[びんご・生と死を考える会]

[ゆっくり生きよう、地球の命を救うため] びんご・生と死を考える会会報 第50号 特別寄稿 2010年1月23日
[弱者や過疎地を切り捨てない社会に!] びんご・生と死を考える会会報 第49号 巻頭言 2009年9月30日
[びんご・生と死を考える会の今後の目標] びんご・生と死を考える会会報 第48号 2009年5月23日
[今を生きる〜支え合い、分かち合い、共に歩む〜] びんご・生と死を考える会会報 第47号 巻頭言 2009年1月24日
[ふたたび「まさか」という坂] びんご・生と死を考える会会報 第46号 巻頭言 2008年9月27日
[厄年と「まさか」という坂] びんご・生と死を考える会会報 第43号 巻頭言 2007年9月29日
[支え合い、分かち合い、共に生きる] びんご・生と死を考える会会報 第39号 巻頭言 2006年5月27日
[良きサマリア人] びんご・生と死を考える会会報 第37号 巻頭言 2005年9月23日
[「老い」〜生きるということ、老いるということ、死ぬということ〜] びんご・生と死を考える会会報 第33号 巻頭言 2004年4月24日
「癒し」 びんご・生と死を考える会会報 第31号 巻頭言 2003年9月27日
[びんご・生と死を考える会の10年の歩み] びんご・生と死を考える会会報 第30号 10周年記念特集頁 2003年5月1日
「盈進」 びんご・生と死を考える会会報 第29号 巻頭言 2003年2月1日
[びんご・生と死を考える会の道] 日本ホスピス在宅ケア研究会・市民ネットワークコミュニティ−レター第12号 2001年8月
[元気印の闘病法ーガン患者と家族、友人のために] 柴田病院・伊丹仁朗先生 あすなろ会発会記念講演会 1993年4月29日

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ゆっくり生きよう、地球の命を救うため
びんご・生と死を考える会会報 第50号 特別寄稿 2010年1月23日

「いつから人間だけが地球の時間を追い越してしまったのか?」という言葉が、橋本成一監督の『バオバブの記憶』という映画に出てきます。科学の進歩を背景に、私たちはより快適でより便利な生活を追求してきました。自然を破壊してコンクリートで固め、大量生産・大量消費の道を突き進んできました。日本は食料自給率が極端に低いにもかかわらず、山や川や海や田畑を破壊して、ものを作って売ることばかり考えてきました。環境保護の4Rがあります。政府広報「3R」ー地球にやさしい暮らし方ーから抜け落ちている第一のRは、まず買わない使わないこと(Refuse)、その次に3R「使うことやごみを減らし(Reduce)、繰り返し使い(Reuse)、再利用する(Recycle)」なのです。

人類の滅亡という最大の環境破壊の危険性があるのが原子力発電です。人間の力では解決できない問題をかかえたまま原子力発電をおしすすめようとしています。電力会社は電力消費を拡大しようとして、住宅のオール電化を強引に売込もうとしています。原子力発電では、電力の消費量に合わせて発電量を調節することができないために、夜間の電力が余ってしまうのです。オール電化の住宅では、電気が止まればすべてが止まってしまいますし、電磁誘導加熱調理器具(IHクッキングヒーター)から出る電磁波は人体に有害で、心臓ペースメーカーを植え込んでいるひとは近づけません。

原子力発電の最大の問題は放射能汚染です。燃料のウランの採掘から運搬・精製、発電のすべての過程で、それにかかわる人たちは被曝の危険にさらされ、被曝者となります。原子力発電所や放射性廃棄物による放射能汚染は、世界中のひとを被曝者にし、体内に蓄積されて発癌の原因となります。原子力発電所は、過疎地の自然を破壊して建設され、原子炉から発生する熱の三分の二を温排水として大量に海に捨てているにもかかわらず、発電時にCO2を出さないので地球温暖化防止に貢献するなどと宣伝されています。

現在進みつつある環境破壊を食い止めるためには、私たちひとりひとりが毎日の生活を見直して、地球の時間にあった生き方や地球の命を考える消費者にならなければいけないのです。私たちの会でも今年度は、地球の命を考える講演会やイベントを企画しますので、みなさんもまず真実を知って、自分の生き方を考えてみて下さい。

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弱者や過疎地を切り捨てない社会に!
びんご・生と死を考える会会報 第49号 巻頭言 2009年9月30日

非正規雇用の労働者、病者、障害者、生活困窮者、高齢者や子どもなどの社会的弱者が切り捨てられる政治が続きました。一方では生き残りのためとして企業は巨大化し、市町村も合併の掛け声で巨大化しました。しかし地球の歴史からは、巨大恐竜の例をあげるまでもなく巨大化したものは滅びる運命にあることが証明されています。政権交代が実現し、前政権が聖域なき改革として行なってきた市場原理・弱肉強食の政治の見直しが始まろうとしています。しかしいくつかの間違った国の基本方針は変わりそうもありません。そのひとつに原子力の平和利用と称される原子力政策があります。

原子力発電所(原発)は、原爆と同じなのです。ウランやプルトニウムを一瞬にして燃やすと原爆になり、ゆっくり燃やすと原発になるのです。どちらも処理の方法のない大量の死の灰を残し、長い年月にわたって放射線を出し続けるのです。放射線が人体に及ぼす影響は、原爆症で明らかなように瞬間的に直接外部から被爆して受ける障害と、空気や水や食物として体内に入ってゆっくりと障害を引き起こす内部被曝があります(外部被爆と内部被曝をあわせて「被ばく」と呼びます)。頻発する原発での放射能もれの事故では、必ず人体に害がないと発表されますが、長期にわたって内部被曝にさらされていずれ発癌などの健康被害を引き起こすのです。核実験、核兵器、原発などで排出された放射性物質によって、世界中の人が今現在も「被ばく者」になりつつあるのです。アメリカでのデータでは、原発から半径100マイル以内では、乳癌の発生率が他の地域より高いということが証明されています。

チェルノブイリ原発の事故は、まさに原発が原爆となってしまった実例です。この事故の原因は、機械の故障でも、地震などの天災でもなく、人間の操作ミスなのです。機械は必ず壊れるし、人間は必ず間違えるのです。原発が大変危険なものだという認識は国にもあるようで、現在日本には55基の原発がありますが、すべて都会から離れた過疎地と呼ばれるところに造られています。過疎地を犠牲にして、都会に住む人たちの電化生活を生み出しているのです。しかし地震の巣と呼ばれる日本列島には、いたるところに活断層があります。また航空機事故で破壊されたり、テロやミサイル攻撃の標的にされる可能性もあります。

日本の電力事情は決して悪くありません。火力発電や水力発は充分に余力があり、たとえ原発が全部停止しても電力不足の心配はないのです。原発では発生する熱の実に2/3は海に温排水として捨てられていますが、最近の火力発電の効率は原発の2倍以上と良好なのです。あたかも原発がクリーンかのように宣伝されていますが、クリーンなのは核分裂反応の時だけで、ウラン燃料の採掘、運搬、精製、原発の建設、運転、放射性廃棄物(死の灰)の運搬、貯蔵(最終的な処理方法はない:原発はトイレのないマンション)など、すべての段階で大量のCO2を排出し、すべての段階で被ばくが起きているのです。発電に伴って排出される放射性廃棄物の処理方法がないことだけでも、決してクリーンとは呼べないことは明らかです。これからは太陽エネルギーや地熱、風力、波動力などのクリーンなエネルギーに切り替えなければいけません。そうすればますます原発を造る必要性はなくなってくるのです。

現在、瀬戸内海国立公園に浮かぶ山口県上関町長島の田ノ浦にある美しい入り江を埋め立てて原発が建設されようとしています。原発建設予定地の田ノ浦からわずか4キロたらずの海を隔てたところにある祝島は、福山市の鞆の浦と同じように、万葉の時代からの歴史がある海に生きる人たちの島です。2009年度第12回日本自費出版文化賞の特別賞を受賞した那須圭子さんの写真集「中電さん、さようなら─山口県祝島原発とたたかう島人の記録─」(創史社)に、命と生活を守るため一切妥協することなく原発計画に体を張って反対し続けてきた祝島島民の28年に及ぶ戦いの歴史が刻まれています。原発建設と温排水によって美しい瀬戸内海の自然は破壊され、貴重な生き物の命が奪われ、周辺住民の生活は都会の電力をまかなうために犠牲にされるのです。ひとたびチェルノブイリのような大事故が起きれば、西日本全体と朝鮮半島から中国大陸まで、放射能汚染が起きて人が住めなくなるのです。そのような取り返しのつかない高価な代償を払ってまで原発を建設すべきではありません。原子力の問題は、私たちひとりひとりが毎日の生活の中で考えなければいけないことであり、私たちがどんな社会でどんな生き方をするかということなのです。支えあい、分かち合い、弱者や過疎地を切り捨てない心あたたかな社会を目指すべきです。スウェーデンを中心に活動している世界的な環境団体ナチュラル・ステップは、社会が持続可能であるための条件として、@地下資源を掘り出さないA化学物質を環境に増やさないB自然を物理的に壊さないC人間の基本的ニーズを満たすという4項目を提唱し実践しています。世界に原発はいらない、造らせてはいけないのです。

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びんご・生と死を考える会の今後の目標
びんご・生と死を考える会会報 第48号 2009年5月23日
会長 数野 博

お陰様でわたしたちの会は今年で発足から17年目を迎えます。会員の皆様はじめ、会の運営にボランティアとしてご協力下さいました皆様、またこれまで色々とご指導頂いた本会の名誉会長のアルフォンス・デーケン先生と全国各地の生と死を考える会の皆様、そしていつも暖かく見守って会を支えて下さった多くの方々に心から感謝申し上げます。

私たちの会は1993年4月に倉敷の伊丹先生達の「生きがい療法」を参考に、癌患者と家族・ボランティアを中心として、患者中心の全人医療を目指した「あすなろ会」として発足しました。定期的な学習会と講師を招いての講演会は、熱心な会員の方々に支えられて会を重ねましたが、病気の性質上残念ながら欠けて行く会員もあり、やはり死というものを避けては通れないということを学びました。

そして1998年7月に会の名前を「びんご・生と死を考える会」と改めて、だれもが生と死について、医学、宗教、哲学の広い視野から、特定の宗派、思想、主義にとらわれることなく、学び、考え、行動すると同時に、あらゆる喪失に伴う悲嘆に寄り添うことを通して、生きることの意味を探る場となることと、備後の医療・福祉・文化の向上を目指す市民の会として再出発し、同じような活動をしている「生と死を考える会」の全国協議会にも加入しました。全国の「生と死を考える会」は、死への準備教育の普及、ホスピス運動の普及、死別体験者への援助の三つを共通の目標としています。私たちの会はさらに、会の発足のきっかけであり活動の中心としていた「がん闘病者とその家族への援助」も続けています。

さらに2000年7月からは、作家の故・遠藤周作氏の「心あたたかな病院運動」を継承されている遠藤順子さんの依頼を受けて「心あたたかな医療110番」という医療・福祉の相談窓口の活動を全国に先駆けて始めました。この活動も会のホームページの管理とともに代表世話人の長崎先生たちのおかげで順調に運営できています。

また2000年9月からは、月例講演会を兼ねてホスピスボランティア養成講座を3年間行い、備後地区にできる本格的な緩和ケア病棟やホスピスへの支援活動に備えていますが、私たちは病院にできる緩和ケア病棟という施設としてのホスピスだけでなく、家庭で人生の最期を迎える人とその家族を支えるためのシステムとしての在宅ホスピスを普及させることも目標にしています。

さて2009年度は原点に帰って再び伊丹先生をお招きして社会問題化しているがん難民の問題をとりあげ、またユニークな方法で思いやりの医療を実践している周防大島のおげんきクリニックの岡原先生に講演をしていただきます。好評だった歌声喫茶は三回目の開催となります。そして後半の半年間は緩和ケア(ホスピスケア)の普及とホスピスボランティア(傾聴ボランティア)の養成を目的とした連続講座を計画しています。この講座は今後も継続する予定です。その他にも県内や近県の名所旧跡を訪ねる日帰りバス旅行や今年で結願となる四国八十八ヶ所のお遍路の旅なども計画しています。お遍路の旅はこれからも続けてほしいという声があります。またもしかしたら永六輔さんが甲府のふじクリニックの内藤いづみ先生と一緒に今年も来てくださるかも知れません。デーケン先生をはじめとして、これまでに講演してくださった講師も含めて、聴いてみたいという希望の多い講師をできるだけお呼びしたいと思っています。

私たちはこれからも、備後の文化と社会の発展のために、いかに生きるかということを皆様と一緒に考え続けたいと思いますので、今後とも会の活動についてのご理解とご指導を賜りますようお願い申し上げます。

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今を生きる
〜支え合い、分かち合い、共に歩む〜
びんご・生と死を考える会会報 第47号 (2009年1月24日) 巻頭言

新しい年を皆様はどのような希望をもって迎えられたでしょうか。昨年を表す漢字が「変」でしたが、今年こそはと良い方向への変化を期待する人が多いのではないでしょうか。アメリカの新大統領に就任したオバマ氏は、まさに新しいアメリカへの変革の象徴的な存在です。25年前に故キング牧師が「ワシントン大行進」で行った「私には夢がある!」という演説の夢が実現されるのです。彼が選挙運動中に繰り返しアピールした「われわれは変えることができる!」という言葉は、彼が人種差別の厳しいアメリカ社会での弱者の象徴的存在である黒人系ということもあって、今まで続いた強者の立場の大統領による政治から、弱者としての視点からの政治を多くの人に期待させているのではないでしょうか。それに比べて日本の現状は、強者の代表としか思われない総理大臣のもとで、相変わず国民を騙し、裏切り、搾取するような政治が続いていて、希望にあふれた未来などは考えられないような社会情勢です。そもそも社会とか国家というものは、弱い立場の人たちを基準にして、みんなで支えあうという仕組みでなければ、弱肉強食の動物の世界と変わらないことになってしまいます。ヨーロッパの福祉国家での子供への教育は、小さい時から弱い立場のひとをみんなで支えあって、ものごとを成し遂げることを体得できるように考えさせ、見守り、教え、育んでいるのです。

スウェーデンを代表とするヨーロッパの福祉国家では、税負担が重く、高福祉・高負担だといわれていますが、社会保険料や医療保険料、失業保険料、介護保険料などは税に含まれていて、教育費や医療費は無料となっています。また所得税などの税負担は、所得の多い人や企業ほど多くなっていて、勤労者の可処分所得は日本よりも多いくらいです。スウェーデンは税によって財政運用される包括的福祉を生命線にしていて、胎児から墓場までのキメ細かな福祉政策は、当然のことながら膨大な経費を必要としていて、国民の税負担意欲を刺激できなければ、作動不能に追い込まれてしまうのです。国民の税負担意欲を維持するためには、公正度の高い政治制度と倫理感の高い政治家の行動が要請されます。「見える政治」とか「開かれた政治」だけでは25%もの間接税(食料などの生活必需品は無税)を市民が受け入れることはできないと思われます。公正な政治制度が大前提となり、そのための議会オンブズマン、消費者オンブズマン、民族差別オンブズマン、プレス・オンブズマン、公正取引きオンブズマン、機会均等オンブズマンなどの各種オンブズマン制度は、公正原理で人権を保護する砦なのです。また、一票格差を極小化した公平度の高い選挙制度、新聞や青年運動への公庫補助制度などの少数意見の噴出を可能にする制度も同じ公正原理を基礎にしているのです。

日本の社会が強者の理論に基づく法律や制度によって崩壊の危機に瀕している今こそ、命を尊重する社会、お年寄りが尊重される社会、だれもが人間らしく生きることができ人間らしく死ぬことができる社会、弱い立場のひとを支える社会、つまり、より暖かい日本の社会を築くということを会の使命として、支え合い、分かち合い、共に歩みながら活動を続けます。会合や講演会には、どなたでも自由に参加できますので、みなさんと一緒に、生と死を見つめ、いかに生きるかということを考える機会にして頂きたいと思います。

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ふたたび「まさか」という坂
びんご・生と死を考える会会報 第46号 巻頭言 2008年9月27日

人生や社会の現象には、必ず「上り坂」と「下り坂」があります。それにもうひとつの坂「まさか」があることは一年前の会報第43号の巻頭言に書きましたが、最近の日本社会は「まさか」の連続です。偽装や再生、使い回し、振り込め詐欺、いんちき商法、通り魔殺人等など、想定外の不正や犯罪が日常化してしまった感があります。これは一体何が原因なのでしょうか。

ここに大変示唆に富む文章があります。『鞆の浦殺人事件』など多数の浅見光彦シリーズで知られている旅情推理小説作家・内田康夫さんが1995年に出版した『日蓮伝説殺人事件』のエピローグの後に自作解説として書いた文章の一部です。「考えてみると、社会の秩序のかなりの部分は、人々の良識と善意を前提に、あやうく成立しているといっていい。したがって、その良識と善意に対する信頼を裏切るような犯行に対しては、ほとんど無防備だ。多くの人は、隣の席の乗客が、理由もなくいきなりナイフで切りつけるーなどということは想定しないで生きているのである。無防備の人々が相手なのだから、犯罪を行おうとする者にとっては、『裏切り』の場はいたるところにあるといえる。犯罪ばかりではない。政治、経済、宗教などのあらゆる場面で裏切りが日常茶飯的に横行している。政治を信じ、経済の仕組みに身を委ね、宗教に心の拠り所を求めるわれわれ庶民は、それらが裏切り行為に走った場合には、ひとたまりもない。そういう、いわば公的な『裏切り』が人々の公徳心を麻痺させ、無数の個人的な裏切りを生む温床になっているといったら、いささか詭弁に過ぎるだろうか。」

記憶に新しい公的な裏切りとしては、汚染米横流し事件、総理大臣の職務放棄、年金記録問題と社会保険庁の不祥事、教員採用汚職事件、居酒屋タクシー、イージス艦の事故と防衛汚職、多発する官製談合、公然と行われる天下り、さらには後期高齢者医療制度や障害者自立支援法や自衛隊法をはじめとする憲法違反の法律など、「まさか」と思われる公的な裏切り行為がまかり通っているわが国の現状があります。「まさか」というのは、本来あってはならない想定外のことが起きたときに使われる言葉です。もしかするとこの国では社会の仕組みの裏では、市民にとっては想定外のことが社会を動かしている当事者にとっては当たり前として行われているのではないかと思われます。崩壊しつつあるわが国の医療福祉の現状も、制度を作り動かしている人たちにとっては想定内こととされていて、すでに現場で働く当事者の熱意と努力の限界を超えています。私たちはこの現実から目をそらさず、公的な裏切りを許さない社会を目指して、社会的共通資産としての教育・医療福祉・環境を国の中心施策として掲げ、その分野に予算と人員を重点的に配分することを求めなければなりません。

さて、昨年度に続いて今年も福山市民病院の緩和ケア科のみなさんの協力を得て、「市民のための緩和ケア連続講座(全3回)」を開催します。大変厳しい医療環境の中で、厳しい病状の患者さんのお世話をしている現場のスタッフのお話が聞けます。「びんご・生と死を考える会」は、命を尊重する社会、年寄りが尊重される社会、人間らしく生きることができる社会、人間らしく死ぬことができる社会、死別体験者を支える社会、つまり、より暖かい日本の社会を築くということを会の使命として、支え合い、分かち合い、共に歩みながら生と死を見つめる活動を続けますので、これからもみなさん自身がいかに生きるかということを考える機会にして頂きたいと思います。

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[厄年と「まさか」という坂]
びんご・生と死を考える会会報 第43号 巻頭言 2007年9月29日
数野 博(びんご・生と死を考える会会長、2007パッチ・アダムス講演会inひろしま元実行委員長)

還暦を迎えるにあたり、私は正月に新年の抱負として今年の計画や今年から始めることを色々と考えていました。そのなかでも実行委員長として8月に広島で開催予定だったパッチ・アダムス氏の講演会が最大のイベントとなるはずでした。実効委員会が一年近くかけて準備していたパッチ氏の講演会の企画を仲介業者に全面的に否定され、1月末に突然「今回の企画はキャンセルさせてもらう」との一方的な通告を受けました。まさかという思いの私たちは、尾道の浜中和子先生に実行委員長を引き継いで頂き、講演会の実現へ向けて努力を続けましたが、4月末には最終的に業者側が契約を破棄し、彼らが独自に講演会を開催するという連絡を受けました。

人生には3つの坂があると言われます。生きてきてよかったという幸せを感じる上り坂、また逆に挫折や失望、なにをやってもうまくいかない下り坂をほとんどの方が経験していると思います。そして三つ目の坂が「まさか」という坂です。どんなにまじめに生きていても、どんなに幸せであっても、どんなに努力していても、予期できない不運が突然やってくるものです。この三つ目の坂は厄年に一番高い可能性でやってくるそうです。男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされています。特に男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」という語呂合わせもあって大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされています。また61歳の還暦を男女共通で厄年とする場合もあります。まさにこの還暦の厄年に、「まさか」という出来事が続きました。パッチ講演会のキャンセル事件に始まり、身内や同級生そして私を支えてきてくれた高垣光晴さんの急死と「まさか」の連続でした。そのうえ自分自身の健康管理の必要性も痛感しています。「厄祓い」とか「厄除け」という慣習を迷信として片付けられない心境です。

びんご・生と死を考える会で行っている四国霊場88ヶ所巡りも第6回を迎え、一泊二日で第12番札所から第27番札所までまわる計画を立てています。すでにお四国を6回まわっている井上吉彦さんに案内して頂いて、先日下見に行ってきました。第23番札所は薬王寺という徳島県「阿波・発心の道場」最後の札所で、厄除けで有名なお寺です。まず33段の女厄坂、続いて42段の 男厄坂を登って本堂と大師堂に参拝し、さらに61段の還暦の厄坂には1段ごとに1円の厄銭を置いて厄祓いをしてきました。他の札所でも注意して数えてみると石段の数が厄年の数にしてあるところが多いようです。今こうして厄祓をしてきたと思うと、なんとなく心地よい安心感と安堵の中にもさわやかな緊張感が生まれたように感じます。

前記のような経緯の末に、『2007パッチ・アダムス講演会inひろしま』の開催を断念せざるを得なくなりました。皆様に多大なご協力をいただき、実行委員会としては最後まで開催できるように努力をしてまいりましたが、残念な結果となり誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。実行委員会は“愛と思いやりの医療”を実現させ、日本の医療を変えるというメッセージを“平和といのちの町”ひろしまから発信し続けたいと考え、『思いやりの医療を考える会』として活動を継続する予定ですので、何卒宜しくお願い申し上げます。

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[支え合い、分かち合い、共に生きる]
びんご・生と死を考える会会報 第39号 巻頭言 2006年5月27日

この世に生を受け、命を授かった私たちは、いつか必ず死を迎えなければいけません。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)のたとえのように、この世の無常の定めに従わなければいけませんが、私たちはある日突然、癌の宣告を受けたり、愛する子供や配偶者を失ったり、財産をなくしたりというような現実に直面して初めて、うろたえながら生きることの意味を考え始めるのではないでしょうか。

私たちの会は倉敷の伊丹先生の「生きがい療法」を参考にして、1993年(平成5年)に癌患者と家族・ボランティアの集まり「あすなろ会」として発足し、発会記念として光公民館で伊丹先生に「元気印の闘病法」という講演をしていただきました。定期的な学習会や講演会を重ねる一方、発足二年目には県立がんセンターの福山誘致を求める署名を県議会議長に提出しました。発足五年目に会の名前を「びんご・生と死を考える会」として再出発し、より広い視野から誰もが生と死について共に学び、生きがいを求めて共に歩む市民の集いとなりました。

全国五十数箇所で活動している「生と死を考える会全国協議会」にも加盟し、会長で上智大学教授(現在は名誉会長で名誉教授)アルフォンス・デーケン先生に「人生の危機への挑戦」という講演を福山グランドホテルでして頂きました。また、2001年(平成13年)の1月22日に岡山の病院で私が看取らせて頂いたマルセ太郎さんが、癌と闘病中の1999年(平成11年)に一人芝居で黒澤明監督の映画「生きる」をミントンホールで熱演し、多くの会員に感銘を与えました。奇しくも今年のマルセさんの命日に再びデーケン先生に来て頂き、講演会「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」をリーデンローズで開催し、たくさんの方々にいかに生きるかということを考えていただくことができました。

また2000年(平成12年)からは遠藤順子さん(故遠藤周作氏夫人)の依頼を受けて、「心あたたかな医療110番」という医療福祉の相談窓口を開設し、福山市民病院のホスピス(緩和ケア病棟)開設に備えてホスピスボランティア養成講座も始めました。講座を終えた人は現在傾聴ボランティアとして老人施設での活動を続けています。2003年(平成15年)には十周年記念としてリーデンローズで、作家の柳田邦男さんが「最後まで生きる、人生の課題『生と死』」と題して、詩の朗読を交え予定の時間をオーバーして講演されました。

これからも「びんご・生と死を考える会」は、命を尊重する社会、年寄りが尊重される社会、人間らしく生きることができる社会、人間らしく死ぬことができる社会、死別体験者を支える社会、つまり、より暖かい日本の社会を築くということを会の使命として、支え合い、分かち合い、共に歩みながら活動を続けます。会合や講演会には、どなたでも自由に参加できますので、みなさんと一緒に、生と死を見つめ、いかに生きるかということを考える機会にして頂きたいと思います。

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良きサマリア人
びんご・生と死を考える会会報 第37号 巻頭言 2005年9月23日

私たちの会の「第2回人間回復への旅」と銘うった曹洞宗大本山総持寺での一泊参禅会に参加した帰りの新幹線の中で、「10号車で子供さんが急病ですので、お医者さんか看護婦さんがいらっしゃいましたら至急お願いします」という車内放送がありました。すぐに看護師さんと一緒にかけつけようとしましたが、車内は大変混雑していて私たちが乗っていた1号車から10号車まではかなりの時間がかかりました。到着した時には、すでに他の医師と看護師が来ていて車掌が「もう診てもらって、大丈夫だそうです」と言ったので、気にはなりましたがお任せしてまた1号車までもどりました。このようなことに時々遭遇するのですが、そのたびに思い出すことがあります。聖書のルカによる福音書10章25〜37節にあるお話です。

イエスを試そうとしたある律法の専門家の「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」という質問に対して、イエスが「律法には何と書いてあるか」と言うと、律法の専門家は「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」と答えました。イエスが「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と言うと、彼は「では、わたしの隣人とはだれですか」と質問したので、イエスは言いました。

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」

これを聞いて律法の専門家が「その人を助けた人です」と答えたので、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言ったというお話です。

外国には人名救助促進のために「良きサマリア人法」という法律があります。良きサマリア人法とは、「ボランティア診療において、故意もしくは重大な過失の場合を除き医師の損害賠償責任を免除する」というもので、善意の行動が必ずしも良い結果を生むとは限らない命相手の仕事において、しかも設備も体調も万全とは言えない緊急時に、要請の有無にかかわらず医師が安心して人命救助を行うために必要な法律です。

ところで、祭司とレビ人が傷ついた人を助けなかった理由は何だったのでしょうか。@いやな事件にかかわりたくなかった。A知らない人だし、誰も見ていなかった。B自分の身に危険を感じた。C大事な仕事の予定があり、時間がなかった。他にも色々な理由が考えられると思います。ではもし、祭司やレビ人は誰か他の人がいたらどうだったでしょうか?誰かが見ていたら祭司やレビ人も近寄って助けたかも知れません。しかし、残念ながら今の日本では、それでも知らない顔をして通り過ぎる人がほとんどではないでしょうか。天台宗を開いた最澄の言葉に「亡己利他」があります。「己を忘れて、他を利するは、慈悲の極みなり」と言ったのです。自分のことは後にして、他人のために尽くせということで、最高のボランティ精神だと思います。私たちも傍観者にならないようにしたいものです。

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「老い」〜生きるということ、老いるということ、死ぬということ〜
びんご・生と死を考える会会報 第33号 巻頭言 2004年4月24日

今年度の年間テーマを「老い」にしました。生老病死は人の宿命ですが、平均寿命が短かった時代には、毎年訪れる四季の移ろいと同じように、生まれて生きて老いて死ぬというはかない人生の四季を人は身近に実感していたと思います。寿命が倍に延びた現代では、知力や気力があるにもかかわらず否応なく訪れる体力の衰えに悩んだり、自分の意志とは関係なく体力の衰えよりも知力や気力の衰えの方が先に訪れてしまうような場合もあります。

他人の支えがなければ生きていけない高齢者が増えて、両親や家族を支える人たちだけに限らず仕事として高齢者を支える人たちも、お世話をしている高齢者の姿を見て、自分が老いた時の生き方について色々と悩んでいると思います。一人一人の人生があるように、一人一人の老いの生き方がありますが、その人らしく最期まで尊厳ある生き方ができて、親しい人に見守られて尊厳ある死を迎えられる人がどれほどいらっしゃるでしょうか。一日一日を生き生きと生きるということはもちろん大切なことですが、それにはやはり限界があります。リビングウイル(生者の意思)として、尊厳死だけでなく安楽死ということも視野に入れながら、「老いの生き方」と「老いと死」ということを考えてみたいと思います。

「老い」ということを考えるときに必ず引き合いに出されるサミエル・ウルマンの「青春」という詩があります。その中の「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。」という一節はあまりにも有名です。理想と情熱、夢と好奇心、愛と恋心、人はいつか必ずそれらを失わなければいけない時が来るのでしょうか?私はできることならそれらを持ちつづけてあの世へと旅立ちたいものだと思っています。

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「癒し」
びんご・生と死を考える会会報 第31号 巻頭言 2003年9月27日

本年度の年間テーマを「癒し」としました。今、本屋へ行くと「癒し」という言葉がタイトルについた本が溢れています。パッチ・アダムスを日本に招いた「癒しの環境研究会」代表の高柳和江さんの著書「癒しの国のアリス」と、末期医療の権威である柏木哲夫さんの著書「癒しのユーモア」が2001年7月に出版されてから2年余りの間に出版された「癒し」という言葉がタイトルにつく本は、インターネットで調べただけでも次にあげたくらいあります。これらの本のタイトルを見て頂くだけでも「癒し」ということの意味を理解して頂けると思い、あえて列挙してみました。

癒しの芸術と科学 癒しの湯治宿300 癒しの空間づくり 癒しのカウンセリング 癒しの楽器パイプオルガンと政治 癒しの仏陀 癒しのターミナルケア 「癒し系の仕事」資格&スクールガイド 癒しのハンドメイドソープ 癒しのホメオパシー 癒しの溶岩園芸 癒しのことば 癒しの時代の健康法 癒しの診察室 癒しの歴史人類学 癒しとしての死の哲学[新版] 「癒し」の思想 癒しのピアノ名曲50選 癒しの原点 癒しの島沖縄north 癒しのジョギング 現代の仏法と心理学癒しの島ハワイからの問いかけ

読んでください―癒しの空間・情景 のんびり癒し時間リンパマッサージ&アロマテラピー 前世の癒し 伊豆癒しの湯と海あそび 心を癒し自然に生きる 光の癒し 京都癒しの旅 鎌倉癒しの旅 場所論と癒し 蛍雪の学び舎・癒しの学び舎 愛する人の死、そして癒されるまで オーストラリア癒しの大陸をゆく 人生最悪の時、癒しの時 音楽と癒し 森田正馬癒しの人生 病と癒しの文化史 つながりの中の癒し 人格発達と癒し ドメスティック・バイオレンス―被害者と加害者の癒し ちょっと苦いチョコですが…愛と癒しのメッセージ55 アロマテラピーと癒しのお店ガイド 表現と癒し 歌姫がくれた癒しと活力 Kokoro癒しの天使 ちょっと贅沢、ちょっと幸せ癒しの宿 超カンタン・癒しの手 

「癒し」は英語で言うとhealingですが、これはhealth(健康)に至る過程と言えるのかも知れません。アメリカの本屋でも同じようにhealingという言葉がタイトルにある本が溢れています。これを見てもいかに人が癒しを求めているかということがわかります。それでは人は何によって癒されるのでしょうか。欧米人は愛する人や親しい友人と一緒にいたり話をすることで癒される人が多いのに対して、日本人は緑豊かな自然の中にいるときに癒されると感じる人が多いという国際比較の結果が報告されています。私達は道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて冷しかりけり」とか、川端康成の「美しい日本の私」などのように、四季折々の美しい自然によって癒されます。そして私達自身の人生の四季をどのように彩るかということを考えるのです。

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びんご・生と死を考える会の10年の歩み
代表世話人 数野 博
びんご・生と死を考える会会報 第30号 10周年記念特集頁 2003年5月1日

こんにちは、数野です。今日は「びんご・生と死を考える会10周年記念講演会」に、おいで頂きまして誠にありがとうございます。またこの会を開催するにあたり、こころよく講演をお引き受け下さいました柳田邦男先生、山口昇先生、御後援を頂いた関係各位、またこれまで色々とご指導頂いた本会の名誉会長のアルフォンス・デーケン先生と全国各地の生と死を考える会の皆様、そして講演会の準備と運営にボランティアとしてご協力下さいました皆様をはじめ、いつも暖かく見守って会を支えて下さった多くの方々に心から感謝申し上げます。

「びんご・生と死を考える会」は人間の生と死が意味することや、自分自身の死や愛する人の死にどう備えるかを考え、支え合い、生きがいを求めて共に歩もうとする市民の集いです。

1993年4月に倉敷の伊丹先生達の「生きがい療法」を参考にして、癌患者と家族・ボランティアを中心として、患者中心の全人医療を目指した「あすなろ会」として発足しました。定期的な学習会と講師を招いての講演会は、熱心な会員の方々に支えられて会を重ねましたが、病気の性質上残念ながら欠けて行く会員もあり、やはり死というものを避けては通れないということを学びました。

1998年7月に会の名前を「びんご・生と死を考える会」と改めて、だれもが生と死について、医学、宗教、哲学の広い視野から、特定の宗派、思想、主義にとらわれることなく、学び、考え、行動すると同時に、あらゆる喪失に伴う悲嘆に寄り添うことを通して、生きることの意味を探る場となることと、備後の医療・福祉・文化の向上を目指す市民の会として再出発し、同じような活動をしている「生と死を考える会」の全国協議会にも加入しました。現在、全国で48の会が活動しています。

全国の「生と死を考える会」は、死への準備教育の普及、ホスピス運動の普及、死別体験者への援助の三つを共通の目標としています。私たちの会はさらに、会の発足のきっかけであり活動の中心としていた「がん闘病者とその家族への援助」も続けます。

2000年7月からは、作家の故・遠藤周作氏の「心あたたかな病院運動」を継承されている遠藤順子さんの依頼を受けて「心あたたかな医療110番」という医療・福祉の相談窓口の活動を全国に先駆けて私たちの会で始めました。この活動も会のホームページの管理とともに今日、司会をしています平成大学助教授で会の副代表世話人の長崎先生たちのおかげで順調に運営できています。

また2000年9月からは、月例講演会を兼ねてホスピス・ボランティア養成講座を3年間行い、備後地区にできる本格的な緩和ケア病棟やホスピスへの支援活動に備えていますが、私たちは病院にできる緩和ケア病棟という施設としてのホスピスだけでなく、家庭で人生の最期を迎える人とその家族を支えるためのシステムとしての在宅ホスピスを普及させることも目標にしています。

私たちはこれからも、すべての人にいつか必ず訪れる死にそなえ、そしていかに生きるかということを考え続けたいと思いますので、今後とも会の活動についてのご理解とご指導を賜りますようお願い申し上げます。

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「盈進」
びんご・生と死を考える会会報 第29号 巻頭言 2003年2月1日

今年は私たちの会にとって10周年という大変意義深い年です。一人の患者さんとの出会いから始まった「ガンに克つ 福山あすなろ会」は、「患者中心の医療」を目指して急がず休まず少しずつ活動してきました。5周年目には会の名称を「びんご・生と死を考える会」と改め、全国各地に46ある「生と死を考える会」の仲間入りをして、その活動の輪を広げてきました。

私のモットーの一つに「盈進」ということがあります。高校時代の恩師がいつも話してくれた言葉で、福山市には盈進という名前の私立の学校もあります。盈進高等学校のホームページによると「源泉混々として昼夜をおかず、科(アナ)に盈ちて後に進み四海に到る」(出典・孟子)からとった言葉で、人の生きる源泉たるべき「実学と人間道」の実践体得ということを建学の理念としているとのことです。棚田のような斜面を想像してください。上の田に水が満ちると溢れて次にその下の田に水が入ります。そのようにして次々に田に水が満たされて行きます。満たして進むということから、今できることは今するという意味だと教えられました。

私たちの会では今年の5月に柳田邦男さんをお迎えして10周年記念の講演会を開催します。デーケン先生にもお願いしたのですが、先生は今年の3月で上智大学を定年退官されたあと、ドイツで一年間の充電期間を過ごされるため来福は無理でした。今年の月例講演会は「生と死と癒し」をテーマに、皆様の希望される講師をお招きする予定ですのでご期待ください。従来、第二土曜日の午後に開催していたピア(同じ立場の人)活動は、月例講演会のあとの分科会として時間をとりたいと思っています。ボランティア活動のための実践の場も確保する予定です。びんご・生と死を考える会は、これからも盈進しますので皆様のご参加とご協力を何卒宜しくお願い申し上げます。

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[びんご・生と死を考える会の道]
代表世話人 数野 博
日本ホスピス在宅ケア研究会・市民ネットワークコミュニティ−レター第12号 2001年8月

倉敷・柴田病院の伊丹先生達の「生きがい療法」を参考にして発足の準備をしていたガン患者の会は、NHKスペシャル「人間はなぜ治るのか」に勇気づけられて、1993年4月に全人的医療を目指す「あすなろ会」として出発しました。闘病者と家族、ボランティアによる定期的な学習会と講師を招いての講演会は、熱心な会員の方々の参加で順調に会を重ねて行きました。しかし病気の性質上残念ながら欠けて行く会員もあり、やはり死というものを避けては通れないということを学びました。

発足5周年を機会に「びんご・生と死を考える会」と改称して、だれもが生と死について、医学、宗教、哲学の広い視野から、特定の宗派、思想、主義にとらわれることなく、学び、考え、行動すると同時に、あらゆる喪失に伴う悲嘆に寄り添うことを通して、生きることの意味を探る場となることと、備後の医療・福祉・文化の向上を目指す市民の会として再出発し、同じような活動をしている「生と死を考える会」の全国組織にも加入して歩みを続けました。

会では会員の多様なニードにこたえるために、三つの定期的な活動と各種のイベントを企画しています(8月と12月は休会)。第2土曜日は死別体験者やガン患者と家族・ボランティアによる定例学習会「支え合いの会」を、第3水曜日は宗教、福祉、医学、教育、環境などの分野で講師のお話しを聴く談話会「心と命の集い」を、第4土曜日は医療、福祉、ホスピス・緩和ケアなど、生と死に関する講演を聴く「月例講演会」を開催し、その他にも特別企画を加えて会の総回数は220回を越えました。

昨年度は6回シリーズでホスピス・ボランティア養成講座を開催したところ、毎回約百名の参加者があり市民の関心の高さに驚きました。本年度も第2回目の講座を計画しています。私たちの会は人間の生と死が意味することや、自分自身の死や愛する人の死にどう備えるかを共に考え、支え合い、生きがいを求めて共に歩もうとする市民の集いですが、やはり死と云うものと向き合うことを避けたい人たちも多く、ガンと闘う人たちを支援するための企画も取り入れるようにしています。

生と死を考える会全国協議会では(1)死への準備教育、(2)ホスピス運動、(3)死別体験者への援助と云う共通する三つの活動の柱をもっています。東京の生と死を考える会が「死への準備教育」についての意見の相違から分裂してしまったことは皆さんもご存じのことと思います。私たちの会でもいつも同じジレンマに陥ります。それを克服するためにいくつかの分科会を作ってそれぞれに活動を続け、全体をまとめるための役割を「びんご・生と死を考える会」が担うようにすることを考えています。「支え合いの会」「心と命の集い」の他にガンと闘う分科会を復活させ、ホスピス運動をすすめてボランティアを養成し在宅ホスピスを立ち上げるための会を作る予定です。月例講演会は共通の会合として、色々なテーマを取り上げて講演会やイベントを行います。

その他にも医療・福祉の問題を取り上げて、これからの日本の医療・福祉の歩むべき道を探ることも大切だと思っています。国際的な医療・福祉の情報をもとに、先進国の制度と比較しながら日本の文化にあった日本的な方法を自ら作り上げなければいけないと思います。はたして欧米と同じ感覚でのホスピスを今日本で普及させることができるでしょうか。まず私たちは患者中心の医療・福祉というテーマを取り上げています。

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あすなろ会発会記念講演会

 演題:元気印の闘病法ーガン患者と家族、友人のために
実技:イメージトレーニング
講師:ガンの生きがい療法の倉敷柴田病院・伊丹仁朗先生
場所:光公民館(草戸町四丁目)
主催 あすなろ会(発起人代表:立花 稔朗、世話人代表:数野 博)

「あすなろ会」は全人医療(ホリスティック・メディスン)の勉強会です。ガンなどの患者さんや家族、友人の人たちとともに自然治癒力を高め増強するために、あらゆることにチャレンジします。全人医療とは次のような考えに基づいた医療です。
1、ホリスティック(全的)な健康観に立脚する。
2、自然治癒力を癒しの原点におく。
3、患者が自ら癒し、治療者は援助する。
4、さまざまな治療法を総合的に組み合わせる。
5、病への気づきから自己実現へ。

今回は、自然治癒力を最大限に発揮して、ガンと闘う方法を学ぶために、ガンの生きがい療法を開発され、実践されている伊丹先生をお招きいたしました。伊丹先生は、日常の診療の現場での経験から、神経症(ノイローゼ)の治療法の森田療法や、サイモントンのイメージ療法などを応用して、生きがい療法を開発され、実践してこられました。

昔から「病は気から」と言われ、心の持ちかたが、健康状態に影響することはよく知られています。また、ストレスが色々な病気を引き起こすこともよく知られています。ガンもそのような病気の一つです。心の持ちかたが人間の治癒力を左右することは、医学的にもすでに証明されていて、精神神経免疫学という医学の新しい分野で研究されるようになりました。生きがい療法もこの新しい医学を応用しています。

また、ガンに自然退縮があることは、昔からよく知られた事実です。しかし、現代医学は今までそれを無視してきました。自然退縮は決して偶然ではありません。人間の身体にはあらゆる病気と闘う力があります。治癒力と言います。自然退縮は自己の治癒力がガンに克ったことを意味します。先日もテレビで詳しく放送されていましたが、外科医である世話人代表自身も胃ガンが自然退縮した患者さんを経験しています。ガンは治る病気だということ、治せる病気だと言うことを信じて、わたしたちは共に闘います。共に手を組んで、あらゆる情報を集めます。そして、お互いに情報を交換し、自分自身の経験を語り合い、その中から、自分自身にもっとも適した方法を選んで、闘うのです。だれもが闘病者であり、だれもが援助者なのです。一人で悩んだり、くよくよしているだけでは決して治癒力を発揮することはできません。自分の病気を正確に知ったうえで、その病気と闘うための作戦をたてなければいけません。本人の信念と、あらゆる種類の医療と、家族、友人、医療者、それに宗教の適切な援助によってきっと、あすは今日より元気になれるはずです。

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