[肺癌4]

[声がかすれるようになり耳鼻科で検査をしたら肺癌と言われた]
[肺腺癌手術後2年目に再発・転移して咳と痛みがあるが告知していない、免疫療法は?]
[3A期の肺癌で手術をしなかったが自宅で療養する場合に予想される症状は?]
[首のしこりの細胞を調べたら肺癌の転移だった]

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[声がかすれるようになり耳鼻科で検査をしたら肺癌と言われた]

(相談)1999.9.8
初めまして。岩手県盛岡市在住の○○と申します。早速ですが質問がありメールさせていただきます。 父62才のことです。今年の春先より左腕及び首の痛みにより整形外科にて治療を受けましたが特に改善されることもなく半年ほど過ぎました。6月頃より声がかすれるような状況になり8月の下旬に咽喉科にて診察を受けた次第です。その時レントゲンとCTの検査が行われ、付き添いで同行した母に担当医は肺ガンと宣告しました。その時点でリンパへの転移も確認されたとのこと。早速地元の大学病院を紹介され8/30に大学病院にて初めて受診しました。その日は血液、尿、心電図、レントゲン、痰の検査を行い、他の検査項目に関しては約一ヶ月間に渡り通院4回という予定となりました。先に書きました左腕の痛み(鉛が入っているように重く握力がない)、咽喉科の診断で声帯が半分機能していない、食欲がない、いびきをかく(今まではない)、呼吸するとき音がする(今まではない)、鼻出血(一度ですが)そのほか首・背中など痛みもあるようです。私自身の素人判断ですが、書籍・HPで調べる限りガンであるならば末期的な症状と思うのですが・・そう考えると検査が終わるまでのひと月もムダにできないと考えた矢先、一昨日の受診の際即入院ということになりました。本人と母が担当医より説明を聞き(先の検査結果について)レントゲンで怪しい影がある程度にしか説明がなかったそうです。本日、気管の内視鏡の検査をする予定です。確定的な病状説明についてはまだ先になりそうですが、母に対してはある程度進んでいることはあらかじめ心得ていようと話しております。専門知識がないため内容が伝わりにくい面もあるかとは思いますが、先生の見解又今後治療をするにあたって家族の心構えなどありましたら教えて下さい。もし余命が少ないのであれば大学病院で治療を続けるより、できるだけ痛みを緩和する治療に切り替えてもらい自宅で過ごす時間を多くしてあげたいと考えております。その場合自宅近くの麻酔科のある病院(赤十字病院)で治療を受けたいのですが、引継等容易にできるものでしょうか?最後にもう一つだけ聞かせて下さい。先生は末期肺ガン患者に対する喫煙はどのように考えていますか。父はタバコをかたときも離さない人で丸一日たばこを吸わない日というと今回の入院で初めての経験だと思います。母にはとにかくタバコが吸いたいと言っているようです。長々と失礼いたしました。

(答え)1999.9.9
お答えします。大変ご心配のことと思います。CTと気管の内視鏡検査で診断がつくと思います。その結果で、どようのうな治療ができるのかがわかります。治療を受けるかどうかは本人の希望によると思います。病院での治療を受けずに癌を治した人たちもいますが、納得がいけば病院での治療を受けることになると思います。家族は本人が希望をもって、自分らしい生き方ができるように、常にそばにいて支えてあげることです。闘うのか、闘わないのかは、本人の考えで決めることになると思います。転院を希望する場合には、担当医に話せば紹介状を書いてくれます。タバコの件も自分で決めてもらってください。自分で作った病気ですから、治すのも、諦めるのも、自分の責任です。なお肺癌は脳に転移しやすく、その場合には意識障害などで急速に悪化することがあります。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.9.9
岩手県盛岡市在住の○○です。早速のお返事有り難うございました。昨日の気管の内視鏡検査はややつらいのもがあったようですが無事終わったようです。後はCTと骨・ga?シンチ検査を後日受ける予定です。検査日も来週ということで今週末は一時帰宅します。検査結果に関して等今後も質問させていただくこともあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

(相談)1999.11.16
9月8日にお便りしました、盛岡市の○○です。パソコンを使える環境になかったのと、メール送信が出来なくなってしまいその後お便りできませんでした。尚、前回とアドレス変わっておりますのでお返事いただけるのならばこちらへお願いします。検査結果は9月の20日頃主治医よりお話がありました。ステージは4でおおよその余命は6ヶ月。転移はリンパ、骨(いたる所にあったようです)。腺ガンでした。治療方針として手術はせず、抗ガン剤、放射線治療を行うことになりました。その後治療が行われたのですが、体の衰弱が進み抗ガン剤治療は1クールも行うことなく(2週間)終了しました。放射線のみの治療になったのですが、やはり容態が良くなかったのと精神的に体を静止している状態が出来なくなったため、こちらの治療もやめることに。入院後ふた月たったわけですが、今となってはほとんど体を動かすことも出来ず、食事もおかゆや水物をごくわずか口にするだけです。点滴は高カロリー輸液を随時しています。先日主治医より改善のための治療は出来ないので帰宅してはどうかとすすめられました。自宅から割と近いところにある病院で在宅ケアをやっているところがあるとのこと。私も今となってはせめて一度は家に帰してやりたいと思うのですが。喀血吐血は今のところ大きなものはありませんが、たんを排出するのが困難な状態です。呼吸もそれほど不安定な状態でもありません。身内などで末期ガン患者が自宅で過ごしたという話しも聞いたことがないので、アドバイスをお願いします。

(答え)1999.11.17
お答えします。大変ご心配のことと思います。前回、9月9日にお答えしましたが、着かなかったようです。状況さえ許せば、末期ガン患者が自宅で過ごすことは可能です。前回の答えです。

(9月9日午前6時)お答えします。大変ご心配のことと思います。CTと気管の内視鏡検査で診断がつくと思います。その結果で、どようのうな治療ができるのかがわかります。治療を受けるかどうかは本人の希望によると思います。病院での治療を受けずに癌を治した人たちもいますが、納得がいけば病院での治療を受けることになると思います。家族は本人が希望をもって、自分らしい生き方ができるように、常にそばにいて支えてあげることです。闘うのか、闘わないのかは、本人の考えで決めることになると思います。転院を希望する場合には、担当医に話せば紹介状を書いてくれます。タバコの件も自分で決めてもらってください。自分で作った病気ですから、治すのも、諦めるのも、自分の責任です。なお肺癌は脳に転移しやすく、その場合には意識障害などで急速に悪化することがあります。ではまたいつでもメイルをください。

(経過)1999.12.11
盛岡市の○○です。メールを頂戴しているにもかかわらず返信も出来ず大変失礼いたしました。実は先月の末に父が他界いたしました。3ヶ月の入院で、最後のひと月は意識のない状態でした。しかし、痛みに苦しむこともなく最後も穏やかに逝くことが出来たのは幸いと感じています。平均だけで見ると確かに早すぎるのでしょうが、これは父に与えられた寿命だったんだと思います。数野先生には数回しかメールをすることが出来なかったのですが、ご多忙にもかかわらず翌朝には返信を頂きありがたく思っていました。私ももう少しメールのやり取りが出来たら、父の病気との向き合い方が違っていたのかもしれませんが。本当にありがとうございました。

(返信)1999.12.12
盛岡市の○○様へ、メイル有難うございました。父上のご冥福をお祈り申し上げます。あなたの言われる通り、人は癌で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのです。今回の貴重な経験を、皆さんの今後の人生での生き方に生かしてください。そして、日頃から生と死について考える機会をつくることをおすすめします。ではお元気で、さようなら。

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[肺腺癌手術後2年目に再発・転移して咳と痛みがあるが告知していない、免疫療法は?]

(相談)1999.3.2
先生のH・Pにたどり着いた事を幸運に思います。73才の母の事で御相談いたします。平成7年1月に肺腺ガンの為右肺一部切除の手術を受けました。腫瘍は ハトのタマゴ大あり、リンパ腺転移は無かったそうです。ステージは聞いていません。その6ヶ後重症の慢性腎炎が発見され化学療法も放射線療法も受けず食事療法(蛋白質30g以下塩分、リン、カリ制限)と定期的な検診のみで現在に至っております。(腎炎は小康状態を保っております)昨年半ば頃よりセキが出始め 暮れには背中がとても痛いと言うので1月末に肺のX腺と骨粗鬆症の検査を受けた所、再発、骨転移と診断されました。腎炎の為に為す術がないとの事です。現在セキは出ますが、背中の痛みはさほどでもなく週1度の踊りのお稽古には(ほとんど見学ですが)たまの友人との外食(このときだけ食事療法解禁としています)に出かけ、のんびりと過ごしております。治療法が無いことと本人の性格上 告知はしておりません。御相談ですが、骨転移の痛みは出たり消えたりするものなのでしょうか?時々むせたり、声がかすれたりしますが かなり進行した症状なのでしょうか?佐藤療法や丸山ワクチンについてお聞きしたいのですが、本人に告知しない状態のままでそれらの療法を行っても本人の免疫力の賦活を期待する意味での効果が得られるでしょうか?また腎炎にそれらの方法は影響がないでしょうか?それとも特別な事をせず今のまま 穏やかに過ごす方がQOL上からベストと思われるでしょうか?データも乏しく不躾とは思いますがお答え頂ければ幸いです。

(答え)1999.3.3
お答えします。
1)骨転移の痛みは出たり消えたりするものなのでしょうか?
痛みの感じ方は人によって違いますが、強い痛みであれば消えることはないと思いますが、軽い痛みや何かに集中しているときには痛みを感じないこともあると思います。
2)時々むせたり、声がかすれたりしますが かなり進行した症状なのでしょうか?
そのように思います。病気の進行に伴って、色々な症状が出てきます。
3)佐藤療法や 丸山ワクチンについてお聞きしたいのですが、本人に告知しない状態のままで それらの療法を行っても本人の免疫力の賦活を期待する意味での効果が得られるでしょうか?
本当に効くものであれば、本人が知っていようといまいと、効くと思います。
4)また腎炎にそれらの方法は影響がないでしょうか?
影響は無いと思いますが、本人の状況がわかりませんので、直接治療施設に聴いてみてください。
5)特別な事をせず今のまま穏やかに過ごす方がQOL上からベストと思われるでしょうか?
本人と家族が決めることですが、何がベストかということは誰にもわからないと思います。すでに手の施しようがない癌に対して、このようにすべきであるというようなことはできません。残された時間をどのように使うかということは、本人の希望を尊重して、家族が担当医とよく相談して決めてください。

人は病気で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのだという言葉があります。さらに、佐藤療法(BRP療法)を開発した佐藤一英先生は著書「見えてきたガンの征服」の中で、「死を前にした患者に対して、これは寿命だなどと医者が勝手に思い込むことは傲慢であり許されないことです。寿命を決める権利は医者はもちろん誰にもないのです。患者の生命の力を信じ切る、そこに医療展開の原点があるように思えるのです。」と述べておられます。生と死について考え、心の準備をしておくことも大切だと思います。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.3.3
お忙しい中、とても丁寧なお返事 ありがとうございました。とても参考になりました。また、何かお伺いする事があると思いますので、その時は宜しくお願い申しあげます。まずは御礼まで。

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[3A期の肺癌で手術をしなかったが自宅で療養する場合に予想される症状は?]

(相談)宮崎1999.1.20
藁にも縋る思いで、メールをお送り致しました。私は、現在、宮崎に住む○○と申す者です。以下、ご相談致したく、メールを作成致しました。私の父は、七十七歳で、昨年9月に肺癌と診断されました。レントゲン写真から、右肺の1/3程にはっきりと写り、又、リンパにまで転移しており、3−Aステージの状態で、手術しても5年以上の生存率は、統計的には10%以下である言われました。そして、私を含め、家族にとって大きな選択を迫られました。つまり、手術すべきかどうかということです。結局、根治の可能性や年齢、Q.O.L.を考えると、このまま、喀血やその他の症状が出た段階で、放射線治療をするという、主治医のアドバイスにより、手術は断念しました。それでも、手術をしないと、今年(平成十年)一杯かもしれないと。そして、平成11年1月2日に、自宅で倒れ、救急車で搬送され、現在入院しています。入院以来、毎日、37度から38度の熱が出ており、熱冷ましの薬で、凌いでいます。又、食事を取れないため、点滴で、補給しています。たまに、自宅から作ってきた食事を、ほんの一握り程度、食するぐらいで、家族は、ますます危険な状態であることを意識せざる負えません。それでも、母や姉等が「食べないと、もっと病気が悪くなるよ」と口うるさいくらいに言う為、父も頑張って食べようとしますが。現在、癌に対する治療は、全く行われていず、栄養補給の為の点滴と、咳止め、そしてこちらで入手した丸山ワクチンを、病院に頼んで、注射しております。トイレにも一人で行くには、相当厳しい状態です。先日(1月19日)入院先の病院から退院の許可が、おりました。そして、”何かあったら、すぐに再入院できる準備は、しておきますから”との事でした。父は、御菓子作り一筋の人生でしたから、自宅にある工場で、年末まで、菓子作りをしておりました。そんな父ですから、本人も退院を望んでいます。只、不安なことが有り、何かあった時、自宅の場合、早急に対応できるか、という事です。それらしき信号が、わかれば、事前に対処できるのですが。又、いろいろなパターンが、あるとは思いますが、肺癌の場合、最後を迎える時は、どのような症状がでるのでしょうか。現在出ている症状:咳/微熱/骨の痛み/目眩/歩行不可/トイレは介助が要/食欲は、ほとんど無し/視力の低下(時々、ぼやーとかすむと父は、言います)但し、相撲とマラソン観戦が好きで、父のTV観戦風景は、元気な頃と変わらず、病人に見えない感さえ有ります。又、本人へ告知は、しておりませんし、今後もするつもりも有りません。お忙しい中、よろしくお願い致します。敬具 平成11年1月20日

(答え)1999.1.21
お答えします。結果的には、手術しなかったことは正しい判断だったと思います。心配すればきりがありませんが、急変として考えられることは、喀血や痰による気道閉塞(息が詰まること)、食物の誤嚥や吐物による気道閉塞でしょうか。脳に転移した場合には、急に意識が無くなることもあります。その他は、徐々に衰弱してくるという経過の中で、比較的ゆるやかに起きてくることだと思います。すべてのことに家族が対応しなければいけないことと、何があってもあわてないように心の準備をしておかなければ、自宅での療養はできません。残された時間は少ないと思いますので、皆で支えてあげてください。告知をしていないということは、肝心な話しができないということになりますが、もし自分だったらどうしてほしいかということを考えて、話し合っておく機会を父上が皆さんに与えて下さったのだと思います。次はあなたの番かも知れません。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.1.25
宮崎の○○です。メール有り難うございました。先生からのご回答を、母にも見せ、いよいよなのかな、という実感を持ったのか、涙を流して、居りました。有り難うございました。現実には、そう遠くないと、医学的に説明されてもやはり気持ちの整理は、出来そうにないようです。勿論、私自身にも、いずれ訪れるであろう事は、何となくわかっていても、目前に迫った父のその日には、ここにきても、ピンとこないのが、事実です。とにかく、先生のご助言通り、あわてず、自分だったらどうして欲しいかを考え、対応したいと、思います。先日(1/24)退院致しました。病院から自宅までの移動が、多少疲れたらしく、自宅に戻ってからは、ずっと寝て居りました。それでも、退院できて良かったと、申して居りました。とにかく、父の為、家族全員で頑張りたいと思います。本当に有り難うございました。まずは、お礼まで。

(報告)1999.6.9
こんにちは。以前、父の肺癌の件でご相談致しました、宮崎の○○です。先生のメールのお答え通り、”徐々に衰弱してくるという経過の中で、比較的ゆるやかに起きてくることだと思います。”の通り、平成11年5月23日の午後7時9分に、他界致しました。2月始めに退院し、4ヶ月弱の自宅で介護生活を続け、5月22日に心臓の痛みや、幻覚症状を訴え、そして病院嫌いの父自身から病院へ行きたいと訴え、5月23日の早朝にかかりつけの病院に救急車で搬送後、僅かな意識の中、夜には虫の息を吐きながら、他界致しました。血液検査から、二酸化炭素摂取量が酸素摂取量を上回り、急遽レントゲン検査でも、肺全体がほぼ真っ白の状態でした。勿論、医師からも”今日明日が限界でしょう”のお答えでした。大凡、父の肺癌が発覚してから僅かに9ヶ月の中で、様々な選択やそして課題が残りました。今更にして、これで本当に良かったのだろうかという疑問の中で、それでも母を含め、姉、孫、そして私自身の介護を含めた父への対応は、皆が精一杯であった事だけは、確かです。死を目前にした父と過ごした9ヶ月は、忘れることなど無いというのは、勿論の事、これから父の足跡を辿り、少し回顧していきたいと、考えて居ります。本当に有り難うございました。

(返信)1999.6.10
メイルありがとうございました。父上のご冥福をお祈り申し上げます。皆さんが精一杯介護されたことや死を目前にした父上と過ごされた9ヶ月は、皆さんにとって貴重な経験となり、人格成長の糧となったことと思います。この経験を生かして、これからの人生を歩んでください。人生の危機は、誰にも、いつか必ず訪れます。できれば「生と死を考える会」などに参加していただいて、同じように悩んでいる人たちのために役立ててあげてください。では、お元気で。

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[首のしこりの細胞を調べたら肺癌の転移だった]

(相談)京都1999.1.12
はじめまして。突然のメールで失礼いいたします。京都に住む父(74才)の事で、相談したいのです。よろしくお願いいたします。

1998年5月 大動脈瘤手術、6月1日 退院7月9月の経過検査順調、10月 お祭り 旅行のあと、体調不良で、10/5からしゃっくりが出始め、12日 動脈瘤を見つけてくれた病院で、診察即入院を勧められ、入院。(大動脈瘤の手術は紹介された病院 )14日 入院して2日後の14日に首に腫れがみつかる。胃、肝臓、大腸、膵臓、肺の検査、甲状腺の検査もその病院では異常なし。その検査の間に首の腫瘍をとるということで、手術。 しかし 細胞をとっただけで 、病理検査にだすとのこと。とるまえにがんですからその後は放射線をかける、といわれ、母が不信感をおぼえる。3週間の入院で10月28日 退院。10月29日どこが悪いのか解からないけれどがんなので、もっと詳しく検査のできる病院を紹介され、大動脈瘤を手術してくれた病院にいく。10月29日 耳鼻咽喉科 資料もなにもないので、11月5日 とった細胞の資料をかりていく。扁平上皮がんがリンパにできているので、原発はわからないけれど 調べるとのことで11月15日入院、11月16日 耳鼻咽喉科の医師から説明を受け、父に告知。首の腫瘍は 4.5センチくらい 脳にいく管にくっついているので、手術でとるわけ にいかないし、原発を見つけないと治療の仕方が異なるので、耳鼻咽喉科の領域の検 査、脳、骨の検査異常なし。肺の内視鏡で、検査の結果、肺ガン。まえの病院で、以前から黒い影はあるけれど1年以上大きくなっていないし、肺ガンとは考えにくいといわれていると言ったが、その ことも踏まえた上で、協議の結果、肺ガンだとの診断で、11月26日父に肺ガン告知をされる。12月2日 抗がん剤治療開始 結果、体調をみて2回目は1月の正月明けからの予定でした。主治医からいわれる副作用もあまりでず、強いですね といわれたそうです。12月 末 一時退院の前になぜだかわからないのですが、胃カメラ検査をしたそうです。1月6日2回目の抗がん剤治療が中止。主治医に母がなぜかきくと、肺ガンではなく胃にがんが見つかったので、もう一度首の腫瘍の検査。母が扁平上皮がんは胃からの転移はないとはじめに説明をうけたというと、見間違える事もあるからとのことでした。その夜 父の病室にいままで来られた事のない一番うえの先生が来られ、肺が原発で、扁平上皮がん、胃にあるのが腺がんですとのことで、1週間後の検査結果もでていないのにと疑問をおぼえ、翌日 主治医の先生も同じことを両親に言われました。父は3ヶ月以上の入院で、精神的にまいっていますが、がんと闘い、生きようという意欲はすごくあります。母は父の命の限定もされていて、すこし取り乱しているところもありますが、かなりしっかりしていると思います。母はひょっとして、首の腫瘍が良性の可能性があるのではという期待感がある様なのです。わたしは関東に住んでいるのでたいして手助けする事ができません。どうするのがいいのかアドバイスお願いできたらとわらにもすがる思いで突然でお忙 しいのは承知の上で、書きました。もしお時間がありましたら、アドバイスしていただけたら有り難いのですが。よろしくお願いいたします。

(答え)1999.1.13
お答えします。肺癌、大動脈瘤、胃癌、肺癌の転移と一度に色々な病気が出てきたようです。治すことは難しいかも知れませんが、病院でできる治療を受けて、後は自分でできることをするのが普通のやりかたでしょうか。本人の考え方次第だと思いますが、納得できれば病院での治療を受けて徹底的に闘う方法もあり、一方、これ以上病院での治療は受けない方法も考えられます。本人の命ですから、自分で残された人生(時間)の使い方を決めるべきでしょう。「人は病気で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのだ」という言葉もあります。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.1.13
さっそくのご解答どうも有り難うございました。お忙しいのに貴重なお時間を割いて返事くださった事に感謝いたします。結局 人間の死に方も生き方と言う事ですね。 残された人生、父の思うやり方で家族は見守るしかないと思いました。頭ではわかっているのですが、つい自分たちの都合のいいほうに解釈してしまうようです。どうもありがとうございました。 また、相談にのってください。先生のご健康とご多幸をお祈りいたします。

(相談)1999.2.26
まだ寒い日が続いていますが、お元気でお過ごしのことと思います。インフルエンザ、ストレスで、病院行ったりしていまして、報告が遅れましたが、父 は現在自宅で、療養しています。ただ、先生の説明の仕方が、まずかったので、父は 病院に行くのに拒絶反応を起こし、行きませんので、母が薬のみをもらいに行ってい るという状態です。母も行く度に6ヶ月ですからと言われ、ストレスで倒れたりで、 いろいろなことを考えさせられました。

主治医の説明
12月2日に肺ガンの左頸部リンパ節転移に対する化学療法を施行しました。幸い経 過は良好で、白血球減少症も軽度にとどまり、左肺動脈、真横の病変も本年1月6日 の確認CTにて若干の縮小あり効果の評価はMR(MinorResponse)となります。しかし、呼吸器カンファレンスで肺がんとして、ややatypicalである(発生場所と転移の様式)との意見があり又組織が扁平上皮ガンで、食道ガンも疑っておくべきとの見解があり、白血球の減少が改善するのを見計らって、胃カメラを12月15日に施行しました。そこでは、食道ガンの所見はなかったものの、胃潰瘍傷痕を疑わす病変があり、消化器医が生検の結果胃ガンであることが判明しました。リンパ節転移も胃ガンの転移である可能性も考えられるので、生検を再検する必要性が生じました。病理医よりルーチンのプレパラート作成法で組織がみたいとの要請があったからです。顕微鏡の結果は扁平上皮ガンで、肺ガンのリンパ節転移と胃ガン(腺がん)のDouble Cancerとなりました。と言う説明でした。父は肺ガンではなく胃ガンと言われ次の日にはまちがいで、両方といわれたりで、精神的に参っているようです。新聞でみた“セカンドオピニオンを推進する会”に連絡とり、資料貸してくれるよう母が頼んだのですが、拒否されてしまいました。病院からもらっている薬は便秘薬Mg067、胃薬ガスター、ナイキ酸2ケ、アプリゾリン(APRLO)、ジゴシン、タナトリル、ノルバスク。薬相談室に電話できいたら、たくさん飲んでますね、と言うことで、今は血圧降下剤のみ服用しています。痛みも今のところないのですが、疲れがひどくよく横になっているみたいです。

このままの状態で、療養していていいものなのか教えてください。勝手な時ばかり連絡して申し訳ありません。 先生のご健康お祈りいたしております。

(答え)1999.2.27
お答えします。癌や病気の治療では、一応一般的な(常識的な)治療の方法というものはありますが、病気や身体の状況は一人一人で違いますし、考え方も違いますので、こうしなければならないとか言うことはできません。本人と家族の意志を担当医に伝えて、よく相談することです。今後、色々な症状が出てくることが考えられますので、最期まで担当医のお世話にならなければならないと思います。

「このままの状態で、療養していていいものなのか教えてください」

選択肢は色々とあると思いますので、残された時間をどのように使うかということを考えて、決めてください。本人と家族が、何を希望しておられるのでしょうか。担当医と良く相談してみてください。“セカンドオピニオンを推進する会”について教えて下さい。調べてみます。ではまたいつでもメイルをください。

(返事)1999.3.1
早速お返事ありがとうございます。いつも忙しいのに時間の使い方の上手さに感心いたしております。先生のおっしゃる通りです。それはよく両親も理解していると思います。実は担当医 から、肺ガンは間違いで胃ガンなので、薬で、自宅療養でいいといわれてから、翌日、担当医の上司から大動脈瘤で命助かって、73も4も生きたのだからもういいだろうと父は言われたのです。たとえ、心の中でそう思っていても言ってはならないことだと思うのです。誰でも死んでいくのは仕方のないことですが、安心して最後を任せられるところで、と思うことに、とやかく言えませんでした。

本年1月31日 朝日新聞の朝刊 平成患者学 というコラムがあり、セカンドオピ ニオン運動の記事が掲載されていました。 タイプをうつのが速いか、スキャナーがあればその記事を送れるのですが、概要を書きます。

1998年6月15日発足 セカンドオピニオンを推進する会は名古屋の出版社“ライフ企画”内にあり代表者 中村康生氏 

TEL: 052−760−0868
自分や家族が病気や怪我に見舞われたら、誰もが最も適切な医者から最も有効な治療を受けたいと望むのは当然のこと。医者にも不得意な分野や判断に迷うことがある。患者の申込書をもとに関東、東海、関西に約350人いる協力医師の中から、病気の種類に応じてふさわしい医師を選び、了承をとって、患者に連絡すると言うところです。検査の重複などをさけるため、主治医に話して、検査データを借りられたら借りる。口だけの説明でなく、写真とかで、説明はしてもらえないものですか? そうすれば最初にとった生体と2回目にとったのがおなじとすぐに説明でき、納得できるのに。とつい思ってしまいます。

限られた命のなかで、他に自分にあった治療法があったら試したいと思うのはいけないことなのでしょうか? それぞれの立場のことも理解できます。ただ、心の病気にもなってしまうのではないかと心配(しても同じですが)してしまいます。だらだらした文章ですみません。先生には感謝しています。

(答え)1999.3.2
お答えします。人は病気で死ぬのではなくて、寿命で死ぬのだという言葉があります。さらに、佐藤療法(BRP療法)を開発した佐藤一英先生は著書「見えてきたガンの征服」の中で、「死を前にした患者に対して、これは寿命だなどと医者が勝手に思い込むことは傲慢であり許されないことです。寿命を決める権利は医者はもちろん誰にもないのです。患者の生命の力を信じ切る、そこに医療展開の原点があるように思えるのです。」と述べておられます。その通りだと思います。

セカンドオピニオンを推進する会についての情報、ありがとうございました。さっそくあたってみます。朝日新聞の平成患者学はスクラップしてありました。もう一度、読みなおしてみます。

医療だけでなく、すべての分野で情報公開が不十分であり、国民が主役となれない状況です。おかしいことが行われていても、誰もそれを指摘しないようになってしまいました。おかしいとも思わないようになっているのかもしれません。日本の将来について、不安が一杯です。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.3.3
いつもすぐにメール下さりありがとうございます。生き方を考えると結局、死に方を考えないといけないことですね。父の病気を通して、色々勉強させてもらっています。また、よろしくお願いします。

(経過)1999.3.5
先生からのメール読み直して、色々考えさせられました。父はセカンドオピニオンを大阪の病院まで聞きに行きました。京都には協力医師がい なかったからです。その先生がおしゃるには抗ガン剤治療で命を失うこともあるし、年齢を考慮して抗ガン剤治療はすすめられないとのことでした。先生のホームページにかかれている病院選びと同じ意見で母は今までの事情を話し、今までの大病院ではなく、比較的近くの設備はかなり落ちるかもしれませんが、落ち着いた感じの医師にお任せすることにきめました。その病院から連絡していただいて、前の病院から検査デー ターを借りられる事になりました。今まで、親戚の中で、ガンになったものがなかったのと、毎年人間ドック、あいだに、肺や胃カメラでの検査を受けていたし、又、大動脈瘤の手術をして、2ヶ月くらいしかたっていなかったので、信じたくない気持ちが先にありました。母も自分で考えられることはしたので、後はこれからお世話になる先生を信頼し、父の運と寿命を見守るしかないと言っています。

父の病気から私たちも多くのことを学んでいます。悪い事ばかりではなく先生のように無償で、相談にのって下さる医師もおられることも知ることも出来たし、これから私たちにも必ず訪れる事です。情報、準備をしておけば、逆境に対処する心構えが多少違ってくるのではないかと思います。ただ、もっと早く先生のホームページを見ていたら、大動脈瘤の手術の際、明日爆発するかもしれませんからすぐに手術を。と言われたときにもう少し違う対処の仕様があったのではないかと思っています。メールアドレスが変わりました。

(答え)1999.3.5
メイルありがとうございました。父上を見守ってあげてください。私たちも、びんご・生と死を考える会の活動を通して多くの人との出会いを経験しています。一人で悩まずに、人の話しを聴き、情報に目を向けて、色々考えてみることが大切ではないでしょうか。そして、自分の考えを持って、自分の意志で、自分らしい生き方をしたいものです。まだまだ本当に必要なことが行われていません。ただ、お上の言いなりになり、みんなと同じことをしていれば安心という生き方は改めたいものです。父上の病気から学ばれた多くのことを、これからの人生と社会のために活かしてください。一人一人が少しずつ、向上するための努力をしなければ、また「いつかきた道」に入り込んでしまうのではないでしょうか。医療を良くするためには、患者さんがもう少し賢くならなければいけませんし、政治を良くするためには、市民がもう少し賢くならなければいけません。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.3.10
ありがとうございます。パソコンが起動せず、問い合わせたり、教えてもらったこと をしているうちにすぐ3,4日たってしまいました。患者が勉強して、少しでも賢い患者になろうとして、喜んでくれる先生は正直まだ少 数ではないでしょうか? 医師のなかでも仕事もでき、患者の気持ちを想像できる先生は患者が勉強して、自分の病気、状態をきちんと伝えられる人間を好むと思います。どの分野でも同じだと思いますが。患者はなにも知らないで、医師の言うことを素直に聞いて従ってくれる方がいいと考えている医師もまだ多いのではないでしょうか? 患者のほうも知らない方がいいと考えている人も多いからかもしれません。自分を守るのは自分だということを自覚しないといけないと思いました。色々ありがとうございました。そして又、よろしくお願いします。

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