[告知について]

[進行癌告知のロールプレイをすることになったが実際の会話がわからない医学生]
[肺癌で手術を受け、家族にはあと1年と言われたが本人への告知はすべきか?]
[切除不能の膵臓癌でバイパス手術を受けたが告知すべきか?]
[末期の食道癌で骨と肝臓に転移しているが告知すべきか?]
[告知について:告知はしました、治療もしました、後は知りません?]

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[進行癌告知のロールプレイをすることになったが実際の会話がわからない医学生]

(相談)2000.4.29
はじめまして、某医科大学の学生(5年)の工藤と言います。大学の後輩から、このホームページを教えてもらいました。突然なのですが、少し教えていただければと思いメールを書きました。僕は大学の麻酔科の授業で、癌告知のロールプレイをしないといけない事になったのですが、まずロールプレイ自体をした事がないこともありどうするものかちょっと困っています。状況設定は決まっていて、内容は、検査の結果進行癌(まだ末期ではないが)の診断がついて、そこから告知をし、どうしていくかを話していくと言うものです。メンバーは4人で医師・患者さん・その家族の人・看護婦さんという構成です。シナリオもすべて自分たちで作らなければなりません。自分自身癌で母をなくしたこともあり、ターミナルケアとか癌の告知とかに関する本(告知とか、柳田邦夫の本とか)は結構見ていたのですが、実際にこの設定の状況での告知を書いたものを見つけることができずにいます。自分達でも考えてはいてある程度の設定は見えてくるのですが実際の会話(患者さん・家族の人に対して)というものがどうしても見えてきません。大学病院の先生に聞けばいいのかもしれないのですが私の大学では進行癌の人に対する告知はあまりしていないとのことで参考になりませんでした。そこで、貴方のホームページの趣旨とは異なるかもしれませんが、実際の会話などについて何らかのアドバイスを頂けないでしょうか。このロールプレイが意味があるのかといわれるとなんともいえないのですが、やるからにはできる限りの事はしたいと思っています。お忙しいと思いますが、どうかよろしくお願いします。

(答え)2000.4.30
お答えします。「某医大」という表現は、良くないことを言うときに使います。良いことだったら、堂々と名乗るべきです。麻酔科で、癌告知のロールプレイとは、ちょっと変わっていますね。どんな目的で、するのでしょう。まず、現実には、このような理想的な状況で、告知することはほとんどありません。情報の共有という点では、理想的な設定です。そして、ここで行われようとしている医療が、患者と家族中心のチーム医療であるということが、想像できます。

どうしても医師が色々と説明していくことになりますが、その場合、二つの方法があると思います。医師が主導権をとって説明していくという方法と、患者と家族が主導権をとって、医師の説明を聴きだすという方法です。日本では、ほとんどの場合、前者です。患者と家族の側から、聴くことが出きる人はほとんどいません。聴けるとしても、せいぜい、医師が使う医学用語がわからない時ぐらいです。

患者とその家族は医師の説明を聴いても、理解できる人はまずありません。なぜかというと、医学的な知識が無い、医学用語が分からない、初めての経験で緊張している、癌=死と考える人が多いので必要以上に心配している、とにかく不安である、などの理由で、とにかく弱い立場なのです。患者としての権利などど考えられる人はいません。

心ある医師なら、このようなことを理解して、分かりやすく、紙に書いたり、用意した資料を渡したりして、患者と家族の理解度を確かめながら、話しをすすめていきます。その時、一番注意しなければいけないことは、決して希望を失うような言い方をしてはいけないということです。決して、強者の言葉の暴力になってはいけません。ほとんどの人は「癌」という言葉を聴いただけで、頭の中は真白で、何を聴いても分からないというような状態になってしまいます。しかし、曖昧な表現で、気休めを言ってはいけません。現実をちゃんと受けとめてもらわなければいけないからです。

医師が説明する場合には、医学用語や専門用語は、まず必ずそのままの言葉で書いて示し、それを分かりやすく説明します。そうしないと、ただ平易な表現で説明すると、セカンド・オピニオンを求めて違う医師に相談するとき、本当のことが分からないことがあるからです。状況が正確に伝わりません。

告知ということが問題になる背景は、日本では患者の自己決定権や知る権利など、患者の権利と、それに伴う医療提供者側の義務という知識も意識もなく、あいかわらずパターナリズムに基づいた「お任せ医療」「諦め医療」が行われているという現実です。

インフォームド・コンセントという言葉を日本では「説明の上での同意」と訳しましたが、実際には、ただ医師が説明して、患者と家族は分かろうと分かるまいと「はい」と同意するという「お任せ医療」がほとんどです。自分で決められない、お任せします、それでいいのでしょうか。その上、知りたくないという権利を持ち出せば、これは権威主義の医師にとっては、大変好都合です。

常に、本人がどこまで知りたいのか、どの程度理解しているかということを確かめる必要があります。しかし、所詮素人の患者と家族がすべてを理解することは不可能です。結局、納得するか、しないかということになると思います。告知は、患者教育の一つの方法であって、日本の医療を患者と家族が中心の医療に変えていくために必要な、重要なステップなのです。根気良く、繰り返し何回も話しをする必要があります。

患者と家族は、とにかく何も分からないと思わなければいけません。医師の話しが分からない、医師に何を聴いていいのか分からない、選択肢を示されてもどれを選択肢たらいいのか分からない。医療を登山に例えると、一応みんな頂上を目指して登るわけですが、頂上を目指さないという選択もあるし、はじめから登らないという選択もあるわけです。ある先生の言葉を紹介しておきましょう。

「良い医師は良い案内人」
治療法の選択は、山に登るときに、どの道を選ぶかというのと同じで、すべての道を知っていて、その人に適した道を教えることができる案内人と、この道しか知らないという案内人がいる。(広島大学原医研腫瘍外科教授・峠 哲哉「がん、生と死」、第8回広島がんセミナー県民公開講座「がんの発生と治療、生と死」)

少しは参考になりましたでしょうか。

(返礼)2000.4.30
こんにちは。御返事ありがとうございました。そして失礼しました。私は、○○医科大学5回生○○といいます。大学名はちょっと後輩がなんと名乗っているのかよくわかんなかったので書きませんでした。失礼しました。

数野さんが言われたことはよくわかります。私も自分の母親が癌だと知ったとき動揺するばかりだったのを覚えています。そして医師の都合で適当に余命何ヶ月といわれ治療が行われていった事も。その後の対応に不信感がつのり、民間療法のほうへ傾いていった事も。自分自身医師を目指しているものですが、今だその時の不信感はぬぐえません。

さて、今回のロールプレイの目的は実は私達もよくわかりません。なんか教授がどこかの会でロールプレイを見て感激したので、学生にやらせてみようと思っただけらしいです。が、やるからにはちゃんとやりたいので、こういう告知が理想(現実にはケースバイケースなので存在しないでしょうが)ではないかというものを考えて作っていこうと思います。

そこで数野さんがいわれたわかりやすい説明による患者と家族中心の告知を心がけてみようかと思っています。難しそうですが。ロールプレイは6/19に行います。またお聞きする事があるかもしれませんがその時はよろしくお願いします。どうもありがとうございました。「良い医師は良い案内人」、よく覚えておきます。それでは。

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[肺癌で手術を受け、家族にはあと1年と言われたが本人への告知はすべきか?]

(相談)1999.12.18
先日は、相談にのってくださりありがとうございました。大変参考にさせて頂きました。リンパ節への転移は手術前に検査でわからないのか…、骨シンチ検査は骨のきずにも反応してしまうのか…と質問をしたものです。病状は肺癌で、偏平上皮癌です。現在入院中、手術で右の中葉と下葉と右側のリンパ節、縦隔リンパ節を切除し、どの程度進行しているかは病理の結果待ちです。今度は告知についてお願いいたします。まずは今までの簡単な状況を説明いたします。

初めは主人の両親、姉が今通院している病院に人間ドックをかねて最近咳が出るとのことで受診しました。結核が流行っているのでレントゲンと一応痰の検査をしたようです。つぎにCT検査を予約し「きちんと診てもらう事にした」と言っていたような気がします。その受診の日だと思います。「結核だったらよかったね」「癌ですか」「うん」その場に私はいなかったのでどんなお話の仕方だったのかよくわかりませんが、そのような先生との会話があったようです。その後すぐに家に帰ってきて「癌だってよ」と本人から告げられました。それが11月6日ぐらいだと思います。次から次と検査予定をくまれ11月25日に胸部外科にまわされ、あれよ、あれよと言う間に12月8日に手術しました。術後6日経過した日、姉が自分の主治医に「弟の状況は本当はどうなんですか」「家族もあるし希望をもたせないで教えてください」とお願いしたところ「後一年ぐらいかな」とおっしゃったそうです。私は癌と向き合う事で今の自分を支えているような気がします。自分なりに精一杯主人を介護しようといろいろ勉強している最中です。私には辛すぎますが、高校1年、中学2年、小学2年の子供がおりますので、現実から逃げるわけにはいきません。家族として本当の事を知らなくてはと思っています。本人の性格は口は強がっていても本当はものすごく小心者の人に甘えるタイプです。このままでいくと先生が本当の事を話してしまうのではと思い先生に「本人には希望のあるお話をして下さい」とお願いしようと思っています。自分だったら期限付きの毎日は辛すぎます。希望のない毎日は地獄の毎日だろうと思います。そんな残された日々を過ごさせたくないと私は考えますが、数野先生はどのようにお考えでしょうか?残された時間がわかった時、一時はパニックに陥るが、それを過ぎると全ての事にやさしくなれ、充実した毎日を送れるとよく耳にしますが、実際、私には理解できません。もし自分だったら気が狂ってしまうかもしれないとは思いますが、告知とは全て隠さず本人に話すという事なのか そこのところ教えて下さい。宜しくお願い致します。

(答え)1999.12.19
お答えします。

>自分だったら期限付きの毎日は辛すぎます。希望のない毎日は地獄の毎日だろうと思います。そんな残された日々を過ごさせたくないと私は考えますが数野先生はどのようにお考えでしょうか?
>残された時間がわかった時、一時はパニックに陥るがそれを過ぎると全ての事にやさしくなれ、充実した毎日を送れるとよく耳にしますが実際、私には理解できません、もし自分だったら気が狂ってしまうかもしれないとは思いますが告知とは全て隠さず本人に話すという事なのか そこのところ教えて下さい。宜しくお願い致します。

告知はこうしなければいけないというような決まりはありません。最期まで希望を失わないようにしてあげるのが良いと思います。ただし本人が聴きたければ本当のことを言ってあげるほうが良いでしょう。知りたい人に隠し通すことは不可能です。少なくとも嘘は言わないことです。聴きたくないことまで言う必要はありません。ましてや「あと1年」などということは、決して言わないことです。人は病気で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのです。人の寿命は誰にもわかりません。医者に見放された癌を自分で治した人は沢山います。病院での治療は癌を治りやすくするだけです。決して病院での治療だけでは治りません。退院の日が、癌治療のスタートラインだと思ってください。治ると信じて、治すためのあらゆる努力をすることです。心の持ち方と生活習慣の改善が大切です。ではまたいつでもメイルを下さい。

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[切除不能の膵臓癌でバイパス手術を受けたが告知すべきか?]

(相談)1999.5.25
先日、母(55才)が膵臓ガンの末期と診断されました。母の病名を知らされ、その病気についての知識も、また医療に対してのかくたる考えもなく、先生のホームページを見ていても立ってもいられずメールを送ることとなりました。実家は岡山県の県北部にあり、私は現在京都で生活しています。母は昨年の年末頃より腹部のぼうまん感を感じ、食事の量もかなり少なくなっていたようですが、とりあえずかかりつけの医師に胃薬を色々ともらいすごしていたようです。4月末に地元の病院に行き検査を受け、膵臓に異常があると診断されました。その時点ですでにガンであることは分かっており父と弟(同居)にはそのことが告げられていたそうです。手術は4月17日に行われました。腫瘍が膵臓周辺部の静脈等に巻き付いており切除は難しく、また小腸に転移があったそうです。痛み軽減の為、膵臓周りの神経を切り、胃から小腸へのバイパス手術をして腹部を閉じたそうです。術後、病名とその手術内容を父より聞きました。母には以前、身内に膵臓ガンで亡くなった叔母がおり、手術前には「もしかしたら」と思っていたふしがあるようです。ですが今の所告知はしておらず、病院側には「膵臓は一部残したがほぼ摘出した」というふうに説明してもらっています。手術後の回復は順調で、以前の痛みも感じなくなり、母は命が助かったと素直に喜んでいるようです。

医師からは、2〜3週間程度で一時的には手術前程度の体力には回復するであろう。その後、抗癌治療を1クールし、その効果如何で時間は延びるかもしれないが、そうでなければあと3ヶ月程度であろう。と説明され、どちらにしても時間はあまりなく、家族でどうするかよく話し合ってくださいと言われました。家族全員ですが、特に父の精神的なショックは大きく、今の状態自体を完全に消化しきれていないようにも思われ、告知についてもそこまで考えられない様子です。母は健康な頃負けん気が強く、前向きな人だったので、さけられないのなら私は告知したほうがいいのでは、とも思うのですが実際のショックは深刻と思われ、その事が進行を早めたりすることがあるかもしれないと思うと、どうしたらいいのか迷っています。できれば自宅で過ごす時間を大切にしたいと思うのですが、上記のような状態で、今後の病状の経過について予測できる部分があれば教えていただきたいと思います。末期にはかなりの痛みを伴うと聞いていますが、できるだけ家族で一緒に過ごしたくとも最後はやはり病院のほうが、本人にとっては楽な状態なのでしょうか。また、抗癌治療をするとしたら(薬にもよると思われますが)どのような自覚症状がでるのでしょうか。(現在医師に聞いたのは、よくいわれている髪が抜けるといった薬ではないものだそうです)もし実家近辺にホスピス施設や、精神的なフォローをしてくれるような機関があるようでしたら教えていただけたらと思います。要領を得ない文面で申し訳ありませんが、御助言いただけたら幸いです。

(答え)1999.5.26
お答えします。大変ご心配のことと思います。末期癌の告知をすることは、大変難しいと思います。告知の目的、ご本人の性格や人生観、普段から死について考えたり話したりしていたか、などを考えた上で決めたほうが良いと思います。告知から立ち直るためには、ある程度の時間が必要です。場合によっては、ただ諦めることになってしまって、かえって命を縮めることもあります。もし告知する場合には、決して希望を失わないように話をして、また最期まで医師や病院のスタッフ、家族や周囲の人で支えてあげて、決して一人にはしないということと、痛みや苦痛は必ず取ってあげるという約束をしなければいけません。最期まで希望を失わないように、前向きに生きることが大切です。手術後の回復も順調で、以前の痛みも感じなくなり、ご本人は命が助かったと素直に喜んでいらっしゃるようですので、このまま治ると信じて一日一日を大切に過ごすのも良いかも知れません。

抗癌治療については、いままで、その病院で、母上と同じような状態で、抗癌剤治療を受けた人の治療の結果を聴いてみて、参考にするのが良いと思います。一般論で言えば、抗癌剤の効果は期待できず、副作用が出て、かえって命を縮め、場合によっては退院できなくなる可能性もあります。ホスピスは岡山市に二つできていますが、ホスピスでの治療の目的は、すべての痛みを取ってあげるということと、決して一人にしないという精神的なサポートをしてもらうということです。ですから、ホスピスでなくても、どの病院でもできることです。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.5.27
早速いただきましたお返事、ありがとうございました。とても嬉しく、力づけられました。一読した時「告知はしないほうがよいのでは」というお返事に少し戸惑いを覚えました。先日より、癌についての本とか先生と相談される方々とのメイルを読ませていただき、膵臓癌の末期について出来ることは少ないことを知りました。残りの時間を癌と生きるには本人の意志を尊重していくことが大切だと感じました。私にはそれが「覚悟を決めさせてあげること」だと思ったのですが‥‥。何回か読んでいると、母の様にすでにバイパス手術を行い、取りあえずの苦痛は避けられているが残りの時間は少ない場合には敢えて告知しないほうがいい、という意味なのかな、と思えてきました。抗癌治療も効果が薄く、苦痛を伴い体力を低下させるだけならばやらない方がいいのでは、とも思えてきました。明日実家に帰るので、先生に助言いただいた、今いる病院で過去の抗癌治療の症例を聞いてみます。

母は「もうすぐ水が飲める」と喜んでいるそうです。バイパス手術をするとどのくらいの時間食事ができるのでしょうか。また、膵臓周辺の神経を切除していても末期には苦痛が出てくるのでしょうか。病気を受け入れ、覚悟するにはそれなりの時間と体力が必要だと思います。調子が良くなりつつある今、母を信じ、受け入れてもらえるよう努力したいと考えるのは私の奢りでしょうか。お返事をいただきながら、今だ決心がつきません。

(返信)1999.5.28
お答えします。勘違いされたようですので、もう少し説明します。「告知はしないほうがよいのでは」ということではありません。自分の残された命、残された時間の使い方を自分で決めることができれば一番良いと思いますし、そのためには告知が必要ですが、「告知」ということが、ただ「あなたは治らない癌ですよ」と本人に告げることではないと言うことを理解して欲しかったのです。「あきらめなさい」と言うことではないのです。希望をもって、前向きに生きるために告知すべきだと思います。告知するということは、「共に苦しむ」ということです。医師も医療スタッフも家族も友人も、みんなで支えてあげなければいけません。「一人で苦しみなさい」ということにならないようにしてあげてほしいのです。「覚悟を決めさせてあげること」や「あきらめる」ためだけだったら、それは告知しないほうが良いのかも知れません。あとは、本人の性格や考え方、日頃の生き方、残された時間にしなければならないこと、残される人のためにしておいてほしいこと、などを考えて、何のために告知するのかということを良く考えたうえで告知してあげて欲しいのです。残された時間で、自分のことができる時間は3ケ月から長くて6ケ月位だと思います。

「バイパス手術をするとどのくらいの時間食事ができるのでしょうか。また、膵臓周辺の神経を切除していても末期には苦痛が出てくるのでしょうか。」
昭和天皇と同じ手術ですので参考にされると良いと思います。食事ができる期間は個人差が大きいので分かりませんが、3ケ月位でしょうか。癌が進行すれば、やはり痛みが出ます。こうしたほうがよいとか、こうしなければいけないとか言うことはできません。明日のことは分かりませんし、奇跡ということもあります。できれば、良い告知をしてあげてください。まれですが、告知されて医師があきらめた末期癌を自分で治した人もいます。以前NHK教育テレビで放送されました。興味があれば、川竹文夫さんの「ガンの患者学研究所」というホームページを見てください。ではまたいつでもメイルをください。

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[末期の食道癌で骨と肝臓に転移しているが告知すべきか?]

(相談)静岡県1999.1.10
はじめまして、静岡県在住の○○(33歳男)と申します。この度メールを差し上げたのは他でもなく、実父(64歳)が1月4日に末期の食道癌だと診断され、既に骨盤への骨転移と肝臓にも少し転移しておりました。主治医は「長くて半年、早ければ3ヶ月、手術は行わず、抗がん剤と放射線治療を行う」とおっしゃられました。正直申しますと昨年の4月に私の末娘(当時2歳半)が網膜芽細胞種と診断され、現在も県立こども病院にて治療中であり、何故また、という悔しいやら怒りやらが込み上げてまいります。ただ決して実父に関しても、どうしても悲観的に考える事が出来ず、未だ必ず治る!と思っております。現在の医学では、実父の癌はもう処置できないのでしょうか?何の検査資料もないままにこの様な事をお伺いするのは、大変失礼かと存じますが、是非見解をお聞かせ頂きたいと考えます。食道癌は食道の約20センチの内外を占め、付近の動脈をも覆ってしまっていました。(CTからの所見)担当医はこの動脈が非常に危険でいつ破れるかもしれないとおっしゃっていました。骨盤への転移もかなり進行しているらしく、本人もかなりの腰痛を訴え、現在鎮痛剤を1日3回(座薬)で投与しています。ただしこれはモルヒネでは有りません。肝臓への転移は最近らしくまだ小さい物がポツポツと見える程度でした。さらに昨日(1月8日)あたりから、両目の焦点が合わないらしく、「人が二人に見える」と言い、片目を眼帯で覆って貰いました。後日検査という事にはなりましたが、此れも癌の可能性が大きいのでしょうか?ご多忙中、長々と書き殴りまして申し訳有りませんでした。乱文にての失礼をどうかお許し下さい。どうかお返事を頂けますようお願い申し上げます。有り難うございました。

(答え)1999.1.10
お答えします。残念ながら父上は、やはり末期の食道癌です。「長くて半年、早ければ3ヶ月、手術は行わず、抗がん剤と放射線治療を行う」というのが、現代医学の常識です。治ることは奇跡に等しい可能性しかありませんが、とりあえず治療を受けないと食べ物が通過できなくなって、食べられなくなります。「人が二人に見える」のは複視と言い、脳転移の可能性があります。著しい進行癌や末期癌は、まだまだ人の力ではどうにもならない病気です。残された時間をどのように使うかということ考えなければいけません。担当医の話を良く聴いて、よく相談して、もちろん本人の意志を尊重して、今後のことを決めてください。

人は自分や愛する人が不治の病と知ったとき、いろいろな心の反応を示しますが、一般的には次のような段階を経て、それを克服します。1.否認の段階、2.怒りの段階、3.取引の段階、4.抑鬱の段階、5.受容の段階、6.期待と希望の段階。順序は人によって違いますが、家族や周囲の人はそれを理解して支えてあげることが大切です。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.1.10
今晩は、先日メールをさせて頂きました、静岡在住の○○です。まずはご多忙中にも関わらず、早速の御返答を頂きました事、心から感謝致します。有り難うございました。父が末期の食道癌である事は、検査結果から見ても隠しようのない事実だと認識しておりました。ただ、他のドクターの見解もお伺いできればと思い前回のメールにさせて頂きました。現在は骨転移による痛み以外は特に此れといって支障がなく、本人も調子が良いようです。しかし、本人には癌であるという事は伝えていますが、それが末期の物である事は未だ知りません。故に今は手術をする必要もないと担当医から話があった事で抗がん剤と放射線治療で完治すると考えているようです。問題は此れを本人に伝えるかどうか・・・先生は告知についてはどのような見解をお持ちでいらっしゃいますか?仮に・・・余命幾ばくもない人間にそれを伝える私たちの勇気、それを聞いた時の父の感情・・・残念ながら、一番近くにいる母も「それを知ったら父さんはがっくりして駄目だよ」と言い、私もそう思います。担当医は、告知したほうが治療がし易いと言っておりました。その他、末期癌患者の方はどのように、短い時間をお過ごしになられたのでしょうか、そして家族の方は・・・?もし参考にさせて頂ける資料(書籍、ホームページ等)有りましたら、お教え願えないでしょうか?早速の御返答、重ねて御礼申し上げます。有り難うございました。

(答え)1999.1.11
お答えします。(私のホームページからの引用です)
がんと共に生きる生き方には色々あります。
1)本当の病名を知らずに生きる、2)がんと知ってあるがままに生きる、3)自分のがんをよく知ってがんと闘う
生きがい療法の五つの指針が参考になります。いずれにしても生きがいをもって、一日一日を前向きに生きることが大切です。

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「告知について」

「相談の答え」 告知は本来医師の仕事であり義務です。患者さんに本当のことを伝え、本人の意志と希望を聴き、同意を得たうえで、治療の方法を選択・決定すべきです。告知は、できれば家族も同席して、おだやかな雰囲気で、希望を失わないように、話してもらいます。これは癌治療の前提となるべき、大切な医師の仕事であり、重要な技術です。そして、なにがあっても(最後まで)、主治医や家族が支えるという姿勢が必要です。残念ながら、ほとんどの医師は、今までにそのようなトレーニングも勉強もしていません。

進行癌の場合には時期が遅くなればなるほど、告知しにくくなり、やがて本人が分かった時にはすでに遅くて、何もできず、ただ死を待つだけとなります。医師も家族も、もし自分だったらどうして欲しいか、どうしたいかということを考えて、本人に接するべきですが、告知に関するアンケート調査をすると、自分だったら告知して欲しいが、家族の場合には告知しないと言う意見が多いという結果になります。

 日本人の場合、一概に告知するほうが良いと言えない理由があると思います。まず、 日本人は自分のことを自分の意志で決めるという習慣が無い人が多い、つまり自立していないということです。文化的にも日本は稲作文化の国で、いつも人と同じことを していれば良いという、いわば全体主義の国です。

 次に、家族の絆が表面的には大変強いとということです。それが本当に家族を思いやる心からかどうかはわかりません 。アンケートの結果もそれを良く表わしています。そして、もう一つ、個人としての宗教的な支え、つまり信仰を持っていない人が多いということです。人は必ずいつかは死にます。父上の病気は皆さんに生と死について色々なことを考えるチャンスを与えてくれたと思います。それは、やはり人生最大の危機だと思いますので、そのような危機に直面したときに、どのように対応するかということを考えておかなければいけません。私たちは、入学試験などに対しては、それにそなえて一所 懸命に勉強して準備をしておきますが、死という人生最大の危機に対しても、普段から準備をしておく必要があると思います。もし自分だったらどうしたい、どうして欲 しいかということを普段から話し合っておくことが大切だと思います。

[告知の一般的注意]

ガンの治療は告知から始まります。 医師や家族が真実を告げる「告知」と、自分で真実を知る「認知」とがあります。告知は医療者が修得、習熟する必要がある医療技術の一つです。具体的には、本人に伝える(できれば家族も同席する)、うそは言わない、知りたいことを解かりやすく(本人が知りたくないことは言わなくてもよい)、決して希望を失わないように(希望は治るということだけではない)、医療者と家族で支えてあげること(サポートシステム)、などに注意します。

治らないガンと知ったときの心理

初期反応期(1週間以内):否認、信じられない、頭の中が真白、他人ごとのよう、絶望感
苦悩・不安の時期(1ー2週間):苦悩、不安、抑鬱、不眠、食欲低下、集中力低下の症状が何度も起きる、同じことを繰り返し尋ねる
適応の時期(2週間以後1か月ー時には3か月):現実の問題に直面し、新しい事態に順応するようになる。またそう努める。

日頃から、死とはどういうものか(死への準備教育)ということを考えておくことが大切です。死にたいする知識と心構えがないから、死について不安や恐怖心を抱くことになります。

不治の病と知ってから亡くなるまでのプロセスは、1.否認の段階、2.怒りの段階、3.取引の段階、4.抑鬱の段階、5.受容の段階、6.期待と希望の段階、という段階を経ますが、順序や時間の長さは人によって違います。

時間的な余裕が必要ですので、告知は早いほうが良いでしょう。人の生き方、死に方は、一人一人違います。その人らしい生き方ができるように援助してあげてください。

ドイツの諺に、「分かち合う喜びは二倍の喜び、分かち合う苦しみは半分の苦しみ」という言葉があります。家族にできることは、そばにいて、苦しみを共に分かち合い、最期まで支えてあげることです。告知しないということは、一人で苦しみなさいということではないでしょうか。お互いに「ありがとう」といえる最期にしたいものです。

[告知はしました、治療もしました、後は知りません?]

告知は本来医師の仕事であり義務です。患者さんに本当のことを伝え、本人の希望を聴き、同意を得たうえで、治療方法を選択・決定すべきです。最初に診た医師が「ガン」という言葉を使って、まずその疑いがあるという話しから始めます。告知は、できれば家族も同席して、おだやかな雰囲気で、希望を失わないように、話してもらいます。これは癌治療の前提となるべき、大切な医師の仕事であり、重要な技術です。そして、なにがあっても(最後まで)、主治医や家族が支えてあげるという姿勢が必要です。残念ながら、ほとんどの医師は、今までにそのようなトレーニングも勉強もしていません。科学優先の技術者です。そして「緩和ケア」についても、ほとんど無知です。無知であるから、自信があるのです。そして、とりあえず患者は、主治医を信頼する以外にありません。ですから、もしも、進行ガンや再発・転移したガンの場合に告知をしようと思えば、家族がうまく主治医の頭を切り替えさせる努力をしなければ、主治医が見捨ててしまって患者さんにとって悪い結果となってしまいます。遅くなればなるほど、告知しにくくなり、やがて本人が分かった時にはすでに遅くて、何もできず、ただ死を待つだけとなります。医師も家族も、もし自分だったらどうして欲しいか、どうしたいかということを考えて、本人に接してあげるべきです。告知に関するアンケート調査をすると、自分だったら告知して欲しいが、家族の場合には告知しないと言う意見が多いという結果になります。主治医にも「もし医師自身だったら」どうするかを聴いたほうが良いでしょう。それでも同じ答えなら、諦める以外にないでしょう。気を付けなくてはいけないのは、告知は決して「ずばり宣告する」ことではありません。本人が気付く場合は「認知」と言いますが、すでに認知しているのであれば、家族もそのように対応してあげてはいかがでしょうか。無理に隠したり、ごまかしたりしないことです。それで十分かもしれません。そして、本人が聴けば、本当のことを答えてあげてください。ただし、決して希望を失わないように。

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