[心無い医療]

[色々な心無い医療の例]
[医大附属病院で脳腫瘍の治療を受けているが1ケ月になるので転院するように言われた]
[腸捻転で手術を受けたが床ずれができ院内感染でMRSAが検出された、転院したい]
[早期胃癌術後の症状を担当医に相談したらインターネットで調べるように言われた]

[腹痛のため救急車で運ばれて手術を受け悪性リンパ腫と言われたが転院は?]
[食道癌で手術を受けたが経過が思わしくなく医師が信用出来なくなり転院したい]

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[心無い医療症例集]
(相談メイルの中で心無い医療についての部分だけ抜粋しました)

[大学病院は地獄、辛い患者に追い討ちをかける医師や看護婦・研修医]
[ホジキン病治療中の父親に付き添っているときの看護婦の対応]
[盲腸(急性虫垂炎)手術の時の体験と夜間の救急病院での対応]

[大学病院は地獄、辛い患者に追い討ちをかける医師や看護婦研修医・研修医]

(訴え)21歳女性 2000.11.12
今大学4年に通っています。去年5月に肛門周囲に横紋筋肉腫がみつかって、今年7月まで放射線や抗がん剤はもちろん、人工肛門をつくりたくさんの皮膚を取りました。21歳にして身体は傷だらけです。肛門もないし。でもそんなことではくじけません。だってもっと大変な人がたくさんいるって知ってるから。始めに入院したのは東大病院でした。東大と名がつけば誰もが安心するはずですが、そのイメージは間違いだったとわかりました。ここでは言い切れないほど嫌な辛い思いをたくさんしました。あそこは地獄でした。みんなわたしの病気についてほとんど知らないのです。だからわたしがなにをきいてもなんだかよくわからない答えが返ってきてわたしの不安は増すばかりでした。わたしはそれまでの医師や看護婦への意識が180度変わりました。病気になんて絶対になるものじゃない、病院になんて絶対に入っちゃいけない。生きた心地のしない毎日でした。ただでさえ病気でふつうの人より辛いのに、それに追い討ちをかけるような仕打ちをそれも看護婦さんがするのです。本当に辛かったです。

それに大学病院の研修医の制度。あれは仕方がないのでしょうけど、病人としては不安でなりません。それにわたしの患部はお尻でしたから、一週間に1回10人以上もの研修医やら他の先生やらが教授に連れられて来てみんなでわたしのお尻を見ていくのです。それはそれは恥ずかしいの惨めだのって。あんな思いをしたのは初めてです。わたしはもう仕方ありませんが、これからまたあのようなことを特に若い子する場合はもっと気を使ってほしいものです。あれはひどすぎます。

わたしの病院での愚痴を書いたらもっともっと長くなってしまいます。この辺で終わりにします。ちゃびんさんのような医師がいるのを知って、まだ望みはあるんだなと思いました。今の医療は見直すべき点がたくさんあると思います。これからも患者さんのため、これからの医療のためがんばってください。心から応援しています。

(返信)2000.11.12
メイルありがとうございました。

>今の医療は見直すべき点がたくさんあると思います。これからも患者さ
>んのため、これからの医療のためがんばってください。心から応援しています。

ありがとうございます。できるだけ続けたいと思います。あなたが東大病院で感じたのと同じことを医学生として感じ、愛と思いやりとユーモアで病気を治すという医師になった人がいます。パッチ・アダムスという人です。映画にもなりましたし、本も出ています。私の目指す医師の一人です。ではまたいつでもメイルをください。

[ホジキン病治療中の父親に付き添っているときの看護婦の対応]

(例)23歳女性 2000.3.20
1回目の抗癌剤をうったとき、異常に寒がり、41.7度の熱を出しました。幻覚をみたのか、「そこに誰かいる」とか、「今日は、仕事はもうやめてよぉ」とか・・・・。不安でどうしたらいいのかわからず、看護婦さんにとりあえず41.7度も熱があると伝えると「熱が出てもあたりまえ、解熱剤使ったんだから様子みて!」と、怒ったように言われ・・・・・。看護婦さんにとっては、日常茶飯事なのかもしれませんが、私にとっては初めてで。忙しいのはわかりますが、あれはどうかとおもいます。その後から私は、看護婦さんに何かを聞きに行ったり、氷枕をもらいに行ったりするのがとても嫌です。みんながみんな、そうじゃないと思いますが。実は、私も准看護婦の免許を持っている、23歳です。でも、免許をとってすぐに結婚し、看護婦としての臨床経験がまったくないペーパーナースなので、こんなときは全く冷静になれず、自分の無能さに泣きたくなります。父は、抗癌剤をうった翌日だったか、輸血しました。今は、いろいろな匂いが鼻につくらしく、食欲もそんなにありません。好きなものなら、少しは食べるので、“食べれるときに食べれるものを”とおもっています。あとは、熱です。以前のように高熱も出なくなったかわりに、完全に下がりきることもないようです。次の抗癌剤の点滴は、30日ころです。私は、看護婦さんのこともあってか、あまり良くわからないことがあっても先生にも聞きづらくなってしまいました。また、いろいろな情報をバラバラに取り込んでいるため、何がなんだかよくわからなくなってきています。

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[盲腸(急性虫垂炎)手術の時の体験と夜間の救急病院での対応]

(例)38歳女性 2000.3.18
今から、14年位前の若かりし頃?2週間後に友人2人と北海道1週旅行を控え、るんるん気分だった時、お腹がしくしく痛み始めました。今までも同じような痛みは何度かあったので気にしていなかったのですが、念の為近所の内科医院に行ったところ、これは盲腸だから、今切っても1週間で退院できるので、旅行を控えているのだったら、すぐに手術しなさいと言われ、自宅に一番近い民間病院の紹介状を手渡されました。病院に行く当日、両親から、旅行前に切るより、盲腸だったら散らしてもらって、落ち着いてから手術すればいいから、とにかく検査もなくいたずらに盲腸と診断するのは、どうかと思うので、じっくり検査をしもらいなさい。それに今日は仏滅だから・・・・と言われ、何故か朝ご飯を一杯食べて病院に行きました。病院では血液検査のみで、担当医師にまわされ、先生「血液検査では、そんなに炎症はひどくはないが、盲腸は手術の内に入らないから、今日切ってしまい」、○○「それだったら、手術はしたくありません」、先生「いいかぁ、盲腸はあっても仕方のないものや、簡単な手術だから、旅行行きたかったら、今すぐ帰って入院の準備してきなさい」、○○「手術するんだったら、今日はやめていただきたい。朝ご飯も一杯食べたし、それに仏滅だし」、先生「仏滅は、これ以上悪くならないと言う、良い日だから大丈夫。ご飯は関係ない。それよりも、今日執刀しますから、すぐ家に帰り入院の準備をして、午後1時にもう一度来なさい」と言う会話のもとで、仕方なく手術することになりました。

午後2時頃、手術室に入ったのですが、一向に手術は終わらず、胃を引っ張られる痛みに耐え切れず、とうとう止めてくださいと叫んでしまい、暴れてしまいました。そして手術室での最後の記憶は、「患者が暴れるし全身麻酔して」でした。いくら無知の私でも全麻は、身内の同意がいるのでは?と思った瞬間意識はなくなっていました。病室に移された私は、酸素ボンベをつけられ、40度〜41度の熱に2日間ウナサレテいたそうです。手術中何度も母は、看護婦さんに尋ねたそうですが、その度に「大丈夫です。命に別状はありません」の回答のみ。(私は、約6時間の手術に耐えたのですが、結果が虚しく、盲腸が探し出せなかったそうで、今でも大切に持っています。)その後、熱は下がったのですが、微熱がとれず、便も全くでなかったので、レントゲン撮影をしました。結果、腸閉塞を起こしていると言われました。先生は、手術すると言うのですが、何とかお願いして手術以外の治療に変えてもらいました。しかし、腸を動かすという注射が合わず、打たれるたびに嘔吐し、とてもつらいので看護婦さんにお願いするも、手術が嫌だったら我慢しなさい。と言われた。が、どうしても我慢しきれず、必死に訴えた結果、今度は真夏の暑い時なのに、熱いお釜をお腹の上に置かれ保温されました。これで腸を動かすということでした。でもまたしても結果は虚しく、傷口が化膿しただけでした。私の両親は、夜中に心配で何度も死んでいないかそっと見に来ていたそうです。もうこれで手術されるんだと思った時、子供の頃から大嫌いだった牛乳を友人の勧めで飲んだところ、見事にお腹を壊し腸が動いてくれたのも束の間、胃潰瘍が出来てしまいました。止まない激痛に耐えきれず、死のうと思ったのですが、悲しいかな全く動ける状態ではありませんでした。回診の度、今度は手術をしようではなく、胃潰瘍の手術は始めてだから、手術させて、胃の中を見てみたいでした。毎日毎日、いつ痛みが取れるのかという不安と激痛に耐えてるのに・・・。こうして40日間、食事は全くとらず、点滴のみの入院生活を送った次第です。入院して良かったことは、49キロの体重が40キロにダイエットされたことくらいでした。(私は、横行結腸がオヘソまでと短く、大腸、膀胱、子宮が三段重ねになっているそうです。)退院時の先生の説明は、10年間カルテを当病院で保管するので、痛くなったら当病院に必ず来るように。点滴で盲腸を散らしているから、10年の内に痛まなかったら、もう盲腸が炎症することはないから。でした。

その後、入院中から付き合っていた彼とめでたくゴールインし、2年が過ぎたある夜、急にお腹が痛くなりました。主人は術後まだ6年なので、今度は盲腸と違うか?と言って自宅に一番近い日赤に連れて行ってくれ、今までの経過を掻い摘んで説明したところ、突然看護婦さんに、「ここは、救急病院です。こんな我慢の出来る状態で来ないで下さい。先生も私達も忙しいんです。こんなのは、盲腸でもなんでもありません。食べ過ぎでしょう。」とすごい剣幕で叱られました。何が何だか判らない状態で呆然としていたところ、優しい当直の先生が、一応診察してくれました。しかし、診察が終わり帰る間際に、またしつこく看護婦さんに叱られました。これは、私の中では、手術編で、この後、歯医者編、風邪編等の私にとっては、はつらい経験を味わい、医師に対しての、医療機関に対しての不信感を募らせてしまいました。

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[医大附属病院で脳腫瘍の治療を受けているが1ケ月になるので転院するように言われた]

(相談)東京2000.6.7
はじめまして。突然のお便りという非礼をお許しください。わたくしの父(63歳)のことについてなのですが、去年の5月に脳腫瘍になりました。病名は悪性グリオーマで、グレード4の中でもかなり悪いということでした。手術、放射線療法、免疫療法などあらゆる手を尽くしていただきましたが、やはり直ることはなく、あとは時間の問題という状態です。最初からずっと診ていただいている病院は○○大附属○○病院ですが、ここは医師も、看護婦も本当に良くやってくださるので、感謝していました。ところが、ゴールデンウィーク明けの5月8日に○○大附属△△病院から○○病院に移ってきたとき(なぜ△△から○○に来たのかは後で説明します)かなり容態が悪く「延命措置をするかしないか早急に決めてください」との話があり、私たち家族は延命拒否をしました。しかし幸運なことに、その後容態が落ち着き、もうすぐ入院して1ヶ月が経とうとしています。

おととい、病室にいた母に病棟担当の医者がちょっと話しがあるといい、廊下で「特定機能病院なので、今のように安定した(とはいえ、いつ急に危ない状態になるかは分からないとも言ってました)状態では、厚生省の指導により、1ヶ月以上この病院には居られない。他の病院を捜してください」という話しがあったそうです。母は、特定機能病院が長くいられる場所でないとは知らなかったし、その様な説明は入院の案内にも、説明も無かったのでどうしていいか分からずに困っています。事実、術後や脳圧による痛みで入院したときは、1ヶ月以上居たのでまさかこんなことを言われるとは思いませんでした。大学病院の医者の立場上検査や手術の無い病人を長く居れておけないのは分かる気もしますし、たまたまその先生の言い方が悪かったのでしょうが、どうも納得がいきません。看病で疲れている家族に病院を捜せといういい方のみで無理に退院させるものなのでしょうか? 退院したくないのにどうしても退院しなければならないのでしょうか?

話しが前後しますが、今の父の状態となぜ△△から○○に移ってきたかを書かせていただきます。又聞きなので、かなりあいまいなのですが、脳腫瘍が頭全体に広がっているので、やがて舌が丸まって喉を塞いでしまう(?)ので、いつどうなるか分からないそうです。本人は、時々目を覚ましますがほとんどは寝ていて、絶食なのはもちろん、しゃべることもできない状態です。今は、点滴と痙攣止め、脳圧を下げる薬の投与と、タンを取ってもらったりオムツを変えてもらうだけの状態です。父は、ずっと○○大附属○○病院に入院していたのですが、4月末に担当の先生から「新しい病棟を建て、脳外科はそちらに移るのでその間だけ別の病院に移って欲しい」という説明がありました。そのときは△△に話しをつけてくださり、新しくオープンしたときには戻ってきてもいいというので納得して移ったのですが、(お金の問題ではないとはいえ)民間救急車で移動しなければならない患者に対して簡単に出ていってくれというのはいかがなものなのでしょうか?長々と乱文を書いて申し訳ありません。病院の都合で移させられたりすることに対して、不満をもっている家族は大勢いると思うのですが、なにかアドバイスがありましたら教えてください。よろしくお願い致します。

(答え)2000.6.8
お答えします。大変ご心配のことと思います。

患者・家族と、医師・病院との力関係を示す典型的な例です。日本の医師・病院は「治療してやっている」という意識が強く、自分達の都合を第一に考えます。結論から言えば、医師・病院のいいなりになることはありません。納得できれば、言われるようにしたら良いと思います。しかし、前記のような力関係ですので、言うことをきかない患者・家族は、冷遇されたり、迫害を受けたりしかねません。そのような場合にも言っていくところがなく、我慢するか諦めるしかありません。

私たちは「医療は患者のためにある」のであって「患者が医療(病院)のためにいる」のではないということを、市民の方にも、医療者にも気付いてほしいと思っています。「患者中心の医療」を目指して活動をしています。そのためには患者・家族が自分達の権利を主張しなければいけないのですが、患者の権利ということについて、市民の方も、医療者も、知識や認識がないと思います。先進国の病院では、患者の権利について掲示や書類で患者に示しています。内容は、患者はその病院で最高の医療を受ける権利があるということから始まって、知る権利、自分で決める権利、受けたくない医療を拒否する権利、病院をかわる権利などが、書いてあります。

医療も政治も、市民が中心・主人公であるということを、みんなで主張し、それを支える仕組みを作らなければいけません。政治では市民オンブズマンという仕組みがあるように、医療にも同じような仕組みが必要です。私たちが初めようとしている「心あたたかい医療110番」は、そのようなものを目指しています。

まず疑問や不安、不満などを病院側に伝えて、なぜかということを知るところから始めなければいけないと思います。なかなかうまく聴けなかったり、一度聴いても分からないことが多いと思いますので、その時には必ず話の内容を録音しておくことです。あからさまに言うと拒否されるかもしれませんので、最近は小型で性能の良い録音機がありますので、分からないように録音するようになるのかも知れません。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)2000.6.8
お忙しい中早速のお返事、ありがとうございます。昨日、母は退院してくださいと言った先生と看護婦長と共にもう一度話し合いをしたそうです。先生の言い方は「入退院の案内書に(厚生省の指導により手術や検査のない患者は1ヶ月しか居られないことは)書いてあるはずだ」という一方的なものだったので、母が「隅まで見たところ特定機能病院という言葉しか見つからず、その説明を受けていない」と言い張ったそうです。すると今度は「看護計画表に書いてるはずだ」と言うのでその場で取りにいき、見てみましたがやはり書いていなかったので、さすがにその先生も慌ててたそうです。その後もなにかいいわけをしていたそうですが、話が支離滅裂になってきたので、看護婦長もちょっとあきれて母に同情してくれたそうです。

どうもその先生は医局長になったばかりらしく、成績を上げるためにがんばっているのだろうという気はするのですが、医者である以上、不安を抱える患者や家族に対する言葉遣いには人一倍気を配っていただきたいものですね。他人に対して意見をあまり言わない母が、「先生の言葉のおかげで一睡もできなかったとはっきり言ってやった」というのをきいて少しびっくりしました。これでその先生の考えが少しでも変わってくれればと思います。

大学病院は良くないという噂をよく聞きますが、他の先生や看護婦さんは本当にいい方ばかりです。たった1人の先生のために悪い印象を持ってしまいかねないところでしたが、医者の一人ひとりが「患者中心の医療」というきちんとした考えを持っていればその様な噂はなくなるのだと思います。今回は文章上のことだったので、その場で見て確かに書いていないという確認が出来ましたが、言葉上でも「そういう意味で言ったんじゃない」などの発言もあったそうなので、アドバイスにもあった通りテープレコーダーなどで話の内容を録音しておくのは本当に大切だと思います。母も、私も大変勉強になりました。医者に言われるがままという患者や家族はまだまだ多いと思いますが、恐れずに、こちらからもきちんと意見を言った方がいいということを、皆に伝えたいと思います。どうもありがとうございました。

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[腸捻転で手術を受けたが床ずれができ院内感染でMRSAが検出された、転院したい]

(相談)東京都2000.3.27
数野 博先生、はじめまして、ホームページを拝見いたしました。78歳になる、知人のお母様のことでご相談します。今まで全く健康で病気知らずだったのですが、今年1月に救急車で運ばれ、神奈川県の個人病院で腸捻転の手術をしました。手術後一週間で、頭部・背中・腰にたくさんの床ずれができてしまい、食欲もなくなり、高カロリーの点滴を受けるようになりました。その後、原因不明の高熱が続き、病院より「点滴の針からMRSAが検出され、院内感染したようだ」という説明がありました。現在も集中治療室に入ったまま、7度から9度の高熱を繰り返しており、本人は「もう死にたい」と言い出すほどつらい状況のようです。それで質問なのですが、
1. 現在、「MRSAに効く薬を、点滴と床ずれに使っている」そうなのですが、それ以外に治療法などはないのでしょうか。 MRSAによる敗血症は治るのでしょうか?
2. あまり評判のよくない病院であることが後から分かったし、病院側ももてあましているので、できれば転院させたいのですが、ひきとってくれる病院はあるのでしょうか? MRSAの患者を入院させるのはどこの病院もいやがると聞きました。
3. 素人目にも病院の環境のせいで、治る体が逆に悪くなってしまったと思うのですが、こういったこと(床ずれ、院内感染)はよくあることなのでしょうか。 治療費など病院が負担すべきではないのですか?以上、ご本人もご家族も、知識もなく、相談する場も分からず困っております。お忙しいところ大変恐縮ですが、アドバイスを頂ければと思います。よろしくお願いいたします。○○ 東京都町田市

(答え)2000.3.28
お答えします。このようなお粗末な病院でも手術が出来るということ自体が問題です。市民の力で良い医療を受けられるようにしなければいけません。

1.MRSAは弱い菌で、体力のある人には害にならないような菌ですが、体力が弱った人に感染すると病原性を発揮します。治療方法としては、専用の抗生物質での治療と体力の回復ということになります。治る可能性はあります。医師や看護婦が保菌者となっていて、患者に感染させることが多いようです。一応、院内感染対策をするようになっていますが、病院によっては軒並み院内感染というような病院もあります。

2.その通りです。なんとかして良い病院を探して、転院する以外に無いようです。

3.よくあってはいけないことですが、予防の意識の低い病院ではよくあることです。元々、腸捻転を治してもらうために入院したわけですから、病院側が作った病気に対しては治療費を払う必要は無いわけですが、そのような常識が医療の世界では通用しないようです。それでも病院が儲かるようになっているのが現状です。被害者が声をあげて、そのような病院に皆が行かないようにしなければいけません。

参考にしていただきたいことを紹介しておきます。まず本です。
富家恵海子著「院内感染」「院内感染ふたたび」(河出書房新社)

それから相談先です。
ささえあい医療人権センターCOML:私のホームページからリンクしています。

ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)2000.3.28
数野先生、腸捻転で入院後、院内感染した知人のお母様のことでご相談しました○○です。お忙しい中、早々にお返事を頂き、本当にありがとうございました。さっそく、アドバイスの内容と、紹介していただいたホームページのコピーを家族の方にファックスしました。家族の方もどうしたら良いか、途方にくれているといった様子だったのですが、これをきっかけに、転院に向けて具体的な話を進めていけると思います。また、状況に変化がありましたら、ご報告させていただきます。取り急ぎお礼まで。

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[早期胃癌術後の症状を担当医に相談したらインターネットで調べるように言われた]

(相談)2000.2.15
57歳の父についてご相談させていただきます。1998年の11月に進行の早い早期胃癌であると診断され、胃の3分の2を切除する手術を受けました。その後、抗がん剤などの治療は必要ないと診断され、社会復帰をし順調に回復していました。ところがここ1ヶ月ほど、下痢と便秘を繰り返し、また食事を始めた途端に肺のあたりが苦しい、気持ちが悪いと訴え、横にならなければならない状態が続いています。手術を受けた病院で検診を受けたところ、医師(執刀医ではなく、外来担当医)の、「インターネットで調べたり、相談してみてください」という一言で終わってしまいました。そこで先生に質問があります。

1.このような医師の態度に疑問がある場合、他の病院で検査を受けるべきでしょうか?今後、どのように対処したらいいのでしょうか。

2.先生は、父のこの症状をどのような事が原因で起こっているとお考えになりますか。

お忙しい中、このような相談の場を設けてくださる事に、心から感謝しています。どうぞ、よろしくご返答をお願いいたします。

(答え)2000.2.16
お答えします。大変御心配のことと思います。無責任な医師の対応に情けなく思います。そのような病院で手術が行われること自体、日本の医療の異常さを表わしています。

1.そのように思います。

2.消化管に問題が起きていることが考えられます。手術の影響なのか、新たな問題なのかはわかりませんが、とりあえず治療や検査が必要だと思います。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)2000.2.16
数野先生、お忙しい中、早速のお返事をありがとうございました。父に他の病院で検査を受けるよう、すすめます。私は4月から学士編入学生として医学部に進学し、将来は精神科医を目指しています。常に患者さんの側の視点にたって医療に携わる医師になるという目標が、数野先生のHPを読み、感銘を受けるなかで、より明確になりました。本当にありがとうございました。

(返事)2000.2.17
メイルありがとうございました。「パッチ・アダムス」という映画を見られたと思いますが、医師として大変参考になる映画です。また「心の指紋」という映画も見てください。どちらもビデオになっています。少しでも「心暖かな病院・医療」がふえるように、癒しの環境を改善するために活動を続けます。愛とユーモアと思いやりの医療を目指してください。ではまたいつでもメイルをください。

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[腹痛のため救急車で運ばれて手術を受け悪性リンパ腫と言われたが転院は?]

(相談)2000.1.31
はじめまして。昨年末、弟が悪性リンパ腫と診断されました。そこで、いろいろホームページを見ているうちにこのページを発見しました。ご相談したくメール致しました。昨年12月中旬に、弟は救急で入院しました。腹痛を起こし、救急車で運ばれてすぐに3時間にわたる手術をしました。肛門に近い小腸の部分に穴があき、その部分を切除しました。10日後に検査結果により悪性リンパ腫と判明しました。傷口がふさがったら転院するということを聞かされております。しかし、まだお腹の方には膿が出ているようで、動かせません。病院の方は、こちらで紹介しますし、希望もあったら言って下さいといわれています。もう1ヶ月以上になります。確かに傷口がふさがらないと化学療法をとれないこともわかります。しかし、私達家族は今、弟がどのような状態にあるのか、何処の病院に転院させるのが最善なのかを考えるに辺り、悩みます。お医者さんにも何処まで聞いていいのか、疑ったりしたらいけないのではないかとも考えます。また救急患者なので、転院させることは難しいのかなど。。。。このまま、もう暫くは傷口がふさがる状態を待つしかないのでしょうか?漠然とした質問で申し訳ございません。宜しくお願いいたします。

(答え)2000.2.1
お答えします。大変ご心配のことと思います。まず担当医と話しをしなければ何もできないと思います。現在の状況と今後の見通しを良く聞いて、本人の希望や家族の考えを伝えることです。コミニュケーションがなければ信頼関係はできません。傷口がふさがらない原因が病気そのものによることも考えられます。誰でも、どのような状態でも転院は可能です。本人と家族が決めることです。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)2000.2.1
おはようございます。お返事ありがとうございます。まず、担当医と話しをして病気をもっと理解し、これからの事を本人と家族で考えていけるように頑張ります。またメール送ります。宜しくお願いします。

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[食道癌で手術を受けたが経過が思わしくなく医師が信用出来なくなり転院したい]

(相談)2000.1.24
>>質問内容
医師と治療方針がことなり、また諸事情から医師が信用できなくなってしまった場合転院は可能なのでしょうか。また医師との人間関係、及びカルテの保全をしつつ転院する方法があれば教えてください。とくに、私の父のような患者を受け入れてくれ、かつ、インフォームドコンセントや告知の考え方が進んでいる病院はないものでしょうか。お心あたりがあれば教えてください。

>>症状および経過
−発見から手術−
私の今年65歳になる父のことについてお尋ねします。1999年8月下旬に「食道下部に癌があり、また胸部のリンパ節が腫れている」ことがわかりました。食道下部の癌は、進行性の癌だと言われました。またリンパ節の腫れはほぼ癌であろうとの診断でした。手術前、父の症状は第4期ということでしたので、医師に今後どうなるのかと聞くと「放置すれば6ヶ月くらいしかもたないだろう。」との返事でした。
1999年8月30日に手術を行いました。手術前の説明では、食道下部と胃の一部を摘出し、リンパ節は手術後放射線治療と抗がん剤治療を行うとのことでした。手術の結果、食道下部及び胃を全摘出し、また胃の下部のリンパ節にも癌が見つかったとのことでこの部分も摘出したということでした。手術後、父は呼吸困難(喘息発作のような症状)を訴え、自ら看護婦と医師に提案して酸素吸入を始めました。呼吸がしにくくなった理由は、胸部のリンパ節の腫れが気管を圧迫(気管に浸潤)して気道が狭くなっているためであるという説明でした。確かにMRI上、気道の内側にこぶのようなものが出て来ており、わずかな隙間しかなくなっているのが家族にもわかりました。
9月中旬から放射線治療及び抗がん剤の投与を開始しました。放射線治療の方針を決定するのは手術や抗がん剤の方針を立てた主治医とは別の医師でした。この結果、手術の結果も良好、放射線の結果も癌が縮小し、呼吸も正常に戻ったということで、11月10日一時的に父は退院しました。この時、父の声のかすれが家族の気になるところになりました。当初は胸部のリンパ節が腫れて気道を圧迫していることが原因と説明されていましたが、胸部のリンパ節の癌が小さくなって、気道が正常に近い状態になっても声のかすれが改善しないことを主治医に訴えましたが、はっきりした回答はありませんでした。
>癌保険申請のために医師が記入した診断書では「食道下部の高分化型偏平上皮癌、縦隔のリンパ節が腫れ。治療は食道下部及び胃の全摘出手術、抗癌剤の使用(5FU、ubfe、CDO(D?)Pと縦隔には放射線治療(61.2グレー)」と記載されていました。これは医師からの説明と大きく違いませんでした。また告知の方針につていは、医師と母、姉、私で話し合いをし、手術後に告知をしようという結論を得ました。しかし、手術後もあまり主治医は告知に前向きではなく、父には「切除した食道に癌細胞が見つかった」としか説明せず、抗がん剤の治療についても父に告げないまま現在に到っています。
退院後も相変わらず父の声がかすれていることを母が心配して、主治医に声がかすれる原因を質問したところ「前も説明したように、胸部リンパ節の腫れが声帯を圧迫していた結果、癌が縮小したいまでも声がかすれる。」と言った説明でした。以前とは異なる説明に家族は不審に思い、繰り返しその点について母が質問すると、「前から声はかすれていたじゃないですか。」という返事でした。

−再入院−
退院後の父は胸部の痛みを訴え、かつ食事ができない状態になりました。父は医師から「痛みは我慢しないと直りませんよ。」と言われたと言うことで、痛みを我慢していました。しかし1999年12月5日に父は痛みに耐え兼ねて再入院しました。この時鎖骨付近に親指大の癌があって、これが声のかすれの原因と言われました。さらに切除した食道付近にも癌が発見され、鎖骨付近のしこり、食道ともに放射線治療が開始されました。この時点で姉が父の前で「再発ですか。」と質問すると、放射線の計画を立てている医師に「患者の前でそんなことを言うものではない。」とたしなめられました。また、放射線の計画を立てる医師には「痛みは早く報告しなくてはいけない。」と言われました。入院すると、点滴で栄養が十分とれるせいか、父はずいぶん元気になったように見えました。
しかし、この時点で、主治医と放射線治療をしている医師とのコミュニケーションが悪い、主治医の患者、及び患者の家族にたいする説明内容が二転三転する。といった不満が母、姉、私の不満となりました。2度目の放射線治療が完了したら、転院も考えようかと父も含め相談していた頃、父は次第に食事が入らないと訴えはじめ、唾液も飲み込めない状態になりました。主治医より「食道上部付近に癌があり、これが大きくなって食道と気管に小さな穴があいている(漏孔と聞こえました)。」と報告を受けさらにその部分の放射線治療が開始され、鼻から小腸に直接栄養剤を流し込む方法で栄養補給を始めました。ただし、声帯付近のリンパ節および食道付近の癌は縮小したとのことでした。この説明があったのは2000年1月15日で、抗がん剤の治療について姉が質問したところ主治医は「点滴に入れている」と説明したそうです。さらに、主治医は「お父さんは2000年6月までもたないでしょう。まえにも3ヶ月くらいしかもたないと説明しましたよね。」と姉と母に言ったそうです。

そして、2000年1月19日朝6時ころ看護婦の医療ミスで父は高熱を発し、震えがとまらない状態になってしまいました。小腸に入れるはずの栄養剤の点滴と中枢静脈に入れる点滴を看護婦が取り違えてしまったとの医師からの説明でした。栄養剤を100ccほどいれた段階で、父が異変を訴え、取り違えに気付いたとのことでした。この結果、父は敗血症のおそれ、肺静脈栓塞のおそれがあるとして、ミラクリット、FOI、γクロブリン、ステロイドなどの投与を受けています。このような処置は、ミスに気付いた後病院から東京医大に問い合わせを行い、その指示を仰いで実施したとのことでした。また、父の症状が安定するまで放射線の治療は中止するとのことでした。そこで私が「抗がん剤の治療のほうはどうなりますか。」と質問すると、主治医は「抗がん剤の治療は一切おこなっていません。抗がん剤の治療を最初の入院のとき以降行っているとは一度も言っていません。抗ガン剤は決められた一定量を使用したらそれ以上はやりません。」と断言しました。
父が入院してから、私たちは、抗ガン剤に関する一般向けの本や、癌患者を持つ家族のために書かれた本なども読んでおり、副作用の問題を除けば、抗ガン剤を一定量以上使ってはいけないという医師の説明にも疑問を持っています。しかも、2度目の入院の途中で、一度は抗ガン剤治療を放射線治療と平行して行っているかのような説明をしていながら、その後2度目の入院中には抗ガン剤を一切使用していないというのは、単なる勘違いなのか、何か隠していることがあるのかと、家族は疑心暗鬼にならざるを得ません。
早期の治療を期して、最初に癌を発見して治療方針を立てた病院で手術を受けることにしたのですが、その選択にも現在では後悔にちかい気持ちを持っています。今からでもより信頼できて万全な治療が期待できるなら、転院を考えたいと言う気持ちでおりますが、受け入れ先の問題や、父の負担も気になります。

(答え)2000.1.25
お答えします。大変御心配のことと思います。

>>>質問内容
>医師と治療方針がことなり、また諸事情から医師が信用できなくなってしまった場合
>転院は可能なのでしょうか。また医師との人間関係、及びカルテの保全をしつつ転院
>する方法があれば教えてください。とくに、私の父のような患者を受け入れてくれ、
>かつ、インフォームドコンセントや告知の考え方が進んでいる病院はないものでしょ
>うか。お心あたりがあれば教えてください。

適切な医療が行われておらず、医療ミスまで起こしたような病院からは転院すべきですが、大変困難な問題です。まず、確実に転院先を確保しておかなければいけないと思います。日本では医療内容について患者さんや家族の方々にはわからないことだらけです。同じ病気でも医師や病院によって全く異なることをしたりということは日常茶飯事です。ですから手術を受ける場合などは、よくよく医師と病院を選ばなければいけませんが、父上の場合のような経緯をとることがほとんどだと思います。つまり最初にかかった医師によって運命が決まってしまうということです。がんセンターがすべて良いとは言えませんが、やはり高度に専門化された病院ですので、ほぼ満足の行く医療が受けられると思います。なによりも正しいインフォームド・コンセントや癌患者にたいするケアなども受けられますし、病院によっては緩和ケアも受けられます。

担当医に転院の話しをすれば、必ずその医師やその病院の同じ系列(同じ系統の大学の関係の医師や病院)へまわされると思います。そこには医師同志のかばいあいの構図があります。今までの医療は正しく、やむを得なかったということになります。家族の人が転院先を探して、確約を得たうえで、担当医に話して、どのような状況であろうともとにかく転院する必要があると思います。その際、担当医は紹介状を書く義務があります。父上の場合には、どうしても担当の医師や病院とは敵対関係になると思いますので、医療問題に詳しい弁護士に依頼してカルテなどの保全をする手筈も整えておかなければいけません。またどうしてもマスコミにも取り上げられると思いますので、そのつもりでいなければいけません。大変勇気がいることですが、医師や病院、日本の医療を良くするためには必要なことだと思います。名古屋に医療ミス(事故?)情報センターがありますので、そちらに相談する方法もあると思います。ではまたいつでもメイルをください。

追伸:本を紹介しますので是非読んでみてください。寛仁親王、国立がんセンター主治医団著(主婦の友社、1500円)「癌を語る」

追伸です。「医療事故情報センター」でした。ホームページがありますので見てください。大変参考になると思います。

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