・俺達の参議院選挙 連載開始!星野とも子選挙に集まった仲間達! 第一話へゴー 2001年11月16日更新 戻る |
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第33話 公示日 とうとう公示日、変な話だが、堂々と選挙運動ができる素晴らしい日です。 10時、事務所そして、スタートは地元JR稲毛駅であります。 未来委員会の一日コーナーより 7月12日 いよいよ始まりました! 今日、7月12日、快晴の青空の下、2001年参議院選挙が公示となりました。 17日間の選挙戦の開始です。いよいよ始まりました! 選挙期間中には、様々な規制がかかります。「特定の選挙で、特定の候補者を有利 にする行為」という定義の選挙運動は、選挙期間中だけ許されています。その為に、 公示後は各陣営が一斉に候補者のアピールを始めるわけです。 ところで、公示と同時に選挙事務所では何が起きているかご存知ですか?それはま ず、とにもかくにも「証紙張り」という作業です。選挙期間中は、どの候補も「平等に」とい うことで、同じ枚数の個人ビラをまくことができます。そのために、立候補の受付開始と同 時に「証紙」というものが、選挙管理委員会から配布されるのです。その「証紙」というシ ールを貼った個人ビラしか配ってはいけないという決まりです。 配ることのできる枚数は、26万3千枚。その数分の「証紙」(約1cmx1.5cmのシール )をビラ1枚1枚に貼るのですが、この「証紙」が発行されるのが公示日なのです。つまり、 選挙期間初日にビラを配布するためには、立候補受付と同時に証紙を受取り、作業場ま でダッシュ!そして、ひたすら必死で証紙を貼るわけです。 未来委員会でも、朝一番は証紙貼り作業です。アップテンポの曲をかけてせっせと貼っ ていきます。証紙はシート単位になっています。1シート500枚。その単位でひたすら貼る、 貼る。少しくらい曲がっても気にしない!見た目はどうあれ、心は確実にこもっています。 暑い一日の始まりです! ここからはオリジナル。 さてさて、記念すべき、公示日未来委員会もはじけるように様々な行動をスタートした。 ウグイス嬢をやるメンバー、候補者に負けじと、熱い演説を繰り返すメンバー、必死に みんなが一生懸命に証紙をはったチラシを配るメンバー、船橋地区では、選挙ポスターを 貼りまくった。このメンバーからの報告も非常にユニーク、今回の立候補者は7名、ほぼ15時 には、ポスターを貼り終えていたのだが、どこのポスター掲示板に行っても、6.7番目だったと いうのです、どの陣営もすばやいものです。 スケジュールどおりなんとか、一日は過ぎ今日を振り返る、証紙は何枚貼れたか?5万枚 いってないかも・・。あと21万枚か・・・これについては、知り合いという知り合いが手分けをして 貼るしかない。しかし貼ってもこの、26万3千枚をいかにして配りきるかだ!! 選挙期間は、たったの17日間、t単純に計算すると、一日に16000枚近く配らなければいけない それも候補者がいるところで、配らなければいけないルールがあるのです。 朝から晩までチラシを配っても一人300枚も配れないのが現状です。人員を100人くらいそろえる 事が出来ればそれも可能かもしれません、この17日間に皆さんこうご期待!! 事務所内での明日の、スケジュール確認、そして明日の準備をして事務所を出たらもう真夜中。 第32話 公示日を前にして 7月12日は、参議院選挙公示日であります。 その日を前にして、具体的にさまざまな問題点が出てくるわけであります。 まず一つが。ポスター、今まで使用する予定だった、ポスターは、笑顔が強調されたより 明るいイメージのポスターに変更された、これは県民ネットさんの意向が強かったようです。 そして、宣伝カーを走らす際の、うぐいす嬢や運転手の問題、公示前のように、テープで流す というわけにはいきません。その人材確保に、スタッフが走り回ります。 12000ヶ所のポスター貼りについては、社面党が中心になりほぼ問題がなくなっていた そしてもう一つ、意外とネックだったのは、証紙貼り!この証紙貼りというのは、何かといいま すと、12日意向は、決められたチラシしか配ってはいけない訳です、何を持って決められたか と言いますと、チラシに証紙が貼ってあるものしか配れないわけです。 その証紙は決まりで、26万5千枚(誤差あり)のみ、選挙管理委員会から配布されるのです。 12日立候補申し込み以降にその証紙を貼ることになるので、それをどのようにして貼りきるか? 結構大きな問題ではあります、他陣営は、殆ど外注や、アルバイトにやらせるそうです。 何はともあれ、組織がないと、出来ないのがこの選挙システム。本当にやりたい人、出たい 人が出れないシステム、出馬すると決めても、選挙運動できないシステムが今の選挙制度だ と、強く感じた次第です。 この時期、更に月野陣営の回りの動きは激しいものになりました。 深夜も、人知れず広報活動に走り回る、中年勝手連の方々、いたるところで、この運動のチラシを 配る、現職議員や元議員の方々、私が駅を歩いていて、月野候補のチラシを手渡されたことも 何度もあった、変な言い方ですが、それは今まで、みんな顔見知り同士で、政治運動をやってい たのがこの時期、運動してくれる人の輪が広がってきたということだと思います。 5月頃、月野候補は泡沫候補にならなければ、面白い戦いになるとある新聞に書かれたことが あったのだが、現在は、完全に対等に戦えるところまできているという感触は感じていた。 更に大事なことは、月野陣営の気持ちを一つにすること、この時期相変わらず、月野陣営から 社面党をはずそうという、動きはさまざま方面からあったわけですが、月野陣営は揺るがず進む 事になります。 あるスタッフが、今までの毎週木曜日の会議は、公示後はどうなるのですか?と聞いてきた 私達はこう答えた「公示後は毎日、街頭演説が終わってからミーティングをします!」 今までは政治運動、これからは選挙運動その日は刻一刻と近づいてくる。 第31話 7月7日 七夕、星の集い、そして集まった仲間 後編 七夕の夕べ 本番を前にかなり満足してしまったのでありますが、七夕イベントは30分遅 れで始まりました。 会場はというと、100人前後でしょうか、がらーンとして、さびしい限り、しかし来てくれたメ ンバーを見ると、新しく星野選挙応援に加わってくれた、県民ネットの方々、各地区の勝手 連の実力者の人達、そして今まで、顔を出せなかった、力強い友人達、みんなすごいメン バーばかりだ、静かな集会ではあったが、それぞれ今後の危機感、やらなければ行けない ことを、心にしっかり刻み込んだ、いい集会だったと思う。 会場を20時ごろ後にしたわけだが、久しぶりに会ったメンバーが、そのまま解散するわけ も無く、そのまま地下事務所に集合、30人ほどで、今後のことを語り合う大盛り上がりミー ティングが始まった。 そこにはスタッフの中のスタッフ、青野・大宮・高田・県民ネットの粟野さんはいなかったの です。彼らは地上のメイン事務所で、本日の集会の反省をしていたわけです、動員人数とし ては最低でしたので、危機感はかなりのものであり、その彼らの顔は悲壮感漂うものでした、 それに比べ、地下事務所のミーティングといったら、笑いあり、大声あり、しかも、今日の中 央公演での演説の再現ありとおお盛り上がりでありました。 この選挙運動をはじめるとき、候補者の父、昌世さんが、「楽しくなかったらやってもしょう がない」といっていたのを思い出していた。23時ごろ、地上メイン事務所にいる、青野さん達 を全員地下事務所に呼び、また改めて 7月7日七夕の夕べ大集会ののお疲れさんの乾杯 を、盛大に行ったのでありました。 青野さん達は、この盛り上がりに最初かなり戸惑いを感じていたようだが、そこはずっと一緒 にやってきたメンバー、すぐに打ち解けたのであります、考えてみれば、常駐のメンバーそし て、時々来るメンバー、自然と何か壁のようなものが 出来ていたような気がする、それがこの瞬間で、その壁をぶち破ったという実感があった。 12日公示日を前にしてそれは最大の収穫かも知れません。時間は既に24時を過ぎていた。 第30話 7月7日 七夕、星の集い、そして集まった仲間 前編 「七夕、星の集い」前の街頭演説 第29話 広がるネットワーク 本編に入る前にお詫び・・10日近く更新が出来ずすみませんでした。このコーナーをリンク して頂いている方、見ていただいている方大変お待たせいたしました。 7月には入り、未来委員会のホームページのアクセス件数が一日40〜50件だったのが、一気 に300〜500に上がってきた、同時にリンクを申し出てくれるところも、各段に増えてきたのであり ます。7月7日に確実に来てくれる、勝手連の総数は相変わらず把握できないまでも、その140を 超える勝手連に対する、連絡網は、高田、大宮さんの力で鋭く出来あがっていった、それによって 街頭演説を.、5.6人でやっていたのが、この時期最低でも10人以上で出来るようになっていたの であります。 しかし未来委員会の常駐スタッフは、7月7日の集会のことを考えると、不安がつのってきていた のです、7月7日の会場は、800人ぐらい入る会場なのです、今のままでは100人前後しかきて くれないという感触しかなかった、特に責任者の一人、青野さんはパニックに近い状態だったかも ・・しかし未来委員会の他のスタッフには、こんな考えを持つメンバーも多くいた、特に龍居さん、 「マスコミ上印象は良くはないかも知れないが、もともと組織も、動員もないのが、私たちなのだか ら、別にいいでないの!そのとき来てくれたメンバーで再度公示後盛り上がる体制を作ろう!!」 そういえば、この時期の未来委員会のスタッフのどたばたを象徴する出来事が7月5日にあったの です、この日は12日公示前の最後の全体ミーティングです。 場所は地下事務所、参加人数は28名。 パニック1スタッフの一人龍居さんが、地元船橋の行動にもっと専念したいと言い出した、龍居 さんは公選はがきを2000枚書く予定だったが、まだ500枚しか終わっておらず、地元協力者 へのアプローチもかなり遅れていたようで、そのストレスから、思わず口に出してしまったようだ。 本来は、選対事務所の活動と事務所の活動は両立できると確信していた人でしたので、相当 あせっていたのかもしれません。 パニック2街頭宣伝の責任者、東さんが10日ほど休みたいと突然言った!! もうびっくり、彼は大学院のゼミ合宿があるので、だめといっていたが、急の発言に慌てる 東さんはそれまで「大丈夫選挙運動は出来るといっていたのです」、 あとで、東さんに、「なぜあんな事言ったの?」と聞くと、「自分が休めば、もっとみんなが、危機 感を感じて、この運動に参加してくれると思ったから!」と答えた。 パニック3 突然青野さんが、.選挙ポスター貼りの件も問題が残っていると言い出した! 選挙ポスターを貼ることは大変なことなのです、なんと千葉県全県にある、約12000箇所のポス ター掲示板に、7月12日公示後、一日それも、早い時間にすべて貼り終えなければなりません。 その手はずは、かなり早い時期から社面党を中心に進めており、99%整えておりました。 それをすべて、把握しているはずの、青野さんが、まだ何も進めていないと、みんなの前で言って しまったのです、他のメンバーは、その重大さがわからないのか、きょとんとしておりましたが、あせ った龍居さんは、その場を飛び出し、社面党の高松さんと面会した。 結果は、ポスター貼りは手はずどおり進んでいるとの事、龍居さんはほっと胸をなでおろしたので す。龍居さんは、青野さんになぜ、あんなことを言ったのか?と聞くと、青野さんは答えた 「少し頭がつかれているようで、混乱していました」 龍居さんは心の中で思った、第26話で話した事が、この時期さらに激しくなっているのは、確実 この時期さらに、社面党をはずしたいと思っている、グループの行動が目立ってきているわけです、 その人達の意見を、正面で受け止め続けなければならない、未来委員会の中心メンバー気苦労も 大変でしょう、この話しはここまでにしておきましょうか・・・。 誤解されるようなことは気をつけよう。 参議院選挙は国政選挙、この時期社面党を避けたいと思っていたグループが、結局その社面党 の応援をさらに期待するようになるのは皮肉な話し、これもあとでじっくりと書きます。 なにはともあれ、7月7日集会の日はやってきた! 第28話 7月7日に向けて 7月7日に、またひとつ、大きな集会をやろうということになり、準備に入った。 6月の20日前後だろうか、街頭宣伝から事務所に戻ったとき、7月7日の実行委員の主要な スタッフにより会議が行われていた、その内容を聞いてびっくり、7日の内容について話し合っ ているのである。当然それも重要ではありますが、根本的に人をどのように集めるのか、など 大事な部分が完全に抜けているのである。この選挙事務所は、人を集める為の組織が当然な い。 まして勝手連を中心にした集会を行うという目標を立てても、その手がかりだって充分で ないのであります。 自転車キャラバンの時に、感じた「みんなが、私たちを待っている」という感触をまだ、実際に 試していなかった。そこで、龍居さん、口山さんを中心とするグループが、堂本選挙の時の 勝手連約200をリストアップし、直接アプローチすることになったのであります。 具体的方法は、勝手連約200グループを地域ごとに4つに分類、6月24日から7月 4日にかけて4つのミニ集会を各地域で行うという計画である。 龍居・口山・山崎・高橋の4人で、一斉に各勝手連の代表者に電話をかけ、月野陣営の協力 を依頼し、なんとこの電話連絡で、新たに、140以上の協力グループのリストが出来上がった のであります。が、まだこの時点では、勝手連に対する連絡網や連絡方法が確立されていま せんでした。 6月末に、千葉県ネットが月野陣営を全面的に支援するということが決まり、当選にむけて大 きな足がかりが出来たのです。 勝手連の外郭がまとまり、勢いに乗るかに見えたが、月野事務所の本部は、実はさまざまな 作業が集中し粉砕寸前であったのです。 常駐スタッフは、殆ど寝る時間も無いほど、ハードであり、通常そういうときは、それをカバー するべく、メンバーが出てくるものですが、そこは99%ボランティアの世界、毎日こられるメンバ ーが引っ張っていかないことには、何にも進まない。そう言ったわけもあったのでしょうか、県民 ネットから、一人粟野さんが常駐で、参加してくれることになり、街頭宣伝スケジュールや人の 手配などを、鋭く担当してもらうようになったのであります。マスコミ対応も、社面党とは別に粟野 さんの主な仕事となった、粟野さんは堂本選挙でも、事務局長として活躍した方なので、マスコ ミとしては、情報を引き出すための、窓口としてはよかったのかもしれない、しかしこれにより、未 来委員会の影がかなり薄くなったのは事実であります。未来委員会は存在意義を高めるために、 何をすればいいか、大いに悩むことになります。 2001年7月 とうとう選挙の月だ!未来委員会、県民ネット、社面党、各勝手連がどう絡んで どうその輪が大きくなるか!それはもう大変でした! 第27話 街頭宣伝は続く この時期はいわゆる宣伝カーを使った、政治運動は、朝は4.5人で駅前、夕方も 5,6人で駅前で街頭宣伝をくりかえし、日中は2.3人で宣伝カーに乗り込み、未来委員 会そして、月野智子の名前を広めていったのです。 平日などは、たった2人で、チラシと街頭演説をしたことも多かったのです、そのときの ちらし配りの達人、チバローさんの活躍はまた後日書きますが、土曜日そして日曜日ともな ると、ボランティアの人数が、だんだんと多くなってきたのであります。それがわかる話を 未来委員会街頭演説行脚の巻きをどうぞ!! 未来委員会HP、今日の事務書より 6月17日 今日の事務所 本日は松戸・柏地区重点街頭宣伝日です。Tは10時に八柱駅に降り立ちました。駅 前ロータリーに向けてひとつ大きな深呼吸。そこにやや高めの声で戸口さんが登場。続いて 街頭宣伝初デビューの尾籐さんも登場。そして宣伝カーひまわり号も到着。候補者・そして 藤山・深川登場、未来委員会は6名であります。長い一日が始まりました。 本日の朝一番は、社民党推薦の比例区候補 船橋くに子さんも合同で駅頭宣伝です。 船橋くに子さんを応援する勝手連の勢いもすごい。ビックリです。 10時45分ごろ、船橋陣営と我が候補者は八柱駅を出発してしまったのですが、未来委 員会はしばし八柱駅にとどまり、単独で演説チラシ配りを行いました。 11時30分場所移動。向かうは柏駅デッキの上です。戸口さんの「あそこは駅が大きすぎて 嫌だ」という声を見事に無視して強行に柏駅へ、そして開始!すごい人、あ〜目がくらむ。 やっぱり戸口さんの言う事聞いていればよかったと思ったところへ、河崎さんが合流。いきなり マイクを持ち始め、そして河崎さんは1時間話し通した。脱帽・・・。 チラシはあまり取ってくれなかったが、名前は結構覚えてくれたかも・・。 時間は2時15分、おなかが減った!近くのコンビニでパンなどを各自買いこみ、近くの路 地裏でひっそりとお食事タイム、これが結構楽しみなのです。自由に話せるこの時間が最高 です。 15時新松戸駅で街頭宣伝。結構チラシを取ってくれたので、みんな少し立ちあがる!河崎 さんはここで事務所に戻った。学生ボランティアの打ち合わせがあるのです。ご苦労様です! 16時新松戸を出て、今度は松戸駅西口へダッシュ!16時30分候補者と合流し、街頭 宣伝を始める。近くで居酒屋の呼びこみが始まる。「7時まで生ビール半額だよ〜」。あー、 うまそう飲みたい!気分を変えて懸命にチラシを配る・・。時間はあっという間に17時30分 、街頭宣伝終了!ここで戸口さんと尾籐さんは帰宅。おつかれさまでした。 残った候補者・龍居・深川・藤山は「森のホール」へ急ぐ!朝、一緒に街頭宣伝を行った船 橋くに子さんの松戸勝手連の集会があったのです。そこに候補者も呼ばれているのです。 18時45分開始、人数は130人以上。よく見ると衆議院議員最年少の、原よう子さんも来 ている。あとで写真を取ろう!いやいや、何を考えているのでしょうか・・・。 19時45分、龍居は次の予定があるので、やむなくその会場を後にしました。 そのあと何があったかは次回レポートのお楽しみ!毎度中身がないレポートで失礼します・・ が、雰囲気を感じていただければ幸いです! [6月14日〜22日]今日の事務所 続く 自分たちの行動を再認識しよう!! 第26話 公示日まで一ヶ月 6月10日のイベントも終了、月野候補がもっともほっとできるメンバーの一人大宮さんが 常駐メンバーに加わり、事務所体制も万全といきたいところだが、内情はかなり厳しいものが あったわけです。ボランティアは着実に増えてきてはいるが、来てくれたボランティアに、適 正な仕事を提供できなかったり、苦手なことをしてもらったりと、なかなかスムーズに回らない のです。そんなわけで、怒って帰ってしまう人が出たり、ベテランボランティアからは、愚痴が 出たり・。私のようなものからすれば、それもいいんじゃないの、公示後には、人のことを気に する余裕も無くなるしと、結構気軽に考えていました。 回りの方は、この状況をどう考えていたかと言うと、それはもう頭が下がる思いでした。 回りの方たちを具体的に言うと、例えば社面党や・選挙のプロ中のプロの議員や元議員、 各団体の幹部、中年勝手連の方たち(その中には市民運動のプロ、その関係の人達なら 絶対に知っているようなそうそうたるメンバー)こういう方たちは、未来委員会のこの現状を 知りながらも、ぐっとこらえて、20代〜30代の未来委員会に任せるという態度を徹底して 崩さなかった。その方たちはあくまで、自分の地元、そして人間関係のつながりを利用した 、ぱっとは目立たないがすさまじい活動を行っていた。 全体の動きの調和という意味では,物足りなさを感じていたものの、月野の知名度は、選対 事務所の未来委員会のどたばたとは裏腹に広がっていったのです。 選挙公示日まで一ヶ月を切ったこの時期に気をつけていたことのひとつに、以下のことが ある月野が少しづつ有力になるに従い、協力しましょうと言う団体が出てくる事だ、それはと てもうれしいことでもあるのだが、この時期から、公示日までに必ずといって出てくるのが、 「お金を出すから社面党の推薦をはずしてくれ」「お金を出したら、確実に当選させてやる」 こういうグループです、彼らは,正義感でいってくるケースが多いが、私からすれば何でも お金で図る、旧態依然とした時代遅れの連中だ。 特にこの月野選挙は完全にボランティアで成り立っている選対事務所である。 今まで、集まったメンバーに対して、組織を大きく変更することは、許されない事(これについ ては未来委員会の中でももしかしたら、意見がわかれていた時期があったかも) とにかく、こういった、要請があった場合はこのように言って断るように決めた! 「あんた達、気は確かですか?」 ともかく公示前は、現状に不安を感じて、強いリーダーシップを,望むようになる、そのとき が一番危険だ、月野選挙らしさを失っては何の為に選挙をやっているのかわからなくなる,こ のメンバーでピンチがあれば、絶対にこの中からリーダーがまた一人現れるそういったメンバ ーだ。6月28日から県民ネットの関係で、粟野さんが来て、ある面でリーダーシップを取ること になりそのことにより出番が少なくなってしまったかも知れない、20〜30代のリーダーの一人 になり うるメンバーが本当に多くいたのだ! 時は6月中旬、厳しいスケジュールの中、我々未来委員会の政治運動は続く,次回は その現場から!! 題25話 自転車キャラバン終了そして6月10日月野を励ます会] 6月9日に夜の8時ごろ、月野選挙事務所に自転車キャラバンチームは到着した。 配ったチラシは5000枚以上、勝手連作成14グループ、街頭演説回数20箇所以上いろいろ ありました。海に浮かぶサーファーに向かって、月野候補が演説したこともありました。 宣伝カーからの声はほとんど肉声で行い、「参議院選に立候補する月野智子を応援する 未来委員会です」と言うところを疲れて「月野智子を愛する・・・と言ってしまったこともありまし た。とにかく延べ人数で40名近いメンバーで、完走したわけです。 選挙事務所の前では、仲間が30人ぐらいで出迎えてくれました! そして地下の事務所で、夕食&乾杯となったわけです。 この地下の夕食がなんとも、盛り上がったのです。多くのスタッフが自転車キャラバンチームと 行動を共にしているその間、少ない人数で,事務所を守った。青野さん高田さんそして各メンバ ーそれぞれの顔にひとつの達成感というものが感じられた。 時間はあっという間に10時、あしたは400人近い人が来てくれる集会だ、未来委員会は 気をさらに引き締め、その準備に取り掛かった。 6月10日になった。朝からどたばたであります、なんと社面党さんは、現職参議院議員で 今回比例区で出る清水議員もPRしたいという事で、会場に呼ぶという事だった、未来委員 会としては、この励ます会で,社面色が強く出るのを少しでも避けたいという意向があったの で、それならば,未来委員会としては,広く党派にこだわらずこれからの議員候補も応援した いという事で、かねてから、未来委員会船橋グループが応援している、6月24日に行われる 船橋市議補欠選挙に出馬する、志村候補選対事務所に急遽連絡をとった。 志村選対事務所の責任者の一人船橋市の加藤市議に志村候補のスケジュールを無理無理 調整していただき、月野を励ます会に来ていただき、花束交換をさせていただいた一幕もあっ た。ここで出てきた、船橋の加藤市議は、参議院選挙公示後も、素晴らしくリーダーシップを 発揮するのですが、実は既に、未来委員会の中心メンバーとかなり,意見交換をしており、 困ったことがあると,この市議にかなり相談していたということを知る人は少ない。 月野を励ます会は、400人前後の参加者を集め、途中,各勝手連の対抗意識が出てしまっ たところは感じられたが、未来委員会の自転車キャラバン到着セレモニーも含めて、 結果的には,かなり選挙を戦っていくという意味では士気が高まった。 16時に終了,その勢いで、そのまま津田沼駅の街頭演説に向かった! 21時には事務所に未来委員会は殆ど戻っていたが、さすがにハードな一日でありました、 月野智子の知名度は少しずつだが上がってきている、当然,問い合わせ、各勝手連 との連絡が頻繁に行われるようになる、月野事務所の常駐スタッフは3人彼らは当然オーバー ワークになる、当然、さまざまな問題が起きて来るわけである。 |