「原点を求めて」
仏教と医療を考える全国連絡協議会会報「いのち」
1990年6月1日 第8号
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いつの時代からか医は算術と言われ、また大学病院は「患者をモルモットにする」と言われてきた。これらはまさに日本の医療の実態を端的に表しており、「よらしむべし、しらしむべからず」という伝統的な信頼関係からなりたっている日本の医療において、人間性や患者側の権利の無視、医療者側の利潤追求や強い立場を利用しての無謀な臨床実験などを批判的に表現した言葉である。

臨床医学においては、新しい試みや未熟者の教育・訓練は実際に患者さんを用いて行わざるをえない場合が多い。当然そこで行われる実験や修練には試行錯誤や失敗の危険を伴うものであり厳しいルールに基いて行われなければならない。しかし、それを率先して実行し啓蒙すべき日本の医学研究機関、持に大学病院がその努力を忘っているとすれば、それが行われないことによる恩恵?に浴していると考えられても仕方がない。

たとえばインフォームド・コンセントが公正に行われ、へルシンキ宜言が守られたならば、現在日本の大学病院で行われている臨床研究のほとんどが不可能になりはしないかとさえ思われる。その顕著な例が最近、週刊誌にとりあげられた某医大での人工心臓手術であり、例の心臓移植手術であり、毎日行われている最先端といわれる医療なのである。

もはや多くのなにも知らない人々を犠牲としての医学の進歩は許されない。それを自ら監視するのが倫理委員会のはずであるが、やっと全国の大学に設置された倫理委員会は臓器移植のためのアリバイ委員会であったり、ただ単なる付き合い委員会であったりするのが現状のようで、その閉鎖的委員構成と非公開制をみても医の倫理を守るというような機能は期待できない。

インフォームド・コンセントや癌の告知、臓器移植などが行われておらず、へルシンキ宜言すら知らない医学研究者が多いという事実は、日本の医学教育、医療制度、さらには家庭教育、学校教育、社会制度や宗教、政治などの結果であり、それが日本の文化なのである。そして、もし日本が諸外国と異る文化を持っていたとしてもそれが必ずしも悪であるとは言えない。

医療上の問題に限らず、身近なところでは病院や職場、学校、幼稚園に至るまで公然と行われている付け届け、マスコミを賑わすワイロや談合、社会の必要悪とも言われて横行するゆすり・たかりなどまさに百鬼夜行の感がある。しかし、いずれも日本の社会構造における潤滑油の如く考えられており、特に指摘されないかぎりお互いに罪の意識などはないようである。

これもまた日本の文化であろうか。もし、これらすべてを悪として正そうとしてもただ単に制度を変えるだけでは不可能であろう。日本は明治維新や敗戦、高度成長期などを契機に、伝統的文化や心を放棄または否定することによって経済大国と言われるまでになってきたが、なにか砂上の楼閣というような気がしてならない。

幼児期からの家庭教育、学校教育、社会教育において生命の尊厳、自然や物を大切にする心、思いやり・奉仕の心、感謝の心、自律心、長幼の序や礼儀作法、善・悪のけじめなど、人生や社会について考えたり実行したりする習慣を養い、正義が正義として行われるような社会を目指したいものである。それにはまず日本人の心に宗教心を取り戻すことが第一であろうと思われる。

高松市にある景勝地五色台は古くから修業僧が住んでいた山であるが、ここでもう10年以上も前から、いわゆる反社会的・非社会的行動の青少年をあずかって、自然の中で宗教と労働と勉学の生活を共に送ってきた僧侶夫妻がいる。強い信念と実行力と多くの理解者の協力にささえられて、その活動は次第に社会的にも認められるようになり、昨年度の正力松太郎賞の受賞となった。どうしても必要であるが誰もできなかったこと。それを報四思者精舎住職野田大燈氏(喝破道場長)は、黙々とやってきたのである。国にも認められて平成4年には情緒障害児短期治療施設も開設される。

野田氏は、日頃から青少年の健全な育成のために幅ひろい活動をしてきたが、昭和61年の夏からは瀬戸内海の無人島でサバイバル訓練を始めた。これはもちろん戦争ごっこなどではない。小中学生を3人ずつの班にわけ、1人1日、米1合、塩20グラム、水2リットルを与え、その他の食料は海や山で採取して、3日間のテント生活を行うものである。前もって2日間の講習を行い、訓練中は常にスタッフが参加者を見守り、夜間も2時間ごとに全員を見回る。

飽食の時代に生きる子供達に、禅寺という宗教的な環境の中での生活を体験させ、無人島で自然の惠みや自然の怖さ、生命や物の大切さ、忍耐などを教え、社会における指導者を育成するのが目的である。年ごとに反省・改善を行いつつ、装備・スタッフ・緊急体制・講習訓練の内容などの体制を整えて、また一昨年からは高松市沖に浮かぶ森繁久弥氏の島をお借りして行っている。最近は子供達をお客さん扱かいするような過保護な催しが多いなかでこのサバイバル訓練はかなり過酷とも思えるが、それだけに参加者に与える印象は強いようである。

私は初回からスタッフの一員として参加する機会を与えられ、野田氏に共感して、氏の活動のお手伝いをさせて頂いている。私も親の代から宗教には無関心というかむしろ否定的な立場であったが、現在は野田氏や仏教を通じて我々が忘れていたすばらしい日本の文化について教えられることが多い毎日である。本年2月からは情短施設開設に備えて「登校拒否を考える会」という公開学習会が毎月2回開催されており、喝破道場でのこれまでの経験を踏まえて関係者一同、学習に励んでいるところである。

神を信じるとか、仏を信じるとかでなく、人間としての最低限のモラルとしての宗教心を今日本人は取り戻さなくてはならない。人間としての原点に帰り、親としての、教師としての、医師としての原点に帰らなければならない。(香川・香川医科大学第一外科講師・喝破道場評譲員)

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