僕達の参議院選挙 | 戻る | ||
第1話〜第25話 | |||
第24話 名前を広めよう!! 6月10日に,大規模な集会をやることになったのです、未来委員会をはじめ,それぞれの 勝手連が力を結集して、盛り上げようということになったわけです。 未来委員会としては、千葉県をほぼ一周する自転車キャラバンを計画、6月10日にその 到着をあわせて、会場に盛大に突入し、若さのパワーを示すというのが目的でありました。 それを前にして5月の27日、宣伝カーが完成、大きなひまわりをトレードマークにかなり 派手な車となりましたが、気持ちは盛り上がる。宣伝カーの為のアナウンステープももちろん 私達で作成。このときに話しはこちらを見てください[5月21日〜30日,てんてこ舞い事務所] 6月4日とうとう自転車キャラバン出発の日となった。月野候補と宣伝カードライバーの深川 さんは前日に館山の出発地点で宿泊、自転車を走らせるメンバーは当日に館山入りをした メンバーはリーダーの東さんそして、えとこんさん・大林さん・藤山さんであります。 館山駅に9時集合、地元の支援者と街頭演説を行い、そして月野候補そして,数社来ていた 新聞記者のうちの一社、日日新聞の記者も同行する為に自転車をこぐことになった。 この様子はこちらを見てください。・・[6月4日〜6日] & [6月7日〜9日] この自転車キャラバンのことは、新聞も広く報道してくれていたので、千葉県中,行く先々で 私達を待っていてくれるという感触をもった。堂本選挙で頑張った人達が、月野智子陣営は 何時になったら声をかけてくれるのかと待っているという話しも大変多く聞くことになった。 この後,未来委員会の行動方針も大きく変わる。 第23話 問題の3連ポスター 未来委員会は、月野選挙事務所の実際の運営を、任されてはいましたが、前にも話した 通り、月野選挙をひとつの目的として、合法的に立ち上げた、政治団体を未来を創る会 といいます。その中に、未来委員会もあれば、社面党、各団体、さまざまな勝手連がある わけであります。その横のつながりを、密にしようと5月に合同選対会議を開き、お互いの やり方、方針を調整したりしていました。 そのとき、まったく予想だにしないことが起こったのです。 いきなり社面党さんが、3連ポスターを千葉県内に数万枚貼り出すというのです。 これに多きく特に反発したのが、熱い東さんと青野さんであります。3連ポスターとはどういう ものかといいますと、月野智子・社面党党首 土井たかこ、そして福島みずほの3人の名前が 並んだポスターであります。 未来委員会の多くのメンバーからは、こんなポスターを貼ったら、社面党の印象が強く出て しまうそれにこんなこと聞いていないし、こういうことをするのだったら、この選挙事務所では、 やってはいけない、という声が続出、ここで、少し年上の龍居君の登場となり、社面党との 交渉になった。しかし龍居君は結構、そのことを、重視していなかったのです、むしろこの 3連ポスターはマイナスにはならないとさえ思っていたのです、月野候補の知名度は、県の 中心部では何とか広がっていたものの、千葉県の主に地方では、かなり遅れていたのであり この3連ポスターを好いように利用したとさえ考えていた。 早速社面党の高松さんに、未来委員会からの抗議として話しを持っていった、その第一声は 「約束は守りましょうよ(実際はもっと露骨できつい言葉でした)」でありました。 未来委員会のメンバーも話し合いに加わり、3連ポスターについては、枚数を減らすこと そして、地方は6月のはじめから貼る、中心部は張る時期を大幅に遅らすということで、一様 話し合いはついた。 このときの問題は、もっと根が深い、何が一番の問題点かというと、獲得票数の目標が 未来委員会と社面党さんでは、大幅な違いがあるという事なのです。 具体的に言うと、社面党さんは社面党票を30万票獲得すると言うのです、しかし私達は、 社面党さんの票はO万票しかないと読んでいたのです。このあたりは非常に重要なところで 今後のポスターチラシについても、この目標数値の差が、デザインとかの問題を大きくする 訳です。 どちらにしても、月野の知名度を上げなければ、問題になりません。その点、未来委員会の 行動の遅れは確かであったし、この3連ポスター事件も未来委員会のメンバーにとっても大き な刺激になったことは間違いない、 「頑張っているグループ仲間の、文句を言う前に、まず自分も頑張りましょうという 意味でも!」未来委員会は当初マスコミから社面党の下部組織と疑われたこともあった その未来委員会、若者が主体的に頑張っていると有権者にアピールしているかと言うと まだまだ弱い、頑張りましょう! そろそろ6月、未来委員会ならではの、行動が始まります、そして何より常駐のメンバーが 3人出来る、これからですよ!5月一杯で青野さん、高田さんはこの選挙の為に会社を辞めた そして大宮さんも選挙当日まで常駐となる。次回は行動の巻!! 第22話 それは無いでしょ?他陣営の皆さん 5月の下旬、市川駅で我慢の限界を超えてしまいました。 そのときまでは、私達、固すぎる政治運動を当たり前ですがやっていました、いわゆる制 限速度を必死に守るという感じでしょうか・・。その理由としては,他陣営の妨害というより も,むしろ無党派の嫌がらせに対しての防御でした。まじめにやっていれば、彼らに付け入 る隙を与えることは無いだろうという考えからであります。しかしこの時期、知事選の勢いを 参議院選につなげようとした,あるグループの勢いが,急速に無くなっていったのでありま す。 そこで、街頭演説のやり方についても,一歩前進した考えを持って行動しようという話 しをスタッフでしていた、まさにその頃であります。 未来委員会は6人ほどで市川駅で,街頭演説をしていたのです もちろん「のぼり」は、候補者の名前も書いていないイメージカラーのみのでありました。 演説している私達の近くで,やおら「のぼり」を立て始める団体がいるのです、その「のぼり」 には、大きく「協賛党」とかいてあるのであります。 私達の周りには,その「協賛党ののぼり」が取り囲んでいるのです。 端からみたら,私達はまぎれも無く協賛党に見えるのであります! 私達は抗議をしましたが、スピーチを10分交代でやりましょうというのが精一杯・・。 街頭演説のやり方はこのままだと,完全にまずい、本当に選挙違反すれすれの線まで、 ひっぱらなければ,さらに厳しくなると痛感、これ以降「のぼり」「看板」等に変化が見られる ようになる。大きな声では言えないが・・ 投票までもう2ヶ月を切る月野智子の知名度をぐっと上げるために、未来委員会は、自転車 キャラバンチームを結成し、千葉県をほぼ一周する計画を立てる! その頃、未来委員会と社面党でひとつの大きな問題が持ちあがったのであります。 それは次回! 第21話 それでも続けなければいけない。 この時期は、月野智子を中心にさまざまな人達が動いておりました、その方たちの 話しは,詳しくは次回にしますが、社面党そして「1969」という強力な中年勝手連を立ち 上げた人達、月野の親類の強力な人脈を中心とした組織、月野の両親を中心とした、議員 の組織、その,並外れた力を持つ人達が、この20〜30代を中心とした未来委員会を 口を出したいのを、ぐっとこらえて大きく見守っていてくれていたのであります。 もう後戻りはできないというプレッシャーを,強く感じているときでもありました。 5月21日早朝 月野候補の所にひとつの訃報が届いた、月野候補のおばさんにあたる 方が亡くなったのである、月野候補の母親の姉であり,多くの人から慕われていた人でし た。月野候補はそのおばさんをとおして、この上なく尊敬していたおばあさんを見ていただ けにそのショックは計り知れないものがありました。 月野は、スケジュールを淡々とこなしていた、翌日22日はまた一段と大事な会議が待ち 構えていたのであります。 その会議とは、最近千葉県ではかなり影響力を持ってきた県民ネットの幹部会に参加する 事であります、3月に行われた千葉県知事選では、その行動力で、選挙結果にかなり影響 を及ぼしたといわれるグループであります。 このグループが月野候補をしがらみ無く応援してくれれば、かなり有利になるのは間違い 無いのであります。 月野を応援するかしないか,これを考えようというのが、今回の会議なのであります。 10時きっかりに,月野そして青野は県民ネットの会議室に到着した。そこから1時間彼らは 県民ネットの幹部、約30人を前にして,堂々と話しをし、そして質問に答えていた。 月野候補、そして青野さんは二人そろって、大切なそして本当に大好きな身内を亡くして しまったのでありますが、その二人が今、こんなに頑張っている。当たり前なのかもしれま せんが、そんな二人を見て訳もわからず感動していた。そして喜びも悲しみもすべて,ひっく るめて抱え込んで、この選挙を頑張らないといけないとまた改めて思った訳であります。 県民ネットが支援する事については、この会議がきっかけで、支部単位で,応援を表明し てくれるところが出てきたのであります。そして6月末にはほぼ全面的な協力体制を作るこ とが出来るようになるのです。 さて次回は、月野を取り巻く応援団についてパーと話していきましょう! まだまだ,宣伝カーも無い、そしてきっちりまじめな政治運動をしている私たち、困ったことも でて来ました。次回はそれも紹介しまーす。 第20話 自分の思いを話そう!主張しよう!街頭演説編 5月18日 今日の夕方は八千代市の勝田台駅であります,メンバーは5人、月野候補は 支援者回りで、不在、しかし街頭演説は始まったのでした。 先頭は青野さん、スタートということでさらっとまとめる、参加者の殆どが話し、今日はじ めて、応援に来た,日野崎さんも緊張しまくりで話した、日野崎さんの演説も特徴がある、 内容はこうです「ご通行中の皆さんは、政治家に、任したとよく言いますが、政治家に任 してはいけないのです!政治家と一緒に動くのです、任せっぱなしは本当に危険だ!」 なるほど,みんないろいろな思いを持っているものだと、私もチラシを配りながら、笑顔で 聞いていたりしています。私達が今話していることは、この国に対しての、国民に対しての メッセージなんだ! いいんでないのー!自分自身そんなことを思いながら、20代・30代 の主張を聞いていた。一通りみんな話し、2巡目となった。 マイクを持ったのは、青野さんだ。駅から人がどっと降りてきた,バスを 待っている人も,待ち合わせの人も多くなってきた・・。 青野さんは話し始めた。 「私の大事なそして尊敬していた人が今月はじめに亡くなりました。その人は、若い頃か ら会社のために死に物狂いで働きとおしました。40代で上場企業の取締役になり,50 歳で病気に倒れ彼はまもなく亡くなったのです。 朝から晩まで働きどうした彼は立派です。しかし本当にそれだけでいいのでしょうか? 家族との会話はあったのでしょうか?彼に安らぎの場は会ったのでしょうか、彼は家族に その場を作ることが出来たのでしょうか。死んでしまったら何にも出来ないじゃないか!! 仕事に追いまくられるだけで、みなさんもいいのですかー!!」 私は、チラシを配る事が出来なくなり、青野さんを見ていた、未来委員会のほかのメンバ ーもそうしていた。青野さんのメッセージは殆どの人が、「甘いことを言っているんじゃない」 と思っていたかもしれない・・。 青野さんは5月5日のキックオフミーティングの中心的役割をになった人物です。キックオ フミーティングそして整理が終わってすぐに彼は、危篤状態のおじさんの元へ向かったので した。 数日後、彼の尊敬するおじさんは亡くなった。選挙事務所に戻ってきたときの青野さ んのあのときの顔が、思い出され、そして今、必死に声をはらして,そして涙をこらえて話し ている彼の姿を見て、思わず涙がこぼれた。 みんなそれぞれの事情を抱えながら、この運動に参加している。そしてその思いを,日本 で初めてぶるけることを可能にした選挙運動を私達はしているのだ。 さまざまな思い,月野候補も、5月ひとつの悲しみを超えなければならなくなる。 続く 第19話 街頭演説その特徴! 月野選挙の街頭演説の,特徴のひとつは、なんと言っても、その駅頭に来た人全員が 演説するこであります。 5月14日場所は,海浜幕張・・。候補者の演説が終わり、次に42歳の龍井さんの番 です。龍井さんは話し始めた。10年以上前は、あきれるほど演説にあけくれていた龍井 さんも,久しぶりの演説は、なぜかぎこしない、自分個人の思いを話しすぎているのです。 例えば、民主党も自民党も社面党も、日本をよくするという思いがお互いに少しでもある のなら他の政党の批判をする暇なんてないでしょう!もっとお互いに協力しろ〜! 確かに言っていることは悪くないのだが・・・選挙演説にしては??と思っていたところ 龍井さんのところに32歳の青野さんが近寄って耳打ちしていた。 青野さんに「なんて言ったのですか?」と聞くと青野さんはこう答えた。 「30秒に一回は月野候補の名前を言ってください!」デアリマシタ。 その後,龍井さんの演説内容は変わったのは言うまでもありません、 しかし年齢・経験関係無くアドバイスし合える、このメンバーには可能性を感じました。 同じく幕張本郷駅での出来事、20歳になったばかりの、深見さんの演説のときでありま す。彼は選挙演説はもちろんはじめて、しかし彼の言葉は,熱くしみてくるのです、彼独特 の言いまわし・・「私達、月野智子を応援する未来委員会に、この日本を任してはくれない でしょうか〜!」とこういつものように言ったときであります。つかつかと,上品そうなご婦人 が深見さんの所に寄ってきてこう言ったのです。 「君ね、言いたいことはよくわかる、でもね、言葉使いがおかしいのよ、日本を任してくれ ないでしょうかでは間違いですよ、正確には日本を任して頂けないでしょうかでしょ! わかった?わかったなら頑張りなさい!」 私達は唖然そしてびっくり、次の瞬間から深見さんは,しっかり・・・頂けないでしょうか!」 と言い直しておりました。 候補者がいなくても,とにかく街頭演説は,未来委員会でも続けておりました、そんな5 月18日夕方,場所は八千代市の勝田台駅での事でした。 不覚にも私は涙を流してしまった。 続く 第18話 仲間の連携 街頭演説も始まった、その頃、未来委員会の定例会議も毎週木曜日19:00と土曜日 19:00からの2回行われるようになっていた。パソコンの世界では,メーリングリストを 立ち上げ、その時点では登録者は60人を超えていた。人数が多すぎて、情報が氾濫 してきたので、この時点でメーリングリストは少し見直し、そのほか、メールマガジンの 準備に山滝君・戸口さんが入った。 世間では、自民党の森首相が交代、小泉首相になり、訳のわからない,小泉人気が マスコミで騒がれ始めた。この件については、わたしたちは,歓迎していた。 今回の選挙は最初から,自民が有利であり頭ひとつ以上抜けている、ならば、小泉 人気とやらで、民主党の票まで、奪い取ってくれれば、月野候補は、かなり当選圏に さらに近づくとよんでいた。 5月17日木曜日。いつもの定例会のときである、20人ぐらいでいつも、今後の街宣の 予定だとか,段取りなどを決める会議をしていたが、この日は,地元の大学生が、12人 どっと会議に参加してくれたのであります、あの口山君が声をかけて呼んでくれたので す。彼は5月の6日にも、青年会議所で頑張る竹坂さん・成田で行動力抜群の鹿児山 さんという、今後キーポイントとなる仲間を連れてきてくれたのであります。 17日の会議は、かつての政治運動にはなかった、大学のサークルのような雰囲気さ えかもし出していた、取材にきていた、新聞記者の方もかなり驚いていたのであります。 総勢32に人での会議、今後の広がりを予感させるには充分であります。 本日参加してくれた,地元大学生の中でも、今東君・久東君・星田さんは特に今後 大活躍することになります。 次回は街頭演説でのエピソードなど書きます。 第17話 最初の街頭演説 他陣営が、がんがんに駅頭にたち,街頭演説を繰り返している5月の13日、わたしたち は何をやっていたかといいますと、あせる気持ちを押さえつつ、なんと事務所で「のぼり」 作りをしていたのです。緑のイメージのみ強調した,候補者の名前も無いのぼりです。 事務所のミシンが壊れてしまったので、メンバー4人で手縫いで仕上げていったのです。 びっくりすることに、候補者自身も縫っているではあーリマせんか!時間は既に夜中 出来あがったのが,3本! 明日はこの「のぼり」と、借りたハンドマイクでスタートをきる。 5月14日朝6:00西千葉駅にに集合 候補者含めて、総勢4名でのスタートであります。 まずは、社面党の高松さんが,手本の街頭演説、そして月野候補が演説を開始した、 出勤途中のサラリーマンが相手の演説なので、本当に挨拶程度のことしか出来ない。 まだ迫力も無く、淡々と話すだけの,演説ではあった、もう2ヶ月しかない、どう変わって いくのか??本当に間に合うのだろうか・・不安が募る! 第16話 選挙違反とは!! キックオフミーティングが終わり、さまざまな意見が寄せられた、マスコミが,四街道の 大火事のために,一社しかこなかったのですが、そのことについて、マスコミ対応が、甘 いと言ってくる支援者、200人以上こなかったではないかと、今後の若者中心の選挙運 動に対し、方向転換を即す,中年勝手連の方たち、しかし、未来委員会は,ここで負ける わけにも行かず、キックオフミーティングで結束が高まった,スタッフは,外向きの行動 いわゆる、街頭演説の準備に入った。 ここで問題になるのは、どんな政治運動ができるかであります。公示前はあくまで政治 運動であり,選挙運動ではないのです。具体的に言うとこうです。 「月野 智子をよろしくお願いします」とは言ってはいけない!しかし 「7月に予定される参議院選挙に立候補予定の月野 智子を応援する未来委員会で あります」はまあ許される範囲か・・。というところであります。 ですから、当然、月野 智子などと、書かれているのぼりや,看板はだめなわけです。 社面等や、選挙経験の豊富な人達は,そんなことどこだってやっているから、気にしない でもいいというわけです。 しかしこの時点で、私たちが一番気にしていたのは、まだある、無党派の動きでした いわゆる、完全無所属の候補者を立てたいという、堂本選挙で活躍した方たちの動きで す。この無党派といわれる人達から、変なうわさが立たないように、クリーンな政治運動を する必要があったわけです。選挙違反をしないのがおかしいといわれる、この情勢の中で の行動はかなりきついものがありました。 わかりやすく言うと、車道を制限速度を守って,ひたすら走りつづけるということです、他 の車(候補者)は平気で10k〜20kスピード違反をして私たちを、おい抜いていく・・・おい 抜いていくというよりは、ますます引き離していくといった感じでしょうか。 何はともあれ、5月14日最初の街頭演説が,西千葉駅で始まった,次回はそのときの 話をします。 第15話 キックオフミーティング! とうとう、5月5日になってしまった。 今日の会場は、事務所の横のレストランをメイン会場にし、2次会会場を、地下の元 ライブハウス場にしたのでありました。 地下の元ライブハウスは、この事務所開きを前にして、メンバーで、大掃除をしたのであ ります。そのために見違えるほどきれいになり、キックオフミーティングをここでやろうとい う話になったほどであります。最初から地下でやるのはどうか?という意見が出てそれは 没! さて肝心のキックオフミーティングはどうかというと、制作担当の五島さんが、新聞記事 風にまとめたのがあるので紹介します!ささっとこの文を書いてしまうのだからビックリ です。 月野とも子氏の事務所開きに市民など130人が参加 7月の参議院議員選挙で千葉県選挙区から立候補を予定している月野とも子氏(無 所属/社面推薦)の事務所開き(キック・オフ・ミーティング、主催:未来を創る 会、)が、5日、同氏事務所及び近隣のレストランで開催され、地元 の市民や月野氏の友人、支持者など約130人が参加し、月野氏の出馬に向けて盛大な エールを送った。 月野氏はあいさつの中で「私たちの次の世代の子どもたちにいい環境を残す責任を 果たしたい」と述べ、県内でも問題になっている水質汚濁や不法投棄などの環境破壊 を引き起こしている社会自体を変革して行くために政治の世界に飛びこむ決意をした 経緯を説明した。参加者からはリレートークというかたちでそれぞれメッセージを送 られた。 続くセレモニーでは、仲間たちが徹夜で作ったというキックボードに向かって月野 氏がサッカーボールをゴールすると、里山の保全など月野さんがめざす理想の社会を 表現した、スタッフ作の画が表れ、来場者の共感を誘った。このほか、龍居未来を創る 会事務局による選挙に向けた活動方針などの紹介や、友人や恩師によるあいさつなど が行われた。 今回のキック・オフ・ミーティングは、来場者のほとんどが普段着姿の若者たちや 子ども連れのカップルなどで、候補予定者の事務所開きとしては異色の盛りあがりを 見せた。また、終了後近くのライブハウスで行われたキックオフパーティーにも星野 氏が学生時代から力を入れている環境NGOの仲間など約95人が参加した。 龍居事務局は「予想以上の方に来ていただいて大変感謝している。21世紀 の環境と暮らしを良くしたいという月野さんの姿勢に、多くの県民の方が共感してい る証しと受けとめたい」と語っている。 以上です 2次会は、90人ほどの参加で、あの地下元ライブハウス会場で、更に盛りあがった。 一段落したのは23時ごろだろうか・・・。そしてメンバーで反省会を行った。 マスコミの反応はどうだったか?四街道の大火事のため来たのは、読売一社のみ トータル着てくれた人数は150名以上、それはまずまずかもしれない、でもこれから 応援に来てくれる人は何人いたか・・。きびしい。 今メインで活動しているメンバーが、何人の友人仲間を連れてきたか?人を連れて これたのはごく一部のメンバーだけだった。もちろん地域のハンディもある。 確かに、画期的な事務所開きだったかも知れない、しかし今後の、広がりと言う可能性 については、もしかしたら、厳しいものがあるのかもしれないと感じてしまった。 具体的に県内で、選挙運動をしてくれる人を広げていくよりも、限りある人数の中で、月 野候補者の知名度を上げるべく運動、パフォーマンス型選挙についても、重点を置かな ければ非常に厳しいと感じた1日となった。 前途は厳しいが、やりがい充分、さてとうとう街頭活動が始まる! 第14話 事務所開き(キックオフミーティング)前夜 5月5日の事務所開きは刻々と近づく。 ところが5月に入った、3日、なんと準備をするにも、人がいない、ボランティアで来てく れているメンバーは、いつも5・6人・・・。 どうしよう、やることは沢山あるのに・・。 こんなことで、5日は大丈夫なのだろうか。そんな時、ボランティアにフラッと現れたの が、口山君と戸口さん3日も4日もほとんど徹夜作業となったが、この二人も、大活躍、 戸口さんはパソコンの名手そして絵の達人、キックオフミーティングーで使うメインの絵 を、中心メンバーの一人青野君と二人で仕上げた。そして口山君は人を集めると言う事 でも素晴らしい才能を 発揮した、彼が呼んでくるメンバーがことごとく、その後、未来委員会の中心になってい った。 もちろん活躍は彼らだけではありません。 夜中、未来委員会の第2事務所で(そこは元ライブハウスで地下一階なのです) たった5・6人のメンバーだけで、静かにBGMを聞きながら、5日の準備をする、これが 国政選挙の準備か?と思えるほど不思議な瞬間でありました。こんな選挙対策事務所 どこにも無いだろうな〜とそこにいたメンバーが思っていたに違いない。 そしてとうとう、5月5日事務所開きの日となった! もしこの日に若者の中心の会が出来なければ、選挙のやり方が大きく変る、社面党さん はじめ、多くの月野を応援する団体のバランスが変わるだろう! 5月5日PM5:00スタートする。 続く 第13話 集まってくる仲間たち。 この4月、5月常駐がいない選挙体制、もちろん社面党さんの、協力はありますが、未来 委員会のメンバーが、順番で、立ち上げていく方法しかない、こんな選挙体制は、新聞 記者さんが言うには、はじめてらしい、回りからは、相当無謀に思えたのでしょう。 それでも 5月5日事務所開きに向けて、一歩ずつ進まなければいけない。 このころから、毎週木曜日は、定例ミーティングを行うようになりました、毎週、違うメン バーが入れ替わり立ち代り、意見を交換する、そして時間はいつも深夜まで! 5月1日には、プレハブが出来あがる。電話はどうする?どっかから借りなくては! コピーや印刷機はどうする?どっかから借りなくては!食器類は?借りなきゃ−! 机やイスは?借りなきゃ−!パソコンは?借りなきゃ−! 5月5日は、どのようにやる?決めなきゃ−! 時間はいくらあってもたりません、しかし、5月にはいり、プレハブ事務所が出来あが ると、不思議と事務所らしく、備品が集まってくるのです。本当にみんなの力が結集す ると、何が起こるかわからない。 しかし肝心の5月5日事務所開きの準備がもうひとつなのです。 政治運動の難しさを、当時集まっていたメンバーは、痛感していた。 ほとんどのメンバーは、知り合いや友人に、候補者の宣伝そして、事務所開きの案内 をする事に抵抗があったのです。友人にはなんでも話せる、しかし政治の話だけは出来 ない、いざその話をしようものなら、「お前も政治に手を出したのか」と、露骨にいやな顔 をされたりするので す。 ある20代の学生は、「選挙事務所に来ないか!」なんてとても言えないと言う。 考えてみればそれは無理も無いことかもしれない、でもこれを解決する方法は、ひとつ しかない、その方法とは、選挙応援に来てくれる、その一人一人が主役になる事、選挙 運動で自分がひとつの主役になっていれば、友達も.呼びたくなるだろうし、その輪は広 がるはずだ。 5月5日事務所開き(キックオフミーティング)にはとても間に合いそうもないが、今後の 選挙運動についての、大きな方向性が彼らの話を聞いているうちになんとなく見えた気が した。 そう言えば自分を振りかえってみても20代学生のころ、友達を誘うようになったのは、 少し責任ある仕事をするようになってからだったし・・。 4月12・19・26・29日のミーティングではと次々と、力あるメンバーが加わってきた。 パソコンのリーダー山滝君、かれはメーリングリストを立ち上げた。 冷静で大学卒業したての藤山君、運転なら任せとけと頑張る深川君、ひたすら活動する しかし笑顔をたやさない山村さん、、候補者の相談相手大宮君、冷静沈着、しかし熱い河 崎君、関西弁には、敬語はないと言い張る、遠藤君、街頭宣伝のリーダーになる東君、 天候をずばり当てる、有賀君、隊長と呼ばれる大山さん、広報担当の五島さん、みんな の兄貴郡沢君、冷静沈着増山君、まだまだこれから徐々に紹介していきたいと思います。 5月3日、事務所開きの準備は、かなり大変な時でありました、なんとしても、事務所 開きでは、今後手伝ってくれる人を、最低でも80人は確保したい、そうすれば、一週間に 一度来てもらえるサイクルでも、常時10人は確保出来るからなのです、外回り、事務所内 の仕事考えてもそれでも少ないくらいです、さてどうなりますか? 次回は、事務所開きの前日、前前日の話をしたいと思います、以外ですがユニークな話 です。 第12話 事務所開きへ 衆議院議員の田中議員は、知事選挙の時、突然、民主党(ここでは民朱党)を離れ、 選挙結果に影響を与えたといわれたという人、本当はここで書きたい事もあったけれど、 考えた上で書いても意味無いかな−と感じやめました。 でも少し書くとすれば、今回の参議院選挙、公示前、6月の末ごろに新党を結成しま した、新党を結成したのだから、当然自分のところで候補者を立てるか、推薦の意思表. 示を、すると思っておりましたが、どれもありませんでした。今となってはなんで、あの時 に、新党など立ち上げたのかと、不思議に思う。 未来委員会別働隊で新党について、 いろいろ調べたことは、ありますが、選挙的には結局意味が無かったな。 未来委員会の中では、田中陣営が候補者を立てなかった事を好意的に、見ているメン バーがいましたが、その一方で、立てられなかったんだろう、それが短期的には、メリッ トが一番ありそうだと感じたメンバーも多かった、私はもちろん、後者です。 参議院選選挙終盤、民主党候補の当選が、予想に反して危ぶまれ始めた時、動かな い事がメリットになるグループはどこかと、議論した事があります、その時、間違いなく田 中陣営だという意見が多かった。公示前直前いろいろなグループから、月野陣営に対し て、条件付協力を申し出るところが多く出てきたが、どれもしがらみのプロだ。 話しがややこしく、なってくるので、この辺で、戻しましょう。 ちなみに田中陣営との接触の話しは、アースディーの最終日、三番瀬に、田中議員も来 るのでそこに行って少し会話したという話でした。 さて話しは本題へ、前回の続き 夜の10時ごろ、事務所が建つ、予定の駐車場に、未来委員会のメンバーで行ってみ た。俺達の参議院選挙、いよいよ、盛りあがる?! 事務所が出きるといっても、誰が常駐出きるのか、全く予定がつかない、みんながみ んな仕事、そして学校がある、そんな時だ、6月からだったら、常駐できるというメンバー が出た。 青野君そして高田さんである、その二人は、会社を、5月一杯で辞めるのであります。 問題は5月一杯、今のメンバーでどのように乗り切るかだ! 4月26日のミーティングの時に、事務所開きを5月5日にやる事に決定! 目標200人を事務所に呼ぼう。この動きからいろいろなメンバーが集まることになる。 続く 第11話 新知事を祝う会 14時より祝う会は、始まった、千葉の某宴会場で、参加者は300名ぐらいだろうか、 記者会見で会った記者さん達と、まず挨拶、微妙な雰囲気が漂う。 今までも多くの、こういったお祝い会に参加したことは、ありますが、一番違っていたの は労働組合、団体、それらのお偉いさん達で占められているのが、当たり前のこういった 会に、そういった人達の影がほとんど、見られなかったこと、そして50代前後の女性が 多かったこと、そして、市民グループ、無党派と呼ばれるグループの、幹部の方々・・。 今までの選挙では、投票はするけれど、選挙応援を手伝った一般市民の人達 の数は、非常に少なかったんだ、今回の知事選挙は、いいところといえば、選挙応援に 携わった人が、一気に増えたことなのだろう。そういった意味では、やはりひとつの成果 と言えるかもしれない。そしてそれが、一部を除いて、しがらみが無い選挙を実現したの かも知れない。 月野の選挙でも、選挙運動にに携わる人を、多くの人から募ることについては、知事 選挙と似ているところはあるのだなと、少し納得。 月野が当選し、こういった会をやるとしましょう、その時、社面党の推薦があるからと言 って社面党が、目立つお祝い会には決してならないという気が、すでにしていた。 メインの勝手連解散宣言は、事務局長?の野屋敷さんという方がやっていた。 わざわざ解散宣言も無いだろうにと思ったが、そこは複雑です・・・・。 さてこの会に参加している、無党派、市民グループの反応が非常にユニークだった。 このグループが、参議院選挙に向けてどんな動きをするのか、それが実は一番の興味 であった、例えば、このグループの事務局長クラスが、参議院選挙出馬宣言ぐらいする のだろうと思っていたのです。ところが何もない、近く行われる千葉市長選に向けての、 宣言も何も無し。 非常に肩透かしの感が会ったのだが、それでも最後には、私達に貴重なお土産話をし てくれた、それは何かというと、こうです。 「未来委員会は頑張っているのかもしれないが、社面党の推薦を取り消さないと、私達 のほうから、新しい候補者を出す。タイムリミットは今月4月中だ!」 私達は、ちょっと時間差があって、そのコメントを受け取ったので、即座に返答できなか ったがすぐにある人を通じて、コメントを送り返した、内容はこうです。 「どうぞ、独自で、候補者をお立てください、未来委員会は何も変更する予定はありま せん!」 しがらみが無い選挙それが本来の選挙のあり方、一番怖いのは、無党派とのしがら み、そこには安心安心できるルールが作れない。 候補者の自宅に戻り、本日の報告を行う、本当はこの会に直前まで、候補者をつれて いく予定だったのです、出来れば新知事との、接触も考えていたのですが、直前で取りや めたのです。 それは正解だったと思う、理由は沢山あるが、それはまた別の機会に・・・。 しかし、前途は多難です!、市民グループからの参議院選候補擁立、更に衆議院議員 の田中陣営からの女性候補擁立の話し、どうなりますやら。 どちらにしても、今、未来委員会が.がんばることが、他の陣営の擁立阻止につながる、 気合が入ります、そうそう事務所の話も、着々と進み、5月1日には事務所が出来あが りそうだ、 夜の10時ごろ、事務所が建つ、予定の駐車場に、未来委員会のメンバーで 行ってみた。 俺達の参議院選挙、いよいよ、盛りあがる?! 次回は、衆議院議員、田中陣営と最初の接触を持った話しをします。 第10話 名前を決めよう! さて、選挙活動は参議院選挙の公示後しか出来ません、公示日(予定)は7月12日 であります、それまでの運動は、いわゆる、政治活動になるわけです。 その政治活動をするためには、政治団体登録をしなければいけません。 4月14日は、その政治団体登録をするための、団体名称を決めることになった。 未来委員会と社面党さんそして月野を応援する中年勝手連の面々が集まり、話し合いと なった。自由に意見を出してもいいということで、まず未来委員会の清原さん(22歳女性) から「飛ぶペンギンの会」ではどうかという意見が出た。 政治団体登録の名称は、月野智子を応援する全ての団体の総称となるので、社面党 さんは、そんな名前はだめ!と突っぱねた。 しかし次々とその名前を支持する意見が、出始めた、しかし未来委員会のメンバーが その名前では、あまりにも軽すぎるということでやむなく却下。 議論の末、「未来を創る会」となった。 名前は決まった、後はその会の代表だ!すぐ出たのが、書道の大家「花谷先生」。 すぐに決定し、後日、花谷先生に、了解を取ることになった。 それら全ての政治団体登録の手続きが完了したのが、4月17日であった。 少し整理すると、こうです、月野を応援する勝手連として、社面党がある、未来委員会が ある中年勝手連がある、その他沢山!それら応援する団体をまとめる団体名称が「未来 を創る会であります」 これで、少し前進、チラシを作ることも、資料を作ることも、そして、気をつければ、多くの人 に資料を渡すことさえ出来る。 しかし、やってみなければわからないことばかり、そして様々な規制、法律の壁にぶち 当たる。チラシの案をみんなに提案する、しかし、不特定多数の人に配れない現実が ある。 そこでひとつの案は、社面党の新聞として、配るという方法だ。 いわゆる「社面新報 号外」としてであります。 まもなくその号外は、出来あがるなんと、5万枚であります。 その時、同時に起きそして、非常に厄介だったのが、無党派と呼ばれる、ひとつの組織が、 執拗に月野の社面党推薦を、やめさせようとする激しい動きであります、堂本選挙で、市民 運動と無党派の風が吹いたと思ってしまっている、グループの動きであります。 この選挙は首長選挙ではなく、国政選挙であり、はなから、特性が違うと、未来委員 会の40代のグループは、その無党派と言われる人達の動きを徹底的に相手にしなかった、 マスコミ関係の人間さえ、堂本選挙とのつながりを期待する取材も見られたし、無党派グ ループを、確実に煽っていた。しかし、未来委員会の多くのメンバーは、すでに独自路線 を考えていた。 月野陣営が、社面党との協力体制を、崩さないとわかるや、今度はその無党派といわれ る、ひとつのグループは、妨害工作に似たことまで、口にするようになってきた。 この時一番気をつけたのは、他の政党のチェックではなく、まさしく、堂本選挙で活躍した といわれる人達の、工作でありました。 政治活動についても、他の政党が堂々と、選挙違反を繰り返している中で、月野陣営は 固すぎるぐらいの政治活動を行ってきたのは、そのためであります。 その無党派といわれる、人達のひとつのターニングポイントとなったのが、4月21日に、行 われた堂本知事当選お祝い会そして勝手連の解散式である、その日は未来委員会にとっ ても非常に大きなポイントになった。 そもそも勝手連というのは、勝手に集まって、勝手に解散する、何もしがらみを残さないの が勝手連である、わざわざ解散式をしなければならないのは、しがらみの骨頂、非常にお かしいことだ。 4月21日がどんな会になるのか、興味しんしんで出かけてみた。 未来委員会からは龍居そして青野が参加した。 続く 第9話 記者会見 時間は12時を過ぎた。候補予定者の月野家にいたメンバーはそれを確認し、軽く握手。 我々40代は、要求をのんでくれた、社面党に対し、感謝の気持ちさえ持つ、しかし 20代の仲間はというと、それが当然と言わんばかりの顔をしている、頼もしい彼ら・・。 県庁に14時に未来委員会は集合し、打合せを行う。 ![]() 総勢20名の未来委員会のメンバーが集まる。社面党さんは4名である。 記者会見は15時開始である、もちろん司会は私達未来委員会側であり、今回は龍 居君が候補者の横にすわり、話しを進めることになった。記者会見会場に入る。
最初、記者会見の進めかたも何もわからない、私達は、この言葉から始まった。 「あのーすみません、どのように進めたらいいのでしょうか?」 そうすると、記者側の司会の方(今思えば毎日新聞)が、大丈夫です、私達のほうで質 問させていただきますだった。 流れとして、立候補するまでの経緯、そして未来委員会について、そして社面党さんの 立場という形で、進んだ。記者側の質問になった時である。 朝日新聞の記者が、社面党の幹事長にこう質問した。 「社面党さんは推薦で、いくそうですが、政策協定はどうするのですか?」 幹事長はこう答えた。 「政策協定は必要ないと考えている」 記者側は突っ込む 「なぜですか?」 幹事長は答える 「参議院選挙は首長選挙ではありません.、これは国政選挙です、ですから、個人が 自由に国政の場で活躍するべきだと考えていうるからであります」 私はこの答えを聞いて、理屈抜きにうれしかった。国政選挙ましてや、参議院議員選 挙であります。この答えを、公の場で言ってくれた、社面党さんに、ひとつの期待が膨 らんだ。 1時間ばかりの記者会見であったが、記者の方はずっとメモをしてくれていた、こうい うことも珍しいらしい。 16時終了、控え室に戻った私達は、まずはみんなで、握手をし合う。 とうとう、発表してしまった、その責任と重要さに今更ながら気がつく私達でありました。 ボランティアで国政選挙が戦えるか.・・・ 仲間は集まるのか・・・ 街頭演説なんて出来るのか.?・・・ 事務所はどうする?宣伝カーはどうする?話し合うことは目一杯! しかしもう後戻りは出来ない! その日の夜、すでに千葉テレビでは、月野智子の記者会見の模様が放送された! 関連記事はここ http://www.people.or.jp/~jytsutsui/kishakaikenn.htm 続く 第8話 立候補取りやめ? 社面党さんの反応がそうとう厳しいらしい、高松さんは私達に静かに話し始めた。 「未来委員会の方から要求されたことは、まず受け入れられないと言う結論に社面党 幹部会でなってしまったのです、推薦ももちろんできないという事になります、何かいい 考えはないでしょうか?」 それを聞いて、すかさず未来委員会の龍居が答えた。 「何を言ってるんですか!だったらもうやめましょうよ!」 続いて候補者の父、昌世さんも、こう言ったのです。 「そうですね、こちらの要求が受け入れられないならば、立候補自体、なかったことにしま しょう」 社面党さんの推薦さえなければ、応援したいという多くの市民グループが、多くなってき たこの時期に、ここまで言いきってしまう月野陣営。 この時期にはいわゆる、無党派と呼ばれる、市民グループからの働きかけは、かなりあ ったのです、しかしこの無党派と言うキーワードがどうしても信用できない現状がありまし た。 ですから、社面党さんが要求を受け入れられないのならば、立候補を取りやめるという事 を社面党さんに即座に言えたのであります。 社面党の高松さんは、腕組みをしたまま、黙りこくっていました。そして、すくっと立ちあが り電話をかけるために、私達がいるところを離れました。 しばらくして、高松さんは戻ってきました、そしてこう言ったのです。 「未来委員会の意向は伝えました、これから社面党で、緊急会議を行います、あした12日 15時から記者会見ですから、12時までに、記者会見をするかどうか連絡します、いや記者 会見を中止する場合は未来委員会に連絡します。」 私達は聞き返した。 「記者会見を中止すると言う事は、この参議院選挙はなかったという事でいいですね!」 高松さんは答える 「そういう事になります、しかしそうならないように、私はとにかく頑張ります、きっと、月野 さんに出てもらえるように説得してきます」 そう言って、高松さんは月野家を後にしていった。 あしたは、記者会見、この時点ではその実現は難しいと感じた、伝統ある政党が、ほとんど 素人集団の要求を受け入れられるか、政党の面子をどう考えるか、何はともあれ、あしたの 記者会見に向けて、メンバーの召集をかけた。 そして12日を迎えた、月野家に少しづつ未来委員会のメンバーは集まり始める、時間は そろそろ12時であります。社面党さんからの連絡がなければ、記者会見は15時よりスター トである、さてどうなる!社面党さんは私達の要求を受け入れられるのか? 第7話 調整の巻 12日に出馬表明の記者会見が決定。 未来委員会としては、その記者会見で、候補者はもちろん、未来委員会の存在価値 をいかに出すか大きな問題があった。一つ間違えれば、社面党のひとつの組織と思わ れかねない、更にかなり怪しげな集団とも思われてしまう。 未来委員会で様々な打合せを行った、そこで様々なことが決まった、記者会見で社面 党さんが答える内容についても、注文をつけることにした、様々な質疑応答の予想を立て て、それを社面党さん側に要求した、さらに記者会見の司会も未来委員会で行うとまで主 張した。 伝統ある政党に対しての要求なので、きっと社面党さんはすぐにはOKしないだろうと思 っておりました。 12日の記者会見は社面党が、千葉県庁の記者クラブに予約をしていたが、私達未来委 員会でも、記者会見の申し込みをすることにしたのです。 4月11日 14時、青野君と龍居君が県庁の記者クラブに向かった。当番の記者を呼ん でいただきこう切り出した。 「月野智子を応援する未来委員会ですが、あした15時より参議院選挙出馬の記者会見 をやりたいのですが」 記者はこうきり返した 「あした15時はすでに、社面党さんの予約が入っております」 龍居君はこう答えた 「基本的に合同でやると考えて下さい」 記者は言う 「司会は誰がやるのですか?」 青野君は言う 「未来委員会が司会をやります」 記者は言う 「社面党さんに伝えますか?」 龍居は言う 「その必要はありません、ではあしたよろしくお願いいたします」 龍居、青野は県庁を出てホット胸をなでおろした。 そして候補者月野の自宅でゆっくりしている時である。 社面党の高松さんが真っ青の顔をして、私達のところにやってきた。 社面党さんの反応がそうとう厳しいらしい、高松さんは私達に静かに話し始めた。 第6話 この会議が、これまた大変でした。 まず最初に事件は起こる、開始予定時刻は19時、社面党のかたは総勢6名千葉県で 社面党を引っ張る方達がすでに揃っていた、対する未来委員会はまだ予定人数の半分も そろっていない、それぞれ会社、そして大学の都合で遅れているのであります。更に7時ぎ りぎりにきたメンバーも、その場で夕食をとる状態・・。明かに社面党の方達は不機嫌そう でありました。 会議が始められたのは、結局19時30分 まず議題は、月野智子をどういう立場で出馬するかであります。 もちろん社面党は公認で出るようにと主張、しかし真っ向から未来委員会の20代を中 心とするグループが対立、彼らの意見は、社面党もひとつの勝手連として、応援していた だきたいとの主張であります、いわゆる公認も推薦も無し。 私達40代というと、「社面党さんには推薦でお願いしたい」であります。 私達の推薦という形をとりたい理由は、社面党の推薦という形をとった上で、わけのわか らない、市民グループを排除したいという事が第一の理由にあります。社面党が推薦する なら、応援しないと言うグループは、こちらからお断りというスタンスを取りたかった。純粋 に月野を評価してくれるならば、誰が推薦しようが関係無いだろうというのが、後援会を作 るひとつの決まりにしたかった。 同時に参議院選挙は国政選挙であり、25日に行われた知事選挙とは違い、政党間の 戦いでもあると感じていた(この感覚は後でかなり変る) 日本を変える事がすぐにというのが難しいのならば、まず政党が自分達の思いをどこま で我慢して聞いてくれるものか、それを政党に期待したかった。 とはいえ公認候補では、未来委員会の主導権そして存在価値がほとんど無くなる。公 認という事で、未来委員会が社面党に属するひとつのグループに思われてしまう。それ は避けたい。 また実際に選挙が行われる7月には無党派の風というのも怪しいものになっているに 違いないという観点からであります。 3時間の議論の末に、ほぼ、無所属社面党推薦というラインが出来あがった。 次の問題は、その事をいつ発表するかであります。 ここでまた紛糾! 社面党は一日も早く、発表記者会見をしたいと主張、なんとなんとしても9日にやりたい と主張未来委員会は、打ち合わせしたいことがあるので、もう少し後にしましょうと応戦。 しかし社面党はひきません。そしてこういうのです。 「いいですね9日で行きます!」 ここで、未来委員会のメンバーそれも社面推薦を強く主張していた龍居君が言い返しま した。 「なぜ、社面党さんのスケジュールに合わせなければいけないのですか?、こんなの事で は先行き不安です、社面党さんとうまくやっていく自信がありません、別に推薦が無くても いいのです」 時代も変ったものです、昔は土下座して公認、推薦をお願いした時代もあると言うのに。 この会議に参加していた現職衆議院議員の息子さん上川君もいっていました、 「前回の選挙ではぎりぎりまで政党の推薦さえとれなくて苦労したのになー」 アッ話しがそれました、元に戻します。 一同シーン 龍居君が未来委員会のメンバーに言いました 「いつぐらいなら記者会見できそうだ?」 候補者そしてメンバーが答えたのが「12日ならいいだろう」でした。 そして決着したのです。社面党さんは12日まで、誰にも言わない、12日記者発表すると! 時間は23時を過ぎていました。 さて記者会見の日程は決まったものの、その主導権をどちらがとるか、次回はそのところを 書きましょう、これまた大変でした! 第5話 月野智子の参議院選挙、立候補を薦めた私達と社面党とのかけひき、話し合いがここか ら、もっとシビアに始まる。 次回はここで私が、「私達」といっている、メンバーについて説明します。 3月27日、第一回目の話し合いが行われた、メンバーは10人、今後の進め方であります。 その時のメンバーは月野自身の今まで活動していた仲間たちがほとんど。 私個人としては、ほとんどかかわったことがないグループであります。 A SEED JAPAN そしてエコ・リーグのメンバーの中心メンバーであり、年代としては20 代から30代環境活動を中心に行動してきたメンバーであります。 まずはこのメンバーを中心に、記者会見を行うという事で意見が一致、そして具体的記者会 見の日程を4月5か6日とした。同時にこの会の名称を未来委員会とほぼ決めた。 私は30日から、ロンドンに仕事に出かけることになっていたので、記者会見の打合せは、メ ールを使って行っていた、日本に戻る2日前、4月2日に記者会見延期のメールが入った。 どうやら社面党の関係らしい。 4月6日、早速社面党を入れて会議をする事になった。 今回の選挙でまず立ち上げた月野智子の後援会「未来委員会」その特徴を厳密ではあり ませんが説明するとすれば年代別に解説するとわかりやすいのであります。 20〜30代は、自由独自路線の選挙運動を展開、40代は社面党を含め、応援してくれる 組織を、開拓するグループ、50代以上は従来の選挙の方法で突き進む世代。 4月6日の会議はその世代のほぼ代表者が集まったような形になり、会議参加人数は25 名になった。この会議が、これまた大変でした。 第四話 記者会見の準備というと、まず重要なのはそのメンバーである、月野とも子さんのお父さん 昌世さんには、ひとつの考えがあった、第二話でも書いたとおり、政治運動の中心が若者で あること、そしてそのメンバーが真剣にそして楽しく出来なければ、選挙は勝てない。 記者会見は3月中に、まずは若者主体のメンバーで実現しようといいう事になった。 さてその前に、大きな選挙があった、それは千葉県知事選挙であります。 私達、月野陣営としては、堂本候補が落選した場合、次の参議院選挙に出る可能性もあ ると考えており、月野と堂本候補の今までの関係を考えると、参議院選挙で堂本候補とは 争いたくないという、思いからスタッフは堂本候補を応援していたようだ。 3月25日、ごく少数の月野陣営のスタッフは、月野さんの自宅で、知事選挙の結果を見 守った。 結果は堂本候補の勝利、私達スタッフはほっと胸をなでおろした。 しかしあせった、グループもいた、もちろん社面党である。 堂本候補に対する、若井候補を推薦した社面党、参議院選挙は政策的に堂本候補と 近い月野を推薦又は公認候補としようと計画している。 私達は、「簡単にはいかないと言うことはわかっていましたが、最低若井さんの推薦は はずしてくれ、とだから言ってたんですよ」と、社面党に対して繰り返す。 社面党が星野を応援することは、今後、月野智子を応援するだろう人が、今回堂本知 事を応援した人であるかも知れないという事に、社面党も今ごろになって真剣に気がつ き始めた、今後、選挙の進め方については、問題もあるかもしないが、私達の希望を社面 党に通すという意 味では、大きなポイントとなった日でした。 月野智子の参議院選挙、立候補を薦めた私達と社面党とのかけひき、話し合いがここ から、もっとシビアに始まる。 次回はここで私が、「私達」といっている、メンバーについて説明します。 第三話 智子さんは悩む、13年以上環境問題にかかわる仕事をしてきた、政治的な限界を感じ た事もある。 智子さんは多くの国会議員、そして大学の恩師に相談。時間は過ぎていく。 2001年3月17日、千葉県知事選を1週間後に控えた、.その日智子さんは決断した。 答えはゴー!だ! その日から、全てが回り始めた。まず最初に動いたのが誰あろう、智子さんと今まで環 境活動を共にしてきた若者達だった。 そして智子さんの父親昌世さんが最初の方針として、「20代〜30代が中心の選挙活 動を行う、それも楽しくなければ意味がない」と意思表示をした。早速記者会見の準備に 入った。 しかし問題は、山積みである。 続く 第二話 2001年2月20日(火) 智子さんはもちろん不在、しかし智子さんの両親はいたのです。 早速、参議院選挙の事を話し始めた。そしてビックリするような事を聞いたのである。 月野家にはほぼ、同時期に、社面党をはじめ、いくつかのところから、参議院選出馬 要請の話が出ていたのであります。 21日も、社面党の千葉県連のメンバーが来るという事だった。 現時点で、智子さんはどう思っているのか、智子さんの父昌世さんに聞いてみた。 「なんとまだ正式に智子さんには、話していない」ということ。 まだ白紙かー 私なりの意見を昌世さんに話す、地元地方議員が、智子さんを高く評価しているし 、私も智子さんがやっている仕事は、国政で活かすべき仕事だと感じている。智子さん の思いを知りたい議員は多いので、一度智子さんの気持ちを聞いておいてほしいと伝 えた。 昌世さんの意見は、すでにあった、若者主体で選挙運動を進める事が出来れば、非 常にいいのだが・・・・現時点では夢のように思われた、昌世さんの思いだったが、今後 その考えがベースになっていく。というか未来委員会のベースはこの時点から作られ始 めた。 2月下旬、智子さんに参議院選出馬の要請が、激しくなる、.地元支援団体、地方議員 団体そして、社面党であります。智子さんは迷う?(まだ迷ってないか) ここで智子さんを、強く押している社面党さんに、ひとつの課題を、私達がぶつける事に なる、それは、3月25日に行われる千葉県知事選挙でああります。 社面党は、民朱党・連合と同じく.若井候補を推薦していたのであります。 智子さんは、環境問題で少なからず、知事選に出馬している、堂本候補(現知事)との関 係が深い、そこで社面党側に要求をぶつけた。 「社面党さんが夏の参議院選に星野を応援するのは、別に現段階ではいいでしょう。し かし堂本候補の対抗の若井さんを推薦するのは、今後ねじれ減少が起きるので止めても らいたい。 今更、堂本さんを推薦するといっても、堂本さん側が断るだろうから、せめて若井さんの推 薦を、やめていただきたい」私達の最初の要求だった。 社面党さんはこう答えた 「大丈夫です、堂本さんの当選は難しいでしょうから、心配要りません」 私達は思った「甘いかもしれないな」 3月にはいった。智子さんの出馬への思いはまだ決まらない。しかし少しずつ変化が見ら れた 続く 第一話 2001年2月20日(火) AM11:00ごろ携帯が鳴った。京葉地区の市議会議員からの電話だった。これで何人 目だろう。 内容はというと、私の親類の月野智子さんを7月の参議院選挙に出てほしいと思っている が、「あいだに入ってくれないだろうか」である。 さすがに私も考えた、親類の智子さんは何時も忙しく動き回っており、自分の弟の結婚 式にも出席できなかったほどの人である。しかしなぜ智子さんが忙しいのか、私はわから なかった、身近な人ほど結構わからなかったりするものである。 私の事務所に戻り、変な話だが月野智子をパソコンで、調べてみた。そこでビックリ、こ れはすごいでないの!智子さんがやっている事は、国政で活かせる仕事でないの!しば し作戦を練り、月野家に直行した。 智子さんはもちろん不在、しかし智子さんの両親はいたのです。 早速、参議院選挙の事を話し始めた。そしてビックリするような事を聞いたのである。 続く |