ラ・フランスの謎を追え! 中編
「これより離陸します、必ず座席のシートベルトをお締め下さい。なお、離陸の際には…」
マニュアル通りの放送が機内に流され、スチュワーデスが通路に立って詳しく説明している。非常用出口の場所、救命胴衣やマスクの使い方、そして離陸時の注意など…飛行機に慣れたキバヤシにとっては今更聞き入る必要もなく、あるいみ離陸前の恒例行事となっていた。
(ふう…何とかチケットも取れたし、あとはフランスまで少し寝ておくか)
"安全のために"実施されている放送やスチュワーデスの実演を尻目に、キバヤシはシートベルトを締めて毛布をかけ、早くも眠る準備を進めていく。
「…では、快適な空の旅をお楽しみください。」
恒例行事も終わり、飛行機は快適な空へ飛び立った。
(………)
キバヤシは眠れなかった。いつもなら飛行機が離陸して機体が安定すれば、すぐに眠気が襲ってくるはずなのに…今回は度重なる移動と調査で心身ともに疲れ切っているはずなのに…眠れなかった。
(眠れない、か。…そうだろうな。)
わかっていた、そう簡単に眠れないことぐらいは。そう…離陸前にあの男とかわした会話が、今でも脳裏に焼き付いているのだ。あまりにも謎が多く、あまりにも恐ろしかったあの会話…何かがキバヤシに問いかけているのだ、考えろと。
「キバヤシくん…いい答だよ、やはり私が見込んだだけはあるな。」
「…見込んだ?どういう意味だ?」
「ある程度は君も察しがついているのだろう?」
「…謎だらけだがな。」
「まあいいだろう。君の覚悟に敬意を表して、少しだが我らについて教えて差し上げよう。」
「やはりそうか…全て知っている、ということか。」
「そう。今まで君たちがどんな活動をしてきたか、その成果も私は全て知っている。」
「それは現在の行動も把握しているということか?」
「愚問だな、キバヤシくん。私がここにいることを考えてみたまえ。」
「…目的はなんだ?」
「それはここで話すようなことでは無い。時期が来れば…君達が期待に答えれば…いつか話すこともあるだろう。」
「…俺達をどうするつもりだ?」
「今の段階では君達の邪魔になるような事はしない…むしろ助けてあげようかと思っているくらいだ。」
「…それは一体どういう意味だ?」
「私の求める物と君達の求める物がおなじであれば、協力してもよいということだよ。」
「…名前は?」
「そうか、紹介がまだだったな。私の名は…」
(協力…ちがうな。どこの誰が協力者の行動を一方的に把握している?あの男は我々を利用しようとしているだけだ…しかし…)
すでに眠気などどこかに吹き飛んだキバヤシは、飛行機の窓に映るはるか眼下の地表を見ながら必死に考えていた。今までの行動、言動…そしてわずかな手掛かりを思い出しながら。
(しかし、もしあの男の言っていたことがすべて本当だとすれば…ナワヤ達の調査は…)
唇を噛み締めるキバヤシ…飛行機は音速を超えた速度で空を舞いつづける…
タナカ達が元フランス海軍軍人の家を訪ねてから24時間が経過、現在彼らはジャンの車に乗ってハイウェイを走っていた。走るにつれて青い空が騒ぎ出し、一筋の雲が彼らを迎える…そう、目的地はフランスパリ国際空港である。
「キバヤシさんが帰ってくるんですって?」
「ああ、キバヤシから連絡があったんだと。『今日の夕方の便でパリにつくから迎えに来てくれ』って…全く勝手に出ていったかと思えばいきなり迎えに来てくれとは、ホントにワガママなヤツだ。」
「…こんなことにまで車を使わせてしまってすまないな、ジャン。」
「何を言うんですかイケダ!友達でしょう?」
「…あ、見えてきましたよ!」
「みんな元気だったか?」
飛行機が予定より少々早く着いたらしく、すでにキバヤシは空港ゲートを出て皆を待っていた。ジャンの車を借りるほど急いで来たというのに、やけに余裕を匂わすキバヤシの態度がナワヤには嫌味に映ったらしく、ナワヤの口からは早々に悪態が口から飛び出した。
「何を言ってんだかこのキバヤシ君は。お前がいない間、こっちは色々と大変だったんだぜ?」
「まぁまぁ…ナワヤさん、キバヤシさんは長い飛行機の旅で疲れているんですから…」
「いや、休んでる暇は無い。いまからお前達に話したいこと、聞きたいことがたくさんある…はやく帰ろう!」
他のメンバーが呆然と見守るなか、キバヤシは荷物をトランクに押し込んでさっそうと車に飛び乗った。
「…相変わらず元気なヤツ…」
空港を出たのが夕方だけあって、日はすでに沈み辺りは闇に包まれていた。夜の町を照らす高く明るいホテルの前に一台、ジャンの車が乗りつける。
「今日は世話になった。ありがとう、ジャン。」
そう言ってキバヤシは車を降り、部屋のキーを取るためにフロントへと向かっていった。
「しっかしタフな奴だな…疲れるって言葉を知らんのか?」
急ぐキバヤシの後を追い、ナワヤ達もエレベーターに飛び乗った。
「キバヤシさん、いったい話したいことってなんですか?僕たちに聞きたいことって…?」
「そうですよ、一体何を調べてきたんですか?」
「何かラ・フランスについてわかったのか?」
「…それもある。」
「それも?どういうことです?」
「我々が必死に行ってきた調査、すべてはやつらの計算通りだったんだよ…!」
メンバーの目線がキバヤシに集中するなか、当人の目線はエレベーターの電光標示板へ向けられていた。7階、8階、9階…そして10階を標示する…
「キバヤシさん…どういうことなんですか?全てがやつらの計算通りだったって?やつらって一体誰のことなんですか?」
静まり返ったホテル、10階の一室。夕飯もとらずに、キバヤシに連れられるままに部屋に戻ってきたナワヤ達。早々に部屋に入ったキバヤシがソファーに腰を下ろして休んでいるようにも見えるが…無理もない。いくら彼のテンションが高くとも、彼は飛行機内で睡眠を取っていない…精神はどうあれ彼の身体が悲鳴をあげていることには変わりがないのだから。
しかしキバヤシが口走ったいくつかの言葉が、他のメンバーの精神を燃えあがらせていた。タナカが、トマルが、イケダが…そしてナワヤが「どこに行っていたんですか?」「何がわかったんですか?」「さっきの言葉の意味は?」と次々とキバヤシに質問をぶつけていく。
「どこから話せばいいか必死に整理しているんだ、少し静かにしてくれないか!?」
一瞬、部屋の温度が下がった様な錯覚がメンバーを襲った。押し殺したような声、冷たく光る両の目…寒気。そう、これは錯覚などでは無く、鬼気迫るキバヤシから発する殺気を他のメンバーが自然に感じ取った結果だった。ソファーに腰を下ろしていたキバヤシは休んでいたのではなく、すぐに説明するために必死に考え込んでいたのだ。
「やはり…パリ大学のフランセーヌ教授のことから話すのが一番だな…」
「フランセーヌ教授…我々がパリに到着してすぐに会ったイケダの友人ジャン、彼にはじめに案内してもらったパリ大学の教授ですよね?」
「そうだ。」
「モルディブ…だったよな、キバヤシ?」
「…ああ。」
「そしてラ・フランスに近づけば不幸が訪れる…ですよね?」
「訪れる…か。」
キバヤシが再び目線を落とし考え込んだ。キバヤシが黙り込んだとはいえ部屋の空気は依然重いまま、息をするのさえはばかるような…そんな緊張感の中でも、メンバーは臆することなく自らの考えを口から表現し続ける。
「確か…キバヤシさんはその夜、ナワヤさんのフォアグラという言葉で閃いたんですよね?そして自ら調査に飛んだ…!」
「キバヤシ、フォアグラとモルディブ…一体どんなつながりがあったんだ?」
「違うんだよ…!」
下を向いたまま、考え込んだまま…突然キバヤシが口を開いた。「違う」予想だにしなかったその言葉に、メンバーはキバヤシが何を言っているのか、それが一体何を意味しているのか理解する事が出来なかった。
「違うのさ…違うんだよ…!」
「………?」
「フランセーヌ教授は嘘をついている。」
「………!」
キバヤシの口から解き放たれる一つ一つの言葉。その言葉一つ一つが、今まで頼っていた常識という名の信頼を次々と打ち砕いていく。「だって…」「そんな…」という心の声が身体の中を駆け巡り、「確かに…」「そう言えば…」という考えが頭の中に生れてくる。
「みなまでいうな、君達がわざわざ私を尋ねてくる事から考えて質問の内容は大体想像がつく。君たちが聞きたいことが、果物のラ・フランスではないのも私にはわかっている。あの、ラ・フランスのことであろう…?」
「残念だがその言葉が一体何を示しているのか、私にも今のところはっきりとは分からない。唯一君たちに教えられる手掛かりがない事もないのだが…」
「モルディブだよ。君たちがラ・フランスというキーワードを知っているのと同様に、私達学者のところにはどこからかモルディブというキーワードが聞こえてくるのだ。」
「ご存知の通りインド洋に浮かぶ島の名前だよ、一般的にはな。しかし、このモルディブという言葉がキーワードとして一体何を示唆するものなのか私には分からない。」
「ただ…」
「ラ・フランス、モルディブ…真実に近づこうとする者には不幸が訪れるという話も聞いたことがある。もし君達が調査を続けるならば気をつけたまえ、何が待ち構えているかわからんからな。」
「結局フランセーヌ教授が俺達に教えてくれたのはモルディブという言葉、たったそれだけだ…フランス内でもトップの機関に勤めている教授なのにも関わらず、質問の内容が前日から想像できているのにも関わらず…!」
「た、確かに…」
「そしてぬけぬけと我々に『手を引け』と脅しをかけているんだ。こっちとしては何もわかっていないけど、君達は手は引いてくれとな!これほどふざけた話があってたまるか!」
「…だからあの時教授を…!」
「しかしこれはあくまで俺の直感であって、これだという確信がなかった。俺の個人的な直感でみんなを無闇に混乱させる事は出来ない、それで個人行動を取らせてもらったのさ。」
顔を挙げ、ひとりひとりメンバーの顔を見つめるキバヤシ。その気迫はキバヤシの自信の裏づけであり、その自信の程は今更メンバーが問うほどのものではない…そう思うに十分だった。
「確かに俺は個人行動をとり、ある調査に回った。しかし…正直いうとこの考えを裏づける事実を発見することができなかった。しかし…!」
「しかし…?」
その質問を待っていたかのように、キバヤシは再び口を開いた。
「パリへ向かう空港の待合室で、俺は信じられない話を聞いた…!」
あわただしい空港内。背もたれのある椅子に座っていたおかげで他の人間にはわからなかっただろうが、キバヤシの背中はぐっしょりと濡れていた…そう、冷や汗である。キバヤシの感覚が、背中併せの位置に座っている男が持つ異様なほどの威圧感を敏感に感じ取った結果である。
「そうだな…どこから話したらいいものかな。」
「まずはあの教授、パリ大学のフランセーヌ教授について話してもらいたい。」
「フフフ…的を射た指摘だよキバヤシくん。さすがは第一段階で試験をパスしただけあるな。」
核心を突いているはずのキバヤシの質問を余裕たっぷりで返していく男。キバヤシは頭の中で必死に言葉を選びながら、男の牙城を少しずつ…少しずつ切り崩しにかかっていった。
「…質問に答えてくれ。」
「ああ、失礼。フランセーヌ教授か…君もわかっているだろうが、彼は元々こちらで用意した人物だ。」
「やはりそうか。だが人選にいくらか問題があったようだな…いくら何でもあれじゃ俺はだまされない。」
「フランセーヌ教授は君達MMRRの能力を測るための物差しだったんだ…大学教授でも手におえない謎という意識を植え付け、求めるべき事実と全く関係ないキーワードを与え、そして背後に見え隠れする恐怖をそれとなく暗示しておく。」
「………」
「さらにしばらくの間、調査に進展を与えないようにアポイントメントを取らせないようにする…君たちMMRRがこの不毛な状況からどのように調査を進めていくのかが知りたかったのだ。調査にかける意気込み、チームワーク、そして“戦う”というモチベーション。」
「それが第2段階…と、言うことはまさか…!」
この男が少しずつ明かしていく驚くべき秘密。それを自分の考え・体験と照らし合わせたキバヤシの頭の中に、“ある状況”が想定される。第1段階、第2段階ということはもしかしたら…!
「察しがいいな。そう、今ごろ君の御仲間達が第3段階の試験を受けている頃さ。背後に見え隠れするような生半可なものでは無い、本物の恐怖という名の暗闇が彼らを飲み込んでいる頃だ…!」
「先程俺に聞いた…“覚悟”ってやつか?」
「ああ…だが安心してくれ。例えMMRRの他のメンバーが第3段階の試験の恐怖に負けて落第の印を押されたとしても、すでに君は合格が決まっているのだからね。君はこちらの想像を遥かに超えた素晴らしい能力の持ち主だ…!」
「俺達がどんな行動をしたか、何もかもお見通しってことか…!」
錯覚…錯覚なのだ、錯覚には違いないのだ。しかしたとえ頭でそう理解していても…寒気が、冷や汗が止まらない。言いようの無い恐怖がナワヤに、タナカに、イケダに…そしてトマルに襲いかかっていたのだ。それでも…それでも今までの出来事を思い出し、必死に頭の中を整理しようとするMMRRのメンバー達。
「試験って…じゃあ全てその男の計画通りだったってことですか!?」
少しでも自分の頭の中を整理しようと、部屋の重苦しい雰囲気を変えようと…トマルが立ちあがる。
「ああ、すでにレールは敷かれていたんだ…このフランスの地にな!」
「でも…キバヤシさんはそのレールの存在に気がついたんでしょう?だったら…!」
トマルにイケダが続く。目の前に立ちはだかる暗闇の中、わずかな光を探すように。しかし…キバヤシの口から放たれる事実は、そのわずかな希望すらも消し去ろうとしていた…!
「…俺の考えが正しければ、この計画を遂行するには“あるもの”の力が必要になるんだ。」
「“あるもの”?キバヤシ…それは、それは一体…なんなんだ?」
「それは…!」
「今なんて言ったんですか?キバヤシさん…もう一回言って下さい。」
「……やつらが俺達の行動をすべてコントロールしていた、というのはさっき言った通りだ。嘘の情報を流す大学教授へのコンタクト、数日間のアポイント制御、元軍人へのコンタクト…そして俺の単独行動、使う飛行機や空港までもことごとく把握しているということ…」
同じだろう、おそらくキバヤシの口から出る言葉は同じだろう…メンバーは皆わかっていた。この状況でキバヤシが嘘などつくはずがない、冗談を言うはずがないという事を。しかし、もしそうだとしてもイケダは、メンバー達はもう一度聞き返さずにはいられなかった。
「ジャンだよ。こんな細工ができるのは…案内役兼通訳のジャンしかいない。」
こんなとんでもない発言を早々に信じろ、という方がどうにかしている…イケダは自嘲気味にそう思った。
「よく考えてもみろ。今回のフランス出張の全てを任せた人物、ジャン。アポイントメントを取るも取らないも彼の自由、我々に一番近いのも彼、そしてこのホテルを取ったのも…!」
「速いな…さすがキバヤシ君だ。」
男は椅子に深深と腰を下ろし、空港で会話したあの男の声を思い出しながら、スピーカーから流れてくる男たちの会話に耳をすませた。彼は組織の情報収集の凄さに驚きを隠せなかったようだったが、実際幾つかの条件さえクリアする事が出来ればこれぐらい造作もないことである。
「俺達はフランスに来た時点から負けていたんだ、全てはやつらの思い通りだったんだよ…!」
(!?)
自分が有能と認めた男の口から、およそ似つかわしくない台詞が飛び出した。
「でも…キバヤシさん!」
「そうだキバヤシ!」
「…ジャン…キバヤシさん……!」
「キバヤシさん!」
第三段階の試験を何とかパスした男たちのこえが空しく響く…
(そうだキバヤシ君、ここであきらめてもらっては困るのだ。私は君を評価した…それが間違いではなかった事を示してくれ、君がここであきらめるような器ではないことを。)
「みんな…言いたいことはたくさんあるだろうが、もう寝かせてくれないか?空の旅と調査の疲れが今になって襲ってきたみたいだ…」
今の現状と自らの眠気をはかりにかける…愚かしいその行為が、今の彼らの全てを物語っていた。
(有能な人間ほど自らの前に立ちはだかる敵の大きさを識別し、現実的な問題としてそれをとらえるという事か…高等な生物ほど警戒心が強く、自分の強さをわきまえているのと同じこと…)
男は椅子から立ちあがり、声が発されているスピーカーに近づいて行った。最後の情けで彼らの話を一通り聞き、そしてスイッチに手を伸ばしたところで…突然部屋の中に機械的な光がさしこんだ。誰かがドアを開き、部屋に入ってきたのだ。
「どうしたんですか?」
部屋に入ってきたのは、“ジャン”とあの男たちに呼ばれている人物だった。
「やつら…いや、キバヤシがお前の役割を見抜いたよ。」
「!…何か落ち度がありましたか?」
「ああ…しかし、お前の落ち度では無い。落ち度があるのは空港で少し喋りすぎたこの私だ。」
「しかし…彼らが私の正体を見抜くことは計算済みだったのでは?」
「キバヤシはお前の正体だけでなく、我々が施した仕掛けをことごとく見抜いたのだ。さらに我々の組織の強大さ、恐るべき組織力、全てを悟ったうえで一つの結論を出した…」
「敗北、ですか…?」
「そうだ。一度敗北を認めた人間は二度と帰ってこない…彼らを組織のために利用しよう、そう思っていたがもう終わりだ。そろそろ後始末をせねばなるまいか…そういえばジャン本人は一体どうしている?」
「それなら心配無用です。彼は“偶然”当たった招待券で、モルディブでの休暇を満喫しているでしょう。」
「そうか…もう芝居は閉幕だ、事後処理は任せたぞ。」
「はい…わかりました。」
先程まで威勢良く喋っていたスピーカーの電源が落とされ、再び部屋は静寂に包まれた…
「みんな…もういいぞ。」
「キバヤシ、これは一体どういうことなんだ?」
現在キバヤシ達は同じ10階の違う部屋にいた。キバヤシが飛行機の帰りにメンバーに迎えを要請したときに、先程まで使っていた部屋とは違う部屋を取らせていたのだ。
「わざわざ話を止めてまで部屋を移るなんて…」
トマルの言う通り、キバヤシは先程の部屋でメンバー全員に“あること”を要求した。キバヤシの調査してきた内容を聞かないこと、キバヤシが“眠い”と言ったらある程度の反対をしても大人しく引き下がること、隣りの部屋に映る際にそれらしい発言や音を立てないこと。
「これじゃまるで…」
「ああ。それについて今から話す、みんな聞いてくれ。」
困惑した表情を浮かべるメンバーを前に、キバヤシは張りのある声で語りだした。
「俺はフランスを離れる事をジャンに喋ったつもりはない、フランセーヌ教授にだってそうだ。だが空港であった男が持っていた情報は、俺達がジャンに告げた情報を遥かに凌駕していた…不思議だと思わないか?彼らは一体どこから情報を入手していたのだろうか?」
いまだ状況が掴めずボンヤリとしているメンバーを見回しながら、キバヤシはさらに話しを続ける。
「一個人の行動を細部まで把握するってのは、いくらなんでもコストや手間の面で無理がある。しかしある程度の情報を入手出来れば、それをもとにかなり絞り込んだ調査が出来る…飛行機の搭乗リストを見たり、路線から使用する空港を割り出したりな。」
「確かに僕たちはジャンの前で飛行機の話はしなかったですけど…」
キバヤシの言葉を少しでも速く理解するため、タナカは自らの頭の中を整理しながら喋っていたのだが、ふと何かに気付き誰に言うとでもなく下を向いたまま呟いた。
「ジャン以外からも情報が漏れていた…?」
「……ああ。」
「でも、一体何処から?ジャンやフランセーヌ教授以外に情報を漏らす相手なんて…」
そのイケダの言葉を聞いたタナカがハッと顔を上げた。
「そうか、あっちの部屋は確かジャンが取ってくれた…!」
「そう、相手は何も人間とは限らない。」
どこからか漏れていた情報、人間とは限らない情報源、ジャンが取ってくれたホテル、キバヤシに要求されたこと…目の前に並べられた幾つかのヒントが、メンバー全員の頭の中にある一つの答えを導き出した。
「盗聴機…!」
「そうだ。簡単に、確実に、重要な情報を入手するには最高の手段だと思わないか?」
「だからわざわざこの部屋を…!」
長く漂っていたもやを振り払いようやく状況を理解したメンバー全員を尻目に、キバヤシは椅子から立ちあがって彼らに背を向け…すこし間を置いて声を絞りだした…
「…どうだった?」
途端に部屋の雰囲気が重くなる。それこそメンバー全員がキバヤシの言葉の真意を汲み取った結果なのだが、キバヤシにはその反応がある程度予想できていた。空港でキバヤシの頭に焼きつけられた、あの男のあの言葉がフラッシュバックする…
「今ごろ君の仲間が第3段階の試験を受けている頃さ…」
(…恐怖と覚悟、か…)
それも当然だった、全てやつらが敷いていたレールだったのだから。どうやって有効な情報を得ることができるというのだ?何をどう頑張ればいいというのだ?無理だ、そうだ無理なのだ…そうひとりで考え思い込んでいたキバヤシを、他のメンバーが救い出す…!
「キバヤシさん、そんなに考え込まないで下さい。」
「大丈夫です、大丈夫ですよ…!」
今回の調査が全てあの男の計画通りならば、どれだけ勢力的に動こうとも有力な手掛かりは手に入らない…そう思いこんでいたキバヤシには、タナカとトマルの反応はいささか予想外だった。
「話によると数十年前、軍上層部である計画が発案されたらしいんです。」
「ある計画?」
「フランスのフランスたる利を生かし、国際的に有利な立場を得ようという計画です。」
「………」
しばらくボンヤリと話を聞いていたキバヤシだが、彼の頭の中にはある一つの答えが浮かんでいた。複雑に絡まった頭の中を整理し、いくつかの可能性を思考した上で、彼はその言葉を口に出した。
「…食料、か?」
「はい、フランスはヨーロッパ諸国の中でも食料生産に秀でた農業国です。当時閉塞感にあふれたヨーロッパで…いや世界で歴史あるフランスの力を示す為に提案されたこの計画は、フランス議会ではなく国軍上層部で作成されていったんです。」
トマルの説明にタナカが続く。
「増えつづける人口、悪化していく環境問題…現在でも北朝鮮の外交にも見られるように、食糧問題は国家的なレベルでの取引すら動かすものです。元々人間が生きていく上で必要なのが睡眠と食事だし、日本でも主食の米ひとつ不作になるだけであれだけの騒ぎになるんですから。」
「………」
「計画された生産数を上回る場合には処理して数を調整、輸出先の国へプレッシャーをかけるのと同時に、周辺諸国に食料に対する危機感を植え付ける。他国の農業に妨害工作を加え、自国の農作物の価値を高める…」
そこまでタナカが喋ったところで、突然ナワヤが口を挟んだ。
「この計画のコードネームが何だかわかるか?ラ・フランスさ!俺達が今まで追いかけてきたあのラ・フランスなんだよ!ラ・フランス計画…フランスたるフランスの為の計画さ!」
今まで求めてきたものが見つかった…そう語るナワヤの顔は紅潮していたが、当のキバヤシは顔色をほとんど変えず冷静なままにタナカへと一言をぶつける。
「…だが、実行には至らなかった。」
「…はい。この作戦を実行するための詳細を詰めて行く段階になって、ヨーロッパ中が食料危機対策に乗り出したんです。そのため作戦の予想効果は発案当初の24.3%にまで低下、結局ラ・フランス計画は闇の中へと葬り去られることになった…ということです。
そして最大の問題が、ソビエト連邦を代表とする共産勢力の弱体化による世界的な軍縮です。元々弱気な政治家達の変わりに軍が主導で動いていたこの計画は、軍縮によって否応無しにその効力や影響力を失われてしまい、ヨーロッパ全体が協調への歩みを進める中で時代遅れの作戦へとかわってしまった。
…ラ・フランスというコードネームもフランスの特産品である洋梨による所が大きいんですが、当時の政治家の変わりに主導権を握る、という意味もあるようなんです。」
タナカが話している間も、話が終わったあとも…キバヤシはずっと難しい顔をしたままだった。それを見かねたナワヤが思わずキバヤシに問いかける。
「どうしたんだよキバヤシ、何か問題でもあるのか?」
「…確かに今の話は実際有効な作戦だし、リアリティーもある。それに軍が中心となって動いているのなら、俺がどんなに調べても真相に辿りつけなかったのも理解できる。ただ…」
「ただ?」
「ラ・フランス計画…確かに非常に貴重な情報だ、だがあれだけ我々に情報の規制をかけてきたやつらが、重大な情報をそこまで簡単に教えてくれるのだろうか…?あの男の口振りから考えるとお前達に情報を提供したのもあの男の仲間だ、いくら価値の高い情報だったとしてもそれはおそらく…」
「大丈夫だと思います。」
声の主は先程まで下を向いていたイケダだった。
「僕はその時通訳をしていましたが、嘘をついているというよりは逆に好意的だったような気がします。根拠はありません、しかし…彼は何かを僕たちに伝えたがっているようでした。」
「…イケダ…」
「…イケダの言う通りだと思います。たぶんキバヤシさんが空港で聞いた事は間違っていないと思います、確かに僕達は試されたのですから。でもあの時…」
「怖くはないのか?これからお前達が踏みこむ世界は、限りなく深い闇の中にあるのだぞ?」
「僕達は一度負けたんです。その時のくやしさに比べれば…他の人々の命を狙われる恐怖に比べれば…自分の身に降りかかる危険なんてちっぽけなものです!もう後戻りは出来ないんです!」
「私の方が甘かったようだな。30分の制限時間など必要なかったか…昔の私とは違うようだな…ここまで決断が速いとはな。いいだろう…」
(あの時の俺に…MMRRのような勇気があれば…悪魔の兵器を排する勇気が…)
今でも脳裏に焼き付いているあの悪夢のような世界。青く澄みきった太平洋、目の前に広がる美しい環礁。発動する悪魔の力、一瞬で死の世界になったあの環礁。あの日、あの瞬間…ムルロアという名の環礁が歴史に名を刻んだその瞬間は、後悔と挫折という存在に変わり今でも自分の頭を支配しつづけている。
(…来たか。)
遠くから乾いた靴の音が聞こえてくる。その音はドアの前で静まり、代わりに2度ほど拳がドアを叩く音が聞こえてきた。
「…MMRRのメンバーに要らぬ情報まで与えたそうだな。」
「ドアの前で話すのもなんだ、入ってきたらどうだ?」
少々年老いて立て付けが悪くなったドアがゆっくりと開き、聞き覚えのある声を持つ男が入って来た。
「私がお前に要求したのは…彼らの覚悟を確かめ、過去に軍で動きがあったという情報を提示する…それだけだ。前ラ・フランス計画の情報まで与えて良いと許可した覚えはないのだが?」
「本当の情報を知っている人間を使う事がすでに間違っていると思うがな。」
「元軍人、相手を制する威圧感…私はこの役に関してお前以上の適役を知らないのだよ。それに今までお前は一度も、軍人時代の事を喋らなかったではないか?一体彼らに何を吹き込まれたのだ?」
「………」
「キバヤシ君のあの台詞といい、お前の事といい…シナリオ通りには行かないものだな。まあいい、全ては終わったことだ…今回の事は水に流そう。」
そこまで言うと男は背をむけて、出口のドアに向かって歩みを進めた。そしてドアノブに手をかけたところで、振りかえることなく再び口を開いた。
「いまさらフランスに帰ることは出来ない、お前ももう少し過去を割り切ったらどうだ?いくら軍に失望し生きる糧を失ったとはいえ、お前は有能な人間だ…私の足を引っ張るのではなく、手助けをしてもらいたいものだ…!」
そう言い放つと男は部屋を出ていった。計画通りに事がすすまなかった憤りからか、行きよりも速いテンポで足音が遠ざかっていく…残された男は再び静まり返った部屋で目をつぶる。浮かび上がる自らの過去と、愚か者達の覚悟を照らし合わせながら…
(…人間を評価する際に1番大切なことは、如何に相手が劣っていても見下ろさない姿勢だ。それを忘れているような奴に、完璧なシナリオなど立てられる筈が無い。『一体何があったんだ?』…か。お前には一生理解できないだろうよ、一度完全に負けた者の気持ちなど…)
「最悪の事態は避けられた…いや、むしろ光明が見えたというべきか。やつらの支配力にも限界があるという事も、俺達はまだ戦えるって事もわかった。」
タナカ達が入手した貴重な情報にも難しい顔をしていたキバヤシ。しかし少しの間を置いてタナカ達の前に再び見せたその顔は実に晴れやかだった。
「…良かったよ。」
その言葉は部屋の中に張り詰めていた緊張感をほどき、ようやく肩の力を抜くことができたキバヤシ自身の身体をソファーに預けさせた。そしてそれを見たメンバーも大きく息をつく…彼らにもようやく休息の時間が訪れたのだ。
「さてと、明日も調べたい事がある。みんな付き合ってくれるな?」
「おいおいキバヤシ、明日の事は明日にしてくれよ。もう眠くて仕方ないぜ。」
「ナワヤさんみたいな良い子にはちょっと遅すぎる時間ですね。」
そして部屋にちょっとした笑いが、暖かい空気がやっと戻ってきた。
「こらイケダ!ちょっと来い!」
「もう遅いんですからそんなに騒がないで下さいよ、周りの御客さんに迷惑ですから。」
「タナカ!貴様もか!」
各々が調査の為では無く自らの休息の為に、着替えたり荷物を整理したりしている…実に久しぶりに見るそののどかな情景を眺めながら、キバヤシは心の中で一人決心を固めていた。
(俺の考えが正しければ…まだ手はある。俺達なりの方法が…!)
「さあ、みんな行くぞ!」
「行くぞって…ここは国立図書館じゃないですか。」
翌日。『仕事が急に入ってしまった』と言うジャンのお詫びの電話を受けたメンバーは、ホテルからタクシーを使ってフランス国立図書館へとやってきた。別に誰にアポイントメントをとる必要もないし、タクシーの運転手に行き先を告げれば簡単に着く、着いたら着いたで何をするのも個人の自由…現在各方面の情報源にストップをかけられている彼らにとっては非常に利用価値が高い施設なのだが…
「この図書館…前にも来ましたよ?」
「そうなのか?」
そう、ここは以前タナカ達が丸1日かけてラ・フランスについて調査したあの図書館である。
「大丈夫、俺に考えがあるんだ。」
大丈夫なんだろうか?と一抹の不安を感じながらも、メンバーは堂々と歩くキバヤシの後ろについて行く。
「…これさ。」
そういってキバヤシが持ってきた資料は、どこかで見覚えのある文章で埋め尽くされていた。古めかしい言い回しのものもあればどうやらそれの解説書のようなものもある。非常に難解な資料なんだろうか?それとも…?
「でもキバヤシさん。僕たちは前この図書館にきた時に、考えうる全ての資料を探し尽くしたんですよ?いまさら新しい資料なんてどこにも…」
「誰も新しい資料だなんて言ってないさ、逆にもう見飽きたぐらい見た資料だろうな。」
そういうとキバヤシは椅子に座り、机の上に山積みになっている資料を颯爽と調べ始めた。そんなキバヤシの行動を全く理解できず、ただ呆然と立ちつくしている他のメンバー。しばらく調べていたが誰も椅子に座ろうとしないのを見て、彼らのほうを見てもう一度呼びかけた。
「さあ、お前達もフランスについて書かれている詩を探してくれないか?」
「え…?」
瞬間、何かが頭の中で生まれ身体中を駆け巡る。忘れていた何か…懐かしい何か…そう、それは…!
「大予言!」
「そうか!それがあったんだ!」
キバヤシが、ナワヤが、タナカが、イケダが、トマルが…目を輝かせながら資料の山に飛びこんで行く。
「あった!これですよ!」
ひとりの皇帝がイタリアの近くに生まれ
帝国に多大の犠牲を強いる
彼が同盟者と並んで君主というよりも虐殺者とみなされる
ラ・フランスの謎を追え!後編 第22話「解読への努力」に続く
16 長かったですねぇ、復帰するまで。
「テストだったんでしょうがない…って言うのは駄目?ま、実際話が広がりすぎて収拾がつかなくなってきたのと、他のコンテンツのほったらかしにいい加減焦りを感じてまして…とは言っても他のコンテンツを埋めているわけでは無いので、もっともらしい事は言えませんけどね。」
16 モルディブって…フェイクだったの?
「そうです。出してみたは良いけど収集がつかなくなりそうだから嘘、ということにした。そんなことはありません!この方が“おっとびっくりそういえばそうだ”感があって面白いじゃないですか!…もう後戻りは出来ないな。」
17 なんか…MMRじゃないみたいですが?
「ごめんなさい。行き当たりばったりで連載をしているうちに謎を解いたりするのが難しくなってきて、保険として色んな伏線を作って危なくなったら使おう、と思ってたんです。でもそうしている内に敵の存在が面白くなってきてしまいまして…これじゃX−FILESですよねぇ…(笑)ここまできたらもう少し付き合ってくださいね。オイラが作った伏線を読みきって、展開を予想するのもまた一興。」
今回使用した画像、協力ありがとうございます!
缶詰さま | … ジャン、ラ・フランス | やっぱりこのセンスは何物にもかえがたい魅力。彼のサイトにはこのような芸術が満載です、興味のある方は今すぐにでも行きましょう!感動・絶句・感涙すること間違いなし! |