[私のホームページや活動についての記事]

[「思いやりの医療」育て] 中国新聞「記者手帳」 報道部 藤井智康 2006年9月27日
[自分を大切に!いのちを大切に!] 地域情報・備後版「びんごプラザ」山陽新聞 2006年3月11日
[がん患者の心支える] 生きがい療法登山毎月、メール相談や医師紹介も 中国新聞 2005年5月29日
[続き、その1] 中国新聞「くらし」欄 2005年5月30日
[続き、その2] [心に残る言葉から] 中国新聞「団塊SQUARE」2005年7月31日
[社会へのひとつの入り口としての医療] ジャミックジャーナル「コミュニケーション特集」 2004年7月1日
[結成のきっかけ皇后さまの声「セカンド・オピニオンを」] 東京新聞 2003年1月19日
[「目標は『在宅ホスピス』の普及」末期ガン患者は孤独にしないで] ビジネス情報 2001年10月20日
[患者と家族の"心のよりどころ"になるある医師のホームページ] がん治療最前線 第1巻第1号 2001年3月1日
[連携網による「総合病院」機能]
 全国保険医新聞<新>シリーズ「医療連携」 1999年10月25日第2125号

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[「思いやりの医療」育て]
中国新聞「記者手帳」 報道部 藤井智康 2006年9月27日

一九九八年に公開された映画「パッチ・アダムス」をご存じだろうか。笑いが患者の不安を除き、苦痛を和らげる点に着目。ピエロを思わす口ひげや服装、ユーモアたっぷりの語り口で、患者との新たなかかわり方を切り開いた米国人医師パッチ・アダムスさん(61)の半生を描いた作品だ。そのパッチさんを来年八月、広島に呼ぶ計画が着々と進んでいる。

二十三日には、医師や看護師、がん患者らが講演会実行委員会を設立した。「患者の側に立った医療の充実につなげよう」と奔走するスタッフを取材している。実行委員長になった福山市の外科医、数野博さん(58)も、映画を通してパッチさんの姿に感銘を受けた。自身を「ドクター(はげ)ちゃびん」と呼び、権威的な印象を与える白衣をやめた。患者とはおやじギャグを連発し、友達として接すこんな雰囲気なら、ささいな体の変化も遠慮せずに話せ、病気の早期発見につながるはずだ。

医療現場は今、慢性的な人手不足にあえぎ、効率的な治療が優先されている。心のケアまで手が回らず、医師と患者との間に「不信感」が生まれる場合も少なくない。本来は「患者の安心感」が最優先なはず。だからこそ、パッチさんや数野さんのような医師が必要になっているのだと思う。

十一月には、パッチさんの活動を紹介するプレイベントが広島市内である。この輪に集う人たちが「思いやりの医療」をどう浸透させていくのか大いに注目している。

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[自分を大切に!いのちを大切に!]
地域情報・備後版「びんごプラザ」山陽新聞 2006年3月11日

数野博(かずの・ひろし)1947年、さぬき市生まれ。
岡山大学医学部卒。岡山大学医学部第2外科、香川医科大医学部第1外科などに勤務。県保険医協会理事。

この世に生を受け、命を授かった私たちは、いつか必ず死を迎えねばなりません。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)のたとえのように、この世の無常の定めに従わねばなりませんが、私たちはある日突然、がんの宣告を受けたり、愛する子供や配偶者を失ったり、財産をなくしたりというような現実に直面して初めて、うろたえながら生きることの意味を考え始めるのではないでしょうか。

私たちの会は十三年前にがん患者と家族・ボランティアの集まり「あすなろ会」として発足し、定期的な学習会や講演会を重ねてきました。五年目に会の名前を「びんご・生と死を考える会」として再出発し、より広い視野から誰もが生と死について共に学び、生きがいを求めて共に歩む市民の集いどなりました。

全国五十カ所で活動している「生と死を考える会全国協議会」にも加盟して、会長で上智大学教授(現在は名誉会長で名誉教授)アルフォンス・デーケン先生に「人生の危機への挑戦」という講演をして頂きました。また、五年前の一月二十二日に岡山の病院で私がみとらせて頂いたパントマイムの名手マルセ太郎さんが、がんと闘病中に一人芝居で黒澤明監督の映画「生きる」を熱演し、会員に感動を与えてくれました。くしくも今年のマルセさんの命日に再びデーケン先生に来て頂き、講演会「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」を開催しました。

二〇〇〇年からは遠藤順子さん(敬遠藤周作氏夫人)の依頼を受けて、「心あたたかな医療110番」という医療福祉の相談窓口を開設し、福山市民病院のホスピス(緩和ケア病棟)開設に備えてホスピスボランティア養成講座も始めました。講座を終えた人は現在傾聴ボランティアとして老人施設での活動を続けています。〇三年には十周年記念として、作家の柳田邦男さんに「最後まで生きる、人生の課題『生と死』」という講演をして頂きました。

生と死を考える会は、命を尊重する社会、年寄りが尊重される社会、人間らしく生きることができる社会、人間らしく死ぬことができる社会、死別体験者を支える社会、つまり、より温かい日本の社会を築くということを会の使命として、支え合い、分かち合い、共に歩みながら活動を続けます。会合や講演会には、どなたでも自由に参加できますので、みなさんと一緒に、生と死を見つめ、いかに生きるかということを考える機会にして頂きたいと思います。(ぴんご・生と死を考える会会長・ちょう外科医院院長)

びんご・生と死を考える会(福山市西町2の8の15福山YMCA内)の問い合わせは、090-6842ー7519。
ホームページは、http://www.socialwork-jpcom/bingo-seitoshi-TOP.html

3月の定例講演会は、26日午後2時、イコール福山(福山口ッツ地下2階)で。横浜離生病院ホスピス病棟医師の小澤竹俊さんが「ホスピスから届いたいのちの授業」と題して話す。参加費500円。会員無料。

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[がん患者の心支える]
生きがい療法登山毎月、メール相談や医師紹介も
福山市の外科医師 数野博さん(57)
中国新聞「団塊SQUARE」2005年5月29日

[続き] 中国新聞「くらし」欄 2005年5月30日

福山市の外科医師、数野博さん(57)は少々、型破りの開業医だ。がん患者や家族との山登リ、8年前から手掛ける電子メールでの医療相談など、診察以外の時間も、患者の心を見守っている。目指すは、患者が納得できる「いいかげんの(ほどよい)医師」だという。(藤井智康)

[クリック]生きがい療法 倉敷市の伊丹仁朗医師が提唱する心身医学的療法。目標を持つ、前向きな生き方を通し、闘病の意欲を引き出す。2000年夏、日米両国のがん患者やボランティア約430人が富士山に登頂。「さわやか山の会」は、数野さんたち当時の参加者を中心に結成した。

日曜の朝、津山市北東部の爪ガ城(1115メートル)の登山口に、福山、倉敷、岡山各市から28人が集まった。数野さんが会長を務める「さわやか山の会」の山登り。一歩ずつ前進すれば登頂できる喜びを生きる糧にしようと、中国地方の山を毎月登リ歩く。この日は、がんの「生きがい療法」に敵リ組んでいる患者五人も参加した。

一行に交じる看護師が、患者の顔色や体調にさリげなく気を配る。がんが転移し、治療中の主婦山西みとりさん(65)=倉敷市=は「落ち込んだ顔で登っていたら、がんを再発した人が『私は(がんと)二十年付き合ってるけど、元気よ』と励ましてくれて。勇気が出ました」。タオルで汗をぬぐい、数野さんが言う。「登山中、患者から『医者は病気は診るけど、患者の気持ちには興味を示してくれない』といった愚痴を聞くこともある。心理的ケアに、私たち医療者がもっと頑張らないと」

研究優先に疑問

1947(昭和22)年生まれの団塊世代。呉市で育ち、66年に岡山大医学部に進んだ。学生運動には無関心を決め込んだものの、研究優先の医局には、やはり違和感を覚えた。がん患者に告知しない医療、不要な検査や投薬の数々、出身大学の壁…。大学病院の心臓外科に所属するうち、その思いは高まった。「自分は研究者ではなく、患者に寄り添う医者になろう」。91年に勤務医を辞め、開業した。

登り道の半ば、三度目の乳がんと闘う主婦池本愛子さん(62)=倉敷市=の歩くペースが落ちた。息が切れ、顔が赤い。「この程度でハアハアいうのよ。情けないじゃろ」と嘆く池本さんに、数野さんが「おなかが出ている私も結構つらい」。笑顔に戻った池本さんは、再び歩み出した。三時間半後、全員が頂上にたどり者いた。太陽を浴びた新緑の中国山地が、眼下に広がる。「私の命はまだまだ大丈夫、と自信を取り戻す瞬間」。池本さんが深呼吸を繰り返す。一行は弁当を使いながら、道中で見た山野草や野鳥の話で盛リ上がった。下山の足は軽やか。結局、尾根の縦走も含め6キロの行程を5時間かけ、全員が踏破した。

早朝回診が日課

山登りの翌日午前4時すぎ、数野さんはもう、診察室にいた。約2時間、パソコンに向かい、電子メールで医療相談の返事を書いた。通信の約8割が、首都圏からだ。午前6時半、今度は約1キロ離れた提携病院の入院病棟へ向かった。数野さんの医院にはベッドがない。入院先を紹介した患者を毎朝訪ね、「早朝回診」をしている。開業以来の日課だ。

専門的な手術や治療が必要な患者のために、腕利きの医師を紹介し、指名できるようにしている。「私自身が患者なら、この先生に診てもらう、という人ばかり」とほほ笑む。「建物のない総合病院」と名付けた医師リストは、医院のホームページ上でも公開している。7月には、「山の会」で長野・奥穂高岳(3190メートル)登頂に初挑戦する。参加者35人のうち約10人は、がん患者。もちろん、数野さんも一緒だ。「登山も治療も、目の前の一つ一つが大切。きっと、人生も同じだろうと思う」

[続き、その1]
中国新聞「くらし」欄 2005年5月30日

29日付「Dのぺ一ジ」で紹介した福山市の外科医師、数野博さん。医師らしからぬ、と言っては失礼かもしれませんが、駄じゃれを連発したり、自らの頭を指さし「ドクターちゃびん」と名乗ったり。私の戸惑いを見透かしたのか、「笑いを取るのも周りへの思いやりと、心掛けているんですよ」。診察室でも、笑いはほっとできる雰囲気づくりに役立つそうです。(智)

[続き、その2]
心に残る言葉から
中国新聞「団塊SQUARE」2005年7月31日

戻るべき道見えてくる/競争心強いのは習性/働き過ぎへ恐怖心
手拍子やめてくれる?/遊びもまじめに/知的なものにひかれる

前を向き、歩み続ける団塊の世代を追いかけてきた「Dのページ」も今年四月の創設から、はや四カ月。取材ノートを繰ってみると、紙面に載せきれなかった珠玉の言葉が残っていました。今週は、落ち穂拾いの語録集をお届けします。

「私らの世代は、古里が嫌で都会に出ていったわけじゃない。『こんな田舎におっても食えん』と親世代に送り出され、中央志向、カネ至上主義の価値観に巻き込まれていった気がする。子ども時代の暮らしや風景を思い出せば、きっと戻るベキ道が見えてくる」=脱サラし、中国山地で炭焼き生活を送る鍵本和雄さん(五五)

「とにかく一番になりたい、負けてたまるか1と、競争心が強いのは団塊の習性かねえ。参観授業の時なんか、答えが分からなくても手を挙げて。右手を挙げたら、左手で周りの子が挙げた手を無理やり下ろしてね、フフ」=人気復活の「うたごえ喫茶」を引っ張るアルト歌手、大坪美紀江さん(五七)

「勤務医のころは、『できません』と言えず、常に120%の力を振り絞って働いていた。親しい先輩医師の過労死で、働き過ぎへの恐怖を感じるようになリ競争の束縛が解けたように思う。開業後は、いつも自然体」=がん患者との登山などを続ける外科医、数野博さん(五七)

「エコー(残響)やめて。風呂場みたいだから」「手拍子合わないから、やめてくれる?」=ユーモアにくるみ、自分の好みや考えをはっきり伝えたフォーク歌手高田渡さん。今年四月、五六歳で亡くなった

「いい意味のええ加減さは必要じゃけど、遊ぴもまじめにやるんが大事。おじさん、おばさんが一生懸命おもろいことやっとれば、自然に引っかかって興味を持ってくれる若い人が出てくるんよ」=広島市の素人ちんどん「廣島ちんどん倶楽部」創設メンバー、大学職員土屋時子さん(五七)

「学ぶのは好きだが、活動はしないのが団塊の世代。言うことは言うけれど、動かない。地域づくりに引き込もうと思うんなら、知的なものに首を突っ込みたがる性分をくすぐって、イベントやフォーラムで『釣る』仕掛けが必要ですね」=松江市などのまちづくりにかかわる桃山学院大(大阪府)の上野谷加代子教授(五六)

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[社会へのひとつの入り口としての医療]
ジャミックジャーナル「コミュニケーション特集」 2004年7月1日

患者医師関係を支えるコミュケーションをもっとよくしてい<ために

「患者中心の医療」が声高に叫ばれるようになって久しい。頭で考える理念は、患者の望むものと医療者の情熱とがかけ離れたものではないだろう。それでは、心で感じる思いは、どうなっているのだろうか。医療者がよかれと思うことがそのまま、ほんとうに患者によいこととして受け取られているのだろうか。7人の話をもとに、考えてみたい。 構成と文・仁科典子 キーワード……コミュニケーション、インフォームドコンセント

「あたりまえに伝えるということ」 東京SP研究会 代表  佐伯 晴子 氏
「格差を埋める第三者の専門家」 日本医療コーディネーター協会 会長  嵯峨崎 泰子 氏
「社会へのひとつの入り口としての医療」 ちょう外科医院 院長  数野 博 氏
「医師や医療機関の連携も大切に」 今治市医師会市民病院 院長・外科  岩城 和義 氏
「家族との連携をとりつつ家族同士をつなぐ」 神奈川県総合リハビリテーションセンター 小児科部長  栗原 まな 氏
「伝えにくさを抱える患者の気持ちに寄り添う」 特定医療法人名和会琵琶湖病院聴覚障害者外来担当  藤田 保 氏
「医療現場の会話分析から」 徳島大学総合科学部人間社会学科 助教授  樫田 美雄 氏

ちょう外科医院 院長 数野 博 氏

医師。1972年岡山大学医学部卒、同附属病院麻酔科入局、翌年第二外科入局。香川県立中央病院外科、神戸市立西市民病院外科、高知県立中央病院外科、岡山大学医学部第二外科、香川医科大学医学部第一外科を経て長外科医院に勤務。93年、ちょう外科医院を開業(現在二診制)。広島県保険医協会理事、びんご・生と死を考える会代表世話人、福山市民オンブズマン会議幹事、さわやか山の会会長。日本消化器外科学会・日本外科学会認定医、日本医師会認定産業医。

ホームページは、http://www.saturn.dti.ne.jp/~chabin/

 私は一貫して、患者さん中心の医療というものを追求しています。医療のレベルも患者意識もそう高くない地域で、さまざまな情報を提供していくことで、適切な医療を受けられるように促しています。ほんとうは、自分で自分が受ける医療を選べるようになってほしい。医療をよくするためには、患者・市民が賢くならないといけません。政治をよくするのに、国民が賢くなる必要があるのと同じことです。

 ヨーロッパの病院がキリスト教の精神に基づく「おもてなし」に由来していることと比較しても、日本の病院とりわけ旧国立病院は、「診てやる、文句があるなら来るな」という権威主義・学歴主義を背景にもつ、軍の病院としての歴史があります。ですから、医師と患者の立場というのは、強いもの・弱いものという立場でしょう。「ドクハラ」などといわれていますが、意識しないと我々も指摘されかねない、と思っています。学生時代・研修医時代を通じ、先輩方から受け継いできたやり方として染みついてしまっているのでしょう。これを変えるのはたいへん難しいことです。ですから、医学教育、もっと大きな見方をすると、日本の社会全体を変えなくてはいけません。市民が参加して市民の意見で物事を決めたり、動かしたり、ということが現状ではできていません。人手もお金もかけずに築いてきた日本の医療は、貧しいといわざるを得ないでしょう。しかも、人手を省けば質が落ちるのは必然なのに、経済的な締め付けが起こっています。

 とにかく、みなさんが、少しでも関心を持ち、知識を身につけることで、自分で選べる医療になってほしい。これは、患者さん・一般市民にも、医療者にもいえることですが、両方が意識を変えること、そして、歩み寄って同じ高さの目線でふつうに話ができる、ということが目標だと思います。インフォームドコンセントやセカンドオピニオンはそのための手段にすぎません。セカンドオピニオンについては、医師はあたりまえのことのようにいっていますが、実現していない場合が多いですし、患者さん側から切り出すには絶大な勇気が要るのです。

また、特に病院に対して要望を訴え続けているのが、患者支援室の設置です。岡山大学にも開設されましたが、欧米の病院には必ず置かれています。いろいろな資料やインターネットが閲覧・使用でき、さまざまな情報を収集するのにボランティアスタッフの協力や指導を頼ることもできます。場合によっては、苦情を伝える窓口の役割も担います。患者支援室の存在で、患者さんは自分の病気について命懸けで知識をつけてきますから、医師もおちおちしてはいられません。ただし、このシステムになんの経営的なメリットも設けられていないのが現状です。

代表世話人を務めている「びんご・生と死を考える会」は、ここの来院患者さんの会が母体になっています。また、インターネットを利用した医療相談にも応じています。浮き彫りになるのは、いかに主治医に聞けないか、ということです。実際のところ、当初「こんなこと主治医に聞けばいいのに」と腹が立っていたくらいです。この2つの活動の延長に、「心あたたかな医療110番」も行っています。故・遠藤周作さんの始められた全国的な運動を、夫人の順子さんが続けていらしたので、窓口を引き受けたのです。

 もちろん、自院でできることばかりではないので、医療機関を紹介する際には、患者さんが選択できるようにしています。たとえば、遠くはいや、という場合には福山市内の医療機関を紹介します。どういう経歴をもつどのような医師なのか、ということも知った上での市内のネットワークも、10年かかってだいたいできてきたと感じています。あるいは、倉敷・岡山方面、広島、大阪、福岡、東京、といった選択肢もあります。遠くても東京のほうが早く治ることもあるので、遠方に紹介することもあるのです。これまでに、旺盛な好奇心のおかげで全国的な人脈を築いてきたので、これを患者さんの紹介へも活用しています。

 また、施設に入れる家族・診る医師・施設職員間のコミュニケーションも、十分とはいえません。施設で永年診ているような患者さんのご家族にも、実はお会いしたことがない、ということもあります。話してみればなんてことないのですけれど、硬直した関係になってしまいますね。

 勤務医の方々には、自分がどういう役割を担っているのか、よく理解してほしい。患者さんを紹介されることは珍しくもないことでしょうけれども、開業してみると、患者さんを紹介することは命懸けです。具合が悪くなれば全責任を負う覚悟なのです。だから、医師同士のコミュニケーションは密にしてほしいと考えています。たとえば、ご紹介した患者さんが不幸にして亡くなった場合にも、私はお通夜か告別式で患者さんとお別れするようにしていて、たいていはご家族が知らせてくださいます。ところが、亡くなってから1週間以上経過して、担当医からの文書が届くこともあります。このようなコミュニケーションでは、円滑な連携体制は築けないでしょう。

 もちろん、勤務医時代には、勉強・学会活動・専門医としての研鑽といった、そのときにしかできないことがあります。ただ、一番強く望みたいのは、患者さんに対してひとりの人間として向き合う感覚を持つことです。その人の生きてきた背景・歴史・人生から、治療の選択ができることが、必要なのです。(談)

総括1 「インフォームドコンセント」ということば

国立国語研究所「外来語」委員会では、平成15年4月25日にまとめた「第1回『外来語』言い換え提案ー分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫ー」の中で、「インフォームドコンセント」を取り上げている。ここで、このことばのわかりにくさは、"最も分かりにくい外来語・公的な場面で用いることは避ける方が望ましいと考えられる語"に分類されている。日本語として言い換えられたことばは、「納得診療」「説明と同意」である。意味説明としては、患者のための医術という立場をとり、「十分な説明を受けた上での同意」としている。医療を中心に、現代社会における重要概念として普及定着が望まれ、言い換えや説明付与などの必要性は高いものの、「インフォームドコンセントはいまだに『告知』『説明』というように誤用されがちです」(数野氏)、「説明はしても納得が返ってこなければ、インフォームドコンセントとはいえせん。同意をください』は命令ですよね」(岩城氏)という指摘もあった。この場合、嵯峨崎氏は「インフォームドアセント」といっている。

「インフォームドコンセントの主語は患者であり、納得するのも患者です。インフォームドコンセントを『取る」という医療者の態度は本来あり得ないものです。患者と医師の双方が大人として歩み寄ることが必要でしょう。患者と医師の関係は、もういつまでも対立したり、だましたり・だまされたり、という間柄ではないはずです。医療者がどんなに親身になっても、身代わりにはなれません。医療の結果を引き受けるのは、患者さん本人です。患者が考え、決めるのは当然であり、インフォームドコンセントが欠かせません。informed consent は本来"being informed and consent"、つまり、"(患者が)説明されて同意すること"です。医療者が主語となって『取る」のではなく、説明を受けて合意する患者が主語なのです」(佐伯氏)

総括2 基盤になるのは「ふつう」の人間関係

「『先生とはふつうに話ができるんです』といわれますが、それだけ、ほかの医療機関ではふつうに話せないのだなあ、と感じています」(数野氏)

こうして、ふつうに話せる医師に、それまでため込んだ医療への不満を、患者は打ち明けていく。「患者は、ふつう・あたりまえの感覚で大事にされ、とちょっと話を聴いてほしいのです」(佐伯氏)

そして、「長くつき合っている患者さんたちとは、信頼関係がありますので、お互いに軽口や冗談もいえます。初めて会う患者さんたちとは、どちらかの第一印象が今ひとつでもだんだんよくなる場合も多いのですが、その場合はよい関係になるのに時間がかかります。最初の印象がよければ、即座にいい関係になるのです。そういう意味では、救急の現場も恋愛と似ていますよね」(岩城氏)

こう考えると、難しいなりに、関係の構築はたのしくなってくるのではないか。その先にあるのは、協力関係である。「全責任を負う、と気負うのではなく、身内に対するのと同じような優しさと目線を持ってほしい。「医師」「患者」と考えるから、「書類」「同意書」が連想されてしまいますが、もっと身内のように考えてみてはいかがでしょうか。努力すべき、というよりは、つらい人が来たときにどんな雰囲気がいいか、という発想だと思います。患者と医療者とは、パートナーなのですから」(嵯峨崎氏)

総括3 場面に応じてやりとりはかわる

「私は、聞こえなくなるまで、障害や障害者についてほとんど考えたことがありませんでした。多くの医師もそうではないかと思います。神経科で、髄膜炎の患者さんを受け持ち、一命を取り留めたけれど聴力を失う結果になったことがありました。『命は救えたのだから、聞こえないのは仕方がない」とむしろ、誇らしい気持ちでした。そこで患者医師関係は終わります。ところが、その後、私自身が聞こえなくなり、そのことの重大性を、身をもって知りました。医師自身は治療がうまくいく、病状が少しでもよくなればいい、しかし、患者さんはその後の人生を引き受けていきます。結果的に、患者さんには、聞こえなくなってからの人生のほうが長いことがあるのです」(藤田氏)

患者にとってはあたりまえのことかもしれない。医師が、患者のことをあらかじめすべて理解できると思うことが、幻想なのである。「場面には、いろいろなものが埋め込まれていて、それを初めから予期してふるまうことはできない、そこから派生して、絶対的な指針はない、ということになります。指針には指針の価値もあるし、指針に応じてふるまう価値もあります。ただ、場面には場面のいろいろな特徴があってそれを大切にしなくてはいけない、適切なふるまい方は相手があってのことだ、ということです。相手とどう組み合わせて自分のふるまいを組織するか、ということだけが、適切なふるまい方を可能にするのであって、自分が自分の頭の中で、患者のイメージを勝手に決めて、自分の信念に最も則った形でふるまったとしても、適切だといえるかどうかは疑問になってくるのです」(樫田氏)

それでは、どう対応したらいいというのか。

「気持ちは、表情から読めることがあるのでくみ取ることができます。考えていることは、見えてこないので、『聴か』なければわかりません。ただ、どちらも状況に応じてかわってきます。コミュニケーションは落とし穴だらけで、相手次第ということを理解することです。一口に『QOL』といっても、その内実は人によって価値観とともに異なってきます」(佐伯氏)

「いろいろな方法で、困っていないか、と気を使えることも必要になります。なるべく相手の立場に立つ。その時点で、治療的な効果につながります。つまり、受付から治療をはじめられるのです」(藤田氏)

人間関係にマニュアルはない。だから、押せば患者の気持ちを引き出せるというスイッチなどどこにもないのだ。相手あってのことだし、相手のことは慮ることはできても、主観的に「(すべて)わかった」などと判断できないからである。取材でも「聞こえないことがどういうことかわからなかった」(藤田氏)、「患児の家族本人でないと真意はわからない」(栗原氏)、「患者さん自身は亡くなったので、ほんとうによかったのかはわからない」(岩城氏)、と「わからない」という発言が多く聞かれた。その「わからないには突き放すことばではなく、わからないからこそ寄り添って、「わかりたい」というあたたかい思いに満ちている。「良好な関係は、『いい加減』ではないでしょうか。湯加減と同じく、放っておけば冷めてしまう。いっもいい(よい)加減であるように、これからもいろいろ感じながら診療していかなければと思い直しています」(岩城氏)

模範解答はない。しかしながら、よりよいコミュニケーションを探り続ける医療者・患者双方の姿に、きっと何かがあるのだろう。

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[結成のきっかけ皇后さまの声「セカンド・オピニオンを」]
東京新聞 2003年1月19日

天皇陛下の前立腺がんの手術で、がん治療では日本のトップレベルにある東大病院と国立がんセンターが異例の合同チームを組んだのは、皇后さまが、診断や治療方法について複数の医師から考えを聴く「セカンド.オピニオン」を求められたことがきっかけだったことが、関係者の話で分かった。

セカンド・オピニオンは、米国では「患者の権利」として確立しているが、日本での認知度は低い。インターネットでがん患者からのさまざまな相談に答える活動を続けている広島県の医師数野博さんは「セカンド・オピニオンの本当の意味は、患者自身が治療方針を決めることにある。そのためには正しい知識が必要だが、日本では情報も少ないし、医者の理解も足りない」と指摘する。

別の医師から話を聴けば、担当医から「自分を信頼していないしと思われると心配する患者が多く、言い出しにくいことも普及を妨げている一因だが、国立がんセンター自身がホームページで「ある病院で治療を受けている場合でも、他の専門病院での見解を聴くことは患者さんの当然の権利であると考えられております」と説明している。

術後の会見で、金沢一郎・皇室医務主管は「(合同チームでの手術は)望んでもなかなかできることではない。心を合わせてやってもらったのは、きわめて大きな意義がある」とたたえた。日本でも、セカンド・オピニオンの考えがさらに広がるかもしれない。

ドクターちゃびんの解説:東京新聞の記者から電話取材を受けたのですが、記者の質問は「インフォームド・コンセントについて」ということでした。記事の中の私のコメントの主語は「セカンド・オピニオン」ではなくて実は「インフォームド・コンセント」なのです。インフォームド・コンセントもまだまだ正しく理解されていません。

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[「目標は『在宅ホスピス』の普及」末期ガン患者は孤独にしないで]

びんご・生と死を考える金代表世話人 ちょう外科医院院長
数野博さん(54)
福山市野上町3-4-30 TEL0849-23-2643

「テレビ新広島」ジョイント企画『備後新世紀 この人に聞く』「ビジネス情報」2001年10月20日
このコーナーは、28日(日)朝7時15分から30分まで、TSSテレビ新広島「備後新世紀-この人に聞く-」の番組で放映されます。

末期ガン患者とその家族を支えるために、約200人の会員とともに、講話を聞く会やボランティア養成などの活動している。今年で9年目。最終目標は、住み慣れた自分の家で家族と共に最後の時を過こすことができる「在宅ホスピス」の普及だという。

ーどうか落ち着いて聞いて下さい。検査の結果ガン細胞が見つかりましたー

医師からそう告げられた時から、本人と家族の長く苦しい戦いが始まり、やがて終わりの時が近付いてくる。「ガンが末期になると、医者は肉体的な苦痛を取ることしかしない、と言うかできないんですね。それが問題です。病院のベッドの上で、仕事はどうなる?残していく妻は、こどもは?死後の世界は?と、心の痛みと不安に耐えながら、患者は孤独の中で死を迎える。決して一人にしないことが大切なのですが…。約95%の人が、病院のベッドで亡くなっていくのが実情です」

心の痛みのケアが大切

「手術前後には、主治医も看護婦もこまめに声をかけます。治すという目的がありますから」だが、積極的な治療の手だてがなくなったら、せいぜい痛みを取ることしかできなくなってしまう。それにつれて、声を掛ける機会も少なくなっていく。人手不足という事情もあるが、精神的苦痛を和らげるための知識もない。近年、一部の大学や看護学校でコミュニケーション学を採り入れ始めたが、ほとんどの学校では教えることはない。年に一度、厚生労働省が主催する講座が開かれるが、犠牲的精神を求めることが主体で、実効にはほど遠いと話す。なぜ医療機関が積極的に推進しないのか、と問うと「一言で言えば診療報酬にならないから」と明快に答える。つまり、患者側のニーズはあっても、病院側には必要ないということだ、とも。キリスト教文化の国では、「チャプレン」と呼ばれる心理ケアの有資格者が二四時間待機しており、要請があると即座に駆けつけるシステムができている。そしてベッドの脇で、患者が得心するまで話相手を務め、心おだやかになるまで付きそう。このチャプレンは50床に一人の1割合で置くことが義務付けられている。もちろん医師も可能な限り声を掛けることを忘れない。そこには「患者が主体」の意識が確立されている。

患者側も意識改革を

日本では、医者=プロ=強者で、患者=素人=弱者の構図ができてしまっている。「病気になったら医者任せという”お任せ医療”ではいけません」料理屋でお任せコースを選ぶのとは事情が違う。自分の体、生命を委ねるのだから、自己責任を持つこと。患者側にも意識改革が必要だ。「インフォームドコンセント」を、医者からの説明と患者の同意だとするのは間違いだ。患者は医師に説明を求め、その治療方針に同意するのか、拒否するのか、それとも他の方法を選ぶのかを決めるべきだ。主語は患者にすべきだ。ただ、これを実行すると一〜二時間かかる。強者弱者の問題以前に、物理的にできないという側面もあると嘆きながらも「私の病院では可能な限り行っています。次の患者さんも納得して待って下さっています」

基本は「病は気から」

「国内でホスピスというと、ケアの行き届いた施設のことだと思われています。それも死ぬための。本当は、患者が人生最後の時を、その人らしく過ごすためのサポートシステムのことです」患者に明るくなるような話をする。「やってみようか」と思わせるテーマを提示する。前向きな意志を持ちだすと病状が軽くなる。「病は気からと言うでしょう。人の体は正直です。現在ではガンは治る方が多いのですよ」愛知県では主婦の呼びかけで市民が加わり、ホスピスを作ろうと立ち上がった。備後でも必ず気運が盛り上がるはずだ。「それを信じて、地道に活動を続けます」

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[患者と家族の"心のよりどころ"になるある医師のホームページ]
よりよい治療とケアを受けるための情報誌
がん治療最前線 第1巻第1号40〜41ページ、ヒューマンライン1 2001年3月1日 

今ほど、医師と患者の関係を真剣に見直さざるを得ない状況が頻発しているときはないだろう。特にがん患者とその家族にとって医師は唯一の心のよりどころであるべきなのに、それに十分に応え切れている医師が果たして何人いるだろうか。これは福山市という地方都市でこうした患者や家族の相談のためのホームページを開設する一医師の地道な活動のレポートである。取材・文●知覚俊郎 撮影●安海暄ニ

患者や家族が求めているのは確かな人間関係

がんという病気を間にはさんで向かい合う医師と患者。患者は自分の病気の状態を客観的に知り、適切な対応法を専門家から教えてもらいたいと思っている。仮に最悪の状態でも、自分の生活や家族にとって最善の方法で治療に臨みたい。しかし、医師にとって目の前の患者は、ワン・オブ・ゼム。がん治療に携わる大病院の医師の多くは短い診療時間の間に丁寧な診察や治療は無理だと諦めているようで、良い患者とはわがままを言わずに医師の意に沿う患者であると考えがちだ。

たとえば、患者中心の医療のひとつとして取り上げられるインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)。がん治療では、さまざまな治療法やその予後、化学療法や放射線治療の可能性、副作用などが説明されるべきだが、実態は医師が選択した治療法への誘導であることが多い。患者の生活や価値観に合った最善の治療法を患者自らが選択できるように事細かく質問に答え、必要な情報を提供する医師は少ない。そもそも、大病院の医師は患者の日々の生活や家族のことなどを知らないし、知ろうともしないのだ。信頼関係の希薄な状態には、ひとつの医療事故が簡単にトゲトゲしい訴訟に発展する素地があると言わざるをえない。そこが問題である。患者中心の医療と言っても、まだまだ見直しを行い、工夫しなければならないことがいっぱいだ。しかし、医療技術が進歩する一方で、患者に対する心のケアを含めた治療が十分に行われてこなかった事態に当の医師たちも気づき、反省し始めている。

主治医に相談できない相談メイルが続々

「再発や転移によって他に治療法がなくなり、医師から『ホスピスに行きますか』と言われた場合、希薄な人間関係の中では、患者さんは見放されたように感じるのではないでしょうか」。こう話すのは、『Oasis』という自身のホームページを開設する医師の数野博氏。広島県福山市で医院を開業する数野氏のもとへ、関東を中心に遠隔地から毎日、多くの医療相談の電子メールが送られてくるという。

「医療の現場で十分な満足を得られなかったり、時には心に傷を負ってしまった多くの患者さんや家族の方がたくさんいます。私がホームページをつくった当初、『なぜこんなことを見ず知らずの地方の医師に相談するのか、主治医に相談すればいいのに』と思いましたが、それができないからインターネットで相談を依頼する人が多いことがわかり、私としては患者さんや家族の方を元気づけるメールを送るようにしています」数野氏は、心臓外科医。長年、大学病院に勤務したあと、1993年からちょう外科医院院長を務める。ホームページを開設したのは1997年のこと。ドクターちゃびんという数野氏の愛称も合わせ、知名度の高いホームページのひとつだ。肝臓がん告知後もボードビリアンとして活躍中のマルセ太郎氏は、数野氏がサポートするがん患者のひとりであり、彼の活動についても多くのページを割いている。

思いの託された電子メールが月に約150通も

『Oasis』は情報量が多い。電子メールでさまざまな医療相談を受け付け、一医師の立場から応える「癌と医療なんでも相談室」を中心に、数野氏が関心を抱き、大勢に知って欲しいと考えたさまざまな新聞や雑誌の記事、講演会が掲載されている。「大学病院勤務の問に蓄積した人的ネットワークや医療情報を多くの患者さんに役立ててもらいたいというのがきっかけでした。インターネットの威力はものすごく、毎月、約150通の電子メールが届きます。朝の4時に起きて、診察にとりかかる前に『こころの時代』というラジオ番組を聞きながら電子メールの整理をしているんです」と数野氏。即日替えること、希望的な答を出すこと、相談者本人が選べる方法を示すことの3点に心がけているという。送られてくる電子メールは、がん治療で冷ややかな対応しかされなかったため医師や病院に極度の不信感を抱き、次の対応を相談するメール、末期がんの家族を抱えた人からの切迫したメールなど。一人ひとりの思いと悔しさが文面に彦む。背後には、現代日本の医療の貧しさや未熟さが透けて見えるのだ。

道案内役としてのアドバイス

もちろん、心臓外科医の数野氏ができることには限界がある。直接、面と向かい合わない患者への診療は医療法で禁じられているので、行うことはない。がんについての専門家でもない。「私はむしろ主治医の代わりに患者さんや家族の方の思いや不満、不安を聞いてあげ、どのような対処をしたらいいか、セカンドオピニオンを求めたほうがいいか、転院したほうがいいかなど、医師や病院選びのコツを含めたアドバイスを道案内役として行っているのです」と数野氏は言う。『Oasis』の貴重なことは、相談のやりっ放し、答えっ放しではなく、テーマごとに絞り込んで相談を整理し、紹介していること。「心無い医療」「基本的な闘病法」「医師と病院の選び方」「患者の権利」という具合。アクセスした人間は、テーマに沿って医療情報を読むことができるので、医療の現場で苦しんでいる人々がたくさんいることをすぐに知ることになる。

「知り合いの婦長によれば、患者さんへの対応は『他人以上、身内以下』がいいのだそうです。身内のつもりで対応するのは限界があるとしても、医師ならば患者さんに熱意で接することはできるはずです」と話す数野氏。いま、93歳と89歳の両親を近くの病院へ入院させている家族のひとりでもある。それだけに、数野氏は現在の日本の医療に厳しい目を向け、同時に、地域の開業医として患者と一緒に病気を治そうと考える医師や、患者の思いを叶えてあげようとする医師のネットワークづくりに力を注ぐ。患者が適切な医療サービスを受けられるように医療連携に積極的に取り組み、また「びんご・生と死を考える会」では世話人としてホスピスボランティアの養成などの幅広い活動を行う。「いま、お粗末な医師が多すぎます。これからは、医師も市民も賢くなり、互いが医療に参加することが大切だと思います」と数野氏は語る。

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<新>シリーズ「医療連携」
全国保険医新聞 第2125号 1999年10月25日

保団連は、開業医が地域で患者・住民の医療要求にこたえていくために、「医療連携の一層の強化」が必要であるとして、方針の討議と実践を全国の協会に呼びかけている。このコーナーでは、各地の医療連携の典型的な例を随時、紹介していく。

広島県福山市・ちょう外科医院
[連携網による「総合病院」機能]
保団連地域医療対策部員 数野博(広島県保険医協会理事)

プロフィール
「好奇心旺盛に何でもやってみよう」がモットー

数野博医師は1947年生まれ。1995年より、ちょう外科医院院長として、地域性民の主治医的役割を担っている。ちょう外科は、院長を含め二人の医師と看護婦・事務スタッフ五人、一日の患者さんは約百人。診療科目は外科、内科のほか胃腸科、循環器科、麻酔科まで8科目を掲げているが、数野医師は「何でも相談に乗り、情報を提供することと、専門家へ紹介することがこの診療所の仕事」と自認する。数野医師は、朝は四時には起床しパソコンの前に座る。インターネットのホームページに5〜6通のメール相談が入っているので、これに答える。パソコンを通じたネットワークづくりである。このホームページには、医師・医療機関別、疾患別に医療のネットワーク「ドクターちゃびんが紹介・相談する医師」が紹介されており、例えば疾患別では七十数人が挙げられている。日常の診療に加え昼休みには、自身が紹介した医療機関に出掛け、患者さんの回診に回る。また毎週、国立病院外科のカンファレンスに参加している。さらに、患者会から地域に幅を広げた「びんご・生と死を考える会」を主宰し、学習会、談話会、コンサート、演劇、寄席、親睦旅行、会報の先行等々、多彩な活動にかかわる。「江戸時代のマルチ人間、平賀源内にならって、好奇心旺盛に何でもやってみよう、というのが私のモットーです」という数野医師から、広島県福山市で医療連携を積極的に進める「ちょう外科」と、ご自身の実践を紹介してもらった。(編集部)

市内の病院事情

私が診療活動をしている広島県福山市は、人口約三十八万人(約十四万世帯)で、今年の四月に中核市となりました。岡山大学医学部のある岡山市と、川崎医科大学のある倉敷市に近く、広島大学医学部のある広島市との中間に位置し、人口八十万の備後地域の中心的存在です。しかし、すべての機能を供えた総合病院は存在せず、救命救急センターも存在しません。中核となる公的病院としては、国立福山病院(四百十床)、福山市市民病院(三百床)、公立学校共済組合中国中央病院(二百四十一床)、日本鋼管福山病院(二百床)があります。これら四病院はすべて、岡山大学から医師が派遣されています。福山市医師会の会員数は五百十七人(A会員二百三十二人、B会員二百八十五人)で、出身校は岡山大学と広島人学がその約三分の一ずつを占め、その他の大学が約三分の一という状況です。前記四病院は、市内のどこからでも自動車で約ニ十分もあれば着ける距離にあります。しかし、地域としての救急医療のシステムはなく、前記四病院が一応、二次救急を輪番制で受け持っていますが、救急医療のほとんどを民間の救急病院に依存しています。民間の救急病院は、脳外科病院(百三十床)、循環器病院(九十三床)、整形外科病院(現在二年間の保険診療停止処分中・百九十六床)、四つの一般病院(各々二百床、百八十八床、百十床、百十床)となっていて、主要な疾患については競合する医療機関もなく、選択肢は限られています。

医師会が地域連携をリード

私の所属している福山市医師会は、医師会総合健診センターを運営して、検査センターの機能を維持している数少ない医師会です。その要因は、地域社会での医療・福祉の担い手としての会員の意識の高さと、医師会が市場原理で民間の検査センターに及ぼす価格抑制効果によるところが大きいと思われます。さらに、早くから医師会主導で在宅医療とかかりつけ医の普及に取り組んで成果をあげています。その一環として、医療連携のための参考資料『診々・病診・病々連携のための医療機関ガイド』や、写真人りの医師会員名簿などを作製しています。また最近は、パソコン通信を利用したイントラネットの構築も試みています。詳しくは福山市医師会のホームページ(http://www.fukuyama.hiroshima.med.or.jp)をご覧下さい。

必須だった連携

当院は、JR福山駅から1.4キロメートルの距離の旧市街にあります。周囲二百五十メートル以内には、一般病院二、内科四、眼科二、小児科一、歯科三の医療機関があります。開院以来四十年以上の歴史がありますが、私の代になってからは七年目です。先代は、周囲に全く医療機関のなかったころに有床診療所を開設し、産科から整形外科まであらゆる疾患を治療し、自己完結型の医療をしてきました。現在は無床診療所ですので、入院はもちろん紹介しなければいけません。それに私には、長年大学病院に勤務して心臓血管外科という狭い範囲の診療経験しかなく、プライマリーケアから専門医療まで、いろいろな医師の力を借りなければいけないという切実な事情がありましたので、最初から連携機能を重視せざるを得ませんでした。当初、近隣の医療機関とは、眼科の診療所の一つと相互に紹介し合う程度でした。

「総合病院」機能を持つ連携網

私は連携機能を三段階に考えました。まず、プライマリーケアの範囲だが専門的な経験を必要とするもの、次に専門的医療を必要とするもの、さらに高度に専門的な医療を必要とするものと分類して、それぞれ複数の医師と医療機関を自分で確かめて、納得できたものだけリストアップしました。さらに疾患別に、もちろん前記の連携する医師も合めて、気軽に相談に応じてくれる専門家を決めました。詳しくは私のホームページ(http://www.mars.dti.ne.jp/~kyr00055)に「建物のない総合病院」として紹介しています。日常の診療で入院を必要とする場合には、特殊な症例を除いて当院から一キロメートルの距離にある外科内科病院(四十六床)にお願いしています。大学の医局の先輩で、いつでも受け入れてくれますし、毎日私が患者を診にいきますので、患者も安心して入院してくれます。疾患によっては、国立福山病院(当院から一キロメートル弱)へお願いしています。もちろん、患者・家族の希塑によって決めます。紹介して入院した患者については、主治医と頻繁に連絡をとり、必ず入院先へ診にいくようにしています。

めざしたい地域密着型のグループ診療

このように現状では、個人の開業医を中心にした連携システムですが、今後はグループ診療を目指すべきだと思います。その中でも地域に密着したグループ診療が理想と思いますが、その場合、医療機関同士の競合関係が問題となります。プライマリーケア医やホームドクターとしての「かかりつけ医」は、医療機関の位置する地域の住民を中心とした診療態勢のため、近隣の医療機関とはどうしても競合の関係になります。そのような状況の下では、連携する機会は、在宅医療や特定の疾患の治療などに限られるのが現状だろうと思います。地域密着型のグループ診療の実現ために、同じ地域で医療を行う医師同士が、出身大学や得意分野、理念、それにキャラクターなどの違いという垣根を越えて、まず一歩を踏み出せるように、国内の先進的な事例や諸外国の医療システムなどを学び、より良い地域医療の連携態勢に向けて前進したいものです。

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