「院長の呟き」
広島県保険医新聞 1997年5月10日(252号)
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保団連の会議は西新宿の三省堂ビルで開かれることが多い。会場へは、JR新宿駅西口から都庁方面へと続く地下通路を通る。最近、通路には動く歩道が設置され、場所を追われたホームレスたちが、駅前の地下部分に住みついている。不潔な臭いと風貌から受ける嫌悪感と、あらゆるものを捨てて得られた自由への羨望との入り交じった眼差しで、段ボール製のねぐらの彼らを眺めつつ歩き、アウディの高層建築を思わせる都庁を見上げながら新宿中央公園へ入る。

休日の朝の公園の人工滝の前の広場では、ガラクタ市が開かれており、地面一面に拡げられたものを国際色豊かな人達が物色している。公園を通り抜けると道を隔てて三省堂ビルがある。会議までの時間に余裕があるときには、入り口を入って左手の、道に面した喫茶店にはいる。

人気のない店の奥で、テレビが鳴っている。窓ぎわに並んだアンティクなテーブルと椅子を背にしてカウンター席に座ると、若い店主が愛想良くパーコレイターでコーヒーを入れてくれる。なにげなく見上げると、店には似合わない、縦書き横長の、墨で書かれた額が目にはいる。額には次のように書かれている。これは詩といってもよいだろう。

「店の表戸を開けよう」

朝だ 店の表戸を開けよう 
今日 また 何十人何百人のお客たちに
いい買い物をさせてあげようよ
あなたが商人として
いのちをかけて悔いない道がそこに大きく開ける
あなたの今日の仕事は
タッタ一人でもよい 心の中で有難うといって下さる
お客という名の友人をつくることだ
あなたは生きがいをかけたこの職業に
大きな誇りと権威を持とうよ
モット美しい モット立派な人生の生き方が
この仕事のうちにあることを知ろうよ

若い店主がわけを教えてくれた。これは、昔、彼の父親が働いていた大きな酒屋の主人が書いたもので、店が傾き従業員も散り散りになってしまい、この額だけを譲り受けたとのことである。こうして店に掛ておけば、昔の店に縁のある人が見つけてくれて、店の人達の消息がわかるかも知れないので、喫茶店には少し不釣り合いであるが、ずっと掛ているのだそうだ。

開業医も患者様相手のいわば客商売であり、この詩の通りだと感激してメモして帰り、さっそく朝礼で職員に披露した。またしても、院長の戯言ととられたようだ。それでも心の中で、「朝だ。医院の表戸を開けよう。今日、また、何十人、何百人の患者様たちに、いい医療をしてあげよう。わたしが医師として、いのちをかけて、悔いない道がそこに大きく開ける。」と呟きながら、朝早くから来られるご老人たちのために、六時半に玄関を開ける。

そして毎日、「わたしの今日の仕事は、タッタ一人でもよい、心の中で有難うといって下さる患者様という名の友人をつくることだ。生きがいをかけたこの職業に大きな誇りと権威を持とう。モット美しい、モット立派な人生の生き方が、この仕事のうちにあることを知ろう。」と一生懸命、自分自身に言い聞かせるのである。

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