ベッドに手を縛った。
10/9意識が正常に戻ったため、外科の主治医から本人に癌であることを告知した。
10/21入院して42日目でやっと手術。5時間40分かかった。(ちょっと時間がかかり過ぎのように思います)手術後、主治医より「胃の3分の2を切除し、癌が胃壁を突き破っていたので腹水を病理検査したが、癌細胞は発見されなかった。リンパ節もかなり腫れていたので2群までは郭清した。3群は腫れてなかったので郭清しなかった。また、病理検査の結果、今後の治療方法を決める。」と説明があった。
11/7病理検査の結果が出て、「郭清したリンパ節はすべて癌細胞が見つかり、ステージ分類は3Bであること」を主治医から説明された。(ステージは3B以上と考えられます)また、5-FU, DCCPの抗がん剤を5日間4クール行うことになった。
11/9抗がん剤投与開始。
11/19下痢の症状
11/23抗がん剤の投与を中止。(延べ11日間の抗がん剤投与)
11/30退院(入院日数81日)

「鼻からチューブをいれ胃液を抜くと血液のバランスが崩れて、意識障害をおこすことがあることは、内科の医師として予見することは難しいことなのか?誤診ではないか?」

まず、最初に診た医師の判断に、問題があると思います。進行・末期癌で、たとえ治すことができないとしても、「幽門狭窄」という症状に対する治療は手術以外にありません。なるべく早く手術が受けられるように考えて、その後の道筋を付ける(適当と思われる所に紹介する)のが、最初に診た医師の責任だと思います。

そして次に、手術の前(術前)の患者の管理(治療や検査)については、内科の医師はほとんど無知です。病院として、いつも術前の管理を内科ですることにしているのなら、もう少し対処の仕方が違っていたと思います。いずれにしても内科での対応も適切ではなく、しかも時間がかかり過ぎのように思います。

「手術が遅くなったことは癌がそれだけ進行してしまったのではないか」「怒り始めてベッドに縛り付けられたりした姿は、私たち家族にとってとても悲しく、情けないものでした」

癌の進行については、そんなに神経質になる必要はありません。時間的には、すぐに手術を受けていても同じ状態だったと思います。いずれにしても、これからが問題です。すこしでも元気に、一日一日を大切に、前向きに生きて貰ってください。残された時間は医学的な常識から言えば、そんなに長くはありません。

私の父も、病院に入院して痴呆症状のためにベッドに縛り付けられたことがありますが、やはり大変情けない思いをしました。病院側は、患者や家族の気持などは考える余裕も人手もないようです。日本の医療は、先進国の医療に比べれば、大変「貧しい」医療なのです。その結果、「心のない医療」になってしまうのです。このような状況で、緩和ケアなどは望めません。ホスピスができたとしても、「告知はしました、手術もしました、もう末期で治療はできません、ホスピスへでもどうぞ」ということになってしまします。最期の瞬間だけを切り取った医療などというものが、はたして望ましいものでしょうか?患者と家族の意見を声を大にして言わなければ、医師も医療も良くなりません。医師選び、病院選びが大切です。病気になって、はじめてあわてて探すようでは、良い医師・病院選びはできません。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1998.12.9
早速のご返事ありがとうございました。胸の内でモヤモヤとしていたものが、かなりはれてきました。ありがとうございました。ただ、先生のメールを読ませていただいて、若干、理解というか判断できない箇所がありましたので、再度質問させて頂きたく、また、私のメールの内容で先生の疑問についてもお教えしたく、メールを送らせて頂きます。

8/15頃から食欲なくなる。(嘔吐はありませんでしたか?)
まだ、この時点では嘔吐はありませんでした。嘔吐が始まったのは、9/7頃からです。
9/9バリューム検査を行う。胃が詰まっているとのことで、市民病院に連絡してもらう。(この時点でなぜバリウムを抜かなかったのでしょうか?)(なぜ外科に紹介されなかったのでしょうか?早期の手術が必要なことは明白です)
近所の内科の先生は、以前市民病院の内科に勤務していて退職後、開業したということです。ですので、市民病院の内科に連絡したのだと思います。外科に連絡してくれていたらと思います。その辺が、内科と外科は縦割り医療ではないか?という疑問はあります。また、素人が考えるに、バリューム検査をやるより、最初から胃カメラで直接見たほうが手っ取り早いとおもうのですが。
9/7頃から嘔吐が始まり、入院後もチューブをいれるまで30〜60分間隔で嘔吐していました。嘔吐物は胃液と血が化学反応をしたとおもわれる黒っぽい液でした。食事は8月末からほとんど食べていませんでした。パンとか牛乳を少し飲むことはありましたが。入院後は絶飲食でした。
9/21外科病棟に移る。血液検査で「血液中のクロールの値が低いための意識障害」と判明。(内科では血液検査をしなかったのでしょうか?)
私たち家族、また父の知る限りでは、血液検査はしてなかったです。ただ、回診のときは付き沿いの者は病室を離れているので、ひょっとしたら血液検査をしていたかもしれません。
10/21入院して42日目でやっと手術。5時間40分かかった。(ちょっと時間がかかり過ぎのように思います)
私も少し時間がかかり過ぎのように思いましたが、外科の主治医は「二重に縫った、リンパ節を郭清するのに時間がかかった」とおっしゃられていました。手術の方法はビルロート1法で行われました。ビルロート2法を避けたかったようです。
手術後、主治医より「胃の3分の2を切除し、癌が胃壁を突き破っていたので腹水を病理検査したが、癌細胞は発見されなかった。リンパ節もかなり腫れていたので2群までは郭清した。3群は腫れてなかったので郭清しなかった。また、病理検査の結果、今後の治療方法を決める。」と説明があった。
11/7病理検査の結果が出て、「郭清したリンパ節はすべて癌細胞が見つかり、ステージ分類は3Bであること」を主治医から説明された。(ステージは3B以上と考えられます)また、5-FU, DCCPの抗がん剤を5日間4クール行うことになった。
(ステージは3B以上と考えられます)とは既にステージ4ということでしょうか?それともステージ3には何段階も分類があるのでしょうか?
「鼻からチューブをいれ胃液を抜くと血液のバランスが崩れて、意識障害をおこすことがあることは、内科の医師として予見することは難しいことなのか?誤診ではないか?」まず、最初に診た医師の判断に、問題があると思います。進行・末期癌で、たとえ治すことができないとしても、「幽門狭窄」という症状に対する治療は手術以外にありません。なるべく早く手術が受けられるように考えて、その後の道筋を付ける(適当と思われる所に紹介する)のが、最初に診た医師の責任だと思います。そして次に、手術の前(術前)の患者の管理(治療や検査)については、内科の医師はほとんど無知です。病院として、いつも術前の管理を内科ですることにしているのなら、もう少し対処の仕方が違っていたと思います。いずれにしても内科での対応も適切ではなく、しかも時間がかかり過ぎのように思います。
「手術の前(術前)の患者の管理(治療や検査)については、内科の医師はほとんど無知です。」とは今回父が入院した市民病院の内科の医師について無知ということでしょうか?それとも日本の内科医全般について無知ということなのでしょうか?文面から推測すると後者のように思いますが、そうであれば、外科病棟に空き部屋がなかったばっかりに、父は患者の術前管理知識をもたない医師に治療され、死線をさまよったことになります。手術後、外科の主治医と話しをしているときに、「内科の医師に容態が悪くなる一方だといってもなにもしてくれませんでした」といったら、外科の主治医はびっくりしている様子でしたが。
「手術が遅くなったことは癌がそれだけ進行してしまったのではないか」「怒り始めてベッドに縛り付けられたりした姿は、私たち家族にとってとても悲しく、情けないものでした」 癌の進行については、そんなに神経質になる必要はありません。時間的には、すぐに手術を受けていても同じ状態だったと思います。いずれにしても、これからが問題です。すこしでも元気に、一日一日を大切に、前向きに生きて貰ってください。残された時間は医学的な常識から言えば、そんなに長くはありません。
「そんなに長くはありません」とはどのくらいの単位の時間をさしているのでしょうか?月単位なのでしょうか?私が本を読んだり、外科の主治医に聞いたところでは5年生存率は43〜50%なので、最低でも1から3年は大丈夫と期待しているのですが。
抗がん剤の副作用が出始め投与を止めてから2週間以上たつのにまだ、父はトイレに行く回数が減りません。大体1時間に1回くらいはトイレにいっています。毎回、便がでるというものではなく、粘液みたいなもののようですが、副作用はこんなに長く続くものなのでしょうか?外科の主治医は「大丈夫だと思う」といってくれていますが。食事はなるべく消化のよいものを3回とり、間食もビスケットや牛乳をのんでいます。また、整腸薬のビオフェルミンSをのみ(外科の主治医が了承してくれています)、おなかをカイロで暖めてもいます。なにか、先生にアドバイスをいただけたらと思います。よろしくお願い致します。

追伸:先週の土曜日に父とスーパーにいってきました。2ヶ月半前、死線をさまよっていた父が、自分で品物を選んでカゴに入れ、レジで代金を払い、品物をビニール袋に入れる、という日常のあたりまえのことができるのをみて、なにか夢を見ているような気がしました。父には「祖母より先に逝くことはできない」という気持ちがあります。効果が期待できるかどうかわかりませんが、「サメの軟骨」を飲ませてみようと思っています。(下痢が治まってからのほうがいいかもしれませんが)

(答え)1998.12.10
お答えします。9/7頃から嘔吐が始まったということですので、やはり消化管がどこかで詰まっている(腸閉塞など)か、細くなっている(狭窄している)ことが考えられたはずです。そういう場合の検査の進めかたは、慎重でないといけません。まず、立った状態でお腹のレントゲン写真を撮ります(立位腹部単純撮影)。それで、病気の原因が大腸か、小腸か、胃かということが分かります。胃の病気であるということが分かれば、ご指摘のように、まず胃カメラで検査するか、レントゲン検査(胃透視)をする場合には、時間がたてば吸収されるような造影剤を使ってレントゲン検査をします。もしバリウムを使用した場合には、検査後すぐに、バリウムを抜いておかなければなりません。近所の内科の先生が勤務した市民病院が、縦割り医療をしていたとすれば、この先生から直接外科の先生に紹介されることは期待できなかったと思います。
9/7頃から嘔吐が始まり、胃癌による幽門狭窄症ということが分かっていながら、入院後は絶飲食だけで、入院後もチューブをいれるまで30〜60分間隔で嘔吐していたということは、ちょっと信じられないような対応の仕方だと思います。精神状態に異常を来たしたときの対応も、ここなら仕方がなかったのではないでしょうか。血液検査はきっとしていたと思います。
手術時間がかかり過ぎの件についての、外科の主治医の説明も言い訳のようです。「二重に縫った(外科の常識です)、リンパ節を郭清するのに時間がかかった(2群までしか郭清していないので、せいぜい2時間か3時間の手術です)」。幽門部の癌だったので、ビルロート2法を行うことが困難だったと思います。ステージは3B以上(ステージ4以上)と考えられる理由は、「3群は郭清しなかった」、「郭清したリンパ節はすべて癌細胞が見つかった」ということから、当然2群以上のリンパ節にも転移が考えられ、肝臓や肺への転移の可能性も考えられることと、「癌が胃壁を突き破っていた」ということですので、「腹水を病理検査したが癌細胞は発見されなかった」ということですが、お腹の中に癌細胞が散らばっている(腹膜播種)可能性が高いことです。内科の医師は手術についてはほとんど無知というのは、今回入院された市民病院の内科も日本の内科医全般についても言えることだと思います。本来、幽門狭窄症や腸閉塞は原因がなんであろうと、外科的な疾患です。

残された時間は、医学的な常識から言えば、1年位と思われます。抗癌剤の副作用は、そんなに長くは続かないと思います。大丈夫だと思います。牛乳は消化が悪いものの代表だと思います。「サメの軟骨」など癌に効くと言われる健康食品については、気休めと思ってください。ただ本人がそれが良いと信じて飲むのであれば、「病は気から」というように、ある程度の効果はあるかも知れません。とりあえず以上お答えしました。またいつでもメイルをください。

(相談)1999.7.2
ごぶさたしています。昨年、先生に胃の幽門部狭窄で意識障害をおこし、手術が遅れた件でメールさせていただいた者です。また、お聞きしたいことがありましてメールさせていただきます。昨年11月末に、父は抗がん剤の副作用で下痢の症状がでたため、投与を中止したあと退院し、療養生活を送っていました。手術前より10kg痩せましたが、その後だんだん食事の量も増え、一時は普通の人と同じくらいの量を食べるようになり4kg程体重が増えました。定期的に病院で検査を受けていましたが、血液検査も問題はありませんでした。ところが、4月頃からお腹のメスをいれた箇所の上部に硬いしこりのようなものができはじめました。そのとき主治医の先生は筋肉がねじれてくっついたものではないかといわれていました。しばらく様子をみるということでしたが、5月初めにそのしこりを私が触ったときも、かなり硬く親指の頭大の大きさになっていました。このころから父の食事の量も徐々に減ってきています。6月中旬にCTをとりましたが、影がでているそうです。主治医は癌が転移しているとはっきり判断できないらしく、ほかの先生とも相談してみるということでした。昨日、父が病院にいって説明を受けた内容によると、やはり転移しているとのことで、入院して手術せずに抗がん剤の投与を行うとのことでした。現在しこりの大きさは3×4センチぐらいの大きさにまでなっていて、かなり隆起しています。ただ、血液検査は問題ないそうです。以上が退院してからの経過ですが、私が不思議に感じているのは次の点です。
1) しこりはかなり硬く、癌はそんなに硬いものなのか?最初に主治医の先生がいわれたように筋肉がねじれて硬くなったものではないか?
2) もししこりが癌だとすれば、3×4センチぐらいの大きさのしこりなら腫瘍マーカーの値が上がってくるように思われるのに、血液検査では問題ないというのはどうしてか?
3) 以上の疑問点から、抗がん剤を投与する前に組織の一部を採取し、病理検査するという方法はないのか?もしその方法があれば、病理検査をして陽性と結果がでてから抗がん剤を投与するのが順序ではないか?
4) 抗がん剤を投与するとしても、そんなに大きくなった癌に効果が期待できるのか?
以上、ご多忙のところ申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

(答え)1999.7.3
お答えします。手術から1年半たちますね。予想以上に経過は良かったようです。
1) しこりはかなり硬く、癌はそんなに硬いものなのか?
癌は硬いものが多いようです。「癌」という字を見ても硬そうです。
2) もししこりが癌だとすれば、3×4センチぐらいの大きさのしこりなら腫瘍マーカーの値が上がってくるように思われるのに、血液検査では問題ないというのはどうしてか?
腫瘍マーカーは必ず上がるというものでもありません。
3) 以上の疑問点から、抗がん剤を投与する前に組織の一部を採取し、病理検査するという方法はないのか?もしその方法があれば、病理検査をして陽性と結果がでてから抗がん剤を投与するのが順序ではないか?
その通りですが、検査しなくても局所の状況から(臨床的に)癌の転移以外には考えられないと思います。
4) 抗がん剤を投与するとしても、そんなに大きくなった癌に効果が期待できるのか?
おそらく効果はあまり期待できないと思いますが、病院でできる治療としては手術か放射線療法か化学療法(抗癌剤治療)しかありません。手術はできないのでしょうか?ではまたいつでもメイルをください。

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