なんだかんだといわれてもやって来る。前日は勉強一辺倒の学校にしては珍しく、授業を午後の2コマ分カットして、ひとつは「学年集会/修学旅行前日の諸注意(高校生にもなって「学年集会」はないでしょうに。しかも延々1時間近くも)」で、もうひとつはカット。さっさと帰宅して、明日の朝ちゃんと来て頂戴ね、ということであった。が、そんなこと高校生にもなって誰がまじめに一直線に帰宅などするものか。もちろん存分に寄り道を楽しんでから帰宅をし、自宅についた時間はいつもと何ら変わりない時間であった。
自宅に帰れば当然、明日からの旅行の準備をしなければならないのだが、これがまたかさばるのである。 いまどき珍しい3泊4日の修学旅行(2000年度から2泊3日に圧縮され、目的地も変更されたたが)である。だがしかし、そこに問題があるのだ。学校からの申し付けにより、日中は「制服」(男子はバスを下車するときは帽子を被ること!)、宿泊先にチェックインしたら「私服」、就寝時は「学校指定のジャージ」と、これだけ衣替えをさせるのである。高校生ならば、私服はやはり構いたい。そうすると必然的に荷物がかさばるのである。さらにつらい事に、県立学校の悲しいさだめ、『予算上限』により、移動の大半を「観光バス」で行うのである(だったら3泊もしなきゃいいのに)。
学校(集合)→名神/中国自動車道→山陽自動車道→倉敷(泊)→瀬戸大橋→琴平→高松→(船)小豆島(泊)→小豆島内観光(泊)→(船)赤穂→姫路→西明石→(新幹線)名古屋(解散)
というスケジュールのほぼ全部がバスである。私のような物好きなら大して苦にならないが、一般のかたがたはかなりしんどかったに違いない。
さて、旅行前日は早々に就寝し、翌日は早朝5時に起床。なぜならば、学校集合が午前7時だからである。この学校集合7時、電車で1時間もかけてはるか遠方から通学している人にはかなりきつかったに違いない。私の物好きが講じて調査したところ、新名古屋を6時42分に出発する電車でも間に合わず、その前の「ほぼ」始発、6時14分(当時)に乗車しないと間に合わないのだ。こういう生徒を一方的に無視したスケジュールはいかがなものか、と、行きに送ってもらった車中で父と談笑。
私もどういうわけか6時半に学校に降ろしてもらう。まぁ、無駄働きが主目的(「スタンツ」用具の積み込み/第16回参照)ですが、これも別に件の担任に頼まれてやったわけじゃないんですがね。特に感謝も何もされませんでしたけど(苦笑)。さすがに朝が早いので校内にはほとんどの教員すらおらず、事務長さんと観光バス(小豆島バス!なんと、前日の昼から夜通し回送してきたそうな)の乗務員さん、あとは添乗員さんだけ。私の趣味がてらそのあたりの方と楽しく談笑しながら、床下のトランクスペースを開けてもらうように交渉。何事も早いに限る。自分の荷物を真っ先に床下に載せ、教室まで走ってスタンツ用具を積み込み
(取りに行く途中に担任にすれ違う。そこでのやり取り。
(私)「おはようございます」
(担任)「スタンツの荷物、積んどけ(命令)」
(私)「はいはい・・・(怒)」。)
気分をとりおなして、自分のクラスの車の前で乗務員氏ともどもクラスメイトの到着を待ち、お荷物を預かり床下へどんどん積み込む。手持ち用の小さいカバンは車中へ間違いなく載せて貰わねばならない(折角積んだ荷物をまた降ろすのは面倒くさいから)。
出発式の時間も近づき、徐々に荷物が増えてくると、今度は逆サイドから荷物を積み込むのだが、どうしてなかなか、荷物が積めないのである。よそのクラスが全員分積み終わってグラウンドに整列できているのに、どういうわけか、うちの車の前には入りきらないカバンが10個近く待ち構えている!仕方がないので室長(点呼係・この人も担任のせいでずいぶん苦労させられてたなぁ)に、荷物積み込みのため、出発式への参加が遅れることを通知(どうせ担任《点呼報告を受ける人》から文句をいわれるはずだが)。運転手さん・添乗員さんと3人がかりで荷物を半分くらい降ろして、また積みなおし。しかしやはり2ヶ入らない。苦肉の策として担任氏の荷物は彼の座席に置き去りにして、生徒の分を優先的に積み込む。今度は積んだはいいが、フタ(?)が閉まらない!!反動を付けて無理矢理押すのだが、このフタを支える支柱がトランク内の荷物に引っかかって閉まらないことが判明。自分の手がはさまれるのも承知で、手で支柱分のスペースを確保しながらの悪戦苦闘。10分に及ぶ格闘の末、何とか閉めることに成功(倉敷に到着したとき、ふたを開けたら絶対5ヶは転げ落ちてくる・・・(苦笑)。
これは後から知ったことなのだが、うちのクラスの観光バスだけは、島内観光用に若干バスの尺が短いのであった。シートピッチは問題ないのだが、その分のしわ寄せが座席下のトランクスペースが小さくなっているのだった。・・・納得。
さて、無事出発式にも(最初のほうは無視したが)参加し、学校長にも「いってきます」の無駄な挨拶をし、バスに乗車。前述のとおり、教員のバッグが車内にあることを追及されて、なぜか嫌味を言われる。で、無事(?)午前7時40分、軽いクラクションとともに出発。私は一応「LT委員」なので「車内の暇つぶし」を命じられていたが、それを前半から飛ばして採用するとあとでブーイングが出そうなので、とりあえず皆が駄弁っている間は歓談タイムとすることに。車は国道22号(名岐バイパス)から名神高速一宮ICへ。ここから高速をぶっ飛ばしていざ吹田→中国自動車道・・・のはずが、今日は名神リフレッシュ工事の初日なので、高速に乗った直後に停止!!止まる事約15分、やっと動き出したかと思えば、止まる・渋滞するの度重なる繰り返しで、名神八日市ICに差し掛かったところで時間は10時!!本来ならすでに吹田JCTを通過しているはずの時間である。
渋滞を抜けた後は、貸しきりバスとは思えないほどぶっ飛ばし(ほぼ常に右側車線通行)、予定の休憩所を1箇所飛ばし、昼食休憩場所(初日の昼食は、ありがちだが持参)を10分のトイレ休憩に短縮。ご飯は学校の旅行では異例の車中食に。とにかく時間を省略し、最初の立ち寄り個所(場所が狭いという関係で、8クラスを半々(奇数と偶数)に分けて、立ち寄り場所を変更してあるのだ)である、陶芸所へ。ここで1時間ほど土をこねこね、轆轤をぐるぐるやって遊ぶ。私は3回、土の中に空気を入れてしまって、結局は向こうの方に「湯のみ」を半ば作ってもらったのであった・・・。
ふたたび車中の人となり、山陽自動車道を走る。名神とつながっていないせいか、車は少なく、また景色は中国自動車道そっくりの山中の掘割区間をトンネルと橋梁でつなぐだけ。あまりに単調なので、ここで私の準備した「暇つぶし虎の子シリーズ第1弾:イントロクイズ」を行うことに。実はこのクイズは、よそのクラスが準備したものとまったく同じものをダビングしてもらったのだが、そこは最近の歌謡曲事情を知らない私が準備したということで、周囲はちょっと盛り上がりまして、さらには優勝商品がないということでいまいち盛り上がりに欠ける、というブーイングも起きたため、無理矢理担任氏に『優勝者には宿でジュース1本』というサービスを付けていただくことに。これで何とか倉敷市内まで約1時間、引っ張ることができました(安堵)。市内に入ればガイドさんの案内が若干入りますから、私はお役御免に。そういえばここで買い取ったはずのカセットテープ、どこにやったかなぁ。
と、いうことでさほどの遅れもなく第1日目の宿泊先、「くらしき石山花壇」に到着。いかにも「修学旅行生を専門に扱ってます」みたいな施設であったが、まあ、部屋もそれなりに広かったし(1部屋8人詰め込むには充分だったかな、という程度ですが)、晩飯もまあそれなりの和食だったので許すことに。ただ、大食堂に全員詰め込むといすが後ろに引けないという状況なのにはちょっと・・・。
夜は郷土芸能の鑑賞。これまた狭い部屋に押し込められ、戸も締め切り電気も消してのアヤしい雰囲気(こういうのを「厳か」、というのであろうか?)の中で約45分間の鑑賞。私などは「(自称)記録係」なのでカメラを持ち込んだものの、写真に撮るのがさすがにとがめられたためにシャッターを押すことなくウトウト睡眠(汗)。芸能鑑賞後は、お決まりとでも言うべき「質問コーナー」。当然のことながら誰も質問などするわけでもなく、仕方がないので教員が約2名質問して、その後教員に散々せっつかれて1名質問をした。それでも向こうの方は大満足そうだったが、果たしてあれは、お世辞なのか?それとも本心だったのだろうか?
その後、各クラス15分単位というかなりの小刻みで入浴時間が割り当てられていたが、風呂自体がさほど広くなく、浴槽も15人入れば満員という小ささのため、当然ラッシュであり、さらに早く追い出したい教員が浴室と廊下の仕切り扉を開放しているので、浴室のある階は湿気が篭ってしまっていた。確かに管理はラクだが、各部屋にある小さなバスルームを使わせて方が、よかったのではなかろうか?
入浴後は小1時間ほど暇なので、よその部屋(私の場合、他のクラスの部屋、しかもあちこち)に顔を出したり、1階のロビーで教員と談笑したり、新聞を読んだり(1日1回は新聞を読まないと気が済まない)して過ごし、午後10時、部屋に押し込められることになった。
私は「宴会係」なので、こういった「部屋長会議」「室長会議」等の面倒くさいイベントは全部パスできたので、その時間は割り当てられた部屋でくつろぐ。一応部屋長が帰ってきたら、ちゃんと連絡事項を聞く義務があるのだが、私の権限(?)で、適当に省略してもらう(必要がある連絡事項などなく、すべては明日の確認と、今日の反省なのである。キャンプのときは部屋長をやらせた人間があまりに真面目で融通が利かない(まさしくこの学校のために生まれた人間(笑))人間だったので、その辺に往生した記録がある)。そうして楽しく遊びながら就寝時間になり、無理矢理消灯される。が、そんなもので負けて眠ってしまう学生など、小学生だろうが、中学生だろうが、高校生だろうが、そうはいまい。みんないきがって起きているものである。当然ヒソヒソ話をするのであるが、これを聞きつけて見回りの教員が部屋の中にやってくるのである。たしかに静まった夜の廊下、部屋の扉は(管理上)開けっ放しですから、声はよく響くだろう。しかし、それでよくズカズカ踏み込んでこれるものだ。我々も深夜1時20分の襲撃で、メンバー全員頭をドつかれて参会を余儀なくされた(後日談だが、教員は夜通し見回りをしていたそうである。まあ、よくやるわ。よその高校だと、12時くらいから教員たちは宴会をし出すのらしいが、この学校では酒も飲めない、とボヤいていた教員がいた)。
翌日は、同室の誰よりも早く午前4時30分に起床し、窓際の応接セットに腰掛け、持込みの小説を読みふける。自費で泊まれば「お茶セット」があるのだが、さすがに修学旅行、そんなものはないので、前日の晩に買っておいたウーロン茶缶(150円のボッタクリ価格)で朝のひと時をくつろぐ。午前5時、担任がのぞきにくるが、椅子に座って読書の私を見てさすがに驚いた模様。ふつう、夜中まで起きてるのに早朝から起きて本読んでないわなぁ・・・。部屋を出られるようになるのは午前5時30分以降なので、それまでは読書をし、外出可能時刻になってからは精力的によその階を巡回。そうして6時30分、未だに起きれていないメンバーをたたき起こし、無理矢理洗顔させて、午前7時の朝食に間に合わせたのであった。
おまけ:知人で余所のクラスの室長が作った「スケジュール帳」。しおりの行程表に、教員から散々口酸っぱく言われたこととかが書いてあります。読んで、過保護さを笑ってやって下さい。
※なお、お名前等が出てきていた部分は、カットさせていただきました。
なお、私の日記とは、回るコースが違っておりますので、ご了承下さい。
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